展覧会遠征 西国放浪編

 

 さて春の青春18シーズンが真っ盛りだが、やはりそろそろ大型遠征の時期であろう。東西南北いろいろプランが考えられるが、3月後半となるとやはり牡蠣の季節が終わりに近づいていることが気になる。というわけで、今シーズン最後の牡蠣のためにまず広島、さらにそこから足を伸ばして未踏の地であった山口、さらには山陰方面に遠征して「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての地方視察活動、大体こんなところで今回の大遠征の骨子は定まったのであった。えっ?美術館がどこにも出てきてないって?それは各地でフォローしていくことになっているわけで・・・。

 まずは早朝の岡山駅に降り立った私。最初にここで行ったのは、先日急遽導入した新レンズのテストである。先週報告した通り、前回の遠征のおりにkissデジの標準レンズがトラブルを起こしてしまい、修理していたらとても今回の遠征に間に合わないと判断した私は、急遽アマゾンで新レンズを「ポチッとな」で購入したのだった。新たに導入したのはSIGMAの18-200MM F3.5-6.3 DC OS。以前の標準レンズが18-55mmだから望遠側がかなり伸びたのと、手ぶれ補正機構が加わったことになる。以前の標準レンズよりは大分暗くなったわけだが、日中野外で使用する分にはあまり影響はない。また手ぶれ補正がついたのは、特に望遠側で操作する時に効果が大きい。私のkissデジ(デジタルN)と組み合わせた場合、ややソフトフォーカス気味に思えるのと、動作音が若干うるさいこと、また望遠端で画が破綻しかかること辺りがいくらか気になるが、私のレベルでの使用では概ね問題はない。清水の舞台から飛び降りる・・・どころか、東京タワーからバンジージャンプするつもりで決断しただけのことはある(中規模遠征2回分以上の費用が飛んでしまったわけであるから)。

 なんとも重装備になってしまった私のkissデジ

 特に望遠端が伸びたことは、駅などでの撮影では効果が大きい。今までの標準レンズでは、視察活動の度に限界を感じていたことを思うと、そろそろ時期だったのか。ただ一番の問題は、従来のレンズよりもかなり重量があるためにkissデジ本来の軽快性が損なわれてしまっていることと、何よりもこの装備でウロウロしていると、確実にかなり気合いの入った鉄道マニアと勘違いされてしまうことである。

 レンズテストでしばらく時間をつぶしているうちに徳山行きのシティライナーが到着、これからこれに乗車して広島まで移動である。とは言うものの、車内は混雑しているし経路は何度も通ったことがあるところだし、この行程はひたすらしんどいだけで今更何の面白みもない。この行程も京阪神間のような新快速に該当する列車があれば良いんだが。岡山−広島間で停車駅が倉敷、新倉敷、福山、三原ぐらいの・・・ってこれだと新幹線と変わらんか。とにかくJR西日本の基本戦略としては、姫路−岡山間といい、岡山−広島間といい、在来線を徹底的に迫害することで新幹線に乗せようという姿勢が露骨である(京都−名古屋間も似たようなものだが)。

  

 昼前には広島に到着する。通常ならここから市内見学というところだが、今回はまずここで視察の方を行っておく。広島近郊路線の一つに可部線と呼ばれる路線がある。この路線は当初は山陰地方の浜田と広島を結ぶという壮大な構想の下に着工された路線であるが、三段峡まで路線が建設された段階で国鉄再建の絡みで以降の建設が断念され、2003年には地元の存続運動も空しく、可部以遠の非電化路線が廃止されるに至ったという悲劇の路線であり、何やら各地の盲腸路線が辿るべき運命を象徴しているかのようである。

  

 路線は単線電化路線で、ホームには2両編成ロングシート車といういかにも都市近郊路線的な車両が到着する。乗車率は結構高く、特に広島新交通であるアストラムラインと接続している大町までかなり混雑する。また沿線風景も横川で山陽本線と分かれた直後には太田川を横切る楽しい風景が見えるが、後はひたすら市街地の中という具合で、あまり面白さはない。梅林辺りから若干郊外めいてはくるが、それでも延々と都市近郊という風景のまま終点の可部に到着する。ローカル線乗りとしては、これから風景が楽しくなりそうなところで、いきなり路線が切断されたという印象。なお可部からはまだ非電化の線路がそのまましばらく残されているようで、なんとなく路線復活を望む地元の執念がうかがえるのだが、その前途はあまり明るくないようである。

 可部駅からはまだ線路が残っている

 可部線の状況はまさに盲腸線の典型的な経路を辿っている。まず一番末端部分の本数が減らされ、利便性の低下に伴う必然的なモータリゼーションの進行と地域の衰退に伴う廃線。廃線後しばらくはバスによる代替輸送が行われるが、それも次第に本数が減少し、数年の内に路線廃止、そして交通弱者のみが取り残されるという構図である。可部から三段峡までは現在はバス路線が運行されているようだが、これもいつまで続くか。以前にも言ったように、鉄道とは「どこかとどこかを結ぶ」ということが大事なのである。その結ぶべき「どこか」がない路線はあまりにもつらい。私が今まで視察した中でも、三木線などはまさにその使命を見いだせないままに廃線の憂き目にあっていたし、北条鉄道などは似たような悪条件の中で必死の生き残りを模索しているようである。

 なお今日に至って、中国産食品の汚染問題が契機となって国内農業の再建が急に社会的課題となってきたように、エネルギー問題の切迫化は輸送機関としての鉄道に再び社会的注目を集める契機となり得ると考えている(そもそも私自身が、あまりのガソリン高騰の煽りで鉄道遠征が増加しているのだから)。そう言う意味で、各地のローカル線には今こそ持ちこたえてもらいたいところであるのだが、全国の3セク路線では銀行保護のための金利の異常低下などで、運営基金の積立が底をついてこの数年で存続の危機に直面する組織が続々と現れているという。以上の状況を鑑みて、「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」としては、「農業再生による地域産業振興および雇用の確保、ローカル線を中心とする地域交通網の維持、さらにはそれを可能とするための東京の解体」を21世紀における最重要政策として提言する。

 さて可部線の現状を視察した後はそのままUターン。大町までとって返すと今度はアストラムラインに乗車する。アストラムラインとは広島市が建設したいわゆる新交通システムである。駅などを見ても大阪のニュートラム、神戸のポートライナーなどと極めて類似している。そう言う点では車両の汎用性は高そうだから、特別仕様のリニモなどよりは維持コストは低そうである。ただこの手の新交通システムの使命は、都市近郊の中距離中人数輸送であるのだが(長距離大人数輸送は従来鉄道が、短距離少人数輸送はバスが受け持つのが筋である)、そのニーズがどの程度なのかは広島市民ではない私には分からないところ。ただ私が乗った時について言えば、乗車率はそこそこのようだった。

  

    車両自体はポートライナーなどと同タイプの車両になっている。

 アストラムラインに乗車すると市役所前で降車。地上に上がったそこに最初の目的地が存在する。


「田園讃歌〜近代絵画に見る自然と人間〜 」ひろしま美術館で4/6まで

 田園の風景は原風景として洋の東西を問わず多くの絵画に描かれてきた。そのような田園風景を扱った作品を内外より集めた展覧会。ミレーなどのバルビゾン派から始まって、浅井忠などの日本の洋画、さらには当時の田園風景を記録した写真なども併せて展示されている。


 ひろしま美術館の西洋絵画コレクションは、現在京都での展覧会で出払っているので、数少ない居残り作品を特別展示室の方に引っ越しさせて、その空っぽになった常設展示室を利用して本展は開催されている。なお本展については私は埼玉県立近代美術館で開催されたおりに参加しているのであるが、展示室が変わっただけでこうも雰囲気が変わるのかと驚いた。

 慣れ親しんだひろしま美術館の展示室で、私の好きなトロワイヨンの牛の絵などをゆっくりと楽しむ。やはりここの展示室は落ち着ける。私はこの美術館が本当に好きなんだということを改めて感じた次第。

 ただ、風流も生理的欲求にはかなわない。絵を見ている内に空腹がこたえてきたので、昼食はここの喫茶ですませる。注文したのは特別展連携の特別メニュー「ファーマーズランチ(1200円)」。いわゆるビーフシチューランチであり、「農夫の昼食」にしてはやや豪華すぎないかとの疑問はある。量的なものを考えるとコストパフォーマンス的にはやや劣ることは否めないが、味的にはまずまず。そもそもここの喫茶は結構評判が良く、落ち着くスペースである。

  

 さて次の目的地への移動だが、その前によく考えると、広島には何度も来ているが広島城を訪れたことが今まで一度もないことを思い出す。広島城は今まさに目の前にある。次の目的地の前に広島城に立ち寄ってみるとことにする。

 再建された広島城天守

 広島城はそもそもは毛利元就が交通の要衝であるこの地に目を付け、孫の輝元が拠点として太田川の三角州に建造した近世型城郭であり、自然の川をも取り込んだ堀を防御の要として使用した平城である。その後、福島氏、浅野氏と引き継がれて明治に至るが、残存していた天守は第二次大戦における原爆の爆風で倒壊、昭和32年に鉄筋コンクリートで外観復元されて今日に至っているという。現在、戦災で延焼した門なども復元され、今日では公園となっている。というわけで、ここもあの愚かな戦争で失われた遺産であるわけである。つくづく戦争の愚かしさを噛みしめる次第。真の愛国心を持つ者なら戦争などは絶対にしないのである。なおここの天守からは、先の戦争の愚かさの象徴でもある原爆ドームを広島球場の向こうに見ることが出来る。

 広島市民球状の向こうに原爆ドームが

 広島城を一回りすると次の目的地である広島県立美術館へ歩いて移動する。距離的には1キロほど。そもそも広島県立美術館の裏にある縮景園は、広島城の庭園だったとのことだからその近さも当然ではある。


「日展100年」広島県立美術館で3/30まで

 

 日本最大の公募展である日展は、文展の時代から数えて100年目を迎えるとのこと。そこで文展、帝展、新文展、日展と名称・組織などを変更しながら日本の美術界の登竜門として存在し続けた日展の歴史について回顧しようという主旨の展覧会である。

 構成としては、文展、帝展、新文展、日展といった各時代を代表する作家の作品を並べることによって、それぞれの時代の空気を感じようというものである。最初期の文展時代には黒田清輝や藤島武二、上村松園など、帝展時代が川村玉堂、新文展時代に梅原龍三郎、日展時代に東山魁夷、奥田元宋などといった次第で、それぞれの時代を象徴的に代表している。

 展示作であるのだが、やはり日本における本道中の本道を歩んできた展覧会という印象を強烈に受ける。というのは、展示作のレベルは軒並み高いのであるが、やはり保守的である感は否めないからである。出展作家には私にも馴染みのある名も多いが、やはりいずれもその作品の中でも「おとなしめの作品」が出展されていることが多いようである。かつてヨーロッパでは保守的なサロン批判から印象派が発生するなどのことが起こっているが、はやり権威と保守化は不可分の関係になってしまうところがあるようである。

 もっとも、どちらかというと嗜好が保守的な私の場合は、このぐらいのバランスの方が見ていて心地よかったりするのは事実だったりするんだが。

 

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 美術館を出た頃にはもう夕方。路面電車で宿泊先のホテルに移動すると、夕食まで少し休息することにする。それにしても広島といえばこの路面電車だが、やはり路面電車は便利である。どうも私にとってはバスよりもこちらの方が相性がよい。こういう点も私が何となく広島に愛着を感じる理由か。

  

  

 ホテルでしばらく休息した後、夕食のために広島駅まで移動する。夕食は牡蠣と決めているが、今回夕食を摂るのは「ASSEかなわ」。広島駅ビルの6階に入っている牡蠣料理店である。店構えはなんとなくデパートの飲食店街のようで正直イマイチ。

 今回注文したのは「鍋付き牡蠣コース(6000円)」。牡蠣を食うと言うことが今回の遠征の目的の一つでもあるので、またも東京タワーからバンジージャンプである。それにしても最近、私の経済感覚が壊れかかっているのでは・・・やけくそか?

 まず登場したのは酢カキとカキの塩辛といった珍味。酢ガキについてはさっぱりとしていて非常に美味。牡蠣の良さがよく分かる。塩辛については表現しようがないが、濃厚にして独特の風味がこれまた美味。続いて登場は冷製オイスターフレッシュトマト。牡蠣を洋風のサラダのように仕立てている。これもさっぱりしていてなかなかに面白い。

  

 しばらく後に登場するのはカキ小町浜焼きとポワロのオーブン焼き。一方はオーソドックスな焼きガキだが、オーブン焼きの方はパン粉のようなものがまぶしてあって風味がまた違う。

 さらに王道のカキの土手鍋、さらにカキフライ、カキぬたといったところが続き、最後はカキ飯といったフルコース。いずれも牡蠣の風味が生きていてなかなかにうまい。しかもこれだけのコースとなるとかなりボリュームもあり、正直なところ最後のカキ飯の頃になると、もう食べるのに苦労したぐらいと、例によって牡蠣を堪能したのである。

  

 とは言うものの、少々残念だった点も数点。まず客数に比べて厨房が人数不足なのか、店側の対応がやけにあたふたしていたこと。実際、料理の出てくる順序や間隔なども滅茶苦茶で、最初の数点が出た後にやけに長時間待たされたり、鍋を食べている最中に次のカキフライなどがドカッと出てきたりと、はっきり言って段取りが滅茶苦茶だった。これはコース料理では大きな減点。

 また料理屋だというのに分煙が出来ていないのも大きなマイナス。居酒屋ならともかく、料理屋で隣で馬鹿喫煙者にプカプカやられるのは大問題。私の時もとなりにチェーンスモーカーらしきおばはんがやってきて、タバコ臭くて閉口した。見ていると、食事前に立て続けに2本タバコを吹かして丹念にニコチンで舌を麻痺させた後、食事後にも立て続けに2本で舌をこれまた丹念にヤニコートしていた。こんな状態で味など分かろうはずがない。頼むからこんな類の輩は、料理屋ではなくて吉野家にでも行っていてくれ(こういう輩は、排ガスがもうもうと吹き付ける真横で食事をしても何も感じないだろう)。牡蠣が勿体ない。こっちはあの臭いタバコの煙が漂ってきた途端に、鼻が麻痺して料理の匂いが分からなくなるし、のどの調子は悪くなるしと最悪。やはり最低限でも完全分煙(本来は全面禁煙が正しい)をしていない料理屋は偽物では(料理人が喫煙している事例などは問題外)。

 今シーズン最後の牡蠣を堪能した後は、ホテルに戻ってゆっくりとする。広島の街は結構好きなのだが、広島に来ると難儀するのはテレビのチャンネルが少ないこと(テレビ東京系の放送局がない)。だから広島泊になると、夜の時間を持て余すことが多い。とは言うものの、今回に関しては明日はかなりの早朝出発の予定である。部屋に帰るとすぐにシャワーを浴び、早めに布団に潜ってしまう。そのうちに昼間の疲れから眠気が押し寄せてくるのだった。

 

 翌朝は5時起床。手早く荷物をまとめて身支度すると、始発の路面電車に飛び乗り広島駅まで移動する。広島駅で新山口行きの普通列車に乗ると終点まで3時間の普通列車の旅である。昨日は休日だったが、今日は飛び石休の間の平日のせいか通勤・通学と思われる乗客が多く、車内は結構混雑している。宮島辺りから車窓の風景が海の景色になり始め、岩国では岩徳線と別れ(この岩徳線も未走破路線である)、本線は海沿いを走るようになる。しばらく海沿いを走った後に柳井辺りから車窓は山岳の風景に転じ、都会が見えてきたと思えば徳山に到着である。徳山を抜けるとまた海沿いのルートを通り、再び都会に到着すると防府、そこからは山の中に入っていってしばらくするとようやく小郡改め新山口駅に到着である。

  

 結構海沿いを走る

 印象としては「とにかく長い」というのが一番。また車窓については海沿いルートなどがある分、岡山−広島間に比べるとまだ見るべきところはあるが、それにしても日本の大動脈ルートの割には運行がいかにもかったるく(複線電化路線にもかかわらず、なぜか待ち合わせ停車があったりなど)、どうも本来はもっと迅速なる運行が可能にもかかわらず意図的に利便性を落としている気配が濃厚であり、JR西日本の「長距離移動は新幹線を使え」というオーラをひしひしと感じさせられることになる。「競争の存在しない資本主義は社会主義以下の状態になる」というのは経済の世界の真理であるが、競合私鉄の存在しない地域のJRはやはりこうなるのだろう。

 新山口駅は新幹線も停車し、山口県の玄関口とも言える交通の要衝である。かつては小郡駅と呼ばれていたが、平成の大合併と山口県の玄関口という意を強調する観点から新山口に名称変更されたとのことである。ただ玄関口という割には駅、駅前共にそう巨大という印象はなく、なんとなくローカル色が漂っている。

 ここからは山口線に乗り換えとなる。なおこの路線には春になるとSL山口号が運転されることで知られているが、残念ながらまだ冬シーズンに属する今の時期にはSLを見ることは出来ない。とりあえず次の目的地が山口である私は、ここから山口線の普通車に乗り換える。なお山口線は非電化単線路線であり、到着した列車は2両編成のセミクロスシート車である。乗客は結構おり、山口駅までは沿線風景はのどかなものの、車内風景は都市近郊路線的イメージ。なお新山口−山口間往復の列車の本数が多く、これ以北は急激に本数が減少するというのがこの路線の特徴である。

  

 沿線はのどか

 山口駅で降車すると駅前からバスに乗車、とりあえず次の目的地を目指す。


山口県立美術館

 ちょうど現在は所蔵品展しか開催されておらず、同館のコレクション傾向を見るには最適の内容となっている。同館は5つの展示室を持っているが、それぞれ「絵付けされた陶器」「風景画の世界」「現代美術入門1−色−」「日本画の流れ5」「雲谷派6」と題されている。これから見ると、同館のコレクションはどちらかと言えば日本画系であることがうかがえる。

 「風景画の世界」については、洋画系の風景画を展示しているもの。同館が力を入れている作家に地元出身の香月泰男がいるが、その作品も数点展示されている。そのためか、展示作はほとんどが香月と同系の絵の具厚塗り系絵画で私の守備範囲とはややずれているのはなんとも。

 雲谷派も同館が力を入れているジャンルのようである。いわゆる典型的な水墨画系の絵画。その起源は雪舟にさかのぼるとのことであるので、表現的にはシンプルなものが多い。私としては嫌いではないが、なぜか特別に印象にも残らなかったのも事実。


 美術館自体は野外彫刻なども展示してあり、落ち着いた良い雰囲気のところ。ただなぜかコレクション傾向が私にはしっくりこない。この地域の美術と私は相性が悪いのだろうか?

 美術館をゆっくりと堪能した後は、まだ時間が少々あるので山口市の散策をかねて駅まで歩く。街路の各地に寺院が存在しており、落ち着いた雰囲気の良い市街である。基本的には私の感性に合致した市街である。私は田舎の落ち着いた雰囲気を好む人間ではあるが、その一方で都会生まれの悲しさであまり閑散としたところでもかえって落ち着かないという難儀な性向を有している。つまり私が許容できる都会度はある一定の範囲があり、それより都会過ぎても田舎過ぎても駄目なのである。そう言う点でいった場合、広島が私の都会側の許容範囲のギリギリぐらいだとすれば、山口は田舎側の許容範囲のギリギリぐらいといったところである。

 なお山口で印象に残ったのは、各地で「外郎(ういろう)」の表示を見たこと。私のイメージではういろうと言えば名古屋か神戸の長田(長田のものは正確には「ういろ」である)なのであるが、土産物屋で聞いたところによるとこの地域の名物らしい。そもそもの発祥は一体どこなんだろう? ちなみに土産として一つ買い求めたのだが、やはり「ういろ」は長田に限るというのが、私の最終的な地元びいき的結論である。

 山口駅に戻ってくると、ここからさらに山口線で北に向かって移動である。次の目的地は「山陰の小京都」とも呼ばれる津和野である。単両編成のディーゼルワンマンカーで1時間ほどの移動となる。沿線風景は山口駅までが田園風景だったのに対し、ここからは本格的な山間風景となる。路線は山間の集落地をつないでいるような風情。私のような車窓派には圧倒的に興味深い風景である。しばらくのんびりと車窓の風景を堪能している間にようやく津和野へと到着する。

  

落ち着いた雰囲気の津和野駅         隣にはSL(D−51)の展示が

 津和野はまさに絵に描いたような「のどかなところ」。古びた街並みがなんとなく懐かしさを感じさせる。町全体が「古き良き昭和の空気」を漂わせている。また最大のポイントは「村」ではなくて「町」であること。ローカル線沿線には「村」は多いのだが、意外に「町」が残っているところは少なく、半端に「都市」になってしまったところが多い。その点、この津和野はまさに昭和初期の古き良き「町」の空気を保っている。私としては、幼き日々を送った震災前の神戸の長田の雰囲気(今や震災とそれ以上に市当局によって完膚無きまでに破壊され、面白みも生命感も全くない無機質な都市へと成り果てたが)を思い出して、なぜか強烈な郷愁に駆られてしまうのである。

 懐かしい町並みです

 ただ気になる点もある。表通りを中心に観光開発が進みつつあり、そのことによって町の雰囲気が侵食されつつあることだ。最悪の場合は町全体が竹下通り化する危険性をはらんでいる。これは全国各地のこのタイプの観光地がいずれも直面するジレンマであるようだが(湯布院などもまさに観光開発と街並み保存の狭間で揺れたと聞いている)、津和野もなんとか今のひなびた空気は保って欲しいものである。ただ観光開発による町の発展と、風情をどう守るかのバランスは実に難しい。例えば倉敷などは、確かに美観地区では白壁の建物などの風景が保存されているが、あの地域自体が観光開発が進みすぎているせいで、まるで映画のセットのように町全体から浮いてしまっており、その違和感たるや表現しがたいものがある。町の空気を保つというのいかにも難しく、京都は完全に失敗し、奈良も失敗しつつある。私が今まで回った中では、比較的成功しているのは尾道ぐらいか。

 様々な複雑な思いが胸に沸き起こってくるのであるが、とにかく目的地を目指すことにする。トランクを駅のロッカーに放り込むと目的地に徒歩で移動する。常に言っていることであるが、私の遠征はあくまで「美術館巡り」である。津和野にやって来たのは、何もここが観光地であるからではない。


安野光雅美術館

 安野光雅とは津和野出身の画家で、教員の傍ら本の装丁などを手がけたという。情緒漂う水彩画をその作風としている。

 私が来訪した折も、本の装丁などにまつわる展示がなされていたが、確かに「見たことがある絵」であった。その淡い色彩を中心とした幻想的な絵柄は、私の年代にはかなりの懐かしさを感じさせるものである。よくよく思い返してみるに、私が少年時代を送った頃は、彼の作品と後は「いわさきちひろ」辺りを並べておけば、大抵の絵本はそれで間に合っていたような気も・・・。この「懐かしさ」はある意味では津和野に見事に合致しているのであるが。


葛飾北斎美術館

 北斎の版画は当然のこととして、貴重な肉筆画なども展示されている。ただ展示スペースがかなり小ぶりであるので、展示内容が限定されてしまうことが難点。版画の刷り上がりまでの過程などが展示されていたのが興味深いが、展示内容は全体的にややマニアックである。


 もう昼食時をとっくに過ぎているが、今日は考えてみると昼食どころか朝食もまだ摂っておらずかなりの空腹であることに気が付いた。北斎美術館を出るとちょうど向かいに「郷土料理遊亀」と看板を出した料理屋がある。何となく趣があるし、何よりも「郷土料理」という言葉に惹かれた私は、ここで昼食を摂ることにする。

  

 注文したのは「津和野定食(2300円)」。鯉の洗いにこんにゃくの刺身、生湯葉に山菜の炊き合わせや和え物、さらにふき飯に鯉のこく汁といった、いかにも山里にピッタリの内容の定食である。

  

 口にした途端に「うまい」という言葉が出る。何気ない内容であるが、これが懐かしくもうまい。こういうものこそがまさに風土に密着した和食だったのだなと感じさせられる次第である。私も20年ほど前なら、このようなメニューにはあまり魅力を感じなかったのだろうが、最近はもっぱらこういうメニューの良さをしみじみ感じることが多くなっている。特に鯉が抜群にうまい。鯉はともすれば泥臭くなる魚だと聞いているが、この鯉に関しては泥臭さは感じず、むしろかなり強烈に旨味が強い魚だという印象。実際に私はかなり感動させられたのが事実。

 感動ついでにさらに追加注文。今度は「鯉の甘露煮(600円)」である。これが鯉をウロコのまま煮付けたものであるが、このウロコがまたゼラチン質の絶妙な旨味で美味。以前に某漫画で「ウロコを取った鯉の煮付けなんて偽物だ」と書いてあったのを見たことがあるが、それについて納得。確かにこのウロコを落として料理したのではまるっきり馬鹿である。また結構濃い味付けをしているのだが、それが鯉自体の濃い風味と相まって絶妙の世界。私は鯉がこんなにうまい魚であると初めて知った。不覚であった。やはり旅とは見識を広げてくれるものである。

 さて食事もすんだし、次の列車まではまだ時間があるし出来れば町の中心部までさらに足を伸ばしたいところなんだが・・・残念ながらこの頃になると無理がたたったのか私の身体に変調が現れ始めていた。この状態であまり長距離を歩くということはしたくない。正直なところ、まだ津和野の半分も見ていないと思うのだが、捲土重来を期しつつ今回の津和野回りはこの程度にしておくことにして、列車の発車時間までは喫茶で時間をつぶすことになる。

 再び津和野から車上の人となった私は、そのまま次の目的地の益田を目指す。車窓ののどかな風景を眺めつつウトウトしている内に気が付けば益田に到着、益田駅からはバスで次の目的地に移動する。

  

益田駅の風景                 駅に停車していた特急おき


「モダンガールズあらわる」島根県石見美術館で4/7まで

 昭和初期、モダンな女性風俗が花咲いた時代がやってきた。そのような時代の女性を描いた絵画、さらにはファッション誌や百貨店などの広告などから昭和の「モガ」について迫ろうという展覧会。

 似たような趣の展覧会としては、以前に「大正シック展」があったが、大正と昭和の違いか、本展の方がより近代的な感覚が漂う風俗が多い。また大正期がアールヌーヴォーの影響が見られるとすれば、昭和期になるとそれがアールデコに変わってきているのも感じられるところ。美術展として見た場合、絵画的には伝統的日本画の流れを汲む美人画から、現代絵画につながる作品まで玉石混淆の感があり、意外と雑多な印象を受けたのが本展。単にモガの風俗に注目するのが正しいのか?


 石見美術館があるのはグラントアというホールなどと一体になった複合巨大文化施設の中。ただイベントがない時のホールはどうしても閑散とした感じになるので、施設が巨大なだけにここまでいくと静けさを通り越してしまって全体に寂寥感が漂う。これは施設の構成として考え物だと思える。逆にイベントがある時は騒然とした雰囲気になってしまいそうだし。

 バスで駅前まで引き返すが、列車の発車時間まではかなり間がある。山陰本線はその本線という名にも関わらず、かなりの閑散ダイヤのようである。しかも困ったことに益田駅前には時間をつぶすための喫茶店さえもない。というか、喫茶店のような店が見えても、営業しているのかしていないのか定かでない状態で、逆に客を寄せ付けないような空気が漂っている。どうも最近になって駅前再開発をしたようであるのだが、そのことがかえって寂れた感じを強めてしまったような気さえする。島根の拠点の一つであるはずの益田市のこの状況が、現在急速に過疎が進みつつある山陰地域の現状を物語っているようでもある。地方の本格的再生計画の実施が急がれるところである。

 駅でかなりの時間をつぶした後、ようやく山陰線の列車が到着する。山陰本線のこの辺りは単線非電化路線。到着した車両もこの辺りでよく見かけるタイプのセミクロスシート型のワンマンディーゼル車である。ここから浜田まで移動。夕闇が迫る中を列車は海岸沿いを疾走する。山陰本線のこの辺りは最近に高速化工事が行われたとのことであるが、確かに意外と速度が出ている。基本的にかったるそうに走る電車よりも、疾走するディーゼル車が好きな私には相性の良さそうな路線である。海をボーっと眺めながら、いつか山陰本線全線走破なんてのも良いかななんて考えが頭をよぎるが、一体何時間かかるんだ? 現実には到底不可能そうである。

 見慣れた車両

 やがて日がとっぷりと暮れる。暗闇の中に垣間見える日本海の風景は何となく恐怖感を誘う。昼間とはまた違った海の顔である。そもそも水平線が苦手な私は、開けた海というとどうしても恐怖感を抱きがちなのだが、それが夜の闇で強調されるようだ。

 浜田に到着したのは7時過ぎ。すぐに駅前のホテルに入ると夕食である。この辺りは飲食店といってもあまりないし(駅前にコンビニさえないのはさすがにまいったが)、夕食はホテル内ですませてこの夜はさっさと床に就く。津和野ぐらいから体調が良くないし、何よりも明日の朝はかなり早い。

 浜田はもう夜

 

 翌朝は4時30分に起床、身支度をすませるとチェックアウトをして浜田駅の始発列車に飛び乗る。今日の予定は実のところは「帰るだけ」なんだが、そこにイベントを割り込ませている。というのは、未だに通ったことのない三江線と福塩線をこの際に走破しておこうという目論見である。実のところ、そのために昨晩浜田に宿泊したと言っても良い。三江線は江津と三次をつなぐローカル線であるが、とにかく本数が少ないことで知られるローカル線で、全線を通しで走行する列車が江津発三次行きで早朝と夕方に2本、三次発江津行きとなるとなんと早朝に1本のみというとんでもない路線である。そのために鉄道マニアの間でも「とにかく乗りにくい」との評判であり、私が以前の広島遠征記で「木次線がマニア度Aクラスとすると、三江線は特Aクラス」と表現したのはそのためである。だから私としては、この路線に乗ることは一生ないだろうと思っていたのだが、今回の計画を立てる過程で「山口まで行くのなら、津和野も寄ろう、津和野に行くのだったら益田はすぐそこだな」と計画が次々と拡大していき、ついには「益田まで行ったのなら三江線で帰ってこよう」という思いつきにつながってしまったのである。ただ江津発6時2分の列車に乗ろうとすると宿泊地は限られる。普通に考えると江津で宿泊するところだろうが、私の調査では江津で宿泊できるところ見つからず、宿泊できてこの列車に間に合う地域といえば浜田しか存在しなかったのである。

 というわけで「マニア度Aクラスの路線」よりも「マニア度特Aクラスの路線」を先に走破することになってしまったという次第。何とも順序が滅茶苦茶だが、そもそも私は鉄道マニアというわけではないので、大目に見てもらうことにしよう。

 早朝の浜田駅にはまだ駅員さえ来ていない。無人の改札を抜けてしばし待つと、米子行きの2両編成のクロスシート車が到着する。この列車に乗車すると、列車内で車掌に18切符に日付印を押してもらう。そのまま暗闇の中を江津まで移動である。江津に到着した頃にようやく空が白み始める。江津に到着すると重たい荷物を抱えてえっちらおっちらと陸橋を渡る。既に体調がかなり悪くなってきているので残念ながらここで疾走というわけにはいかない。

  

 ホームに到着するとやはりこれもよく見かけるタイプのワンマンセミクロスシート車が到着している(言うまでもないことだが、三江線は非電化単線路線である)。先客は鉄道マニアだろうと思われる男性2名と地元民らしい中年女性1名。それに「単なる帰宅客」である私を含めた4名が4つあるボックスシートを1つずつ占領して列車は発車する。

  

 三江線は江の川に沿って曲線を描きながら走行する路線である。そもそも江津の名前からも分かるように、この辺りの地域は江の川水系の集落が発展してきた地域である。列車は江の川に沿ってゆっくりと走っていく。まさに「ゆっくり」である。カーブが多すぎる線形をとっているためにそもそも高速走行が不可能な作りになっている。

 その一方で車窓風景については面白いの一言。江の川を中心とする風景は変化に富んでいて退屈することがない。江の川はかなり上流に遡っても水量が多い川で、周辺の地形も非常に起伏に富み、気象の変化なども非常に激しい。まさにローカル線の醍醐味という風景パノラマが展開する。車窓風景に関しては、今まで私が乗ったローカル線の中でも1,2位を争うものがある。

 

 

 

 さて乗客の方だが、土曜日であるが地元の利用が以外とある。最初はこのまま4人の乗客のみで最後まで行くのではという予感もしたのだが、途中で通学と思われる学生が大量に乗ってきたり、地元民の利用はそれなりにある。ただ全線通してのニーズはあまり多いとは思われず、特定区間での移動が多いという印象。

 風景を堪能しながら、思う存分新レンズの性能テストを実施していた私だが、迫り来る空腹とドンドン悪化する体調には苦しめられた。鉄道マニアらしき男性二人は事前に弁当を持参しており、やはり私のような素人とは経験値の差を感じさせられる・・・というか、そもそも私も食料を持参するつもりだったのだが、浜田駅前にはコンビニさえ存在しないというのが完全な計算違いで、おかげで昨晩から完全な断食を強いられることになってしまったのである。私の遠征はとかく空腹との闘いという局面も多くなる。

 列車は3時間の風景パノラマの後に三次に到着する。初めての路線であるが結構堪能した。この路線については存廃問題が常にくすぶっていると聞くが、これだけの沿線風景がある以上、もっと観光開発をするべきだろうと思われる。ただ難点は三次はまだしも、もう一方の入り口の江津があまりにも何もないことか。なお地域輸送の点ではある程度の需要はあることは分かるが、問題なのは沿線人口が絶望的なまでに少ないこと。しかも車窓から眺めていただけでも現在進行形で沿線人口が減少していることが分かる。それに地域輸送といっても、ここまで本数が少なくて利便性が悪ければ、沿線のモータリゼーションを無理矢理に進行させているみたいなものだ。この地域は道路整備がまだ遅れているようだが、道路整備が進むとさらにモータリゼーションが進行しそうである。今のうちに手を打たないと、この路線は持ちこたえられない公算が大きい。

 鉄道路線として考えた場合、あまりに遠回りをしすぎているために江津−三次の短縮ルートにさえなっていないことが致命的である。それでなくても路線は長く、しかもカーブが多すぎるせいで速度は全く出せないというかなりの悪条件である。これでは全線通しでのニーズがほとんどないこともやむを得なかろう。地域輸送と観光開発をメインにしての生き残りを図ることしか策はないとしか言いようがない。風光明媚な地域を選んでトロッコ列車やSLなどを走らせるとかのイベントが必要なように思われる。またせめて沿線に何か核になる観光資源があれば良いのだが。山口線の津和野のような。

 風光明媚な良い路線だけに、この路線の先行きに暗澹たる気持ちにさせられてしまうのである。やはり根本的には地域再生しかなく、そのためには地域産業としての農業の再生が不可欠であると思われる。なぜ今の日本にはこの当然の政策を実行できる政治家がいないのであろうか。

 三次駅に到着したのは9時頃。福塩線の列車が出るのは昼頃なので時間がある。その間にこの地域の馴染みの美術館に立ち寄ることにする。バスで目的地まで移動する。


「フランス近代絵画の流れバルビゾンから印象派へ」奥田元宋・小由女美術館で5/25まで

 

 19世紀後半のフランス画壇においてサロンに反して沸き起こった運動が、バルビゾン派や印象派である。当時は非主流派であった彼らだが、今でもむしろそちらの方がメインストリームのように見られ、西洋絵画史の中でも最も燦然たる光を放っている。日本でも人気のあるこれらの時代の代表的画家達の作品を集めたのが本展。

 展示作はミレー、コローから始まり、モネ、ルノワールなど日本でも知名度の高い人気どころの画家の作品を集めている。出展作は内外の美術館の所蔵品であるが、印象派系の作品よりも、バルビゾン派系の作品に優品が多かったように思われる。


 正直「しまった」と思ったのが本展。というのは、バスの時刻と私の体調の関係で十分な観覧時間をとることができなかったため。正直なところ、地方の美術館の出し物だと軽く見ていたのだが、思ったよりも内容が充実しており、じっくりと回ることが出来なかったことが痛恨である。三次は鉄道の要衝であるにもかかわらず車の方が交通の便が良い地域なので(この事実がこの周辺のローカル線が衰退する原因を端的に示しているが)、会期中に車で再訪したいところである。

 とりあえずバスで三次駅に戻る。それにしても今回といい前回の訪問時といい、この路線のバスは行きも帰りも常に乗客が私一人だったんだが、大丈夫なのか? 何やらここにも将来への暗雲が漂っている。

 三次駅に戻ると駅前で昼食にラーメンを食べ、福塩線の列車を待つ。福塩線は福山と塩町をつなぐ鉄道路線であるが、すべての列車が塩町から三次に乗り入れているので、実質的には三次−福山間の鉄道路線である。全線が単線であるが、府中から福山の間は電化されており、現実には府中で運行が完全に分離している。この辺りは非電化路線であるので、ホームに入ってきたのはこれまた散々見慣れたタイプのディーゼルワンマンセミクロスシート車。鉄道マニアではない私には車両のことはさっぱりなのだが、調べたところによると「キハ120形気動車」という形式になるそうな。JR西日本の非電化ローカル線で散々目にしたせいで、今の私にとっては一番馴染みになってしまった車両形式である。

 単両編成だが乗客はかなり多く、座席はほとんどが埋まっている状態。列車はそのまま芸備線を北上すると、塩町で芸備線と分かれて山岳地帯に入っていく。沿線風景は険しい山岳地帯と言うよりは、のどかな山間農村風景と言うところ。同じ山間でも三江線のような険しさは感じられない。また沿線人口も三江線よりは大分多そうであり、この辺りは山陰地域と山陽地域の違いが感じられるところ。

 乗り換えの府中が近づくと辺りは山が険しい地域になる。ただこの頃になるといよいよ本格的に私の体調が悪くなってきており、動くのがかなりきつい状態になっている。当初の予定では福山から山陽本線に乗り換えて帰宅するつもりだったが、この状態ではさらなる長時間乗車は不可能と判断、府中に近づいてPHSが接続可能になったタイミングを見計らって、福山からの新幹線の座席をエクスプレス予約で確保する。

 府中に到着すると乗り換えである。ここからは電化区間であり、二両編成のロングシート車両が待機している。なんとなく見たことがある車両だと思ったら、どうやら可部線で乗車した車両の同タイプの模様。例によって鉄道マニアではない私にはさっぱりなのだが、後での調査によると「105系」と呼ばれる車両らしい(電車の区別は私には皆目なので間違っているかも)。

 ここからは完全に都市近郊区間。沿線も住宅地の中という雰囲気で面白みがない。もしこの路線の非電化部分が廃線になれば、この路線も可部線と全く同じ印象になるんだろうかというような考えが頭をよぎる。そうなってしまわないことを祈るのみ。

 以前に井原鉄道から乗り換えた神辺を過ぎると列車は福山に到着。私は自販機で新幹線の切符を受け取ると帰宅の途へついたのである。さすがに新幹線は在来線とは根本的に速度が違うことを体感したが(新幹線で行くと、福山ってなんて近いことだろう)、それと共に乗車料金も雲泥の差があることも痛感せずにはいられなかった。JR西日本が在来線を徹底的に迫害してでも新幹線への乗車を誘導しようとするのは、営利企業の手口としては理解できるが、感情(勘定?)としては納得し難いところである。

 なお私の体調の方だが、帰宅後まもなくして最悪の状態となってしまった。鉄道マニアでもないのに数日続けての長時間の列車移動などという無理をしすぎたせいか、10年前に発症させた病を再発してしまったようである。地方視察と交通費の節約には体調管理も重要であると思い知った次第。

 

 

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