展覧会遠征 古都編
青春18切符のシーズンが終了すると、その次にやってくるのは「関西おでかけ切符」のシーズンである。そこで今回は京都・奈良といった近畿地区を巡回することとした。
とは言うものの気がかりはある。なんと言っても「春と秋の京都は避けろ」という原則が存在している。とにかくこの時期の京都は混雑し、特にマイカーのせいでバスは動かなくなるしと最悪の状態になるのである。ましてや今は花見シーズンときたものだから、かなりの混雑が予想される。出来ればこの時期は避けたいのが本音だが、展覧会のスケジュールの方がそれを許してくれないわけである。これは覚悟が必要だろう。
まず最初の目的地まではなるべく鉄道を利用することにした。京都まで新快速で移動、その後奈良線で東福寺へ、ここで京阪に乗り換えて七条まで、目的地へは徒歩で数分である。
「没後120年記念 河鍋暁斎」京都国立博物館で5/11まで
河鍋暁斎とは江戸末期から明治にかけて活躍した日本画家である。彼に心酔して弟子入りしたイギリス人技師のジョサイア・コンドルが彼の創作にまつわる記録を書物で発表したことにより、欧米では葛飾北斎に並んで有名な画家とも言われているにもかかわらず、長らく日本では忘れ去られていた。しかし近年、彼の遺族らの手によって彼の作品が再発見されるにつれて、ようやく国内でも再評価の機運が高まってきた。そんな暁斎の肉筆画を集めて展示したのが本展である。
私はこの画家のことを「とてつもなくうまく、とてつもなく変」と表現したのであるが、本展のキャッチコピーは「泣きたくなるほどおもしろい」となっている。この言葉の意味は、実際に本展で作品を目にしてもらわないとピンとこないのではないかと思われるが、とにかく言えるのはとてつもない技巧を持った画家であるが、極めて独創的な感性を有してる画家でもあるのである。
彼は7才にして歌川国芳に入門し、10才から19才は狩野派で徹底的に絵画の技法を鍛えられたとのことであるが、それが彼の下地であることは作品からも明らかである。彼の揺るぎない技巧はまさに狩野派のものであるし、彼の奇想については歌川国芳に通じるところもあるからである(河鍋暁斎はお化けの絵でも有名だが、この題材は国芳もよく描いている)。
とにかく何が登場するか予測のつかないレパートリーの広さと、唸るしかないほどの卓越した技巧、さらに冒険的で挑戦的に新たな分野に取り組み続けた貪欲さ。これだけの傑出した画家は日本でも数えるほどではないかと私は考えている。
本館は以前に「曾我蕭白展」で奇想の画家・蕭白に脚光を浴びせるきっかけを作ったが、本展をきっかけに河鍋暁斎にも光が当たっていくことになるだろうと考える。実際、私自身が受けた衝撃も「曾我蕭白展」以来なのだから。
国立博物館を後にすると次の目的地への移動となるが、その前に少し観光をしておくことにする。この博物館のちょうど向かいに三十三間堂があるのだが私はこの博物館に何度も来ていながら、未だにここに入ったことがなかったことを思い出したのである。
三十三間堂は後白河上皇が建てさせた建造物であり、120メートルほどの建物の中に千体の千手観音立像と中央に千手観音座像を配してある。私が訪れた時には千手観音座像は修復のために移動させられていたが、千体の千手観音立像は圧巻である。まさに仏の軍団である。しかもこの仏師団の前面には、それぞれ中隊長クラスと思われる仏像が配されている。建造当時は仏像も現在よりもキラキラとしていただろうし、堂内は極彩色に彩られていたとのことであるから、かなり壮観であったろう。後白河上皇はここにどういう想いを込めていたのであろうか。
三十三間堂を出ると、バス停に100系統のバスが向かっているところだった。次の目的地に向かうにはいつもならこのバスを使うところだ。しかしバス停に到着すると「満員ですので次のバスをお待ち下さい」と乗車拒否されてしまった。そんなもの、次のバスを待ってもどうせまた満員なのは目に見えている。この系統のバスは京都東部の名所を巡回する便利なバスだが、それだけに常に混雑しており、とにかくこの国立博物館前からは乗車できないことが多いのである。ましてやこんなに観光客が多い時には絶望的。
戻って京阪を使うか? しかし次の目的地は京阪の駅からは微妙に遠い嫌な位置にある。私は瞬時に判断を下した「歩こう」。と言っても目的地まで歩くというわけではない。散々この路線のバスに乗車している私にはある計算があったのである。
10分強ほど歩いた後、五条坂のバス停に到着。しばらくすると、まさに先ほど乗車拒否されたバスが到着する(渋滞にバスが引っかかっている間に追い越してしまったのである)。私の予想通り、かなり多くの乗客がここで降りる(このバス停は清水寺の最寄りバス停である)。こうしてなんとかバスに乗り込むことが出来たわけである。その後、満員のバスは渋滞に引っかかりながら目的地に到着する。
「生誕100年記念 秋野不矩展」京都国立近代美術館で5/11まで
秋野不矩は静岡出身の女流日本画家であり、特にインドを舞台にした一連の絵画で知られている。本展はその秋野不矩の初期から晩年に至る作品を一覧できる。
初期はオーソドックスで平凡な日本画を描いていた彼女だが、やがて上村松篁らと共に創造美術を結成、新たな画業の展開を開始する。その後にインドに渡り、そこで自身の描くべきものを見つけた彼女は、生涯にわたってインドの風景を描き続けている。
彼女にとってのインドはまさに運命の出会いだったのだと感じられる。というのも、創造美術以降のいかにも彼女らしい黄色いザラザラした感触の絵柄はインドの風景という題材にいかにもマッチしたものであると感じられるからである。
佐伯祐三はパリで自分の画風を再構築する中、パリの風景に適応特化してしまい、結果としてパリの風景以外が描けなくなってパリで亡くなるが、彼女の場合は、先に確立した画風にマッチする画材がインドしかなかったというように思えてならない。インドに行ってからの彼女の筆は冴え渡り、写実とも抽象とも言い難いような独自の世界を展開しており非常に興味深い。芸術家としてはこれは幸運な出会いだったのだろう。
近代美術館を出たところで、私は異常に衰弱していることに気が付いた。確かにまだ体調は万全ではないし、図録の重さが肩にこたえているは間違いないが、それにしてもこの全身の疲労感は説明がつかない。もう歩きたくないぐらいに衰弱してしまっているのである。
実はこの時になって初めて、私は自分が脱水症状を起こしていることに気が付いたのである。そう言えば今日は結構暑いのに、朝の出がけに茶を一杯飲んだきり、全く水分をとっていなかった。落とし穴だったのは、私が今回の遠征では花粉を警戒してマスクを装着していたこと(実際にヒノキ花粉が多く、くしゃみのし通しだった)。このために口のところが蒸れて、のどが渇いているはずなのに誤魔化されてしまっていたのである。
私は慌てて美術館の隣のコンビニに飛び込むと、伊右衛門を一本購入して一気に飲み干した。これで瞬時に水分が身体に行き渡るというものでもないが、気のせいか疲れが少し軽くなってきたような気がする。これからの時期の遠征では水分補給も重要であるということを改めて認識した次第。これは下手をすると命にも関わることだけに、くれぐれも注意が必要である。
ようやく生き返ると腹が減ってくる。当初の予定ではこの近辺でうどんを食べるつもりだったが、今日は暑くてとてもそんな気持ちになれない。そこでそばにしようと、以前に立ち寄った桝富までやってくる。しかしそこで唖然。何と店の前には20人近くの行列が出来ている。とてもこんなところで時間を浪費していられないと考えた私は他の飲食店をのぞくが、いずれも軒並み行列である。バスばかりか飲食店までこのざまとは・・・。今日は京都で食事をすることは無理だと判断した私はとりあえず移動することにする。
東山から地下鉄に乗ると、そのまま山科まで移動する。駅で降りると「おいしいパスタが食べたい」という看板が目に入る。昼食についての計画が既に崩壊していた私は、深く考えずにその店に飛び込む。
入ったのは地下鉄山科駅の近くのビルの地下にある「イタリア料理カプリ」。とりあえずランチメニューの「渡り蟹のトマトソーススパ(1380円)」を注文する。
スパゲティで1380円という値段は若干高めかとも思ったのだが、ランチメニューの場合、これでサラダバーとドリンクバーがついてくる形式になっているので、実はそっちの方でしっかり食べられるという仕掛けになっている。実際に何度もサラダバーに通っている客も見かけた。なお肝心のスパゲティの味の方だが、これが結構うまい。オーソドックスではあるがコクのあるソースに、麺のゆで方も硬すぎず柔らかすぎずの良い塩梅。店の雰囲気からファミレス的なスパゲティを予測していたのだが、意外にキチンとしたスパゲティであった。昼食をカッチリと食べる店としては悪くはなかろう。もっともサラダバーで延々と粘る客がいるのか、メニューに「ランチタイムは一人90分以内でお願いします」という記述があったのだが。
なおこの店の難点は、昼食時だったせいもあるのだろうが、店全体があたふたとしてうまく回っていないように感じられたこと。席に案内されるまでやたらに待たされた上に、料理の出てくるのもやや遅い。またサラダバーがスッカラカンになったまましばらく放置されていたりと、とにかく手が回っていないという感を強く受けたこと。
昼食を終えると山科から京都に移動、ここから奈良線で奈良に向かうことにする。次のみやこ路快速まで時間があるので、京都駅地下のジューススタンドでミックスジュースを一杯飲んで一息つく(私が阪神梅田駅の喫茶に次いで愛用しているのがここのジューススタンドである)。さらに家用に京都土産の定番「おたべ」を買い込んでから奈良線のホームに向かう。
ホームではみやこ路快速が既に到着していた。奈良線は一部が複線化されているものの、大部分は単線の電化路線である。この路線は以前から近鉄との激しい競争にさらされており、そのために投入されたのがこの快速である。車両はこの地域の快速などで散々見かける転換クロスシートの221系電車、これが京都−奈良間を43分で結んでいる。
関西おでかけパスで使用できることから、私はこの路線の使用頻度が高いのだが、京都近辺こそ市街地の中を抜けるものの、その後はひたすらのどかな地域を疾走するのがこの列車である。ほとんどが単線のこの路線で、巧みに普通車や対向車をやり過ごしながら、結構なスピードで突っ走る。時々線形が悪いのか制限速度の低い箇所があったりするが、概ね快適である。また都市近郊路線だけあって、全線を通じて利用客は結構多い。
やがて奈良に到着、ここからは市内循環バスで目的地を目指す。
「天馬伝説とシルクロード」奈良国立博物館で6/1まで
洋の東西を問わず、天翔る馬のモチーフは多々用いられているが、このような天馬の表現は、西アジア地域に発祥し、シルクロードの交易を通じて東西に広がっていったと考えられるという。天馬の伝説を追いながら、シルクロードについて考えようというのが本展の主旨である。
個人的に興味深かったのは、中国までは翼を持つ馬というモチーフが伝わっているのに、そこから日本へ渡ると有翼の馬ではなく、普通の馬が大半になってしまっている。これは日本では必ずしも馬がなじみ深い動物とは言い難かったところが影響しているのだろうか。
なお国立博物館の地下では、本展の題材にちなんでかJRAによる展示があった。しかし関連があるようなないような。何か間違っているような。
現代の天馬ディープインパクト
国立博物館を出ると徒歩で次の目的地に。お定まりの巡回コースである。
「ミネアポリス美術館浮世絵展」奈良県立美術館で5/25まで
ミネアポリス美術館が所蔵する浮世絵版画を前期と後期に分けて展示。出展作は鳥居派の始祖の鳥居清信から始まって、錦絵の創始者・鈴木春信、役者絵で知られる勝川春章、八頭身美人の鳥居清長、浮世絵黄金期の喜多川歌麿、東州斎写楽、歌川豊国、そして日本で最も有名な画家でもある葛飾北斎、さらに東海道五十三次などの風景画で知られる歌川広重などオールスターキャストの展示となっている。
有名どころの状態の良い作品が揃っているので、浮世絵の流れを概観するには最適の展覧会である。ただ版画である以上仕方のないことであるのだが、私の場合はあまり目新しい作品がなかったりするのが少々物足りない。
これで本日の日程は終了。後は帰るだけである。普通なら大和路快速で一気に帰るところだが、ここでちょっと寄り道をする。と言うのも、大阪近郊路線の中で私はまだ学園都市線や東西線に乗ったことがなかったからである。
奈良駅までバスで戻ると、まずは加茂行きの大和路快速で木津まで移動、そこでしばし学園都市線の列車を待つ。それにしても木津駅は奈良近郊の乗り換え拠点駅なのだが、結構のどかなところである。この辺りは奈良がまだ京都よりは風情が残っている展か。
20分ほど駅で待った後、篠山口行きの快速列車が到着する。学園都市線は木津から松井山手までの間が単線で、以降は複線電化路線となる。到着した車両は三両編成207系ロングシート車。阪神間の普通車両で散々見かけるタイプの車両で面白みに欠ける。それに快速がロングシート車というのもなんとも中途半端な気もする。
列車はしばらくはのどかな中を走る。開発が今一つ成功していない関西学園都市を、隣に近鉄を見ながら走り抜ける。同志社前で乗客が結構乗って来たかと思うと、次の京田辺では前方に4両を接続して7両編成の車両となる。この後の風景は単なる通勤列車、やがて周囲も都会めいて来るとおおさか東線との乗換駅である放出(この路線も私は乗ったことがない)。京橋で大量の乗り降りがあった後に地下鉄に転じる。そのまま地下をしばらく走り、再び地上に出た時にはもう尼崎である。
乗車して感じたのは、木津周辺こそローカル線の趣があるが、京田辺以西ぐらいは単なる都市近郊の通勤列車で面白みに欠ける路線である。ただこういう路線こそがJRとしては収益を上げられる路線であるのだが。
以上で今回の巡回は終了である。やはりいくら行程に変化をつけたところで通い慣れたる巡回ルートではさほど面白みが出ないのは致し方のないところ。やはり未踏の地に挑む遠征の方が面白くはあるが、とりあえず先立つものが不足している今は自制。まあ今回の場合は、そもそもが京都の展覧会に行くのが目的であったし、その展覧会自体は非常に堪能できたの良しとしよう。
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