展覧会遠征 紀伊田辺編

 

 さて先週は青春18を使わない列車の旅であったが、これは「旅費節約が至上課題」という私の本来の遠征からはかけ離れたものである。今週はやはり原点に戻って「青春18切符による美術館遠征」とすることにする。

 今回の遠征先は和歌山地区。目的地は和歌山の田辺市立美術館である。この美術館の存在は大分前から知ってはいたが、とにかく遠いということがネックとなっていた。そのために近畿地区で最後に残された秘境のような状況になっており、非常に気になっていたのである。そこで今回、長年の懸案事項を解決しようと乗り出したわけである。とは言え、大阪から優に片道3時間はかかるという紀伊田辺まで一気に日帰りというのは、早朝出発としてもなかなかきつい。そこで旅費節約のためにはあまりやりたくはなかったのだが、和歌山で前泊をすることにした。

 金曜日に仕事を終えると、紀州路快速で和歌山まで移動する。和歌山駅は今まで何度も来ているが、ここに宿泊するのは始めてである。とりあえず駅に到着すると夕食を摂ることにする。やはり和歌山といえば和歌山ラーメンか。

 今回、夕食を摂ることにしたのは井出商店。テレビなどで一躍有名となり、今日の和歌山ラーメンの基礎を築いたといわれる有名なラーメン店である。ただ「日本一のラーメン」と絶賛するラーメン評論家がいる一方で、「有名になってから味が落ちた」とか「今まで食ったこともないほどまずいラーメン」などと激しい批判を繰り広げる者もおり、とかく毀誉褒貶が著しいのがこの店である(有名になった店にはありがちだが)。そこでやはり一度は自分の目と舌で確認しておくしかなかろうと感じた次第。

 昔ながらのラーメン屋

 店自体はごく普通の町のラーメン屋。はっきり言ってあまり綺麗な店ではない。小さな店なので行列が出来ていることもあると聞いていたが、私が訪問した時(金曜日の夜7時半頃)には特に混雑しているという様子はなかった。メニューは基本的には中華そばのみで、これに大盛(玉2つ)、特製(焼き豚が増える)などのバリエーションがあるのと、後は玉子や寿司がテーブルに置いてあるので、好みでこれを購入するのが和歌山流らしい。

 とりあえず特製大盛中華そば(800円)を注文するとしばし待つ。店内にはとんこつの強い臭いが漂っている。私は不快ではあるもののそう気にはならないが、駄目な人間ならのこの時点でアウトだろう。この辺りがこの店が悪評を蒙る原因の一つになっているようである。

  

とんこつに細めんという極めてオーソドックスなラーメンです

 出てきたラーメンはオーソドックスな醤油とんこつ系。具に鳴門があるのは今時珍しいか。一口食べてみると、普通に美味しいラーメンなので拍子抜けする。見た目はかなりしつこそうであるが、実際に食べてみると意外にあっさりしたラーメン。こってり系のとんこつスープに細めんという原則どおりの構成で、特に奇をてらったところはない。以前に比べて味が落ちているのかどうかは私には分からないが、少なくとも「今まで食べたこともないようなまずいラーメン」ということは全くない。とは言うものの「日本一のラーメン」とも思わない。つまり近くに住んでいたらちょくちょく食べに来るとは思うが、遠くからわざわざ出かけて行ってまで食べるほどでもない。つまり良くも悪くも「普通のラーメン屋」である。ここまで評価が分かれるのは、「日本一のラーメンを食べるぞ」と意気込んできたのを肩透かしされて「憎さ百倍」になるのか、日によってラーメンの出来にばらつきが大きいのかのどちらかだろう。

 まあそもそも料理というものに対する絶対評価など不可能なのである。好みに大きく左右される上に、その時の体調にも支配されるので個人差が大きすぎる。にも関わらず、まるで絶対普遍の尺度であるかのような評価を出してくるグルメ本などのなんと多いことか。この手をあまり頭から丸飲み込みしない方が良さそうである。

 この日はこのまま和歌山駅前のホテル(例によって価格優先のチョイスである)に入ると、入浴をすませて早々と床に就いたのであった。

 

 翌朝は6時半に起床。身支度をしてからホテルで朝食を摂ると、そのままチェックアウトしてJR和歌山駅に向かう。ここからは紀勢線で移動することになる。紀勢線は日本列島最大の半島である紀伊半島をグリルと回り、その名の通り紀伊の国と伊勢をつなぐ長大な路線である。区間としては和歌山市駅−亀山駅というかなり長大なもので、亀山−新宮はJR東海所属の非電化路線、和歌山市−新宮はJR西日本所属の電化路線である。また和歌山−紀伊田辺は複線化されており、和歌山市−和歌山は完全に本体とは切り離された運行形態となっている。長大かつ風光明媚な路線ということで、鉄道マニアなら興味を惹かれる点も多々あるのだろうが、鉄道マニアではない私にはハードルの高すぎる路線である。今まで和歌山市−和歌山の区間しか乗車したことがない。

 土曜日だというのに、ホームには通学のための学生が大量に列車待ちをしている。そこに乗客を満載した紀伊田辺行き列車が到着。車内はかなりの混雑である。

 紀伊田辺行きが到着

 しばらく走行して車内から学生がいなくなり、私がようやく席につける頃になると沿線風景もローカル線化してきてのどかさが漂い始める。たまに海が見えたり、山上に並ぶ風力発電の風車が見えたりなど、この地域ならではの風景が車窓を彩る。ボケーと車窓を眺めること二時間弱、ようやく列車は終着の紀伊田辺駅に到着する。向かいのホームにはここからさらに先に進む列車が待っているが、ほとんどの乗客は出口に向かう。やはりここから先に普通列車で向かう強者はほとんどいないようだ。私もさっさと出口に向かう。

 駅前は意外と開けており、このあたりの出身と言われている武蔵坊弁慶の像が迎えてくれる。ここからは白浜方面や世界遺産である熊野古道方面行きのバスが出ている。ここからはとりあえずバスで移動である。バスに乗車すること10分ほど、目的地は小高い丘の中腹にある。

  

   紀伊田辺駅               武蔵坊弁慶の像


「原勝四郎の世界」田辺私立美術館で7/27まで

 生涯を田辺市及び白浜町で過ごしたという洋画家・原勝四郎の作品を集めた展覧会。中央での作品発表が少ないために知名度の低い画家だという。

 その作品はざっくりと荒々しい線で描かれたもので、洋画とは言いながらもある意味では日本画的なところもある作品。かなり大ざっぱな絵に見えるが、彼のスケッチには緻密さが見られることから、決して下手さを誤魔化す絵ではないようである。とは言うものの、あまり私の好みとは言い難い。


 美術館を回った後はバスで再び駅にとんぼ返りすると、ここから移動である。ちょうどホームには御坊行きの普通列車が到着している。新宮方面から長距離を走行してきたと思われる2両編成のセミクロスシートタイプのワンマンカーである。車内にはほとんど乗客がいない。

 このまま御坊までしばらく列車の旅を続けると、御坊で乗り換え。ここから紀州鉄道に乗車することにする。紀州鉄道とは御坊市街のはずれに位置するJR御坊駅と市街中心部を結ぶ鉄道で、全長2.7キロとかなり短い(現在日本の鉄道で2位とか)単線非電化路線である。経営はかなり苦しいと言われているが、現在の経営母体である会社は不動産が本業であり、鉄道会社の不動産部門という社会的ステータスを得るために同鉄道を買収したと言われており、廃線問題については現在は浮上していないという。

  

 キハ603 現在では見られないような極めてレトロな列車です

 車両はキハ603型と呼ばれる超老朽車両。なんと1960年製とのことで、当然であるが冷房などはついていない。内部は板張りになっており、ボックス形式のセミクロスシートで、レトロな空気がプンプンと漂っている。また今時のディーゼル車は大抵は排ガスを天井から排出するのだが、この列車ではなんと床下から排出しているようで、車輪のところから機関車の蒸気ならぬディーゼルの排ガスが湧き上がるという次第。なお同社には北条鉄道から譲渡された旧レールバスのキテツ1型(私が北条鉄道で乗ったことのある車両)も運行されているとのことだが(こちらはロングシート車で冷房を搭載している)、今回の視察ではこの車両を見かけることはなかった。

 西御坊駅はかなり老朽化

 列車はガタガタいいながらゆっくりと走行。時速20キロも出ていないのではないか。田舎の爺さんの軽トラにでも余裕でぶっちぎられそうな速度で、最初は田んぼの中を、御坊の市街地に到着すると家の軒先をかすめるように走行する。ものの8分程度で終着の西御坊に到着。車両同様でここの駅舎もレトロと言うか倒壊寸前のイメージ。駅では明らかに鉄道マニアと思われる青年がカメラを持って飛び出すとあちこちを撮影。また構内ではこれまたかなりコアな鉄道マニアと思われる男性が、大型カメラに三脚装備という完全武装の状態で待ち構えている。確かに鉄道マニアなら喜びそうな路線ではある。

 日高川駅に向かう線路の廃墟

 元々はこの路線はこの先の日高川駅までだったが、その部分は廃線になったとのことで、線路の断片だけが残っている。西御坊は終着駅といっても特別に何があるわけでなく、鉄道マニアではない私としてはこんなところで降りても何もすることがないので、すぐに折り返す。なお紀州鉄道のダイヤは和歌山行きのJRのダイヤとリンクしており、運行間隔は1時間に1〜2本と比較的多頻度運転。沿線には学校や市役所もあるようで、典型的な市民の足というところ。周辺のモータリゼーションはかなり進行しているようなので、この路線も今後大幅な収益改善は望みようがなさそうだが、かといってなくなってしまうと住民が困るであろうと思われる路線である。そういう意味では現在廃線問題が浮上していないのは幸いである。

 御坊に到着するとここで和歌山行きの普通列車に乗り換え。再び和歌山に戻ってくることになる。和歌山に到着するととりあえず駅の地下で遅めの昼食。ここから第二弾目の鉄道視察となる。

 次の視察対象は和歌山電鐡貴志川線。和歌山と貴志をつなぐローカル線である。かつては南海電鉄貴志川線だったが、南海電鉄が廃線を決定、地元自治体が経営の引継ぎ先を公募したところ、中国地方で鉄道やバス事業を手がける両備グループの岡山電気軌道が事業引継ぎに名乗りを上げ、現在の和歌山電鐡が設立されるに至ったという。同社では終着の貴志駅の売店で飼われていた猫のたまを駅長に起用したり、イチゴ列車・おもちゃ列車などの個性的な車両を走らせることによる話題づくりを行い、テレビなどのメディアでの宣伝、グッズの販売など観光客の誘致に力を入れている。なお電鐡と社名にあえて旧字体を使用しているのは、金を失うことがないようにとの思いだとか(そう言えばかつて「国が金を失うと書いて国鉄」と言われた時代もあったっけ)。

  

おもちゃ電車                 車内風景  

  

車内にはガチャポンやフィギュアの展示棚ものあります

 私がたまたま乗車したのはおもちゃ列車だった。中にはフィギュアなどを展示している棚はあるわ、ガチャポンはあるわ、ベビーベッドまで装備してあるわと二両編成の車内は満艦飾の光景。この車両自体が観光列車となっているので、あちこちでシャッター音が鳴り響く。車両は途中でイチゴ列車とすれ違ったりしながら30分ほどで終点の貴志に到着する。貴志駅ではカメラを構えた多くの観客が列車の到着を待ち構えていた。

  

北斗の方々               ガンダムさん

流行最先端のケロロ軍曹

 貴志駅に到着

 貴志に到着すると降車した乗客が一斉にたま駅長を取り囲んでの撮影大会。どうやらここまで乗車した乗客のほとんどがたま駅長目当ての観光客だった模様。私は猫好きでも鉄道マニアでもないが、一応この撮影会に参加。ただ生憎と肝心のたま駅長は35度を越える猛暑の中でややお疲れ気味のご様子。カメラを向ける乗客を無視するとそのままお昼寝に入られた模様。ただ、少々手足を触られても、ストロボを焚かれても全く動じる様子もなく悠々とお休みになられているのは、さすがに駅長の風格である。

  

  たま駅長はお疲れ気味       子供に触られたぐらいでは動じません

 さすがに駅長の風格

 車両は10分ほどで折り返すので、特に貴志に用事のない私はそのまま折り返すことにする。途中の伊太祁曽駅で旗を持ったバスガイドを先頭に、団体客が一斉に降車。どうやら彼らはわざわざ団体ツアーでたま駅長に会いに来ていたようだ。なお和歌山電鐡では、貴志駅には駐車場がないので、車でたま駅長に会いに来るときは伊太祁曽駅から列車に乗るようにと広報しており、パーク&ライドなども実施しているようである。彼らも伊太祁曽まで観光バスで来た模様。そもそも駅長に会いに来るのだから、列車に乗って来るのが礼儀というものであるのは言うまでもない。たま駅長に会いたい場合は、くれぐれも貴志駅に車で乗りつけるなどという非常識なことはしないように。なお日曜日は駅長は公務を休まれているとのことなので、ねらい目は土曜日である。

 和歌山電鐡については「頑張っているな」という印象。沿線には住宅地はあるもののモータリゼーションがかなり進行しているようだし、貴志付近では沿線人口密度も急激に低下するなど、同社の経営環境にはかなり厳しいものはある。そこで同社では観光客誘致に力を入れたのだが、目下のところそれは明らかに功を奏している。ただこの手の仕掛けは、いかにして飽きられないかが重要となる。

 和歌山駅に戻ってくると、ここからバスに乗車、いよいよ和歌山での本題の方に入る。。


「ルオーの〈ミセレーレ〉─人間へのまなざし─」和歌山県立近代美術館で8/31まで

 

 ジョルジュ・ルオーは独特の厚塗りの油絵でよく知られるが、同時に多くの版画作品も残している。また彼の画題には宗教作品が非常に多く、キリストを描いた一連の版画作品ミセレーレは代表作となっている。

 さてルオーの版画作品であるが、いかにも彼らしい力強い線で描かれた強烈な作品である。ただ私は個人的には彼の作品の最大の魅力は、厚塗りの絵の具のきらめきであると思っている人間なので、それがない版画は少々辛いのが本音。また彼とは対照的に信仰心が皆無(というか、宗教は人類が進化する上での最大の障害だとさえ思っている)私にとっては画題に対する共感もないし、やはりどうしても接点ができない。こうなると辛い。


 これで今回の遠征の全予定は終了である。後はこの美術館の喫茶で和歌山城を眺めながら一息つくと(それにしても今日も異常に暑かった)、紀州路快速で家路についたのであった。

 

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