展覧会遠征 長浜編

 

 青春18シーズンも佳境に入ってきたが、今回の目的地は琵琶湖地域である。と言っても単に滋賀では目新しさがない。そこはやはり新規開拓が必要である。そこで今回の目的地は近江八幡と長浜である。共に元々は城下町ということでそちらの興味もあるし、琵琶湖周回のJR路線のうち、米原−近江塩津の間が未だに未踏の地域になっていたことも気になっていた。この際、長年の懸案事項の一気解決を図ろうという考えである。

 さて近江八幡までの行程にはなんら面白いものはない。いつものように新快速で一気である。いつもならここを通る時は単に名古屋への通過地点であるが、今回は途中下車になる。

 近江八幡駅前は思っていたよりも都会。それよりも驚いたのは降車客の多いこと。しかも明らかに観光客ばかりである。近江八幡は観光地としての評価をかなり確立しているようだ。とりあえずは駅前の観光案内所に立ち寄ると、各施設の入場券が一冊になった観光パスポートを入手する。

 まずはバスに乗ってかわらミュージアムまで移動する。かわらミュージアムは八幡堀のほとりにあり、船橋がかかっていたりなど風情のある一角。そもそも近江八幡は水郷の町で、かつてはこの水郷を利用した水運で栄えたとのこと。

 

近江八幡は水郷の町 舟橋なんかもある


かわらミュージアム

 水郷の町である近江八幡は、同時にその土を活かした瓦の産地としても知られていた。そのような歴史的な瓦や世界各地の瓦、また最新の瓦技術を利用したアートまで幅広く展示した展覧会。

 最新アートはむしろ陳腐に見えてしまうのだが、それよりも伝統的な鬼瓦などに見られる造形に非常に卓越したものを感じた。今まで鬼瓦をマジマジと眺めたことなど無かったのだが、改めて見てみると非常に個性的な造形である。やはりこういった伝統は侮れない。


 かわらミュージアムの見学を終えた後は、ロープウェイで八幡山に登る。近江八幡の市街を見下ろす位置にある八幡山の頂上には村雲瑞龍寺があるが、この寺院が建っているのはそもそも豊臣秀次が建設した八幡城の本丸跡である。秀吉の養子として将来の後継者と目されていた秀次 は、秀頼が誕生したことで秀頼を溺愛する秀吉から疎まれ、ついには切腹に追い込まれた悲劇の武将である。彼の近江八幡での治世は10年ほどしかないが、城下の発展に尽くすなど善政を布いたとされている(現実にはある程度有能だったからこそ、逆に秀吉に疎まれたのだと考えられる)。

 

 現在は本丸跡には瑞龍寺があり、二の丸跡には土産物屋が建っている。これ以外にも西の丸、北の丸の跡などが残っているが、これらからは琵琶湖を見下ろせる絶好の展望台となっている。また建造物は残っていないが、石垣が残っており、八幡山の天然の要害と石垣を組み合わせた堅固な山城の姿をうかがい知ることができる。また瑞龍寺の山門は明らかに防御を意識した形態となっており、やはりかつての本丸門の跡であると想像することができる。

 二の丸跡には土産物屋が建っている。

 

西の丸跡からは琵琶湖を見下ろすことができる

 

北の丸跡からは近江平野の風景が

 

本丸跡の瑞龍寺 その門にはかつての本丸門の面影がある

 八幡城跡の見学を終えると再びロープウェイで下山する。ちょうどロープウェイから降りたところは、製菓メーカーである「たねや」の一角となっており、洋菓子から和菓子まで多様な商品を販売している。そこで洋菓子店の方でみやげに名物のバームクーヘンを購入、和菓子店の方の喫茶に入って一休みする。注文したのは「よもぎ入りぜんざい(735円)」

 

麓一帯はたねや地帯。和菓子のたねやと洋菓子のクラブハウゼ

 炭火で焦げ目がつくまで焼き上げたヨモギ餅が香ばしい。ただし若干苦みが出ており、人によっては焼きすぎと感じるかも。ぜんざいの方は小豆の質がよいし、甘すぎず薄すぎずの味付けが絶妙。今朝は朝食抜きだったが、これでようやく人心地つく。

 よもぎ入りぜんざい

 喫茶で一息ついた後は辺りの見学と洒落こむ。近江八幡市では町並み保存に取り組んでいるようで、この辺りでは昔の町並みを保存したり、復元したりということを行っているようであり、愛媛の内子町と同じような取り組みである。またヴォーリズ設計によるモダンな建物なども存在しているので、街並み遺産には事欠かない。ちなみにヴォーリズ設計の建物には、豊郷町の小学校もあり、建設業者と癒着した町長が裁判所の命令を無視して強引に解体しようとして一悶着起こしたことで話題になった。なお豊郷小学校の件は、建物は保存ということになり、町長は無理矢理に新しい校舎を建設することで、業者に対する義理を果たしたようであるが。

 

 

 市内の見学を終えた頃にはお昼時になっていた。朝食をとろうと事前に調査していた店に出向くが、なんと数十人の待ち客がいる。並んでまで食事をするという価値観を持ち合わせていない私(実際のところ、こういう行列のできる店に限って、現実には行列してまで食べないといけないほどの価値はない場合が多い)は、昼食は飛ばして次の予定に進むことを瞬時に決断する。

 次の目的地は長浜。いよいよ未調査地域の湖北に到着である。車両は米原で前の4両だけが切り離されて敦賀を目指すことになる。沿線は既に近江八幡辺りから一面の田圃が多くなるのだが、湖北地域はそれにさらに拍車がかかっている。こういう光景を見ると、つくづく近江地域は豊かな地域だったことが伺え、この地が信長や秀吉などによる争奪戦の場となった理由が推察される。それにしても今日は天気がよいので、琵琶湖対岸の山々まで見通せて、非常に眺めがよい。このような景観だけでも、この地域の持つ潜在的観光ポテンシャルは高そうである。

 車窓から琵琶湖が見えるようになると長浜に到着。長浜駅は木をふんだんに使用したシックな駅舎が綺麗である。ここからは移動が結構多くなるので、とりあえず駅前でレンタサイクルを借りることにする。

 まずは長浜城に移動。長浜城は豊臣秀吉が初めて築いた城で、この城を最初として天下取りにまで上り詰めた縁起の良い城とされている。しかし現在の長浜城は、実際の長浜城とは全く異なる場所に建設されており、いわゆる「なんちゃって天守」である。と言っても、本来の長浜城の遺構は今では琵琶湖の水の下であり、残念ながらその全貌を伺い知ることは不可能である。

 鉄筋コンクリートで再建された長浜城の内部は博物館となっており、豊臣秀吉や石田光成に関する展示がなされている。また最上階の展望台からは遠く琵琶湖周辺の光景が見渡すことができる。その中には安土城跡や佐和山城跡なども含まれる。日本の中世においては、琵琶湖を中心とした水上交通ネットワークは非常に重要性が高いが、この地もその一角をなしていたことが風景から実感される。またこの地は越前の朝倉氏を抑える意味でも非常に重要な地であったろう。

 

 長浜城の見学を終えると再び自転車で移動。風情のある市街地の裏通りを突っ走り、やや町外れの位置にある美術館を目指す。


成田美術館

 ラリックの作品を中心にガラス工芸品を展示した美術館。万国博に出展された噴水の像など興味深い作品も多い。


 成田美術館の見学を終えた後は、長浜の観光の拠点となっている黒壁スクエアまで自転車で突っ走る。この頃になってやはり自転車を借りたことは正解だったということを確信する。このような市街地では機動力が格段に変わる。私は以前から、市街地内における交通手段としては自転車が最強であると主張しているが、まさにそのことを再確認した次第。

 黒壁スクエアはいかにも観光向けに市街地を整備したという趣がある地域である。先ほどの近江八幡といい、昔からの街並みを利用して再整備することで、新たな観光資源となす試みが全国的に広がってきていることを改めて認識する。この街並み整備というのは日本では最も無視されてきていた点であるので、ようやくそれが注目され始めたのは喜ばしくはある。もっとこれに早く注目していれば、京都駅ビルのような全世界に日本の恥をさらすような情けない建物が建つこともなかったのだろうが。

 

 黒壁スクエアに到着すると、まずは観光案内所で観光パスポート(1000円)を入手する。これで10種類の施設のうちの5つまでをフリーで入場できるらしい。入場料が800円程度の施設も多いので、十二分に元は取れる計算になる。まずは一番近くにあった黒壁ミュージアムに入場。

 黒壁ミュージアムは昔の町屋を利用した美術館で、展示品はガラス製品がほとんど。アールヌーヴォー系の作品から現代の作品まで多彩。町屋や土蔵とガラス製品の組み合わせが異色だが、これはこれで芸術的な空間を形成している。

 さて本来は近江八幡で昼食の予定だったのだが、それをすっ飛ばしているので腹が減っている。ミュージアムの次はようやく昼食にすることにする。とりあえず黒壁スクエア内に「近江牛毛利志満」という店を見つけたのでそこに入る。近江牛の焼き肉やしゃぶしゃぶを出す店のようだ。例によってメニューには1万円を越えるような料理がズラズラ並んでいるが、元よりそんな高級品を食べるだけの予算などない。私が注文したのは「ビフカツ御前(2625円)」

 

 安いメニューと言っても昼食としては結構高いのだが、でてきた御前にはそれほど豪華さを感じない。概して高級店では、高級感を抱かされるのは本当に高価なメニューだけという傾向があるが、ここもそのようだ。一見はそこらの定食屋のふつうのカツ定食とさして違いが分からない。

 ただ一口食べると「あっ」という声がでる。肉が軟らかい。また肉の厚さが薄めなのは、ただ単に価格を安くするためという訳でもなく、衣との一体化を考えた場合にこのぐらいの厚さが妥当なのだということも理解できる。そういえば以前に別の店で、明らかに良い肉を使っているにも関わらず、ビフカツというよりもステーキに衣を無理矢理かぶせたような「残念」なビフカツに出くわしたことがあったことを思い出した。そのようなバランスも考えてあるようである。

 このクラスのメニューに近江牛を使っているかどうかは怪しいところだが、私の貧民の舌ではこの肉で十二分である。ただしやはりメニュー全体はCPとしては今一つの感は否定できない。

 

 昼食を終えた後はさらに黒壁スクエアを一回り。すると目に飛び込んで来たのはケンシロウと大魔神の像。ここは海洋堂ミュージアムである。ここの入場券も先ほどの観光パスポートに含まれている。ついでだから見学をしておく。

 ケンシロウと大魔神が門番をしています

 内部は想像通り。いきなり綾波レイの像や女神様が迎えてくれる。ミュージアムは二階だが、そこには恐竜のフィギュアからセーラームーンまで多種多彩。子供を放ったらかしてフィギュアの撮影に明け暮れる父親までいたりなど、一種独特の世界である。

 

こういった定番どころから

 

オールドファンには涙が出そうな一品まで

 個人的にはこれが一番感涙ものだった

 海洋堂ミュージアムの次は渋く曳山博物館。ただし中身はNHKの大河ドラマに便乗したのか戦国合戦に関する展示がメイン。戦国武将人気投票などもあってややミーハームード(私は真田昌幸に投票したが)。

 そろそろ帰りの列車の時間が気になってきたので、自転車をこいで長浜駅まで戻る。ただしその前に駅近くの長浜鉄道スクエアに立ち寄る。そこではかつての長浜駅の駅舎や、北陸線の電化以前に運行されていたSLなどが保存されている。

 長浜駅の旧駅舎

  SLなどが保存されている

 これでタイムアップである。レンタサイクルを返却すると、帰路に就くことにする。ただし帰路は近江塩津経由である。長浜から近江塩津の間は前半は近江平野の続きの田圃地帯。ただそれでも沿線人口は私の想像以上に多そうである。余呉ではそこに余呉湖の湖岸が見えるようになり、それを過ぎると山岳地帯に突入。標高がかなりあがったところで近江塩津に到着である。ここで待つこと10分ほど、敦賀発の姫路行き新快速が到着する。この新快速は湖西線経由であるので、私はこの日に琵琶湖を一周したことになるのであるが、さすがに二万歩を越える歩行に疲れきり、後半は完全に夢の中のまま帰りついたのである。

 

余呉湖の脇を抜けて近江塩津に到着

 今一つ趣旨が不明な遠征となってしまったが、その割にはなかなかに楽しめた遠征でもあった。また既に城跡を楽しめるところまでマニア度が上がってしまっている自分に驚き(ほんの一年前までは、備中松山城で丹念に石垣をチェックしているマニアに驚いたのだが、気がつけば既に自分が同じことをしている・・・)、己のオタク度の高さに戦慄した。これはやはり鉄道には入り込まないようにしないと・・・と思いつつ、かなりやばいところまで来ているような気がする今日この頃。

 

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