展覧会遠征 直島編

 

 さてまたも「青春18切符の旅」である。今回の目的地は直島。直島は以前から一度は行っておく必要があろうと思っていたので、この機会に実現しておこうということである。またさらに予定を練る段階で、別の遠征として計画していた高松遠征もジョイントすることになった。直島まで行くなら、そこからフェリーで渡ればそこは高松である。鉄道の旅だけでなく船旅というのもおつであるし、麻生の行き当たりばったり人気取り政策の「高速1000円」で虫の息のフェリー業界を助けるという意味でも社会的意義があろう。

 

 当日は早朝の出発。朝から天候が非常によい。まずは岡山まで山陽本線を普通列車でエッチラオッチラと移動する。例によって新幹線ならすぐに着く距離が、在来線だと異常に時間がかかる。

 岡山からは宇野線で移動。宇野線はかつて本四間の移動が船舶に限られていた頃、本四フェリーの発着地として主要経路であった。しかしその割りには単線であったりと輸送量は限られている。また宇野まで岡山から直線移動せず、大きく西に迂回するルートをとっているが、これは児島湾干拓前の当時の海岸線に沿ったものだという。現在は一部(岡山−茶屋町)が瀬戸大橋線に組み込まれる形になって四国方面行きの特急が頻繁に走行しているが、単線であることがネックになってダイヤに大きな制約があるという。しかし複線化しようにも路線の周辺が建て込んでしまっているところも多く困難であるとのこと。

  出典 JR西HP掲載路線図を私が加工

 実際、岡山からしばらくの間は市街地の中の走行であり、ここを複線化するのは確かに難しそうだ。駅には行き違い設備はあるので、対抗方向の列車をやり過ごすことはできるが、後ろから追いかけてきた特急が前車を追い越すための設備がない。

 市街地を抜けて周辺が少々のどかな田園風景になり始めると茶屋町に到着である。茶屋町は2面3線の駅で、両端が瀬戸大橋線の上りと下り、中央が宇野行きの列車の発着ホームになっている。両側から乗り換えと言うことになるが、やはり下り方面からの乗り換えは多いが、逆方向からはほとんどない。二両編成の車両はすぐに満員状態になる。乗車率はかなり高い。

  茶屋町で乗り換え

 茶屋町からはしばらく瀬戸大橋線と併走する形になるが、一旦西側にはずれてから、瀬戸大橋線の下をくぐって大きく東側に曲がっていくことになる。ここら辺りの沿線は田園風景が多く、かなりのどかな雰囲気。いかにもローカル線という印象で風情がある。やがて大きなカーブとトンネルを経由するとまもなく宇野駅。宇野駅の手前の備前田井駅辺りからは市街地で、ここでの乗り降りも多い。やがて宇野駅に到着すると、フェリー乗り場は目の前。降車客の大半はそのままフェリー乗り場を目指す。

   宇野駅からフェリー

 ここからは高松、小豆島、直島行きの四国フェリーが発着している。ここで乗船券を購入すると直島行きのフェリーに乗船。かなり天候は良いので快適な航海。20分ほどで直島の宮浦港に到着する。

  笑っちゃうような青空

 フェリー乗り場でトランクをロッカーに放り込むと、ここからは町営バスで移動。地中美術館への直行便が臨時運行されていたのでこれに乗車するが、乗車率は非常に高い。直島は道路が狭いために観光客はなるべく車で来ないで欲しいとアナウンスされているが、確かに道幅が狭く、車の行き違いができる場所が少ないので、こんなところに観光客が車で殺到すればあっという間に道路が麻痺するだろう。また瀬戸内の島の常で、距離はたいしたことがなくても島内のアップダウンが激しいので、自転車で移動するにはかなりの根性が必要。実際にはママチャリではかなりきつく、電動自転車、最低でもマウンテンバイクは欲しいところ。

 

 地中美術館はチケット売り場からやや離れた場所にある。チケット売り場で説明を聞くとここで荷物の大半を置いて(とにかくカメラや飲食物は持ち込むなとのことだ)、美術館を目指す。それにしても日差しがきつくて異常に暑い。飲み物を持参していないので体が乾きそうである。

 建物の設計は安藤忠雄とのことなので、毎度のおなじみのコンクリート打ちっ放しである。建物本体の大部分はその名の通り地中にあるのだが、天窓などから明かりを取り込むことで、建物内が暗くなることを防いでいる。

 展示は現代アート中心で、ジェームズ・タレルの作品とウォルター・デ・マリアの作品がある。タレルの作品については、空間を切り取ったり、光で錯覚を起こさしたりというのが得意のパターンの模様。私は以前から、現代アートとは「遊園地のアトラクション」であり「一発芸」の要素が強いと考えているが、その傾向が特に強い作家である。作品の一つ「オープン・フィールド」などは目の錯覚によってスクリーンに見せている中から人間が出てきた時にはいささか驚いたが、所詮はそれだけの一発芸。それ以上のものは特にない。デ・マリアの作品については、磨かれた大理石に写る風景と天窓からの光線が独特の質感をなすと共に、コンクリート打ちっ放しの空間からくる音響効果が特殊な空間を感じさせ、瞑想空間には良さそうといういう印象。

 この美術館のもう一つの売りはモネの睡蓮。大山崎山荘美術館と同じタイプの仕掛けで外光を取り込んだ部屋に展示されたモネの絵はなかなか映える。ちなみにここの睡蓮はいずれもモネの晩期の特に抽象画的雰囲気が増している時期(この頃のモネはいよいよ本格的に視力が落ちてきたので、自分で何を描いているかもよく分からなくなっていたというのが実態)の作品なので、この美術館のいかにも現代アート的空間に奇妙にマッチしている。

 展示内容としては、現代アート嫌いの私にしては予想以上に楽しめるものであった。ただどうもこの施設自体が、現代アートと商業主義のコラボレーションというように感じられ、あまりよい印象を受けなかった。やはり2000円という入場料はぼったくりにしか思えない(ほぼ同額の入場料をとっている足立美術館と比較した場合、展示の質・量が明らかに見劣りする)。また館内の移動が、冷房の利いている屋内と灼熱状態の屋外を何度も往復しないといけないせいで、疲れる上にのども渇く。事前に飲み物の持ち込みを禁止しているのは、館内の馬鹿高いカフェを利用させるための策略ではという気も起こってくる。実際、館内で唯一海が見える一等地は、この馬鹿高い有料カフェが占めているのである。

 

地中美術館とベネッセハウスの遠景 地中美術館は大半の建造物が地下にある

 地中美術館訪問の後はベネッセハウスに向かう。本来はベネッセハウスは宿泊施設で、現代アートの中でリゾートという主旨の施設のようだが、とにかく宿泊料・飲食費共に異常に馬鹿高く(1人1泊で5万円ぐらいは軽くかかってしまう)、私のような貧民にとっては無縁の超ブルジョア(日本語で成金とも言う)施設である。施設に宿泊できる金のない貧民は、施設側が公開してくれている範囲の美術館のみを訪れるという形式である(つまりは露骨に差別されるわけで、この辺りが私が今までここを訪れていなかった最大の理由なのだが)。

 

 町営バスの時刻表を見れば、生憎と30分以上待たないとバスはない模様。歩くと20分程度とのことなので、島の散策がてら歩くことにする。

 島内にはこの手のアート作品が散在してます

 しかしこれは思った以上の難行苦行だった。とにかく暑い。しかも遮蔽物がほとんどないカンカン照りの下である。体中から汗が噴き出し、持参している伊右衛門が例によっての命綱。ベネッセの施設の門はすぐに見えるのだが、とにかく遠かったのはそこをくぐってから。遠くに海を見ながらテクテクとひたすら灼熱地獄の中を歩き続けることになる。気休めは海が綺麗なことぐらい。

 灼熱地獄を癒すのは海の風景のみ

 暑さでぐったりした頃にようやく目的地に到着する。こちらは入場料は1000円で、内部も先ほどの地中美術館に比べるとごく普通の現代アート系の美術館という印象。少し違うのはベネッセの宿泊施設とつながっており、そこから先は宿泊者しか行けないこと。また当然のようにこちらにも馬鹿高いカフェが併設である。

 ベネッセの美術館に到着

 ただ展示物に関しては「どこかで見たことがある」ものが多かった印象。先ほども言ったように所詮現代アートは一発芸が多いので、何種類かの展覧会を回ると、漫才ブーム時の売れっ子漫才師の出し物よろしく、「このネタは以前に別の番組で見たことがあるぞ」という状態になってしまうのである。ネタが先に分かっている漫才が笑えないのと同様、所詮はネタバレしている現代アートは驚きがないので面白くない。

 ベネッセアートサイトの方を手早く回ると、町営バスで今度は本村地区に移動する。本村地区は島民が居住する集落だが、ここの中には「家プロジェクト」と命名された現代アート作品が数点存在している。現代アートで町おこしというわけである。それらの共通入場券を購入して、地図を参考に一つずつ回っていく。

 本村地区のたたずまい

 作品自体は6個あり、その内の千住博の「石橋」以外を回った(彼の作品は作風からして見る前から想像がつくので、わざわざ行く気がしなかった)。まあ正直なところ、どの作品も「それなり」なのであるが、比較的面白かったのはタレルによる「南寺」。真っ暗な空間の中で前方にぼんやりと見える光を見るだけなのだが、それなりに面白い体験ができる。例えば人間は無音状態にいると幻聴が聞こえたりするものだが、同じことは視覚においても起こるのだと言うことを私は初体験した。また最初は自分の手も見えないような真っ暗闇でも数分滞在するとやがてぼんやりと回りが見えてくるという人間の明暗順応能力にも驚いた次第。そういうアートとは関係ない世界で妙な感動があった。なおタレルの作品については、ここでも「スクリーンのように見えて実はオープンスペース」という先ほどと同じ一発芸が炸裂している。

 

古民家を利用した「角屋」にこれも神社を使用した「護王神社」

 

「南寺」に「はいしゃ」

アート作品ではないのだが、これが実は町役場 

 家プロジェクトを回る合間に昼食。立ち寄ったのは「Cafeまるや」。ごく普通の民家をそのまま店舗にしたようカフェ。まずは「ランチ(800円)」を注文。

  一見普通の民家 看板も大きくないのでなかなか気づかない

 今日のランチはタコのトマトソース煮込み。タコが柔らかくてなかなかうまい。ただし私にはボリュームが若干不足気味か。

 

 さらにデザートとして「かぼちゃのプリン」と「わらび餅」(共に350円)を追加注文。かぼちゃのプリンはプリンと言うよりもケーキのような感触だが、これが素朴な甘味でなかなかに美味。またアイスときな粉と黒蜜がかかっていたわらび餅のプリプリとした食感も快適であった。

  

 一渡り見終わった頃には午後2時前。超満員の町営バスに乗車し(あやうく乗れないところであったのだが)、宮浦港に戻るとトランクを回収、直島を後にしてフェリーで高松港を目指すことにする。港に設置されている草間彌生のカボチャ(この人もワンパターンである)を後に直島を離れる。

  宮浦港にある草間彌生のカボチャ

 直島については海は綺麗であるし、確かにリゾート地としてはむいているし、現代アートを活かした町おこしというのも一興だろう。ただやはり私のようなド貧民にはリゾートという言葉は天敵のようなもので、あちこちに見え隠れする商業主義には辟易した。まあ一度は訪問の価値はあるが、二度目はないというのが正直な感想である。もし私が何かの間違いで一山当て、ヒルズにオフィスでも構えるぐらいになると、こういうところにリゾートにでも来ることがあるのだろうか・・・(ナイナイ)。

 

 高松までは50分ほどののんびりした海路である。それにしてもこうして船に乗船すると、瀬戸内航路というのはいかに混雑しているかがよく分かる。多くの船が針路を横切っていくので、そのたびに速度を落としたり、舵を切ったりと大変である。特に漁船などの小型船は機動力が高いのを良いことに、かなり無茶な横断をしたりするので危なっかしくて仕方ない。この航路を行く船舶の船長は、かなりの緊張が必要だろう。

  瀬戸内航路は結構混雑してます

高松築港に到着 

 やがてフェリーは高松築港に到着。ここからバスで次の目的地へと移動 


「大岩オスカール:夢みる世界」高松市美術館で9/6まで

 

 大岩オスカールとはブラジル生まれの日系二世のアーティストである。彼は東京やニューヨークなど生活の場を転々としながら、都市を題材とした独特の風刺の効いたアートで評価されているという。

 彼の作品のモチーフは明らかに現代的で都市的なものであり、機械的なものが多い。しかしその機械に奇妙なほどに有機的な意味を持たせているのが特徴的。また工事現場をカラスの巣やノアの箱船に見立てるなど、二重イメージの投影を多用しており、すべての作品が比喩に富んでいる。明らかに現代文明に対する皮肉が含まれているのであるが、それは批判的ではなくどちらか言えば傍観者的とでも言うべきだろうか。どことなく超越している。彼が描くと廃墟のイメージもなぜか悲惨な雰囲気にはならないのである。

 妙に印象に残るといった作品である。現代アートは基本的には嫌いな私だが、ことさらに手法に走るという作品ではなく、オーソドックスな絵画が中心であったせいか、意外と私の趣味に合っていたというのが本音。


 

 これで今日の予定は終了。灼熱地獄を歩き続けたせいで非常に疲れたので、さっさとホテルに入ることにする。今回のホテルは「スーパーホテル高松禁煙館」。安いのが取り柄のスーパーホテルのチェーンの利用である。

 ホテルに荷物を置くととりあえずは夕食のために町に繰り出す。夕食に食べるものだが、正直なところあまり深く考えていなかった。そこでやはり香川だからうどんという安直な結論になる。

 

 立ち寄ったのは「うどん棒本店」。どうやら大阪の方にも出店しているうどん店らしい。注文したのは「冷タコ天うどん(630円)」

 

 出てきたのは非常にオーソドックスな冷やしうどん。讃岐うどんと言えば一般的には硬めの麺が多いのであるが、ここの麺は細めで口当たりが柔らかめなのが特徴。しかしさすがに讃岐うどんだけあって麺の腰はある。讃岐うどんの硬い麺を好む人間には物足りなさを感じるかもしれないが、大阪系うどんがベースにある人間にはこちらの方が親しみやすそうである。そういう点ではこの店が大阪に出店しているのは正解か。

 

 ただメニューの選択としては間違えたというのが本音。注文してから、今日は昼もタコだったということを思い出したのだ。案の定、食べている最中にさすがにタコが少々鼻につき始めた。またここの店はうどんは良いのだが、天ぷらの油が今一つの印象で、それがさらにタコを鼻につかせた一因。オーソドックスにかけうどん系をとっておくべきであった(関西人としてはしっぽくうどんなど良さそう)。

 

 一応腹がふくれたところでさらに繁華街をウロウロ。帰りに天満屋の地下で菓子を購入。また表に「お肉屋さんの三ツ輪」と看板の掛かったいかにも懐かしげなコロッケを揚げている店があったので、「肉じゃがコロッケ(130円)」を購入して帰る。

 

 ホテルに帰った後は、風呂に浸かってまったり。原稿でも書こうかと思ったが、直島と高松で歩き続けたせいで1日で2万歩越えをしてしまっており、完全にぐったり。結局はボーっとテレビを見るだけになってしまう。すると夜の9時頃に「酒井法子容疑者出頭」のテロップが。どうやら逃走して薬が抜けた頃に出頭してきた模様。私は逮捕状が出た時点で「2日以内に事態は動く」と予想していたのだが、見事に予想通りの展開であった。これが芸能界に巣食う覚醒剤汚染の一掃につながれば良いのだが、警察といい、マスコミといい、明らかに腰が退けている姿勢を見ると(そうでないとむざむざ逃亡させないだろう)、結局は肝心のところは有耶無耶になり、芸能界の覚醒剤汚染や暴力団の浸透もまだまだ続きそうな嫌な予感がする(酒井法子本人も、すぐに何事もなかったかのように復帰してきそうな気もする)。

 ニュースなどを見ているうちに眠気が押し寄せてきて、この日はこのまま眠りにつく。

 

 

 二日目は前日とうって変わって朝から雨が降っていた。天気予報を確認すると今日一日雨の様子。事前の予定では、屋島に立ち寄ってから琴電志度まで移動、そこからさぬき市コミュニティバスで長尾まで移動し、琴電長尾線を視察しつつ高松に帰ってくるというプランになっていたのだが、どうも雲行きが怪しいようである。最悪の事態に備える覚悟をしておく。

 出典 ことでんHP

 とりあえずホテルで朝食をとると、予定通りにホテルをチェックアウト。瓦町のロッカーにトランクを放り込むと琴電の一日乗車券(1200円)を購入。なお当初の予定通りの行動をとるとこれだと逆に高くつくのだが、最悪でも記念にはなるし、さらには今後の行動への伏線という意味もある。

  1日乗車券をゲット

 志度線は琴電の本線とは接続しておらず、離れた位置にホームがある。そのため改札からは動く歩道でしばし移動となる。ホームに停車しているのは3両編成の電車。ただ変わっているのは、2両編成の車両と単両の車両を接続している形になっているので、これらの車両間は移動できなくなっている。

   

 瓦町駅を出るとしばし高松の市街地を列車は走行する。今日は生憎の天気のせいか、利用客はそう多くないが、沿線の人口は多そうである。

 しばし列車は走行するが、雨足はさらに強くなってくる。やがて前方にそそり立つような屋島が見えてくる。屋島は源平合戦で知られる古戦場で、今では干拓で陸続きになっているが、当時はその名の通りの島だったという。下から見上げると山がそそり立つ感じでかなりの要害である。

 屋島を目にした私はしばし唖然としていた。そのすさまじい地形に感動したというのは当然あるが、それよりも問題なのは、屋島の山頂には低く垂れ込めた雨雲がかかって完全に隠れてしまっていたことである。これでは山頂に登っても眺望どころか目の前も見えなそうである。

  もう山頂が全く見えない

 これを見たときに私は屋島訪問を瞬時に断念すると同時に直ちに今日の予定を全面的に組み替える。屋島に立ち寄らない以上、このまま終点の志度まで行くしかない。しかし今からだと、日に三本しかないコミュニティバスには時間が合わない。となると方法はただ一つ、志度線を志度まで往復した後、長尾線を瓦町から往復という完全に「視察のみ」の予定を組むしかない。と、こう決断した時点で先ほどの「伏線」が生きてくるのである。このルートだと、一日乗車券の方が安上がりになるのである。

 琴電屋島でほとんどの乗客が降車し、車内には私ともう一人だけになる。そのまま列車は走行。やがて先日訪問した八栗山が見えてくる。先ほどの屋島といい、八栗山といい、このあたりの地形はまるで山水画のようで日本離れしている。

  志度の手前では海が見えるが荒れ模様

 さらに走行すると南方にJRが北方には海岸が見えてくる。そしてまもなく志度に到着する。志度駅はさぬき市の中心市街に当たり、少し北には市役所が、すぐ南にはJR志度駅がある。

  

ことでん志度駅とJR志度駅

 志度で下車したものの、既に天候は豪雨。どこかに出かけるという状況ではない。結局はすぐに駅に戻り、次に到着した列車で折り返す。

 この豪雨では移動不可

 瓦町に到着すると長尾線に移動、そこに到着したのは2両編成のロングシートの電車。これで長尾を目指す。

  

 長尾線沿線は、明らかに志度線沿線よりも人口密度は低い。途中にはかなり田園風景の広がるようなところもあり、終点の長尾に近づくほど乗客は減少していく。しかもその間もどんどんと雨足は強くなっていく。ほどなく長尾に到着するが、駅から外に出る気にもならないような豪雨。結局はここでもすぐに折り返してくる。

  長尾線沿線風景

 

長尾駅には到着したもの、雨脚はさらに激しさを増す

 瓦町に到着した頃には昼前頃。しかし雨はさらに強くなる一方で、この高松で何かをできる状況ではない。結局は今日は琴電の完乗をしたというだけで終わってしまったのである(琴平線は以前に乗車している)。今回予定していたスケジュールは後日リターンマッチすることに決定、天満屋で昼食をとると、豪雨の中をとても駅までは歩けないので、バスで高松駅に向かう。

 高松駅はパニック状態になっていた。既に豪雨のために徳島方向の列車は運行を停止しており、代替輸送のバスも高速道路が閉鎖されているせいで現地に向かえない状況とか。実はこれは後日に知ったのだが、この時四国南方で熱帯低気圧が台風に発達して、次々とわき起こる雨雲が徳島を中心とする四国全域に殺到している状態だったようである。

 これでは瀬戸大橋線の方もどうなるやら分かったものではない。結局はそうそうにマリンライナーで退散することになったのである。その間も豪雨は続き、特に山陽線での上郡付近ではかなり豪雨に出くわした。この集中豪雨で佐用町でとんでもない悲劇が起こったのはこの夜であったわけである。

 結局はわざわざ高松で一泊したにもかかわらず、台風のせいで尻切れとんぼの中途半端な遠征となってしまった。高松での予定については後日再びリターンマッチすることになろう。まあ今回は直島で雨に遭わなかったことをラッキーだと考えることにしておこう。

 

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