展覧会遠征 小牧・津編

 

 先の長野遠征時に私のアンテナに引っかかる情報がいくつかあった。その内の一つが先週見に行った「サマーウォーズ」であるが、もう一つは三重県立美術館で開催中の「菊池契月展」であった。菊池契月は端正な人物画で知られる日本画家だが、私の好みのタイプの画家でもある(基本的に私は、鏑木清方や上村松園など「端正で品のある」人物画が好きである)。実はこの情報は私の事前調査の中では多くの情報の中に埋もれていて気がつかなかったのである。会期を調べるとあまり先がない。三重県立美術館は馴染みの美術館の1つであるし、これは行っておこうかという気になったのである。

 とは言うものの、これだけのために遙々三重くんだりまで出かけていくのは正直つらい。どうせなら、他の何かと合わせ技にしたいというのはごく自然な考えというものである。そうして調査を行ったところ、新装開店したメナード美術館の「横山大観展」浮上、またメナード美術館に行くならついでに小牧山城にも寄っておこうという調子でプランが出来上がったのである。

 交通手段だが、現在は「鉄道の日記念切符」の発売期間であるのでJRを使用するということも考えられるが、小牧がJRからのアクセスは無理な位置にある上に、津もJRで行くには非常に不便であることから、必然的に車を使用することとなった。考えてみると最近は専ら鉄道中心の遠征が多くなっていたので、久しぶりの長距離ドライブにもある。この秋には車による大型遠征の予定もあるし、ここらで一つ私のドライブ勘を取り戻すためのリハビリ及び、先ほど13年目の車検を終了したカローラ2の調子を量るためにもちょうど良さそうだということになったのである。

 

 当日は名神を経由して小牧まで。相変わらず週末の名神はかなりの混雑だが、車が動かなくなるほどの大渋滞には幸い出くわすこともなく、ほぼ予定通りに小牧に到着する。小牧に到着すると小牧城に上るために市役所の駐車場に車を入れる。しかし既にこの時点で駐車場は一杯。かなり多くの地元民が登山に来ている模様。これは他の場所に止めないと無理かと思っていたところ、たまたま一台分の空きが生じ、幸いにして駐車できることになる。

 現地案内板は完全に公園のもの

 小牧城はかつて美濃攻略を目指す織田信長が一時本拠を置いたことがあると言われているが、すぐに彼の拠点はさらに北方の岐阜城に移行したために、実際には小牧を本拠にしたのはかなり短期間であると言われている。その後しばらく忘れられた形になっていたこの城が再び注目を浴びるのが、豊臣秀吉と徳川家康の間で行われた小牧長久手の戦いである。この時、家康は秀吉に先んじてこの地を押さえることに成功、その際にここを急増の要塞にして立て籠もったと言われている。ただここが歴史の脚光を浴びるのはその時が最後で、江戸時代以降は再び歴史の狭間で埋没してしまったのである。ところが1967年、地元の実業家が私財を投じてこの山頂に地元のシンボルとして天守閣を建造して今日に至っている。なお歴史上小牧城が存在したのは事実であるが、その小牧城にこのような立派な天守閣(飛雲閣をモデルにしたとのこと)が立っていたはずもないので、この天守もいわゆる「とんでも天守」に当たる。

 この直線階段は当時の遺構と無関係なのは言うまでもない

 そう標高は高くなさそうな山なのだが、やはり近くで見上げるとそれなりの山である。また山自体が鬱蒼としているので、山頂にあるはずの天守は下からは全く見えない。とりあえずは一直線の階段を上り(これが当時の遺構と全く関係ないであろうことは間違いないが)、遊歩道に出る。ここから天守に一直線で向かってもいいが、それも面白味に欠けるので遊歩道に沿いながらブラブラと散策する。途中で観音洞を経由して、ブラブラと散策すること20分弱で天守(小牧市歴史館)に到着する。

 近すぎて写真に収めにくい

 天守と言っても「とんでも」であるので、内部はごく普通の博物館である。ただ個人が建てたという割には非常にしっかりした建物で、建造者はかなり金をかけたと思われる。展示内容は一般的なこの地域の出土物(いわゆる石器の類)から民俗資料などで、これは各地にある歴史博物館や民俗資料館と大差ない。ここの特徴と言えるのはやはり小牧長久手の戦いに関連した映像展示だろう。これには結構力を入れているようだ。

     

 天守の最上階から周りを眺めると、かなり眺望がよい。小牧長久手の戦いでここを押さえた家康は、それだけでも秀吉よりもかなり有利に戦略を進められたと思われる。

 この地形は曲輪址のようにも思われるのだが・・・

 天守を出ると、後は狭くて急な階段を最短距離で降りてくる。この階段の周辺に所々平坦になった曲輪のように思える地形があったのだが、これが当時の遺構であるのか、それとも後に作られたものなのか、はたまた単なる自然の地形であるのかは専門家ではない私には判別不明であった(多分人工のものであるとは思うが)。

 小牧城の見学を終えた後は、このすぐ近くの美術館に向かう。ここはつい最近に新装開店がなったところである。

 


「耀きの色彩 横山大観展」メナード美術館で11/3まで

 

 日本画の大家・横山大観の作品について、その初期の新しい日本画を探求しながら「朦朧体」と酷評を受けていた時期から、琳派の影響を経て晩年の完成された世界に到達するまでの作品を網羅している。展示品は京都市美術館や東京国立近代美術館の作品など多数。

 写実志向の作品から装飾的な作品まで、とにかく試行錯誤の過程で画風のふれが結構激しいのがこの人の作品であるが、本展ではその作風のふれというのも十分に感じられるようになっている。ただやはり晩年の一連の富士などを描いた作品では、完成の境地に至っているのは明らかである。そのことは流れを追って見ていくと明らかに感じられるようになっている。もっとも、完成=冒険をしなくなったという傾向も、この人の場合にも見られるわけではあるが。


 改装したメナード美術館では展示室が1つ増えて、以前より広くなっていた。ここは元々手狭な感があったので妥当な改装のようである。

 これで小牧での予定は終了。再び高速道路に乗るとそのまま津まで突っ走る。

 


「生誕130年記念 菊池契月展」三重県立美術館で10/12まで

 

 端正な品がある人物画で知られる日本画家・菊池契月の作品を集めた展覧会。

 菊池契月は南画から始まり、四条派を経て新しい日本画の模索を始め、渡欧して西洋古典作品の模写に励む中で西洋的な表現と日本的な表現の統合を遂げて、晩年の完成された境地に至ったとのことであるが、その経過を順を追って辿ることが出来るようになっている。

 初期の頃の作品には上手であるのだが、どことなく圭角が立っているようなところが見られるのだが、それが徐々に丸まっていっているように私には感じられた。それが最も完成の域に達しているのが代表作とも言われる「散策」「少女」などの一連の作品。颯爽として爽やかさが際だっている。伝統的な大和絵の様式も踏まえてはいるのだが、そこに西洋の明暗表現などが加わることによって、絵全体が平板になることがなくなっている。

 さらに晩年になると「冷たい線」とも呼ばれていた彼の描線に、温かみが加わっていったとのことであるが、ただここまで来ると好みの世界があるように思われる。私の好みとしては、温かみというよりも過剰な丸みに見え、かつてのシャープさの方がよく見えるのであるが。


 わざわざ三重くんだりまで出張ってきただけの甲斐はあると思わせる展覧会だった。こういうことがあるから展覧会遠征はやめられない。

 美術館を回った後は近くのレストランで昼食。ステーキランチであったのだが、いかにもオージーらしい味の薄い肉でイマイチ。やはりオージーはどうしても旨味がない。

 

 これで美術館の方の予定は終わりだが、帰宅する前に一カ所立ち寄ることにする。それは水口城。東海道の宿場町・水口に存在した城郭である。

 ちなみに水口町は平成の大合併によって甲賀や信楽と合併して甲賀市になった。それにしても安土が近江八幡と合併したり、行政の効率化なんだろうが、歴史の観点から見れば無粋なことこの上ない。

 水口は江戸時代には幕府の直轄地で、家光が京都へ上洛する際の宿舎として建造されたという。その時にこの城の建造を手がけたのは小堀遠州とのことで、その目的から城郭と言うよりも屋敷として建造されており、本丸にはかなり立派な御殿が建造されていたという。その後、しかしこの水口城が使用されたのは一回きりで、その後に加藤明友(七本槍の加藤嘉明の孫)がここに入場して水口藩が成立、その後は加藤氏によって管理されてきたのであるが、例によって明治に廃城になって建造物の大半は近江鉄道の線路敷設に使用されたと言われている。最近になって遺跡価値が見直され(観光資源としての価値もだと思うが)、かつての出丸部分に復元櫓が資料館として再建されている。

 水口城の再現櫓と門

   

 津から新名神で甲賀土山ICまで、ここでで降りるとかつての東海道を偲ばせる国道1号を走行することしばし、水口に到着する。しかし最初は駐車場の位置が分からず、城周辺の路地をウロウロと一周する羽目になってしまう。周辺の路は狭いし行き止まりはあるしとかなり余所者には過酷な環境。苦労して一回りするとようやく体育館の裏に駐車場を発見してそこに車を停める。

 水口城復元模型    櫓は木造

 かつての本丸部分は今では高校のグラウンドになってしまっていて見る影もないが、出丸部分には堀と石垣が残存しており、復元された櫓や門となかなか堂々たる趣をもっている。またこの復元櫓は木造建築であり、安直な鉄筋コンクリート復元と違って風情がある。ちなみにこの建物はかつてあった隅櫓をモデルにしていると言うことで、本来はこの位置にあるべき建物ではない。元々の水口城の姿は資料館内に復元模型があるのでそれを参照するのが一番。既に「大軍によって攻められる」というシチュエーションを想定する必要のない時代の建物なので、やはり最低限の防備はあるものの、御殿が中心の簡易な城郭である。

 本丸跡は今では高校のグラウンド

 水口城資料館の見学を終えると、近くの図書館の中にある民俗資料館にも立ち寄る。こちらには曳山の展示があって、結構気合いが入っている。すぐ近くには近江鉄道が走っており、水口城南駅が至近の位置、一応この辺りは今でもこの地域の中心地であるようである。

  

左 水口民俗資料館 中央 曳山の展示 右 近江鉄道水口城南駅

 水口自体はかつての街道宿場町の趣は随所に残っているものの、街並み保存のような徹底した形ではないのが残念なところ。ただまだ決定的に街自体は破壊されていないので、むしろ今後の観光開発の余地は残っているように思われるが。

 

 水口城の見学を終えた後は、名神で帰途についたのであった。なおやはり久しぶりの本格的長距離ドライブはやや身体に堪えたが、まだまだ運転の勘は完全には鈍っていないということは確認できたし、私のカローラ2もまだまだ頑張れそうであることが確認できたのは収穫であった。

 

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