展覧会遠征 生野編

 

 先だっての大型遠征で私の体力も尽き、財力の方もガタガタになってしまった。そこで今回は近場ということになった。近場となると神戸か姫路。ちょうど姫路で「和田三造展」を実施中であるので、これを訪問すると共に、以前から一度行きたいと思っていた生野銀山見学、さらには久しぶりの温泉巡りという辺りでのプランニングである。

 まずは高速を通って姫路まで。ここの美術館は姫路城がそこに見えるなかなかの立地なのだが、駅から微妙に遠く、車で行くと駐車場料金がやけに高いのが難点である。

 


「和田三造展」姫路市立美術館で10/25まで

 

 和田三造は独学で絵画を学び、その技術が黒田清輝に認められて、後にヨーロッパへと留学する。ここまでの時期に描いた有名な作品が「南風」であり、その確かな技術及び堂々たる構成から「ようやく日本にもヨーロッパに比肩する油絵が生まれた」と評されたほどである。しかしこの時代にヨーロッパ留学を果たした画家は、往々にしてヨーロッパ一辺倒にかぶれるか、逆に日本的な価値を見直して強烈にそれを意識しだすかの二極分化しがちなのであるが、彼はこの後者の方になったようである。帰国後は一転して日本画を描き始めたりなど、おそらく黒田も意図していなかっただろう方向に進み始める。さらにその後は、装飾工芸の分野への関心を高めて、日本で初の工業用色見本を制作したり、多くの映画に色彩監督として加わる(これでアカデミー賞も受賞している)など生来のカラリストであった能力を開花させて、多方面での活躍を行っている。そのような和田三造の軌跡をたどるのが本展である。

 当然のように初期の代表作である「南風」は展示されている。確かに技術的に卓越しており、絵画全体からはヒロイズムのようなものまで流れており、高い評価を受けたことは非常に納得できる。なお画面全体から作為のようなものが伺えるのは、後に彼が映画分野にまで進出した布石ととれるかもしれない。また帰国後の彼の日本画作品は、個人的にはあまり面白いと感じないが、ここで彼が興味を示したのが装飾的で知られる琳派だったというのは、明らかに後に装飾工芸の方向に進むことに直結しており、彼の辿った軌跡が非常に分かりやすいのである。

 彼自身はどうやら本場の絵画を見ているうちに、油絵の世界にいる限り欧米の猿まねから脱皮できないと考えたようであるが、果たしてそれが正解であったかどうかは微妙なところである。と言うのは、「南風」に見られるような彼の卓越した技術と構成力を見ると、そのまま油絵を極めたら欧米の猿まねを超越する世界に到達するのではと感じられたからである。実際に、私自身が本展で彼の帰国以降の作品を見て、さほど面白いと感じなかったことから、正直なところ「なぜそっちに行っちゃったのかな・・・」という気がしないでもないのである。

 


 美術館を見学した後は次の目的地への移動となる。播但有料道路に乗るとそのまま生野まで。生野出口からクネクネと狭い道をしばらく走る。段々と山が近づいてきて、やがて菊の御紋の入った門が見えるとそこが生野銀山。結構鬱蒼としたところであるが、観光バスも駐車できる大きな無料駐車場があり、鉱物展示館や土産物屋があったりなどかなり観光地している。

  

施設入口には菊の御門入りで、鉱山入口は代官所

 入山前に朝食代わりに手前の食堂で「銀山うどん」を食べる。全く期待はしていなかったものの、はっきり言って駅の立ち食いうどんに毛が生えたようなもの。セルフサービスのくせにしっかり観光地価格だし。

  銀山うどん定食840円也

 とりあえず腹を満たすと入山である。かつては縦横に巡っていたと思われる坑道も、今ではすっかり観光用に整備されており、下は舗装されているような状態。完全バリアフリーであり、車いすでも容易に入場できるようになっている。歩きやすいのは良いが、その分風情には欠ける。

  

鉱山入口と出口

 生野銀山の歴史は長いが、坑道の入り口付近では江戸時代以前の採掘の様子が再現されている。驚くのは狸堀と言われて人一人が潜るのがやっとで方向転換さえ不可能な狭い坑道があちこちに巡らされていたこと。これは完全にモグラである。ここの労働がかなり過酷であったことが伺える。江戸時代に「佐渡島流しは死罪と同じ」と言われていたと聞くが、当時の鉱山労働がこのように過酷なものであるのなら、そう言われることもさりなんである。

   江戸時代の採掘風景

 坑道の奥に進むと、明治以降の大規模に機械を使用するようになってからの採掘の様子が展示してある。ちなみに当時の様子は人形で再現してあるのだが、その人形が出来合いのマネキンを使用しているらしく、江戸時代や明治時代の鉱夫にしては全員がイケメンで八頭身の優男なのが笑える。

   こちらは近代

 鉱動の一番奥には当時の発破のイメージを再現(音だけ)していたり、地層に沿って大規模に採掘している跡があったりなどし、帰路にも構内エレベータの見学が出来たり(乗りは出来ませんが)など、それなりに観光施設として見所十分の構成となっている。銀山と言えば石見銀山が世界遺産指定され盛り上がっているが、こちらの「世界遺産になっていない銀山」こと生野銀山も地元への観光客誘致のためにがんばっているようである。とは言うものの、観光客の数は世界遺産の方の銀山とは比べるべくもなさそうである。地元では播但線に「銀の場所道」とラベリングした車両が走っていたりなど、かなりPRにも力を入れているようだが、やはり世界遺産の知名度とは比べるべくもない。観光地としては、近くにある「天空の城」こと竹田城とタッグを組んで売り込むのが良いと思われる(実際に竹田城はこの銀山を押さえるための城であるし)。

  鉱山エレベータ

 生野銀山の見学を終えると、次は黒川温泉を目指すことにする。黒川温泉は黒川ダムの真下にあり、かつては秘境とも言われた温泉である。最近になって温泉施設自体は新しく建て直されたが、まだ秘境の雰囲気は残っていると聞いている。

 

 生野銀山から国道429号線に沿ってひたすら北上するのだが、この道路は国道とは名ばかりの「酷道」だと聞いている。とは言うものの、確かに所々中央分離線がなくなるいわゆる「1.5車線」道路であるが、部分部分はきれいに整備されているし、思っていたほどひどい道路ではない。それよりも生野ダムによる銀山湖を巡るヘアピン連続コースの方がキツい。さすがにこの前13年目車検を終えた直後の老朽化した私のカローラ2では、足回りのへたりがまともに出てしまうのである。私のカローラ2は走行距離はまだ8万キロ弱なので心臓(エンジン)はまだまだ元気なのだが、人間の老化がまず足腰から現れると言われているのと同様、さすがに足回りはよる年並みでの劣化は否定できず、急カーブを回るたびに車体がバランスを崩しそうになって足下が悲鳴を上げる。本来はそんなに足下の緩い車ではなかったのだが、もう大分サスがへたってしまっているようである。

 

湖を見ながら狭い路を突っ走る

 急カーブの急斜面という老朽車にとっては過酷なコースを抜けると、ようやく黒川温泉の表示が見えてくる。その表示に従って道を曲がると正面に大きなダムが見える。黒川ダムはロックフィルダムと呼ばれる土砂を積み上げた形式で、石がゴロゴロとしている外観は、以前に朝来に行ったときに見た多々良木ダムとよく似ている。ただし多々良木ダムはアスファルトフェイシングダムなので、上流側はアスファルトで固めてあるところが違うとか。ちなみのこの両ダムの間では高低差を利用して揚水発電が行われているとのこと。

 

 黒川温泉はそのダムが真正面に見える位置にある。確かに施設は新しいようで綺麗である。内部はそう大きくはないものの、内風呂と露天風呂を備えており、露天風呂からはダムが見える(風光明媚とは言い難いが)。泉質はアルカリ単純泉とのことで、無味無臭であるがいわゆるヌルヌル感はかなりある。加熱濾過循環塩素殺菌使用なので源泉原理主義者ならそれだけで駄目判定を下しそうだが、私は元より「塩素殺菌は臭いがするほど強すぎて湯を殺すということがない限りは可」と考えている者なので、ここの塩素殺菌は大して気にならない。

 

黒川ダムと黒川温泉

 お湯の肌あたりは非常に良く、アルカリ泉特有の柔らかさがある。兵庫にはなかなかに優れた温泉が多いが、ここもかなりのものである。また辺鄙であるためか、入浴客で混雑するということもないのでゆったりと出来る。青空の下でぼんやりと露天風呂に浸かっているのはなかかなに爽快である。これは秘湯としてファンがいるのも頷ける。

 風呂から上がると施設内にある食堂で昼食を摂ることにする。注文したのは「ミニボタン鍋セット(1300円)」である。いわゆるお一人鍋セットなのであるが、これが肉・野菜共になかなかに上質でとにかくうまい。また味付けのミソも絶妙である。ここの鍋を食べていると、つくづくイノシシ肉ってのは脂身を食べる肉だということを感じる。上質の豚肉でも共通するのだが、脂身がうまいのである。またこういう田舎の施設では、現地調達の野菜類がうまいのは今更言うまでもない。また出汁があまりにうまいので、ほとんど最後まで飲んでしまった。まさに完食である。

 

 さて温泉と昼食を堪能した後は帰途につくことにする。今度は429号線をさらに進んで青垣方面に抜けることにする。こちらの道は、黒川温泉で「途中で峠道があるので注意」と聞いていたが、その意味が分かるまでにはそう時間を要しない。「この先、大型車通行禁止」の看板があると、そこからは急に道路が林の合間を抜ける林道のようなものになる。こうなると「1.5車線」ではなく「1車線未満」である。しかも傾斜がかなりきつい。対向車との行き違いのための待避所は所々にはあるが、それでも対向車と出くわした場所によっては立ち往生する危険がある。間違って下手くそドライバーが迷い込んでしまうとこれは大変だろうなと思っていたら、そのうちに前方にかなり苦労している車が見え始める。私はこの道に入り込んだ時から、ギアをセカンドを通り越してローにまで落としているのだが、前の車は恐らくギアはDとRしか使ったことがないという口なんだろう。ひたすらブレーキを踏みっぱなしである。そんな運転をしているとそのうちにブレーキが終わってしまうぞと後ろから見ていて不安になったが、どうやら何とか無事に峠道エリアを抜けることに成功した模様である。

   急に道幅が狭くなると「酷道」エリアに突入

 それにしても、長い下り坂ではギアをセカンドに入れるというのはAT車運転の極々基本的テクニックのはずであるのだが、今まで何度もエンジンブレーキを使っている様子さえない運転を目撃している。自動車教習所ではキチンと教えているはずなのだが・・・。大半の自動車がAT化している今では、自動車メーカーなどももっとこの点はPRした方が良いのではなかろうか?

 429号線の難所を抜けると前方に青垣ICがあるはず・・・なのだが、なんと私のカーナビの地図には青垣IC自体が存在していない。どうやら私のカーナビの地図が古すぎるせいで(更新したのは2年前ぐらいで、新名神もまだ存在していない)、あるはずの道路が登録されていないようである。仕方ないのでおおよその方向の目星をつけて、後は道路の案内板を探しながらのドライビング、それでも道が単純だったおかげで迷うことなく北近畿豊岡自動車道に無事到着。そのまま舞鶴若狭道へと乗り継いで帰途につく。で、帰宅前にもう一軒。

 


「美のプロムナード 20世紀フランス絵画の精髄」明石文化博物館で11/8まで

 

 山形美術館所蔵の服部コレクションから20世紀フランス絵画を展示したもの。展示は一階と二階に分かれており、一階にはピカソ、シャガール、ヴラマンク、キスリング、ローランサン、ルオーなどといったかなり知名度の高い有名どころの作品を展示してある。いずれもいかにも「らしい」作品ばかりなのであるが、やはり個人的にはヴラマンクの作品が一番秀逸であった。

 一階の方はいわゆる客寄せというか目玉であって、二階の方はそれよりも知名度的にはかなり劣る作家の作品。年代的にも20世紀も後半に属する作家たちである。実際のところ私が聞いたことのある名前は皆無であった。作品は具象から抽象まで様々であるが、こちらは残念ながら印象に残る作品も皆無。


 これで本日の予定は完全終了。帰宅することと相成ったのである。

 

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