展覧会遠征 鎌倉編

 

 さて新年度に突入。青春18シーズン最中の今年の第一段遠征は、以前より懸案事項の一つであった鎌倉訪問を実行することにした。鎌倉は鎌倉幕府ゆかりの地という歴史的意味合いだけでなく、神奈川県立近代美術館を始めとしていくつかの美術館が散在する地域でもある。そういう意味でもこの地は訪問の必要があったわけである。

 当然のように往路は青春18切符を最大限に活用することとなる。普通列車を乗り継いでも、早朝に出発すれば夕方には鎌倉に到着することは可能である。とは言うものの、鉄道マニアではない私にとってはそのような「丸一日列車に乗るだけ」という行程はとても耐えられるものではない。そこで途中でどこかで一泊と考えた時に頭に浮かんだのは掛川。以前に掛川で泊まったホテルが安価にもかかわらず設備的に至れり尽くせりだったのを思い出したのである。

 しかしただ掛川に泊まるだけだと今度はあまりに何もすることがない。そこで浮上したのが掛川から二駅先の金谷から出ている大井川鐵道。JRの金谷から千頭までをつなぐ路線であるが、ここはSLが走行しているはずである。去年ずっと気になっていたのだが、結局は訪問する機会がないままに終わっていたのである。去年はSLやまぐち号にも乗るつもりでいたのに、結局は予約が最後まで取れず見送りになってしまった。ここは「津和野の敵を大井川で討つ」というプランで行くのが良さそうである。これで計画はほぼ固まった。早速大井川鐵道のHPから往復のSLを予約。無事に座席の確保に成功する。

 

 こうして当日を迎えた。まずは青春18切符を最大限有効活用するために新大阪までは新快速で移動する。しかしこのまま新快速で金谷までならSLの発車時間に間に合わないので、新大阪から名古屋まではこだまでの移動となる。この時に登場するのが、以前にも使用したことがあるJR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」切符である。JR東海ツアーズがツアー商品として発売しているこの商品は、乗車便の変更が利かない、入場改札が限定される等の制約がいろいろあるが、安価にこだまに乗車することができて、ワンドリンク引換券も付属するといったお得な商品である。

 とりあえず新大阪でお茶を受け取ると、朝食代わりの「大漁御膳(1000円)」を購入する。海鮮系炊き込みご飯である。オーソドックスだが朝飯にはピッタリ。

 

 そのまま名古屋に到着するとここで東海道線の浜松行き特別快速に乗り換え、うつらうつらしている内に浜松に到着する。ここまでは至って順調。後はここで最後の乗り換えをするだけである。

 

 しかし浜松で下車した途端に奇妙なことに気づく。電光掲示板を見ても私が乗り換える予定の列車が表示されていない。なんと静岡の先で人身事故があったために浜松から先のダイヤが滅茶苦茶になっており、私の乗るはずの列車は運休になってしまったというのである。当初の予定では余裕をもってSL発車の30分ぐらい前に金谷に到着するはずだったのに、その列車は運休、次の列車だとSLの発車時間ギリギリなのだが、その列車も到着が既に10分以上遅れているとのこと。こだまで掛川まで行くことも考えたが、掛川に到着したところでそこから先の二駅を進める保証がない。しかも時間を確認するとこだまは既に発車した後である。この時点で万事休すである。

 「うわー、こう来たか!」思わず声が出てしまう私。実を言うと今回の遠征についてはなぜか出発前からどこかで予定が崩壊する嫌な予感がずっとしていたのである。私はこの手の超自然現象を信じる人間ではない。しかしそれにも関わらず「何やら強烈な胸騒ぎがして、慌てて書棚の転倒防止のための角材を買いに東急ハンズまで走ったら、翌朝に阪神大震災の揺れに見舞われて、前夜にかました角材のおかげで書棚がベッドの上に倒れてくる事態を避けられた」なんていう経験をしている人間でもあったりするのである。そこで事前に「あり得るトラブル」を列挙して、一応の対応策は考えていた。私が事前に想定していたトラブルは、1.私が出発直前に体調を崩して旅行そのものが無理になる。2.私が当日に寝坊をする。3.新大阪行きの新快速が踏切事故などで遅れて新幹線に間に合わなくなる。4.米原地方の積雪で新幹線が大幅に遅れる。の4つであった。浜松から先に進めなくなるというのは全くの想定外であり、浜松到着時点で「これで大丈夫」と胸をなで下ろしていただけに精神的ダメージは大きい。

 

 それにしても全く迷惑な話である。正直怒りがこみ上げてくる。各人の事情があるから死にたい奴は勝手に死ねばよいとも思うが、人に迷惑をかけて死ぬなと言いたい。列車に飛び込んで死ぬのは人混みの中にビルから飛び降りる並に迷惑な死に方である。そんなに死にたければ庭に穴でも掘ってその中で割腹自殺でもしろ! そしてそうやって死ぬ度胸がないのなら、死にものぐるいで生きてみろ!

  突然のハプニングで浜松駅ホームには人があふれかえる

 結局は浜松で30分以上無駄な時間を過ごすことになる。その間にも西側からの列車は次々に到着してホームは人で溢れかえるが、そこに到着したのはよりによって三両編成の車両。通常のデータイムならこれで何の問題もないのだが、この事態には明らかに輸送力不足である。当然のように車内は押し合いへし合いの状況であり、乗り降りがスムーズに行かないためにさらに遅れは拡大する。結局は金谷に到着したのはSLが発車した20分後ぐらい。わざわざSLに乗るために新大阪−名古屋間に新幹線まで使ったのに、それがまるまる無駄になってしまった。正直なところこれについては損害賠償を請求したいぐらいである。

  金谷駅に到着するも、時既に遅し

 さてこれからどうするか、ここが思案のしどころである。選択肢は二つ。初志貫徹でこのまま八頭に向かうか、それとも別のプランを実行するかである。40分後に発車予定の電車に乗れば、帰りのSLに乗車することは可能だが、到着地の八頭での滞在時間が30分ほどしかなく、本当のとんぼ返りになってしまう。では別のプランの方であるが、実はこれについては用意はある。それは金谷の隣の島田を訪問するプランである。島田には博物館や昔の町並み、さらには世界最長の木造橋などの一渡りの見学対象はあるようで、実は大井川鐵道のSLに決定する前はこちらのプランを考えていたのである。

 しばし悩んだが、結局は初志貫徹をすることにした。それは八頭で特に何をするという計画がそもそも最初からあまりなかったことと、八頭についてはいずれ再訪があり得ると考えていることが一つ。さらには当初に考えていた島田プランは、本来は掛川でレンタカーを借りて付近の城址見学と組み合わせるものであったというのが理由の二つ目である。

 

 腹を括ったら昼飯がまだであることを思い出した。とりあえずは腹ごしらえである。しかし金谷駅周辺を見渡しても飲食店などはありそうな雰囲気ではない。そこで駅の売店で「大井川ふるさと弁当(950円)」を購入して昼食とする。地元の名物などを盛り合わせた素朴な弁当で意外とうまい。ただこれで朝に続いて昼も駅弁になってしまった。これではまるで私が駅弁マニアのようである。

   

 さて大井川鐵道であるが、この路線は金谷から八頭を経て山中の井川までを結ぶ鉄道であるが、運用上は実質的に金谷−八頭間の大井川本線と八頭−井川間の井川線とに完全分離されている。大井川本線では年間を通じてSLが運行されており、山中の井川線ではアプト式鉄道が運行されている。今回はこの大井川本線の方を見学しようという考え。本来なら大井川本線を見学のついでに井川線も見学したいところであるが、それだとどう予定を組んでもタイムスケジュールが合わない上に、生憎現在は井川線の一部が工事中でバスでの代替運転になっているとのことなので、今回は井川線の方は見送りになる。これがいずれ八頭の再訪があり得るという理由でもある。

 

 大井川本線は全線単線電化路線でSL以外におなり古い電車が運行されていることでも知られており、鉄オタの聖地化していて観光路線としての性質が強い。そのことは金谷−八頭間の30キロ足らずで1810円という異様に高い片道運賃からも伺える。なおSLに乗車する時は、これに加えて急行料金560円が必要になる。とりあえずは1日フリー切符(金谷−八頭の往復料金と等しい)を購入すると、列車の到着を待つ。

 しばらく待った後に明らかに一見してかなりの骨董品と分かる二両編成の電車が入線してくる。鉄道マニアではない私にはどこの電車か全く分からなかったのだが、後で調べたところによると元南海高野線の急行列車だった車両だとのこと。かなり年季の入ったクロスシート車両である。

一見して年季の入った車両ということが分かる。
 

 電車は「ガッタン」という感じで走り出す。路盤が良くないのと車両が古いことの相乗効果か予想していたよりもよく揺れる。なお大井川鐵道は金谷でJRと隣接しているが、実際の拠点は次の新金谷駅。金谷駅は一線のみで行き違い不能なので、この駅で車両が行き違いをすることになる。実質的にはこの新金谷が大井川鐵道のターミナルのようである。周辺は住宅地の真ん中という印象。今日は好天なので遠くに富士が見える。

 

 金谷から五和駅までは大井川鐵道という名前のイメージに反して島田市の住宅地の中を走行する。しかし沿線風景は五和駅を過ぎたところから一変。その名の通りの大井川の沿線を走行する路線となる。沿線には温泉施設があったりなど、観光路線ムードが全開となる。それにしても大井川は川幅の広い川である。今日では多くの橋がこの川を越えているが、江戸時代には防衛上の理由から橋が建造されず、人足を利用した川越しをしていたので、少し水かさが増すと横断が出来なくなることから「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」などと唄われたわけである。ただ今日の大井川は川幅に比べると明らかに水量が少なすぎるが、これは上流に何重にも作られたダムのせいであるという。

 

 この路線は各社からの古い電車を集めているようで、いろいろなタイプの車両とすれ違う。途中ですれ違った車両は私には見覚えがなかったのだが、車内から「あっ、京阪」という声が上がったことから京阪の車両だったものらしい。次にすれ違った列車については、私にも近鉄のものであることが分かる。まるっきり車両博物館である。

  京阪に  近鉄

 また沿線にはとにかく鉄道マニアらしき連中が多い。途中の川根温泉笹間渡駅からは明らかに鉄道マニアの団体がどっと乗り込んでくる。大型カメラをぶら下げた彼らは、私のカメラを見ると「おっ、御同輩」というような目線を送ってくる。しかし鉄道マニアではない私としては複雑なところである。彼らは終点の一つ手前の崎平駅で一斉に下車。多分ここでSLを待ちかまえるつもりなのだろう。

  千頭駅

 終点の千頭駅に到着。ここは一大ターミナルになっており、井川線のアプト式の車両なども見える。井川線とは改札も別になっており、どうやら完全に別路線であることがうかがえる。とりあえず千頭の券売所で予約番号を告げてSLの指定席券を購入すると、駅前に出てみるが特に何もない。その時に駅に隣接しているSL記念館が目についたのでそこに入ってみる。

    

 記念館にはSLの模型などと共に、SL修復に関するパネル展示などをしている。その展示によるとどうやら修復と言っても、ほとんど新造に近いような大工事を行ったらしい。静態保存をされていた車両を、釜の中などはほとんど完全に作り直し、動輪等は再調整して、ボディも一部修復というかなり手の込んだことをしている。これは少し前なら「プロジェクトX」ネタになりそうな内容である。「SLよ再び大地を走れ!〜元航空技術者、執念のSL修復〜」なんて感じで。

 

 ・・・現実に眼にしたSLの状態は彼らの想像以上に悪いものだった。本当にこんなものが動くようになるのだろうか。「そんなこと不可能だ!」誰もがそう思った。しかし彼は静かに言った「いや、絶対に動く。動かしてみせる。」 それはかつて大空への夢を奪われた彼の技術者としての執念であった・・・。

 

 記念館を見学して土産物を買い求めたところで改札内に入場。ホームにはSLが待ちかまえている・・・が何かおかしい。よく見るとSLが後ろ向きに接続されているのである。大井川鐵道では千頭に転車台を所有しているが、金谷の側に転車台がないために、金谷から運行してきたSLはそのまま後ろ向きで客車の先頭に接続し直して、バックで金谷に戻るのだという。正直今一つ絵にならない。つくづく往路での人身事故が恨めしい。

  なぜかSLは後ろを向いている

 SLの前では乗客の大撮影大会になっている。その後ろでSLは発車に備えて蒸気圧を上げるべく黒い煙を激しく吐いている。私の席は先頭車の最前列であり、客車前方の窓を通してSLの顔が見えるというようなところ。

  これだけ煙を吐けば公害か。ちなみに無煙炭を使用しているらしいのだが・・・。

 発車時間になるとSLは汽笛を鳴らし重々しく動き始める。はっきり言ってこの音は非常に泣ける。ただ全体的に動きが重々しく、明からさまに加速が悪いのが分かる。なるほどSLが電車やディーゼル車に駆逐されたわけであるということに思わず納得。ただ現代の最先端の技術で新たにSLを設計しなおしたら、どの程度の性能が出せるだろうかなんてことも頭をよぎる。材料に鉄ではなく合金などの新素材を使用することによって、軽量化と強度アップが図れるので、蒸気の圧力を上げて機関を効率化することは可能だろう。ただシステム上やはり客車に搭載できるところまで機関を小型化することは不可能だから、どうしても機関車+客車という構成にならざるを得ないだろうから、客車に動力車を挟んでいる電車や最新のディーゼル車と比較するとどうしても推進力及び乗り心地の点で不利になりそうである。効率などの点で内燃機関に駆逐されてしまった感のある外燃機関であるが、それでも「燃料になんでも使用できる」というメリットはかなり大きなものであり、その生存性の高さから今後再び脚光を浴びることもあるように思われる(さすがに交通機関には無理だと思うが)。

  こう接続しているので

  当然のように車内からはこう見える

 車内では車内限定の土産物品の販売などが行われており、なかなかに商売熱心である。私はみやげに車内限定販売というどら焼き「SL動輪焼(850円)」を購入したのであるが、帰宅後にこれを開封すると、どら焼きと言うよりもおはぎのような巨大なあんこの固まりの上下に皮を張り付けただけというような雰囲気の代物で、度肝を抜かれたのであるがこれは後日の話である。

帰宅後、思わず「ありえねぇ!!」と叫んでしまったSL動輪焼

 沿線では多くのマニアがカメラを向けている。また川根温泉の露天風呂からは入浴客が一斉に手を振る。何とものどかな風景である。ただ正直に思ったのは、SLというのは乗ってしまえば単なる「遅い列車」に過ぎないということ。時々映る煙をたなびかせた影を見た時に、SLに乗っているんだということを再認識するぐらいである。もしかして沿線でカメラを向ける方が正しいあり方なのではなんてことさえ頭をよぎる。SLにはもろに自分の青春時代が重なる年代もあり、そういう年代層には感無量らしいが、都会育ちの私の少年時代の記憶には路面電車は存在するが既にSLは存在していない。その辺りの想いの強さの差というのもありそうだ。

客車内もかなりレトロな雰囲気はある

 SLはそのままエッチラオッチラと大井川流域を南下、やがて島田の市街地に到着する。駐車場などがある新金谷で乗客の大半が下車すると、数分後に金谷に到着する。金谷駅には待避路線がないため、SLは乗客を降ろすと直ちに新金谷にとって返すが、私を含めて下車した乗客のほとんどがカメラを構えてその姿を見送る。

   

 金谷からはJRで掛川まで戻るとホテルにチェックインする。今回の宿泊ホテルは掛川ターミナルホテル。典型的な駅前ビジネスホテルであるが、宿泊料金が安価にもかかわらず、大浴場や細かいサービスなどが行き届いたなかなかに良いホテルである。

 ホテルに荷物を置いて身軽になると、そのまま早めの夕食のために夕闇迫る掛川の街へと繰り出す。特に夕食の当てがあったわけではないが、とりあえずこの地域だったらウナギかなという目星をつけて、事前に調べていた店に向かう。しかしそこでは「もう今日は一杯です」と断られることに。見渡したところ店内はガラガラだったのだが、どうやら予約で塞がっていたようだ。仕方ないので近くの別の鰻屋に入ることにする。私が入店したのは「うな専」。注文したのは「うな重(特)2300円」

   

 40分以上待たされた挙げ句にようやく料理が運ばれてくる。サックリとしながらもフワッと柔らかい鰻が心地よい。味付けも関西人の私にも違和感を感じないような無難な味。特別に感動するほどにうまいというわけではないが、不満を感じるようなものでもない。可もなく不可もなくなのであるが、やや印象が薄めなのが損をしている。なお私が入店した時点では先客は一組しかいなかったのだが、それでこの待ち時間というのはいささか長すぎるようにも思える。私はうなぎ屋という点で待ち時間がある程度かかるのは覚悟していたが、それにしても不必要に待ち時間が長いような気がする。私が店を出た頃には店内は満員になっていたが、後で来た客など一体どれだけ待たされるやら。

     

掛川の平和を守る正義のヒーローと駅前の謎のオブジェ

 食後は散歩と腹ごなしを兼ねて掛川駅前をぷらっと一回り。以前に掛川を訪れた時には、早朝に掛川城を駆け抜けて、後は夜遅くにホテルに直行した上での翌日早朝出発だったため、掛川駅前は何もないところだという印象が残っていたのだが、こうしてこの時間にブラブラするとそれなりに店がある(と言っても、新幹線停車駅にしては駅前が閑散としている気もするが)。まあ嫌いな雰囲気の町ではないなと感じた。駅前の奇妙なオブジェやおもちゃ屋の店頭に堂々と立っていた往年のヒーロー像(ミラーマンである)にはさすがに首をかしげたが。

 掛川を散策してホテルに戻ってくると、後は大浴場での入浴と無料マッサージチェアで疲れを抜いて(これがあることがこのホテルの大きな売りの一つだと思う)、後はしばしの執筆活動(この文章のことである)を行ってから就寝したのであった。

  

☆☆☆☆☆

 

 翌朝は6時半起床。身支度を済ませると7時には朝食の弁当が配布されるのでそれを食べてからチェックアウトする。ここからはとりあえず普通列車で熱海まで移動である。東海道線だけあって朝から乗車率は結構高い。静岡で乗り換えてしばらく走行すると富士山が綺麗に見えてきて富士駅に到着。以前にはここから身延線に乗ったこともあるが今回は直進。先の遠征で視察した岳南鉄道発車駅の吉原を過ぎると、これまた以前の遠征では御殿場線に乗り換えた沼津。列車はここから山岳地帯に入っていき、丹那トンネルを抜けると熱海に到着である。

 熱海に到着するとここから伊東線のホームに乗り換える。伊東線は熱海と伊東をつなぐJRの単線電化路線(一部だけ複線)である。また伊東から先は伊豆急行線が下田まで伸びているが、ここに直接接続している。だから青春18切符で行けるのは伊東までで、そこから先は乗り越しという形になる。ちなみに伊東−下田間の料金は1570円と距離に比して異様に高く、伊豆急は「どうせリゾート路線」とかなり強気の商売をしているようにも思える。それにしても昨日の大井川鐵道といい、なんか今回の遠征は「運賃の高い私鉄ツアー」になってしまっているような。私は鉄道マニアではないのに・・・。

    

 この路線の売りの一つはオーシャンビューであるが、そのためか私が乗車した普通列車は、海側がボックス型クロスシート、山側がロングシートといった変則構成。ただどうやら元がどこかからの流用車両らしく、なぜか通勤列車のごとき4ドアという奇妙な車両。またクロスシートはリクライニングはしないしシート自体がやや固く、あまり乗り心地は良くない。

  熱海城のインチキ天守

 熱海の街を左手に見ながら、列車はしばし東海道線と平行して走行する。この時に左手の山の上に見える天守閣のような建物が、インチキ天守として有名な「熱海城」。城も何もなかったところに鉄筋コンクリートの天守をでっち上げてしまったという代物で、中身は観光用の秘宝館だとか。どうも珍名所マニアの聖地の一つになってしまっているらしいが、私が興味があるのは由緒正しい本物の城だけなので、こういうものは興味の外。ちなみに同様のでっち上げ天守は尾道にもあるのだが、こっちは廃墟になって久しいとのことで、こちらは廃墟マニアの格好のターゲットの一つのよう。それにしてもいろいろなもののマニアがいるものである・・・。これに比べると私などはただの美術館マニアだから、至極真っ当な人間である。

  

 列車は熱海市街を通り抜けてさらに先に進むが、ここらで気がついてくることは、この路線は異様にトンネルが多いということである。この路線に対して私が持っていたイメージは、海のそばを延々と走る路線というものであった。しかし実際に乗ってみると、海のそばまで山が迫った急峻な伊豆半島の地形を反映して、とにかくやたらにトンネルが多い。トンネルの合間に海がチラチラと見えるという感じである。さらに単線路線にもかかわらずやたらに多くの特急列車を走らせているため、とにかく行き違いでの時間待ちが多い。ましてや普通列車の場合には特急に抜かれるための時間待ちまであるので、待ち時間の合間に走行しているという雰囲気で、無駄に時間がかかるという印象。

    

 時々見えるオーシャンビューが目を楽しませてはくれるものの、沿線に民家らしいものが見えるのは伊東周辺だけで、後はひたすらホテルの連続。中には廃墟になっているらしきホテルもあったりと、何となくレジャーの栄枯盛衰が窺われる。停車、停車の連続のせいで、結局は下田に着いた時には心身共にヘトヘトといった状態になってしまった。

  伊豆急下田駅に到着

 取りあえず下田駅でトランクをロッカーに放り込んで身軽になると駅前に繰り出す。下田駅前は絵に描いたような「観光地」である。ところがさてここに来て困ってしまった。実は私は「下田に行く」ということは計画していたが、現地に来てみたらここで何をするつもりもなかったことに気づいたのである。

 さてどうしたものかと考えていたら、もう既に正午頃で腹が減っていたことに気づく。とりあえずは腹ごしらえである。下田と言えばやっぱり魚だろうか。一軒の魚料理店に目をつけて覗いてみるが店内は満員で待ち客がいる状態。とりあえず後で出直すことにして、何か間に合わせのものを食べておくことにする。で、辺りを見回したところで目についたのがモスバーガー。仕方ないのでここで軽く何かを食べようと店内に入ると、静岡周辺地域限定で焼津産のマグロを使用したツナバーガーが発売されているというのでこれを注文する。

   

 よくよく考えるとかなり久しぶりのハンバーガー店である。ちなみに私は数年前からファーストフードは一切利用していない。今や私にとってはマクドナルドなどは犬の餌販売店にしか見えない。ただファーストフードではないモスバーガーについては、年に二度ぐらいは使用することがある。

 ツナバーガーはブイヤベース仕立てのものと生姜醤油仕立ての二種類があるとのことだが、私が注文したのはブイヤベースの方。マグロの切り身に洋風の味付けをしてあるのだが、それが魚と言うよりは何か変わった肉という印象で、私が予想していたよりも意外なほどにいける。

 

 バーガーで小腹を満たすと、とりあえず目の前に見えている寝姿山に登ってみようと考える。ここの山頂まではロープウェーが通っており、山頂は展望台になっているとか。

    

 ロープウェーからは下田の町を一望することができる。途中で山の中腹に天守閣らしき建物が見えるが、これがまたインチキ天守で有名な下田城。正式には下田城美術館というらしいが、個人が建てた怪しい建物でこれまた珍名所マニアの聖地の一つと聞いている。似たような施設としては関西にもこれまた個人が建てた怪しい佐和山城が存在していると聞いているが、何にせよ私の興味の範疇外。なおこの天守閣がインチキであるのは一見するだけで分かる。と言うのも、軍事的に考えて切り立った山の斜面の中腹に天守閣を建てることには何の意味もないからである。

  こちらは下田城のインチキ天守

 山上駅に到着するとそこはお約束のように土産物売り場と展望台となっている。ここの展望台からは下田港だけでなく、はるか伊豆大島までを見晴らすことが出来る。一面太平洋の水平線というやつで絶景ではあるが、正直なところ広場恐怖症の傾向がある私には軽い目眩を覚えるような光景である。ちなみに幕末にペリー艦隊が来航したのはこの沖で、その時の模様を再現した絵図なども展示されていたりする。

 またこの山上にはちょっとした散策コースがあり、最近人気上昇の愛染明王を祀ったお堂があったり、黒船の警戒のために幕府が設置したという見張り所を復元したものが建てられていたりしている。大砲の模型なんかも置いてあるのだが、この口径の大砲をここに据え付けても役に立つとは思えないのだが。

  

大砲は遠く下田港を見下ろしているが・・・

 再びロープウェーで降りてくると、もう一度先ほどの料理店を訪問。しかしやはり店内は満員でかなりの待ち時間が必要とのこと。そこでもう見切りをつけて引き上げることにする。結局は下田に滞在したのは1時間半ほど。今日の昼食はモスバーガーで終わりになってしまった・・・。何やら昨日に続いて今回の遠征の昼食は散々だな。

    

 帰りは再びあの普通列車に揺られる気にならなかったので、伊東まで特急踊り子に乗車することになった。ちなみに特急踊り子には新型車両のスーパービュー踊り子もあるが、こちらは指定席のみ。この昼の日中に下田から帰る者もいないだろうと自由席を購入したのだが、予想通りガラガラ。この便は週末の増便のようだが、要は熱海から下田に乗客を運ぶのがメインで、逆向きは回送のようなもののようである。特急とはいえ、単線のためにやはりすれ違い待ちは結構あるが、それでも普通よりはサクサク進むしシートも良い。400円の余計な出費だが、この程度なら良しとするしかないか。どうやら伊豆急は単に料金が高いだけでなく、事実上特急がデフォルトになることでさらに料金が高くなる仕掛けになっているようである。

 伊東で待っていた普通列車に乗り換えるとそれで熱海まで。熱海に到着するとすぐに東海道線に乗り換えて、そのまま今日の宿泊地である藤沢まで移動する。ヘトヘトになりながら藤沢駅を降り立った時には既に夕方であった。どうやら下田は私がイメージしているよりも遠いところだったようである。

 

 藤沢で宿泊するのは「ホテル法華クラブ藤沢」。ここも全国的なホテルチェーンだが、私が利用するのは初めてである。例によってポイントは大浴場と宿泊料。宿泊料に関しては安いと言うほどでもなく高くはなくというところ。

 藤沢は江ノ島電鉄に小田急なども存在する一大ターミナルだが、駅前もかなりにぎやか。どうやら夕食を摂る店に苦労すると言うことはなさそうである。

 早速ホテルにチェックイン。部屋に入った途端にかなり疲れていることに気づく。このまま一服すると動けなくなりそうな予感がする。これはそうなる前に夕食に行く方が賢明だと考え、やや早めではあるが夕食に繰り出すことにする。

  夜の藤沢の街にブラブラと繰り出す

 藤沢の街をウロウロするが、疲れきっているせいか、それともこういう都会とは相性が悪いのか、なぜか私の「うまいものセンサー」に反応する店がない。段々と面倒になってきて、結局はホテルの地下飲食店街のトンカツ屋「どんぐりの森」に入ることにする。注文したのは「どんぐり定食(1680円)」

 

 ロースカツにヒレカツ、それにエビフライを組み合わせたというオーソドックスな定食。トンカツ屋ならどこでもありそうである。味の方も極めてオーソドックス。特別にインパクトはないが、特別に文句をつけるところもない。なおオリジナルと銘打っていたソースにはあまりキャラクターはないが、同じくオリジナルと銘打っていたドレッシングの方はニンニクらしき味が効いており、インパクトがあった。

 夕食を終えるとホテルに帰還。ところで本遠征は完全冬装備で臨んでいたのだが、天気が良かったのとやたらに歩き回ったので暑くなってかなり汗をかいてしまった。このまま室内着に着替えるのも嫌なので、部屋の風呂で一渡り汗を流してから、着替えて大浴場へと向かう。やはり疲れをとるには大浴場が一番。ゆっくりとくつろいだ後は、汗をかいた衣類はまとめてホテルのコインランドリーで洗濯。最近は長期遠征が多くなってきたが、荷物を減らすためには全日程分の着替えを持っていくというわけにいかないので、ホテルで洗濯をすることが多くなってきた。なんか段々とマメになっていくな・・・。

  江ノ電饅頭

 この日は藤沢駅で買い求めた江ノ電饅頭を夜食にしながら執筆作業。そのうちに激しく疲れてきたので、早々に就寝したのであった。

  

☆☆☆☆☆

 

 翌朝は6時半に起床。まだいささか体が重いが、手早く身支度するとホテルで朝食。7時半頃にはチェックアウト。そのままJR藤沢駅まで移動してロッカーにトランクを放り込んで身軽になったところで今日のスケジュールの開始である。

 まずは江ノ島電鉄で長谷に向かうことにする。目的は言わずと知れた大仏見学である。そもそも本遠征は鎌倉遠征であり、鎌倉地区の見学が主眼になっている。今日は朝から予定が目白押しである。

江ノ電藤沢駅と車両
   

 江ノ電は藤沢から鎌倉を江ノ島経由で結んでいる。運行されているのは古色蒼然たる二両編成の電車で、これが基本編成のようである。乗客は高校生が非常に多い。藤沢駅は小田急百貨店の二階にあり、路線はここからしばらくは高架だが、すぐに地表に降りてくる。地表に降りた後は、住宅地の合間と言うよりも家の裏を通るような感じの路線。そのままウネウネとしばらく走ると江ノ島駅に到着。そして江ノ島駅を出た途端に次の腰越駅までが路面軌道となる。腰越駅手前で再び専用軌道に戻ると、次の鎌倉高校前駅の手前から右手に海が見え始め、しばらくは海沿いの走行となる。鎌倉高校前、七里ヶ浜で高校生が大量に下車、路線も海から離れてさらにしばらく走行したところで長谷に到着する。

高架→住宅地→路面と沿線状況はめまぐるしく変わる

さらに海沿いを抜け、他の車両ともすれ違い、ようやく長谷駅に到着する。

 ここからは徒歩で大仏を目指す。途中の長谷寺には「日本最大の木彫り仏像」の看板が。明らかに大仏目当ての客を呼び込むつもりのようでなかなかに商売熱心である。どうせなのでついでに立ち寄ったが、洞窟の中に弁財天が祭ってあったりなど、まさかこんなところで洞窟に潜ることになろうとは。

  長谷寺

 長谷寺の見学を終えるとさらに北上、大仏を目指す。鎌倉の大仏は奈良の大仏と違って野ざらしなので、銅がさびて真っ青になっている。また頭の上に鳩が密集していたりするのがいかにも。なお20円を払うと大仏の中に入ることができるので、中から大仏の構造を観察することができる。そのためか、背面には明かり取りの窓があったりするのがこれまた奇妙。おかげで仏像と言うよりは「建造物」という印象が強い。なおこの建物の裏には与謝野晶子の歌碑が建っていたりする。この歌で彼女は大仏を「美男」と歌っているが、今風のイケメンとは少し違うようである。ちなみに仏像で最近になってイケメンと話題になったのは興福寺の阿修羅像であるが、彼よりは無骨な感じである。

   

   

体内にて上方を望む           裏側はこんな感じ

 大仏の見学を終えると再び長谷駅まで舞い戻り、さらに江ノ電で鎌倉に向かう。降り立った鎌倉はかなり観光地モードで、観光客をターゲットにした土産物屋や飲食店が軒を連ねている。その中を突っ切りながらまずは1つ目の美術館を目指す。

    江ノ電鎌倉駅とJR鎌倉駅


「清方の正月 羽子板展」鏑木清方記念館美術館で1/24まで

   

 鏑木清方の「明治風俗十二ヶ月」を元にして押絵師の長井周山が制作した押絵羽子板を展示した展覧会。元絵と羽子板をあわせて展示してあるが、両者を見比べてみると、羽子板にする時点で微妙に画面の構成を変化させてバランスを考えていたりするのが面白い。また清方の絵を意外に再現できているところに押絵師の技が見られて興味深かった。

 


 

 まずは1つ目の美術館を見学した後は、そのまま鶴岡八幡宮の方向に向かって歩く。次の美術館はその境内の中にある。

 


「内藤礼展」神奈川県立近代美術館鎌倉館で1/24まで

 

 いわゆる現代アート作家の展覧会。現代彫刻ということになるのだろうが、単に明かりのサークルを並べただけの作品とか、天井から紐を吊しただけとか、いちいち作品にひねりも感動も全くない。はっきり言ってこれがアートだと言うのなら、私などは幼稚園生の頃から大アーティストだったと言える。全く「芸術家は気楽な稼業と来たもんだ」である。


 

 近代美術館を見学した後は、鶴岡八幡宮内にある国宝館を訪問する。


「肉筆浮世絵の美−氏家浮世絵コレクション−」鎌倉国宝館で2/14まで

 

 浮世絵版画ではなく肉筆浮世絵についてはそもそも残存数が限られることから非常に貴重である。その貴重な肉筆浮世絵の流出を防ぐために故氏家武雄氏が収集した作品が氏家コレクションであり、現在は財団法人として運営されているという。

 とにかく貴重なコレクションであるのだが、展示作も菱川師宣、勝川春章、歌川広重など名品揃いである。その中で群を抜いて異彩を放っていたのが葛飾北斎。彼の作品だけはその画風が浮世絵を超えて西洋画を思わせるようなところがあり、独特のリアリティを誇っていて圧倒される。


 正直、全く想定していなかったところで想定外の作品に出会ってしまった。私としてはこの北斎を見るためだけにでも鎌倉に来た価値があったというところであり大満足。

 

 一渡り美術館を見て回ると鶴岡八幡宮に参拝。しかし観光客が多すぎて参拝もゆっくりしておられずに流れ作業のような感じ。これだけ大勢の参拝客がやってきたら、神様の方もいちいち対応してられるんだろうか? 何にせよ私は未だに独身であるし、仕事の業績の方でも鳴かず飛ばずであり、この年になって髀肉の嘆をかこっているような状態であるということは、今まで各地の社寺を訪問しても御利益はなかったということか。

  鶴岡八幡宮は参拝客で一杯

 鶴岡八幡宮を参拝した後は茶店で甘酒で一服。一息ついた後にさらに北部にある近代美術館別館の方を訪問する。こちらはヨーロッパ版画の展示であるが、オノレ・ドーミエなど見たことのあるような作品が多かった。

  近代美術館鎌倉別館

 この後は鎌倉駅前までブラブラと散策。鎌倉到着時はまだ朝だったせいか人通りはそれほどではなかったのだが、今はもう昼時になったせいか人出が異常に多く騒然としており、いよいよ竹下通り化がひどくなっている。

  この状態

 鎌倉については、寺院などが多いので神社仏閣巡りが好きな者にとってはパラダイスであろう。ただ私の場合は神社仏閣にはあまり興味はないし、あまりに観光地していて落ち着きがないのが気になった。多分観光客がもっと少なければ良いところなんだろうが。なおこの街の雰囲気を見ていると、いかにも「東京人がイメージする観光地そのもの」だなという気がした。昨日訪問した伊豆半島は「東京人がイメージするリゾート地」そのものであった。やはり元々が田舎者である東京人の場合、発想が今一つ垢抜けしないのは仕方のないところか。文化の歴史の長い関西とはどうも雰囲気が違う。

 

 とりあえず昼食を済ませる必要がある。飲食店には事欠かないのだが、今一つ私のレーダーに引っかかってこない。面倒くさいので裏通りのラーメン屋「玄翁」で済ませることにする。注文したのはとんこつラーメンと角煮丼を組み合わせた「鎌倉御膳(1000円)」

 

 出てきたラーメンの表面に青菜がそのまま載っているのを見て「これは失敗したか」という思いが一瞬よぎるが、食べてみると以外とまとも。ただ非常に雑味が多いラーメンであることが気になる。店内の表示によると、ここのラーメンは酢を加えた方が味が締まると書いてあったので試してみると、確かにこの方が味がスッキリして正解である。酢の効果によってゴチャゴチャしていた雑味が整理される感がある。もっともそれほどおいしいラーメンかと言えば正直なところ「?」。また価格もいかにも首都圏価格である。

   

 とりあえずの昼食を終えると近くの和菓子店吉兆庵で土産物を買い求め、さらにここが収集した工芸品などを集めた美術館を見学する。ただ陶磁器は基本的に私の専門外なので、今一つ良くわからない。

  吉兆庵は本格的な美術館も持っている

 これで鎌倉での予定を終えたので、JRで大船まで戻る。これからはしばし「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」のサークル活動である。この大船と江ノ島を結ぶ湘南モノレールを視察しようと言う考え。

 モノレールの駅はJRの駅からやや離れた位置にある。そこで待ちかまえているのは三両編成のモノレール。いわゆる懸垂型で千葉モノレールなどと同じ構造だが、クロスシートがメインになっている内部構造が違うし、車両間の移動も禁じられているようで、連結部の通行が禁止されている。

かなり曲がりくねった軌道を進む

 モノレールはこのまま市街地の上空を走行していくのだが、走行を始めてすぐにこれは私がイメージしていたモノレールと根本的に違うことに気づく。一般にモノレールのイメージとは、都心の比較的平坦な地域をゆっくりと走行するというものだが、まずこのモノレールはかなり起伏の激しい地域を走行する上に、モノレールには非常に珍しいトンネルまである。そして何よりも驚くのはその走行速度。ほとんど地下鉄並にぶっ飛ばすのである。その上に軌道が地形のせいか左右に結構うねっているので、そのたびに車体を傾けながら疾走。何となく連結部の通過が禁止されている理由が納得できてしまったのである。昔、湘南爆走族というマンガがあったと記憶しているが、あれって湘南をモノレールで暴走する話だったっけ?(そんなわけがない!) ちなみにこのモノレール、少しネットで調べてみたら、実際に以前に暴走によるオーバーラン事故を起こしているとか・・・洒落にならん。原因は電磁波で加速装置が暴走したとか。ちなみに以前に無人運転のニュートラムが暴走事故を起こしたことは有名だが、あの時も原因は電磁波ではと言われながら結局は詳細は不明で終わってしまった。なお以前に他のところでも述べている気がするが、ニュートラム事故では私は原因は併走道路のトラックの違法無線だと推測している。

    湘南江の島駅に到着

 モノレールは軌道を爆走して15分ほどで終点に到着する。この駅がまたビルの途中というイメージで、下まで階段を延々と降りることになる。しかも駅舎自体が普通のビルに擬態しており(笑)、一端出てしまうとどこにあるのか分からなくなるという奇妙な建物である。

  駅前風景

 湘南モノレールは全線単線構成でありながら、各駅ですれ違いを行いながらかなりの高頻度運転されており、やはりあらゆる点で感覚としては地下鉄に近い交通機関になっている。とにかくモノレールという交通機関に対するイメージに変更を迫られるような体験であった。

 モノレールを降りると江ノ電の江ノ島駅を過ぎて江ノ島海岸の方へ向かう。しかし意外と距離がある上に回りがビル街であるために海岸の雰囲気がなく、その挙げ句に道がわずかに登りになっているので、思わず方向を間違えたかと思って地図を確認してみるがこちらで間違いがないようである。そのうちに唐突に海岸の道路に行き当たり、正面に遠く江ノ島が見えるようになる。江ノ島はなぜかNHKのニュースのアイキャッチに使われることが多いので今まで何度もテレビで目にはしているが、こうして肉眼で見るのは初めてである。とは言うものの、特に何かの感慨があるわけではない。

  江ノ島

 別に私は江ノ島には興味はないし、今回も立ち寄る予定はないのでここでさっさと小田急の片瀬江ノ島駅まで移動する。これでとりあえず藤沢に戻る予定・・・なのだが、到着した片瀬江ノ島駅の駅舎は何とも表現に困るようなデザインをしている。中国の城? そう言えば、私は江ノ島の由来については全く知らないのでなぜかが分からないのだが、ここに来てからやたらにチャイニーズデザインを目にするのだが、ここのは何か中国とゆかりがあるのか? そう言えばそもそも湘南という呼び方自体が中国的だ。

  自転車に乗っている人が中国人に見えてしまう・・・

 駅舎は変であるが列車自体はいたって普通の列車(当たり前である)、これで市街地内を抜けると藤沢にはすぐに到着する。小田急藤沢駅はJRの駅と隣接しているので、ここでロッカーからトランクを回収すると、JRに乗り換えて次の目的地を目指す。次の目的地は神奈川県立近代美術館の葉山館である。

 

 JRで鎌倉を通り越して葉山まで移動すると、美術館方面に向かうバスが駅前から出ている。これで20分近くを揺られることになるのだが、驚いたのはこのバスが通る道。車の行き違いが出来ない箇所があるような隘路をバスが両方向に向かって走行しているのである。出くわすタイミングを間違えるとアウト。それにそもそもこの辺りは車が多い上に、しかもなぜか大型車が多い。こんなところをバスが走っているんなら・・・やっぱり鞆の浦の埋め立ては不要である(笑)。

 やがて海岸に出て走ることしばし、ようやく目的地に到着する。目的地は郊外の巨大施設という趣である。

 


「長澤英俊展−オーロラの向かう所」神奈川県立近代美術館で3/22まで

 

 いわゆる現代アート系のオブジェであるが、作品が巨大なものが多い。殊更に芸術的感慨を受けるわけではないが、多彩な素材を活かした立体構築は、構造物として非常に興味深い。特にバランスの取り方がなかなかにうまく、そこのところから来る緊張感のようなものが面白い。

 


 

 戻ろうと美術館を出た途端に爆音を立てて戦闘機が上空を通り抜けていく。横須賀基地の艦載機だろうか。確かに旅客機とは次元の違う騒音である。現在、普天間基地の移転の件でゴタゴタしているが、この爆音だけでも地元の負担はとんでもないものだろう。それを沖縄にだけ押しつけるのは限界というものである。よく「日米同盟も基地も日本のために必要」という輩が多いが、ではそういう連中は米軍基地が隣に引っ越してきたら、騒音から米兵による犯罪まで含めてすべてを受け入れるのだろうか?

 米軍基地についてはいっそのこと関空に移転したらどうだと考える。どっちみち辺鄙のために不人気の空港である。よい活用法になるのではないか。橋本知事は便利な伊丹空港を廃止することで無理矢理に関空の利用を上げようと考えているようだが、そんなことしても関空の不便さも馬鹿高い着陸料も変わらないのだから、空港自体の利用が減るだけである。確かに米軍を持ってくると犯罪増加の懸念はあるが(米兵のいるところ確実に犯罪は増加する)、出島よろしく連絡橋に関所を作ってチェックすれば米軍の不逞の輩を監視することも可能だし、何しろ「犯罪耐性」が日本一高いと言われている大阪人のことである。やられっぱなしということもなかろう。それに関空の巨大な借金も、国の「思いやり予算」で埋めて貰うことが出来るし。

 

 再びあの路地を走行するバスに乗ると、今度はJR逗子ではなく、京浜急行の新逗子で下車する。何やら新逗子駅は工事中の模様。ここから逗子線で金沢八景駅を目指す。駅の数は少ないのだが、新逗子からすぐにトンネルをくぐるので駅間は意外とある。まあ路線自体は複線電化のようなのに、新逗子駅構内は単線になっているという奇妙な構造である(後で複線化した時に市街が邪魔になって駅を拡張できなかったのか?)。

   

 トンネルをくぐって再び市街地が見えると、すぐに金沢八景駅である。石川県でもないのに金沢とはこれいかにであるが、どうやら昔の浮世絵などの題材になる風景があったようである。今では沿岸開発で風景は完膚無きまでに破壊されているが。ここで下車すると金沢シーサイドラインに乗り換える。

 金沢シーサイドラインは神奈川県によるいわゆる新交通システム。沿岸開発された埋め立て地を周回する路線であり、無人運行の高架式新交通システムということで神戸のポートライナーや大阪のニュートラムの親戚である。どうも湾岸はこういうシステムというお約束事があるようである。金沢八景駅はかなり高い高架の上にあるが、エレベーターが立派な割には駅舎はいかにも手抜きな感じでどうも違和感を感じたのだが、どうやらこの駅については将来的に京急の駅と接続するために移動する計画があるらしい。その時には現在は駅の西側に設置されている形のエレベーターが、駅の東側エレベータになるのだろうか。

   

 車両は4両編成の無人運行で、車両は「どこかで見たことがある」ような雰囲気。このタイプの新交通システムは大まかな仕様が共通化されているらしいので、どうも似たようなものになるようだ。高架のために見晴らしはよいが、埋め立て地の沿線風景は面白みに欠けるというところもいずこも同じである。

新交通システムはいずこも似たようなもの

 先ほどの湘南モノレールなどとは違って、かなりゆったりしたペースで走行した車両は30分弱で終点の新杉田に到着する。ここではJRの駅舎と接続されており、少し歩くだけで乗り換えることが出来る。後はここから根岸線で横浜まで、横浜線に乗り換えて新横浜まで移動。横浜線はかなり以前に完乗しているが、その頃に比べると新横浜南部の開発がかなり進んでいる様子である。新横浜からは新幹線で帰宅。さすがに帰りまで普通列車では身体がもたないし、明日からの仕事に間に合わない。帰宅したのはこの日の夜遅くであった。

 

 懸案であった鎌倉訪問及び、伊豆半島の視察、さらにSL乗車も含めてこの地域の宿題を一気に解決した感のあるのが今回の遠征であった。ただやはり首都圏方面遠征の常として、食事方面がかなりお粗末という感があるのが今回の不満点と言えば不満点。もっとも食事がお粗末になった分は旅費が節約されてはいるのだが・・・。

 

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