展覧会遠征 静岡・津編

 

 さて今年の春の青春18シーズンもいよいよ大詰めとなった。私が持っている18切符の残り回数も後一回。これは必然的にこの週末に使いきらないといけないわけである。目的地を考えた場合に真っ先に浮上したのが三重。現在三重県立美術館で「トリックアート展」を開催中で、これは私としても興味のあるところ。ただ三重となると日帰りはできないこともないが、正直もっぱら体力の衰えを感じている昨今では少々キツい。そう思っていた時に私のところに舞い込んだのが、ドーミーイン津オープンの案内。会員限定でオープン記念のお得な宿泊プランもあるという。となると一泊二日か。初日は18切符を使って名古屋経由で津入りし、二日目はスルッと関西3daysに現金追加で奈良経由で帰還と大体のシナリオは出来上がった。

 

 出発直前までは今回の遠征はこのシナリオで実行のつもりであった。しかし直前でまたも例によっての日本人のサガが頭をもたげる。「名古屋まで行くんだったら、静岡はすぐそこじゃないか・・・(本当か?)」 こんな考えが頭をもたげたのは、ひとえに静岡県立美術館で開催される「伊藤若冲アナザーワールド」が気になっていたから。言うまでもなく伊藤若冲は曾我蕭白などと並んで私にとっては興味のある画家である。ここで急遽追加シナリオが発生することとなった。しかしスケジュールを組んでみるとイメージ以上に静岡は遠い。さすがに在来線のみだと見学時間がほとんどとれない。こうなると新幹線を使うのもやむなしなのだが、日時が近すぎたために「ぷらっとこだま」は売り切れ。結局は馬鹿高い通常料金を支払う羽目になってしまい、どうも初期の「青春18切符を使いきる」という主旨からはずれていってしまったのである・・・。

 

 当日は例によっての早朝出発(起床は5時)。まずは静岡まで新幹線で。はっきり言ってこの出費は痛いが、今回の場合は背に腹は代えられないというところ。静岡に新幹線で到着すると、そこからさらに在来線で草薙まで。ここからはバスで美術館へ向かうが、なぜかこのバスが時間になってもなかなか来ない。結局は予定より数分遅れで目的地に到着する。

 


「伊藤若冲アナザーワールド」静岡県立美術館で5/16まで

 どちらかと言えば彩色画が有名な伊藤若冲であるが、彼は多数の水墨画も残しており、しかもそれらの水墨画は彩色がと相互作用を及ぼし合いながら進化し続けていっているという。その若冲のアナザーワールド(水墨画)に注目した展覧会。

 初期の若冲の彩色画はやや硬質なイメージの精密絵画が多いのであるが、その頃から水墨画の方はかなり勢いのある自由な作風の作品が登場している。しかも墨の濃淡を活かしての表現など、技法の方は着実に進化していっている。

 その水墨画の表現が後期の彩色画にも反映する。後期の彩色画においては初期の硬質さが抜けて、実に自由な表現が出現する。そしてついにはその自由が突き抜けて「奇想の画家」と呼ばれるところにまで達するのである。

 質量共に圧倒的な展覧会であり、印象的な作品も多々あり。個人的には「象鯨図屏風」などが一品。若冲の描く象は実在の動物と言うよりもほとんど架空の生物のように見えるのであるが、その存在感は圧巻である。

 


ロダン館にもついでに立ち寄った。

 バスで再び草薙駅へ戻ると、ここから名古屋まで移動。ここは当然ながら青春18切符を使用しての在来線での移動である。しかしこれがとにかく長い。東海道本線の静岡県内路線は、山陽本線の姫路以西と同じで「普通列車しかない」区間。この理由は言うまでもなく、山陽本線と同じで「長距離移動したいなら馬鹿高い料金を払って新幹線に乗れ」というJRの陰謀。豊橋−岐阜間は名鉄という競争相手があるために快速を運行しているが、まともな競争相手がいない(さすがに天浜線では最初から勝負にもならない)静岡地域ではJRは独占的地位を活かしてやりたい放題というわけである。結局は新幹線だと30分もかからない静岡−名古屋間が在来線だと3時間かかることになる。このことだけを見ても、資本主義において健全なる競争というのがいかに重要かが身に染みて理解できるわけである。もし静岡に有力な私鉄が存在するか、それとも民営化の際に新幹線と在来線が分けられるかしていたら、多分名古屋−静岡間を快速東海ライナーが1時間半で結ぶなんてことになっていただろう(JR東海の新幹線とJR東日本が競合する熱海−東京間で、JR東日本が快速アクティーを走らせているように)。

 ヘトヘトになって名古屋に到着すると、地下鉄で栄に移動。美術館に直行したいところだが、今日は列車に乗りっぱなしで昼食をまだ摂っていないので、かなり遅めの昼食にラーメンを一杯食べる。しかしこれがハズレ。まあそれでも一応腹具合は収まったので目的の美術館へと向かう。

 


「小川芋銭と珊瑚会の画家たち」愛知県美術館で5/23まで

 

 大正から昭和にかけての時期に活躍した小川芋銭の作品を中心に、彼と共に活躍した珊瑚会の画家達の作品について概観する展覧会。

 小川芋銭と言えば「カッパの画家」というのが私のイメージであるが、彼を代表する一連のカッパのシリーズも展示されている。どことなくユーモラスで楽しげなその姿はいわゆる癒し系作品と言うべきか。彼以外の珊瑚会系の作品も多数展示されているが、いずれも技巧に走るわけではなく、農村風景などをのどかにそのまま描いている作品が印象的。なぜか妙に心温まる作品が多い。

 


 美術館を出た時にはもう夕方。今日の宿に向かうことにする。ただその前に名古屋で「スルッと関西2day切符」を入手しておこうと栄のJTBに立ち寄ったのだが、なんと「JRや近鉄のチケット単品は取り扱いしません」との表示が出ている。チケットの仲介なんて実入りの少ない仕事はしたくないとの宣言のようだ。「ふざけてるのか!」と言いたくなったが、他に旅行会社の店舗を知らない(と言うか、ここ以外調べていなかった)ので、諦めてさっさと名古屋駅に舞い戻る。

 

 名古屋駅からは快速みえで津まで移動することになる。私は快速みえが混雑することを聞いているので、発車時間の10分以上前に名古屋駅に入ったのだが、既にもうかなりの行列が出来ていた。そこに快速みえが到着。到着したのは4両編成の車両なのだが、なんと前の2両はダミーで、実際に走行するのは後ろの2両だけ。ここでちょっとした混乱。さらに1号車の前半分が指定席であることを知らない素人が結構いたりでまた混乱。私はうまく席を見つけることが出来たが、2両編成の快速みえは大混乱の中で大量の立ち客を乗せて伊勢を目指す。

 最初の停車駅は桑名なのだが、ここまでが結構距離がある上にすれ違い車両が遅れているのか、やけに速度を抑えて走っているのでとにかくひたすら長いという印象。ようやく桑名に到着するとここで大量の乗客が一斉に下車して、車内の混雑は一挙に緩和される。ディーゼル車両は編成両数がそのまま直接燃料費に比例するから、できるだけ両数を減らしたいのは分からないでもないが、JRもこの大混雑については何か考えるところはないのだろうか?(桑名で増結車両を切り離すとか)

 桑名の次の四日市を過ぎるとここから伊勢鉄道の路線に入るので、私のような青春18ユーザーは追加料金(490円)を払う必要がある。そもそもこの路線は紀勢線のショートカット路線として建設されたのに、国鉄の不採算路線廃止の際に、路線内の乗降客が少ないという理由で切り捨てられて第三セクターになってしまったという大馬鹿行為のツケである。いかに当時の路線廃止が意味不明の基準で行われていたかを物語るエピソードである。もっともこちらの路線がJR東海に残っていれば、多分今頃は紀勢線の津−亀山間は廃線になっていたと思うが。

 そもそもがショートカット路線であるため、沿線は比較的閑散としているところが多く、明らかに路線内の乗降客は少ない。大半の乗客はこのエリアを「通過」するのである。なお新造された路線は高規格のため、この部分が快速みえがもっとも速度を上げるエリアになっている。

  津駅に到着

 名古屋から1時間ほどで津に到着する。とりあえずホテルにチェックインすると夕食を摂るために町に繰り出す。津の市街地は名古屋などに比べるとこじんまりしたものだが、私としてはこのぐらいの街の方が性に合う。正直、東京とか名古屋とかの大きすぎる街はどうも相性が悪く、特に名古屋にはあまり良い印象がない。それに比べると津は東海圏の中では私と相性の良さそうな街である。

 

 夕食だが、正直なところかなり疲れているので、駅の近くの「信州そば処 そば茶屋」で済ませることにした。注文したのはここの名物という「大せいろ(750円)」「さんま寿司(200円)」

  ホテルのすぐ近くにある

 大量のソバがせいろに乗って出てくるが、なかなかに腰のある蕎麦である上に、つゆの味がしっかりしていて旨いのでスルスルと食が進む。遅めの昼食がラーメンだったので、また麺類を選択したのは失敗だったかと思ったのだが、そばが旨いのでそういう問題を一切感じなかった。やや濃いめの味はいかにも信州そばというイメージで、正直なところ松本で食べたそばよりも信州そばらしい信州そば。またさんま寿司の方もマズマズで、そば屋としてのクオリティは高い。ここは正解だったようである。

    大せいろとさんま寿司

 この後、近くの和菓子屋で夜食の菓子を買い込むと、この日はホテルでゆっくりと入浴して(やはりドーミーインはなんと言っても大浴場が一番)、ぼんやりとテレビを見つつ時間をつぶしたのであった。

  

☆☆☆☆☆

 

 翌日の予定は9時30分開館の三重県立美術館なので、私の遠征には珍しいぐらいの余裕のある朝(いつもは5時半起床の7時過ぎチェックアウトなんてパターンが多い)。起床は6時30分で7時過ぎにホテルで朝食を摂ると(ドーミーチェーンは朝食のボリュームも良い)、大浴場に出向いて朝の入浴。やっぱりたまにはこういう余裕も必要だよなと思いつつ9時過ぎにチェックアウトする。

  津駅北部の偕楽公園は桜が満開

 地下道で津駅の西側に出ると、トランクをゴロゴロと引きながら上り坂を10分ほどで目的地に到着する。ここの美術館は駅からバスに乗るほどの距離ではないが、歩いて行くには少し嫌な微妙な距離がある。

 


「トリックアート展」三重県立美術館で4/11まで

 

 視覚のトリックを利用したアートはいろいろあるが、そのような作品を集めた展覧会。

 だまし絵のような作品、もしくはエッシャーの作品のようなものが登場するのかと思っていたら、案に反して現代アート作品が中心であった。いずれも一ひねりある作品ではあるが。

 私は以前から、現代アートは一発芸と同じと言っているが、そういう点ではトリックアートと現代アートは親和性が高いのかもしれない。「なるほどね」と思わせるような作品もいくつかあった。もっとも一端ネタバレしてしまうとそれまでというのは、やはり一発芸そのものなんだが。

 


 

 美術館から再びトランクをゴロゴロ引きながら津駅まで戻ってくると、今度はバスでの移動となる。次の目的地は津新町の辺りにある銀行も入っているビルの二階。その一室が展示場となっている。

 


「川喜田半泥子と茶の湯」石水博物館で5/23まで

 

 川喜田半泥子の陶芸作品、書画などと共に、彼が蒐集したという茶道具等を展示。

 正直なところ川喜田半泥子の作品自体には私はあまり興味を感じるものはなかったのだが、彼が蒐集していた茶器の類にはこっちについては全く鑑定眼のない私から見ても面白いと感じる作品が多々。これは一体どういう意味やら・・・。

 


 

 いかにも手狭な印象の博物館だが、来年の春ぐらいには新しい場所に移転の予定だという。なおもう建物自体は建っているのだが「コンクリートがまだ乾かない」とのこと。近いうちに館内の環境の調査などを実施してから、問題がなければ移転作業に移る予定とか。

 

 再びバスで津駅まで戻ってくると。ここからは近鉄での長距離移動になる。今日はスルッと関西3daysをフル活用する予定なので、エリア入口の青山町までの切符を購入すると近鉄に乗り込む。

 

 到着したのは賢島行きの二両編成の普通車。これで伊勢中川まで移動してから、名張行きの普通列車に乗り換える。途中で榊原温泉口駅を通過するとき、北方に巨大なミロのビーナス像などが見えるが、これがルーヴル彫刻美術館。フランスのルーヴル美術館と姉妹館提携をしており、くだんのヴィーナス像も現物から直接に型どりをしたとのふれこみである。ただここの運営は宗教法人によるものらしく、内部はヴィーナス像と千手観音像が共存しているという怪しい施設になっており、美術館マニアよりもB級施設マニアの方から注目されているようである。開館式典にはルーヴルの館長も招待されたとのことだが、この施設を見て彼がどう感じたかについては謎とされている。なぜこのような施設がルーヴルと姉妹館提携ができたのかも謎とされているが、恐らく宗教マネーパワーが成し遂げたミラクルなんだろう。

  怪しさ全開のルーヴル彫刻美術館

 B級はともかくとして、美術館マニアである私としてはここもいずれは訪問しておく必要はありそうだが、今回はその時間がないので先を急ぐことにする。

 

 近鉄はひたすら山の中を走っていく印象。傾斜がきついのか走行も重たげである。今までこの路線は何度か特急で通っており、そのたびに「かったるい」という印象を受けていたが、やはり速度が出ないことがその原因だったのだろう。今回は普通列車でのんびりとした行程だったので、車窓を眺める余裕があったが、あちこちで桜が咲いていたりと意外と変化がある車窓だったのに改めて驚き。やはり普通列車でないと分からない風情というものもあるのだろうか。

 途中で後発の特急に追い越されたりしながら、一時間あまりで名張に到着。ここで急行に乗り換えなのだが、延々と鉄道乗り続けに飽きがきたのか、その前に少し名張を見学してやろうという気がムクムクと沸き上がってくる。そう言えば名張には陣屋跡が残っているはずである。「えいっ」とばかりにトランクを引きずってそのまま町に繰り出す。

    桜満開の名張駅前

 

 「名張陣屋(名張城)跡」は駅から10分程度歩いたやや小高くなった地にある。今も屋敷跡が残っていて見学ができる。今では普通の旧家のお屋敷程度の大きさとなってしまっているが、本来は今残っている部分の数倍の広さがあったという。しかしその大部分は明治に取り壊され、今は南部の小学校や隣の幼稚園などになってしまっており、往事の姿は頭でイメージするしかない。なお裏手の寺院に当時の大手門であった太鼓門が移築されており、それも見学することができる。この門を見る限りでは、なかなかに威風堂々とした屋敷であったと思われる。名張陣屋には藤堂高虎の養子であった高吉が入っていたようだが、高虎の実子の系統である本家とは微妙な対立があったとのこと。なお現在の建物は江戸時代に火災によって焼失した後に再建されたものであるという。

左 名張陣屋の門  中央 陣屋建物  右 建物内部

左 庭園  中央 発掘された当時の瓦  右 裏手の寺院に移築されている太鼓門

 名張駅に戻ってくると、ちょうど急行が駅に到着していたので乗車、これで大和八木まで移動する。大和八木駅は京都方面行きの橿原線と二階建ての構造になっており、ここで乗り換えとなる。ここから京都行きの列車に乗り換える予定が、初めての駅の構造に戸惑って迷っているうちに列車に乗り損ね、しばし次の列車を待つ羽目になる。この待ち時間にパンを買ったのがこの日の昼食。どうも最近の遠征での昼食はひどすぎるような・・・。

  この日の昼食 悲しすぎる・・・

 しばしの後に京都行きの急行が到着したので乗車。急行は田原本線との乗換駅である田原本を過ぎると、次は天理線乗換駅である平端に到着、私はここで途中下車。ここまで来たついでに天理線を視察しておいてやろうという考え。

 天理線は三駅ほどの短い路線。隣の二階堂までは田園風景で建設中の高速道路が見える。二階堂から先は市街地が天理まで続いている。天理駅はちょうどJR天理駅の一階に入っている形で乗換駅となる。当然、天理は新興宗教嫌いの私がいるべき場所ではないのでさっさと引き返す。

  天理駅

 平端に戻ってくるとそこから近鉄郡山まで移動。「大和郡山城」を見学しようというのが次の目的。重たいトランクはできればロッカーにでも放り込みたかったのだが、ロッカーがどこにも見あたらないのでやむなくトランクを引きずったまま城の方に向かう羽目になる。

  いかにも城と関係有りそうな名前の駐輪場

 やがて目の前に巨大な堀が見えてくる。これは二の丸を取り囲む堀になるらしい。現在は二の丸は学校になってしまっているが、堀や石垣は当時のまま残っている模様。これが予想以上に立派で驚く。この城は筒井順慶が整備し、その後に豊臣秀長が拡張、江戸時代以降は松平、本多、柳沢など親藩、譜代系で城主が転々としたようである。この中で一番の大身代は秀長であるので、この時にかなりの拡張整備がなされたようである。現在は建造物は残っていないが、追手門や一部の櫓が近年に復元されている。

  

二の丸に建つ中学校 足下の石垣は当時のものと思われる

 この堀をグルリと回り込んで本丸に向かう。やがて目の前に見えてきた本丸の石垣と堀は二の丸のものよりもさらにすばらしいもので唖然とする。正直、こんな立派な城がなぜ100名城に選ばれていないのか不思議な気持ちになる。そもそも100名城の選定は、観光への配慮などがあるのか基本的に1県1城以上になっている。そのために今ひとつ良い城がない県の場合「これが100名城?」というような城が選択されてしまっているということもよく言われていることである。またその煽りを受けて、100名城に値するような城が選外になってしまっていることもあるようである。私の見た中でも、この大和郡山城と米子城は余裕で100名城に匹敵すると思うのであるが・・・。

左 松蔭門跡  中央 門外の堀  右 本丸手前の仕切塀

  本丸の石垣はかなり立派

 二の丸から本丸の方に回り込むが、この本丸を取り巻く石垣と堀がさらに立派で唖然とする。つくづくこの城は100名城に匹敵すると感心することしばし。ここから本丸に渡るルートは今は堀を埋め立ててあるが、往時は防御を考えるといざというときに落とせる木橋になっていたのだろうと思われる(外から見ると、この部分の石垣が他の違うのが一目瞭然)。なお本丸内は今は神社になっているというお約束のパターン。季節柄花見客が押しかけていて城見学という風情ではないのが残念。またトランクを引きずっているので神社周辺の砂利道は難行苦行。こんな立派な城だったらトランクを置いてくるんだったと後悔することしばし。

本丸内は神社になっている

左 本丸は桜の名所でもある 中央 天守台手前には神社関係の建物らしきものが  右 毘沙門曲輪との間の石垣

 天守台も残存しているが、崩落の危険があると言うことで残念ながら立ち入り禁止。確かに下から見上げただけでも石垣が大分緩んできていてかなり危ない状態。これは早々に整備をしてもらいたいところ。この城は結構近年まで荒れ果てた状態だったということなので、それが100名城選定にマイナス要因になった? なおこの地域は石材が不足だったために、秀長が城を整備した時に墓石や地蔵まで流用したとのことで、今でも逆さ地蔵などと呼ばれている地蔵が残っていたりする。

天守台は残っているのだが、残念ながら立ち入り禁止

左 多くの地蔵が奉納されていたりする 中央 この奥が逆さ地蔵  右 石垣にはかなり緩みが生じている

 本丸見学の後は本丸周辺の毘沙門曲輪に渡って、そこにある柳沢文庫で大和郡山城関係の資料を見学。その中には大和郡山城の縄張り図などがあるが、本丸を螺旋状に曲輪が取り囲むような縄張りになっていたことがよく分かる。

  柳沢文庫  現地案内図

 柳沢文庫見学後はここから毘沙門曲輪を北上して復元された追手門や追手向かい櫓、東隅櫓などを見学。この城ではこの辺りが一番「城郭」しているので、実はここから入ってくるのが正規の見学ルートであるのだが、私は最初の入口から間違えて大回りをしたという次第。もっともおかげで二の丸石垣からすべてを堪能できたことになるが。ただトランクを引きずって(途中の砂利道などはぶら下げて)長距離を歩き回ったせいで、この時点で足だけでなくて手首もガクガクになってしまった。これは明日以降に非常に響きそう。

  追手門と追手門向櫓

こっちは東隅櫓  

 城を見学して再び近鉄郡山駅まで戻ってきた時には既に夕方になっていた。当初の予定ではこの後は奈良に立ち寄るつもりだったが、時間的にも体力的にもそれは不可能と判断して、このまま帰途につくことにしたのであった。

 

  

 戻る