展覧会遠征 南九州編

 

 さて前回に予告(?)した通り、この週末は大型遠征を実行することにしていた。今回の目的地は鹿児島。以前の度重なる九州方面遠征において、北部九州はかなり網羅したものの、未だに九州南部は通過したのみという状態であった。そこで「東北・九州方面強化年間」という目標に照らし合わせ、本年度中に九州南部を押さえておきたいという考えである。

 計画はかなり前から周到に練られたものである。九州入りは宮崎空港から空路で。未視察の吉都線・肥薩線を経由しつつ鹿児島入り、さらにはこれまた未視察の枕崎線も調査。その後は肥薩オレンジ鉄道を経由して、未訪問100名城である人吉城を攻略という大体のシナリオである。このシナリオに沿ってまず航空券はスーパー旅割で入手、さらには周遊切符の鹿児島ゾーン券も手配、準備は万全であったはずだった。

 

 しかし直前になってアクシデントが発生した。出発直前の月曜日になって私が体調を崩してしまったのである。先週辺りから家族が次々と倒れていたので危険だとは感じていたのだが、とうとう私にも感染したらしく、激しい吐き気と下痢、さらには38度を超えるという高熱にさらされ、計画の実行が危ぶまれる状況となってしまったのである。

 常識的な判断は、今回は計画断念というものだろう。しかしその場合、スーパー旅割を使用して入手した航空券の場合は半額以下の払い戻ししかない(払い戻し金額が半額のところからさらに手数料を引かれる)。これは私の基本的行動原理の一つである「貧乏性」からは許し難い事態である。そこで私は「とにかく根性総動員で一日で治す」という精神論の世界の結論を下さざるを得なくなったのである。

 と言っても勝算のないまま単なる精神論で突っ走っても第二次大戦の日本軍のような玉砕が待っているだけである。私は「免疫力を高めるにはあえて体温を若干高めに保った方がよい」という理論に基づき、暖房で室温を高めに設定し、乾燥防止のために加湿器を使用した室内にこもってひたすら寝続けるという戦略を採ったのである。私の戦略が功を奏したのかどうかは定かではないが、翌日にはまだ足下にふらつきは残っているものの熱はさがっていた。どうやら私の貧乏性は風邪のウイルスをも凌駕したようである。そう、普段は冴えないサラリーマンの私は、その貧乏性パワーが極限に達した時、赤貧超人ヒンコンガーに変身するのである。「ビンボー、それは金欠。ビンボー、だから貯金ない。ビンボー、うちの中にある赤字クレイジー。(超ビンボー伝説テーマ曲)」

 

 いきなり頭が錯乱したのか、NHKで放送中のバグマンの第1話を見た人にしか意味不明なフレーズが飛び出してしまった。まだ少々頭の錯乱は残っているようだが、とにかく何とか体を持ち直した私は、粛々と以前からの計画を実行に移すことにしたのである。

 

 例によって伊丹からのフライトであるが、私が搭乗するのは宮崎行きの始発便。通常ではとても間に合わないので大阪の定宿で前泊である。翌朝は4時半に起床すると地下鉄とモノレールを乗り継いで大阪空港へ。空港ターミナルは6時に目を覚ました直後で、まだ飲食店も満足に開いていない状態。とりあえずパン屋で軽い朝食を摂ると、さっさと荷物検査を済ませてしまう。これで今年に入って都合4度目のフライトであるので、私もまるでベテランの様な顔をしてさっさと終わらせてしまう。

 宮崎空港への便はエアバスA320である。ボーイング737に比べると機内スペースが横に平たい印象。今回は気流の乱れでもあるのか、途中で何度か上下の振動が起こる。一瞬、昨晩寝付きにくかった時に暇つぶしに見た「航空事故事例集」のことを思い出すが(何でこんな時にわざわざそんなものを見るんだと言われそうだが)、殊更に不安を感じるほどの大きな揺れでもない。A320は至ってシンプルな機体で、ボーイングのもののようなモニターなどが付いていない。おかげで暇をもてあます羽目に。チラッと外を見るとボートアイランド+神戸空港が地図の形のままに見えたのは少々感動した(やっぱりここまでの高さに来ると高所恐怖症が発症しない)。

 1時間余りのフライトで退屈はしたもののとりあえず問題なく宮崎空港に到着する。宮崎空港は以前の九州一周遠征の時に訪れているので(当然ながらその時には飛行機に乗ったのではなく空港を見ただけ)、地理的環境は把握している。飛行機を降りると、一直線にJR宮崎空港線のホームに向かう。宮崎空港はJRが直接接続している非常にアクセスの良い空港である。ただバスの利用者の方が多いのか、私が乗車した列車の乗客は1ケタに過ぎない。そのまま南宮崎まで乗車すると、そこで鹿児島中央行きの普通列車に乗り換える。まずは目指すのは都城。

 都城までは以前にも乗車している日豊本線。最初は遠くに山を見つつ前進しているが、あっという間に山岳地帯に突入することになる。そしてそれを抜けると都城である。とりあえず都城を通過して次の西都城で下車する。

 

 都城で途中下車した目的は、「都之城」を見学するため。都之城(別名鶴丸城)はこの地域にあった城郭で、島津氏の支族である北郷氏の城郭であった。その後、秀吉の九州討伐の関連から伊集院氏の所有となったが、伊集院氏が主家の島津氏と対立して反乱、滅ぼされた後は北郷氏の所属に戻り、一国一城令で廃城になったという。

  川の向こうに都之城が見える

 西都城駅でトランクをロッカーに放り込むと、いかにもの住宅街の間を縫って大淀川の川縁に出ると、遙か向こうに都之城を望むことが出来る。都之城はこの大淀川を東側の天然の堀とし、川縁に点在する台地の上に城郭を構えた構造になっている。かつての城域は今ではJRの線路に分断されており、線路の南側は完全に宅地化されて遺構らしきものは残存していないが、かつての本丸跡と西城跡が残存しており、本丸跡には歴史資料館が、西城跡は神社になっている。

  現地案内看板より

 案内に沿って歩いていくと本丸の東部に出てくるが、ここに駐車場があると共に復元された大手門が建っている。なかなかに立派な門であるが、ただ城の縄張りを考えた場合にここが本当に大手であるかは疑問である。

左 本丸東部の復元大手門  中央 城山公園の入口  右 堀切跡(右手が西城、左手が本丸)

 この門をくぐって進むと、本丸跡の北側をグルリと回り込む形で本丸と西城の間の幅広い堀切跡に出る。ここが城山公園の入口となっており、ここからグルリと回り込む形で南に向かったところが本丸虎口跡。ここの虎口はそもそもは直線的なものであったらしい。

  本丸虎口跡

 本丸上には歴史資料館が建っているが、これがいわゆる「トンデモ天守」になるのだが、デザインが天守閣とも本丸館ともつかない微妙なもので、何となく中途半端。立派な多層の天守閣なんて建ってたはずがないことがハッキリしている城だけに、天守を建てるのは憚られたのだろうか。なおこの歴史資料館、実は木造建築で、最新木造技術による巨大建築物建設の一種のモデル事業の意味も持っているらしい(この地域の林業復興の意味もある)。内部は撮影禁止なのだが、巨大な吹き抜け建築である。

  都城歴史資料館

 この地域は街道を扼する要地であり、島津氏にとっては東の守りの要衝である。それだけに支族である北郷氏をここに置いていたのは分かる。そこにあえて島津の一族とは言いながら、島津宗家とはやや距離感のあった伊集院氏を配したのは、秀吉流の島津氏に対する嫌がらせなんだろう。

左 本丸風景  中央 本丸南部にある建物跡  右 本丸からの南方風景

左 銅像の右奥にあるのが西城への橋  中央 橋の上から見た堀切、かなり深い  右 西城跡は神社

 小さな城郭ではあるが、本丸周辺の崖はかなり急で堅固である。西城との間には橋が架かっているが、当時もいざという時には落とせるような木製の橋が架かっていたのではと思わせる。西城は本丸よりも広いんじゃないかと思わせるようなスペース。今は神社になってしまっているが、周辺が切り立っているのは当時のままだろう。

 都之城については以前に九州周回をした時に、列車からチラリと見えた姿が印象に残り、そのためにわざわざ今回やって来たわけであるが、まあ訪問するだけの価値はあったかというような城郭であった。小規模ではあるものの、城郭としての体を保っているのがポイントである。

 

 都之城の見学を終えた後は徒歩で再び移動、都城市立美術館を目指す。しかし地図が手元になかったために無駄に大回りして時間を大幅ロス。しかもその挙げ句にたどり着いた美術館はなんと休館中。思わず天を仰いで「オー、マイゴット!」と叫ぶ。

  都城市立美術館は休館中

 都城はモータリゼーションがかなり進行しているようで、その煽りか公共交通が貧弱。さらには市街の中心部が西都城と都城の中間にあるのでアクセスが不便。というわけでどうにも余所者にはハードルの高い街である。

   西都城駅と特急きりしま

 西都城駅付近まで戻ってきたものの飲食店が皆無。結局は駅前のそば屋でうどんをかき込んでから特急きりしまで都城駅まで移動する。これからは吉都線と肥薩線の視察予定。都城駅で若干の時間をつぶした後、吉都線のホームに移動。都城駅の4番ホームには単両のキハ40が待っていた。ボックス型セミクロスシートの車内には乗客が数人。結局は各人が1ボックスずつを占拠しても十分に間に合うという状況である。

左 都城駅駅舎  中央 4番ホームにはキハ40が待っていた  右 内部はボックス型セミクロスシート

 吉都線は吉松と都城を結ぶ単線非電化路線である。吉松で肥薩線に接続している。私が乗車したのは肥薩線経由でダイレクトに隼人まで行く便。沿線からは常に霧島山が見えており、場所によって山容が変化して目を楽しませてくれる。沿線に関しては山岳の合間にある街をつないでいく路線で、最初から最後まで乗り通しの需要はほとんどないが、区間区間での乗り降りは結構ある。高原、小林、えびの辺りがそれなりの街か。これらの街(学校もある)と周辺の地域の間での区間輸送が非常に多いようで、全線を乗り通していると乗客の顔ぶれが目まぐるしく変わる。

   

刻々と山容が変化する霧島山

 

えびの北部の山地はまさに「壁」

 えびの辺りからは北側に壁のようにそそり立つ山脈が見えてくる。あまりの「壁」っぷりに、ここを越えてくる肥薩線はどういうルートをとるのだろうと興味をそそられるが、とりあえずこちらを回るのは後日である。

   吉松駅とSL

 吉松に到着するとここでしばし発車待ち。この駅では列車の到着に合わせて駅弁の立ち売りもされているようだ。お昼にうどんしか食べていない私はここで弁当を購入する。取り立てて特徴のない弁当だが、意外に旨い。

  

 再び動き出した列車は肥薩線を隼人まで南下する。こちらは先ほどまでの吉都線と違い、手前の山が高すぎて霧島山は全く見えない。非常に深い山の中を抜けていくという印象。常に視界が開けていた吉都線沿線とは対照的である。

 隼人手前の風景

 隼人に到着するとそこで特急きりしまに乗車、これで一気に鹿児島中央まで移動する。これは以前にも乗車した経路。やがて桜島が見えてくると鹿児島である。

   隼人駅で乗り換えて、鹿児島中央に到着

 ようやく鹿児島に到着。当初の予定ではこの後は鹿児島市内観光でもと思っていたのだが、病み上がりに都城で歩き回ったのが祟って(既に1万歩を軽く超えている)、どこかに出向くだけの気力が湧かない。そこでとりあえずはホテルにチェックインして一休みする。今回利用したホテルは法華クラブ鹿児島。最近になって利用が増えてきたホテルチェーンで、ここも大浴場・朝食付きという私の志向に合致したチェーンである。

  鹿児島といえば路面電車

 ホテルにチェックインすると一休み。ようやく身体が動くようになったところで早めの夕食に繰り出すことになる。とりあえずは鹿児島の繁華街・天文館通を目指す。店の選択であるが、やはり鹿児島といえば連想するものは黒豚ということで「いちにいさん天文館店」を訪問することにする。注文したのは「黒豚しゃぶコース(3200円)」

 

 メインは黒豚のしゃぶしゃぶだが、薄切りの豚肉が出汁につけるとすぐに丸まる。そこを引き揚げて食べると、なかなかにしっかりしていて旨い。これを食べると、しゃぶしゃぶという料理は本来は牛ではなくて豚のための料理ではという気さえしてくる。なおここのしゃぶしゃぶはそばダレにつけるというのが独特。これがあっさりしていて意外にいける。

 コースということで揚げ物や小鉢なども出てくるが、これもなかなかに旨い。特に豚とゴボウの煮込みは絶品。やはりゴボウは偉大な野菜だ。

      

 しゃぶしゃぶを食べ終わるとそこにはそばを入れて頂く。これもなかなかのもの。これにさらにスープたっぷりの雑炊。最後はデザートで終了。なかなかに満足のいく内容であった。

 夕食をたっぷり堪能してホテルに戻ると、大浴場で入浴。じっくりと身体を温める。風呂からあがると旅行記の執筆・・・と思っていたが、腹が膨れて身体が温まると疲れが一気に襲ってくる。結局はそのままベッドにダウン。その日は9時頃からベットに入ったまま、眠るとも眠らないともつかぬうつらうつらした状態でそのまま夜中になってしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝の目覚めは最悪に近かった。やはりどうにも眠りが浅い。一晩中、寝ているような半分起きているような状態でうつらうつらとして、気が付けば目覚ましで叩き起こされたという感じ。いつもなら朝からしっかり和食派の私が今日はまったく食欲が起きない。やむなく軽くパンをつまむだけで朝食は終了。そのまま外出することにする。

 

 今日の予定は指宿枕崎線の視察。薩摩半島を走行する日本最南端の鉄道路線で、全線単線非電化路線である。前回の九州周回の時には鹿児島を通過しただけなので、九州南部に残っている未視察路線でもある。まずは快速なのはなで指宿を目指すことにする。

  快速なのはな

 快速なのはなは4両編成で到着する。私はよくあるローカル線の単両ディーゼル観光列車をイメージしていたので一瞬驚く。キハ200系の2×2の4両編成で、内部は転換クロスシートになっている。乗客も非常に多く、平日ということもあって完全に朝の通勤列車。最初は沿線は完全に鹿児島市街で、路面電車が横に見える。路面電車も通っている谷山までは超満員。谷山でかなりの降車があるが、それでも乗客はまだ結構多い。さらに先の坂之上で高校生が大量下車して急に車内は閑散となる。ただしまだこの辺りは鹿児島市街は続いている。市街が途切れるのは平川を過ぎてから。ここら辺りからは沿線風景は急に海沿いを走るローカル線のものとなる。ただ惜しむらくは、海は見えるのであるがこの地域には自然海岸はほとんどなく(大抵何らかの開発がされている)、風光明媚とまでは言い難いところである。

 

 路線はしばし海と山の間の狭いところを通過したり、山の中に入ったりなどと沿線風景はかなりめまぐるしく変化してからようやく指宿に到着する。列車は次の山川まで運行されるが、私はここで途中下車。今日の第一目的地はここである。

  指宿駅は南国ムード

 指宿は砂蒸し温泉で有名な観光地であるが、私の目的は砂蒸し温泉ではない。まずは駅レンタで自転車を借りる。これはJR九州がいくつかの駅で展開している「楽チャリ」というサービスで、電動アシスト自転車をレンタルできる。私の場合はJR使用ということで2時間300円。次の目的地は駅から若干の距離があるので、自転車は非常に有効である。

  指宿いわさきホテル

 自転車をこぎつつ指宿市街を南下する。目指すは市街の最南端に近い巨大ホテル。と言っても別にホテルに用があるわけではない。目的はこのホテルに隣接している岩崎美術館である。岩崎美術館は岩崎グループの創設者で、地域開発にも貢献した岩崎與八郎が収集した美術品を展示したものである。岩崎グループは戦後はレジャー分野にも乗り出し、指宿いわさきホテルを建設、今日の観光都市指宿の基盤を作ったのだとか。


岩崎美術館

    絵画館と工芸館

 絵画館と工芸館の構成になっている。絵画については日本人画家による洋画及び西洋絵画。日本人画家では東郷青児や藤島武二などが代表的だが、もっとも目玉は黒田清輝の絵画。特に「秋草」はこの美術館の看板作品の一つ。まさに「影は紫」の黒田らしい作品だが、黒田の代表作である「湖畔」と共に第二回白馬会展に出品された作品だという。西洋絵画についてはヴラマンクの「雪の道」を所蔵。いかにもヴラマンクらしい力強い筆致で雪道を表現した秀作。

 また場所柄か、さまざまな画家による桜島や開聞岳を描いた作品が展示されていたのが印象的。また個人的に面白かったのは、東郷青児がいつものメルヘン調な画風でなく、写実的な画風で描いていた「岩崎氏の肖像」。多分、岩崎與八郎氏の肖像だろうが、こういう絵を描くこともあるんだということに驚き。

 工芸館のほうはまずはパプアニューギニア民族美術のコレクションの量と強烈さに度肝を抜かれるが、里帰り薩摩と呼ばれる明治期に西洋に輸出された絢爛たる薩摩焼のコレクションにまた唖然とさせられる。


 正直なところ、たかがホテルの美術館と侮っていたところがあったのだが、コレクションの質量がかなり本格的だったのに驚かされた。私の遠征は、全国乗り鉄ツアーでも全国お城めぐりでも全国グルメツアーでもなく、あくまで「展覧会遠征」であることからここははずせなかろうと訪問したのだが、このような地の果てまでやって来た意味は大いにあったというものである。

    橋牟礼川遺跡

左 時遊館COCCOはしむれ  中央 内部は歴史博物館  右 縄文人と弥生人の晩餐

 美術館の見学を終えた後は、ここに来る途中で線路の向こうに見えた遺跡のようなものに立ち寄る。これは橋牟礼川遺跡といって、縄文時代と弥生時代の前後関係を証明することになった貴重な遺跡らしい(それまでは、縄文と弥生は同時代で民族が異なるという説も有力だったとか)。現在は竪穴式住居などを復元した歴史公園になっている。なお近くに「時遊館COCCOはしむれ」なる歴史博物館があるので立ち寄るが、ここは映像などを駆使して縄文文化と弥生文化を解説するかなり本格的な博物館。時間があればじっくりと勉強するところだったが、もう残り時間が限られてきているので残念ながらざっと一回りするにとどめておく。

  駅前商店街は壊滅状態

 これで大体タイムアップ。指宿駅まで戻ってきて自転車を返却すると、枕崎を目指すことにする。なお指宿の印象だが、明らかに今はオフシーズンということを差っ引いて考えても、明らかに寂れているという印象。先ほどの巨大ホテル・指宿いわさきホテルにしてもほとんど人の気配を感じなかった。正直なところ町全体から熱海と同じオーラを感じた。かつての巨大温泉リゾートの凋落パターンをここも辿っているように思われてならない。駅前商店街には九州新幹線開通を祝う看板が出ていたが、これが地元の最後の希望か。しかし既に商店街自体が壊滅状態である。

次の山川駅で乗り換え

 指宿駅に山川行きの普通列車が到着。二両編成のキハ47という標準的な普通列車構成。これで隣の山川駅まで行くと、ここで枕崎行きのやはりキハ47の二両編成に乗り換える。車内にはあまり乗客は多くない。しばし進むと前方に三角形の非常に印象的な形態の山が見えてくるが、これが開聞岳。薩摩半島の先端で海に突き出した形の独立峰で、その優美な形態から「薩摩富士」と呼ばれているとか。標高は924メートルしかないというが、単独でそそり立っているため、数値以上に高い山に見える。この山をホームから眺められるのが日本最南端の鉄道駅である西大山駅。列車はここで2分間の停車。別に対向列車とすれ違うというわけではないので(そもそも西大山駅には交換設備はない)、純粋に観光のための停車のようである。停車した途端に車内の乗客はカメラを持って飛び出すが、駅の方にも既にカメラを持った数人が待ち構えている。どうやら彼らはいわゆる撮り鉄のようで、開聞岳をバックにしたショットを狙っているのだろう。なお彼らは全員車で移動している模様で、「撮り鉄は鉄道に寄生するだけで鉄道には全く貢献しない」という批判も分からないでもない気もしてしまった。もっとも、キチンとマナーを守って撮影している分にはどうこう言うべきものではないとも思うが。

    最南端の駅と開聞岳

 開聞岳を過ぎると沿線は山間の平地の雰囲気に。それを抜けて列車は走るが、どうも路盤の悪さが目立つ。時折列車が飛び跳ねるように揺れるのが気になるところ。元々弱体なシラス台地の上に、保線管理が最低限になってしまっているのだろう。揺れのためにいささか気分が悪くなりかけながらようやく到着した終着駅の枕崎駅は悲しい、悲しすぎるとしか言いようがないところだった。最果ての終着駅というのに駅舎はなく、ただホームがあるだけのまるで仮設の駅だった。表示によるとかつての駅舎は「諸般の事情」で解体されて、駅自体が手前に200メートルほど移動したとのこと。かつて駅があったとおぼしき場所にはスーパーが建っており、「諸般の事情」とはこのスーパーを建設するためというのが推察される。よく駅前再開発などと言うが、ここの場合は駅自体を取っ払ってしまったようである。何となく今日の鉄道の地盤低下を象徴している。

終点枕崎駅は完全に仮設ホーム
 かつての駅舎の姿

左・中央 かつての駅舎跡は完全にスーパーと化している  右 その裏手にひっそりと駅の入口の表示だけが

 枕崎はこの辺りでは拠点と言ってよい規模の町のようであるが、地方の都市の例外に漏れず今一つ活気が感じられない。完全に仮設駅のようになってしまっている枕崎駅には当然のように待避線はないので来た列車がそのまま折り返すだけ。今回の場合は停車時間は30分ほど。スーパーで何か食おうかとも思ったが、時間的に中途半端なために落ち着いて食事している時間はないし、飲食コーナーは昼時で混雑していたようなので、大判焼きだけを購入して駅に戻る。時間のない旅人が手っとり早く食い物を入手するという用途の場合、実のところ本格的なスーパーよりはコンビニの方が便利なのだが、残念ながらコンビニは見あたらなかった(これも田舎に共通の現象)。

 この沿線はこの手の奇岩が多い

 折り返しの列車には途中から大量に学生が乗り込んでくる。どうやら通学の足になっている路線のようであり、だからこそこのローカル線が今でも生き残っているようである。沿線に学校があるかどうかは現在ではローカル線の死命を制しているようである。

左 なのはなDX外観 中央 指定席 右 自由席

左・中央 指定席車両中央の展望スペース  右 指定席シート、このヘッドレストが最悪の位置にある

 列車が終点の指宿に到着するとここで乗換え。ここからはなのはなDXで鹿児島中央まで移動である。なのはなDXは2+1構成の3量編成で、先頭車が指定席になっている。「もし混雑したら嫌だな」と考えていた私は事前に指定券を入手しているが、指定席はほとんど空席で空気輸送に近い状態。あまり需要がないのか。なお指定席のシートはいかにもJR九州らしい木を使用した特製のものだが、リクライニングはしないし、上のクッションが絶妙に最悪の位置にあり(もう数センチ高ければ頭に当たるのに、微妙に低いせいで背中に当たって不快)、正直なところイマイチ感が漂う。快速列車の指定席と言えば似たようなものにJR西のみすゞ潮彩や瀬戸内マリンビューなどがあるが、あれらの観光列車のような特別な仕掛けがあるわけでもない。はっきり言って趣旨が曖昧なのである。

 沿線は最初こそ海が見えるが途中からは市街ばかり、しかも市街部からは乗客が増えて自由席の方は大混雑の模様。やっぱり中途半端な列車なように思われて仕方ない。

 

 鹿児島中央まで戻ってくるとみどりの窓口に立ち寄って「旅名人の九州満喫切符」を購入。これは九州一円のJRの普通列車及び各私鉄の列車が任意の3日間乗り放題というスーパー切符である。切符購入後は一端ホテルに帰還、それから再び夕食のために街に繰り出すことにする。街はやけに賑わっているが、よくよく考えると今日はクリスマスイブ。街の明かりが独り身には身に染みる。ああ、今年もまたロンリークリスマスだ。「きっと君は来ない 一人きりのクリスマスイブ サイレントナイト ロンリーナイト」どうも様にならない歌だな・・・。

 先日は天文館通方面に行ったので、今夜は鹿児島中央方面をウロウロ。最初はトンカツを食べようと考えていたのだが、目を付けていた店は休み。そこでさらにウロウロしたところ「西洋亭ひろはま」という店を発見。どことなく感じるところがあったのでここで夕食にすることにする。注文したのは「ポークステーキセット(1200円)」

 

 まずはスープから登場するが、オーソドックスにしてまずまず。次に登場するのが本命のステーキだが、ジュージュー言った状態で出されてきて食欲をそそる。味付けはいわゆる豚のショウガ焼きだが、ボリュームたっぷり。なお肉が分厚い分味が付きにくくなるのを補うためか、薄い衣をかぶせてそれに味を付けている形態になっており、これがなかなかにバランスが良い。

 CP面を考えるとかなりCPが高いと言えるメニューである。改めて店内を見渡すと「地産地消」を掲げている模様。やはりこれを謳っている店は概してはずれがない。旨いものは地元にありである。

 夕食を済ませるとホテルに帰還、大浴場でゆったりと入浴する。疲れは昨日よりはマシだが、それでも執筆作業は一向にはかどらない。翌朝は早朝から活動開始なので、途中で諦めて早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 この時期の西国の朝は遅い。翌朝5時半の起床時はまだ真っ暗であった。手早く荷物をまとめると荷物を持ったまま食堂へ。大急ぎで朝食をかき込んで直ちにチェックアウトすると、路面電車に飛び乗る。

 

 今日の予定は鹿児島本線−肥薩オレンジ鉄道を経由して八代から肥薩線で人吉に入るというもの。取り出したのは昨日に購入した「旅名人の九州満喫切符」。今日はこれをフルに活用する予定である。鹿児島中央駅の4番ホームに川内行き普通列車が停車している。この路線は電化されているので、車両は平凡な都市近郊型電車。土曜日の朝にも関わらず、二両編成の車内はそこそこ混雑している。

 

 先日の指宿枕崎線と違い、列車が出ると間もなく市街は途切れ、沿線は山の中の風景になる。その直前に一瞬、丘の上にやけに立派な天守閣のようなものが見えたのだが、後で調べたところによるとそれは上野城といって、某企業が建てた典型的なインチキ天守らしい。かつては結婚式場として使用されていたが(お城であげる結婚式・・・洋風のは聞いたことがあるが、和風のは知らない)、その後は廃墟になっているとか。チラッとしか見えなかったので詳細は分からないが、薄明かりの中で遠目に見る分には割と様になっていたような。同じインチキ天守でも尾道城なんかは、遠目から見ても荒廃ぶりとチャチさが分かるぐらい悲惨なのに。

  伊集院近辺の風景

 この路線は今ではローカル線扱いとはいえ、さすがに元々は九州の基幹路線だっただけあって、単線とはいうものの電化はされているし、明らかに路盤も良くて高速対応をしているため、走りは非常になめらかである。列車も結構速度を出しているようである。山が切れて町になったと思えば、伊集院駅。それを過ぎるとまた山になるが、それを越えるとまた町で、今年になって開業した上村学園前駅で大量に学生が降車する。ここから川内までそれなりには住宅がある。

 

 川内駅に到着するとここでこの列車は折り返し。それに乗車するべくホームでは多くの高校生が待ち構えている。それをかき分けて下車すると、ここで肥薩おれんじ鉄道に乗り換えである。肥薩おれんじ鉄道は、九州新幹線の開通でJR九州が放り出した八代−川内間の鹿児島本線を引き受けた第3セクターである。一応線路はここで分けてあり(と言っても障害物を置いてあるだけだが)、その先のホームに止まっている単両編成の車両が肥薩おれんじ鉄道の車両。乗り換え時間が少ないので急いで乗り換える。運行されている車両はボックス型セミクロスシート車で地方のローカル線などでよく見かける汎用タイプ。肥薩おれんじ鉄道の路線はそもそも電化されているはずなのだが、車両維持コストの関係であえてディーゼル車を使用しているという。

  肥薩おれんじ鉄道車内

 当初は車内の乗客は10人程度。なお先ほどの列車からこちらに乗り換えたのは私一人だけだったようだ。まもなく列車は出発。川内を出ると新幹線はすぐにトンネルに突っ込むが、こちらは山を避けて迂回。山の中を抜けていくとやがて海沿いに出る。各駅でチラホラと学生を拾いつつ、しばし海沿いを走行した列車がやがて到着するのが、あまりに「あれ」な市長のせいで有名になってしまった阿久根市。ここで大量の乗降があって乗客が入れ替わる。

    阿久根手前の海と阿久根市駅

 阿久根市の印象は、思っていたよりも大きな街というものだが、話によれば基本的に特別な産業がないという。そのための焦りがあんな市長を選んでしまった原因か。どうも昨今は庶民の公務員に対する嫉妬を煽るだけで票に結び付けようとする政治家が増えており、下はこの市長から上は知事やらかつては総理になった奴までいる。しかしこの手の輩は物事を深く考えない輩のウケは取れてもまともな政策がないから混乱を招くだけ。そもそも公務員を批判しているだけで世の中がうまくいくのなら、2ちゃんねらーを総理にしたら日本が再生する。

    出水駅

 阿久根を過ぎると沿線は再び山の中になり、そのうちに新幹線が見えてくると出水。ここでまた多くの乗降があり、運転士も交代する。列車は対向車とのすれ違いのためにしばし停車。それは良いのだが、その間ドアが開けっ放しなので、今日のような寒い日には車内に冷気が入り込んでくる。ここの車両は「ボタンを押してドアを開けてください」機能はつけなかったのだろうか。

    水俣駅とその先の新幹線軌道

 数分の後に再び発車。再び海が見えるようになったと思えばすぐに水俣である。次の新水俣が新幹線の停車駅だが、こうして見てみると出水−新水俣間は極端に距離が短い。しかも新水俣周辺は何もないところで、なんでこんなところに新幹線の駅をという疑問も湧く。何やら政治的理由がありそうな気がする。路線はここを抜けるとしばし深い山の中に入るが、再び海沿いに出てきたときにはまさに海際を走行することになる。この辺りが肥薩おれんじ鉄道沿線でも一番風光明媚なところらしい。ここで車内アナウンスで観光案内が流れるのだが、この辺りの天草の海は波も穏やかで日本の地中海と呼ばれているとか。「オイオイ、日本の地中海は瀬戸内海のことと違うんか?」とツッコミを入れつつしばしボンヤリと海を眺める。確かに阿久根の手前で見えていた海よりも格段に波が静かではある。この区間では列車は各駅で乗客を拾っていく感じ。終点の八代に到着した時には車内は結構の混雑になる。

左 津奈木駅 中央 この山上に津奈木城がある  右 佐敷周辺の集落

左 肥後田浦駅を過ぎると  中央・右 まさに海のそばに出てくる

 こうして乗車してみると、確かに川内以北の区間は乗客は減少するのでJR九州が切り捨てたがったわけは分かるが、それでも意外と多くの利用者がおり、特に学生の利用が多い。それを簡単に切り捨てたのでは公共交通機関を使命を果たしているとは言えない。もっともこの区間の経営を引き継いだ肥薩おれんじ鉄道の経営状況はかなり苦しいらしい。鹿児島県などでは新幹線が通っていない阿久根市以外は路線維持にあまり乗り気でないのが実態とか。まあJRから切り捨てられたことで本数は減るし、料金はかなり高くなっているし(だから私は九州満喫切符を使用したのだが)、かなりよろしくない条件がそろっていて前途は苦しいと言えよう。何か大きな観光資源でもあれば良いのだが、実際に2時間半をかけて全線を乗りとおしてみると、海と山しかなかったというのが正直な感想で、しかもその中に特筆すべき印象深い場面がほとんどないというのが本音。何か全線を通してのテーマというか、何らかのエピソードのようなものが欲しいという気がする。恐らく個別には観光地もあるのだろうが、それらが全くつながってこないのである。また基本的には過疎化の進行に問題があるので、やはり地域産業としての農林水産業の再建という話になってしまうのであるが・・・。

八代駅に到着

 ようやく八代に到着。ここからは肥薩線に乗り換えて人吉を目指すことにする。乗り換え時間は30分ほどだが、食事をするには不十分な時間。しかも駅前をざっと見渡したところでは適当な飲食店もない。結局は駅の売店で購入した肉まんがとりあえずの昼食。どうも本遠征は昼食が散々である。

左 JR八代駅 中央 駅前風景  右 肥薩線ホーム

 肥薩線のホームで待っていたのはキハ40の単両編成。内部はボックス型セミクロスシートで最終的な乗車率は30%程度といったところか。路線は球磨川に沿って進み。最初は左岸を途中で川を横切って右岸に転じることになる。川沿いを走るので風景はそれなりに明媚。そこで観光路線としての需要を開拓すべく、春から秋にかけてのシーズンにはSLを熊本−人吉間で走らせているようで、沿線ではそのポスターなどをやたらに見かける。地元の観光への熱い期待を思わせる。肥薩おれんじ鉄道もこの手のイベントが必要だろう。また肥薩線の沿線には日本第二の長さを誇るという球泉洞なる鍾乳洞もあり、その名もズバリの球泉洞駅には、車による送迎もあるとの由の貼り紙が出ており心をそそられるが、残念ながら立ち寄っている暇はないので、これは後日の宿題としておくことにする。

左 肥薩おれんじ鉄道と分かれて山岳地帯へ 中央 坂本駅にはSL人吉の案内看板が  右 球磨川を渡る

左 球磨川沿岸を進む  中央 白石駅の駅舎  右 一勝地駅では受験お守りも販売している模様

 川沿いをウネウネと走って、再び川を渡って渡駅を過ぎた頃から、風景は山岳から盆地のものに転じて、列車はようやく終点の人吉に到着する。人吉は球磨盆地の西端に位置する町である。今日の目的地は人吉だが、まだ先に用事がある。ここからくま川鉄道に乗り換えてさらに先に進むことにする。くま川鉄道はこれまた旧国鉄の湯前線を第三セクター化した鉄道会社である。ここまで来たついでにこの路線も視察する予定。と言うわけでの九州満喫切符なのである。

出典 くま川鉄道HP

 人吉駅から跨線橋でくま川鉄道の人吉温泉駅に移動。ホームに待っていたのは、くま川鉄道がSL人吉に合わせて改修した博物館列車ことKUMAである。二両編成の内部はいかにも九州らしく木質の内装となっており、内部には周辺地域の自然などに関する展示などがある。

左 跨線橋の向こうがくま川鉄道 中央 跨線橋は木造です  右 新造なったKUMA

一両目はロングシート車で内部には図書コーナーまである

二両目はボックス型セミクロスシート車両

ボックス型クロスシートの中央には折りたたみ式テーブルが   右 人吉温泉駅の奥に大村縦穴群の遺跡がある

 くま川鉄道の路線は大まかに言えば球磨川に沿っているものの、実際には車内からは球磨川が見えることはあまりなく、どちらかと言えば広大な球磨盆地の真ん中をゆっくりと走っているというイメージの路線である。沿線は最初の人吉周辺こそ町であるが、隣駅の相良藩願成寺駅を過ぎると川沿いの山を開削したらしき間を抜け、次の川村駅を過ぎたところで球磨川の南岸に渡ることになる。ここから先は沿線は笑ってしまうほどの田んぼ。沿線一番の集落と思われる多良木を過ぎると、やがて盆地の東の端に近づき、高山が迫ってきた辺りが終点の湯前である。

左 球磨川を渡ると 中央 笑っちゃうような田んぼを突っ切り  右 湯前駅に到着
 

 湯前はのどかなところ。駅から数分のところにまんが美術館なる施設があるので、列車が折り返すまでの30分強の間に立ち寄る。ここは地元出身の風刺漫画家・那須良輔氏の作品を展示しているらしいのだが、私の訪問時は「特撮フィギュア展」を開催中で、すっかり海洋堂ミュージアムと化していた。ゴジラのフィギュアなど確かに面白いものはあるのだが、九州まで来て海洋堂のフィギュアを見てもな・・・というのが本音だったりする。

 まんが美術館   中にはこの方が

 海洋堂ミュージアム・・・じゃなくてまんが美術館を後にすると再び駅に戻り、乗ってきた列車でそのまま引き返す。列車は再びのどかな球磨盆地を横切りつつ人吉まで。田んぼ好きの私は沿線風景を見ているだけで心が落ち着く。「良いところだな・・・」という言葉が自然に口から出てくる。

  あさぎりで対向車とすれ違う

 人吉駅はいかにも観光地の駅というような雰囲気。駅前には人吉城天守閣(笑)が建っているが、これはカラクリ時計とか。やはりSL人吉にかなり期待があるのか、ここでもSL人吉に関するポスターなどを見かける。そう言う意味ではSL人吉が運行していない今はシーズンオフということになる。確かにのどかな温泉地に人影は決して多くはない。

  人吉駅

 人吉に到着するとまずはホテルに向かう。宿泊するホテルは「朝陽館」。温泉旅館と言えば「お二人様から」のところが多くて、私のような男の一人旅は非常に使いにくいのだが、ここはビジネスホテル形式なので一人で泊まりやすい上に、キチンと温泉大浴場付きというおあつらえ向きのホテルである。とりあえずホテルにチェックインして荷物を置くと、直ちに人吉城見学のために町に繰り出す。

 

 「人吉城」は鎌倉時代からこの地を治めていた相良氏が築いた城郭で、その後も相良氏の支配のまま幕末を迎えている。諸勢力の興亡が著しく、さらには豊臣期、徳川期には大名の国替えが盛んであった中で、これはかなり異例のことである。建造物は西南戦争の際に焼失したが、今日でも立派な石垣が残存しており、100名城にも選定されている。

 

 球磨川流域には河川に面した台地状の丘陵が多いのはくまがわ鉄道の車窓からも感じていたが、人吉城はそのような丘陵の一つの上に地形を利用した形で築城されている。北側は球磨川、西側は胸川に面し、これは天然の堅固な堀となっている。背後は天然の山岳が続き、この崖などが防御機構になっている。城郭は山の斜面に梯郭状に連なっており、山の手前の平地は館があったようである。中世時代は現在の位置よりも奥にあった山城だったらしいが、豊臣期に最新技術である石垣を使用した近世城郭として現在の形態となったという。

左 隅櫓 中央 多聞櫓  右 大手門跡の船着き場

 人吉の町は古い城下町であり温泉街でもあるので、どことなく風情のある町並みである。それを球磨川縁まで南下すると橋の向こうに人吉城が見える。屋敷部分は石垣で囲まれており、再建された櫓がなかなかに絵になって感動的。とりあえずかつての大手門跡から入城するが、この大手門には船着き場もあったようである。

左 屋敷跡 中央 歴史資料館  右 奥に見える山が本丸等

 大手門の中には広大な空間があるが、ここにはかつて重臣の館があったという。またこの一角に人吉城歴史館があり、ここで相良氏関連の資料を見ることが出来る。これによると、決して地盤が強固とは言えない人吉城での石垣建造は難工事だったという。またこの歴史館は「お下の乱」と呼ばれるお家騒動を起こした重臣・相良清兵衛の屋敷跡に建っているのだが、その屋敷跡から発見されたという井戸付きの地下室がそのまま展示されている。この地下室の建造理由については未だに不明であり、諸説紛々としている。これが第二次大戦期なら「防空壕跡」と言われるところだが、何しろ江戸時代だけに謎が多い。誰かを匿うための地下室という気もしないではないが、いざ事があった時のために財産を隠していた部屋という解釈も可能に思われる。

  現地案内看板より

 歴史館の見学を終えると人吉城本丸に向けて登山にかかる。かつての大手方向に向かって歩いていくと、最初に目に入るのが珍しい武者返し付きの石垣。これは石垣の登坂を防ぐだけでなく、いざという時には最上段の石を敵に向かって落とすことも出来たとか。

左 武者返し付きの石垣 中央 水の手門跡  右 CGで復元した水の手門

左 復元した堀合門  中央 御下門跡  右 門を抜けても三方から狙い撃ちされる
 

 ここをさらに進むと復元された堀合門があり、そのさらに先が登城口の御下門跡。この城の防御の要であり、ここにはかつて巨大な櫓門があったという。ここの巨大な石垣が感動ものなのだが、さらにそれよりも感心するのはこの門を抜けた先は、U字状に三の丸が取り囲んでいて、もし城門を突破できても三方向から集中砲火を浴びる構造になっていることである。容易に三の丸にたどり着くことは出来なくなっている。

左 三の丸に上がると正面に二の丸の虎口が見える 中央 三の丸はかなり広大  右 奥に二の丸が見える

左 既にかなりの高度がある  中央 三の丸は東側にひろがっている  右 先ほどの御下門をもろに狙い撃ちできる

 ここを抜けると広大な平地に出るがこれが三の丸。かなりのスペースがあり、多くの建造物があったのだと思われる。

左 三の丸井戸跡 中央 二の丸西方の三の丸に回る  右 三の丸から見た二の丸石垣

 ここからさらに虎口を抜けて登れば、一段高い二の丸跡に出る。ここもかなりスペースが大きく、屋敷などはここにあったと思われる。

左 二の丸虎口  中央 かなり堅固な虎口  右 それを抜けた先に本丸への上がり口が

左 二の丸もまたかなり広大  中央 二の丸の西方にさらに三の丸が広がっている  右 二の丸井戸跡
 

 本丸へ登る石段はこの二の丸の奥にある。本丸は山の頂上に当たるがややこじんまりとしたスペース。本丸と言うよりも天守台というべきスペースで、本来はここに天守を築くべきところであるが、幕府に憚って天守は建造されなかったという。その代わりに護摩堂が建てられたとか。 

左 本丸は結構こじんまりとしている  中央 何やら礎石の跡らしきものが  右 裏手は深い山

 この本丸に建つと眼下に人吉の市街を一望できる。また背後にはかつて人吉古城があったという山々が見え、その間は切り立った崖で天然の要害である。規模も大きく非常に堅固な城で、その威容に感動を覚えた。建造物の全くない城郭でここまで感動したのはかなり久しぶりである。

 

 100名城に恥じないだけの立派な城郭を堪能したところで、気が付けばかなりの空腹となっていた。よくよく考えると今日は昼に肉まんを食べただけで、まともな昼食を摂っていない。とりあえず夕食のために町に戻ることにする。

 

 夕食を摂る店だが、地元で有名という「上村うなぎ屋」に立ち寄ることにする。注文したのは「うなぎ会席(4500円)」

 

 まず最初に出てくるのは「うざく」「骨煎餅」。うざくは酢の具合がちょうど良く、非常に旨い。また骨煎餅も実に香ばしい。

 

 次に「肝煮」と「白焼き」が登場する。肝煮は甘辛い味付けがなかなかだが、肝自体がやや苦みを持っているので、それが少々私にはしんどい。白焼きについては焼き具合が絶妙で非常に旨い。

   

 最後が「蒲焼き」と「肝吸い」。ここの蒲焼きは味付けがやや甘めで私好み。またタレは粘度が少ない意外とあっさりしたタイプ。

 

 確かに評判がよいのは納得できる内容。個人的には蒲焼きが好みに合うので、うな重にすれば良かったかなと言うのが本音。ただ確かに旨いうなぎ屋ではあるが、まるで究極のように言う輩がいるのは言いすぎ。普通に旨いうなぎ屋というところである。

 

 夕食を終えるとホテルに帰還、早速風呂に入ることにする。大浴場は温泉で、浴場に行った途端に硫黄の匂いがプーンと漂い、大きな浴槽に湯がダバダバとオーバーフローしている。なんと贅沢なと感心するが、湧出量が毎分100リットル以上あるからこそできることだろう。そして驚くのは入浴してから。ナトリウム−炭酸水素塩−塩化物泉とのことであるが、下手なアルカリ泉よりは肌がヌルヌルするし、下手な炭酸泉よりも大量の泡が身体にまとわりついてくる。非常に身体に優しい湯で入浴するだけで身体がゆったりするような感覚。まさに恐るべき湯である。

 人吉温泉恐るべし。九州は温泉の宝庫であるが、ここにもまたすごい温泉があったというところである。あまりに感動したので、寝る前にもう一度入浴する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に起床。久々にじっくりと寝たという印象である。目が覚めると朝食に繰り出す。典型的な旅館の朝食というイメージであるがなかなかにうまい。朝食をゆっくりと食べると朝風呂。風呂には誰もおらず、またも貸し切り状態である。朝から心行くまで湯を楽しむ。

  早朝の寒さの中、東向きの窓枠には何やら小鳥が集まっていた

 今日は肥薩線の残り部分を視察しつつ鹿児島に抜ける予定だが、どうせのことだから観光列車「いさぶろう」に乗車するつもりである。これの出発時刻は10時からということでなので、今日は私の遠征には非常に珍しいゆったりペースである。

 

 風呂上がりに「青井阿蘇神社」なる神社のポスターを見る。何やら国宝とのこと。場所を調べてみると、なんとこのホテルから徒歩3分。これは行かない手はないということで早速朝の散歩としゃれ込む。

 外は身を切るような寒さ。ダウンジャケットを着てきたのが正解だったと初めて感じた瞬間である。寒いが完全防寒さえしていれば、そもそも暑がりの私にはむしろ清々しい。到着した青井阿蘇神社の境内にはなぜかニワトリが飼ってあり、コケコッコーを聞きながらの参拝となる。

左 楼門  中央 拝殿  右 本殿
 

 神社自体はごく一般的な、奥に本殿があって手前に拝殿があるというパターン。この建物が国宝指定されているようだが、残念ながら何かの工事中らしく、ビニルシートをかぶっていて細かいところを見学するのは不可能だった。これらの手前には巨大な楼門があり、これも国宝指定。確かに国宝指定されるだけあり、すべての建造物に歴史を感じさせる。信仰心皆無の私だが、こういう建築物の鑑賞は楽しい。

左 奥のホームにいさぶろうが止まっている  中央 車庫  右 人吉温泉駅にはなぜかカッパ
 

 朝の散歩から帰ってくると、10時前までホテルでまったりしてからチェックアウトする。駅で吉松までの乗車券を購入すると(鹿児島ゾーンには人吉−吉松は含まれていない)、駅内で停車しているいさぶろうの車両に乗り込む。いさぶろうには自由席が数席あるが、それは主に地元民用であり、やはり観光客は指定席券を購入して欲しいとのこと。私も指定席券は事前に手配してある。

左 車両外観  中央 側面には車名が  右 内部の風景

左 先頭部分  中央 中央の展望席  右 車両後方のラウンジ

 車両はキハ140形の二両編成。オンシーズンには増結されることもあるらしい。内部はいかにもJR九州らしい木をふんだんに使用した内装。まさに和のテイストである。やはり今はオフシーズンらしく、車内に乗客は多くはない。やがてホームに八代方面からの九州横断特急が到着するが、そちらから乗り換えてくる乗客もあまりいない。なおこの駅では駅弁の立ち売りなどもあり心は動いたものの、朝食をしっかり食べたおかげで腹があまり減っていないのでパスする。

左 九州横断特急が到着  中央 弁当の立ち売りが始まる  右 駅風景
 

 やがて発車時間がやって来て、列車はかなり乗車率の低い状態で発車する。路線はすぐにくま川鉄道と分かれて球磨川を横切る。ここからが本格的な登りである。トンネルを抜けつつかなり急な傾斜を登っていく。この区間は溝の底を走るような感じでトンネルも多く、沿線の様子はまるで分からないが、かなり傾斜が急なことだけは分かる。そして大規模に木が伐採されて視界が開けた場所に出てくると、これが大畑駅である。

左・中央 深い山の中をひたすら登る  右 突然開けるのがスイッチバック&ループの路線

左 大畑駅に到着  中央 木造の駅舎  右 内部には記念の名刺が一杯貼ってある

左 ループ線を登っていく  中央 上から見下ろすことが出来る  右 アップがこれ
 

 大畑駅ではしばしの停車時間。この間に乗客は駅舎などの見学。駅では地元産品の販売なども行われている。大畑駅を過ぎるとそこからはスイッチバックとループ線の組み合わせというすさまじいシステムで一気に標高を上げる。あっという間に先ほどの大畑駅がはるか下に見えるようになっている。さらに急傾斜を登るにつれて風景は完全に高原列車。そしてとうとう雪が舞い始める。その中で到着した次の駅が矢岳駅である。

左 さらに深い山の中を進む  中央  矢岳駅に到着 右 SL展示館

内部にはSLが展示してあります

矢岳駅の木造駅舎とその内部

左 鉄道マニアの撮影大会  中央 本場?和歌山みかん?・・・配売って  右 後でアテンダントが配ってくれた本場和歌山みかん
 

 矢岳駅では停車時間は10分ほど。ここにはSL館があり、D51が展示されている。大量に雪が降る中をSLやら駅舎の見学。乗客は思い思いにカメラを持って散開する。またここのSL館の中でも地元産品の販売があったのだが「本場和歌山みかん販売中」との文字が。本場?和歌山?・・・何やら矛盾を感じることしばし。

  日本三大車窓なんですが・・・残念

 矢岳駅を出ると間もなく「日本三大車窓」と言われる絶景地域にさしかかるのだが、生憎の天候で視界はかなり不良。天候の良い時には遠く桜島まで見えるとのことで、これはまたいつかリベンジしたいものである。

左 真幸駅が見えてくる  中央 スイッチバック  右 幸せの鐘と駅舎

左 真幸駅駅舎  中央 駅舎内部  右 これはよくあるカット

 ここから下っていくと真幸駅に到着する。ここも急傾斜のためにスイッチバックの駅である。なお九州にはスイッチバックが3カ所あるというが、その内の2カ所がこの路線にあるわけで(後の1カ所は豊肥本線の立野駅)、この路線がかなりの高原路線であることが分かる。

 真幸駅でも数分の停車。ここはその名称から縁起が良いと人気だとか。かつては周辺に住宅もあったそうだが、それらは今は移転した(土砂崩れのせいだとか)とかで、今では完全に秘境駅である。ホームには「幸せの鐘」と呼ばれる鐘が設置してある。この鐘は幸せの度合いによって鳴らす回数が違うとのことで、十分に幸せな人は一回、少し幸せな人は二回、とにかくもっと幸せになりたい不幸な人は鳴らしまくれとのこと。思わず20回ほど鳴らしたくなったが、さすがにそれも憚られるので2回だけ鳴らしてくる。

  山を下って吉都線と合流

 真幸駅を過ぎると列車はトンネルを抜けながらひたすら高度を下げて行き、先日にも通過した吉松駅に到着する。いさぶろうはここまでなのだが、ここで向かいのホームに観光特急「はやとの風」が停車しているのでそれに乗り換える。はやとの風は二両編成の車両で、一両目が指定席、二両目は自由席である。やはり木製内装で先ほどのいさぶろうと共通のコンセプトが感じられる。なお鹿児島ゾーン切符を持っている私は、自由席に乗車可能。

左 吉松駅にてはやとの風に乗車  中央 指定席車両  右 自由席のシート
 

 肥薩線の吉松−隼人間は先日にも乗車したように、沿線風景自体にはあまり見るべきところはないのだが、この列車は要所要所の駅で数分停車しつつ鹿児島中央を目指す。途中の大隅横川駅は国登録有形文化財の古い木造駅舎があり、そこの柱には第二次大戦時の機銃掃射によるものという弾痕が残っている。さらに進んだ嘉例川駅も古い木造駅舎で国登録有形文化財の記念碑が建っており、ここでも数分の停車。なおここも九州の例に漏れず、近くに温泉があるようである。ここを抜けると後は隼人を過ぎて終点の鹿児島中央まで。

国登録有形文化財の大隅横川駅には機銃掃射の跡がある

同じく国登録有形文化財の嘉例川駅

車内販売でいもあんパンを購入しました
 

 二日ぶりに帰ってきた鹿児島中央は雨が降っていた。駅の近くで適当に昼食を摂ると、ここから九州新幹線で帰途につくことにする。九州新幹線は相変わらずほとんど地下鉄であるが、たまに地上に顔を出すとそこは雪景色。今日は九州全域で降雪しているらしい。まさかこの冬初めての雪を九州で見ることになろうとは・・・。新八代に到着すると、そこで向かいのホームに停車しているリレーつばめに乗り換え。来年三月には九州新幹線が全通するから、この風景も見られなくなるはずだ。ところでその後は、この大量のリレーつばめ用特急車両はどうなるんだろうか? 未だに老朽車両の多い特急きりしまなどにでも転用されるのだろうか?

 

 熊本からあたりはかなり雪が強くなる。正直なところ、雪の熊本城なんてのを見てみたい気もするが、そんな余裕はないし、そもそも博多まで指定券を買ってしまっているのでそのまま旅を続ける。鳥栖あたりはかなり降雪がひどくなり、既にかなりの積雪も始まっている。あまりの様に「福岡は九州ではなくて山陰である」という言葉が思い出される。ここまで来ると列車のダイヤが気になり出すが、とりあえずリレーつばめは時間通りに博多に到着。博多では雪ではなくて雨に変わっていた。博多で軽く夕食を摂ると共に土産物を買い足すと、山陽新幹線で家路についたのである。

左 新八代での乗り換え  中央 新八代からは在来線に降りる  右 鳥栖を過ぎるとあたりは真っ白
 

 本遠征において一応JR九州路線完乗という事に相成った。とは言うものの、まだ南阿蘇鉄道や平成筑豊鉄道などの旧国鉄系第三セクターは残っている。今回は何だか鉄道マニアの遠征みたいになってきたが、確かに肥薩線の風景には感動したのは事実で、鉄道による旅の醍醐味を味わったとは言える。またやはり九州の観光地としてのポテンシャルはかなり高いと言うことを実感したのである。実際、来れば来るほど見所があるのが九州という印象。これは今後も何度か来ることになろう。特に今回特に気に入ったのは人吉。人吉城のすばらしさもさることながら、町の雰囲気もなかなかに性に合うし、人吉温泉の泉質のすばらしさには驚いた。やはりいずれSLで来てみたいという気持ちが強烈に起こるのであった。熊本も魅力的だし、阿蘇も訪問してみたい。大分からフェリーで上陸して、阿蘇を抜けつつ南阿蘇鉄道の視察も行って熊本に抜ける。そして熊本からSLで人吉に。出来れば球泉洞の見学などもして、翌日は再びいさぶろうで日本三大車窓を。そして鹿児島から帰還。何となくプランは浮かぶのであるが、かなりの大遠征計画になってしまう。そうなればなるほど予算が厳しい。

  博多南行きの新幹線車両 こんなので大丈夫なんでしょうか?

 

超ビンボー伝説

 

 ビンボー、それは金欠 ビンボー、だから貯金ない

 ビンボー、うちの中にある赤字クレイジー

 

 どういうわけだか大ピンチ そんな時こそ、笑って逃げろ

 巨大なローンに立ち向かえ そうさ今、切り詰めるんだ

 みんなの暮らしを 家族の老後を 思えばのしかかる無言のパワー

 

 ビンボー、それが金欠 ビンボー、とても貯金ない

 ビンボー、うちの中にある赤字クレイジー もっとクレイジー

 

 

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