展覧会遠征 広島編2

 

 さて今週の遠征であるが、目的地は広島である。これはひろしま美術館で開催中の「セーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちの旅」を鑑賞するため。印象派+渡欧した日本人画家の作品ということで、私の嗜好とも合致している内容だけに、これは是非とも行っておく必要があるというものである。

 さて交通手段をどうするかだが、美術館1つとなると青春18期間なら日帰り弾丸遠征というところだが、残念ながら会期はこの週末で終わり。ちょうど青春18期間を外れている。となると在来線で行ったとしても大して旅費は節約できない。まして新幹線を使うなどもってのほか。こうして考えると車で行くしか方法はない。とは言うものの正直なところ車での日帰りは体力的にかなりしんどい。どうせなら一泊。しかしひろしま美術館だけなら目的が薄すぎて一泊の意味がない。ここはやはり車を使う必然性のある目的が必要。そう考えた場合に私の脳裏をよぎったのが新高山城の風景。新高山城は小早川隆景が広島県の本郷に築いた山城であり、そのそばを山陽本線が通っている。私は今まで広島に行く度に見上げるような険しい岩山に建てられた「新高山城跡」という看板を目にしており、その風景が脳内に強烈にインプットされていたのである。あまりに印象が強烈過ぎて、これもしばしば夢に見るという状態。ここはついでにこの長年の課題を解決しておこうと思いついた。

 

 当初の予定では土曜に広島市内の美術館を攻略、翌日に帰りがてらに新高山城に立ち寄ることを考えていた。しかし直前の天気予報によると、この日曜からは天候が崩れるとのこと。もし雨が降れば山城見学どころではない(傘をさして足元が怪しい中を登るなんてのは無謀の極み)。そこで直ちに予定を入れ替えることにする。この柔軟性は車での遠征ならではである。

 

 山陽自動車道を本郷まで突っ走るとそこで高速を降りる。後は川沿いの狭い道を「新高山城跡」まで走行、登城口を探す。しかし列車からはあれだけ派手に見えていた城跡の表示が、いざ車で現地に到着してみるとさっぱり分からない。あれだけ派手な表示があるのだから現地に行けばすぐに分かるだろうと考えていたのが甘かった。事前の調査にかなり怠りがあったようである。山の方向に向かう脇道に入ってみるが、ここで完全に道に迷って散々林道のような狭い山道をウネウネ走った挙句に廃棄物処分場のようなところに到着する羽目に。結局は元の道に戻って再び引き返したところ、途中にキッチリ登山者用の駐車場まであるのを発見、ようやくここに車を止めることになる。

左 駐車場は山を見上げる位置にある  中央 登城口の最初は住宅地の合間  右 ここからが本格的な登城路

 登城口は駐車場のすぐ近くにある。住宅地や畑の間を抜けて竹やぶを払った後に作られたらしい階段を登ると案内看板が立っている。地元によって非常によく手入れされている印象で、案内看板の脇にはキチンと竹杖まで用意されていて親切極まりない(私は登山杖は持参しているが)。

 案内看板の脇には杖まで用意

 ここからが本格的な登りになる。道は整備されているものの、かなりの落ち葉が積もっていて油断しているとこれに足元をさらわれる。例によっての登山杖代わりの一脚を使いながら慎重に登るが、日頃の運動不足が祟って登りは体力的にキツイ。早くもヒーヒー言いつつ10分ほど歩くと番所跡に到着する。ここは三段になっていて、平たく整地された跡がある。またこの辺りに鐘の段に向かう分岐道があるが、こちらは下山時に見学することにして先を急ぐ。

番所跡

 番所跡を抜けて早くもぐらつく両足を叱咤激励しながら先に進むと、突然に開けた土地に出る。ここが匡真寺跡。かなりの広さのある曲輪である。ここには城の縄張りを示した看板とベンチが用意されている。とりあえずはここでしばし休憩。伊右衛門で水分を補給する。風景を見るともう既にかなりの高度をあがってきたことが分かる。

匡真寺跡

 

こちらが本丸方向

 ここからしばし急な坂道&階段を登ったところがいよいよ城の本体である。この間は決して長い行程ではないのだが、かなり急なところを登ることになるので体力的には一番キツイ。情けないことに途中で何度も息切れするが、手回しの良いことにあちこちにベンチが設置してある。実に至れり尽くせりである。とにかく単独での登山(結局は下山するまで誰にも出会わなかった)なので、途中で体調を崩してひっくり返ってしまったら命取りである(それでなくても心臓が怪しいと感じる時がある)。途中で休憩を入れながら、なるべく無理をしないようにして登る。

 散々苦しんだ挙句にようやく到着したのが中の丸(二の丸)跡。城の本体はここから左右に広がっており、右手が本丸方向、左手が三の丸方向となる。右手を見ると一段高くなった本丸跡が見える。この本丸部分には自然の石切だけでなく、人工的な石垣を用いていた跡が確認できる。入口らしきものが見えるのでまずはそこに登る。私が登ったのは本丸の搦め手方向になると思われるが、上がった先には虎口の痕跡と思われる構造も確認できる。本丸跡はかなりの広さがあり、数段の構成になっている。正面奥には大手門跡との看板が立っており、右手の奥にもう一段高くなっているところがあり、これが詰の丸。いわゆる近代城郭なら天守台などがある場所である。

左 二の丸入口  中央 こっちは三の丸方面への通路  右 二の丸から本丸方向を望む

左 本丸北西部の石垣  中央・右 本丸搦手口方面には石垣の跡がゴロゴロ

本丸から西方を望む 右手が大手門跡

本丸から東方を望む 奥に見えるのが詰の丸

 詰の丸には自然の巨岩がゴロゴロしているが、櫓的なものを立てずにこれをそのまま見張り台にしていたのだろうか? それともこの上に何か建造物を建てたのか? その辺りは定かではないがとにかくここが山頂にあたるようだ。列車から見えた荒々しい山容の頂点であり、予想通り眺望がすばらしい。思わず「来たぞ!」と大声を上げる。

詰の丸に登る

詰の丸から東方を望む 向かいに見える山に高山城があった

詰の丸から南方を望む

 向かいに見える山が小早川隆景がここに本拠を移す前に「高山城」を置いていたという山である。彼がなぜ本拠を移動したのかは定かではないが、私の推測では、織田や羽柴といった東方の脅威に対抗するために、東側が正面にあたるこの山上に築城したのではと思われる。東方から攻撃された場合、まずこの城の手前の川が防衛線になり、さらに山容はそこに覆いかぶさるように急峻である。こっちの方向からは極めて難攻不落であると考えられる。

  

高山城の山上は明らかに平らに整地した跡がある

 詰の丸を降りると、本丸の大手門跡から下に降りる。かなり崩落してしまっているので慎重に下っていく必要があるが、明らかに大手道がここに存在したのは確認されるし、またこの方向にも石垣を築いていたことが分かる。二段ほど降りたところが釣り井の段であり、ここには山城にとって最重要ともいえる水を確保するための井戸がいくつも残っている。

大手門跡を下から

釣り井の段には多くの井戸跡が残る

 下から見た時には非常に尖った山のように思われ、こんな山上にどうやって城郭を構えたのかと考えていたのだが、いざ現地に立ってみると驚くぐらいに規模の大きい城郭である。この釣り井の段もかなりの広さだが、これを取り巻くように一段高い曲輪が配されている。井戸の数と言い、曲輪の規模と言い、かなりの人数が長期籠城できることを想定していると考えられる。

釣り井の段から中の段方向を望む

 ここから中の丸の先端にグルリと回り込む。この辺りはまだ十分に整備されていないのかかなり鬱蒼としていて、足下が積もった枯れ葉に埋まる。

左 中の丸先端の石垣  中央 鬱蒼としている  右 中の丸から釣り井の段を見下ろす

 中の丸を抜けると二の丸に戻ってくる。ここをさらに進むと二の丸の端に当たる中の丸がある。ここは一段高くなっており、二の丸の西端を守る形になる。三の丸がさらに西に隣接しているが、ここは完全に分断されている。

  

中の丸は城の中央に位置する 奥から三の丸方向はかなり急

 中の郭の見学を終えると、二の丸入り口に回り込んでから、三の丸の方に向かう。ここも数段に分かれており、西の丸が奥に見える。そのさらに奥に北の丸などもあるようだが、ここから先は完全に鬱蒼とした中にあるので、これより先に進むことはあきらめる。

左 石弓の段と中の丸の間には堀切がある  中央 奥に見えるのが西の丸  右 西の丸

 城本体の見学を終えると番所跡まで下っていき、ここで先ほどの分岐から鐘の段の見学に向かう。鐘の段は手前の丘の上に構えられた独立曲輪で、小規模ながらも三の丸、二の丸、本丸を持った構成になっており、新高山城が築かれる前から存在していた古代山城跡ではと考えられるとのこと。

 

鐘の段は奥行きがかなり広い

一番奥には手狭ながらも一段小高くなった本丸に当たるスペースまである

 とにかく想像していた以上に規模の大きい城郭であった。下から見上げた時には、こんな急な山を登れるだろうかと懸念したが、いざ登ってみるとあまりの見どころの多さに完全に疲れを忘れていた。見学には2時間近くを要しており、サクッと見るだけのタイプの私としては異例の長時間視察。つまりそれだけ規模が大きくて見所も多かったと言うことである。

 城郭の構造的には吉田郡山城と似たところがあり、毛利氏山城のパターンが分かるような気もした。地元民による整備も行われているようで、枯れ葉の多さに足を取られそうになったが、基本的には下草などは刈られていて非常に見学しやすくなっている。城郭の規模、遺跡の保存状況、さらには小早川隆景の居城だったという歴史背景、いずれの点からも100名城に値する城郭と感じたのだが、100名城に選定されていないばかりか、このあまりの知名度の低さはなぜなのだろうか?

 午後から気温が上がり、なんと道の先に蜃気楼が出ている

 汗だくになりつつ城の見学を終えると、再び高速に乗って一気に広島を目指す。途中、挙動不審の車にいきなり幅寄せをされてヒヤッとするが、運転席を見てみるとなんとフランクフルトらしきものを食べながらの片手運転。思わず「バカか」と叫びたくなる。どうか頼むから、死ぬ時は一人で死んでくれ。こんなバカの自爆に巻き込まれたらたまったものでない。それにしてもこんなバカにまで運転免許を与える日本の制度にも問題はある。

 途中で昼食などを摂りつつ、ようやく3時前に高速を降りる。広島市内は相変わらずの大混雑でとにかく運転がしにくい。またよく言われるように広島の運転は荒い。福岡の運転もひどかったが少しタイプが違う。福岡の運転が滅茶苦茶だとしたら、広島の運転はガラが悪いと言うべきか。何となく大阪の運転によく似ている。

 

 苦労しつつようやくホテルに到着。今回宿泊するのはドーミーイン広島である。このホテルの難点は駐車場がやや離れていること。とりあえずホテルのフロントで駐車場の位置を確認すると、車はさっさと駐車場に入れてしまう。交通の便が良くて市街がコンパクトな広島では、車で移動するよりも徒歩+路面電車の方が圧倒的に機動力がある。

 ホテルに車を置くと徒歩で向かうのはひろしま美術館。そもそも本遠征の主目的である。

 


「セーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちの旅」ひろしま美術館で2/27まで

 明治以降、西洋絵画のメッカとも言えるパリには多くの日本人画家が修業のために訪れている。それらの日本人画家がセーヌの風景を題材に描いた作品と、彼らがお手本にしたとも言える当時のフランス絵画を併せて展示している。

 日本人画家達の作品は、もろにセザンヌの影響を受けているもの、モネの影響を受けているものなどお手本が明からさまに分かる作品が多かったので、その点でなかなかに笑えた。これらの修行を経て彼らは自らの画風を確立していっているわけであり、明らかに後の彼らの作品とは作風が異なっているようなものが多数あったのが興味深い。例えば日本画家・小野竹喬の西洋画などかなりレアなものも。

 一方のフランス絵画であるが、モネなどの定番ものはともかく、意外と多くの画家の作品が展示されていた。その中でもルソーの作品が結構あったのが個人的には収穫。


 美術館からプラプラと帰っていると、田渕久美子トークショーの看板が掛かっている。どうやら「大河ドラマ脚本家」という看板を生かして稼ぎまくっているようだ。しかし肝心のドラマの内容があれでは・・・。正直なところ、トークショーなんてやってるぐらいなら、もっとまともな脚本を書けと言いたいところ。「江」はシナリオのひどさに関しては大河史上ダントツであることは明言できる。歴史無視はともかくとして、肝心のドラマが全く面白くないのだからヘボ脚本としか言いようがない。いっそのこと単にウケを狙うなら、大河ドラマ「戦国BASARA」というのもあり。このまま行けば数年後には「花の慶次」が大河ドラマ原作か。

 

 ホテルまで戻ってくると、まずは大浴場で汗を流すことにする。やはりこれあってのドーミーインである。サッパリして一息ついてから、改めて夕食に繰り出すことにする。

 目を付けていた店は、残念ながら予約で満員。やむなく別の店を探して夜の広島をプラプラとする。そのうちに広島繁華街の中心のパルコの辺りまで出てくる。この辺りで有名なのはお好み村だが、正直なところ今日はお好み焼きを食べたいという気分ではない。適当な店を探しつつさらに東にプラプラしたところで、「海鮮問屋ながはま」という店を発見。ここで夕食を摂ることにする。

   お通し

 何やら元気な親父さんが仕切っている店である。とりあえずは親父さんのお勧めで「鰯の刺身」を、さらにがっちり夕食を摂りたいという私の要望を伝えたところ「にぎり寿司」を勧められたのでこれも注文。

 いずれもなかなかにうまい。店の選択に間違いはなかったようだ。次はやはり広島と言うことで「牡蠣の天ぷら」。牡蠣と言えばフライの方がイメージが強いが、親父さんの言によると天ぷらの方がごまかしが効かない分、絶対にうまいとのこと。

 確かに親父さんの言に嘘はなかったようである。まだ少し小腹が寂しいと言ったところ、それなら煮魚辺りはと言うことなので「めばるの煮付け」を注文。待っている間に親父さんが自分で採ってきたというもずくがサービス。これが異様にうまい。私はもずくは嫌いだったはずなんだが・・・。

 最後に煮魚をいただいてこれでお勘定は5000円とのこと。まず文句のない内容であった。酒のダメな私でもしっかり飯を食えたという点がポイント。居酒屋系統は酒が飲めない者にはどうしようもない場合が多いので。

 

 夕食を終えるとホテルに帰還。さて旅行記の執筆と思ったが、疲労が強すぎてサッパリ文章が浮かばない。そこで諦めてぼんやりとテレビを見る。そのうちにドラマ「遺恨あり」が始まる。これは先の福岡遠征の際に秋月郷土館で宣伝していた臼井六郎の話。幕末に藩の方針についての意見の違いから執政の臼井亘理が暗殺される。両親を殺された六郎(暗殺者は亘理の妻まで殺害する)は敵討ちを考えるが、明治新政府になって仇討ち禁止令が発布され、敵討ちは武士の美徳から殺人という犯罪に変わってしまう。しかし納得のいかない六郎はついに敵討ちを実行、犯罪者として裁かれることになるというもの。

 

 結局はこのドラマに最後まで見入ってしまって、食べに行くつもりだったドーミーイン名物の夜食のラーメンを食いそびれてしまった。なおこのドラマ、最後まで見せるだけのものはあったし、主役の演技も腰が据わっていてなかなか。ただテーマが拡散しすぎたせいでドラマとしては弱く、最終的には「一体何を言いたかったんだ?」という疑問が残ってしまう出来だった。またドラマのために史実をアレンジした部分がことごとく余計な印象を受けたことから、もしかするとドキュメントの方が良かったのではという気もした。ドラマとしての色づけだろうが、無理に女性を絡ませたのは明らかに蛇足。

 

 さすがに今日は山城攻略で疲労が強い。ベッドに入ると翌朝まで熟睡したのだった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に起きるとまずは朝食。今回はかなり予定に余裕があるので、朝食後は朝風呂に入ってしばしまったりとする。チェックアウトしたのは9時過ぎ。まずは広島市内の美術館攻略から。

 


「日本画」の前衛 1938−1949」広島県立美術館

 

 明治以降、日本画の世界では常に改革を志向した「前衛」の動きは存在していたが、その中でも昭和の太平洋戦争前後の時期の動きに注目した展覧会。

 日本画の変革と言えば洋画の影響が大きいのだが、展示作品にも明らかに洋画的なものが多々見られ、今日に言われている「洋画と日本画の違いは最早画材の違いしかない」という状況がこの頃から現れてきている。さらには具象から抽象への流れなども現れている。

 これ以外で特徴的なのは、時代柄どうしても国策的な戦争絵画が登場すること。ただこのことは芸術的な潮流には直接的な影響はほとんどしていない。

 やはり「前衛」とついた時点で私にはついて行きにくい。具象表現から内面表現に移るのは結構であるが、多分にしてそれが独りよがりに落ちがちなのいかなものか・・・。


 美術館の駐車場から車を出すと次の目的地へ走行。サティの駐車場に車を入れると比治山ウォークを通って次の美術館へ。

 


「サイモン・スターリング―仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)」広島現代美術館で4/10まで

 

 イギリス出身の芸術家サイモン・スターリングの展覧会。彼は歴史にエピソードを取った仮面劇を行っており、本展でもそれに使用した仮面などが展示されると共に、その劇に関するエピソードを上映している。

 源義経のエピソードを元にして、それに冷戦下の社会情勢を絡めた仮面劇については、そういうのもありかという印象しか抱かなかったが、作品として面白かったのは「雑草の島」。すべての作品に社会風刺的な感覚があるのがこの人物の特徴か。木造船の船体自身を燃料にしながら、最終的には沈没してしまう「オートザイロパイロサイクロボロス」なんて、ある意味では蛸が自らの足を食べている現代社会みたいなもんだし。


 これで広島での予定は終了。後は帰途につくだけだが、さすがにまっすぐ帰るだけでは芸がなさすぎるということで、途中で寄り道することにする。目的地に選んだのは竹原。今まで何度か浮上しながらそのたびに予定が流れていた場所である。高速を河内出口で降りるとそこからひたすら南下する。

 国道432号沿線は山ばかりのところなのだが、それを抜けると竹原市街。地方都市なのだが、例の「比較効果」のせいでやたらに大都会に見えてしまう。ここに立ち寄ったのはこの地にあるたけはら美術館を訪問するため。美術館は商工会議所などの入居しているビルの2階にある。駐車場に車を止めると入館。


たけはら美術館

 竹原出身で総理大臣になった池田勇人氏のコレクションを展示した美術館。展示品には川合玉堂、安井曾太郎などの絵画などもあったが、どちらかというと工芸品の方に面白いものがあった。ただ一室のみの展示なのでかなり小規模。


 もう昼時なので竹原で昼食をと思ったが、めぼしい店がない上に、車を止める場所がない。そこで近くの道の駅でも立ち寄ろうかと思うと、駐車場の前には車が長蛇の列。まさか行列して道の駅に入る気もしないので、先に進むことにする。

 ここからは海沿いの国道185号をひたすら疾走。途中で前方にかなり怪しい運転をする車がいて閉口するが、この車は途中でパチンコ屋へ。どうやら「変な運転をする輩→人間的にアレな輩→パチンコ」という黄金則がまたも成立したようである。

 途中でパーキングエリア「エデンの海」なる場所に車を停めて海を眺めたりしつつ、海沿いを走ることしばし。やがて到着したのが「見晴らし温泉夢の宿」。ここで休憩がてらに昼食にすることにする。

 施設はいかにも昔からの温泉ホテルという印象。ただ今は日帰り入浴がメインに思われる。人気があるのか隣接する立体駐車場は車が一杯。施設の雰囲気としては先に訪問した久留米温泉にそっくりである。

  

 入浴料1200円はやや高めに思われるが、これで館内着及びタオル類がついて来るので手ぶらでOK。これで一日遊べることを思うとそう高くもないか。なお泉質はナトリウム−カリウム塩化物泉。やや赤っぽい着色をしているが、館内の説明によると鉄分やマンガン類が消毒用の塩素と反応した結果とか。海のそばのナトリウム塩化物泉ということで、私が常々言うところの「単なる海水」に近いものであると言えなくもないが、浴感自体は悪くないし、風呂からの見晴らしは良いので人気のあるのは納得。低温風呂にゆっくり浸かりながら海を眺められるようになっているのは施設としては旨い。

 

 なお昼食がまだであったので、館内のレストランで昼食。蛸釜飯に車エビの造り、蛤の酒蒸しで1780円。まあ悪くはないところ。

  

  

 結局はここで予定以上にゆったりとくつろいでしまったので、この後は自宅に直行。当初の予定では岡山にも立ち寄るつもりだったが、風呂に入ってゆっくりしたらそんな気は失せてしまったので、これは後日に変更することにする。

 

 広島の美術館を転々としつつ、山城を一つ攻略したというのが本遠征。やっぱり山城を含めるとどうしても体力の限界が来るので、後の行動力にかなりの制約が来る。もっともあの険しい山城を攻略したのは一つの自信にはつながるが・・・。

 これで広島訪問は何度目になるか分からないが、正直なところ広島には既に馴染みすぎたというか、刺激がなくなってきたというのが本音。今後は広島については周辺地域を絡めていかないとモチベーションの維持がしんどいなと感じたのが今回。やはり本質的に私は飽きっぽいんだろうか。

 

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