展覧会遠征 能勢編

 

 私は先の北海道遠征の際、立ち寄った東京でスルッと関西2DAY切符を入手していたのだが、その切符をなかなか使用する機会がなかった。さすがにそろそろ使うべきと思い立ったのが今回である。そのために今回は鉄道視察色が強い遠征になってしまっている。

 関西の私鉄を見回した時、未だに完全視察を終えていないのが阪急、大阪モノレール、神鉄。そしてまだ全く未視察なのが能勢電鉄である。この中で神鉄は後日に譲るにしても、位置的に見て阪急、大阪モノレール、能勢電鉄は一気に片づけてしまうべきだろうというのが順当な考えという奴である。

 とは言うものの、鉄道マニアではない私の場合、一日鉄道乗り続けなんてのは性に合わない。となると能勢電鉄に乗るなら妙見山を訪ねるのが妥当な線で、後は出たとこ勝負というところだろう。この線に沿ってざっくりとした計画を立案した。

 出典 阪急電鉄HP

 しかしその計画は初っぱなからつまづいた。と言うのも、早朝出発を想定していた時間に私が起きられなかったのである。なんかだんだんとダメダメ化していることを感じつつ、どっちみち今回は出たとこ勝負なのだからととにかく出発する。

甲陽線ホームは本線ホームと垂直に交差

 高速神戸で阪急に乗り換えると、まずは特急で夙川まで。阪急の未視察支線である甲陽線を視察することにする。甲陽線のホームは大阪方面行きのホームとそのままつながっており、Tの字構成になっている。一応本線と連絡線はあるようだが、それは回送などのためだけのようで、そちら側には乗車ホームはなく、乗車ホームは盲腸線の方にだけついている。

 沿線はいわゆる典型的な「山の手」住宅地。全線単線で3駅だけの短い支線。両端の夙川と甲陽園が一本しか線路がないため、中間の苦楽園口で両方向の列車を入れ換えてピストン輸送されている。

甲陽園駅と駅前風景

 終点の甲陽園にはすぐに着くが乗客は結構多い。私は乗車してきた列車ですぐに折り返そうと思っていたが、朝にバタバタと出てきたせいか、ここにきて急に腹の具合が悪くなってトイレに駆け込む羽目に。

 そう言えば最近は駅のトイレにもバリアフリーの観点から整備された洋式トイレが増えてきていて助かる。こういう点は日本もかなり文化レベルがあがってきたと感じる。昔は駅のトイレと言えば、臭い、汚い、気持ち悪いの3Kが揃っていてとても使えたものでないというのが常識だった。あの大阪万博の頃でも公衆トイレと言えば和式が常識だったから、使い方がわからない外国人が右往左往なんて話もよくあったという。こういう話を聞いているから、中国なんかはオリンピックや万博を開催する時に慌てて公衆トイレを整備している。まあそもそも和式トイレは着物にふんどしが前提のシステムであって(これだと裾をめくってそのまままっすぐにしゃがめる)、服装が洋式化した今日では実質的に使用は無理がある(ズボンをずらしただけだとまっすぐにしゃがめないので、後ろに尻を突き出してふんばる不自然な姿勢をとらないといけない)。この頃は外出先でまともなトイレを探そうと思えば、デパートにでも駆け込むしかなかった。トイレ環境の改善は私のように胃腸が丈夫でない旅行者には大きなことである。

 これが夙川駅の本線との連絡線

 とりあえず次の列車で夙川に戻るが、こういう時に運行本数の多い都会の列車は便利であると実感する。帰路は往路よりも乗客が多く、この二駅しかない盲腸支線が未だに生き残っている理由をまざまざと感じる。夙川で本線に乗り換えると、隣の西宮北口で今度は今津線に乗り換える。

 

 この路線は非常に乗客が多くて列車編成も長大。このまま今津線で宝塚に向かうが、沿線はやはり山の手住宅地。なお終点の宝塚にはどことなく温泉地のムードがある。やはり古い観光地なのだろう。

宝塚駅で梅田方面の急行に乗り換え

 この宝塚は終端型のターミナルになっていて、ここから西宮北口方面と梅田方面の列車が往復している。ここで私は梅田行きの急行に乗り換え、能勢電鉄の乗換駅である川西能勢口を目指す。この沿線も典型的な山の手住宅地だが、私の原記憶に強烈に訴えるような風景。こういう風景は私が子供の頃から見慣れているものだ。

 川西能勢口駅で能勢電鉄に乗り換え

 川西能勢口から能勢電鉄に乗り換える。能勢電鉄は一応は阪急とは別会社ということになっているが、阪急の子会社になっているので実質的に阪急の支線扱いであり、乗り換えも高架駅のホームでそのまま乗り換えで、中間改札の類は全くない。車両も阪急カラーの車両がそのまま運行しており、阪急との区別は全くないと言って良い。

 山下を過ぎると沿線はこんな感じ

 妙見口行きの能勢電鉄車両は4両編成。私は勝手に山岳路線のイメージを持っていたのだが、実際には日生中央との分岐駅である山下までは郊外の住宅地で乗客も多い。山岳路線めくのは山下をすぎてからで、ここからは乗客も激減する。光風台、ときわ台といった駅名からすれば、新興住宅地開発もなされているようだが、列車から見る限りではあまりそのイメージはない。

  

妙見口に到着

 終点の妙見口は山間の小集落の駅というイメージ。ここからバスでケーブルの駅を目指すのだが、そのバス停がよく分からなくてしばし右往左往。駅前にバス停と書いた立て札があるのだが、時刻表などもなくどうもバス停ぽくない。「?」と思ってその看板をよく見てみると、バス停と書いてある上にほとんど消えかけた矢印がついている(色インクが日焼けで消えたようだ)。そこでようやく意味が飲み込めて、私と同じくバス停を探していたと見受けられる二人連れ(祖母と孫という雰囲気)に聞こえるように「こっちだ!」と叫んでから矢印の方に向かう。

妙見ケーブル

 何とかバスの時刻に間に合う。ケーブルの駅までは歩いて歩けない距離ではないが、そもそもハイキングのつもりのない私としてはあまり歩きたいとは思わない距離。ケーブルの駅は見上げるような斜面の麓にあり、傾斜はかなりある。昔から寺院はとかく山城よりもさらに堅固な山深くにあるものだが、ここもそのようだ。ただ山城と違って寺院の場合は参拝客にも来てもらわないと困る(儲からない)ということがあるので、結果として寺院のある山にはケーブルが設置されるということになる。高野山しかり、比叡山しかり、山寺にはケーブルカーが付き物ということになり、中には鞍馬寺のように自前で直接ケーブルカーを運営しているところまであるぐらいである。

 

 ケーブルカーは5分ほどで急斜面を駈けあがる。ケーブル山上駅の先にはちょっとした遊園地的広場があるのだが、そこまでが登り斜面でこれが意外にキツい。すぐに息が上がる自分が情けなくなるが、他の客も結構苦しんでいるようであるので、やはり見た目よりもかなりキツい斜面のようである。私は現在肉体改造計画の実行中で、ダイエットと体力強化を同時進行しているのだが、これが成功した暁にはこの斜面を駈け上がれるようになるだろうか?

 妙見の水

 広場には妙見の水なる名水が湧いている。口にしてみると柔らかくて癖のない軟水で非常に飲みやすい。恐らく料理や飲料など日常使用には非常に使いやすい水だと思われる。ちょうど空っぽになっていた伊右衛門のペットボトルにこの水を補充しておく。

  

シグナス森林鉄道とアプト式レール

 またここにはシグナス森林鉄道なる鉄道路線が走っているのだが、これは実際は遊園地の遊具のようなもの。さすがに私もこれには乗る気にはならない。

リフト周辺はアジサイが咲きすぎ

 ここからはリフトでさらに山上を目指す。現在リフト周辺はアジサイが見頃だとかで、確かに多くのアジサイが青い花を咲かせている。ただ美しいのだが、あまりに育ちすぎていてリフトにこすれるような箇所があり、足がガサガサとアジサイの中に突っ込んでしまったりする。もしウェットルキング(「ケロロ軍曹」を参照)でもいたらどうするんだということが頭をよぎる。

   妙見山の参道

 リフトはかなりゆったりしたペースで山上に到着する。ここからしばし歩いた先が妙見山である。距離は少しあるが、道はほぼ平坦で楽なものである。しばし歩くと駐車場及び参道口に出る。ついでだから見学していくつもりだが、ここからはしばし登りになる。

 これが信徒会館   風景は抜群

 やがて一番登ったところでガラス張りのかなり近代的な建物に出くわすが、これが信徒会館とか。この辺りは格好の展望台になっており、何となく商魂を感じる。妙見山は日蓮宗の霊場であるが、けんか別れした分派の某カルト新興宗教といい、やはり日蓮宗系は商売熱心であるようだ。

 本堂はここから若干下がった位置にあり、ここにも自然水が湧いているようだ。一口飲んでみると、やはり妙見の水と同じ軟水系である。日本人には軟水の方が馴染みやすい。

 地場サイダーの桜川サイダー

 本堂に参拝を済ませると参道筋に戻ってくる。参道筋の土産物屋で地場サイダーの桜川サイダーを飲んでクールダウン後、再びリフトとケーブルを乗り継いで下山する。時間と体力によっては帰りは徒歩での下山も考えていたのだが、時間は予定よりも遅れ気味だし、体力はともかく灼熱がどうしようもなく、無理はしないことにする。

 のどかです・・・

 ケーブルで下まで降りてくると、駅行きのバスの時刻を確認。しかしどうやら最悪のタイミングで来てしまったようだ。恐らくバスの運転手の昼休みなんだろう。ちょうどパターンダイヤの1本が丸ごと抜けており、次のバスまで40分以上ある。いくら何でもこんなに待てない。ここから駅までは徒歩20分とのこと。意を決して歩くことにする。

 歩いてみると分かるがこの辺りは非常にのどかな集落である。途中で数組の登山客らしきグループとすれ違いつつ、駅にはきっかり20分で到着する。下りでこれなのだから、私の足では往路は20分では無理のようである。

 

 能勢電鉄は10分ヘッドで運行されているが、次の列車までしばし時間がある。ここまで歩いてきたところで腹が減ったので、とりあえず次の移動の前に昼食を済ませておくことにする。駅前の土産物屋兼喫茶店の「かめたに」に入店して「カツ丼」を注文する。何てことない普通のカツ丼だが、空腹でへばり気味の私の体に染みる。なおやはり水の良さが料理にもよい影響を与えているようである。

  

 腹を満たすと能勢電鉄で山下まで戻るとここで乗り換え、日生中央に向かう。日生中央はまさに郊外の新興住宅地の中心のようなもので何の面白味もない。そこでそのままその列車で折り返す。

  

 これで能勢電鉄の視察は終了。川西能勢口まで戻ってくると阪急で石橋に移動、ここからは支線の箕面線に乗り換える。石橋駅はV字のホームになっていて、箕面線は基本的に区間内往復だが、宝塚線から乗り入れる線路もあるので梅田方面との直行運行も出来るようになっている。乗客も多い。

石橋駅で箕面線に乗り換え

 沿線は終点の箕面まで住宅地の真ん中。終点の箕面は箕面温泉の名前から温泉観光地をイメージしていたが、実際は住宅地の印象の方が強い。なお箕面温泉観光ホテルが近くにあるはずだが、どうも何かと良い評判を聞かないし、スケジュールがかなり遅れているのでパスする。

  

箕面駅前と箕面駅

 石橋から次の蛍池に移動すると、ここからは大阪モノレールに乗車する。まずは万博公園まで移動。このモノレールには何度か乗っているが、やはり回りに何もないモノレールは「浮いている」感が強く、見晴らしはよいが高所恐怖症には少々辛い乗り物である。万博記念公園駅で下車すると、ここから大阪モノレールで未視察路線の彩都線に乗り換える事にする。

左 モノレールで移動  中央 眺めはよいが少々恐い  右 万博記念公園駅に到着

モノレールのポイント切り替え

 ところでモノレールの交通機関としての弱点の一つは、ポイントの構造が複雑になると言う事だと言うが、この万博記念公園駅周辺はそのモノレールのポイントが多数ある凄まじいところである。そもそもこの駅の東に彩都線と本線との分岐のポイントがあるし、西には車庫に接続するためのポイントがある。モノレールのポイントは巨大なレールを強引にガクガクと動かしてつなぎ替えるのでかなり豪快なものである。

 しばしの後、彩都線の車両が到着する。この路線も基本は線内往復の模様(時間帯によって空港直通便などもあるようだが)。最初は万博公園の東側を回りながら、千里の新興住宅地(と言うにはまだ未開発部分もある)を北上していく路線。終点の彩都西は現在開発進行形中の郊外住宅地といった趣のところ。正直、私がもっとも興味を持てないタイプの町である。

   彩都西駅と駅前

 これで大阪モノレールも完全視察完了。大阪北部の基本的に縦ばかりの鉄道網を結びつける唯一の横線であるモノレールは、区間によって乗客数が大きく変わるというのが印象的。地下鉄にするほどの乗客は見込めないからモノレールという選択だろうか。またエキスポランドが閉園になった事も乗客数には響いているとは思うが、基本的には必要な路線であるというのは感じられる。

 

 万博記念公園駅まで戻ってくると、隣の山田駅に移動する。ここで阪急千里線に乗車。ここがいよいよ阪急最後の未視察路線。まずは終点の北千里へ。しかしここもご多分に漏れず大阪周辺住宅地の中。ここで折り返すが、基本的に駅名に千里がついている辺りは新興住宅地だが、それが外れた辺りから古い密集地帯の隙間をウネウネと走る路線に転じる。なお淡路以南は私が以前に大阪に居住していた時に惨々日本橋へのアクセスルートとして利用していたので、いまさら視察の必要もなし。これで阪急も完全視察終了である。こうして全路線を乗車してみると、阪急は非常に合理的に人口密集地のみを走行していると感じる。そう言う点では非常に採算性の高い路線だと思われるのだが、このような阪急でさえ最早鉄道本業では利益が出ないと言われているという事は、もう既に公共交通は民間が経営するのは無理な時代にさしかかりつつあるのかという危機感も抱く。

   阪急北千里と駅前

 この時点でもう夕方になってしまった。当初予定では最後に美術館に立ち寄るつもりだったがもう既に間に合わない。美術館遠征のはずが美術館抜きという主旨の曖昧なものに・・・。これでそのまま帰るのもなんだので、最後に尼崎城に立ち寄る事にする。

 

 「尼崎城」は尼崎藩の藩庁だった城郭で、江戸時代に戸田氏鉄が戦国期の城跡に築いた城郭である。その後、城主は転々として幕末期には松平氏の支配下に会ったとか。河川を防御に使用した水城だったが、明治の廃城で建物は破却され、しかも昭和には空襲にあっており、現在は尼崎の市街地の中に完全に埋もれてしまってその遺構は全く残っていない。ただ現在、当時を偲ばせるべく石垣に土塀が模擬復元されているという。

遠くから見る模擬城壁はそれなりに趣があるが、近づけば所詮は張りぼてのようなもの

 川を渡ると模擬復元された城壁が見える。遠目に見るとそれなりに様になっているが、実際にはこの城壁の向こうにあるのは図書館の近代的な建物で、そもそもの本丸の跡も今では学校になってしまっている。

小学校の校庭にある尼崎城の模型とその近くにある城跡碑

 図書館から学校周辺をプラプラと散策したが、確かに見事なまでに遺構は残っていない。辛うじて水路や道路の配置にかつての堀跡の痕跡を感じるぐらいである。なお現地の小学校の校庭に尼崎城の復元模型が設置されていて見学可能であるが、往時の姿を偲ばせるのはこの模型と石碑ぐらいか。

 

 これで本日の予定は終了。このまま阪神と山陽電鉄を乗り継いで帰途についたのであった。なんかやはり最後まで主旨が不明な遠征(と言うほど遠くには行っていないが)であった。

 

 

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