展覧会遠征 富山編

 

 先週の台風12号は紀伊半島を中心に近畿地方に大きな被害を与えた。多くの命も失われておりいたましい限りである。犠牲者のご冥福をお祈りすると共に、被災者の復興のために国を中心とした早急な支援を願いたいところである。

 

 私も先週はもろにこの台風の影響を受けた。台風の近畿地方直撃が確実となった時点で、計画していた富山遠征を急遽順延するための手続きに追われることとなった。またその晩は自宅近くの川の水位を気にしながら、眠れぬ夜を過ごすこととなったのである。幸いにして自宅近くの川は決壊することなく無事に終わったのだが、地球温暖化の影響か近年は明らかに自然災害が大規模かしつつあることを痛感せざるを得ないことになったのである。

 

 さて今週であるが、先週順延した富山遠征を実行することと相成った。実は来週以降、秋の祭日に絡めた大型遠征を企画しており、この富山遠征がずれ込んだことで図らずしも大型遠征三連チャンということになってしまったわけである。果たして私の体力とそれ以上に財力が持ちこたえられるのか。やや不安がないわけではない。

 

 今回の遠征の目的は至ってシンプルである。主目的は富山県立近代美術館で開催される展覧会を見に行くこと。さらには富山地方鉄道で未視察のまま残っている宇奈月温泉方面(本線)の視察である。さらには宇奈月温泉まで行くならそこで一泊し、黒部峡谷トロッコ列車などに乗りつつ、温泉地で命の洗濯をして、ここのところ諸般の事情で積もり積もっていた心身の疲労をリフレッシュしようというところである。

 

 出発日の土曜日は先週とはうって変わって青空の広がる好天である。ただしおかげて少々暑い。富山までのルートは先日の新潟方面遠征と全く同ルートで、新幹線とサンダーバードを乗り継ぐというもの。前回は平日で出張客が多いところに夏休みの旅行客まで加わってサンダーバードならぬ混み混みのコンダーバードになっていたが、今回は夏休み後の週末のせいか新大阪到着時点では車内はガラガラ、京都で大量の乗車があったものの車内には余裕がある。このまま富山までしばし長い道のりを行くことになる。

 新大阪では車内はガラガラ

 昨晩の寝不足のせいで途中でうつらうつらしつつ、気が付いたら富山に着いていた。前回富山を訪問した際は、その殺人的な暑さに閉口したのだが、あの時よりは明らかに暑さはマシなのだがそれでも暑いのは確かである。

 

 サンダーバードを降りるとここからは富山地方鉄道で宇奈月温泉まで移動である。宇奈月温泉までは乗車券が1790円で特急券が200円とかなり高めの価格設定になっている。しかし二両編成の特急の車内はかなりの混雑である。観光路線だからこそ出来る強気の商売である。

 富山から宇奈月温泉までの路線は富山地方鉄道の本線になるのだが、乗車していても路盤がかなり悪いのが分かる。富山のような地方都市でこの会社が生き残っている理由は、先の高めの料金と設備投資をかなり絞っていることによると思われる。

   特急宇奈月に乗車

 ガタガタと揺れながら快調に走った列車は上市でスイッチバックする。どうも奇妙な線形であるが、これはこの路線が発足時に複数の会社線を統合した関係だとのこと。時間的ロスのような気もするが、元々単線で行き違い待ちが多い路線の上に走行速度自体もあまり上げられないのだから、あまり大きな問題にはならないのか。スイッチバック後、北上した列車は滑川の手前でJRと併走するようになる。魚津の手前でJRの下をくぐってJR線の北側に出ると、魚津ではJRと同じ高架上を併走する。新魚津駅はJR魚津と隣接する乗り換え拠点。ここから大量の乗車があって車内は満員状態になる。

 奥に見えるホームがJR魚津駅

 魚津の市街を抜けた列車は、黒部でJRを高架で横切ると山岳地帯に向かって南下していくことになる。沿線からは徐々に家屋が減ってきて、やがて沿線は完全に山の中になる。この深い山中に突然にホテルが見えてくるようになると、終着の宇奈月温泉駅である。これで富山地方鉄道の視察は完了だが、今日の目的はそれだけではない。ここでさらに黒部峡谷鉄道に乗り換えることにする。

地鉄宇奈月温泉駅から黒部峡谷鉄道宇奈月駅に歩く

 宇奈月温泉駅は典型的な観光地の駅。すぐ隣には黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が見えており、線路も駅舎も全く接続していないのであるが、遠くから見ると1つの駅に見える。ここから黒部峡谷鉄道の駅までは徒歩で200メートルほどなのだが、その前に途中で宿泊予定のホテルに立ち寄ってトランクを預けることにする。今日の宿泊ホテルはフィール宇奈月。例の温泉宿にはつきまとうお二人様から規制を回避するのに選んだホテルだが、これが都合の良いことに富山地方鉄道と黒部峡谷鉄道の駅の間に立地しているのである。

 

 身軽になったところで黒部峡谷鉄道の宇奈月駅に行くと、終点の欅平までの往復乗車券を購入、さらに次の列車の普通席を予約しておく。

 

 列車の発車まではまだ40分以上の時間がある。そこで昼食を摂っておくことにする。ホテルでもらった飲食店マップを参考に、昼食は「和」で摂ることに。注文したのは「釜飯定食(1050円)」

キチンとおコゲもあるほかほかの釜飯

 生米から釜一つ一つ炊きあげるので20分近く待たされるが、出てきた釜飯はホカホカでうまい。シンプルだがホッとするメニューである。

 

 昼食を堪能し終わった頃にはちょうど列車の改札の時間が近づいてきていた。駅まで戻るとすぐに改札開始。ホームには多くの乗客がごった返して大盛況である。そこに待っているのは重連の小型電気機関車が引っ張る十数両のトロッコ車両。黒部峡谷鉄道は軽便規格の上に車両の天井も低いので、まるで遊園地の機関車のようなイメージである。普通車両はまさに屋根があるだけの吹きさらし。HPに雨が降れば濡れることがありますとの表記があったが、これでは濡れることがあるどころかずぶ濡れだろう。

吹きっさらしの上にとにかく狭い車両です

 そもそもこの路線は関電のダム工事用の路線だという。しかし観光ニーズが高いことから「事故が起こったら命の保証はしない」との注釈付きで観光客輸送をするようになったとか。かなり無茶苦茶な条件だったのだが、それにも関わらず観光需要が非常に高いので、ついには旅客輸送の免許を申請して今日に至っているとか。

 

 何しろとんでもない峡谷を進む路線なので、とにかくトンネルが多い。そのトンネルの合間に峡谷の絶景が繰り広げられるというめまぐるしい路線である。また今でも関電の工事関係の輸送は行われており、観光客輸送の合間を縫って超小型の貨物列車が運行されたりしている。またいくつかある駅も工事関係のための駅が多く、旅客扱いをするのは両端の宇奈月、欅平以外では黒薙と鐘釣だけである。また冬季になって鉄道が運行できなくなった時には関電社員は徒歩で現地入りするらしく、冬期用歩道とかかれたシェルタートンネルが線路に沿ってある。またトンネル内には待避所とかかれた壁のへこみがやたらにあったことから、列車トンネル内も歩行するのだと思われる。

   すぐに鉄橋を渡る

 吹きっさらしの車両は薄いTシャツ一枚ではいささか寒い。かなり暑がりの私が寒気を感じるぐらいであるから、女性などは何か羽織るものが必須であろう。今は観光のオンシーズンなのか狭い車両内は乗客で一杯である。

左 宇奈月温泉の引き湯用パイプライン 中央 貨物列車  右 関電用トンネル

左 後曳橋  中央 出し平ダム  右 この中が関電の冬期用シェルタートンネル

 沿線は奥に進めば進むほど山が高くなってきて、山というよりも岩盤が迫ってくるようになる。鐘釣駅で大量の降車があってから終点の欅平駅までの間は垂直の岩盤がのしかかってくるとても日本とは思えないような光景。まさに山水画そのもの。私は以前、山水画について「こんな風景は日本にあるわけがない」と言っていたのであるが、これは私の勉強不足であった。今現在、しっかりと私の目の前に存在している。

鐘釣を過ぎてからのあり得ない風景

 終着の欅平駅はまさに観光地そのものという場所であるのだが、その一方でとんでもない秘境でもある。何しろアクセス手段がこの鉄道しかないという山奥であり、もし鉄道に何かあったらどうするんだろうということが頭をよぎる。

欅平駅に到着

 橋の先に見えているのが人食い岩

 近くの見所を調べると、人喰い岩及びその先に名剣温泉なる施設があるらしい。そこでそちら方面に歩く。途中で橋を渡るがそこがかなり絶景。その先が人喰い岩で、これは岩盤が道路の上にはみ出している通路。この辺りには警告看板が立っており、とにかく天気の悪い日には進むな、落石の恐れがあるから立ち止まるなとかなり物騒な警告がある。

橋のところまで来るととんでもない絶景ととんでもない警告メッセージが

 ここをさらに先に進むと、なんと道ばたにヘルメットの棚がある。落石が危険なのでヘルメットを使えということ。いよいよ物騒な世界である。ここからトンネルをくぐって先に進むと名剣温泉がある。

  

人食い岩、そしてさらに先に進む者にはヘルメットが

 名剣温泉は宿泊施設で、ここに露天風呂があってそれが日帰り入浴可能。川に面した小さな岩風呂には単純硫黄泉の湯がダバダバと惜しげもなく注ぎ込まれており、常時オーバーフローの完全掛け流し。当然塩素などの無粋なものの添加もないし、循環濾過なんて手の込んだシステムはない。加水については源泉温度が高いので、シーズンによっては天然水を加えるとか。硫黄の匂いはそう強くないが、体に優しいホッとするお湯。まさに秘湯というイメージである。

 名剣温泉に到着

 露天風呂を堪能すると、地場サイダーの「黒部の泡水」をいただく。さっぱりして優しい味が体に染みる。

 風景を堪能して温泉でくつろいだところで駅まで戻ることにする。予約していた列車までまだ若干の時間があるので駅二階のレストランでも行こうと思ったら、なんとここは営業は3時まで。やむなく駅そばで軽く腹を満たすことにする。

  帰りの車両も狭い

 帰りは普通車ではなくてリラックスシートを予約している。これは行きの普通車が吹きっさらしでやや寒かったことと、空模様が怪しげなのでもし雨でも降れば嫌だなと考えたことから。しばらく待った後ようやく列車が到着するが、もう観光客が一斉に帰路につく時刻のようで、ホームには待ち客が行列。リラックスシートも満員状態でとにかく狭苦しくおよそリラックスとはほど遠い状態。正直、背もたれだけのために540円は高い。また懸念していた天候もどうやら何とかなりそうである。

帰りも絶景

 帰りは疲労で半ばウツラウツラしながらの行程。それにしても相変わらずの絶景である。居眠り半分で風景を楽しみつつ、気がついたら宇奈月温泉に帰りついている。

 

 宇奈月温泉に到着すると、まずは駅向かいの電力記念館に入館。ここは黒部ダム建設に関する資料が展示されている。絶壁に丸太を渡して命がけで現地に向かった測量隊や、地中から湧き出す大量の水と戦ったトンネル掘削に関する展示など、全館プロジェクトXの世界である。何やら中島みゆきの「地上の星」が聞こえてきそうだが、黒部渓谷の模型の中に、中島みゆきが紅白で寒さに震えながら歌ったトンネルの場所が記されていたのは爆笑だった。

 電力記念館

 プロジェクトX記念館・・・じゃなかった、電力記念館から出るとすぐに近くのセレネ美術館に入館する。

 


セレネ美術館

 黒部渓谷に関する絵画を展示した美術館。メジャーどころでは平山郁男の作品などが展示されていたが、個人的にはサクッと書いた彼の絵よりも、宮廻正明の緻密で幻想的な絵画の方が気に入った。宮廻正明に関しては、以前に島根の今井美術館を訪問した際にその作品を見てから気にはなっていたのだが、思いがけない場所での再会であった。

 


 美術館の見学を終えるとホテルにチェックインする。典型的な温泉ホテルという風情の和室でしばしくつろぐと、夕食のために温泉街に繰り出すとする。

 

 宇奈月温泉はひなびたという言葉がしっくりくる温泉街。草津温泉や道後温泉のようなメジャー感は全くなく、ややひっそりとしている。また人吉温泉のような民家と共存しているタイプの温泉地でもない。夜食用の菓子などを買い求めてから、ホテルで紹介された「わらびや」に入店する。

 わらびやは基本的にはそば屋であるが、居酒屋的メニューも提供している店である。まずは夕食として肉うどんを注文。オーソドックスだが、肉を無闇に煮込んで固くせず、キチンと頃合いを計って火を通しているのに関心、これなら大丈夫そうだと「白エビのお造り」「アナゴの天ぷら」を追加注文する。

  

 白エビのお造りはトロリとして濃厚な風味がたまらない。アナゴの天ぷらもサクサクとしてうまみたっぷり。以上で支払いは2100円。CP的にもなかなかである。

 

 夕食を堪能すると再びホテルに戻って入浴することにする。宇奈月温泉はここで湯が湧いているわけではなく、黒部の上流から7キロのパイプで湯を引いているとのこと。その間にほぼ100度の源泉は50度程度に冷えるようだ。なお湧出量がかなりあるようで、ホテルの浴槽も常に大量の源泉がドバドバと掛け流し状態。呆れるぐらいに贅沢な源泉の使い方である。当然ながら加温、加水もないし、循環濾過なんて面倒なことはしないし、塩素なんて「何?それ?食べれるの?」の世界である。単純アルカリ泉の泉質はそう強烈なものではないが、とにかくこの湯の新鮮さには圧倒される。

越中おわら踊り

 風呂に入ってまったりした後は再び町に繰り出すことにする。富山といえば越中おわら踊りであるが、今日はそのイベントがあるとのことである。殊更に踊りに興味があるわけではないが、ホテルに篭っていても特にすることがないというわけでの野次馬である。町の中央に作られた特設ステージで越中おわら踊りの実演があってから、一番簡単な踊りの指導があり、その後は皆で町に繰り出すと言う趣向・・・なのだが、その一番簡単な踊りと言うのが私には難しすぎ。私は踊りや体操など体を動かすことには全く才能がないということを痛感した次第。そもそも私は体育に関しては幼稚園のお遊戯の段階で落ちこぼれたという折り紙つきの劣等生であったわけだから、それは当然ではあるか。結局は途中で脱落してホテルに戻ってくると、体が疲れたせいか早々に床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時前に自動的に目が覚めると、まずは朝風呂。これが最高に気持ち良い。昨日1万歩以上を歩いてガタがきていた体に温泉が染みいる感覚である。

 

 朝から温泉でさっぱりすると、ホテルで朝食。ありきたりのバイキングではあるが、これが予想外にうまい。「今日も元気だご飯がうまい」である。

 

 さて今日の予定だが、まずは富山地方鉄道で富山に戻ると、本来の遠征目的であった富山県立近代美術館を訪問、その後は金沢に向かうつもりである。ホテルをチェックアウトすると、立山直行の特急立山に乗車する。

 気持ちの良い晴天の下を列車はガタガタといいながら快調にに突っ走る。下りのせいか往路よりもスピードが出ている印象がある。やがて黒部辺りにやってくると、左方に立山の山々が見える。私の感覚ではあり得ないような角度に山頂が見える。正直なところ私は山にはあまり興味のない方なのだが、先日の立山、今回の黒部でかなり富山の山々に魅せられたことを否定できない。これはいずれ私も立山黒部アルペンルートに挑戦する日が来るかもしれない。

 

 特急は上市でスイッチバックすると、寺田でさらにスイッチバックすることになる。ただし富山に向かう私はその前に寺田で下車して、富山行きの普通に乗り換えである。

 

 到着した富山はやはり暑いところであった。とりあえずトランクをロッカーに入れるとバスで美術館を目指すことにする。

 


「東山魁夷 杉山寧 高山辰雄 日本画の巨匠三山展」富山県立近代美術館で10/16まで

 日展を舞台にして活躍した三巨匠のそれぞれの作品を展示した展覧会。三山などという括りに妥当性があるかどうかは疑問だが、三巨匠の作品をこうして並べると、静かなる東山、精緻な杉山、幻想的な高山と三者三様の「らしさ」が全開でかなり楽しめるのは事実。展示作も代表的な大作が多く、非常に見応えがある。

 

 日本の国民画家とも言われて、まさに普遍的人気を誇るのが東山だが、これに対して具象の世界から時には抽象の世界にまで踏み込みつつそれでいて生々しさを失わない杉山、独特の淡い色彩から超現実的な感覚を抱かせる高山ががっぷりと正面から組み合って堂々と渡り合っているという印象。おかげで杉山や高山にも興味を持つことが出来た。

 


 富山まで出てくる意味はあったかなと思わせる展覧会であった。これで主目的の方も達成である。

 

 美術館の見学を終えると、住宅地の合間を縫って路面電車の駅まで歩く。路面電車で富山駅まで戻ると、トランクを回収して普通列車で金沢に向かうことにする。それにしても富山駅は現在新幹線工事に伴って駅の改装中なので、あらゆる施設が中途半端で非常に不便である。昼食を摂るのに良い店もなかったので、仕方なくホームで駅そばを食べるがこれがかなりひどいものだった。

 

 やがて三両編成の普通列車が到着。席に着いた私は今更見慣れた感もある車窓をぼんやり眺めながらウツラウツラ。正直なところ金沢では特に予定があるというわけでもない。ただこのまま帰りついても早いので、とりあえず金沢に立ち寄って未視察のまま残っている北陸鉄道石川線でも視察しておいてやろうという程度の考え。後は夕方のサンダーバードまで適当に時間をつぶそうと思っている。

 

 列車は1時間ほどで金沢に到着する。さてどうしようかと改札を出ようとしたところで私は青ざめる。「切符がない!」

 

 富山で改札を通った時には間違いなく切符を見せている。その後、切符をズボンのポケットに入れたはずなのだが、どこを探しても切符が出てこないのである。思い返せば、車内でポケットに入れていた時刻表を出して確認したことがあった。あり得るとすればその時に車内に落としたとしか考えられない。

 慌てて列車に戻るが、もう既に列車は車庫に向かって動き出したところであった。やむなく駅事務所に行くと窓口で切符を落とした旨を説明。車庫で車内清掃時に切符を探してみるからとのことで、しばし駅内の待合室で連絡を待つことになる。

 痛恨のミスである。もし切符が車内で見つからなかったら新たに買い直しを余儀なくされ、それでなくても資金不足の折りに痛恨の一撃になるのは必至である。大事な切符をズボンのポケットなどに無造作に入れた己の軽率さが恨めしくなる。

 後悔と不安の中で一時間弱が経過したところで、切符が車内で見つかったと駅員が報告に来てくれる。思わず肩から力が抜ける私。尽力してくれた駅員に感謝である。駅員は事の顛末を記した報告書と見つかった切符のコピーを合わせた書類を私に手渡す。これで切符の代わりにしてくれとのこと。礼を言ってそれを受け取ると、とりあえず金沢駅で途中下車する。

 

 さて問題はこれからの行動である。このドタバタで1時間近くを消費したので、既に事前の計画は完全に崩壊している。この際に最優先すべき行事は・・・やはり北陸鉄道の視察か。コピーしていた北陸鉄道石川線の時刻表をチェック。石川線の発駅は野町であるが、ここから野町に向かうバスは本数が少ないし時間がかかる。JRの次の発車列車をチェックすると、間もなく福井方面の普通が発車する模様。北陸鉄道の時刻表と照らし合わせると、これに乗車すると次の西金沢で鶴来行き北陸鉄道の列車に乗り換えることが可能。また鶴来で直ちに折り返してくると、夕方のサンダーバードの時刻にも間に合いそうである。

 

 これで今後の行動が決定。ただちにトランクをコインロッカーに放り込むと、西金沢までの切符を購入して再入場する。

 西金沢までは三両編成の電車。乗客は結構多い。また隣の駅なのだが、さすがJRと言うべきか駅間距離が意外に長い。西金沢駅は建設中の新幹線の高架に隣接した駅。ここを出るとすぐとなりに北陸鉄道の無人駅があり、ここが北陸鉄道新西金沢駅である。

 数分後にホームに二両編成の古びた電車が到着する。北陸鉄道石川線はほとんどの駅が無人駅であり、この時間帯はアテンダントが乗り込んで切符の販売などを行っている。席に着くとすぐに金沢美人のアテンダントがやってきて目的地を確認するので、終点の鶴来までの乗車券を購入する。

 北陸鉄道新西金沢駅

車内風景及び沿線風景

 金沢美人のアテンダントさん

 列車はこのまましばしは金沢の住宅街の中を走行する。特に西金沢周辺は住宅の軒先をかすめるような印象である。しかし額住宅前を過ぎた頃から沿線は急激に閑散としてきて、ついには背後に山を控えた田んぼの風景が続くようになる。乗客の方も一人降り、二人降りと急激に減っていく。結局はそこそこの集落は終点の鶴来ぐらいで、ここまでの乗客も数人程度である。北陸鉄道のこの路線は、元々はもっと長い路線だったが、先端部分から次々と切り詰められ、今日残ったのがこの鶴来までの区間(つい最近までは二駅先の加賀一の宮まで行っていたのだが)。まあこんな惨状になるのもやむなしかという路線ではある。

鶴来駅で折り返し

 終点の鶴来は特に何があるというわけでもない田舎の集落である。時間もないし、特にここに用があるわけではないので、数分で引き返してくる。帰りは終点の野町で下車。野町は金沢の住宅地内の駅で、駅前にはバス停があり、金沢駅方面行きのバスが待ちかまえていたのでこれに乗り換える。

 野町駅バスターミナル

 野町から金沢の繁華街である香林坊まではバス停で2つぐらいだが意外に距離がある。またこの辺りは道路が常に大混雑で「金沢は車で走りにくい」と感じる大きな原因にもなっている。バスは一端JRの線路の下をくぐって金沢駅西口の方に停車する。

 

 これで金沢での予定は終了、というか時間的にはもう何をするという暇もない。とりあえず夕食代わりの弁当とおみやげの菓子を購入すると、トランクを回収してサンダーバードに乗車する。なお弁当「利家御膳」は見た目も楽しく豪華で、味もまずまずという金沢らしい楽しい弁当であった。またみやげの菓子の方もさすがに金沢。和菓子に関しては京都は別格として、金沢は最上位にいると言って良い。やはり総じて食べ物のレベルは西高東低である。

   利家御膳

 富山の展覧会を見に行くと言いつつ、結局は単なる慰安旅行の色彩が強くなってしまったのが今回の遠征である。正直なところ、最近の私は以前のようなかけずり回る遠征がしんどくなっており、温泉でゆったりというのが性に合うようになってきている。やはりこれは私も老いたということなのか。

 

 その一方で「鉄」遠征の色彩も強くなってしまったのが今回。黒部峡谷鉄道、富山地方鉄道、北陸鉄道と制覇したことで、北陸地域鉄道完乗終了と相成ったわけである。私は未だに公式には鉄道マニアではないはずなのだが・・・。

 

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