展覧会遠征 名古屋・三重編2

 

 大型遠征の相次いだここ最近だが、かなり疲労がたまったので今週は休憩・・・のつもりだったのだが、美術館のスケジュールの方がそれを許してくれない。三重県立美術館で開催中の「藤島武二・岡田三郎助展」、さらには名古屋松坂屋で開催中の「川井玉堂展」などどうしても押さえておくべき展覧会が出てきたのである。

 名古屋と津となると鉄道で行くのが普通というものだが、今回はどうしても鉄道で行く気にはなれない。それはやはりここのところ列車に乗り続けだったということが大きいだろう。やはり鉄道マニアではない私としては、これだけ鉄道に乗り続けると飽きてくるのが事実。旅先でレンタカーで走り回っていると、やはり久しぶりに車での自由な旅がしたくなってきた。ようやくノートの運転感覚にも慣れてきたことだし、そろそろ車での長距離遠征も実施したいところである。

 

 早朝に家を出ると、山陽道と新名神を乗り継いで名古屋方面に向かう。ただ名古屋まで車で入らずに、その手前の弥富で車を駐車場に停める。これは名古屋で車を置くととかく高くつくからというのもあるが、この際に名鉄の宿題を片づけておこうという考えもある。以前に名鉄のかなりの路線を視察したが、まだ津島線と尾西線か未視察のままである。そこでこの際にそれをしておこうというものである。

 名鉄津島線は須ヶ口−津島を尾西線は玉ノ井−弥富を結ぶ路線。ただ実際には弥富からは津島線を経由して名古屋方面に直行する列車が運行されているので、弥富−津島間は運行上は津島線と一体運行。さらに名鉄一宮でも運行が分離されているとか。

  

近鉄弥富駅と名鉄(JR)弥富駅

 弥富には近鉄の駅もあるが、ここからは歩いて数分。名鉄弥富駅はJR関西本線の駅と一体になっているというか、JR弥富駅の3番ホームに間借りしている形になっている。とりあえず金山まで切符を買うが、同じ金山まで行くのならJRの方が圧倒的に運賃が安いのだから、何となく無駄なことをしている気がする。

 車内風景

 ホームには4両編成の電車が止まっている。私が乗車するとまもなく発車する。弥富を出ると沿線はすぐに田んぼばかりになる。しばし田んぼの中を走行すると、次に周辺がそれなりに都会になるのは津島の手前ぐらいから。津島駅は高架になっているが、ここを過ぎると須ヶ口まで沿線は名古屋周辺の住宅地といった趣になる。須ヶ口からは名古屋本線に合流。ここで急行に乗り換える。相変わらず超過密の名古屋駅を過ぎるとすぐに金山に到着である。

 

 金山で名鉄を降りると地下鉄で矢場町まで移動。まずは松坂屋美術館を訪問する。ただその前に金山で軽く昼食としてそばを食べていく。そば自体は悪くないが、これで950円はやはりCPは悪い。


「川井玉堂展 描かれた日本の原風景」松坂屋美術館で10/10まで

 若くして円山四条派の幸野楳嶺、狩野派の橋本雅邦に師事した川合玉堂は、円山四条派と狩野派を融合したのみならず、さらに独自の境地を開拓して郷愁溢れる風景画で一躍脚光を浴びる。そしてついには日本画を代表する巨匠として名を残すわけであるが、その川合玉堂の風景画を集めた展覧会。

 一言で言えば「見応えがある」に尽きる。初期の作品はいかにも円山四条派らしい精密描写の作品や、一転して狩野派的な装飾的な作品などが入り乱れていて、一見して同じ画家の作品化と疑うぐらいに作風が振れている。やがてはそれが彼の中で一つになっていって、いかにも見慣れた「玉堂風」の風景画が現れるのだが、その過程がよく分かる。

 さらには中期以降には初期の頃に見られた神経質なまでの繊細さがだんだんと影を潜めてきて、いかにも伸びやかで自由で楽しげな作品へと昇華していっている。川合玉堂という巨匠が辿った変遷を追いかけることができる貴重な展覧会であった。

 


 松坂屋美術館を後にすると再び金山まで戻ってくる。ここからまた名鉄で弥富に戻るのだが、その前に金山の定番美術館を訪問する。

 


「恋する静物 静物画の世界」名古屋ボストン美術館で2012/2/19まで

 

 ボストン美術館が所蔵するヨーロッパ及びアメリカの静物画を集めた展覧会。

 やはり面白かったのは印象派の画家達による静物画。印象派と言えば風景画というイメージがあるが、彼らも静物画も手がけている。これらが画家の個性を端的に示していて面白い。マネの作品はいかにも彼らしく、ルノワールの静物画はやはり彼の人物画を連想させる。また静物画と言えばセザンヌが有名だが、彼の作品は特にアメリカの画家達に大きな影響を与えている。

 後半は現代作品となって、これは私にとっては蛇足の感があったが、トータルとしては楽しめる展覧会であった。

 


 美術館を出るといよいよ移動である。まずは名鉄名古屋本線の特急で一宮まで移動する。ここから尾西線で玉ノ井まで行くつもりである。特急を降りた向かいの1番ホームが尾西線のホーム。尾西線の運行はこの一宮で完全に分けられていて、長いホームの北側で玉ノ井方面行きの列車が南側で津島方面行きの列車が運行されているようだ。津島方面行きは1時間に4本運行されているが、玉ノ井方面行きは1時間に2本しかないので、ちょうど私の乗車した特急は接続がなく、一宮駅でしばし待つことになる。

 列車が到着

 ようやく二両編成の電車が到着する。この一編成が一宮−玉ノ井間(地元では玉ノ井線とも呼ばれているとか)をピストン運行しているようだ。玉ノ井線の沿線は一宮周辺の住宅地で、終点の玉ノ井よりも一つ手前の奥町の方が乗降客が多いようである。また単線なのにこの区間には交換可能駅が一つもないようであることから、一編成のピストン運行にならざるを得ないようでもある(もっともそれで十分な程度の乗客しかいなさそうでもある)。

   玉ノ井駅は普通の住宅街

 玉ノ井周辺は普通の住宅地で特に全く何もなく、玉ノ井駅も無人駅である。列車は十数分停車してから折り返すので、弥富までの切符を購入すると再び乗車する。

 津島行き

 一関では津島方面行きの列車と待ち合わせ。降車するとホームを南に向かって歩く。こちらにも同じタイプの電車が停車しているので乗り換える。ここからの沿線は終始住宅街が続く。ただ複線になっている区間が森上以南なので、途中で三回対向車とのすれ違い待ちで数分の停車があり、距離の割に時間がかかる印象でかったるい。

 津島駅前には山車が出ていた

 ようやく津島に到着するが、ここで弥富行きの列車をしばし待つことになる。やはりこの路線は全体的にかったるさがつきまとう。結局は弥富に到着したのは金山を出てから2時間以上経過してから。とにかく待ち時間が多いというのが印象で、恐らく私がたどったような経路の乗車は想定されていないのだろう。

 

 これで名鉄は完全視察完了。全体を通しての印象としては、同じ都市型私鉄でも阪急などが人口高密度地域をつなぐ効率の良い構成になっているのに対し、名鉄は沿線にかなり閑散地域も含んでいて効率が悪いと感じた。名古屋圏が大阪圏と比べてそう人口が少ないとは考えられないということは、名鉄は阪急に比べて沿線開発が下手なのだろうか。確かに阪急は沿線開発で鉄道の収益を上げるという私鉄のビジネスモデルの先鞭を付けた商売上手なのに対し、名鉄は美浜緑苑のようなあからさまな宅地開発失敗例も持っている会社である。

 

 弥富に戻ってくると駐車場から車を回収、次の目的地に向かうことにする。次は三重県立美術館に行くつもりなのだが、その前に一カ所立ち寄ることにする。

 長良川を渡る橋の上は大渋滞

 立ち寄ろうと考えたのは「長島城」。昔からこの地域は輪中と呼ばれる中州が長良川・揖斐川・木曽川といった巨大河川の河口に散在する地形であったが、長島城はそんな中に築かれ、この地域の水運などを押さえる要衝であり、織田信長についていた伊藤氏が治めていた。この地域は以前より願証寺を中心として本願寺門徒が勢力を張っていたのであるが、反信長包囲網に呼応した一向宗門徒の蜂起によって長島城は落城、さらには信長の弟の織田信興をも古木江城で自害に追い込み、この地域は完全に本願寺一派の勢力下に落ちる。その後長島城を中心とした一向宗門徒は織田勢と数年に渡っての攻防を繰り広げている。最終的には信長は圧倒的大軍で長島城を包囲した上で兵糧攻めにし、最後は城内に立てこもる者を老若男女の別なく全員焼き殺すという壮絶な決着を付けており、後の叡山焼き討ちなどにつながる信長の狂気めいた苛烈さを示す最初の例となっている。

 長島城の跡は今では住宅地に埋もれてしまっている。今では中学校になっているのが、かつての長島城の本丸だと聞いていたのだが、とにかく周辺は路地地獄でこの中学校にたどり着くまでが困難を極めた。現地に到着しても遺構の類はまるでなく、ただ当時からあったというクロマツの大木が校庭の片隅に残っていただけであった。なおかつての大手門が近くの寺院に移築されているとの話もあるが、とてもこの路地地獄をそこまでたどり着くのは不可能と判断せざるを得なかった。

  

左 近くの学校の門  右 この水路もかつての堀跡だろう

  

左 町指定天然記念物のクロマツ  右 周囲は走行困難な路地地獄

 予定していた以上の時間を要してしまったせいで、次のスケジュールが時間ギリギリになってしまった。西名阪自動車道をすっ飛ばして津へと急ぐ。現地にたどり着いたのはギリギリ閉館30分前だった。

 


「藤島武二・岡田三郎助展 近代日本洋画の理想郷」三重県立美術館で10/23まで

 

 共に黒田清輝門下として近代洋画に大きな影響を与えた巨匠の展覧会。

 二人とも初期の作品はもろに黒田の影響が出ているのだが、その後の方向性は分かれていく。鮮やかな色彩でざっくりした表現の方向に進んでいった藤島と、精緻で穏やかでありながら官能的な岡田三郎助の作品はかなり違った方向に歩んでいく。藤島武二の絵を剛とするなら、岡田三郎助は柔であろうか。

 官能的でありながら上品で穏やかな岡田三郎助の美人画は非常に私の好みに合うもので、以前よりかなり興味を持っている画家であった。今回本展でその岡田三郎助の作品を堪能できたことが非常に収穫である。これで本遠征は十二分に意味を持つ。

 


 これで予定は終了。後は駅前の市営駐車場に一旦車を置くとみやげの赤福を買い求めてから、間に合わせの夕食として近くの店で角煮ラーメンを食べたのだが、これが出来合いのラーメンに出来合いの角煮を乗せただけではないかと思われるCPの悪いもので失敗。やはり中京地域では食べ物で当たりを引いたことがほとんどない。

 帰りは日の暮れた新名神を走行したのだが、横風は強いし道路は真っ暗だし(照明が全くない)、難儀な道路であった。しかも快調に走行していると後ろからガラの悪い走り方をする車が接近してくる。そこで慌てて走行車線に退いたところ、横を見るとパトカー。「やばい」と感じていると、私の車を追い越した途端にいきなり赤色灯が回転、一瞬肝を冷やしたがどうやら私の前を走っていた車が捕まったようである。この暗さだとあれだけ目立つパトカーも全く分からないので、彼らにとっては格好の狩場なのだろう。しかもこの道路では99%の車はまず制限速度を守っていないから(実際、制限速度を守っている車がいたらむしろ逆に危険)、彼らにとってはトレトレ状態である。その私の前を走行していた車にしても、そんな無茶な運転をしていたわけではなく、むしろもっと無茶苦茶な運転をする車はスルー。つまりは彼らにとっては捕まえる車は何でもよくて、要は罰金を取ることだけが目的。これでは公営暴力団と言われるのも当然で、取り締まられた方も「運が悪かった」「はめられた」としか感じないのも道理。現状に全く即していない交通取り締まりはその存在意義を考え直す必要がある。

 すんでのところで公営暴力団の魔の手をくぐり抜けた私は、疲労でヘロヘロになりながら(いらぬ気を使うと余計に疲れる。やはり彼らの取り締まりは実は事故を増やすことが目的か。)自宅へと帰り着いたのである。

 

 慰安旅行色が強かった先の熊本遠征と違って、久しぶりに純然たる展覧会遠征であった。本来はこっちが私の原点だったはずなのだが、正直疲れたというのも事実。大分心身ともになまってしまっている。

 

 

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