展覧会遠征 大阪編3

 

 心身ともに疲労が極限までたまっている。こういう時には家でじっとしているに限る。しかしこんな時に限って出かけるべき理由が生じてしまうものである。財布を整理していた私は、以前に購入したスルッと関西2DAYパスが残っていることに気づいたのである。よくよく考えてみると半年ほど前の北海道遠征の際に帰途の東京で購入して、その後に能勢電鉄などの阪急沿線視察で1回使ったきり、そのまま財布の中に仕舞い込んでいた。しかも有効期限は今月末。貧乏性が基本的行動原理となっている私の場合、むざむざこのままこのチケットを無効にするという選択肢はあり得ない。とりあえず慌てて遠征計画立案となった次第である。

 

 美術館遠征としては実のところは既にターゲットはある。大阪市立美術館で開催中の岸田劉生展と京都市美術館で開催中のワシントン・ナショナル・ギャラリー展である。とは言うものの、実はこれに行ってくるだけならJRで行った方が遙かに効率も良い。やはり関西一円の私鉄に乗り放題という最強チケットを使うからには何かイベントを・・・と思ったものの、そんなに急にイベントがあるものでもない。結局思いついたのは大阪地下鉄の未視察路線をいくつかつぶしておこうという面白味もなければ今一つ意義も見いだしにくいもの。しかしそもそも計画を練っている時間が不足なのでどうしようもない。

 

 早朝に家を出ると、山陽電鉄の梅田直通特急で尼崎まで移動。尼崎で急行に乗り換えると野田で下車する。まずは地下鉄千日前線を視察しようという考え。千日前線と言えば今までせいぜい桜川−鶴橋間ぐらいしか乗ったことがない。

  

地下に潜ると地下鉄阪神野田駅。終点なのでトンネルは行き止まり。

 阪神野田で下車すると、地下鉄の野田阪神駅はそのまま地下に潜った位置。本数は結構多いが、なんばまでは決して乗客が格別に多いわけではない。やはり乗降が極端に多いのがなんば。ここから鶴橋までの間を移動する乗客が大半のようだ。今里筋線との乗換駅である今里を過ぎた頃には乗客はかなり減り、北巽でほとんどいなくなり、終点の南巽まで乗車する客は少ない。

 南巽周辺

 南巽から地上に出ても回りには特に何があるわけでもなく非常に中途半端な位置。どうもそもそもは延伸の計画があったようだが、それがそのまま立ち消えになってしまったらしい。とりあえず最寄りのJR駅である平野駅を目指すつもりである。当初計画ではバスを使うつもりだったのだが、私が調べたバス時刻表が古かったのかバス停に書いてある時刻表とまるで違う。やむなく平野駅まで20分強の市街地散策。ちなみにこの辺りのことをネットなどで調べると、治安が悪くてうかつに歩いているといきなりナイフで刺されて金を奪われるなんて類のことを書いてあるが、例によっての偏見だらけの嘘情報。この辺りは極めて普通の大阪の市街地であって面白みに欠けるというのが実態。しかしネット中毒のひきこもりはこういう情報を信じてしまって、いよいよ恐くてお部屋から出られなくなるのだろう。つくづくネットはひきこもりorニート養成装置である。最近はネットのデマが目に余るが、意図的に悪意に満ちた情報を流しているだけでなく、世間を知らないばかりに嘘情報に踊らされまくっている輩も多いようだ。これはある程度の社会人経験を有している者以外のネット使用を禁止した方がよいかもしれない。

 JR平野駅

 平野駅に到着するとJRで久宝寺駅まで移動する。久宝寺の北にはかつての寺内町の名残などがあるというが、今回は市街散策をしている余裕はない。久宝寺駅南のバスターミナルへ移動すると、そこで八尾南駅行きの近鉄バスに乗車する。

 JR久宝寺

 久宝寺にはかつては貨物線の操車場があったというが、現在はそれは廃止されて駅前は再開発の最中である。またバスで南下しつつ見た八尾の市街は典型的なベッドタウン。これからもその線での開発が進むのだろうが、私にとってはこういう町は正直なところ一番興味のない町。まもなく八尾南駅に到着。この駅は八尾空港に比較的近い位置にあり、地下鉄の駅と言いながらこの駅だけは地上駅である。

 地下鉄八尾南駅

 ここからは谷町線で天王寺まで移動する。やはりかなり混雑する路線で、天王寺に到着する頃には車内は満員である。天王寺で下車するとお昼時なので昼食にそばを食べるが、可もなく不可もなく。とりあえず当初の目的地に向かう。


「生誕120周年記念 岸田劉生展」大阪市立美術館で11/23まで

   

 日本近代洋画の巨匠としてあげられる岸田劉生であるが、実際には単純に洋画の域にとどまらず、あらゆる可能性を探求したのがこの人物である。その岸田劉生の生涯の作品を集めた大型企画が本展。

 まずは彼の初期の作品から始まるが、この辺りは素人の私から見ても印象派やフォービズムなどヨーロッパの絵画の流行の影響が顕著で、彼がそれらの影響を脱して独自の画風を模索していた時期になる。その後、自画像を含む肖像画を描きまくったいわゆる「首狩り」期。その間に彼の画風は目まぐるしく変遷を遂げ、ついにはいわゆる私たちがイメージする「劉生らしさ」を感じさせる画風が確立する。それは単純に洋画というものではなく、もっとも和風のものも包含した世界である。また当初は先端的なものを追いかけていたのが、最終的には古典回帰したような風も感じられる。

 コーナーの一つは有名な麗子像のシリーズ。麗子マニアなら垂涎(しかしそんな者いるのか?)である。ここを見ていても劉生の絵が本来の写実を通り越して、別次元にまで飛躍している。ここに描かれているのは彼の愛娘の麗子ではなく、それを通して生き物の本質のようなものを描こうとしている。ちなみにここに描かれている麗子の姿はかなり寒山拾得的だと感じていたのだが、実際に寒山拾得に見立てた麗子像もあるのは爆笑。現実には見立てるまでもなくそのままで寒山拾得像である。

 晩年には当初の重厚で重苦しい油絵でなく、もっと軽妙かつ明るい絵画を目指していたようであるが、その半ばでそれまでの不養生(かなりひどい飲み方をしていたようだ)も祟って命を落としている。これも残念なのだが。

 


 とりあえず本遠征の目的その1を終えると、次は目的その2に向かうことにする。とは言うものの例によって寄り道。先ほど天王寺で途中下車した谷町線の残りの乗りつぶしである。谷町筋を北上して梅田を抜けると未踏地区。とは言うものの地下鉄だとさすがに微塵も面白味がない。30分以上を費やしてようやく終点の大日に到着。ここは地上に出るとすぐにモノレールの駅があるので、これで門真市まで移動して、京阪で京都入りすることにする。しかし予想はしていたが、やはり地下鉄の乗りつぶしほど空しいものはない。やっぱり鉄道マニアでもない者がこんなことはするべきではないなと感じる。あまりの虚しさに鬱になりそうである。

 大日駅

 京阪三条から地下鉄で東山。ようやく目的地に到着である。ただ昼食のそばがいささか軽すぎたのでウロウロしている間に腹具合が中途半端である。途中でラーメン屋を見かけたので入店。しかし正直なところこれは正解とは言い難かった。鶏がら醤油のスープはやや単純に過ぎ、何よりも炒飯が塩が強すぎ。無難に和食の店を探した方が良かった。

  


「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」京都市美術館で11/27まで

 

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーは銀行家であったアンドリュー・メロンが、自らのコレクションと美術館設立のための資金を寄贈して設立された美術館である。その後、多くの市民からの作品の寄贈を受け、アメリカを代表する美術館となっている。特に印象派の作品のコレクションでは知られており、本展はそのコレクションの中から選りすぐりの作品を展示したものである。

 マネ、モネ、ルノワール、ドガなど印象派定番の大家中の大家の作品から、セザンヌ、ゴッホといったポスト印象派までとにかく豪華極まりないラインナップが唸らせる展覧会。明らかに初心者でもとっつきやすいことを意識したラインナップだと思われるが、上級者をも唸らせる作品のレベルの高さである。

 私としてはやはりモネの屋外作品の煌めく光が魅力的であるが、心惹かれたのはルノワールの作品。特に「踊り子」は背景に溶け込みそうな衣装の繊細で柔らかいタッチが圧巻。いかにも彼らしい作品である。

 


 これで目的その2も終了。この後は京阪と阪神を乗り継いで帰途についたのであるが、家にたどり着いた頃にはグッタリと疲れてしまった。正直なところそもそもの目的である展覧会は良かったのであるが、やはり無理矢理に引っ付けた鉄道視察が蛇足に過ぎた。やはり鉄道マニアではない私には地下鉄の視察は苦痛でしかない。こういう単なる乗りつぶしは私向きではないと痛感した次第。やはり鉄道に乗るならその終点か途中に何か目的がないとやってられない。大阪地下鉄では今里筋線や長堀鶴見緑地線が未視察なのだが、もしこれらも視察するのならそこのところをよく考えておく必要がある。とは言うものの、門真や井高野なんて全く何もないんだよな・・・。やめとくか。

 

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