展覧会遠征 感状山編

 

 さて先週の大遠征で身体にはまだ疲れが残っている。とは言うものの、それとは相矛盾するようであるが、身体自体は非常に鈍った感覚があって少し動かしてやった方が良いのではという気もするこの週末。結局土曜日はプラプラと休憩していたのだが、やはりこれでは鈍る一方。そこで日曜に突然に出かけることにした。といっても何しろ昼過ぎに突然に思いついての出発。適当な目的地の設定などしていない。そこで以前から気になっていた近場の山城に登ることに急遽決定する。

 

 今回の目的地は「感状山城」。築城年代については諸説あるようだが、現地看板によると鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築城され、後に赤松氏一門の居城となったという。建武の時代に足利尊氏を追撃しようとした新田義貞の軍勢を、この城に籠もった赤松則祐が食い止めて善戦し、後に尊氏から感状をもらったのがこの城の名の由来だとされている。

 

 この城に登るには羅漢の里から登山道が整備されているという。ちょうど良いリハビリだとばかりにノートを駆って羅漢の里までひとっ走りする。確かに羅漢の里の奥から登山道が延びており、麓の売店で案内図も貰うことが出来る。

 さて軽く上まで登るかと踏み出したのだが、情けないことにいきなり息が上がってしまう。想像以上に身体が鈍っているのか疲労が溜まっているのか、とにかく足がやたらに重い。整備された階段なので登るのに困難はないはずなのに足が前に進まない。

   羅漢の里からの登山道

 結局はこの七曲がりの階段でかなり時間を費やし疲労も溜まる。物見岩と大手門を示す標識にたどり着いた時には早くもヘロヘロになっていたので、伊右衛門で水分を補給しつつ少し休憩を取る。

 ようやく看板にたどり着く

 ここからはいかにもの山道になる。先ほどの整備された階段と違って足下が不安定だが、それでも特に登るのに困難な道ではない。体力さえ問題なければ。

 城跡入口

 ズタボロになりつつようやく登り切ると感状山城跡入口の看板があり、辺りにゴツゴツとした巨岩が転がっている。これが物見岩のようだ。自然の岩場を利用した物見台で、ここからは周囲を見渡すことが出来る。現金なものでこういうところにたどり着くと、さっきまでズタボロだった身体が急にシャキンとする。疲労と興奮で脳内麻薬が分泌されるんだろうか。

左 物見岩  中央 物見岩の上  右 物見岩から奥を見る

物見岩から見下ろす風景

 ここからは奥にずっと曲輪が続いている。手前のスペースは倉庫跡、奥の削平地は曲輪、さらに奥の出っ張ったやや広めの削平地が出曲輪と表記されている。これだけが謂わば下の城だが、結構のスペースがある。

奥の曲輪に続く削平地

左 倉庫跡  中央 曲輪跡  右 奥に見えるのが出曲輪

左 石垣がある  中央・右 出曲輪

出曲輪からの風景

 これらの曲輪の東側に南から北にかけて階段状に続く曲輪群があるのだが、そちらに行くにはかなり急な岩場の崖を登っていく必要がある。歩いて登れる崖ではあるが、足を滑らせると洒落にならないルートである。とりあえずここにアタックをかける前に再び伊右衛門で水分補給をすると、一休みして足下がしっかりするのを待つ。

 意を決すると崖に挑む。滑らないように足を引っかけないように気を付けつつ岩がゴロゴロする急坂を登る。そこを越えた頃に南から北につながる急傾斜の多段の曲輪群が見えてくる。ここがこの城の最大の見所でもある。

この奥が東の曲輪群へと続く崖

左・中央 洒落にならない急坂を登っていくと  右 曲輪群が見える

 さすがに南曲輪群の下に降りていくのは足下がやばいので、北曲輪群に向けて登っていくことにする。すぐに石垣が見えてその上にやや広めの曲輪があるが、これが南II曲輪とのこと。ここはさらに北II曲輪とつながっており、そこの奥に石垣で一段高くなったところがI曲輪。これがいわゆる本丸だろうと思われる。

左 上にも石垣と曲輪が続く  中央 南曲輪群の石垣  右 この上が南II曲輪

左・中央 南II曲輪に出る  右 曲輪は奥に続いている

左 この辺りからは北II曲輪  中央 さらに奥に続く  右 この上が北I曲輪

 南曲輪群は斜面に並ぶ小曲輪の連続であるが、この山上の曲輪はそれなりの広さを持っており、館などの建造物を建てることも可能であろう。いかにも中世赤松氏の居城らしい堅固極まりない山城である。城郭の規模としては置塩城よりも一歩劣るように思われるが、その堅固さについては匹敵する。置塩城に行った時にも感じたが、全く赤松氏は一体何を恐れてこんなにも険しい山の上に要塞をという印象である。さすがにこれでは堅固すぎて平時の居館としてはとても使えそうにないので、平時には麓に館でもあったのであろう。

北I曲輪の風景

 後は足下に気を付けつつ下っていくだけである。帰りに下の方に大手門跡だろうと思われる石組みなども見えたが、斜面が険しいことから降りていくのはやめておく。

 これが恐らく大手門の石組み

 ようよう羅漢の里に降りてきた時には既に夕方になりかかっていた。当初予定では帰りに姫路市立美術館に立ち寄るつもりだったが、とてもそんな時間はなさそうである。今回はこのまま帰宅することにしたのだった。

 

 GW明けのリハビリを兼ねた山城攻略だったが、想像以上に身体に疲労が溜まっていたことを痛感したが、帰宅後は狙い通り逆に身体のキレは良くなったように思われる。これでまた次回から山城攻略を続けられるというものである。なお今後の体力維持と健康管理のため、いよいよ本格的なトレーニングに取り組むこともこの帰途で決意したのであった。あわよくば大幅に体重を減らして、崖をスパイダーマンの如く華麗に登れるようになりたいものである。

 

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