展覧会遠征 奈良・三重編

 

 三重県立美術館で曾我蕭白の展覧会が開催されるという。そこでこの週末はそれに出かけることにした。当初予定は車で日帰りのつもりだったのだが、今週は仕事で東京日帰り出張などがあり肉体的にかなりハード。これで週末日帰り長距離ドライブはあまりに酷と判断して急遽一泊することにした。しかし一泊するとなるとそれだけの内容が必要。そこで全面的に計画変更と相成った。

 

 土曜日の早朝に出発すると山陽道、近畿道、南阪奈道と乗り継いで奈良に向かう。結局は諸般の条件を勘案した結果の最初の目的地は宇陀松山城(秋山城)。しかし近畿道から南阪奈道に乗り継ぐ時に間違って高速を降りてしまって時間をロスすることに。

 

 ようやく宇陀に到着した時には昼前になっていた。宇陀松山城は宇陀市の松山地区にある山城であるが、この地域の有力国人だった秋山氏が築城したもので、既に南北朝期には存在したと言われている。その後、豊臣秀長の大和郡山入りで秋山氏は宇陀を退去し、宇陀松山城は大和郡山城や高取城と共に豊臣政権による大和支配の拠点として近世城郭へと改修されたという。関ヶ原後には福島正則の弟・高晴が入城してさらに改修されたが、大阪夏の陣後に高晴は内通の疑いで改易され、宇陀松山城も破却されたという。なお宇陀松山は江戸時代に天領となり、商業地として繁栄したとのことで、往時の雰囲気をとどめるその町並みは重要伝統的建造物群保存地区として指定されている。

江戸時代に微妙に昭和レトロが混じった趣のある宇陀松山の町並み

 町外れの駐車場に車を止めると徒歩で散策する。宇陀松山の町並みはなかなか風情があるが、観光開発は意外と進んでいない印象を受ける。町並みのベースは江戸時代の商業地であるが、そこに微妙に昭和レトロが溶け込んでいる印象である。

出典 余湖くんのホームページ

 「宇陀松山城(秋山城)」の登城口はその町並み中央の春日神社の脇にある。案内にしたがって山道を登っていくと10分程度で最初の虎口にたどり着く。左手には堀らしきものがあり、その上には曲輪のようなものが。往時には櫓でも建っていたのだろうか。

左 神社の脇に登城口がある  中央 登城口  右 山道を登っていく

左 やがて虎口らしきものが見えてくる  中央 堀らしき構造  右 石垣らしきものも

 そこを抜けてさらに進むと石垣のようなものが見えてきて、大手口の虎口らしき構造に行き当たる。ちょうど発掘作業か修復作業でも行われているのかブルーシートがかけられている。

左 大手口にはビニルシート  中央 登った先は鬱蒼としている  右 左手が本丸

 そこから先は帯曲輪と思われる広大な曲輪であるが、木は伐採されているものの下草がかなり鬱蒼としていて先に進むのは困難である。左手に本丸らしい一段高い曲輪が見えるが、途中でその登り口があるので登る。

左 本丸と虎口にもビニルシート  中央 これが天守台  右 天守台上から振り返った本丸

本丸風景

 本丸上は下草も刈られていて整備の手が入っている模様。かなり広大な曲輪であり、この城郭が豊臣氏の大和支配の拠点として整備されたということがよく分かる。隣に更に一段高い曲輪があるが、ここが天守台とか。天守台の規模から考えて、かなり立派な天守が鎮座していたのではと思われる。

左 天守台  中央 天守台奥から振り返って  右 天守台下の石垣

天守台上から南方を見下ろす 左手の森の奥が二の丸

 天守台上からは周囲を見渡すことが出来る。帯曲輪の向こう側(南東側)に明らかに曲輪らしきものがあるが、それが二の丸らしい。ただここから見ても明らかに鬱蒼としており、とても近づけそうにない。ここまで見学したところで戻ることにする。

左 二の丸  中央 森の奥に続いている  右 手前に石垣のようなものが

 宇陀松山城の見学を終えると次の目的地へと向かうことにする。次の目的地はルーブル彫刻美術館。ルーブル美術館と姉妹館提携をし、実際にルーブルの所蔵品から型どりしたミロのヴィーナスなどの復元彫刻を収蔵しているという。こうして説明するとすごい美術館と思えるのだが、実際はこの館はどちらかというとB級スポットとして知られており、桂小枝が言うところの「パラダイス」として有名である。またルーブルとの姉妹館提携については宗教マネーがなし得た奇跡だろうとも言われている。とにかくいろいろと以前から噂は聞いているのだが実際に訪問したことはまだなく、私としてはB級スポットはどうでも良いが、美術館は無視するわけにいかないのでこの際に訪問しておこうとの考え。

 

 目的地は近鉄榊原温泉口駅の至近。そこまでひたすら山道を走ることになるが、深い山中でガソリンがかなり乏しくなっていることに気づいて慌てる事態に。ようやくガソリンスタンドを見つけて給油満タンで一息ついたところで、人間の方もガス欠寸前なことを思い出したので、近くの道の駅で昼食に「茶そば御膳」を頂き、ソフトクリームで一息つく。

左 道の駅  中央 表には奈良を代表するキモキャラ・せんとが  右 茶そば御膳

 ソフトクリームも頂きました

 一息ついた後はもう一踏ん張り山の中を走行することになる。かなり疲れた頃にようやく目的地に到着する。ルーブル彫刻美術館は奥にある大観音寺とセットの入館券を販売しているので、話のネタにそれを購入する。

 何となく怪しさ全開のルーヴル彫刻美術館

 さてルーブル彫刻美術館であるが、確かに表に立っている超巨大なミロのヴィーナスとサモトラキのニケ像が何やら怪しさを全開させている。思わずひるむところを意を決して入館すると、突然に正面に鎮座するのは巨大な十一面観音像。これには絶句である。

こういう辺りは至って普通の美術館なんだが・・・
         

どう考えてもこちらはルーヴルとは全く関係ないような・・・

 ただこの十一面観音像を別にすると、周囲にはあらゆる彫刻がずらっと並べられており、噂で聞いたいたよりは随分と普通の美術館という印象を受けた。もっともその彫刻の選択に何となく脈絡がないように思われたのと、どう考えてもルーブルとは無関係の阿修羅像やロゼッタストーンまであったのはご愛敬であるが。

 

 ルーブル彫刻美術館を後にすると、奥の大観音寺を見学するが・・・絶句。どうやらB級スポットやパラダイスの本番はこちらだったようである。正面には金ぴかの巨大観音像がいきなり入館者を歓迎してくれるが、それ以外にも十二神将が勢揃いしていたり、あらゆる観音像がずらりと並んでいてここを回るだけで日本中を参拝できるという施設や、四国霊場88カ所も一気に回れる施設など、とにかく宗派無関係でありがたい仏様のオンパレード。しかも参拝のために500円玉を5円玉100枚に両替してくれる袋なども完備しており、とにかく合理的かつ効率的に御利益を得ようという施設である。しかも神仏だけにとどまらず、ガン封じの神獣ややるき達磨に招き猫の一個大隊、さらにはなぜか蛙のオーケストラなど最早意味不明であるが、まあとにかくありがたいのだろう。

左 カエルのオーケストラに  中央 招き猫の団体  右 黄金観音の両脇には仏様がズラリ

左 なぜかカッパと天狗  中央 ガン封じの神獣だとか  右 やるき達磨

 つまりは宗教施設というよりは、ここまでいくと宗教をテーマにした一種のテーマパーク。無宗教の私としては、ここまで割り切っているとむしろ清々しいぐらい。

 

 さてここまで来た以上、やはり榊原温泉に立ち寄らない手はないだろう。榊原温泉へはしばし山道を走ることになる。途中で旅館の送迎バスとすれ違ったりしながら走ること10分程度、山間の温泉地が榊原温泉である。目指すは自家源泉を所有しているホテル湯元榊原館が運営する日帰り入浴施設の湯の庄である。

 ホテルの駐車場は多くの車でごった返している。ホテル自体はやや古びた大型ホテルで日帰り施設は隣に建っており、内部でホテルの大浴場とつながっているようである。浴場は加温浴槽の内風呂と露天風呂があり、さらに内風呂には30度ほどの源泉風呂も備えてある。泉質はアルカリ性単純泉とのことだが、これが肌にまとわりつくような柔らかい感触のすごいお湯。また低温の源泉風呂があることで、冷温交互浴が可能で非常に具合が良い。榊原温泉は古湯として知られるが、それは伊達ではないと感じさせられる泉質の良さである。いつもは烏の行水の私もここではタップリとお湯を楽しむ。

 

 湯上がりにはコーヒー牛乳で一服(残念ながらフルーツ牛乳はなかった)。久々に温泉を堪能したというところである。温泉で山城の疲れを洗い流すと、しばしの急速の後で今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日の宿泊予定地は津。宿泊ホテルはドーミーイン津である。

 

 津に到着した時には既に夕方になっていた。時間によってこのまま三重県立美術館に行くつもりだったが、もう遅すぎるので明日に回すことにしてホテルにチェックインする。ホテルは駅前の便利な立地だが、車の場合は駐車場の少なさがネックになる。私の到着時も駐車場が満車とのことで近くのコインパーキングに車を停めさせられる。

 

 ホテルにチェックインするとしばし明日の戦略一人会議。明日の予定としてはまずは三重県立美術館を訪問、さらに交通の便の関係で今まで訪問していない美術館を数カ所、さらには城郭もピックアップして明日の予定を再確認しておく。ようやく予定が決まった頃には腹が減ってきているので近くの飲食店をネットで調査して、今日の夕食を摂る店を決定する。

 

 夕食に繰り出したのは「まる良炭火焼肉」。松坂牛をリーズナブルな価格で味わうことが出来るという店である。まずは注文したのは「松坂牛5番ロース(2500円)」。これにご飯セットを追加する。

 ガンガンにいこした炭火のコンロが出てくると、見るからに上質の肉が運ばれてくる。しかも焼肉というよりもステーキというほうがピッタリの厚切りである。こういう肉は火を通しすぎるとダメなので用心して焼く。

 とにかく柔らかい肉である。またこの味わいはオージーなんかでは味わえない本当の牛肉の味。たださすがに高すぎて腹いっぱいは食べられないので、「松坂牛スペシャルカルビ(980円)」も追加する。こちらも柔らかくて非常にうまい。脂の乗り方が良い。

 どうもこの辺りはうなぎが松阪牛かどちらかしかないという印象。とりあえずこの日は焼肉を堪能してホテルに帰ったのであった。

 

 ホテルに帰るとドーミーインご自慢の温泉大浴場で入浴。さすがに榊原温泉には及ばないが、それでもビジネスホテルとしては上々。この日はドーミーイン名物夜鳴きそばなども頂いてから床についたのである。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時過ぎに起床。三重県立美術館の開館時刻が9時半なので非常にのんびりした朝である。いつもこういう余裕があればよいのだが・・・。とりあえずホテルのレストランに朝食を摂りに行くと、朝風呂と洒落込む。

 

 ホテルをチェックアウトしたのは9時半。ここから美術館までは10分もかからない。


「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」三重県立美術館で7/8まで

 18世紀の京都、円山応挙、伊藤若冲など個性豊かな画家達が強烈な自己主張を繰り広げていた時代であるが、その中でもひときわ異彩を放っていた画家・曾我蕭白。その蕭白の作品を中心に、当時の京の画家達を概観する展覧会。

 展示作品の目玉は、修復を終えた斎宮の旧家永島家伝来の障壁画であり、これに展示室一つを割いている。実際に建具として使用されていたものであるため状態は決して良いとは言えず、かなり不明瞭なものもあるが、それでも蕭白らしい力強い表現などは感じることは出来る。

 展示作品の中での白眉はやはり朝田寺所蔵の「唐獅子図」。強烈なまでに力強く、とてつもなく変な絵であるにもかかわらず妙に引き込まれる。まさに蕭白ワールドを堪能できる絵画である。この奇妙奇天烈な迫力は、先に東京国立博物館で開催された「ボストン美術館展」で見た「雲竜図」にも通じるもの。私個人としてはこれを見るためだけでもここまで来た価値有りである。


 ちょうど今、近くの石水博物館でも蕭白の作品を展示しているとのことで、県立美術館のミュージアムショップで石水博物館の割引入館券を販売している。それを購入すると車で石水博物館へと向かうことにする。この博物館は以前に別の場所のビルに入居していた時に訪問したことがあるが、その時にはいかにも手狭という印象だった。しかし最近になって別の場所に移転したとのことである。ただそのために場所がよく分からず、最初は入口を通過してしまってグルッと一回りする羽目に。ようやく見つけた看板が示すアクセス道路は「本当にこれ?」と驚くぐらいの狭い道である(1.0車線で車のすれ違い不可)。目的の博物館はその奥にある。以前の仮住まいのような場所に比べると専用の建物となっていて非常に立派になっている。喜ばしいことである。


「曾我蕭白と伊勢の近世美術」石水博物館で7/16まで

  

 石水博物館が所蔵する曾我蕭白の作品に伊勢由来の芸術家の作品を併せて展示した展覧会。なお所蔵品展として川喜田半泥子の作品も併せて展示。

 蕭白の作品は押絵貼屏風など。どちらか言えばサクッと描いた印象を受ける作品が多い。ただそれでも富士山図などはいかにも蕭白の富士と言うことが分かる作品。この奇天烈なシルエットの富士は蕭白ならではである。

 半泥子の茶碗なども予想外に面白かった。やはり最近私の趣味がかなり変わってきている。


 次の目的地は「大河内城」。久居ICから伊勢道に乗ると松阪ICで降りる。大河内城はそこからしばし走った川沿いの丘陵地の上にある。道路沿いの市民センターの向かいに説明看板と駐車場があるのでそこに車を置いてしばし歩く。周囲は田んぼと麦畑(減反のせいか?)。田園的な美しい風景を抜けた住宅地の裏山が大河内城である。

 大河内城遠景

 大河内城は南北朝期に伊勢国司の北畠氏が築城した城郭とのこと。その後、信長の伊勢攻略の際にはここを舞台に籠城戦が行われ、一ヶ月の戦いの後に信長の次男の信雄に北畠家の家督を譲る条件で講和、北畠具教はこの城を退去したという。その具教は後に信雄に暗殺され(具教はかなりの剣豪であったとのことだが、所詮は一人の剣の腕では多数の襲撃者に抵抗しようはなかったようである)、伊勢を押さえた信雄が本拠を田丸城に移したために廃城になったとのこと。

大河内城縄張り(クリックで大きな図にリンク)

 大河内城は今ではパターン通りに神社になっている。頂上の神社があるところがかつての本丸らしい。そう広いスペースというわけではないが、戦国初期の城郭ならこれが標準規模だろう。また本丸の回りはかなり険しく、この城が織田軍の攻撃を凌いだ堅城であることが頷ける。

左 搦手口から登る  中央 この上が二の丸(石垣は後世のものか)  右 二の丸の隣は馬場

左 奥の一段高いところが本丸  中央・右 御納戸跡

左 グルリと回り込むように本丸に登る  中央・右 本丸は神社になっている

 本丸の奥には深い谷があるがこれがまむし谷。これを端で渡った奥が西の丸である。この西の丸も本丸に匹敵する面積がある。

左 本丸の奥の橋でまむし谷を越える  中央 まむし谷は結構深い  右 橋の上から本丸を振り返って

左 橋を渡ると西の丸  中央 西の丸  右 西の丸の奥は結構な崖

 本丸の手前が二の丸と馬場になる。二の丸はちょうど南側の搦手口を守る位置にあり、そもそもの大手口は北にあったということから馬場の奥が大手口方向だと思うが、そっちは鬱蒼としていて入っていくことは不可能。石積みが見えたので大手虎口跡・・・と言いたいところだが、多分これは後世のものだろうと思う。とにかく説明がどこにもないので判別しがたい。

左 馬場の奥に進んでいくと  中央・右 鬱蒼とした奥に石垣が見えるが・・・

 大河内城を見学すると次は「田丸城」に向かうことにする。田丸城は大河内城と同時期に北畠氏が築いた城郭で、後に織田信雄の支配下で三層天守を備えた近代城郭へと整備されたが、5年後に火災で天守を焼失して信雄は松ヶ島城へと移り、その後田丸城は城主を転々としながら最終的には紀州藩の所領となって城代を置かれてそのまま幕末に至ったという。明治維新後に建造物はほとんど取り壊されたが、未だに石垣等の遺構は残っているとのこと。

    

左 江戸時代の田丸城              右 現代の田丸城  

 とりあえず玉城町役場を目標にして走ると、立派な堀と大手門跡を通って役場にたどり着くことになる。ちょうど現在の役場は城内に建てられているようだ。ここに車を停めると城の本体の方を目指す。

左 大手門跡  中央・右 外堀跡

 正面に立派な石垣が見えるが、これが三の丸の虎口で三の丸はその上である。かつては三の丸には屋敷が建っていたとのことだが、今では三の丸は中学校になっている。

左・中央 二の門跡を抜ける  右 左手は中学校

 これを見た時には「ああ、城跡が学校になって破壊されたくちか」と思ったのだが、この城の本体はこの中学校の裏側にある。中学校を迂回するように回り込むと、裏側に移築されていた富士見門が建っている。この辺りから西側に立派な高石垣が見えてくる。これに沿って南方に登っていくと立派な本丸虎口が見える。本丸を中心として北に北の丸、南に二の丸と三つの曲輪が高石垣の上に連なっているのである。

左 中学校横手の池跡  中央 移築された富士見門  右 本丸石垣が見えてくる

左 本丸虎口  中央 本丸虎口を進む  右 本丸門跡

左 さらに虎口を抜けると  中央 本丸に到着、奥に見えるのが天守台  右 天守台

本丸から西方向を望む

 本丸には立派な天守台が残っている。かつては三層天守が築かれていたという。さぞかし壮観であったろうことは想像に難くない。

天守台よりの風景

 本丸から深い堀を隔てて二の丸につながっている。こちらはかなり広大な曲輪で、本丸の南方を守る形になっている。ここの周囲の石垣はかなり高くて壮大。

左 二の丸への通路  中央 土橋上になっている  右 結構高い

二の丸風景(奥が本丸方向)

左 二の丸から三の丸(中学校)方向を見下ろして  中央 搦手口方向  右 搦手側に降りる

 ここから石垣を巡りつつ北の丸へ。北の丸はお約束のように神社になっているが、ここもかなり広大な曲輪。周囲には土塁らしきものも残っている。

左 二の丸石垣  中央 本丸方向に回り込む  右 本丸と二の丸を結ぶ土橋

左 本丸石垣  中央・右 下を見下ろすとこの高さ

左 本丸と北の丸の間に回り込む  中央 北の丸の石垣  右 北の丸は神社

左 北の丸に並ぶ鳥居  中央 奥に土塁が見える  右 土塁上

 石垣好きの私としてはまさに堪能したというところである。本丸から降りてくると途中で三の丸に建てられていた奥書院を再移築ものを見学。なおその奥になぜかSLも飾ってある。

左 再建された奥書院  中央・右 SL C58

 まさかこれだけの規模との城郭とは思っていなかった。しかも城跡に中学校が建っていると聞いていたから遺構がかなり破壊されているかと思っていたが、本体とも言うべき本丸周辺部は見事にそのまま残っていた。規模その他から見ても松坂城に勝るとも劣らない城郭であり、この城郭がなぜ100名城に入っていないのかに疑問であり、改めて100名城選定の過程に疑義を感じざるを得ない。

 

 様々な想いを抱きつつ田丸城を後にする。そろそろ空腹が気になってきた。飲食店を探しつつ伊勢方面に向かって走っていたところ、「木の家」という店を見つけたのでそこに入店する。

 

 どうやらログハウスを手がけている企業が運営しているらしく、店内もそういう雰囲気になっている。店内にはランチタイムのためか女性を中心に結構客が多い。とりあえずBランチ(1600円)を注文。Bランチはスープとサラダとメインでスープとメインを選べる模様。私はカボチャのポタージュとミックスフライを注文した。また200円追加でデザートが付いてくるらしいのでそれも注文。

 しばらくするとまずサラダとスープが出てくる。このカボチャのスープが実に美味。カボチャの甘みが嫌みにならずにスープに絶妙にマッチしている。今まで飲んだカボチャ系のスープでもトップクラスのうまさ。またサラダの方もなかなか美味。 

 メインはメニューの性質上やや平凡。しかし取り立てて難点はない。またデザートは実に美味。これは女性客が多いわけが納得できる。トータルで見るとまずまずのCPの店である。あまり何も期待せずに選択した店だけにこれはうれしい予想外だった。

 

 昼食を済ませると鳥羽方面に向かって走る。最後の目的地は今まで存在は知っていたが、あまりのアクセスの悪さに今まで訪問できないでいたかなり特殊な美術館。伊勢自動車道から伊勢二見鳥羽ラインに乗り継ぎ、その終点近くにその美術館はある。

 


マコンデ美術館

 

 タンザニアのマコンデ高原に住むマコンデ族の彫刻を集めた美術館。 

 とにかく「強烈」という一言しか出てこない展示品の連発である。作品がことごとく異様なまでの生命感に満ちあふれており圧倒される。非常に原始的で野性的な印象を受ける作品であるが、その形態は実際には現代アート的にかなり計算されたものであるような気もする。 

 正直なところあまり私が得意なタイプの作品ではないのだが、それでも何やら奇妙な魅力を持つことは認めざるを得ない。まさに圧倒的である。


 

 これで本遠征のすべての予定は終了である。後は土産物の赤福(うるさい家族を黙らせるには餌を与えるしかない)を買い求めるために鳥羽まで走ると、長い道のりを辿って帰宅することとなったのである。正直なところ改めて記載するようなことは全くないのだが、本遠征で一番しんどかったのは実はこの帰途であったのだが・・・。もう長距離ドライブは身体にキツイ。

 

 

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