展覧会遠征 奈良編2

 

 私はホテルの予約に楽天トラベルをよく利用しているが、楽天トラベルでは最近になって旅レポなるコーナーを作っており、今まで宿泊した都道府県が色分けされるようになっている。ふと見れば私も全国遠征の結果、奈良県以外はすべて着色されているという状況になっていた。不思議なものでこうなると残っている奈良県が気になって仕方ない。何やら楽天の策にはまっているなと自覚はしつつ、奈良に一泊遠征に行く羽目になってしまったのである。

 

 当初の予定は近鉄最後の未調査路線である吉野線で吉野を訪問し、さらには五條、今井町などの重伝建地区を列車で訪問するというものであった。しかし先週末に備前で炎天下を歩いた経験から、とてもではないがこの時期に奈良で鉄道中心の遠征は体力的に不可能だとの結論に至り、ここに来て突然に予定を完全変更することになった。結果としては交通機関は車を使用、吉野山は諦めて重伝建中心の遠征とし、さらには来週に鉄道で訪問する予定だった京都の計画もドッキングさせることに相成った次第。

 

 まず最初の目的地は富田林。某新興宗教の支配下にあり、信者は働きアリだということを示すためのアリ塚に見立てた(としか思えない)奇妙な塔がある怪しい町で、宗教嫌いからは「トンデモ林」などと呼ばれている町である。しかしここには実は古くからの寺内町があり、ここが重伝建に指定されている。まずはそこの見学をしてやろうという計画。

富田林の町並み

 カーナビを頼りに駅の近くまでは順調にやってきた。しかし困ったのはここから。目的の重伝建地区は狭い路地が続く古い住宅地で、しかも困ったことに地区内に車を止められる駐車場がない。車のすれ違いも困難な路地を何度かグルグルと回った挙げ句、車でここを訪問することは不可能であると判断して次の目的地へと向かうことにする。

 

 かつて楠木正成がゲリラ戦法で大軍を翻弄した赤坂城などもある奈良の山奥の道路を走り抜けつつ次に目指したのは五條。かつて紀州街道の宿場町として繁栄した町である。その宿場町の面影を残す新町通り地域が現在は重伝建に指定されているとのこと。

 

 五條は各地にある地方都市の佇まい。その一角にかなり狭い一方通行の道路があり、そこが旧街道とか。車でそこに乗り入れるとまちなみ伝承館の駐車場に車を止めて市街の散策に向かう。

   まちみな伝承館と内部

 どこか懐かしい町並みである。住民がまだいるらしく生活感があるのが良いが、現地の人によると高齢化が進行中だとのこと。いずこの地方でも起こる若者の都市への流出である。結局は地方に仕事がないことと東京などへの過度の集中が問題。とにかく地方が死に絶える前に真の地方振興策が必要である。第一歩が東京の解体として、それに続く施策に何があるか。これそこただちに国民的議論を重ねての早急な対応が必要である。そうでないといずれ日本全体が沈没してしまうことになりかねない。

 風情のある路地などを汗だくになりながらウロウロ。外は私の想定していた以上の灼熱地獄で、体力を徐々に削られるように思われる。また五條新町は他の町並み保存地区などと比べると観光客目当ての商売をしている店が少ない印象。おかげで暑くても飲み物を補給したり、喫茶で涼んだりというわけにいかない。どうもこれでは地元に対する経済的メリットは非常に少ないように思われる。途中で軽く食事のためにそば屋に入ったが、ここも観光客相手というよりは明らかに地元民相手の店であった。

 町並み保存区の最北地域に民俗資料館があるのでそこに入館。ここは元々は五條代官所の長屋門だったという。この一帯は史跡公園ということになっているが、実際はこの門の奥は裁判所があるだけでないもない。なお展示資料は天誅組の事件に関するもの。倒幕の気運が高まった幕末期、朝廷で攘夷派が力を持ったのに呼応して決起した彼らだが、その後に宮中クーデターで攘夷派が失脚、はしごを外された形になってしまった彼らは暴徒として追討を受ける羽目になってしまう。こうなると所詮は烏合の衆の悲しさで、戦略の拙さ等もあって内部分裂などを起こして潰走、首謀者等は自害している。まだ時代にはいささか早かった(実際はほんの数年である)のが彼らの不幸。ただ彼らの挙兵が後の倒幕運動の先駆けになったのは事実で、要は先行者の悲劇というものである。私が以前から言っているが、世間より半年先を行けば流行の先端と言われるが、一年以上先を行けばただの異端や変人として排斥されてしまうものである。なおこの乱で現在の現在の五條市役所の位置にあった代官所が焼き討ちされ、現在民俗資料館になっている長屋門は後に幕府が新たにこの地に代官所を再建した際のものとのこと。つまりは江戸時代のものには違いないが、ほとんど明治に近い時代の建造物である。

左 民俗資料館  中央 その内部  右 表にはなぜかSL

 民俗資料館見学の後は再びプラプラと散策がてらにまちなみ伝承館に戻ってくると、車で次の目的地に移動。しかしその前に昼食とともに温泉で汗を流しておきたい。この地域にはリバーサイドホテルがあり、そこにレストランと入浴施設があるのでそこに立ち寄ることにする。

 この高架は建設途中で廃線となった五新線の廃墟

 まずはレストラン花ふぶきに入店すると、夏向けの御膳メニュー(1100円)を注文。

  

 価格に比すると豪華な印象を受ける内容。野菜があまり好きとは言えない私がすべて食べられたのだから、味については合格点だと言える。また添えられている豆腐などがなかなかうまく、全体的にCPが良いと感じられる内容であった。

 

 昼食後は汗を流すことにする。入浴施設は金剛乃湯という日帰り入浴施設。正直なところ泉質にはほとんど期待していなかったのだが、ナトリウム−炭酸塩泉という湯がなかなかに良い。肌にしっとりとまとわりつく印象で露天でゆったりとくつろげる。私には珍しく比較的長湯してしまった。

 先ほどのレストランといい予想外であった。五條侮り難し。実は当初に遠征をプランニングしていた際、五條に宿泊するというプランも一案として出ており、リバーサイドホテルがその際に宿泊ホテルとして候補に挙がったことからこれらのレストランや入浴施設について知っていた次第。これは五條に宿泊してても良かったかな・・・なんて考えも頭をよぎったが後の祭りである。

 

 入浴を終えると近くの「柿の葉すし本舗たなか本店」で夜食用の鮎すし(1228円)とみやげの葛餅を買い求めてから先を急ぐことにする。次の目的地は今井町である。

 

 やや長目のドライビングの後、ようやく今井町に到着する。重伝建地区の南東のまちなみ交流センターの裏に駐車場があるので、そこに車を停めてから町並みの散策に出る。

 まちなみ交流センター

 今井町の町並みは戦国時代のそれをとどめていることで有名である。元々は興福寺の荘園から始まり、その後独立自治都市として発展した今井町は往時には環濠を巡らした要塞都市であり、ちょうど堺と同じような位置づけにあったという。その後近畿を巡る諸勢力の角逐の結果、織田信長に下ることとなるが、信長は一向宗寺内町に対する処置としては異例の寛大な処置で自治権を認めたという。江戸時代を通じても商業としてとして繁栄したものの幕末期に衰退、明治以降は庁舎が現在の奈良市に置かれて奈良の中心はそちらに移っていくが、このことが逆に町の保存には幸いし、今日ではその町並みの価値が認められて重伝建地区として指定されている。

 確かに一地区まるごとが往時の町並みをとどめており、町並み保存としては完璧に近い高レベルなものである。路地の一つ一つが往時の面影をとどめており、非常に風情がある。またさすがにかつての商業都市の末裔と言おうか、観光客目当ての商売を行っている住宅もいくつかあり、重伝建指定が地元の利益にもつながっているようである。

 風情のある町並みの散策はなかなかに楽しいものである。しかし一つだけ計算違いは午後になって灼熱地獄がさらに厳しさを増してきたこと。歩いている内に熱中症になりそうになる。たまらなくなって途中で見つけた「町家茶屋古伊」に入って「宇治金時(450円)」でドーピングすることにする。

趣ある町家内で宇治金時ドーピング

 古い町家を使用した店内はなかなかに趣がある。そしてこういう時に頂く宇治金時は最高の贅沢である。これでようやく一息つくとさらに町並みを一回りする。

今西家住宅と往時の環濠の痕跡

 地区の最西部が重要文化財に指定されている今西家住宅。この辺りには往時の環濠の一部が痕跡をとどめている。この辺りを見ていると、この都市がちょっとした要塞であったことはうかがえる。

 町並みを一回りすると車のところに戻ってくる。それにしても疲れた。やはり暑さが身に染みている。これで今日の予定は大体終了だが、そもそももう体力的に限界が来ていてとてもどこかに立ち寄るという状況ではない。今日はこのまま宿泊予定のホテルに向かうことにする。

 

 今回宿泊する予定のホテルは奈良駅前のスーパーホテルLohasJR奈良。JR奈良駅に隣接する立地と天然温泉を売りにしているホテルである。チェックイン手続きをすると部屋へ。しかし部屋に入ってビックリ。なんと窓が幅10センチ程度しかない。内側の角部屋なので構造上窓をとれなかったようだ。それにしても・・・。

 

 そう言えば楽天トラベル経由の宿泊客は特にビジネスホテルでは嫌われているというのは有名な話だ。原因は楽天トラベルのピンハネ率が高いこと。楽天は以前にモールの方でもトラブルを起こしているが、そもそもピンハネ率が高い上に規約を一方的に改定してさらにピンハネ率を上げたりするからトラブルが多いとか(楽天トラベルならぬ楽天トラブルだとの揶揄もある)。また最近に取り入れた新決済システムのせいで、ホテル側が正規のキャンセル料を徴収できない事例が発生し、離脱を考えている旅館組合などもあるとか。どちらにしろ、最初から利幅の大きいボッタクリ価格を提示しているリゾートホテルなどと違い、数百円レベルの商売をしているビジネスホテルの場合には楽天トラベルのピンハネ率はもろに利益を圧迫するために、知名度の上がってきたホテルチェーンを中心に自社HPからの予約を促す傾向が近年顕著になってきている。と言うような事情があるので、楽天トラベル経由の宿泊客は往々にしてビジネスホテルではエレベータの真ん前の部屋(うるさい)か逆にエレベータから一番遠い部屋(不便)にされる可能性が高いと言われており、これは私も経験的に感じているところである。

 

 とりあえず薄暗い部屋で冷房を全開にして一息つく。やはり熱中症になりかけていたらしく、思っていたよりも体力を消耗している。車の中には保冷バッグに伊右衛門を置いていたのだが、気を付けて水分補給したつもりでも歩き回っている内に脱水状態になっていたようだ。

 

 夕食に繰り出すことにするが、消耗が激しいので遠出をする気がしない。結局は駅の中のうどん屋で夕食にするが、へばりすぎているのかイマイチ食欲が出なくて天ぷらを残す羽目に。結局は向かいのビルの「天極堂」に入って「抹茶パフェ(850円)」でマッタリ。葛の入ったソフトに葛餅が心地よい。やはり奈良と言えば本葛である。奈良は今一つ名物と言えるようなものが思い浮かばないが、この本葛だけは本物。

  

 とりあえずの夕食を終えてホテルに戻ると温泉でマッタリ。昼に入ったナトリウム−炭酸塩泉には到底及ばないが、それでもビジネスホテルとしてはまずまず。とにかく五條と今井町の散策が効いて一万歩近く歩いているので、その疲れを明日に残さないことが重要である。

 

 部屋に戻ってくると原稿の執筆・・・と思ったが熱中症の後遺症で頭がボンヤリして無理。結局はボーっとテレビを見るだけに。そのうちに中途半端な夕食が響いて腹が減ってきたので買っていた鮎ずしを頂く。鮎が香ばしくて美味。やっぱり鮎ってうまいわ・・・。

  

 そのうちに激しい睡魔が襲ってきたのでさっさと寝ることにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃に起床。とりあえずは朝食へ。スーパーホテルチェーンの朝食は良く言えばシンプル、あからさまに言えばやや貧弱。まあこの辺りが私のホテルチェーンランキングではドーミーチェーンやルートインチェーンの後塵を拝している理由でもあるのであるが。

 

 腹ごしらえを済ませると朝風呂を浴びてからチェックアウトする。さて今日の予定だが、京都の美術館に立ち寄ってから帰るだけ。ただその前にわざわざ奈良まで来ているのだから平城宮跡に立ち寄っていくことにする。

 復元朱雀門

 かつては近鉄沿線の何もない広っぱだった平城宮跡も、例の博覧会に併せて朱雀門と大極殿が建造されているので、以前に比べるとそれなり絵になっている。とりあえず朱雀門を過ぎたところにある駐車場に車を止めると近くの平城宮歴史館に入館する。

 平城宮歴史館

左 遣唐使船  中央 甲板上の風景  右 これが網代帆

 内部は映像中心の展示で、往時の平城宮の姿や遣唐使の模様を伝える内容。いかにも博覧会のパビリオンと言った印象が強い内容である。また復元された遣唐使船なども展示されている。実は復元遣唐使船と言えばポートピアでも展示されていたので、これを見るといよいよ博覧会のパビリオンという感が強くなる。なお当時の遣唐使船はとにかく小さい船で、これだと玄界灘が荒れたら確かに難破しそうである。また布の帆でなくて竹を編んだ網代帆と呼ばれる帆を使用しているのが特徴的。この帆は剛性が高いために意外と性能は良いらしいが、編目から風が抜けるのが欠点だとか(つまり効率は悪いと言うことか)。それに非常に重そうである。

大極殿は遥か遠くに霞んでいる

左 大極殿を横手から  中央 内部  右 ここに天皇が座ったのか

 歴史館の見学の後は近鉄の線路の向こうに見える大極殿まで歩いて見学に向かう。しかしこれが大失敗だった。まず遮るもののない平地では容赦のない直射日光に晒される。その上にここは遺跡であるので電気はおろか水道も通っていないことから、途中で水分の補給が不可能である(自動販売機などは当然のようにないし、水道さえないのである)。つまりはここを散策するには水筒が不可欠なのだが、不覚なことに私は伊右衛門を持たずに出てしまったのである。結果として何とか大極殿にはたどり着いたものの、引き返す時には脱水状態になりかけてフラフラ。頭がチカチカし始める。そしてついには幻覚が見え始めて、頭に角を生やした悪霊が闊歩する姿が・・・と思ったらそれは「せんと」だった。やはりこいつは古都に巣食う物の怪だったのか。

 

 ようやく何とか灼熱する車にたどり着くと生ぬるい伊右衛門で一息。しかしこれだけだと身体が全く冷えないので、駐車場から車を出すと近くのファミマに飛びこんでジュースを買って一気に飲み干す。これでようやく生き返る。

 

 この後は京都まで長いドライブ。途中で宇治に立ち寄って土産に茶団子を買ってから近くの回転寿司屋で軽く昼食。

 

 さて目的地は京都文化博物館だが、京都市内に車で乗り入れるのは駐車場所を探すことなどを考えると得策とは思えない。そこで六地蔵で車を停めて地下鉄でアクセスすることにする。しかし烏丸御池で地下鉄を降りて地上に出ると殺意を感じるような暑さ。博物館までは高々200メートルほどだが、これがとにかく異常に消耗する。

 


「世界遺産ヴェネツィア〜魅惑の芸術−千年の都〜」京都文化博物館で9/23まで

 

 浅瀬の海上に杭を打って人工的に作り上げられた水上都市・ヴェネチア。地中海貿易の拠点として繁栄を極め、ナポレオンの侵攻に屈するまで共和国として存立し、その富によって多彩な文化を花開かせた。そのヴェネチアのかつての繁栄を伝える品々を展示した展覧会。

 展示品は華やかな装飾品や、当時の町並みを描いた絵画などが中心。ヴェネチア貴族達の華やかな生活が伝わってくる。またヴェネチアングラスの展示などもあるので、難しいこと抜きに見て楽しい展示物が多い。ただその分、芸術的価値云々という話になると何も印象に残らない。一言で表現するとヴェネチア観光案内という印象が強い。


 再び地下鉄で六地蔵まで戻ってくると後は帰途につくのみ。しかし京都周辺の道は車で走りにくくて往生した。何よりとんでもないドライバーが多い。黄色の点滅信号を見て慌てて急ブレーキを踏む奴とか、100メートル以上先の信号が赤に変わった途端に反応して急ブレーキを踏んだ挙げ句、赤信号で待っていると前の車が動いてもいないのに青信号に変わった途端に発進して前車に追突しかけるという「信号機しか見ていない奴」などトンデモドライバーのオンパレードであった。こんな環境下ではもらい事故に巻き込まれないようにするだけでも神経をすり減らす。やはり日本はトヨタ様の利益のために本来は運転免許を与えるべきではない輩にまで免許を与えているようである。

 

 灼熱地獄を避けるために車での遠征に切り替えたのだが、それでも結局は炎天下を歩き回ることになりかなり消耗してしまった。もっとも考えようによっては行動の合間を車の冷房全開で身体を冷やしていたから保ったのであって、これが関電の停電詐欺のせいで生ぬるい冷房になっている列車移動だったら、途中で過体温になってぶっ倒れていた可能性が高かったかもしれない。ただとにかく教訓は「クソ暑い真夏の炎天下に奈良や京都なんて行くもんじゃない」ということである。

 

 結局はこれで楽天トラベルの全国制覇をしてしまうことになってしまった。ちなみにだからと言って何かの特典があるというようなことは全くない。そもそも楽天トラベルに関してはいつの間にやらプラチナ会員なるものになっていたが、その特典自体がほとんど無意味(優待セールなどの類はおよそ使い物にならないものばかりだし、お勧め宿泊プランとやらは二名様からのリゾートホテルばかりとお話にもならない)だったので、ここが言う特典の類はまるであてにしていない。それよりもむしろこれがきっかけになって、今後は楽天トラベルと距離を置くことになるんじゃないかという気がしている。それにしても以前から楽天は一度登録するとスパム増えすぎ。毎日来るスパムの95%以上が楽天関係って・・・。

 

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