展覧会遠征 高知編2

 

 年も押し迫ってきて世の中がかなり慌しくなってきている。さて私の方だが、先の東京遠征では病気が悪化してひどい目にあったが、それもようやく落ち着いて普通に動けるようになってきた。となるとやはりどこかに遠征と考えるところである。この際に目的地として浮上したのが高知。高知県美術館で開催中の大絵金展を見るのが主目的。ただこれだけだとあまりに内容が少ないので、これに周辺地域の見学も含めたプランを作成した。

 

 出発は土曜日の早朝。表に出ると凍えるほど寒い。とりあえず路面の凍結に注意しながら高速を突っ走る。しかしどうも調子がおかしい。最初は車が不調なのかと思ったが、すぐに原因が判明する。風が異常に強いのである。そのために車が左右に振られ、はなはだしい時にはタイヤからビリビリという音が出る始末。カローラ2からノートに乗り換えてから車が覿面に横風に弱くなっている。風は瀬戸中央道に入るとさらに激しく、あからさまに車が左右にぶれる。おかげで瀬戸大橋は50キロ規制がかかっている。運転しながら常に細かい姿勢修正をしていないといけない状態なのでとにかく疲れる。前を走っているワゴン車などを見ているともろに左右に揺れているのが分かる。四国に入ってからも風にあおられっぱなし。その上に時々雨がぱらつくという悪コンディション。それでも10時半頃には南国ICに到着する。

 

 さて今日の予定だが、正直なところ自分の体力及び時間との相談である。やはりまだ体力に自信が持てない状態なので、最悪はそのまま高知のホテルに直行するという根性なしプランまであったのだが、目下のところは体力にも時間にも十分に余裕がある。そこで最初に想定したプランを実行することにする。それは室戸岬を訪問するというもの。

 

 室戸岬については以前に徳島から高知方面の鉄道を視察した際、甲浦から奈半利に移動するバスで通過したことがある。その時は室戸岬を見学したい気はあったが、とにかく分刻みのスケジュールで動いていた状態なので途中下車する余裕はなく、車内から中岡慎太郎の像を目にしただけである。そこで今回は室戸岬まで足を伸ばすとともに、室戸岬の手前にある重伝建の吉良川町を見学しようという考えである。

 

 南国ICで高速を降りると国道55号をひたすら東進する。国道55号はかなり混雑しているが、途中で対面二車線の道路になってしまう。こうなると自車の後ろに車の長い行列を従えることに快感を感じるタイプの異常者の格好の活躍の場になってしまう。結局は奈半利ぐらいまでは長蛇の車列でトロトロと走ることになる。

 途中でフロントガラスに霰が

 南国土佐といえども今日はかなり寒い。途中でフロントガラスにパラパラと霰が吹き付けてくる。まさか南国土佐で霰に遭遇しようとは・・・。

 海沿いを突っ走る

 12時ぐらいになってようやく室戸岬に到着する。中岡慎太郎像の近くの観光用の駐車場に車を停めるが、強風のせいでゴーゴーという音が聞こえており、車のドアをうかつに開けると風で持っていかれそうである。またこの強風下を海沿い道路を走り続けたせいで海水のしぶきが吹き付けたらしく、フロントガラスが塩で真っ白になって前が見えにくい状態になってしまっている。

中岡慎太郎像

 海岸まで遊歩道があるので海岸に出向いていくが、そこは奇岩の群れ。太平洋の荒波に削られた荒々しい岩がゴロゴロと転がっている。まさに地球のパワーそのものである。ただ風が強い上に足元がゴツゴツとして歩きにくいので転倒に注意する必要がある。

室戸岬の奇岩の群

 海岸を見学すると近くの御厨人窟・神明窟まで移動する。ここはかつて弘法大師がここに籠もって悟りを開いたという由緒ある場所である。弘法大師は洞窟探検するのが目的でなく、終業のために選んだ洞窟であるので洞窟自体は深くはなく、中には祭壇がしつらえられて今日では信仰の場となっているようである。

 海岸地区の見学の後は室戸岬灯台のところまで登ることにする。山上には四国霊場24番札所の最御崎寺があるが、そこまでは室戸スカイラインなる急傾斜急カーブのすごい道が続いている(道幅は十二分に広いので走るのに不安はないが、スカイラインという名が伊達でないと感じるぐらいの急傾斜)。それを登ると駐車場所があるので車を置いて室戸岬灯台に向かう。

  

 室戸岬灯台は数百メートル先のやや下ったところにある。灯台には「恋人たちの聖地」との看板が立っている。こういう看板を見ると「おっさんが一人で来たらあかんのか!」と絶叫したくなるが、単に寂しい独り者の僻みと見られるだけで惨めなのでやめておく。なお私と二人で室戸岬灯台を訪ねてくれる女性については引き続き募集中である。

  

 室戸岬灯台からは海を見渡すことができるが、まさに太平洋で気の狂いそうな水平線である。こういう風景を毎日見ていたら、水平線の向こうから何かが押し寄せてくる幻想にとらわれないだろうかと思ってしまう。まあ自ずと海の向こうの世界に心が飛ぶこともあろう。瀬戸内しか知らない私には想像しがたい心境である。

 

 室戸岬灯台から戻るついでに最御崎寺を訪ねる。ここは弘法大師ゆかりの寺らしく、境内には「空海の七不思議」と書かれた鐘石がある。この鐘石は叩くと鐘のような音がする石で、この音は冥土まで響くと言われているとか。確かに見た目からは意外なとほどに金属的な音がする。なお室戸岬周辺にはこの空海七不思議にまつわるスポットがあるので、オカルトマニアや信心深き者なら回ってみるのも良いかもしれない。ただ私は信心皆無(宗教は人類が進化する上での最大の障害とさえ思っている)、オカルトへの興味も皆無(幽霊や霊魂などが化学式と物理法則に則って現れるなら信じてやるというスタンス)なのでもとよりそんなつもりはない。

 室戸岬を回ったところでそろそろ昼食にしたいと考えた。観光ガイドで昼食を摂る店に目星をつけて室津まで走る。

 

 昼食を摂る事にした店は「みやび」。魚ものが中心の和風レストランである。なお観光ガイドでは「室戸キンメ丼」なるメニューがご当地グルメとして記載されており非常に心惹かれたのだが、シーズンがあるのかメニューには記載なし。そこで注文したのは定番どころで「カツオのたたき定食(1200円)」

 高知で食べるカツオのたたきがうまいのは今更言うまでもないが、印象に残ったのは小鉢の旨さ。CPとしてはまずまずと言うところか。

 昼食を終えると吉良川町まで走る。往路で国道沿いに観光用駐車場があったのを確認しているので、そこに車を置いて徒歩で町並みを見学する。

 吉良川町はかつては良質の備長炭の産地として栄え、その時期に建造された町並みが現在にまで残っているという。

   郵便局です

 町並みはなまこ壁に水切り瓦を備えた土蔵などが並ぶ落ち着いたもの。またいしぐろと呼ばれる石垣塀も特徴的である。

いしぐろの町並み

 吉良川町の見学の後は奈半利まで走行。ここにある「モネの庭マルモッタン」を訪問。しかしやはり冬の植物園は殺風景。まあそもそもそのために今の期間は入場料は無料になっているが。

さすがに庭園の方はいささか殺風景にすぎる

 モネの庭を見学すると日が西に傾く中を高知までひたすら走行。往路のように道交法原理主義者の渋滞テロに巻き込まれることはなかったが、とにかくひたすら長い道のりという印象であった。やはり室戸岬は遠い。しかも高知市手前になってから夕方の渋滞に巻き込まれて車が進まなくなる。ようやく高知に到着した頃には疲れはてていた。

 

 今回宿泊するのは土佐御苑。高知の老舗の名門ホテルである。ホテルの入り口にいかにも作りもののはりまや橋があるのは爆笑。ホテルにチェックインすると夕食のために町に出かける。夕食を摂る店については目星をつけている。私が訪問したのは「満潮」。貝と海老、それに魚の店である。注文したのは「貝焼き(九種盛)」「カツオのたたき(塩)」

 名前も知らないような様々な貝が皿に載って出てくる。それを目の前のコンロで焼いてくれる。貝が生きているので目の前で七転八倒する光景は、狂信的な動物愛護協会から苦情が出ないかと気になったりする(笑)。

 

 焼かれた貝をその名前も知らないまま口に放り込む。やはり焼貝はうまい。そのうちにカツオのたたきも出てくるので交互につまむ状態。

 ただここに来て一つ失敗したと感じる現象が。新鮮な貝というのは海水を含んでいる。その挙げ句に塩たたきなので、口の中がだんだんとしょっぱくなってきたのである。酒のあてならこれでも良いのだろうが、生憎と私の場合はこれがウーロン茶のあて。これは完全な失敗であった。ちなみに後から考えると、酢を添えてあったので、これをもっと使えば目先を変えることができたか。

 

 最後は貝飯を頂いて締め。考えてみると最初からこれを頼んでおいた方が口の中を変えられたか。再訪することがあれば、焼おにぎりでも合わせることにするか。

 

 以上で支払いは4980円。私の不手際で少々問題が起こったが、内容としてはまずまずのものだと思う。久しぶりに貝を堪能したというところ。

 ご当地ドリンク

 夕食を終えるとホテルに帰還、大浴場で汗を流して部屋でまったりとするのだった。このホテルはなかなか良いところだが、難点は大浴場が温泉でないところとインターネット接続がないところである。温泉はともかくとしてネットがないと退屈で仕方ない。結局はこの日は疲労もあってやや早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃に起床するとまず入浴。温泉ではないもののやはり大浴場は気持ちが良い。入浴後にはレストランで朝食。やはりビジネスホテルよりは朝食がうまいのでたっぷりと腹に詰め込む。

 

 朝食後は土産物を購入したりなどマッタリしてから9時過ぎ頃にチェックアウトする。天気予報によると四国の山間部で雪などというとんでもないことを言っている。まさか昼間まで雪が積もっているとは思えないが、今日は早めに帰った方が無難そうではある。予定を素早くこなしていくことにしよう。まず最初に行くべきところは決まっている。本遠征の主目的地である。

 


「絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展 極彩の闇」高知県立美術館で12/16まで

 

 幕末の土佐で町人の子として生まれながら、狩野派の技法を学んで天才的な画力によって土佐藩の御用絵師に出世、しかし贋作事件に巻き込まれて城下を追放され、町絵師として歌舞伎などの物語を描いた芝居絵屏風を多数残したことで知られる絵師の現存する作品を集めた展覧会。

 芝居絵屏風は本来は祭が終了すると焼却されるような消耗品だったため、必ずしも多数が残っているとは言えないが、それでも昨今の絵金に対する再評価の高まりによって貴重な作品がいくつか保存されているという。本展では本来の芝居絵屏風の形式を復活させての展示もあって、その雰囲気を伝えている。

 人目を引くための芝居絵屏風ということもあり、その表現は大胆かつ外連に満ちているものであるが、その劇的効果には現在の劇画などに通じる感覚が存在する。またその劇的表現を支えているのが彼の卓越した技倆。本来は10年はかかると言われる狩野派の修行を3年で免許皆伝まで終えてしまったというその天才的画力は、外連味タップリの表現を単なる悪趣味に落としてしまわない裏付けとなっている。

 幕末に登場した謎多き天才絵師の技倆を存分に楽しめたのが本展。なかなかに私を高知にまで呼び寄せただけの内容はあった。


 絵金が贋作事件に巻き込まれた件については、嫉妬による陰謀という説が濃厚であるが私もそれに同意する。ことの経緯は古物商の依頼によって探幽の作品の模写を描いたところ、その古物商が偽の落款をつけて売ってしまったことによるという。当時既に御用絵師にまで出世していた絵金にとっては、贋作売買で小金を稼ぐ必要があるとも思えない。やはり町人の出から名字帯刀が許される御用絵師にまで出世した彼に対しては、あの身分制度の時代だけにかなりの嫉妬が渦巻いていたのではないかと思われる。陰謀を画策したのは誰かは今となっては分からないが、彼が追放された後に誰が御用絵師の座についたかなどを調べれば、その周辺から容疑者は浮かび上がるような気もする。なお彼の追放が決定された後、彼の作品はほとんどが焼却されたと言うから、今となっては勿体ない話である。またこのように「彼の芸術をこの世から抹消しようとした」という点から考えても、まず間違いなく同業者の犯行だろう。

 

 絵金の経歴については城下追放から町絵師として再び現れるまでの経緯が不明で、全国を放浪していたとか、果ては中国に渡ったとかまで言われているとか。ただやはり町絵師となっても彼の作品はかなりの評判を呼び、絵金流と言うべき一派が誕生したらしいからやはり実力者はただでは死なない。

 

 美術館の見学の後は高知城に立ち寄ることにする。高知城にはかなり以前に来ているが、その時には今ほど城郭に興味があったわけではない。今改めて高知城を見学すればもっと違った観点からも見えるだろうとの考え。

 

 高知城周辺は車で一杯。ようやく見つけた公園の駐車場に車を停めると散策にでる。高知城に登る前に手前の高知県立文学館に立ち寄る。

 


「大正ロマンの画家 高畠華宵の世界」高知県立文学館で1/27まで

 大正ロマンと言った時に思い出す一つが、当時雑誌の挿絵などで人気を博した高畠華宵の絵。その高畠華宵を紹介する展覧会。

 彼の活躍した時代は大正から昭和初期とのことであるので、私はリアルタイムで彼の作品を目にしているはずはとうていないにもかかわらず、彼の作品に懐かしさを感じると言うことは、彼の作品はその後の挿絵芸術などにかなりの影響を与えたと言うことだろう。今となっては「レトロ」という言葉で表現されてしまう彼の絵柄だが、それでも今でも少年少女の心をワクワクさせる魅力は持っているように思われる。


 久しぶりの「高知城」である。間近で見上げるとさすがに現存天守だけあって風格がある。また城の縄張り的にも良くできていることが感じられる。前回の訪問時にはここまで細かく注意することはなかったことを考えると再訪の価値はあった。

左 大手門と天守  中央 石垣の水抜き用の石樋  右 二の丸石垣

左 詰門、二階が本丸への渡り廊下  中央 二の丸虎口鉄門跡 右 二の丸から望む天守

左 本丸裏手  中央 詰め門二階の渡り廊下  右 本丸裏手の黒鉄門

本丸御殿及び天守

 高知城を見学すると昼食でも摂ろうかとひろめ市場に向かうが、内部は観光客でごった返していて座る場所さえない。結局はお持ち帰りの寿司だけ買って戻ってくる。

 

 さて実のところこれで今日の予定は終了である。このまま帰っても良いが、まだ昼前でありもう少しどこかに立ち寄りたい。そう考えた時、高知県立美術館で香美市立美術館でも絵金展が開催されている旨が掲示されていたのを見たのを思い出した。ついでだから立ち寄ることにする。

 

 途中で車中で先ほどの寿司を昼食として頂くと、香美市まで走行する前にガソリンの補充。その際には車のあまりにあちこちに塩が噴き出しているのを見て洗車をしておくことにする。まさか高知でコイン洗車場に行くことになろうとは・・・。

 昼食

 香美市立美術館は初めてである・・・と思っていたのだが、明らかに辺りの風景に記憶がある。美術館に行くのに神社の参道を車で走った時に、明らかに以前に一度来たことがあることを確信する。記憶の糸を辿ると、以前に高知を訪問してアンパンマンミュージアムなどを訪ねた帰りに立ち寄ったが、時間が遅かったのかちょうど展示の端境期だったのかで何も開催されていなかったので帰ったのではということを思い出す。

香美市立美術館

 なお香美市立美術館での絵金展は、当然ながら高知県立美術館のものに比べるとかなり小規模のもので、展示内容的にも被る部分もいくつかあった。ただこちらでも絵金の作品を堪能することが出来たのであった。

 

 さてここまで絵金つながりで来たのなら、このまま近くの絵金蔵も訪問しておくことにする。絵金蔵は香南市赤岡にある絵金の作品を収蔵した美術館である。高知城下を追放になって各地を放浪した絵金は、叔母を頼って赤岡町に定住して、ここで多くの芝居絵などを描いたという。その屏風絵などが今に残り、現在でも土佐赤岡絵金祭りが定期的に開催されている。絵金蔵はその絵金の貴重な作品を保護するために作られたという。

    

絵金蔵と向かいの弁天座

 その名の通り作品保護のために作られた施設であるので、貴重な作品は温度湿度を保たれた蔵の中で保存されており、表に展示されているのはレプリカである。ただここは絵金の生涯などについて知ることの出来る諸々の展示があり、絵金のファンとしても楽しめるところ。またかすかにレトロ感漂う赤岡の町(江戸+昭和レトロか)もなかなかに風情がある。

赤岡の町並み

 これで全予定終了。後は高知道を突っ走って帰宅の途についた。途中の山岳地帯では「積雪注意」の表示が何カ所か出ていたが、さすがに昼を過ぎた今となってはもう雪は残っていなかった。ただ遠くの山では山頂が雪を被っているところがあり、四国でも積雪はあるのだということを感じたのであった。

 

 何やらカツオのたたきと絵金ツアーのようになった本遠征。そもそも主目的が絵金展だったのだからこれでも良いのではあるが。なお高知は特別に好きな町というわけでもないのだが、やはり南国は良いなということを感じたのも事実。特にこういう寒いシーズンになると南国はそれだけで心が弾む。

 

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