展覧会遠征 大分編

 

 世間ではクリスマスムードに突入であるが、今年も私は例年通りのロンリークリスマスが確定している。こんな時には家でボンヤリしていると気が滅入るばかりである。となるとやはりどこかに出て行くのが妥当か。実のところ気になっているのは大分。というのも今年の秋に九州大型遠征を実行したが、その際に台風の直撃によって大分周辺に多数宿題を残しているからである。仕事の宿題は来年に残しても、プライベートの宿題は来年に残すべきではないというのが私の行動原理。ここはやはり年内に宿題を解決しておこうと考えた次第。

 

 さて大分までの移動だが、普通に考えると新幹線+特急。しかしとにかく九州は西海岸に比べて東海岸の交通が貧弱である。以前に大分に行った時、特急ソニックを利用しても小倉からやたらに遠かったことを覚えている。秋にスオーナダフェリーに乗った時に年末まで限定の5000円引きチケットをもらっていることから、いっそのこと車で大分まで走ることも考えたが、あの時のことを思い出すと恐らく大分に到着した時にはヘロヘロだろう。しかも帰りをどうするか。そう考えた時に頭をよぎったのは「いっそのことフェリーで大分に上陸しようか」という考え。大分と言えばフェリーさんふらわあ。前回に別府でこの船を見かけて妙に心惹かれたことも記憶に新しい。 ちょうど良い機会である。

 

 最初はノートで直接にさんふらわあに乗り込むことを考えた。しかしやはり車を持ち込むとなると運賃が高い。それなら体一つで渡って、向こうでレンタカーを借りた方が賢明だという結論となった。ちょうど好都合なことに、さんふらわあでは現在「船に泊まろう」と銘打って割引キャンペーンを実行中である。これを利用すれば定員1名のスタンダードシングルルームを利用しても往復で2万円ちょっと。しかも現地に朝に到着することができる。新幹線と特急を乗り継いだら運賃で片道1万5千円を超え、しかも早朝出発で現地到着は昼頃になることを考えると、こちらの方がかなり有利である。

 

 プランとしてはクリスマス前の三連休を利用して、金曜日の仕事終了後にただちにフェリーで大分に移動、翌朝に大分港に到着するとそこから日田に移動する。本来日田は秋の九州周回遠征で立ち寄り予定先に入っていたのだが、その手前の岩戸山古墳で想定外に時間を費やしたことと、その結果として時間だけでなく私の体力も尽きてしまったことなどから、日田に立ち寄らずに湯布院に直行してしまったのである。これがいわゆる宿題その1。日田を見学して現地で一泊すると、翌日は大分方面に戻ってきて別府周辺の外湯でも回って別府で一泊、その翌日は台風で立ち寄れなかった佐伯城に立ち寄り(これが宿題その2)、その晩のフェリーで神戸に帰還、そのまま職場に直行するというプランである。このプランに基づき、ホテルの手配、フェリーの予約、レンタカーの手配などを迅速に行う。この計画性と行動力が仕事に反映されていたら、私も今頃は部長ぐらいには・・・。しかし実際の私は必殺仕事人ならぬ必殺遊び人(女遊びではないのがミソである)として知られてしまっている。

 

 金曜日の仕事を終えるとそのまま六甲アイランドのフェリーターミナルに直行する。三連休前のためかフェリーターミナルには結構大勢の乗客がやってきている。早速往復の乗船券を購入すると乗り込む。それにしてもさんふらわあは大きい船で、船がまるごと建物のような印象である。なお船内がクリスマス装飾されているのは、私にとっては「余計なお世話」。

さんふらわあ船内風景

 スタンダードルームは狭めの個室。カプセルホテルや寝台車よりは広いが、普通のビジネスホテルよりは狭い。ちょうど格安ビジネスホテルといったぐらいのスペース。ただ内向きの部屋なので窓がないのだが、そのことだけでこんなに圧迫感があろうとは少々驚きである。考えようによっては独房という表現がピッタリかもしれない。

 さんふらわあ独房・・・じゃなくて個室

 部屋に荷物を置くと腹が減っているのでとりあえず夕食のためにレストランに向かう。レストランはバイキング形式で料金は1500円。良心的価格とは言わないが、決してボッタクリ価格でもないだろう。船は食事を摂っている間に出航する。

 夕食バイキング

 夕食を終えると展望風呂に出向く。もっとも展望風呂と言っても日没してしまっているので外は真っ暗である。とりあえず仕事で疲れた体をほぐしておく。

 

 夕食を摂って風呂にはいると何もすることがない。テレビをつけても海の上では地上波はNHKしか映らない(さすがNHKではある)。BSが見られるものの残念ながら見るべき番組が全くなく暇を持て余す。

 

 こういう時に有り難いのが先日購入したばかりのiphone5である。さすがに海上ではネットは無理だが、本体中にガッテンとヒストリアをMP4で大量に落としてきてある。結局はこの晩はこれらを見ながら暇をつぶしつつ、11時頃に就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩はよく眠れなかった。やはり慣れない船中泊で緊張した・・・というわけでなく、とにかく暑い、暑すぎたのである。この週末はかなりの寒波が来ることが予想されており、それに対して警戒しすぎているのか船中の暖房がかなり強め。しかも船室は窓がないので空気の流通がない。そのせいで元々暑がりの私(体に自前の断熱材が多すぎるせいもある)にとっては灼熱地獄。おかげで夜中に目が覚めて外に涼みに行く羽目に。寝苦しくて仕方ないので、結局は室内でほぼ全裸になって横たわってしまう。

 

 砂漠の中を放浪する夢を見ながらウツラウツラしているうちに気がつけば起床時刻の6時。とりあえずレストランにバイキング朝食をとりに行く。しかし今朝は船が揺れて気持ち悪い。昨晩は瀬戸内クルージングだったおかげで全く揺れなかったのだが、今朝は佐田岬沿岸まで出てきているせいか外海の荒さになっている。やはり私には外海航路になる大阪−志布志航路はとても無理だということをこの時に痛感する。

 翌朝の朝食

 朝食をとってしばし船室でマッタリしていると、まもなく大分港に定時で到着するとのアナウンスが入るので下船口の近くまで移動する。フェリーターミナルでは到着時刻に合わせてJR大分駅行きのバスが来ているのでそれで移動する。

 さんふらわあが港に到着

 さて今日の予定だが、JRで大分から日田に移動するつもりである。当初予定では大分駅でレンタカーを借りてそれで日田まで走るつもりであった。しかし計画実行直前になって、この週末は九州でも降雪の可能性が高いという情報が飛び込んできた。大分はともかく、日田は九州でも豪雪地帯で知られた町である。また九州の高速道路には冬用タイヤ規制というものがないので積雪すれば即通行止めである(九州のドライバーにはチェーンやスタッドレスタイヤを持っている者がほとんどいないためだという)。下手をすれば、今日は良くても明日になったら日田から大分に戻ってこられないという危険がある。そこで今週になってから急遽レンタカー屋に電話して、レンタカーの予約を明日からに変更し、さらには日田方面行きの特急ゆふの指定席を確保したのである。

 

 大分駅前は改装工事中らしく通路は仮設通路になっている。指定席券売機で予約した切符を受け取るとホームに移動、特急ゆふはまもなく到着する。私が以前にこの地域を鉄道で訪れた際は特急ゆふは展望席付きの黄色い車両だったが、今では九州横断特急などに使用される赤い車両が就航している。それにしてもJR九州の列車は、赤いのやら青いのやら黄色いのやら緑色のやらと原色で賑やかしい。これであと桃色のがあればゴレンジャーである。いや、白いのや黒いのはあるので、今時の戦隊ならこれで十分か。ただそれは良いのだが、車内が異常に暑い。九州の人間は暖房を効かせすぎる傾向があるのか?

特急ゆふ

 大分を出たゆふはゆっくりと山間を走行、何度か対向車と待ち合わせしながら湯布院に到着する。ここで大量の降車と乗車が。湯布院を抜けるとかなり深い山の中を走行する。この時にふと頭をよぎったのは、私は積雪を恐れてレンタカーからJRに移動を切り替えたのだが、もし高速道路が通行止めになるような事態になった場合にこの路線も果たして運行しているだろうかということ。JR九州が除雪車を持っているとも思えないし、下手をすれば高速道路が封鎖されるよりも、この路線が運休する方が先なのではなかろうか・・・。しかしもうそうなったらなるようになるしかない。

 沿線風景

 列車は耶麻渓の山岳地帯を走り抜け、やがて日田に到着する。日田は山間の温泉地という風情の町だが、実際には意外に大きな都市であり、この辺りの拠点でもある。日田に到着するととりあえずホテルにトランクを預けに行くことにする。宿泊予定ホテルは「ひなの里山陽館」。日田温泉の温泉ホテルである。ホテルは駅から歩いて10分ほどの川の畔に立っている。

 日田駅に到着

 ホテルにトランクを預けるとまずはそこに見えている「日隈城」を見学することにする。日隈城は安土桃山時代に日田が秀吉の直轄地になった際に築かれた城だという。毛利高政(中国の毛利氏とは無関係)の支配下にあったが、一国一城令で廃城となったとか。

 日隈城遠景

 三隈川に突き出したような小山の上にある城であり、守りが容易であることは想像に難くない。現在は公園となっており、本丸跡と思われる部分は神社となっている(これはお約束)。かつての曲輪跡かと思われる削平地が各所にあるが、城の遺構をうかがわせるものはほとんど残っていない。

左 登り口  中央・右 ここは二の丸辺りか

左 本丸跡はお約束通り神社  中央 城跡碑はここにある  右 帯曲輪のような削平地も多いのだが・・・

 日隈城を見学した後は、日田の重伝建地区である豆田町の見学のためにプラプラと散策がてら日田市街を北上する。駅南のこの辺りの市街は町並み保存の対象にはなっていないが、それでも所々に風情のある建物も見受けられる。また町全体の雰囲気はどことなく昭和レトロでもある。

駅南側(豆田町とは反対側)にも結構風情のある町並みはある

 豆田町に到着する前に咸宜園の前に到着したので立ち寄ることにする。咸宜園は江戸時代の儒学者・廣瀬淡窓が開いた私塾であり、明治30年に廃校となるまでに高野長英、大村益二郎など多くの人材を輩出したという。廣瀬淡窓は地元の豪商の長男に生まれたのだが、生来病弱であったために家を継ぐのは弟に任せ、自身は学問の道で生きていくことにしたのだとか。結果として咸宜園は多くの優秀な人材を育て、家業の方は弟が手腕を発揮してより一層発展させたらしいから、この選択は彼らにとっては正解だったことになる。

咸宜園

咸宜園内部

こちらは書庫兼書斎の遠思楼

 咸宜園を過ぎてさらに北上するといよいよ豆田町の町並みが目に入ってくる。ただここに来て少々空腹がこたえてきた。町並み見学にはいる前に昼食を摂ることにする。「いた屋本家」という趣のある店構えの店があったので入店。注文したのは「天領ウナギのセイロ蒸し」「鯉こく」。なお天領ウナギとは日田がかつて徳川幕府の直轄地だったことに由来しており、日田を語る上でのキーワードである。実際この後、「天領焼き餅」に「天領饅頭」など嫌と言うほどこのキーワードに出くわすことになる。

 さてウナギのセイロ蒸しと言えば、以前に出会ったのは柳川でのことである。ここのセイロ蒸しも同じパターン。ウナギを蒸しているので非常に柔らかい。なおウナギを蒸さずに焼く関西人にとっては、このウナギには抵抗を感じる者もいるかもしれない。しかし私の場合、関西人であるにも関わらず蒸してから焼く関東風のウナギも好む人間なので(私としては関東のウナギと関西のウナギは別の食べ物だと思っている)、その点では全く抵抗はない。

 久しぶりのウナギはなかなかの旨さ。ただやはり私としてはセイロ蒸しよりはひつまぶしの方が好みか。セイロ蒸しはウナギがいささかあっさりしすぎる気がする。なおさらに旨かったのは鯉こく。ここの鯉は清水中で長期間泳がせているとのことで全く臭みがない。鯉というのはキチンとした処理をしていると臭みはなく、川魚特有の味の強さが魅力として出てくるのである。よく「鯉なんて臭くて食えない」としたり顔で語る者がいるが、それは今までろくな鯉を食べたことがないということを白状しているようなものである。

 日田は鵜飼でも知られている

 昼食をしっかり堪能したところで再び町の散策にでる。九州北部を押さえる上での交通の要衝でもあった日田は、その地理的重要性から代官所が置かれて天領として栄えた。豆田町はそもそもは城下町であったが、やがては経済力をつけた商人によって商家町へと変貌を遂げていった。今でも往時の白壁土蔵づくりの町並みが残っており、重伝建地区に指定されている。

豆田町(御幸通り)の町並み

 町には江戸期からの建物も残っているが、明らかに後に町並みに合わせて建て直されたと思われる建物もあり、単純に昔の町並みを守っているだけではなく、明らかに観光地として演出されているということも感じられた。また町内には商店も多く、重伝建指定をそのまま町おこしにつなげているのは明らかである。実際に雨にも関わらず観光客も多く訪れていた。

 

 豆田町を抜けると川を越えて「月隈城(永山城)」の見学をすることにする。月隈城は1601年に小川光氏が築城、1616年に譜代大名の石川忠総が移封して、その時に豆田町が城下町として整備されたという。その後、日田が幕府の直轄地となった際に廃城となり、城下に代官所が置かれたという。

左 月隈城遠景  中央・右 立派な石垣と堀がある

左 石垣内部は公園  中央 とにかく横穴が目立つ  右 登り口

 月隈城周辺は現在では公園整備されているようである。堀なども残っており、なかなかに城跡としての風格がある。やたらに横穴が多いのが目立つが、当初は防空壕跡かと思っていたのだが、現地の案内看板によると古代の墓跡で人吉などにある横穴群と同じ類のものらしい。つまりはこの地に古代より人が住んでいたことを示している。

左 立派な石垣が見える  中央 その横の神社は二の丸か  右 ここから本丸に登る

左 本丸  中央 本丸奥の天守台  右 天守台より振り返って

 山上にはお約束の神社があり、その反対側には立派な石垣が残っており、石垣上には本丸として十二分なスペースがある。またその奥にはさらに一段高い天守台とも言うべきスペースもある。本丸からは広く日田市街を見下ろせる上に、南は花月川を外堀とし、北は断崖と守りも堅固である。

左 二の丸を見下ろす  中央 日田市街  右 日隈城が見える

 月隈城の見学を終えると再び豆田町を通り抜ける。豆田町は人口も観光客も多くて活気があるのは良いが、難点は車が多すぎることと、あまりに観光地化してしまっていることが風情を削ぐということである。町並み保存と地域の活性化のバランスはなかなか難しい。

豆田町の町並み(上町通り)

 これで日田での予定は終了である。既にこの時点で1万5千歩以上を歩いており、足のダメージはかなり来ている。ここはさっさとホテルに入って休養すべきかとの考えも浮かぶ。しかしまだ時間は3時前。このままホテルに直行だと暇を持て余す公算が大である。どうしようかとさんざん迷ったものの、日田駅舎が見えた途端に一瞬で決断する。筑後吉井に行こう。

 

 筑後吉井に立ち寄るというのは当初の計画立案時から考えていたプランの一つである。ただ日田地域を車ではなくて徒歩で回ることに変更してからは、そのプランは重点目標ではなくて努力目標に格下げされていた。それを急遽実行することにした次第。日田で筑後吉井までの切符を買い求めると、ホームで停車していた久留米行きの普通車に飛び乗る。

 

 日田を出た列車は星隈城の脇を抜けると東進する。夜明周辺は深い山だが、そこを抜けると福岡県に突入、うきはに到着した辺りからはひたすら平地が広がる風景へと転じる。筑後吉井はその隣である。

 筑後吉井駅

 筑後吉井の重伝建地区は旧筑後街道の国道120合線沿いに発展した宿場町である。帰りの列車については駅すぱあとで調べているが48分後。重伝建地区から駅までが徒歩10分とのことなのでギリギリの予定である。

筑後吉井の町並み

 筑後吉井駅で降りると早足で重伝建地区に向かう。重伝建地区には看板が出ており、そこに到着したのはきっかり10分後。なかなかに風情のある白壁通りであるが、建物が全体的に新しいような気がするし、表の国道は旧街道にしてはいささか広すぎる。どうも一度区画整理が入っているように思われる。恐らくもっと奥に入り込んだところにさらに古い建物があるのだろうが、そこまで回っている時間的余裕がないので今回は表通りをザッと見ただけで引き返す。

 時間がないので町並みを後に早足で筑後吉井駅に戻ってくる。まもなく到着した日田行きの単両の普通列車は学生などで満員である。列車が日田に到着すると乗客の半分ぐらいは大分行きの普通に乗り換える。

 

 日田に戻ってくると私はそのままホテルにチェックインすることにする。部屋に落ち着くと、何はともあれ入浴。川に面した大浴場の泉質は弱アルカリ低酸性温泉という今一つ意味不明の泉質。特に強い浴感はなく、どことなく新湯に近い印象があるが、寒風の中で入る露天風呂はなかなかに快適である。

 

 入浴を終えると夕食に出かけることにする。私が予約した宿泊プランは格安のビジネスプランなので夕食がない。しかしホテルに到着して町の雰囲気を見た時に、夕食なしのプランにしたのは失敗だったと感じていた。案の定、町に繰り出してみると思いの外飲食店が少ない。結局はようやく見つけた「三隈飯店」に入店。B級グルメで人気という日田焼きそば餃子を注文する。

 餃子はごく普通。特徴的なのは焼きそば。大量のモヤシが入ったパリパリの麺をさっぱりとしたソースであえてあり、どことなく懐かしい感覚を受ける味。ただ焼きそばと言えば柔らかい麺に大量のカツオの粉と甘めのソースをかけたものをイメージする関西人の私にとっては、どうにも違和感の強い味。これはこれで好む者もいるだろうが、残念ながら私の好みとは少々ずれる。

  

 夕食を終えてホテルに戻ってくると、iphoneのテザリングを使用してPCをインターネットに接続して調べ物などしていたのだが、とにかく異常に疲れた。そこで少し横になるかとベッドに横たわったのだが、気がつけばそのまま意識を失ってしまったのである。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 次に気がついたら朝の4時になっていた。結局は昨日は8時過ぎに意識を失ってしまったようである。もう一度ウツラウツラしてから6時頃に起き出すが体調はあまり良くない。昨日の2万歩越えのダメージは足に来ており、左足のかかとが痛くて片足を引きずっているような状態の上に、とにかく体が異様に重い。しかしこのまま寝ているわけにもいかないので、朝風呂で目を覚ますと朝食を摂りに行く。朝食はセミバイキングとでも言うべき形式。ビジネスホテルと違って旅館らしくしっかりした和食である。

  

 朝食を摂って少ししゃんとしたところでチェックアウトする。今日は日田から特急ゆふで大分に移動。そこでレンタカーを借りる予定である。外は空気が冷たいが今のところは天気は良くて雪が降りそうな気配はない。「これだとレンタカーで来ていても問題なく移動できたな」という考えが頭をよぎる。

 

 特急ゆふは満員に近い乗車率である。沿線も天気が良い。この満員の乗客は湯布院で一斉に下車して、以降は車内はガラガラになる。大分では私を含めて数人が下車する。

 大分に到着すると駅レンタ事務所に直行する。用意されていたのはヴィッツ。ブレーキの感触が合わなくて最初は苦労したが(踏み代が少ないのでガックンブレーキになってしまう)、まあ基本的には乗り慣れた車ではある。また好都合なことにiphoneがつなげるようになっているので、これでBGMはバッチリである。

 

 さてこれからどうするか。当初に立案していたプランでは日田から大分に車で移動する途中で角牟礼城によるつもりだった。しかしここの移動を鉄道で行ったために予定が変わってしまったのである。だが列車で通った時の様子だとあの辺りは完全に晴れていた。天気予報によると午後から降雪の可能性とのことだが、これはすばやく行けば帰ってこれるかもしれない。とりあえず他に予定もないし、もし駄目そうなら途中で帰ってくるつもりで角牟礼城を目指すことにする。

 

 角牟礼城は玖珠盆地の角埋山に築かれた城で、中世には既にその存在が記録されているという。戦国期に大内氏と大友氏の攻防の中で強固に補強され、島津義弘の豊後侵攻の際にはその攻撃を退け、難攻不落の城として名をあげることになった。しかし1601年に来島氏の支配下の際に廃城となっている。山の奥の城であるが、三の丸まで車で乗り入れが可能であると聞いている。

 

 アバド指揮のロンドン交響楽団演奏のメンデルスゾーン交響曲第三番「スコットランド」をかけながら大分道をクルージングする。別府辺りで横風が強くて煽られるが、この辺りまでは天候はそう悪くはなかった。しかしそれが一変するのは湯布院辺りから。明らかに雪雲が空に立ちこめ、雪がチラホラと降り始める。これはやはり無理かと引き返すことを考えたが、さらにしばらく走ると天候が晴れて雪は全くなくなる。非常に判断が難しいところであるが、とりあえず行けるところまで行ってみることにする。

 天候が怪しくなってきた

 「角牟礼城」は玖珠ICを降りて少し北上したところ。旧城下町か風情のある町並みを抜けると案内看板が出ているのでそれに従って山道を進む。山道と言っても対向車がこない限りは運転に不安のない道なのだが、一つだけ明らかなのは万一積雪したら身動きとれなくなるだろうということ。その間にも天候は刻々と怪しくなってくる。

 城下の風景

 ようやく山上に到着したが、どうやら石垣の工事中の模様。しかも到着にタイミングを合わせるかのように雪の降り方が急に激しくなってきた。この期に及んで私は直ちに引き返すことを決断する。とりあえず角牟礼城はいつかリターンマッチをすることにして、雪が本格化する前に大分方面に引き返す必要がある。高速道路が通行止めになる前に行動しないとまずい。

  

 BGMは兄貴(私が兄貴という場合は、金本の兄貴ではなく、当然ながら水木の兄貴である)のアルバム「熱風伝説」に切り替わっている。これから高速を突っ走るのだが、ちょうどお誂え向きに曲は「マシンハヤブサ」。「マシンは僕だ!」と絶叫しながら雪が積もりかかっている高速を走り抜けることになる。

 

 途中でかなり雪が積もり始めていて焦ったが、なんとか無事に大分まで帰ってくる。ちなみにこの日の夜にホテルにチェックインしてから、私の通過後すぐに大分道が通行止めになったことを知ったのであった。今から思えば間一髪であった。

 既に雪が積もり始めている

 さて大分に戻ってきてしまったが、さすがにまだホテルに直行するにはあまりに早すぎる。どうするかと考えたところで、明日の予定にしていた佐伯城の訪問をこの際に実行してしまうことにする。そう決まると大分で高速を降りずに、そのまま佐伯に向かって突っ走る。

 

 なお途中でカーナビの目的地変更を行ったのだが、「さえきじょう」で検索をかけても全く表示されず、ここで正しい読みが「さいきじょう」なのだということを知る。つくづく日本語の読みは難しい。

 

 大分道から東九州道に乗り継いでまもなく、道路は対面二車線にグレードダウンする。こうなると出てくるのがトロトロと走って渋滞を作る車。私の場合もいきなり制限速度以下で走る車に出くわしてしまった。仕方ないのでそのままついて行っていたが、ようやく追い越し可能区間に出た途端に前車は追い越しをブロックするためのように急に速度を上げる(30キロ以上速度が上がった)。どうやらこの車はいわゆる道交法原理主義者ではなく、明らかに渋滞を作ることを目的にして走っていたようである。つまりは自分の後ろに車列を引き連れることに快感を感じる変態なんだろう。しかしこんな変態の悪趣味に付き合うつもりのない私は車の速度を上げて抜きにかかる。しかし車が並んだ途端に意地でも抜かせないと言わんばかりにさらに速度を上げてくる。さすがにこれには私も切れる。「お前みたいな変質者に関わり合ってる暇はないんだ」と叫ぶと、向こうが追跡をあきらめるであろうと思われる速度まで一気にアクセルを踏み込んでぶっちぎる。そうして私が先に追い越し禁止区間に飛び込んでから後ろを見ると、件の車は再び大幅に速度を落として後ろの車をつかえさせていた。どうも昨今は世の中に異常者が増えたが、高速道路にまで異常者が現れるようになったか。嫌な時代である。この調子だといずれ皇帝ルドルフ(神聖ローマ帝国皇帝ではなく、銀河帝国皇帝の方である)のような輩が現れて、劣悪遺伝子排除法なんて言い出しかねない。もしこういう輩が現れたら、ネトウヨ連中が一番熱烈に支持して彼ら自身が一番先に処分されてしまうことになるんだろうな。

 

 この後は概ね順調に走行、また湯布院周辺とは違って天候も良く、佐伯には予定通りに到着する。

 

 「佐伯城」は関ヶ原の戦いで東軍に参加した毛利高政がその功績で佐伯2万石を与えられることになり、その際に居城として築いた城である。佐伯市街を見下ろす山上に築かれた石垣造りの堂々たる近世城郭である。築城当時には三重の天守を有していたとのことだが、江戸期に山上の本丸や天守が火災によって焼失、後に麓の三の丸に居館が移されたという。明治になって廃城の後には三の丸以外の建物はすべて払い下げられて撤去されたとのこと。現存する建造物としては三の丸の櫓門、さらに山上には石垣が残存しているという。

左 三の丸  中央 櫓門  右 三の丸内は今では文化会館

 三の丸は今では文化会館となっているので、その駐車場に車を止める。見上げると三の丸がその偉容を誇っている。正面に見えるのが現存の櫓門。なかなかに風格のある門であるが、そこをくぐった先は残念ながら文化会館があるだけで城の遺構はない。

左 ここからルートが分岐  中央 登城の道  右 独歩碑の道

 文化会館のさらに奥に進むと登城口に行き当たる。山上の本丸へはここから3本の登城ルートがある。正面の登城の道というのが旧大手道。右手の独歩碑の道というのは後で作られた遊歩道である。登城の道は直登の最短ルートだがかわりに道は険しく、独歩碑の道はゆるやかだが長いと聞いている。お城マニアさんのページなどでは「独歩碑の道を選んだらやたらに長いルートで失敗だった」などと書いてあるのを見たことがあるが、彼らは一日に山城を三つも四つも攻めるような体力は底なしのせっかちな人種であることをよく知っているので、体力の底がすぐそこに見えているような私は迷わず独歩碑の道を選ぶ。

 独歩碑の道は未舗装ながらも路面は整備されており、車でも登れるような道幅の道路(入口で車止めがあって車が入らないようにしてはいるが)。道は比較的緩やかだが、その分ウネウネと回り込む形になっているので確かにルートとしては長い。しかし今の私の体調はこんな緩やかな道でも途中で息が上がってくるぐらいの情けない状態。先月に半月ほどほとんど寝たままに近いような状態だったせいで、とにかく登り坂になれば足が上に上がらなくなるほどに筋力が落ちている。これは徐々にリハビリをやっていかないとということを痛感する。

 ヘロヘロになった頃に石垣が見えてくると共に最後の石段。これを登ると本丸の手前に出てくる。ここまで来ると眼下に佐伯市街が広がると共に立派な石垣も眼に飛びこんでくる。こうなると今までの疲労が一気に吹き飛ぶ。

左 本丸石垣  中央 本丸上風景、奥は天守台  右 本丸奥、二の丸方向

 本丸上には天守台も残っており、その上にはお約束通りに祠が建っている。城はここを中心に北の丸方向と二の丸方向に分かれており、二の丸の先にはさらに西の丸がある構造になっている。二の丸には小さな橋でつながっており、その橋の下を潜ると北の丸に進める構造になっている。

左 奥が二の丸  中央 橋の下をくぐると北の丸  右 北の丸

左 北の丸  中央 北の丸先端部  右 周囲はかなり険しい

 北の丸はかなり広いスペースがあり、かつては本丸のバックヤードとして倉庫などでも建てていたのではないかと推測される。そして多分一番先端には防御の要としての櫓が建っていただろう。ここの周囲はかなり険しい。

二の丸

左 二の丸奥を抜ける  中央 西の丸  右 西の丸先端の櫓跡

 二の丸はかなり広大なスペース。家臣の屋敷などの建物もあっただろうと推測される。ここから門があったと思われる跡を経て一段降りたところが西の丸。ここもスペースとしてはかなり広い。有事の際にはここが城の防御の最前線として多くの兵が詰めたであろうことは想像に難くない。

 

西の丸からの眺望

 九州の近世城郭なのである程度の石垣があることは想像していたが、実際に現地に来てみると想像以上の規模の石垣が残っており、石垣マニアの私としては興奮を抑えきれない状態。それにしてもこれだけの遺構が残っていながら、この城郭の知名度が全国的には今一歩なのはなぜ? 大分の100名城と言えば岡城と府内城。私なら岡城はともかく、府内城よりは間違いなくこちらを押すのだが・・・。

 

 これで前回の九州遠征での大きな宿題は達成。後はホテルに向かうことにする。宿泊予定ホテルは前回にも宿泊した別府のサンバリー。あのホテルが非常に気に入ったというわけでもないが、別府温泉で一人で妥当な価格で宿泊できるホテルと言えば結構限られるというのが理由だったりする。

 

 湯布院方面は雪で大変だったが、佐伯から別府までの高速道路は何の問題もなくスムーズに流れる。往路は強風で煽られた大分−別府間も今度はスムーズ。ただ日出から先は除雪作業中との案内がでている(結局は湯布院方面は通行止めになっていたようだ)。予定通りに別府には到着する。

 

 ホテルにチェックインすると、もう夕方近くになっているがまだ摂っていなかった昼食にでることにする。向かったのはホテルのすぐ隣の「馬家溝」。ここのボルシチの味が忘れられなかったというのも今回の宿題(笑)。

 クリスマスが近いせいか、店内は客も多いし宅配用のパック詰めで店内は戦場状態になっていた。とりあえず注文したのは「ミニサラダ付きのボルシチ」「苺のババロア」

 店内がごった返していたせいか、出てきたボルシチは前回ほどの熱々ではなくて猫舌の私には適度なぐらいの温度。ああ、やっぱりこの味だよなという言葉が出る。この適度に酸味のある味わいが実に心地よい。デザートの苺のババロアもまさに私がイメージしていた通りの味。なんでこうも私のツボにピッタリなんだろう、ここの店。

 

 ここの店のHPによると、店名の「馬家溝」とは旧満州のハルピンの地名とか。うーん、やっぱり何か私の前世の因縁でもあるんだろうか。やはり私の前世は松山出身で日露戦争にでも参加したんだな。秋山真之の回りをウロチョロしていた水兵の一人辺りかと思っていたが、実は秋山好古の騎兵隊の下っ端の一人だったのか。

 

 本遠征最大の宿題(?)を解決したところでホテルに戻ると大浴場に直行する。最上階の展望大浴場で外を眺めながらマッタリ。くつろいだところで部屋に戻ってボンヤリしていると、外から高射砲のような音が。何だと思ってみてみると季節はずれの花火が上がっている。どうやら別府のクリスマスイベントの模様。それでさっきカップルが連れ立ってゾロゾロと移動していたのか。しかし私はサイレントナイト、ロンリーナイトの世界でクリスマスは無縁。テレビをつけてみると、何やら芸人が「シングルです、シングルです、嫁がない」とやけくそのように歌ってるし・・・。

 

 若さの最大の強みが無限の可能性だとしたら、老いるとはその可能性が限定されてくること。若い頃には無数にあった可能性の中から、実現不可能であることが明らかなものが増えてきて、多くの可能性が消えていくのである。どうやら私からは結婚という可能性もほとんど消えてしまったようである。いかん、気分が鬱になる。だからクリスマスは嫌いだ。

 

 実のところは今は部屋でやらないといけない作業が残っている。と言うのは、明日の予定が全くなくなってしまったということである。当初予定は今日は角牟礼城など周辺を回りつつ別府に到着し、明日に佐伯城を訪問してから大分からフェリーで帰るというものだった。しかし今日一気に佐伯城まで行ってしまったことによって明日の予定がまるまるなくなってしまったのである。明日大分からフェリーで帰るので遠くまで行けないし、明日も天候は悪そうなので湯布院方面はまずは無理、そうなると寄るべきところは限られてしまうのである。杵築は前回訪問しているし、日出はその前に訪問しているしと考えると行く先が・・・。結局何だかんだと明日の作戦を練りつつ頭を抱える羽目に。予定がなくなったらなくなったで開き直ってボンヤリと時を過ごせばよいのだが、それが出来ないのが私の貧乏性。

この日の夕食

デザートはそばぜんざい
 

 この日はネット調査で明日の作戦を練りつつ、途中でホテル内のそば屋に夕食を摂りに行き、疲れたところで就寝することになる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃に起床するとまず朝風呂。向かいのアネックスに朝食を摂りに行ってから9時過ぎまで部屋で休んでからチェックアウトする。

 

 さて先日四苦八苦した今日の予定であるが、結局は臼杵に向かうことにした。そもそも天候的に西方への移動は不可となると必然的に南北しか移動方向はないのだが、杵築、日出、宇佐など北方は既にほぼ訪問済みとなれば行き先は南方に限られてしまうというのが現実。臼杵は以前に臼杵城を訪問はしているが、あの時は限られた時間内で臼杵城を一回りしただけで、臼杵市街や周辺の観光地などは訪問していない。その辺りを拾っていけば十分に一日はつぶせると考えてのことである。

 

 ホテルを出ると別府ICに。しかし既に周囲には雪が降り始めており、大分道も日出JCTから先は通行止めとの案内が出ている。とりあえず南方は大丈夫であることを祈りつつ大分道を南下する。雪がぱらついていた別府周辺とは異なり、大分以南はかなりの好天。東九州道に乗り継いで順調に臼杵ICに到着する。

 別府はかなりの雪

 臼杵ICからは国宝の臼杵石仏を目指す。臼杵石仏は平安から鎌倉にかけた時代に作られたと言われており、規模・質などの点で国内屈指の石仏群と言うことで国宝指定されている。

臼杵石仏

 近くの無料駐車場に車を停めると入場券を購入して入場する。石仏は数カ所に分かれて存在するが、岩壁に直接に彫刻されているというダイナミックなもの。なお造形的には明らかに作風が違うものが混在していることから、長い年代の間に数度に渡って建造されていったものであると思われる。

 無宗教の私にとってはこれだけのものを作り上げた宗教的な情熱は理解できないが、ただ創作として考えた場合にはかなりの執念を感じるものである。

 善意の三脚

リストラ除けというのがやけに世知辛い世相を反映して生々しい

 周回コースはそれなりに起伏があるので結構しんどい。そこを石仏を見学しながらゆっくり回る。途中では「自由にお使い下さい」と書かれた「善意の三脚」なんかも置いてあり、一人で記念写真なんかも(何やら寂しいオッサンだな・・・)。また「ご参拝者の皆様へ」という看板に書かれていた内容なんかはかなり切実で世相を反映している。

 記念写真(一部画像のお見苦しい点を修正しております)

 石仏を見学した後は、すぐ近くにあるヤマコ臼杵美術博物館に入館する。展示物は地元の歴史に関するもの(江戸時代にこの地を治めた稲葉氏に関するものが多い)から、この周辺の遺跡で発見された考古的発掘物など。歴史民俗資料館と考古博物館が混ざったような内容である。これによるとやはりこの辺りの地域にはかなり昔から人が居住していたようである。

 

 石仏の見学を終えると次の目的地に向かうことにする。当初予定ではこのまま臼杵城下町に直行するつもりだったが、予定変更をして近くの鍾乳洞に立ち寄る。臼杵には風連鍾乳洞という鍾乳洞があるとのこと。昨日の計画立案時では場所が山側のために降雪を懸念して予定からははずしていたが、今日の様子ではまず降雪はなさそうであることと、現地に来ると「風連鍾乳洞 車で10分」などの標識を見たことから大して遠回りでもないと判断した次第。

風連鍾乳洞入口

 車で10分はあまりに駅前不動産屋的な表現だとしても、道も整備されているし天候も良いしで30分もかからずに現地に到着する。駐車場も完備されていてアクセスは便利。とりあえず入場料を払うと非常用に懐中電灯を手渡されて入洞することになる。

 

 風連鍾乳洞は自称「日本で一番美しい」とのこと。閉塞型の鍾乳洞なので外気による風化作用がなくて鍾乳石が白くて繊細なのだとか。人工トンネルである入り口の脇に往時の探検トンネルの跡があるが、こちらは現在は地下水で進入不可とか。

竜宮城の風景は圧巻

 人工トンネルを潜ったところから鍾乳洞に入る。最初は比較的地味な鍾乳石が多いのであるが、圧巻は一番最後の竜宮城と銘打った広間。狭いトンネルをくぐり抜けた先に鍾乳石があふれる広い空間があり、これがかなりの壮観。この鍾乳洞の価値はほとんどこの竜宮城にあると言っていいぐらいのメインステージである。ここに到達した時には私もしばし絶句してしまったぐらい。

 

 鍾乳洞を堪能して戻ってくると、次の目的地である臼杵の城下町へ。以前の臼杵の訪問の際には駆け足で臼杵城を回っただけなので立ち寄れなかった地域である。観光用の無料駐車場に車を停めると、まず立ち寄ったのは前回工事中だった旧臼杵藩主稲葉家下屋敷。いわゆる旧名家という造りであり、大きな広間があるのはいかにも武家屋敷。また武家屋敷らしく門も立派である。

 

 次は市街をプラプラと散策。ただその途中で昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは「木屋」。フグ料理の店のようだ。注文したのは「ふぐ御膳(3045円)」

 

 昼間からふぐとは贅沢なものだと思いつつ、どうせ今日は夕食が簡単になるだろうからとそろばんを弾く。ふぐはやはりテッサが最高。刺身のこの味わいはふぐかカワハギぐらいだろう。唐揚げは鶏のように見えて実は鶏ではないというふぐ独自の味わい。小鉢から香の物まで旨かった。昼食を堪能したのである。

 

 腹が膨れたところで臼杵市街を散策する。臼杵市街は表通りは江戸時代と言うよりは昭和レトロ的風情。しかし寺社の多い裏通りに回ると白壁土蔵造りの江戸時代の風情となる。ゆっくりと歩いてみるのに良い町並み。こう言うところを散策する時は、やはり時間が限られる列車旅行より、時間配分に自由が利く車の方が有利ではある。

臼杵の表通り

裏手の寺社通り
 

臼杵城

 臼杵城下の散策を終えると大分に戻ることにする。どうやら高速はまだ湯布院方面は通行不可の模様。大分までの高速は全く問題なかったのだが、高速から降りた途端に湯布院方面通行不可の煽りか大渋滞に出くわすことにする。

 

 結局は大分市内で進退窮まるような状態が続き、ようやく次の目的地に到着した時には5時前になっていた。


「生誕100年記念 高山辰雄展」大分市美術館で2/3まで

 

 大分出身の日本画家・高山辰雄の主に前半期の画業について注目した展覧会。

 若き頃の高山は自身の画風を追究する中、ゴーギャンの伝記本に感銘を受け、形態を簡略化して鮮烈な色彩を用いる画風を確立したという。その過程を感じさせる作品が中心。

 高山の作品については日本画と洋画の分類を越えているなどとも言われるが、確かに彼の作品は岩絵の具を使用しなければ油絵と変わらない(正直なところ、最初にボンヤリと眺めていた私は油絵だと思いこんでいたのだが、途中で高山辰雄は日本画家だったことを思い出して改めて見返した)。それが彼の独自性とも言える。

 もっともその画風については好き嫌いは分かれるところであるようにも思う。特にゴーギャンに対してあまり感銘を受けない私にとっては・・・。


 後半生の分については大分県立芸術会館で展示とのことだが、あちらは閉館が5時とのことなのでもう時間に間に合わない。

 

 これで本遠征の全スケジュールが終了である。夕闇が迫る中をレンタカーを返却に大分駅まで行くと、そこで土産物を物色するために大分土産コーナーをウロウロ。コーナーにはくまモングッズを中心に大分土産が満載。「そうそう、大分の有名人と言えばなんと言ってもくまモン・・・って違うやんか!」と思わず一人ツッコミしてしまう私。とりあえずくまモんでない大分土産を買い求めることに。さらに復路までさんふらわあのバイキングを食べる気はしないので、夕食用の弁当も買い込んでおく。

 

 後はバスで大分港まで移動、さんふらわあに乗り込んだのだった。さんふらわあの独房(笑)に入り込んだ途端、疲労でグッタリ。今日は車で走り回った印象しかなかったが、臼杵石仏に鍾乳洞、さらには城下散策で1万歩を軽く超えてしまっていた。疲労のために夕食を食べて入浴すると早々と寝てしまうことに。結局は私のクリスマスイブクルージングは寝ているだけで終わったのだった。

左・中央 乗船者に配られたさんふらわあサブレ  右 この日の夕食
 

 翌朝は朝食も摂らずにギリギリまでグッタリ。神戸港からバスに乗り込むとそのままその日は職場に直行したのである。さすがにこれは身体にキツイ。もう既に年末の片づけの時期で、まともな仕事はほとんどなかったのが救いだった。

 

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