展覧会遠征 丹波編

 

 先週は下関方面へひもじくて切ない遠征を実行したところであるが、私の「棺桶からの脱出生活」はまだ続いている。そこで今週は遠征と運動を兼ねて近場の山城に繰り出すこととした。手頃な目的地として選択したのは丹波の黒井城。この時期の丹波と言えば雪が気になるところであるが、目下の調査ではこの週末は雪の心配はなさそう。そういうことで丹波まで車でひとっ走りと相成ったわけである。

 

 朝食後のウォーキングが終わると車を出す。中国道と舞鶴道を経由しての行程である。やや肌寒いものの天候には不安はなく格好のドライブ日より。昼前には目的の春日ICに到着する。

 

 しかし春日ICで高速を降りた途端に私は目的地の選択を誤ったことに気づく。と言うのは、いきなり私を出迎えたのは「丹波大納言小豆」の巨大な看板。そう、丹波と言えば言わずと知れた大納言小豆の本場。この看板は嫌でもこれから散々目にすることになるが、これは甘いものを控えざるを得ない状況にある和菓子好きの私にはひどい苦行である。

 

 とりあえず山に登る前には燃料補給が必要。そこで昼食のために近くの道の駅に入る。しかしここでも私を迎えたのは大量の小豆おはぎの行列。夢遊病患者のようにフラフラと誘われそうになるが、すんでのところで踏みとどまる。

 

 ただおはぎの行列を抜きに考えても、この店の選択は誤りだったのはメニューを見た時に判明する。メニューはうどん定食や豚カツ定食など腹一杯ガッツリ食べる系の農家飯ばかり。結局はメニューの選択に困って、まだトンカツよりはましだろうということでチキンカツ定食を選択する。この時にカウンター脇に大納言入り抹茶プリンを目にして強烈に心惹かれる。しかしここではぐっとこらえる。「御免、私は今は君を連れていくことは出来ないんだ・・・。」

 とりあえず昼食を終えると黒井城を目指すことにする。黒井城はここから北西方向の山上である。道路沿いには案内標識が出ているので道に迷うことはない。狭い道をウネウネと登っていくと、山の手前に案内看板と駐車場が用意されている。

   

案内看板に従って進むと駐車場に到着する

 ここに車を停めるといよいよ登城であるが、ここではたと困る。道が二本あり、正面の道と右手の道の双方に登山路の表示がある。確か事前の調査では「登山路は駐車場右手」との記載があったのだが、正面の道にも黒井城の表示がある。悩んだが、右手の道はいきなり険しい階段を登るルートになっているので、とりあえずなだらかそうな正面の道を進んでみることにする。

 旧道

 しばらく進んだところで地元の方に出会ったので「お城に行くにはこの道でいいんですか?」と聞いてみる。説明によると、黒井城に登るには新道と旧道があるだとのこと。先ほどの右手の道は新道で、こちらは旧道。新道は最短ルートだが険しく、旧道は回り込む道だが緩やかなのでこちらの方が楽だとのこと。同じ目的地にたどり着くなら行程は楽な方に限るというのが私の人生訓。礼を言って別れると迷わずそのまま旧道を進むことにする。

 

 途中には動物除けのフェンスがあるのでそれをくぐって先に進む。確かに道はウネウネと回り込んでいるが、比較的勾配は緩やかである。ただ息は上がらないものの、最近のウォーキングで散々痛めつけている足の方が軽い悲鳴を上げるので、休み休みで登っていくことになる。

 

 ただ緩やかと言っても途中からはだんだんと傾斜がきつくなってくる。こうなってくるとかなりしんどい。しかしそのうちに開けた場所に門のような建物が建っている場所に到着する。ここが石踏の段とのこと。

左 石踏の段の門  中央 振り返ると市街が一望  右 石踏の段全景

 ようやくゴールかと思ってホッとするが、それは甘かった。目指す本丸はここからさらに急傾斜を登った先にある。先ほどまでのはほんの序章だったようだ。ここからが本格的にハードな登山になる。

 

 体が汗ばみヘロヘロになった頃に再び動物除けのフェンスに行き当たる。これをくぐるとようやく目の前が開けて石垣が視界に飛び込んでくる。現金なものでこうなると急に疲れが吹き飛ぶ。ここが東の段らしい。

 東の段 この石垣の上が三の丸

 先ほど見えた石垣の上が三の丸。さらにその先の石垣の上が二の丸で、そこからさらに石垣を登ると本丸になるという典型的な連郭形式の縄張りである。本丸からは辺り一帯を見渡せる。かなり高い山上にあり、非常に堅固な城であるが、曲輪自体はそう巨大というわけではない。

左 三の丸虎口  中央 三の丸の奥に見えるのが二の丸石垣  右 二の丸虎口

左 二の丸の奥にはさらに本丸石垣が  中央 本丸の手前には堀のような構造が  右 本丸

 黒井城は八上城、八木城と共に丹波三城とも呼ばれている山城である。赤松偵範が14世紀半ばに築いたと言われている。赤松氏と言えば置塩城のように「何をそんなに恐れて」と言いたくなるぐらい高い山に城を築くのがパターンだが、ここの城もご多分に漏れずとんでもない山上である。どう考えても居住性が良いとは思えないので、普段は山麓の館にいて、いざという時のためのお籠もり用の城だったんだろう。なお、後に明智光秀の丹波攻めで落城しており、その後に光秀の家臣であった斉藤利三が城主となっている。利三の娘であるお福(後の春日の局)はここで生まれていることから、この城は彼女のゆかりの城ということになる。

 雪も残る本丸

 かなり疲れたが、冷たい風が心地よい。風に氷の冷たさを感じるので、恐らく北方では雪が降っているだろうと思われる。体をクールダウンすると下に見える西曲輪に降りてみる。ここから回り込むと本丸の石垣がよく見える。既にかなりの部分は崩れているが、それでも立派な石垣である。往時にはかなりの壮観であったろう。

左 本丸上から見た西曲輪  中央 西曲輪から本丸を振り返って 右 本丸脇に回り込む

左 本丸石垣  中央 二の丸石垣  右 二の丸から本丸方面を見て

 帰りは新道を通って降りてくる。しかしこの選択は賢明とは言えなかった。地元の人が言っていたように、確かに新道はかなり傾斜がきつく険しい道である。また途中で崖に近いような場所もあるので、下りでもかなり足にキツイ。少々遠回りでも旧道を経由した方が足にも優しいし安全だろうと思われた。

左 帰路の途中にある太鼓の段  中央 三段曲輪跡  右 ようやく最後の石段にたどり着く

 駐車場まで降りてきたときには疲れ切っていた。こうなると甘いものが欲しくなる。その時に私の脳裏を横切ったのは抹茶プリン。登山で惨々運動したので、プリンの一つぐらいは食べても余裕でカロリーはマイナスだろう。ただあの時に残っていたのは1つだったはずだから、もう売り切れているかも知れない。まあその時は縁がなかったと思おう。そう考えると先ほどの道の駅に戻る。すると、まだあった・・・。そう、今こそ胸を張って食おう。彼女は私が帰ってくるのを待っていたのだから。

  

 正直なところ、涙が出るほど旨かった・・・。食事制限において、やはり甘物に制限がかかるのが私には一番ツライ。だから仕事中などはマービー甘納豆を持参して、疲れた時にはこれを口にしているのだが、どうしても知らず知らずのうちにストレスが溜まっているようだ。

 

 甘物を堪能した後は登山の汗を流したい。この周辺を車でウロウロしていた時に「国領温泉助七」という看板を目にしていることから、とりあえずそこを目指すことにする。

 目的地の助七旅館は車で10分弱も走れば到着する。駐車場に車が多く、日帰り入浴の客が結構多いようである。泉質は単純二酸化炭素冷鉱泉とのこと。冷鉱泉なので当然加熱ありであり、塩素も循環もあるようだ。湯は鉄分を含んでいるのかやや赤みのある湯。加温しているので炭酸の泡が肌に付くというようなことはないが、肌辺りの良い心地のいい湯である。

 

 入浴してサッパリしたのは良いが、またここで毎度のごとく「しまった!シャツの着替えを持ってきてなかった」と叫ぶことになる。今まで惨々これで失敗しているのに、いつまで経っても学習能力に欠けるところである。風呂でサッパリした後に、再び汗でベトベトのシャツを着ることの悲しさと言ったら・・・。

 

 入浴を終えたところで私の遠征の本分である展覧会訪問に戻る。この近くにある美術館と言えば丹波市立植野記念美術館。車で少し走ったところである。

 


「昭和の風景〜川端謹次とその時代〜」丹波市立植野記念美術館で2/17まで

 氷上出身の洋画家・川端謹次について、その足跡を神戸ゆかりの美術館と植野記念美術館の所蔵品で振り返るという展覧会。

 表題の通り、展示作品は風景画が中心である。いわゆる前衛芸術に走ったタイプの画家ではなく、あくまで具象画の世界の中で風景を印象派的にとらえた作品が中心。光の煌びやかさを感じさせる作品が多く、荒い筆致でザクザクと描いてあるようでいて、実は風景の本質を捉えているというという独特の世界。なかなかに魅力的である。


 これで本遠征の予定は終了した。後は高速を経由して帰途についたのであった。

 

 展覧会遠征と言いつつも、実は山登りが主となった遠征であった。なおやはりこの登山のダメージは身体に残り、翌日は足腰が結構つらいことになってしまった。ただ減量に取り組み始めてから明らかに足腰が強化されてきているのは感じており、足の筋肉に疲労は溜まっているのだが、身体の切れ自体は良くなってきている。さて目論見通りに、山城をスイスイと登れるようになるかどうか。その結果は春過ぎには出るだろう。

 

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