展覧会遠征 京都編6

 

 この週末は京都を訪問するべくかなり早くから計画を立てていた。目的は京都国立博物館で開催中の「狩野山楽・山雪展」。これに残る京都の重伝建である嵯峨鳥居本を組み合わせるというところでプランの大体の骨格が決まっていたのである。そこに降って湧いたように急遽決まったのが金曜日に大阪出張。上司の命令一つで地の果てまで行かされるのは宮仕えの定め。しかしどうせ大阪まで出張するなら、翌日再び家から京都まで出かけるのもあまりにしんどすぎる。ええい、いっそのこと私費で大阪で一泊してしまえということに相成った次第。

 

 大阪で宿泊したのは新大阪のクライトンホテル。完全にプライベートでの宿泊なら新今宮に安い定宿があるのだが、今回は仕事のついでなので服装が完全にビジネスモード。普段のしょっちゅうフリーの記者やフリーのカメラマンと間違われる(フリーというところがポイントのようだ)小汚い格好ならともかく、スーツで完全装備の状態では新今宮界隈は少しうろつきにくい。というわけでビジネスモードの時はやはりビジネスモードのホテルという次第。

 

 金曜日の仕事とアフターの飲みにケーション(と言っても私自身は全く酒は飲まないが)を終えると、新大阪に移動してホテルに入る。ホテルの大浴場で仕事の疲れをとると、明日に備えてベッドに入ったのであった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 しかし本当に世の中は一寸先は闇である。翌朝5時頃に目が覚めてしまって、まだ早すぎるからと二度寝に入ろうとしたところであった。突然に体がベッドごとゆっさゆっさと揺すられたのである。「地震だ!」咄嗟に声がでる。阪神大震災の体験者としては当時の記憶がフラッシュバックする。ただ結構大きな地震には違いないが、少なくともこの場所ではあの時の揺れよりも遙かに小さい。「震源はどこだ?」ただちにテレビをつけると同時にネットを接続する。ニュースによるとどうやら震源は淡路島。結構大きな地震のようだが、阪神のような大被害が出る規模ではなさそうだし、NHKのニュースを見る限りでは火災なども発生していない模様。とりあえずはホッとする。

 

 一応自宅に電話をかけて家族の安否確認をした頃に、勤め先の方から社員の安否確認のメールが送られてくるので、とりあえず本人無事、家族も無事の返答を送っておく。もし阪神大震災規模の地震だと勤め先から緊急召集がかかる可能性があるが、この規模の地震だとまずそれはないだろう。それにもし召集がかかったところで、現時点では関西一円の鉄道は完全に停止している模様なので、新大阪からなんか駆けつけようもない。

 

 とりあえずやるべきことを済ませた頃には7時前になっていた。落ち着いたら急に空腹を感じだしたのでホテルのレストランに朝食に行くことにする。しかしいざ廊下に出てみると、なんとエレベーターが緊急停止中。結局は8階から1階のレストランまでを階段で往復する羽目と相成ったのである。まあ食後の運動にちょうど良いと前向きに考えることにするか。たださすがに2階の大浴場まで朝風呂のために再び降りる気はしなかったので、朝風呂は部屋のユニットバスで済ませることにした。

 

 結局はホテルで9時過ぎまでゴロゴロしてからチェックアウト。まずは阪急で高槻まで移動することにする。目的は「高槻城」。高槻城はキリシタン大名で知られる高山右近のゆかりの城として知られているが、街道の要衝だけに10世紀末には既に築城されていたという。戦国期には三好氏の支配下となっいたが、織田信長の侵攻でその軍門に下る。その後に城主となったのが高山右近で、この頃に近世城郭として整備されていったという。高槻城は江戸期を通じて存在し、明治4年の廃藩置県で廃城となる。高槻城の木材や石材は東海道線敷設の際の資材に転用されたという。

 阪急高槻駅

 阪急は既に運行を再開していたが、地震のあおりでダイヤが滅茶苦茶になっているようだ。しかし高槻までは問題なく到着する。高槻は京阪間では比較的大きな町なので、駅前はゴミゴミとしている。その中を抜けて城跡の公園を目指す。

 高槻城復元模型

 かつての高槻城は今の高槻市街をすっぽりと覆う規模だったが、今では城域の一部が公園になっているのみ。ただ町の通りなどの構造に往時の城割の面影が残っている。城跡公園には復元石垣と高山右近の像があるが、遺構の類は全く残っていない。都会の城郭のお約束で既に完全に市街に埋もれてしまっている。

左 高槻城跡公園入口  中央 復元石垣と堀  右 高山右近の像

公園内に江戸期の古民家を移築してある

 高槻城の見学を終えて駅に戻ると次は嵯峨鳥居本を訪問することにする。ルートとしては阪急嵐山からバスを利用するというもの。まずは阪急桂まで特急で移動・・・なのだが、ここで今朝の地震の煽りでとんでもないことが。高槻に到着した特急がダイヤの混乱のせいで既にラッシュアワー状態の大混雑なのである。そこにホームにごった返している大量の乗客が無理矢理に乗り込む。当然ながら車内は押し合いへし合いの阿鼻叫喚の地獄図である。乗り換えの桂に到着した時にはグッタリとしてしまう。

 

 ここからは嵐山線に乗り換えなのだが、また乗り換え客が異常に多い。どうも花見シーズンということで嵐山行きの観光客が多いようである。しかし列車の方は地震の煽りで間引き運転。結局はここでも大混雑である(先ほどよりは遙かにマシだが)。

 嵐山駅は大混雑

 大量の乗客が終点の嵐山で降車。私はここからバスで嵯峨鳥居本を目指すことにする。嵯峨鳥居本は愛宕神社の門前町だった町で、かつての風情をとどめる町並みが重伝建に指定されている。

 

 数分遅れでやって来たバスは、狭い路地を抜けて走っていく。嵐山は人と車でごった返していてバスが走るのが大変。特に下手なドライバーが紛れ込んだらどうにもならないポイントが多々あるので、車の誘導のための係員が出ている。そもそも京都の道は車が走るようには出来ておらず、走ってもせいぜい牛車の道。下手くそドライバー(女性ドライバーに多い)と馬鹿ドライバー(男性ドライバーに多い)は立ち入るべきではない。

 

 しばし路地をウネウネ走ってからの山間のバス停が鳥居本。私はここで下車するが、先ほどの嵐山の喧噪が嘘のように人気がない。さてここから重伝建地区に降りないといけないのだが、そのための道がない。道を探してウロウロしていたら、観光バスでやって来た団体客が反対側の路地を降りていっている。道路の反対側にあったので気が付かなかったのである。とりあえず彼らに付いていくことにする。

嵯峨鳥居本西部の町並み

 嵯峨鳥居本の町並みは藁葺き屋根もあるかなり風情のあるもの。まずは西に向かって歩く。嵐山高雄パークウェイの下を潜って進むと鳥居があり、その辺りが町のはずれのようだ。とりあえずここにあった茶店「平野屋」で桜餅を頂く。

  

西の端の鳥居の向こうが平野屋

 柚子味噌とこしあんの桜餅が旨い。まさに日本人で良かったと思う瞬間。

柚子味噌とこしあんの二種類の桜餅

 重伝建地区の西端まで来たところで、今度は東に向かって折り返す。西の方は藁葺き屋根などの建物が多かったが、東の方は瓦葺きになり商家の趣が強い。

東部地区は瓦屋根が中心

 町並みをフラフラしたところで腹が減ったので昼食にする。入店したのは「与呂七」「湯豆腐A定食(2300円)」を注文する。

  

 タケノコご飯にタケノコのおひたしにタケノコの天ぷらと京都らしいタケノコづくし。サッパリとした湯豆腐が旨い。観光地価格ということでCPは端から棄ててかかっているのでまあこれで良しか。

 昼食を食べると町並みを東端まで見学して戻ってくる。そろそろ帰りのバスの時刻であるのでバス停へと急ぐ。ここからは京都駅までバスで移動。しかしこれは結果としてはあまり賢くはなかった。阪急嵐山周辺で混雑に巻き込まれてバスは異常に時間を費やし、結局は京都駅まで1時間以上を要してようやく到着する。阪急嵐山で降りて、阪急と地下鉄を駆使した方が圧倒的に早かっただろう。

 

 京都駅からは洛バスで目的地へ。そもそも京都に来た本来の目的はこちらである。

 


「狩野山楽・山雪」京都国立博物館で5/12まで

 安土桃山から江戸時代への激動期、狩野派も二つに分裂する。江戸で幕府御用絵師となった江戸狩野と京にとどまった京狩野である。その京狩野の祖となる狩野山楽、山雪の作品を展示した展覧会。

 山楽は最も忠実に狩野永徳の画風を受け継いだと感じられる。豪放で大胆、描写は非常にスケールが大きいが多少オーバーである。なお山楽は権力者豊臣秀吉に近かったため、豊臣氏滅亡後は残党狩りの標的にまでなり、辛うじて九条幸家や徳川秀忠の人力によって命を取り留めたとのこと。もしこの時に彼が残党狩りにあっていたら、その後の京狩野はなかったと考えるとこれは非常に大きいこと。

 山雪は山楽の弟子に当たるが、山雪の壮大で豪放な画風を受け継ぎつつも、軽妙洒脱な表現を併せ持っており、この辺りは新時代が到来したことを感じさせる。彼は曾我蕭白や伊藤若冲などにも影響を与えたと言われているが、確かに彼らにつながる奇想の類を感じさせる作品がある。

 狩野派と言えば装飾的で定型的な作品ばかりというイメージを私は持っていたのだが、そうい思いこみを破壊してくれたのが本展。なかなかに有意義な展覧会であった。


 これで京都での目的を終えたので駅までバスで戻る。しかし臨時バスが出ているにもかかわらずバスは超満員。結局は二台をやり過ごして三台目のバスにようやく乗ることが出来たのだった。なお当初予定では時間と体力に余裕があれば坂本訪問も考えていたのだが、この時点で時間と体力の共に限界に達していたのでまっすぐ帰ることにする。

 

 京都駅に到着、さて新快速の時間はと思って時刻表を見ると奇妙なことに気づく。時刻表に普通列車しか記載がない。「?」と思っていたら、今朝の地震の影響で新快速は運休とのアナウンスが。「京都くんだりから普通列車で帰ってられるか!」。仕方ないので痛い出費ではあるが新幹線で帰宅することに。最後の最後まで波乱含みの遠征と相成ったのであった。

 

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