展覧会遠征 但馬編

 

 ここのところ公私ともに多忙で疲労気味である。こんな時は家でゆっくりと・・・と思ったのだが、それはそれで精神を病みそうである。結局は突然に思い立って近場の山に登るという結論になった。

 

 今回出かけたのは但馬の八木城。兵庫県有数の本格的山城として知られた城郭である。八木城は石垣造りの近世城郭とその奥に土塁造りの中世城郭があり、前者を八木石城、後者を八木土城と呼んだりする。今回はこの二つをまとめて攻略しようとの考え。

 

 八木城は戦国時代の八木氏の本城で、八木氏は但馬守護山名氏の下で活躍し、四天王の一人に数えられたとのこと。しかしその八木城も羽柴秀吉の但馬攻略で落城、その後秀吉配下の別所重棟が入城し、その際に石城の方が整備されたという。しかし別所重棟の息子の吉治が関ヶ原の戦いで西軍に与したために別所氏は改易、八木城も廃城となったという。

 

 播但有料道路で和田山まで移動すると、八木城の登城口まで15分程度。国道9号を西進すると八木城跡の表示が出ているのでそちらに入ると案内看板がある。案内看板によると登城路はここらしいが、この先には駐車場がないので手前の公民館のところに車を停めるようにとの案内が出ている。私が事前に調べた資料では「車を停める場所がないので路駐するしかない」などと書かれていたのだが、路駐を防止するためにこのような案内を出したのだと思われる。付近の住民の迷惑になってはいけないので指示に従って車を停めにいく。公民館の駐車場に車を停めて準備を行っていると、近所の方が「山に登るんでしたら」とパンフレットをくれたのでありがたくそれを頂いてから登山にかかることにする。

 登城口は墓地の奥で動物除けのフェンスがあるので、そこを開けて入ることになる。キチンと杖まで用意してあり実に親切である。なお私は杖は持参しているが、そうでない場合は杖を借りていく方が正解。これが必要な理由は後で惨々分かることになる。

  

八木城登城口

 登城路の最初はかなり急な七曲がり。この部分だけで息が上がる。ここを抜けると尾根筋に出て、後はひたすらそれを登り続けるだけ。キツイのは確かだが、以前程きつく感じないのは私の体力が増しているということだろうか。途中で伊右衛門で水分補給をしながら進むと、まもなく「ここから八木城」という標識が見える。

左 登城口の最初は薮  中央 尾根筋を登る  右 ようやく城域に到着

 ここまでは道は比較的整備されていたのだが、ここからの登りは曲輪をよじ登る形になるので険しさを増す。急斜面を登ったところで一番端の曲輪にたどり着く、ここから各曲輪をよじ登る形で進んでいく。

左 曲輪を登る  中央 上図の6の郭  右 奥に見えるのが5の郭

左 5の郭は下草だらけ  中央・右 一段上の4の郭は広くここが三の丸

 やがて大きな曲輪に出るのが三の丸らしい。ここからさらに進むと二の丸。すると上に立派な石垣を構えた本丸が見える。

3の郭を越えて奥に進むと二の丸に出る

左 本丸の石垣虎口 中央 南の方の郭  右 本丸

 なんと言ってもこの石垣が感動的。こんな高い山の上にと呆れる程の高石垣である。これを眼にするとここまでヘトヘトになって登ってきたことが報われたと感じる。

本丸に残る石垣

 本丸上は櫓の跡と天守台が残っている。この石垣の上に天守が載っていたとなるとかなり壮観な城郭であったろうことが伺える。往時の姿を脳裏に思い描きつつ、ここで伊右衛門で一服。

本丸奥の天守台から振り返って

 しかし今回はここで終わりではない。本丸から降りると立派な石垣を間近で眺めつつその奥へと進んでいく。この奥には八木土城があるのである。

左 本丸櫓台跡  中央・右 本丸石垣

左・中央 本丸石垣  右 堀切

 石城の北東の一番のはずれに堀切跡が残っている。そこを越えるといよいよ八木土城に向かうのだが、ここが一番の難関。ここからかなり急なむき出しの斜面を直登することにする。辛うじて這いつくばって登らないといけないほどではないが、足下はかなり怪しいし杖は不可欠である。

尾根筋を進んでいくと急な登り坂に出くわす

 ヘロヘロになった頃にようやく曲輪らしい平地に出る。八木土城はここから奥に向かって高度を上げながら曲輪を連ねていく。各曲輪は土塁で囲われているが面積自体は石城に比べると大きくはない。主郭手前の曲輪が枡形虎口になっているのが印象に残る。

八木土城は曲輪の連続

左 外枡形虎口  中央 本丸  右 最北端の曲輪

 本丸は最後部にある。面積としては大きくはない。ここはまさしく詰めの城であったのだろう。石城の方が様々な防御施設で守る近世の城で、土城の方は地形の堅固さを頼る中世の城という性格がハッキリと現れている。

 

 非常に立派な山城であった。兵庫にはこの手のレベルの高い山城は多い。竹田城は別格としても、置塩城などに匹敵するレベルの山城であった。文句なく私の続100名城入りである。

 

 それにしてもなかなかハードだった。ここまで登るのに1時間以上を要している。しかしこれを登り切ったことは私にとってかなり体力に自信を持てることになる。後は用心して下るだけである。しかし実際はこれが曲者。八木土城入口部分の急傾斜はかなり足下が危ないし、石城の登り口の竹の葉が積もっているところなど足下が滑って危なくて性がない。結局は下に降りてくるまでに何度も足下が滑ることになり、ついには一度完全に転倒してしまうことになったのであった。

 

 山から下りると昼食にすることにする。面倒くさいので近くの道の駅「ようか但馬蔵」に立ち寄ってそこのレストランで昼食にする。注文したのはおこわに天ぷらなどを組み合わせた膳(1580円)。地産地消を掲げてあるだけあって味は悪くない。ただやはりCPはどうしても良くない。

食事後はソフトクリームでクールダウン

 昼食を終えたらやはり風呂に入りたい。ちょうどこの近くにとがやま温泉天女の湯がある。ではそこに立ち寄って・・・と思った時に着替えを持ってくるのを忘れたことに気づく。何が悲しいと言っても入浴後に汗でベタベタの服をもう一度着ることほど悲しいことはない。そこで調べたところ、和田山にイオンがあることが分かったので結局はそこまで着替えを買い出しに行くことに。なんでわざわざ和田山なんかで服を買ってるんだか・・・。

 

 再び戻ってくるとようやく天女の湯に入浴である。天女の湯には一階の森の湯と二階の展望の湯があるようだが、今日は男湯は森の湯の方。

 泉質は炭酸水素塩泉とのこと。加温、循環、塩素消毒有りの湯であるが、それでも内湯の方などはそれなりの泡付きはある。サッパリした非常に気持ちの良い湯である。

 

 温泉で汗を流すとフルーツ牛乳で一服。気持ちよく帰途につくことになったのである。結構疲れたのだが心地よい疲れと言うべきか。それと汗をかいたことでやや重かった身体がむしろ軽くなったように思われた。何やら私もインドア系からアウトドア系に転身してから、感覚が体育会系に近くなってきたのだろうか? そう言えば今回は展覧会が全くなかった・・・。

 

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