展覧会遠征 北陸・岐阜編

 

 さあ9月の三連休パート2である。パート1では関東方面に繰り出したが、今回は北陸方面に繰り出すことにする。北陸は今まで何度か行っているが、鉄道で金沢周辺を回るパターンが多く、車でないと立ち寄れないような城郭は未訪問のままのものが多い。そこで今回はそれらを拾いつつ、前回の福井遠征では立ち寄ることが出来なかった白川郷に立ち寄って帰ってこようというプラン。

 

 例によって一日を最大限有効に活用するため、金曜の夜に出発して長浜で前泊することにする。宿泊ホテルは例によってのルートイン長浜。大浴場完備のCPの高いビジネスホテルチェーンである。最近はドーミーインは週末特別価格のせいで極めてCPが悪くなってきており、勢いルートインチェーンの利用が増えている。

 

 前回の福井遠征で前泊した際は、夏休みのド下手ドライバーによる同時多発事故のせいでホテル到着が9時を回ってしまうというとんでもない事態になったが、今回は西宮辺りで渋滞には出くわしたものの名神は概ね順調に流れている。これは8時頃にはホテルに到着できるかな・・・と思っていたところでとんだ隠し球が出現する。なんと先の豪雨のせいで名神の八日市IC−彦根IC間が通行止めということで八日市で高速から下ろされてしまう。しかも一般道に下りたところで渋滞につかまって車が全く進まない状態。本来なら10分程度で到着するはずの八日市−彦根間に1時間10分かかる羽目に。結局はホテルに到着したのは今回も9時過ぎ。

 

 ホテルに到着するととりあえず夕食だが、なにせこの時間なのでまたも「花々亭」で摂ることに。日替わりメニューのトンカツ定食とブリ大根を注文。特にうまくもないがこれで1330円ということで例によってCPは悪くない。

  

 夕食を終えると風呂に。やはり大浴場あってのルートイン。別に凝った風呂ではないが、疲れを取るには十分である。入浴を済ませるとテレビは特に見るべき番組もないし、かなり疲れはあるしということで11時ごろには就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床。かなり疲れているのだが、今ひとつ熟睡感がない。どうも最近は睡眠力の低下が著しいようだ。とりあえずシャワーで目を覚ますと朝食を摂ってから8時にはチェックアウトする。

 

 今日の最初の目的地は鳥越城。白山市にある国の史跡になっている中世城郭である。北陸道を小松ICまで走ると国道360号線を東に進む。

 

 かなり山が近づいてきたところで、「岩倉城跡」遊歩道という標識を見かける。調べたところそう険しい山でもなさそうだし、遊歩道が整備されているぐらいなら足慣らしにちょうど良かろうと立ち寄ることにする。しかしこれがこの後にとんでもないことになる。

 案内看板にしたがって進むと、車の通った跡のある遊歩道が通っている。その道に従って進んだはずなのだが・・・途中で道がなくなってしまう。何やら土砂崩れのような跡が。先日来の豪雨で道が塞がってしまったのだろうか。見てみると何とか渡れないこともないようだし、向こうを見ると道があるように見える。そこで無理やり斜面を横断する。

最初は道があったのだが、途中から突然道がなくなる

 しかしこれが完全な間違いだった。道があるように見えていたところには道がなく、何もない山の斜面に分け入ってしまったのである。引き返すかと思ったが、あの斜面をまた戻るのも嫌だし、山上に曲輪があるはずだから、上に向かって進めば登山道に突き当たるだろうと考えて上を目指す。しかしこれがさらなる間違いだった。

 道を外れてしまってこの有様

 かなりしんどい思いをして山上らしき場所にたどり着いたのだが何もない。間違って違う山に登ってしまったのだろうか。引き返すことも考えたが、そもそも道なき中を進んできたのでまっすぐ引き返しようもない。ここに来て事態は最悪の状況になってきたのを確信せざるを得なくなってしまった。現在地も分からないし、山の中には人の気配も全くない。救いはどうやら携帯が圏外ではなさそうなこと。最悪の場合には警察にSOSコールということになるが、そんな人騒がさせな恥ずかしいことはしたくない。こうなったらとりあえず独力で下山するしか方法はない。

 

 しかし山は実は登るよりも下るほうが大変なのである。目印なき山中を足元に気をつけながら下りる。とにかく転倒して怪我をして動けなくなるというような事態になれば最悪は命にさえ関わる。しかし足場は悪く、気を抜けばすぐに滑る。また手がかりにつかんだ枝が枯れていてポキッと折れるようなことも。おかげで2回ほど転倒したが、幸いにして大事には至らなかった。

 発電所らしきところに降りてきた

 ようやく下のほうにコンクリートの建物らしきものが見えてきたので、とりあえずそこを目指して降りる。降りてみるとそれは発電所の建物らしかった。どうやら完全に山を縦断してしまったらしい。この後は車を拾いにトボトボと山裾を回っていくことに・・・。

 

 この時点で全身ドロドロで手足には細かい傷がいくつも出来ている状態。完全に戦意喪失してしまったので立ち去ることにする。すべては山を甘く見ていた私のミスだった。里山でもうかつなことをすれば遭難の危険はあるのである。それに今回の私の行動は致命的なミスを起こしてしまう場合の典型的パターンを踏んでいた。

 1.初期での判断の誤り 2.根拠のない希望的観測に基づいての泥縄的対応 3.撤退の判断をするべき時期の誤り

 まさに「事故はこうやって起こる」という典型的パターンを踏んでいる。幸いだったのは本当に取り返しのつかない事故にならなかったことだけである。これは今後の教訓とすべきだろう。そもそも道なき道を進むような探検的調査の場合は単独行動でなくパーティーを組むのが基本である。私のような単独行動の場合はやはり道がキチンと整備されている場所に限るべきである。

 

 結局は山中で1時間以上彷徨っていたようである。とりあえず初期の目的どおりに鳥越城を目指すことにする。

 

 「鳥越城」までは道路が整備されており、駐車場も完備、内部も復元整備されておりまかり間違っても遭難の危険はない(馬鹿をやって崖から転落でもしない限り)。やはり私のような素人が行くのはこういう城に限る。

 本丸門などが復元されており、中世の城郭のイメージをつかむことが出来るようになっている。本丸からは深い空堀を隔てて後二の丸が向こうに見える。また南方向は断崖となっている。

左 本丸登り口と堀  中央 本丸入口の土橋  右 本丸西側の建物跡

左 中の丸風景  中央 本丸枡形門  右 枡形門をくぐった奥には本丸門が

左 本丸内の建物跡  中央 本丸の向こうに見える後二の丸  右 南側は切り立っている

左 奥に櫓台が見える  中央 櫓台  右 本丸の井戸跡

本丸からの風景

 本丸手前が中の丸で、中の丸門なども復元されている。中の丸の奥には二の丸があるが、その隅には櫓の跡も残っている。

本丸櫓台から見た中の丸

左 中の丸、奥が二の丸になる  中央 中の丸門  右 二の丸の建物跡と櫓跡

 二の丸から先は堀切を経てなだらかな尾根沿いに曲輪のような構造が見られる。ここは三の丸といったところだろうか、その先端にはまた堀切が見られまだ先はどこかに通じているようだが、ここまでで引き返すことにする。

左 二の丸奥を降りていく  中央 これは何かの曲輪か  右 先には明らかに堀切と土橋が

 二の丸の反対側にある後三の丸は高台のかなり広い曲輪。ここも屋敷などの施設があったのだろうと思われる。

   

後三の丸

 空堀や土塁などで各曲輪が守りを固めつつ連携出来るようになっており、特別に大規模な城郭というイメージではないが、実戦的で機能性の高い城郭という印象である。整備の状況も良く、なかなかに見応えのあるものであった。

 

 鳥越城の見学の次だが、ここまでやってきたのだからついでに白峰の重伝建地区を訪問しようと思い立つ。国道167号線を南下、白山スーパー林道方面との分岐を経てさらに勝山方面に向けて南下、かなり山深い中を疾走することになる。途中で手取川ダムを通過してダム湖を脇に見ながらの運転。以前の福井遠征時に通った九頭竜湖付近の状況と類似している。

どことなく懐かしさを感じる白峰の町並み

 走り続けることしばし、ようやく白峰に到着する。白峰は白山登山の玄関口らしいが、山間ののどかな温泉地という風情。とりあえず観光センターの駐車場に車を置くとプラプラと町並みを見学。いかにも山間の集落といった風情がなかなかに良い。

 

 昼食がまだだったので途中で見かけた雪だるま茶屋に入店、白峰名物というおろしうどんを注文する。ちなみにこのおろしうどんはそもそもはわんこそばと同じで、いらない時にはふたをしないと次々にお代わりが足されるシステムだったらしい。今でもその名残としてお代わり自由という設定があるが、私はうどんをそんなに食べるつもりはないので、一杯だけの分(500円)を選択する。

 うどんと言っても関西人が普通にイメージする太いうどんではなく、稲庭うどんなどと同じタイプの細い麺である。これはもしかして氷見うどんか? これを大根おろしでさっぱりと頂く。なかなか美味。ただ結構量があるのでこれは一杯で正解。お代わりなんかとても食べられない。

  

 うどんを食べ終わったところで牡丹餅(350円)を頂く。甘すぎない素朴な味でこれもなかなか。

  

 腹が膨れたところで落ち着いて自分の姿を見ると、山中を放浪してその際に数回転倒しているのでドロドロのひどい成りである。これはやはり風呂に入ってから着替えたほうが良さそうだ。そこで観光センターの向かいにある白峰温泉総湯に入る。

 弱アルカリ性の炭酸水素塩泉とのことだが、非常に肌当たりのぬるぬるした湯。加熱循環塩素使用とのことだが、元々の湯が良いのでそれはあまり気にならない。また山間の風景が心を和ませる。たまたま立ち寄っただけなのだが、私が想像していたよりも良いところだったようである。

 

 風呂でサッパリすると、総湯でもらった割引券を持って観光センターでソフトクリームを購入。300円が200円に。しかもこのソフトクリームがボリュームたっぷり。いやー、白峰は良いところだ(笑)。

 ゆったりとくつろいだところだが、そろそろ今日の宿泊地方面に向けて移動する必要がある。正直なところもうこの辺りで宿泊したいような気分だが、生憎と今日の宿と定めているのは金沢である。国道187号をひたすら北上し続けるかなりの長距離ドライブとなる。1時間以上の疲れる運転の後にようやく北陸自動車道に乗る。

 

 このままホテルに入って一休みしたいところだが、今日中に行っておきたい目的地がまだ一カ所ある。金沢を通過すると次の金沢森本ICで高速を降りる。目的地は「堅田城」。一向一揆勢力の城と言われている山城であるが、発掘調査の結果では弥生時代後期の土器なども出土しており、おなり古い時代から利用されてきた城郭であることが分かっているとか。堅田城は医央病院の横の墓地の奥の山上にある。墓地の駐車場に車を置くと奥に案内看板が出ているので、それに従って山道を進む。

 登山道は整備されているようだが、薮化がかなり進んでいて藪蚊がつきまとってくるので虫除けスプレーを身体に吹き付ける。

左 車道の入口  中央 墓地の奥に登山道がある  右 鬱蒼としている

 山道を汗をかきながらしばし進むと分岐に出る。そこを右の道をえらんでしばし進むと案内看板のある曲輪に出る。しかしかなり薮化が進んでおり、どうも詳細が分からない。

 登った曲輪はこの調子で何が何やら

 主郭はその上のようである。先に進むがとにかく薮化がひどい。主郭は手前に櫓台らしき高台があるが、その奥は腰の高さ以上まで下草が茂っていて進退ままならぬ状態。見学どころの騒ぎではない。

  

左 主郭らしき曲輪も何のことやら  右 櫓台らしき高所には薮の中にベンチだけ

 登山道を再び下ると先ほどの分岐のところを今度は左の道に進んでみる。こちらを進むと本丸下の畝状堀群のところに出る。なかなかの見所だと思うが、ここも残念ながら薮化がひどすぎて詳細が分からない。またここから上の曲輪に上がる道もあるが、ここも薮に前進を阻まれることになる。

  

畝状堀があるのだが、ここも薮が深すぎて写真にするとさらに分からない

 結局はそれなりの規模の城郭であるということは分かったが、とにかく薮化がひどすぎて詳細はよく把握出来なかった。下草刈りくらいの整備はして欲しいところである。登山道も傷みが目立ってきていたし、ここ最近手入れされていないのではないかという印象であった。やはりこういう放置された城郭はツライ。

 

 堅田城から降りてきた時には既に日は西に傾きつつあった。今日の宿に向かうことにする。今日宿泊するのはフォレストイン金沢。金沢の繁華街近くにあり、最上階にスーパー銭湯を持つホテルである。

 しかしこのホテルまでの行程がまいった。金沢手前から渋滞でなかなか車が進まない。市街に入ると大量の車で思う方向に進めず、ホテルがそこに見えているのにたどり着けない状態。ここまで車の運転がしにくい町は岡山や京都ぐらいしか思いつかない。とにかく以前から感じていることだが、金沢こそ路面電車が適した町だと思う。しかし現実には今となってから路面電車を通すのは不可能だろう。かといって地下鉄だととても採算性があうとは思えないし、金沢のようなこじんまりとした町の場合は地下鉄はむしろ使いにくい。最後の手段はモノレールなどの新交通システムか。しかし金沢のような風情のある町に高架を設置すると今度は都市景観上よろしくない。どうにも八方塞がりである。最終手段はかなり乱暴な方法だが、市街への車の流入規制か。

 

 ホテルにチェックインして車を置くと、夕食前に散歩に出かける。いくつかの重伝建築を抱える金沢だが、この度新たに寺町台地区が重伝建に指定されており、その寺町台こそがこのホテルの周辺地区である。

 寺町台地区とはその名の通り、この辺りにある寺院群である。寺町・野町のこの地域は、住宅地の中に多数の寺院がひしめく構成となっている。

 建物などは完全に往時のままというわけでもないのだが、住宅地と寺院が渾然一体となった町並みは独特の風情を醸している。

左 強欲なディズニーが金を取りに来るんでは・・・  右 蛤坂

 寺町台の見学をしたところで夕食に赴くことにする。気分的には自由軒でオムライスでも食べたいところなのだが、今からひがしに行くのもしんどい。結局は香林坊付近をウロウロして目に付いた「魚せん」に入店する。

 海鮮居酒屋というところか、炙り焼などが中心のようである。とりあえず「蛤の酒蒸し」「白子の天ぷら」「刺身盛り合わせ(一人前)」「牡蠣フライ」「鯛茶漬け」を注文。魚は悪くないが、以上で支払いが5300円というのはCPはあまり良くない。

 ホテルに戻ると大浴場で入浴。入浴を済ませるとやはり急激に疲れが襲ってくる。やはり今日は身体にかなりダメージが来ている。いつもより早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩の眠りは良かったとは言いがたい状態だった。部屋の遮音が悪いのか機械のような音が一晩中聞こえていたというのもあるが、それ以上に体の調子の悪さに苦しめられた。昨日の「岩倉城跡死の彷徨」のせいで1万8千歩越えでダメージが強烈に両足に来ており、一晩中両足のだるさと腰の不穏な痛みに苦しめられて眠りが浅かったのである。特に気になったのは腰の痛み。左足のしびれも同時に来ており、最悪の場合は動けなくなるのではないかとの不安が頭をよぎった。しかし幸いなことに、翌朝になると両太ももの張りや痛みはあったが腰の痛みは全くなくなっていた。これも最近のトレーニングの成果か。

 

 7時からレストランで朝食を摂ると8時にはチェックアウトする。今日も予定が目白押しである。まず最初に向かったのが松根城。先日訪問した堅田城をさらに東に行ったところにある一向一揆の城郭を後に佐々氏が整備したものと言われている。先日の堅田城同様、このあたりでは一向一揆勢力が強かったことを物語っている。そう言えば道路脇にも「一向一揆の里」という看板があった。しかしこれって・・・。まあ一向一揆と言えばどうも土一揆のイメージのせいで農民がムシロ旗を押し立ててと思われるが、実際には兵農分離が進んでいなかった時代の地侍中心の独立勢力であり、そういう点では伊賀や甲賀の忍者、また紀州の雑賀衆なんかに近いと言える。多分に一揆という名前で損をしているような・・・。伊賀者や雑賀衆はゲームなどにも出てくるが、一向一揆がゲームに出てきたのを見たことがない。

 

 国道359号線を東進すると、途中で「チェリーゴルフクラブ」の案内標識と一緒に松根城の案内看板も立っている。「松根城」があるのはこのゴルフ場のすぐ隣であるので、このゴルフ場を目標に走れば迷うことはない。

 松根城は先日の堅田城と違い、専用の駐車場も備えているし、内部も通路の下草が刈られており、快適に見学することが出来る。

   

駐車場の南側が馬場で櫓台のようなものもある

 東に虎口があり、そこから奥に向かって曲輪が連なっている構造。各曲輪の間は堀切で区切られており、北側は断崖、南側は高い土塁と空堀で守られている。城郭としての規模はそう大きくないが、コンパクトに堅固にまとめた施設である。少数の戦力で守るための城というイメージ。先日の堅田城に比べて縄張りが洗練されているような気がするのは、佐々氏による整備によるものだろうか。

 

 なかなかに見応えのある城であった。昨日の薮だらけの堅田城で嫌になりかけていた気持ちがこれでまた持ち直す。

左 虎口  中央 虎口脇の削平地(番所でもあったか)  右 本丸方向に向かう

左・中央 本丸までの間はなだらかな削平地  右 本丸手前には堀切と虎口構造が

左 本丸  中央 城跡碑  右 本丸からの眺め

左 本丸の一段下に二の丸がある  中央 二の丸奥が三の丸  右 曲輪の下の堀切と土塁

 松根城の見学を終えると次の目的地を目指す。次の目的地は「増山城」。北陸道を礪波ICで降りると東進。増山城に行くには和田川ダムを目指せばよい。ダムの手前に案内看板と駐車場があり、ダムを歩いて渡った先の山が増山城。案内看板なども整備されてトイレもある。

ダム手前に車を置いて、表示に従ってダムを渡るとなんちゃって城門がある

 増山城の歴史は古くは南北朝時代の14世紀後半に遡るという。交通の要衝を占めるため、それから廃城までの250年間で城主が目まぐるしく交代しつつ拡張整備されてきたとのこと。一般的には戦国期に神保氏の拠点だったことがよく知られており、その際に上杉謙信の攻撃を受けている。

 最初は谷間を登ることになる。この道は両側の尾根から丸見えであり、当然ながら攻め手はここで守備兵の猛攻にさらされることになる。山が丸ごと要塞となっている。

左 登城口  中央 大手門の辺り  右 脇には堀切跡が

 七曲がりをひたすら登っていったところでたどり着くのが一の丸。その呼び名からすると本丸のようであるが、地形的には大手から上がってきた敵を最初に正面から迎え撃つ曲輪であり、本丸は奥の二の丸と考えるのが正解のような気がする。それとも七曲がりは大手ではなくて搦手口なのだろうか。

左 最初に当たるF郭は番所のようなものか  中央 さらに登る  右 一の丸の下に出る

左 脇には曲輪が守る  中央 一の丸に登る  右 一の丸

 一の丸のさらに奥にあるのが二の丸。ここは増山城の城域の中央に当たり、ここを中心に各曲輪が広がっている。かなり広い曲輪であり、奥には鐘楼堂と呼ばれる櫓台のようなものがある。

左 一の丸の奥に二の丸が続く  中央 石垣跡とあるがよく分からない  右 二の丸の入口

左 二の丸風景  中央 二の丸奥の高台が鐘楼堂  右 鐘楼堂

 鐘楼堂に登ると奥に安室屋敷の曲輪が見えるが、この間の堀切がかなり深くて険しい。まさに断崖というイメージ。まかり間違ってもここを降りたり登ったりは出来そうにない。ここに限らず増山城の堀切はどこもかなり深い上にとにかく険しい。全山が大要塞となっている。

左 鐘楼堂から二の丸を振り返る  中央 向こうに見えるのが安室屋敷  右 馬洗い池方面を見下ろす

 二の丸を降りるとその周囲を回りつつ馬洗池を目指す。途中には又兵衛清水と呼ばれる水場もあり、籠城のための水の確保も万全な城郭であったことが伺える。安室屋敷には梯子で登れるが、その梯子がやや朽ちかけている上にもう既にかなり足にダメージが来ていることから無理は止めておくことにする。

左・中央 二の丸下にある無常(独立曲輪か)  右 二の丸を下から

左 さらに下には又兵衛清水(水場)  中央 二の丸奥に回り込む  右 安室屋敷はこの梯子の上

左 奥が三の丸で右手が馬洗池  中央 馬洗池  右 三の丸登り口

 馬洗池の奥には土塁や三の丸などがある。三の丸もかなりの広さのある曲輪。とにかく増山城は曲輪の規模が大きい。

三の丸内部

 三の丸の奥は御所山屋敷、足軽屋敷などを経て出城である亀山城まで続くが、もう既に大分足が終わりかかっているので御所山屋敷で引き返すことにする。御所山屋敷の先にも虎口構造のようなものが見られる。

左 三の丸脇を進む  中央 この辺りが御所山屋敷か  右 虎口構造らしきものがある

左 三の丸の奥  中央 又兵衛清水  右 その奥を進むと一の丸手前の曲輪に出る

 かなりの大要塞であった。とにかく曲輪周辺から山全体がやけに切り立っていたのが印象的。どうがんばっても這い登ることは不可能に思われた。ここでふと思ったのは、私は岩倉城で迷った挙句にどうにかこうにか降りてきたのだが、それは岩倉城がやはり堅固さの点で増山城よりはかなり落ちるということも意味しているのではないかということ。もっとも、増山城なら見学ルート以外のところを通ろうなどということをそもそも考える余地さえないが(即自殺行為である)。

 

 早朝から山城二連チャンを済ませたところで、次の目的地は高岡である。高岡には二カ所の重伝建がある。一つは商家町である山町筋、もう一つは鋳物師町である金屋町である。とりあえず最初は山町筋の観光駐車場に車を停めて町並みをプラプラと散策する。

土蔵造りの山町筋の町並み

 かつて加賀藩では政治の金沢、商業の高岡というように役割分担が進んでおり、高岡は街道の要衝であると共に北前船なども立ち寄ったりということで多くの豪商を輩出したという。そのような往時を物語る土蔵造りの建物がいくつか残っており、その一部は公開されている。ただこの町でも若者の流出による後継者不足、豪商の末裔も今では普通のサラリーマンとなって屋敷を維持出来ないなどいったことによる町並みの荒廃が進みかけているという。ほんの10年ちょっとぐらい前までは町並みのほとんどが土蔵造りだったのだが、ここ数年で次々と新たな建物に入れ替わってしまうというようなことが起こり、そのことが町並みを保存しないとという機運につながったとか。なかなか風情のある良い町並みである。高岡は観光資源に恵まれている町であるので頑張って欲しいところだ。

 それにしても暑い。かなり疲れたので途中で古民家を使用したカフェ「山田茶屋」に立ち寄って「あんみつ(600円)」を頂いて一息。

  

 山町筋を見学した後は高岡大仏を見学に向かう。高岡大仏は奈良の大仏、鎌倉の大仏と共に日本三大大仏と言われている・・・とのことだが、往々にしてこの手の「日本三大○○」によくあるように前の二つは誰も異存はないが、最後の三つ目はどうよというパターン。前二者に比べると規模、歴史背景などの点で大きく見劣りするのは否定出来ない。

  

 高岡大仏の見学を終えたところで金屋町に移動する。しかし金屋町は何やらイベントを開催中のようで、観光駐車場に車を停める場所がない。しかも途中で突然の豪雨が降ってきたりと滅茶苦茶。どうしたものかと調べたところ、どうやら市役所の駐車場を開放して、そこからシャトルバスを運行しているらしい。市役所の場所は・・・ここからかなり遠くである。結局はなんやかんやでかなり時間を浪費することになる。

金屋町は何やらイベント開催中で賑わっていました。

 金屋町は鋳物師の集まった職人の町で、往時の格子の町並みが残っている・・・のだが、今はイベント中で大勢の観光客がごった返していて、町並みの風情を楽しむという状況とは少し違いすぎるようである。

建物内部はこんな調子でいろいろな展示がなされている
  

 高岡で予定していた以上に時間を食ってしまった。当初予定ではこの後に森寺城に立ち寄るつもりだったのだが、とても見学の時間がなさそうに思われる。とりあえず森寺城は明日に回すことにして、今日は場所だけを確認しておくことにする。

 

 森寺の八代郵便局を目標に走れば案内標識があると聞いていたのだが、その標識を見つけられないまま郵便局を通り過ぎてしまい、引き返すことになる。案内があったのは森寺地区の入口近くで、西念寺の案内と一緒に森寺城の小さい看板がある。

  とりあえず見学は明日

 案内に従って1.0車線の狭い道を延々と走ることになるが、これがとにかく長い。ただ走っていても道路沿いに城郭構造が広がっているのが分かり、これが並みの城郭でないことはこの時点で感じられる。どん詰まりの駐車場に到着したのは午後5時過ぎ。既に日は西に傾き、この辺りでは山陰のせいで薄暗くなってきている。とても今から見学できるような城郭でないことは明らかで、とりあえず駐車場の場所を確認しただけで引き返すことにする。

 

 今日の宿泊ホテルは氷見のホテルグランティア氷見和蔵の宿。ホテルグランティアはルートイン系列のホテルで、グランティアと言っても基本はビジネスホテルに近いのだが、風呂が若干豪華になる。ここの場合はナトリウム塩化物泉の天然温泉に露天風呂完備である。

 

 ホテルにチェックインするとまず最初は洗濯。既に着替えがなくなってきているので、汚れたシャツやドロドロになったズボンを洗濯機に放り込む。そして洗濯の間に夕食を摂ることにする。当初予定では近くに食べに出かけるつもりだったが、いざ現地に着くと郊外というイメージの場所で、今ひとつ飲食店があるような雰囲気でない。そこでホテルのレストラン「和海」で夕食を摂ることにする。またもルートインの飯である。

 

 注文したのは「なごみ会席御膳(3000円)」。驚くようなものはないがまあ普通にうまいというところか。CP的には良くも悪くもなし。

   

 夕食を終えると入浴でマッタリ。風呂はなかなかである。氷見温泉でナトリウム塩化物泉。湧出温が50度以上と高いので、非加水非加熱循環なし塩素なしのかけ流しということで本格的。これはドーミーイン以上。なおルートインとドーミーインの一番の違いは風呂の豪華さなのだが、つまりルートインで風呂を豪華にしたグランティア≒ドーミーインということにもなる。そういう意味では私には使い勝手の良いホテルである。

 

 風呂から上がるとテレビを見ながらマッタリ。しかし困ったことにこうしていると腹が心許なくなってきた。昼食が抜きだった(考えてみると高岡であんみつしか食べていない)せいで夕食を早めに摂ったので小腹が空いているのである。しかし実際は原因はそれだけではないことも明らか。要は暇なせいで心の中に空しさが広がっているのである。心が空しくなると何かを食べることで満たそうとする習性が私にはあることはよく分かっており、実際にはそれこそがメタボの主原因。隣にあるモスバーガーがやたらに気になるが、それはさすがにグッとこらえ、ローソンでアイスクリームを買って来るだけにしておく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 その夜は疲労もあってかなり爆睡していたようである。翌朝、6時に目覚ましで叩き起こされる。目覚ましの朝シャワーを浴びると6時半からレストランで朝食。朝食メニューもルートインよりも若干豪華なようである。

 

 朝食を摂った後は大浴場へ。なかなかに快適。これは実に具合の良いホテルである。朝食後には朝風呂を浴びてから8時過ぎにチェックアウトする。

 

 「森寺城」の場所は昨日既に確かめてあるのでスムーズに到着する。駐車場に車を停めると早速城内の散策。昨日の夕方の若干おどろおどろしさのあった空気と違い、今日は朝の清々しい空気。やはり山をうろつくのはこういう時に限る。

   

1.0車線の狭い道を走り抜け、昨日確認した駐車場にたどり着く

 森寺城はこの地の守護だった畠山氏の城郭だと言われている。尾根筋を城郭にしたかなり大規模の城郭。曲輪らしき尾根筋の脇を進み、互い違いになっている土塁を越えると百間馬場との表示がある広場に出る。この筋は登城筋だろうが、常に左側の曲輪からの横矢にさらされることになる。

左 曲輪の脇を通る  中央 途中の牛ヶ窪  右 堀切がある

左・中央 二重堀切  右 その奥を進むと百間馬場

 そこを抜けると二の丸・本丸へと続く広場に出る。搦手口から二の丸に上がってみると結構広大な曲輪である。本丸はその隅の一角というところ。今はわずかに石垣の一部が見えているだけだが、発掘調査によると空堀が確認されたとか。と言うことは下にも石垣が埋まっているのか。現在見えている状況に比べて実際はもっと堅固に守られていたらしい。

左 広場に出る  中央 二の丸方向に向かって登る  右 石垣がある

二の丸風景 右手奥に見えるのが本丸

左 二の丸井戸  中央 本丸石垣  右 ここが本丸入口か

本丸内部

   

左 本丸奥の曲輪(二段構造)  右 本丸から大手方向

 二の丸の大手口の方から降りる。通路の脇には石垣が見られ、この城の要所要所は石垣で固めてあることが伺える。降りた先には荒町との表示があるが、鬱蒼としていてとても立ち入れる状況でないので、本丸下の曲輪を回り込む形で御花畑脇の通路に出る。

左 大手口を降りる  中央 大手脇の石垣  右 降りていく

左 荒町は鬱蒼として立ち入れない  中央・右 本丸脇を回り込むことにする
 

 この通路の先にはサイダ屋敷、カンジャ屋敷などの独立曲輪がある。まだ城域は続くようであるがこの辺りで引き返すことにする。

左 通路に出た  中央 通路を先に進む  右 右手がサイダ屋敷

左 通路両脇は本町  中央 左に進むと  右 カンジャ屋敷

 なかなかに大規模で見応えのある城郭であった。ところどころ薮化しているのが気にはなったが、主要部分は一応管理の手が入っているようなので見学もしやすい。なかなかお勧めである。

 

 森寺城の後は近くの「阿尾城」を見学することにする。この城郭は当初は見学予定に入っていなかったのだが、森寺城に向かうのにこの近くを通った時、なぜか私の安売りカーナビが珍しくも城跡マークを表示した(私のカーナビデータには城郭データはほとんど入っていない)ので調査したところその存在を知った城。

 

 阿尾城は富山湾に面した丘陵上に築かれた山城で、築城時期は不明のものの出土物から15世紀後半頃の築城と見られているとのこと。この地の菊池氏が居城としており、菊池氏は当初は佐々成政に従ったが、成政と前田利家の対立の中で前田方へと寝返ったとのこと。なおこの時に佐々氏配下の神保氏の攻撃を受けたが、前田軍と菊池軍はその攻撃を退けている。なおこの時の城代があの前田慶次郎だったという話もあるようだ。しかし1597年にこの城は廃城となり、菊池氏の子孫は加賀藩士になったという。どうも来歴に明らかでない部分が多々ある城だが、富山湾に突き出たその姿はよく目立ち、現在は神社などが築かれていて市民にも馴染みの場所になっているようだ。

左 駐車場から参道を登る  中央 資料館脇に出る  右 海が見える
 

 駐車場に車を置いて神社の参道を登るとすぐに城内である。現在公園化しているのが二の丸と三の丸の跡と言われている。本丸は海に突き出た岬の先端にあり、ここには展望台が建てられていて辺りを一望出来る。

左 右手が二の丸  中央 奥の高台が白峰社  右 二の丸は公園となっている

 本丸に行くには白峰社の奥を登って行く必要があるが、二つほど小さな削平地があり、二つ目の削平地が最高所になる。恐らくここには往時には見張り櫓でも建っていたのではないかと思われるが、最近までは白峰社の奥の院がここにあったようだ。二の丸から櫓経由で本丸につながるという構造も妙なので、往時には二の丸から本丸に直接つながるルートが海沿いの斜面のどこかにあったのではないかと推測するが、今日では確認のしようがない。二の丸と三の丸は標高はそう高くないが、前面を海に、背面を山の尾根に守られているので防御としては十分と考えられているのだろう。私ならさらに防御に万全を期するために、陸地側に海水を引き込んだ水堀でも作りたいところだが、そのような構造はなかったのだろうか。

左 白峰社  中央 奥の石段を登る  右 一つ目の削平地

左 二つ目の削平地(最高所)  中央 どうやら白峰社の本殿が元々ここにあった模様  右 この奥を下る

左 本丸に到着  中央 展望台がある  右 氷見市街や富山湾を一望出来る

 これで氷見での予定は終了である。この後は長駆して高山を目指すことになるが、途中で白川郷に立ち寄るつもりである。白川郷は合掌造りの集落が世界遺産に指定されていることで有名だが、白川郷と言っても実のところその範囲は広い。一番有名なのは白川郷の萩町地区で、一般に白川郷といって写真などが登場するのはこの萩町地区である。ただ世界遺産に指定されている合掌造り集落は白川郷だけでなく富山県五箇山も含んでおり、この中の菅沼地区と相倉地区が共に世界遺産に含まれている。

 

 本遠征ではこの三地区をすべて回る予定にしているが、特に人気が高いという萩町地区は日常的に大混雑することが知られていることから、三連休中に訪問することは無謀と判断して明日に訪問することにしており、今日は五箇山地区に立ち寄るつもりである。

 

 東海北陸道をひたすら南下することになるが、この道路はとにかく山間のとんでもない道路で長いトンネルも多い。まさにシールド工法時代の道路だと実感する。この道路を突っ走って五箇山ICで降りると、5分もかからずに菅沼集落に到着する。

風景が絵になる過ぎるせいで、自分の写真の腕が上がったように勘違いしそうになる

 菅沼集落には観光駐車場が完備しているが、上の展望台の駐車場は満車とのことで、下の集落内の駐車場に誘導される。ここから集落内を徒歩で一回りして、エレベーターで上の展望台に上がってから、再び徒歩で降りて来るというのがお約束の見学ルートというやつらしい。

エレベータで上に上がれる

    合掌集落を上から見下ろす位置の駐車場に到着

 菅沼集落は集落自体はこじんまりとしたものである。しかしとにかく風景が絵になる。かなり舞台装置が計算されているなという感じで、どこからどう撮っても絵になる風景のため、自分の写真の腕が上がったような錯覚を起こしてしまうぐらいである。

 

お約束のショット

 菅沼集落は煙硝の生産などを行っていたらしく、当時の煙硝造りの資料を展示した施設などもある。煙硝は火薬の原料であるが、危険物であるためにこのような山間の地で製造していたらしい。現在では観光客を相手にした商売などが中心のようだが、そんなに観光地ムードが強烈には漂っていないところが風情を保っている理由。

 

 合掌造り集落を一回り見学したところで、とりあえず昼食にしようと考える。合掌造りの土産物屋兼食堂「予八」で昼食を摂ることにする。

 岩魚や山菜などを中心としたいわゆる地場メニュー。しかしこれがうまい。やはりこういうところで食べるのはこういうメニューが一番。水も良いし、素朴な食材が非常にうまい。実のところ観光地食堂ということで全く期待していなかったのだが、これは期待以上。CP云々を言わなかったらまずまずである。

 

 昼食を終えて菅沼集落の見学を終えると、次の目的地である相倉集落を目指す。相倉集落は菅沼集落からさらに国道156号線を東進したところ。長いトンネルを抜けてしばらく進むと、国道を右折して山の方に向かう蛇行道路に入る。集落内に観光用の駐車場があるはずなのだが、私の訪問時にはそこが満車だったらしく、集落手前の臨時駐車場に誘導される。ここから集落までは300メートルほどあるらしい。

  結構歩かされる

 山間の道をプラプラと歩くと正面に相倉集落の風景が目に入る。ここも風景の完成度が菅沼集落に劣らず高い。明らかにどこからどう撮っても絵になる風景である。また集落の個数が菅沼集落より多く、エリアも広い。

  相倉集落が見えてくる

 さてこれから集落内を散策・・・と言いたいところだが、実のところ少し一息つきたい。集落入口の駐車場の脇にある相倉屋で栃餅と冷やしアメで一服する。素朴でなかなかに良い味。

 ようやく人心地ついたところで集落内の散策に出かける。先ほどの菅沼集落に比べるとエリアが広くて建物が多い分、さらに絵になると言うところ。自然なごく普通の山村という印象だが、その一方で実はかなり計算して舞台設計をしているのではないかという気もする。とにかくどこを切り取っても一分の隙もなく絵になる。自分の写真の腕が恐ろしいほどアップしたように誤解してしまう。最近は一眼レフを購入しただけでその気になる「自称カメラマン」がゾロゾロいるのに、そういう輩がここに来たら完全に「自分の秘められた才能が開花した」と勘違いしそう。何しろ、何も考えずにシャッターを切るだけでカレンダーになりそうな写真を次々撮れるんだから。

とにもかくにもすべてが絵になりすぎる

  先ほどの菅沼集落と同様、今では完全に観光依存の集落ではないかと思われるのだが、その割には意外と商売の店は少ないように感じられる。まだ普通の農家の人も残っているのだろうか。その辺りは不明だが、村としてはまだ死んではいない印象を受ける。

絵になりすぎる町並みの中になぜか「萌え」が紛れ込んでいる

 集落内を一渡り徒歩で見学すると、定番コースに従って高台の展望台に向かう。集落背後の斜面の上が展望台になっていて、そこに立つと集落全体が見下ろせるようなっており、これはお約束の撮影スポット。しかもうまい工合に手前の駐車場は立ち木で隠れるようになっている。やはりすべて自然に見せかけて実はかなり計算づくなんではということがチラリと頭をよぎる。ただ、今はあえてそういう無粋なところに突っ込むことはやめておこう。演出としては決して悪くないので。

    

お約束なショットを一渡り

 展望台からは車道をプラプラと駐車場まで降りてくる。正直なところ合掌造り集落なんてそんなに面白いだろうかという気が来るまではあったのだが、実際に眼にするとその風景に圧倒された。今まで写真で何度かは眼にしていても、いざ本当にその前に立つと感覚が全く異なった。存在感と言うか何と言うか。所詮バーチャルはどこまで行ってもリアルを越えることはないということだろう。これはなかなかに貴重な体験であった。

 

 相倉集落を後にすると再び東海北陸道に乗って南下する。今日は高山で宿泊予定なので、一端白川郷を通過する形になる。どうやら白川郷があるのはかなり深い山間であることは分かったが、道路からは白川郷は全く見えないようになっている(脇見運転による事故防止のためだろうか?)。

 

 いくつもの長いトンネルを抜けつつ飛騨清見ICに到着すると、ここから建設中で現在は無料開放されている高山清見道路に乗り換える。高山ICまではそう遠くない。

 

 高山ICにたどり着くと、市街に入る前に立ち寄るところがある。市街の手前で南西方向に進むことになる。目的地はこの地にある山城の「松倉城」。以前に立ち寄ったことがある飛騨高山美術館の脇を抜け、さらに飛騨の里なるテーマパークを通り抜けてかなり狭い山道(対向車が来たらかなり嫌だ)を登っていくと、案内看板と駐車スペース(路肩であるが問題なく数台駐車可)があるのでそこに車を置く。ここからは松倉観音堂に向かう遊歩道もあるせいか、いざ現地に着くと結構車がいて驚いた。

  松倉城登山口

 松倉城は三木良頼・自綱によって1558〜1573年にかけて築城された山城で、三木自綱はここを根拠に周辺を平らげて支配したようだ。しかし1585年に金森長近・可重に攻められて落城、以後廃城となったとのこと。ちなみにこの金森長近が居城にしたのは以前に訪問した高山城である。金森長近は山中の松倉城を廃城にして、より高山を重視した地に居城を置いたということのようだ。

 

 松倉城はかなり標高の高い場所にあるが、駐車場まででかなり標高が上がっているので10分も歩けば山頂にたどり着く。山頂にたどり着くとこんな高山の上によくもこれだけと感心するぐらいの石垣が迎えてくれる。

左 登山道を登る  中央 堀切跡  右 三の丸を下から

左 三の丸の石垣を回り込む  中央 本丸外曲輪の石垣  右 これを回り込むと二の丸方向

左 三の丸  中央 三の丸西南隅櫓  右 隅櫓から本丸方向を振り返って

 城郭としての規模はそう大きくはないが、とにかく驚くのは周囲の険しさ。険しい山上にさらに石垣を築いて守っているので、尋常な手段では攻略は難しいと考えられる。ここなら少数の兵でも守り抜くことが可能だろう。実際に金森長近がこの城を攻めた時にも力攻めでは容易に落城せず、最終的には内応者が出たことによってようやく落城している。私がこの城を攻めるとしても、内応工作に成功しなかったら、後は兵糧攻めぐらいしか攻略方法を思いつかない。

 

 本丸からは高山方面を見晴らすことが出来、まさに要衝であることを感じさせる。ただ高山を支配するにはいかにも奥過ぎることは否めず、天下が定まり始めた時代には金森長近が高山城に本拠を置いたのも至極当然と思える。

 

本丸からの風景

 山深い城であるが、この辺りの山岳を回る遊歩道が整備されているせいか、意外と多くの登山者に出くわしたのが意外な感を受けた。地元民にはちょうど適当なハイキングコースという認識なのかも知れない。

 

 松倉城の見学を終えると高山市街に降りてくる。この後はまだ高山市内の見学をするつもりだが、市内見学をするなら車はむしろ邪魔であるので宿泊ホテルに向かうことにする。宿泊予定ホテルはスパホテルアルピナ飛騨高山。高山市内にありながら天然温泉のあるホテルと言うことで非常に私のニーズに合致しているホテルである。

 

 カーナビを頼りにホテルに向かったが、いざ近くまで来るとホテルの場所が分からずに周囲をグルグル回ることになったがようやく無事に到着する。駐車場に車を置いてチェックインすると、すぐに出かけたい気持ちも山々ながら、灼熱地獄の中の山登りで頭から汗だくなのでまずは風呂で汗を流すことにする。

  ホテルからの風景

 温泉大浴場は最上階で展望浴場となっている。高山市街を見下ろしながら、かけ流しという露天の壷湯に浸かる。泉質は含弱放射能−ナトリウム−塩化物温泉(弱アルカリ性低張性低温泉)とのことだが、わずかに黄色がかった湯でなめてみるとしょっぱさよりも苦味がある。放射能泉系があまり得意ではない私だが、あまり抵抗なく入れる入りやすい湯である。

 

 風呂でさっぱりとしたところで町に見学に繰り出すことにする。高山には三町下二之町大新町の二カ所の重伝建が存在するが、実際にはこれらは隣接地域であり、辺り一帯が往時の風情をとどめる町並みとなっている。

風情はありますが、とにかく賑やかです

 非常に風情のある町並みが残っている一方で観光開発も非常に進んでおり、街路には観光客目当ての商店が軒を並べて観光客がゾロゾロと完全に竹下通り状態。繁盛していて結構なことではあるが、昔懐かしい町並みを風情を感じながら散策するという趣とは明らかに異なる。

 そういうわけで私も完全に野次馬モードに突入。結局はハチミツソフトに始まり、みたらし団子、ミンチカツ、牛肉寿司に牛マンと完全に食べ歩きと化してしまった。いずれもなかなかに美味。しかし体重がちょっと心配。

この日に食ったものの数々

完全に食い過ぎ・・・

  高山市街を一回りしている間に日が暮れてきた。夕食を摂ることにしたい。やはり夕食となると高山らしいものをと考えた時、「和食処ときせん」という店が目に入る。高山と言えば朴葉焼きであるが、それが入った御膳があるのでそれを注文。

 香ばしい朴葉焼きがなかなか。昼に続いてまたも岩魚だがそれも良し。まずまずの内容である。

   

 夕食を終えるとホテルに戻って再び入浴。疲れたので早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は早めに目が覚める。どうも放射能泉の副作用で身体が火照って寝苦しかったようである(これが私が放射能泉が苦手な理由)。目覚めるととりあえず目覚ましのために入浴する。

 

 入浴して戻ってくると朝食。バイキングメニューは平凡ではあるが十分な内容。朝からしっかりと燃料を補給しておく。

 

 さて今日の予定だが、当初の予定通り白川郷(萩町)に立ち寄るつもり。その後であるが、高山の光ミュージアムで上村松園の作品が公開されているというのでそこに立ち寄ってから帰ることにした。高山の美術館に立ち寄るならそちらを先にしても良いようだが、開館が10時なのでその後に白川郷だと時間が遅くなりすぎる。やはり朝の早い内に行動を開始するのが正解だろうと考えてのことである。

 

 8時過ぎぐらいにホテルをチェックアウトすると高山清見道路と東海北陸道を経由して白川郷ICまで突っ走る。走りにくくはない道だが、とにかくトンネルが長いし結構疲れる行程ではある。白川郷ICで降りると町はずれの町営駐車場に車を停める。さすがに白川郷もまだ9時なので停まっている車も10台ちょっと。店などもまだ開店準備中で町内には静かな空気が漂っている。やや寂しげであるが、こういう空気も悪くない。

まだ閑散としている町営駐車場に車を停めると、橋を渡って白川郷へ

まだ早朝のせいか人気がなくて閑散としている

 町の中央まで行くと、そこで展望台行きのバスに乗り込む。町を見下ろす山の上に土産物屋と展望台があって、例によってそこからの撮影というのが定番になっているようである。バスは20分おきに出ていて、10分ほどで展望台に到着する。

  この山の上が展望台

展望台に到着   

 展望台から白川郷を見下ろせる。なかなかの風景である。しばし風景を楽しみつつマッタリしている。しかしその内に観光バスがやって来て団体客が到着。途端に回りが大騒ぎでやかましくなって(日本人客でも団体になると中国人レベルになる)、展望台では記念撮影などてんやわんや。たまったものではないので早々に退散することにする。

  

お約束のショットの数々

 ここの土産物屋は「天守閣」という名前なのだが、土産物を買い求めた時にここに城があったのかと聞いたところ、この展望台の先端の方に「萩町城」という城跡があるとのこと。ついでだから立ち寄ることにする。

左 萩町城搦手口の土塁  中央 堀切は今では大分浅くなってしまっている  右 入ったすぐに白川郷の案内碑

左 城跡碑  中央 奥の見晴台  右 今ではここも展望台
 

 展望台の先の方に土塁と空堀があってその先にいかにも城らしい削平地がある。ここが萩町城跡で、私が通ってきたのは搦手口らしい。しかし城跡と言っても今となってはそれらしいのはこの土塁と堀ぐらい。後はただの平地である。ただ確かにここに城を構えると萩町を見下ろせる。もっとも背後がなだらかな尾根で明らかに防御が弱いので、この程度の土塁と空堀で間に合うはずもなく、城郭として使用するならもっと多重の防御機構を備える必要があろう。実際、どうやらここにあったのは城と言うよりは館レベルのものだったらしい。本丸に当たる部分以外の曲輪のようなものも見られないし、それなら納得である。

 

萩町城内部

 ここからは集落の方に直接に降りる道があるのでそこを通って下に降りることにする。道の脇には「険しいので注意」の看板が出ているが、山城慣れした身にはなんてことのない道である。ここは往時の登城路だろうか、それとも後付けのものだろうかなどと考えながら降りていけば5分程度で下に着く。

  険しいと言ってもこの程度の道です

 再び合掌集落に戻った時には到着時とは完全に世界が変わっていた。あちこちに観光客がゾロゾロと繰り出しており、それを対象にした店も全力営業中。確かに合掌集落としての規模は菅沼集落や相倉集落より大きいのだが、あまりに観光地化しすぎていて、合掌造りのテーマパークという印象。昔の風情がある山村という趣ではない。

 

 それにしても平日だというのにかなりの人出。これは三連休中はとても無理だろうとはずしたのは正解だったと感じられる。秋の観光シーズンの週末は高速の出口から車の行列が出来るなんて聞いたことがあるが、平日の午前(現在10時ぐらいである)でこれなら、確かにそんなこともあり得る。

 観光客に紛れて集落内を一周する。確かに規模も大きく見所も多々あるのだが、やはりあまりに観光地化しているのが少々鼻につく。やはり個人的には五箇山の風情の方が性に合っている。ただ名古屋方面からアクセスする場合は五箇山はここよりもさらに奥になるし、一般客が観光するという点ではいろいろと整っている白川郷の方が向いているのかも知れない。ここを観光するなら、一泊して夜や早朝の観光客が少ない時に回るのが正解かも知れない。もっともそれに関しては私の到着時がそういう状態だったので、その空気の一端は十分に経験したが。風情のある町並みを堪能したいという向きにはやはり五箇山を推薦するか。 

 早めの昼食をどこかで食べていこうかとも思ったが、どこを覗いてもあまりに観光地価格なので食欲が萎える。やはりこういう点でも白川郷はテーマパークか。結局は見学時間2時間ほどでここを後にすることにする。

 

 白川郷を出ると再び高山にとんぼ返り。町はずれにある光ミュージアムを訪問する。

 

 光ミュージアムは全国によくある宗教法人系の美術館。その名前から想像付くように設立したのは新興宗教の真光である。正直なところすべての宗教に対して批判的である私(人類が次なる段階に進化するためには、宗教と道徳の分離、そして宗教の廃絶しかないと考えている)には苦手な施設ではあるが、美術品には罪はないという論理である。

  中にあるインカの遺跡のような建物

 光ミュージアムはピラミッドかインカの遺跡でもイメージしたような外観で、内部は吹き抜けというすごい建物。この派手さと規模の大きさはいかにも宗教団体が好みそうである。宗教団体というのは新興宗教、伝統宗教問わずとにかく大きくてギラギラの施設を力の誇示のために造りたがるという習性があるものである。

 

 もっともその怪しげな外観に反して、収蔵品は日本画コレクションを中心に結構充実している。上村松園の展覧会を開催中であったが、松園の秀品を何点か見ることが出来、収穫は十分にあり。

 

 驚いたのは内部に博物館まであること。しかもビッグバンに始まり、地球が誕生して、恐竜の時代が来てという真面目に科学事実に沿った説明をしてある。ここの教団は手をかざして病気を治すというような怪しげな宗教だが、世界は神が造り賜うたものではないようだ。もっとも最近の新興宗教は表向きは「科学的」であるように装うものも多いので何とも言えないが。昔から一流の詐欺師は10割の嘘をつくのではなく、9割は本当のことを言って一番重要な1割で大嘘をつくものである。

内部には恐竜の化石や復元模型などを展示した博物館も
 

 これで高山での予定は終了したので帰途につくことにする。まっすぐ帰っても良いのだが、行きがけの駄賃ではないが最後にもう一カ所だけ立ち寄りたい。それは美濃町。美濃和紙の産地として繁栄し、「うだつの上がる町並み」として知られた商家町である。現在もその町並みが残っていて重伝建に指定されている。

 

 高山から再び東海北陸道をひたすら南下する。しかしこれは正直なところかなりしんどい行程であった。遠征も最終日になってかなり疲労が溜まってきているし、道路がとにかく長い。決して走りにくい道でもないが、起伏は結構あるので車間に気を付けていないと危ないこともある。救いは平日のおかげか極端に変な車はいないこと。かなり疲れた頃にようやく山間を抜けるとまもなく美濃ICで高速を降りる。

 

 美濃ICから案内に従って走っていると、10分程度で「美濃町」に到着する。一渡り車で町並みを走り抜けるが、残念ながら町内の観光駐車場は満車。町の外にある駐車場に車を停めることになる。

 

 町並みまでプラプラと歩く。重伝建築はちょうど「目」の字型になっており、そのエリアに往時の建物が残っている。例によってうだつの上がらないサラリーマンの私には眩しい「うだつの上がった町並み」である。

 それにしても暑い。焼け付くような暑さである。この辺りは日本でも最も暑いなどと言われることもある地域だが、もう9月だというのにとにかく異常な暑さ。それにもうとっくに昼時を過ぎているので腹も減った。とりあえずは本格的に町並み散策をする前に昼食を摂ることにする。いかにも町の食堂というイメージの「山水」という店が目に入ったので入店する。

 

 注文したのは「カツ丼(750円)」。至って普通のカツ丼という印象。特に驚くものではないが、何か不満があるものではない。価格的にも極めて妥当だし、典型的な普段使いの店である。やはり町にはこういう食堂がないといけない。そしてこういう食堂があるということが、この町が今も普通に生きている町ということの証明でもある。

   

 昼食を終えると町並みの見学。なかなか風情がある。昔の流れのままか今でも美濃和紙を扱っているらしき店もあったが、大部分は今では普通の住宅になっているような様子でもある。ただ町並み保存の意識が以前からあったのか、新しく直した家も町並みに雰囲気を合わせるようにしてあるようである。タクシー屋が「駕籠屋」と看板を出していたのは笑ったが。

 

 美濃町を見学した後は近くの「小倉山城跡」を訪ねてみる。ここは金森長近が築いた城郭とのことだが、今ではなんちゃって櫓が建っているぐらいで普通の公園になってしまっている。元々そんなに規模の大きい城ではなかったのだろうか。

左 小倉山城のなんちゃって櫓  中央 内部は小倉山公園  右 これは一応鐘楼跡とか
 

 これで本遠征の全予定は終了。帰途についたのである。ただ美濃ICからの帰り道はとにかく長くてしんどいものであった。やはり東に走るのは京都周辺の渋滞のせいで異常に疲れる。吹田JCT手前の大渋滞は早急に何とかしないと関西の交通の最大のネックになっている。

 

 まあいろいろとあって予定通りに行った分と行かなかった分が入り交じった遠征であったが、北陸方面の宿題はほぼ解決したと考えている。後は宿題が残るのは富山の奥から新潟・長野にかけてのエリアである。来年のGWの遠征は甲信越地域が中心かなというイメージは何となく持っている。

 

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