展覧会遠征 出石編2

 

 どうも季節が秋を通り越して一気に冬になってしまったようである。地球温暖化によって日本も四季がなくなり、夏と冬だけの二季になってきたような気がする。

 

 さてこの週末だが、涼しくなってきた(というよりももう寒すぎるのだが)ところで、雪が降り始める前に片づけておくべき宿題がある。それは出石の有子山城。ここには以前から何度かトライを試みているにもかかわらず、その険しさにおののいて退散しており、ずっと懸案事項となっている。今年に入ってからの継続的なトレーニングの成果によって、私の足腰はかつてと比較にならないぐらい頑健になってきたし、ここは一気に長年の懸案事項の解決を目指そうと考えた次第。

 

 出石は播但自動車道を経由しても結構時間がかかる。出発が決して早い時刻ではなかったことが災いし、ようやく出石に到着した頃には既に昼頃になっていた。当初予定ではいくつか立ち寄りも考えていたが、こうなると出石で昼食を摂って(当然ながらそばを食べる予定)、すぐに有子山城を攻略するしかなかろう。

 

 しかし現地の状況はその予定さえもすんなりとは行かせない状況であった。町内の公営駐車場に車を入れようと思った私が目にしたのは、駐車場の遙か手前からつながる長大な車列であった。紅葉シーズンであることが災いしたか、各地から観光客が殺到した模様である。車のナンバーを見ていても京都ナンバーや奈良ナンバーなどがいる。奈良や京都からならわざわざ出石までこなくてもいくらでも紅葉の名所など近くにあるだろうに。

出石の町は今日も大混雑

 結局は駐車場に入るまでに30分以上を要することになる。駐車場の管理人と話したところによると、紅葉もさることながら、山陰方面にカニを食べに行くついでに立ち寄る観光客が多いのだとか。また竹田城に行ったものの、駐車場の待ち時間が90分以上ということで諦めてこちらに来た者もいるとか。最近になって竹田城がにわかに大ブームとは聞いていたが、そんなにとんでもない事態になっていたとは・・・。私が数年前に訪問した時には、巨大な駐車場に全く車はなくて閑散としていたのに。誰が名付けたのか知れないが「日本のマチュピチュ」なるネーミングの勝利である。

 

 ようやく駐車場に車を置くと、なにはともあれまず昼食である。とりあえず出石名物の時計台の至近にある「鶴屋」に入店する。

鶴屋からは時計台がすぐそこに見える
  

 鶴屋は時計台のすぐ隣にあり、中からは時計台が見える。注文したのは皿蕎麦と焼きおにぎり。出石蕎麦らしい腰のある蕎麦だが、どうしても皿蕎麦は少々パサパサした食感になる。この辺りが私的には出石蕎麦よりも出雲蕎麦の方が性に合う理由である。

   皿蕎麦と焼きおにぎり

 蕎麦だけだと途中でガス欠になりそうな気もしたので、さらに抹茶ソフトで燃料供給してからいよいよ有子山城に向かう。「有子山城」は300メートル級の山上にあり、下からは見上げるような山である。また登城路も尾根筋のかなり険しい道であり、ところによるとロープを頼りに登るような箇所もあるとか。

 下からまさに見上げるような高台にある

 有子山城は戦国期にこの地域を治めていた山名氏が築いた城郭である。当初は山名氏はここより北方の此隅山城を居城にしていたのだが、1569年に織田信長配下であった羽柴秀吉に攻められて落城、この経験からより堅固な城郭として新たに築かれた城である。ただあまりに守りに偏りすぎた堅固すぎる城郭のために日常の使用には明らかに支障があることから、平常時のための居館が山麓に築かれており、それが今の出石城となっている。なおこうして築かれた有子山城だが、その後に山名氏は毛利氏についたことから1580年に再び羽柴秀吉に攻められて落城、山名氏も滅亡している。結局は城の堅固さだけでは家は守れないということである。

 とりあえず出石城に向かうと、有子山城の登城口はその奥にある。最初の内は足下も整備されていて不安はない。しかしそれでもやはり息は切れる。早くも疲れたなと思いつつ前を見れば「遊歩道」という看板と共に本丸まで九八〇メートルの表示がある。正直なところいきなり目眩がしそうになる。

出石城の奥に登山道がある

 ここからはさらに道の険しさが増す。疲れながらもしばらく登ると次に見える標識は「本丸まで八五〇メートル」。まだ100メートルちょっとしか進んでないの?と嘆きたくなるが、少し伊右衛門タイムをとってからさらに進むと次は720メートルの標識にたどり着く。しかし実はここからが本番。ついに目の前にロープが見えるようになる。

  

720メートルの標識の先に見えるロープと土橋

 もうここからは階段というものではなく崖である。確かに道は整備されており、ロープに頼らないと登れないというわけでもないが、それでも慣れない者が足を滑らせると洒落にならないような急斜面である。

 

 ここからは用心のために片手にロープを握りつつ、もう片手に登山杖をつきながらヒーヒー言いながら登る状態。気が遠くなるほどキツイ。こんな調子が後750メートルも続くのならとても身体が保たないというのが本音。途中で上から降りてくる団体に遭遇したのでこの先のことを聞くと、500メートルを超えると楽になるとのこと。それだけを頼りにひたすら厳しいロープ場を登る。

死にかけの状態で500メートルにたどり着くと、小さな曲輪があり、そこからの道はようやく楽になる

 ようやく後500メートルとの標識のところに来るが、もう完全に息が上がって足が終わってしまっているのでここでしばしの休憩をとることにする。そのうちにまた別の団体が上から降りてくる。後1つだけ坂を越えると後はしばし平坦な道との話にようやく先に進むことにする。

 

 確かに坂を一つ越えると後は平坦な道が続いている。またこの辺りからいかにも城内にたどり着いてきたという雰囲気が感じられるようになる。しばし歩くと、行き当たりに曲輪らしき削平地があり、ここから道は上に向かって折り返すようになり、ここに240メートルの表示がある。

ここからまた登りだが、先ほどのロープ場と比較するとかなりなだらかだし、何よりも少し進むと上方に石垣が見えてくるので俄然元気が湧いてくる。

左 山沿いに進むと石垣らしきものが  中央 既に標高は高い  右 240メートル表示で折り返す

左 240メートル地点の曲輪  中央 進んでいくとすぐに石垣が見える  右 さらに奥にも複数の石垣が

 石垣のある曲輪は複数段あり、本丸まで連なっている。一気に本丸まで登っても良いのだが、石垣沿いに歩いている内に裏手の方に回り込んでしまったので、そのまま裏手にある千畳敷の見学の方を先にする。

石垣の上の様子

 千畳敷は数段に分かれたかなり広大な空間。居住用の屋敷でもあったのだろうか。よく場内に馬場と呼ばれる場所があるが、ここなら本当に馬の訓練でも出来そうだ。

左・中央 石垣沿いに回り込む  右 左手が本丸、右手が千畳敷

左 千畳敷に登る  中央・右 千畳敷

左 千畳敷は複数の段で構成されている  中央 千畳敷東端  右 向こうに見えるのが本丸

 千畳敷の向かい側にちょうど同じ高さに本丸がある。これだと吊り橋などでつなげば行き来できそうだ。実際に往時にもここには橋があったのではなかろうか。

本丸風景

左 本丸上の土塁跡  中央・右 本丸から下の曲輪を見下ろす

 千畳敷の見学を終えると裏手から本丸に登る。本丸はそれなりの空間はあるが、そう広大と言うほどではない。また奥には土塁の跡らしきものも見える。

本丸からの風景

 ここからは出石の町を一望できて壮観である。ただ出石の町を治めるための城としてはいかにも標高が高すぎるような気がする。有子山城は の落城にあった山名氏が、二度と落城しないように万全を期して整備した城と言うが、確かにここだと攻める方は大変だが、城下町の統治には向かない。戦闘のなくなった江戸期になるとさっさと廃城になるのは当然ではある。

出石市街を見下ろす

 こんな厳しい山にも関わらず、観光客が多いせいか意外とここまで登ってくる者も多い。私が本丸で休憩を取っていたときもちょうど若いカップルが登ってきた。しかも彼女の方は普通のパンプスを履いている。途中から「ここは遊歩道じゃない」と感じつつもとうとうここまで登ってきたらしい。確かに遊歩道ではなくて明らかに登山道である。こんなところを登るなら、彼氏も靴ぐらい用意してあげないと・・・。

本丸一段下の曲輪から見た本丸石垣

 本丸で一息つくと今度は正面から下りにかかる。こちらは何段もの石垣が整備されていて壮観である。ただ下りの方が足下が危ない。用心しながら下まで降りるのであった。なおこの復路でも何組かの登山客に出くわした(中には小学生以下ぐらいの子供のいる親子も。多分彼は将来の三浦雄一郎であろう。)。しかしもう既に4時近くになっているので急がないと日没に間に合わなくなる危険がある。大丈夫だっただろうか。

 

 ようやく下まで降りてくると土産のそば餅を買い求め、黒豆ソフトでクールダウン、ようやく人心地つく。やっと長年の懸案事項の解決である。これは私自身今後の自信につながるだろう。それにしてもハードな山城だった。ここまでハードなのは久々で、ざっと思い返すと置塩城以来ぐらいだろうか。恐らく明日以降は足腰が厳しいことになるだろう。

   そば餅と黒豆ソフト

 もう既に日は西に傾きつつあるので帰宅することにするが、その前にやはり汗を流してサッパリとしておきたい。この近くに出石温泉館乙女の湯なる日帰り入浴施設があるのでそこに立ち寄ることにする。

 乙女の湯は内風呂、サウナに小さな露天のオーソドックスな施設。泉質はナトリウム炭酸水素塩・硫酸塩泉で入浴するとかなりヌルヌル感のある快適な湯。正直なところ湯にはあまり期待していなかったのだが、これはうれしい誤算であった。

 

 入浴を終えると帰還の途についたのであった。しかし夜間の長距離走行はかなり疲れると感じたのと、やはり先の事故の経験が微妙にトラウマになっているようで、ある特定の条件のカーブにさしかかると恐怖感があるのに気がついた。車の慣らしだけでなく、私自身のリハビリもまだ必要なようだ。 

 

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