展覧会遠征 府中編

 

 PM2.5のせいかスギ花粉のせいかは不明だが、どうも最近身体の調子が変である。とは言うものの、週末に部屋にお籠もりでは精神の方を病んでしまう。そこで思い立って出かけることとした。

 

 しかし突然出かけるとなるとあまり遠出というわけにもいかない。そこで目的地を考えた時、頭に浮かんだのが以前にNHKの番組で見た府中市上下地区の町並み。昔のレトロな町並みが残っているらしい。これに福山周辺の未訪問の城郭を加え、時間に余裕があれば岡山地区の美術館に立ち寄るという辺りで即行でプランを立てた。

 

 山陽自動車道を福山東ICまで突っ走ると、そこから国道486号に乗り換えて西進する。最初に目指すのは「相方城」。対岸の亀寿山城を本拠としていた国人領主であった宮氏や、相方城の南方を本拠にしていた有地民部少輔元盛によって16世紀前半頃に整備され、後に毛利氏の直轄城となってから近世城郭に整備されたたという。関ヶ原の戦いの後に廃城となったが、今日でも石垣などが残存しているという。

 

 国道486号を進んでいると、正面に山頂に石垣と電波塔のある山が見えてくる。それが相方城らしい。一連の連なった尾根の先端に位置している。

   

相方城遠景

 芦田川を渡って工場地帯を抜けた先に相方城に登る山道がある。事前の情報によるとかなり狭い山道なので普通車なら上まで行くことは出来るが、もし対向車と出くわしたら万事休すとのことである。いよいよ標識が見え、さあ山道に入ろうかとしたところでちょうど上からワゴン車が一台降りてくる。まさに間一髪であった。もしタイミングが少しずれていたら、狭い山道の途中で正面から出くわすところであった。ついていた。

  山道の手前でワゴン車と出くわす

 山道は確かにかなり狭い上に急である。。しかし対向車さえ来なければ、今まであちこちで走ってきた山道とそう変わらず特に走りにくいということはない。また対向車とすれ違えるポイントも皆無というわけではない。道路の中央からテコでも動かないオバハンドライバーなどでない限りは、どうにかこうにかなるのではという道である。

左 山道は結構狭い  中央 途中で石垣がある  右 ようやく駐車場に到着 

 すぐに山上に到着。ちょうど車2台分ぐらいの駐車スペースと案内看板が立っている。事前の調査では、現地は鬱蒼としている上にマムシの生息地なので危険とのことだったのだが、私の訪問時には綺麗に下草が刈ってあって、マムシの心配など全くしないで済むような状態になっていた。昨今のお城ブームに合わせて整備の手でも入れたのだろうか。何にしろありがたいことである。

左 駐車スペースの城跡碑  中央 西側郭群方向  右 東側郭群方向 

 相方城は尾根筋に曲輪を連ねる形式。到着したのはちょうど東側郭群と西側郭群の間で、東側郭群に主郭があり、そこが電波塔の建っている場所である。

 土橋上になった部分を渡って東側郭群に進むと、立派な石垣が迎えてくれる。この上が主郭と副郭になる。広大とは言わないまでもそこそこのスペースがあり、ここからは府中の市街を見下ろすことが出来る。まさに自らの支配地を上から睨む要地である。

左 土橋の向こうに石垣が見える  中央 かなり深い谷筋  右 立派な石垣

左 虎口構造になっている  中央 郭2の奥が電波塔のある郭1  右 虎口を振り返って

辺りを一望出来る

 主郭の電波塔の向こうには土塁が残っている。その上に乗って見下ろすと、回りを複数の曲輪が取り囲んでいるのが分かる。その曲輪の一つにはトイレも置かれており、やはり観光を意識しての整備の手が加わったのではないかと思われる。

左 城跡碑  中央・右 電波塔の向こうに土塁がある

左 土塁  中央 トイレのある郭6  右 手前が郭5で奥が郭7

 郭7の先は尾根筋に沿ってダラダラと下った構造になっており、曲輪とも通路ともつかない構造になっている。ここはそもそもは何らかの防御施設があったはずと思われる。

郭5から郭7に降りる

郭7の先は尾根筋に沿ってだら下がりになっている
 馬場方向

 車のところまで戻ると今度は西側郭群の見学。こちらもそこそこのスペースがあるが、東側郭群のような凝った構造ではない。西側が尾根続きになっているので、尾根筋に沿って攻撃してくる敵を防ぐための施設と言うところか。

左 西側の郭9  中央 郭9は結構広い  右 主郭方向を振り返って

郭9からの風景

 予想外に充実した城郭であった。何より石垣マニアとしては山上の立派な石垣は垂涎ものである。まだまだいくらでも見るべき城郭は存在するものだと改めて思い知らされる。

 

 相方城の見学を終えたところで上下を目指して車を走らせる。相方城から車で走ること1時間強、ようやく上下に到着する。最初に商店街を車で通過するが、車を停める場所が分からない。そこでネットで調べたところ、駅前の駐車場に停めろとのこと。そこで駅前まで車を停めにいく。上下駅は福塩線の小さな駅。駅舎内にそば屋がある模様。

 

 駅前に車を置くと商店街をブラリと散策する。上下では今はひなまつりとのことで、あちこちの店舗にひな人形が展示してある。ちょうど昨年に訪問した足助の町並みとかなりイメージが被る。上下町はかつて石見銀山からの銀の集積地として栄え、幕府直轄地であったという。現在の町並みは、往時の江戸時代の面影に所々昭和レトロの入り交じった何とも懐かしい町並みとなっている。

 上下の町並みのシンボルの一つが明治時代に建築されたというキリスト教会。この建物はそもそもは蔵として建てられたものを戦後に教会に転用したらしい。そう言われてよく見ると、塔の部分は確かに教会だが、その下は明らかに土蔵造りである。これ以外にも文化史料館となっている旧岡田邸や見張り櫓の建っている旧警察署など独特の風情のある建物が建ち並んでいる。また町のはずれには大正時代に建てられた大衆劇場である翁座が残っている。

 翁座

 翁座内部は典型的な大衆演劇場。どことなく四国の内子町の内子座を思い出させる。舞台には回転台もあるようだが、当時はこれを手動で回していたらしい。二階席にも登るが、足下が微妙に傾斜している上に端の柵がかなり低いので高所恐怖症の私には正直なところ少々恐い。その上に建物の老朽化も著しく、いつ足下が崩れ落ちるかの不安もあるので早々に退出する。

左 翁座内部  中央 回転式の舞台  右 二階席を見上げる

左 二階席から舞台を見下ろす  中央 床に傾斜がある  右 市川雷蔵というのが泣けてくる

 翁座見学の後は代官所跡を見学に行く。しかしこれはまさに代官所「跡」。現地は何もなく、残っているのは石垣だけという寂しい状況である。

代官所「跡」

 町並み見学を終えたところで遅めの昼食を摂ることにする。と言ってもあまり飲食店が見あたらない。そこで駅前で見かけた寿旅館に入店。「ぎゅ−そばとちらし寿司のセット(1100円)」を注文する。

 肉そばに小さなちらし寿司の付いたメニュー。そば、寿司ともに普通に旨い。ただいささかボリューム不足の感有り。CPとしてはやはり観光地価格か。

 昼食を終えると近くの翁山に登る。ここにはかつて「翁山城」という城跡があり、山上までは車で登れるとのこと。ただしこの道、確かに車で通れるのは通れるが、対向車が来たら万事休すという道である。先ほどの相方城の道よりもむしろこちらの方が恐いほど。

かなり恐い道を通ってようやく山上にたどり着く

 翁山城は「平家物語」にも記載のある長谷部信連の流れを汲む長谷部氏ゆかりの城で、南北朝の戦いで北朝方として戦功を立てて上下の地頭に任じられてこの地に赴任した長谷部氏が、戦国時代の長谷部大倉左衛門元信の時代に大規模に整備したとのこと。関ヶ原の合戦の後に毛利氏の萩移転に伴って長谷部氏の主流が萩に移住したことによって廃城となったようである。

 

 ようやく山上にたどり着くが、山上の本丸跡には電波塔が建っており、城の遺構と言えそうなものはほとんど残っていない。登ってくるルートの途中でももしかしたら曲輪かもと感じる地形がないでもなかったが、結局は城らしい構造を見つけることは出来なかった。

山上は公園化していて電波塔があるだけ

 なおここからは上下の町並みを見下ろすことが出来る。結局は城跡と言うよりも展望台の価値の方が大きくなっている。

 上下の見学を終えると最後に美術館に立ち寄って帰ることにする。この美術館を訪問するのも久しぶりか。

 


「華鴒・洋画コレクションより」華鴒大塚美術館で4/13まで

 

 この美術館は金島桂華を中心とする日本画系の美術館であるが、洋画のコレクションも所有しているようである。展示作は小林和作の作品が中心。これ以外にも梅原龍三郎、中川一政などの作品も展示されていたが、見事なほどに全作品が絵具塗りたくり調の同系統の絵画。そういう点ではコレクションの志向が一貫されている。

 洋画以外では平櫛田中の木彫り彫刻なども展示。これは相変わらず迫真の出来で唸らさせれる。

 二階展示室では金島桂華を中心とした花鳥画を展示。個人的には金島桂華は花の描写よりもむしろ鳥の方がうまいのではなどと感じた次第。


 これで今回の遠征は終了。山陽自動車道を突っ走って帰宅することと相成った。なおこの遠征中にはそう感じなかったのだが、PM2.5を吸いすぎたのか、帰ってから身体が痒くなったりして困った。つくづく中国が恨めしい。

 

 

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