展覧会遠征 只見編

 

 この週末は以前より計画していた遠征を実行することとなった。それは只見線沿線視察。関東周辺地区では唯一未視察で残っているJRローカル線である。そもそもこの路線が今まで未視察でいたのは、ド辺鄙の上に運行本数もきわめて少ないローカル線という事情もあるが、一番は2011年の豪雨で一部区間が不通になってしまったからである。どうせなら全線復旧してから訪問しようと思っていたのだが、どうもJRは只見線を復旧させる気がまるでなさそうであることが明らかになってきたことから、ここに来て視察を実行することにしたの次第。只見線はそもそも収益性の良くないローカル線であり、利益最優先でボッタクリの新幹線とすし詰めの首都圏路線以外は切り捨てたいと考えているJR東日本が、こんな路線を大枚はたいて復旧する動機はそもそもから極めて薄い。地元からは常に復旧の要望があがっているようだが、JR東日本はその要望を丁重に完全無視している模様。現在東北地区で起こっていることと全く同じことがここでも起こっているのである。現在の只見線は只見−会津川口間が不通区間であり、代行バス運行になっている。そこで今回はこの代行バスに乗り継いで全線走破という思惑である。これに未訪問城郭の視察も絡めての計画を立案したのが本遠征となる。

 

 実行は金曜日に休暇を取って、木曜の夜から日曜にかけての三泊三日計画となった。出発地点は東京となるが、東京までの移動は飛行機を使う。あえて新幹線でなくて飛行機を使用したのは、スカイマークの格安チケットを購入できたから。神戸−羽田間で6800円とくれば新幹線の出番はない。

 

 今週は何かと仕事がハードな週間だったが、それもようやく一段落がついた。木曜日の仕事を終えると私は休暇モードに突入して、直ちに神戸空港に移動する。出来るビジネスマンにとって公私の切り替えは重要である・・・なんて言ったら、周囲から「お前のどこが出来るビジネスマンなんだ!」という総ツッコミが来そうだが。

 

 神戸空港から羽田空港までは1時間ちょっと。昨日辺りから関西はとうとう梅雨に突入で生憎の雨模様。おかげでスカイマークのB737はやたらにフラフラと揺れて気持ち悪いことこの上ない。仕方ないので半分居眠りしながら過ごす。仕事の疲れもあって本格的にウトウトしていたところでスカイマークの便は予定通りに数分遅れで羽田に到着する。羽田空港は久しぶりだが、とにかく広いのでやたらに歩く必要がある。こういう点は狭い神戸空港の方が使い勝手は良い。預けた荷物をピックアップすると京急とJRを乗り継いで上野駅へ。構内のみどりの窓口で明日以降の乗車券を購入すると、閉店準備真っ最中の駅ナカで3割引弁当を夕食に購入してから南千住に移動する。今晩の宿泊は言うまでもなく私の定宿ホテルNEO東京である。

 本日の夕食

 ホテルにチェックインした時には既に10時過ぎ。とりあえず弁当を頂くと、入浴を済ませてから明日に向けて就寝することとなった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に起床するとすぐにチェックアウトする。今日も空模様はかなり怪しく、既に小粒の雨がパラパラと降っている。これから上野から新幹線で浦佐までの移動である。私が乗車する新幹線は8時30分発のmaxトキ。二階建て新幹線に乗車するのは初めてである。

 

 二階建て新幹線は間近で見るとデカいというか圧迫感がある。重心がかなり高い印象があるので、他の新幹線ほどの速度は出せないだろうと感じる。二階席は通常の新幹線とデザインはほぼ同じだが、やや天井が低いように感じられる。眺望はまあまあ。ただ普通に走行している限りは特別な視点の高さは感じず、駅に到着した時にホームとの相対位置から高さを感じるぐらい。しかしここから防音壁の上端がすぐそこに見えるということは、このタイプの新幹線は一階席だと防音壁でほとんど視界がないのではなかろうか。そう言えば以前にこのタイプの新幹線で、一階グリーン席設定にブーイングが出て指定席設定に切り替えたという話を聞いたことがある。

左・中央 二階建て新幹線は間近で見ると結構圧迫感がある  右 二階席

 大宮からは一斉に大量の乗車があり、車内の乗客密度が一気に増加する。なるほど、どうやらそれなりに需要はある路線のようで、二階建てを走らせる意味もあるのか。大量の乗車があると、禁煙車にも関わらず車内がたばこ臭くなる。喫煙者は乗車の直前まで丹念にたばこの煙を身にまとうので、どうしてもたばこ臭いのである。たばこの臭いが苦手な者としては、禁煙車を設けるのでなくて喫煙者を隔離して欲しいところだが、そこまで求めるのは無茶と言うものであろう。

  

上野駅で買い込んだ朝食

 大宮を過ぎると列車はスピードを上げる。先日乗車したニューシャトルの車両が左手に見える。そしてニューシャトルの線路が途切れた辺りからは沿線は一気に田圃モードとなる。そう言えばこの新幹線は米所魚沼を抜けて新潟に達するコースだった。愛称を付けるなら「魚沼ライスライナー」辺りか。

大宮ではニューシャトルと併走する

 高崎に到着すると大量の降車がある。平日と言うこともあるのか、高崎へのビジネス客が多いようだ。高崎を過ぎると長野新幹線と別れ、列車は新潟を目指すこととなる。そしてここからは新幹線は地下鉄と化す。

スキー場のメッカ・越後湯沢を通過

 地下に潜ってしまうと沿線には面白味がなくなる。時々地上に顔を出す以外は地上に出るのは駅の時だけ。越後湯沢を超え、次に地上に顔を出すと浦佐駅。ここで下車する。

 浦佐駅

 浦佐駅で降りたのは、ここの近くにある池田記念美術館を訪問すること。東京はかなり鬱陶しい空模様で高崎周辺に至っては豪雨状態だったが、幸いこちらは雲は出ているが空は明るい。これだとキャリーを引きずっての移動も問題なさそうだ。

左・中央 駅周辺は本当に何もない  右 謎の立て看板
 

 美術館までは徒歩で15分ほどだが、それにしても浦佐駅周辺は新幹線停車駅にしては全く何もない。「なぜこんなところに新幹線駅が?日本代表選手権」を開催したら、浦佐駅は相生駅と堂々とタイマンをはれそうだ。

 

 池田記念美術館は八海山を背後にした風光明媚な美術館。展示品は私の訪問時には瀧澤徳の洋画。荒いタッチでザクザクと描いているタイプの油絵であまり私の好みではない。なおこの美術館はベースボールマガジン社の創設者である池田恒雄が創設した財団が運営しているとのことで、彼のコレクションが寄贈されているので野球関係の展示が非常に多い。私の訪問時にはプロ野球選手カードなんかが大量に展示されており、入館した途端に若き日のミスターとイチローのポスターがお出迎えしてくれる。

池田記念美術館

 美術館を一回りすると、美術館内のカフェでジェラートを頂いて一服する。ここのカフェは窓からの風景が一番のデザートだが、このジェラートもミルクの味が濃厚でなかなかうまい。もう少しゆったりくつろぎたいところだが、そろそろ列車の時間が気になってきたので駅に引き返すことにする。

左 美術館内部  中央 窓からの風景は一級品  右 ジェラートを頂く

 浦佐駅に戻ると上越線で六日町まで戻る。久しぶりの六日町。前回の訪問は実に2011年の秋である。3年前にも関わらず駅前の風景は記憶にあって懐かしさを感じる。とりあえず駅内にあるアートギャラリーに立ち寄ると共に観光案内所でマップをもらう。アートギャラリーはコレクション展を開催中で、棟方志功の版画作品と洋画を数点展示してある。かなり小さい美術館なのだが、ヴラマンクやシャガール、キスリングなどの作品があるのが驚きである。これらの作品は以前の訪問時にも目にしたことを記憶している。

  

左 六日町駅      右 アートギャラリー

 六日町までやってきたのは坂戸城へのリターンマッチが目的。坂戸城は以前に麓の城郭部分は見学したのだが、山上の実城については当時の私は膝蓋靭帯炎(別名ジャンパー膝、私の場合は山城膝)を患っていたために登山を断念している。それが長年にわたって宿題として頭に残っていたのである。今回この地域を訪問することを決意した一因はこの宿題を果たすことにある。

 坂戸城はこの山上だ

 ただ坂戸城に登る前にまずは燃料補給である。とりあえず駅前で昼食を摂ることにする。六日町駅前も賑やかとは言いにくいが、先ほどの浦佐に比べると随分と店なども多い。

  

六日町商店街の主役はこの方々

 見つけたのは「ぶら坊」。地産地消の緑提灯を掲げた店だ。注文したのはランチメニューの「海鮮ちらし丼セット(税抜き1199円)」

  

 いわゆる海鮮丼。なぜこの山奥で海鮮丼?という疑問はあるもののなかなかうまい。これに小鉢とあら汁とドリンクがついてこの価格というのはCPもまずまず。なお小鉢はバイ貝の酒蒸しとのことだったが、これが意外にうまい。ただこうやってバイ貝を楊枝で殻からほじっていると、何となくカタツムリに似ているなという気がする。私は以前にエスカルゴを食べたことがあるが、明らかに貝の味で意外と身もしっかりしていた。ローマ人はカタツムリをよく食べたらしく、テルマエ・ロマエでもルシウスがカタツムリを食べている描写が出てくる。

 

 腹がふくれたところで坂戸城にアタックだが、とりあえず坂戸城に登る前に荷物を預けておきたいので、先に今日の宿泊ホテルに向かう。今日はこの六日町で宿泊するつもりでホテルを確保しており、登山のための万全の体制を整えている。なお宿泊ホテルもその名もズバリ「坂戸城」である。

 ホテルにキャリーを預けると、坂戸城に向かう。城の入り口まで来たところで「懐かしいな」という気持ちが沸き上がる。数年前にここの山を歩き回ったのを明瞭に覚えている。

左・中央 内堀跡  右 入口に到着

 麓の城館部は以前に見学しているので、そこはさっさと通り抜けて山上への登城路に向かう。なお登城コースとしては城坂ルートと薬師尾根ルートが知られるが、今回は登りに城坂コースを使用することにする。以前の訪問時には城坂コースは豪雨による崩壊で通行不能になっていたのだが、その後完全に修復されて安全が確認されたということを観光案内所で聞いている。となれば元々大手道だったというこちらを通るのが筋だろうし、またある案内情報にも「城坂ルートの方が七曲がりで緩やかなので楽」という記述があった。もっとも以前に別の情報では「完全整備されている薬師尾根ルートが一般的かつ無難で、城坂ルートは上級者向き」となっていたのだが・・・。

左 お約束の看板がお出迎え  中央 坂戸城の館跡を抜け  右 一本杉までたどり着く

 途中で工事用の行き止まり道路に迷い込んで引き返す羽目になったりなどいろいろあったが、とりあえず一本杉のところまでやってくると城坂ルートを登ることにする。確かに足下は階段が整備されていて安全なようである。以前の訪問時にはこの階段が完全に崩壊していた。ただ足下は整備されているものの、その登りはかなり苦しい。見事な風景のみが心を癒してくれる。

城坂ルート登城口からひたすら登る

 九十九折れの階段を延々と登り続けて体がヘロヘロになり、もう大分登ったなと思ったところで標識が目に入る。「四合目」。思わず腰から力が抜けそうになる。私の体力はもう八合目ぐらいは行っているはずだと伝えて来ていたのだが・・・。体に鞭打ってさらに進むが、ようやく8割ぐらい来たかと思ったところに現れる標識は「六合目」。普通はこの手の合目表示は可愛い女子マネージャーの「がんばって、もう少し」の声援のようなものなのだが、ことこの城に関しては「モタモタするな!まだ後グランド50周!」と叫ぶ体育会系鬼コーチの罵声のようなものである。心がくじけそうになる・・・。そこに見えている山頂に進めど進めどいつまで経ってもたどり着けないという印象である。

   

左 風景が心を癒やしてくれるが   右 この標識に心が挫けそうになる

 八合目の標識が現れて桃の木平に到達したところで完全に体力が尽きてベンチにへたってしまう。明らかにペース配分を間違えた。どうも初期に飛ばしすぎてしまったようである。伊右衛門を飲みながらここでしばし休憩。ここまで来るとようやく城らしい構造が出てきて、そう言う意味では意欲は沸いてくるのだが、なにせ体力がもう完全に底をついている。最後の二合が恨めしい。

桃の木平に到着したところで動けなくなる

 かなりの休憩を取った後で一気に最後の二合を登り切ろうとするが、気持ちは焦れども足が一向に上がらない状態。気を付けないと蹴躓きそうになる。

左 水場跡に立ち寄る余裕はなし  中央・右 ひたすら登る

 途中で主水曲輪への分岐があるが、そちらの道はかなり険しそうなので諦めて山上を目指す。ようやく頂上の実城に到着した時にはほとんど死にかけていた。どうやら私には戦国時代の足軽は務まりそうにない。こんな山を攻めたら、山上にたどり着いた時には戦うどころか「ご自由に首をお取りください」の状態になってしまう。

 主水郭への分岐の先はかなり険しそうなので断念

 この山は標高634メートルで、比高でも400メートルを越えるという。やはり山城を作るにはあまりに非常識な高さである。どんな険しい山城でも大抵は比高で200メートルぐらいである。確かにこの山上からだと辺り一面を見渡せ、物見櫓としては最適であるが、こんな山上に兵力を置いても下まで攻め降りることはできない。やはりこの実城の役割は物見かいよいよ危ない時に城主が逃げ込む場くらいとしか思えない。とにかくこの山上で戦いをするという状況が考えられない。私が攻め手ならこんな城は力攻めはする気は毛頭起こらず、せいぜい兵糧攻めか、抑えの兵だけおいて完全に無視するかである。

左 廣瀬曲輪  中央 ようやく山上に到着  右 実城の祠

山上から南方を望む

同じく西方の風景

 山上は祠のある実城とその下の廣瀬曲輪、さらに主水曲輪に桃の木平を加えてもそんなに規模の大きなものではない。さらに離れた尾根にある小城に大城という出城も見に行ったが、こちらも規模はそう大きくない。確かに決戦場というよりは逃げ場の方が近い気もする。

左 向こうの尾根筋が小城と大城  中央 尾根筋を進む  右 途中で堀切になっている

左 小城付近は鬱蒼として訳が分からない  中央 どん詰まりの大城  右 振り返って実城

 とりあえずこれで長年の宿題達成である。帰りは薬師尾根ルートを通って降りることにするが、これが予想していたよりも難儀なルートだった。尾根筋を直登する階段になっているのだが、これが思っている以上に一段の段差がキツい。杖を使ってなるべく足に衝撃を与えないようにして降りないと、翌日に足腰が立たなくなりそうである。こういう点では「城坂ルートの方が楽」というのは確かに真実だったのだろうか。その上にひたすらルートが長く、いくら進んでも麓が近づいてきた気がしない。とにかく下りのルートでキツいと思ったのは岐阜城以来である。

薬師尾根ルートは尾根筋直登のかなりハードなルート

左 風景は良いのだが  中央 ようやく見慣れた場所に降りてきた  右 麓の祠

 登山前には飲みかけの伊右衛門に加えて新たに綾鷹を買い足してから臨んだのだが、そのどちらも途中でつきてしまい、ようやく麓にたどり着いた時には渇きと疲労でフラフラになっていた。とにかく坂戸城攻略には体力の持ち合わせもさることながら、十二分な飲み物の持参も不可欠である。

 

 結局は往復で三時間程度を費やしていた。小城、大城まで回ってこのタイムならまあまあなのか。とにかくこのとんでもない城郭を制覇したことは今後さらに私の自信につながるだろう。万歩計を見るとなんと軽く二万歩を越えていた。我ながらよく登り切ったものだと思う。また帰途で少しぱらついただけで雨が降らなかったのは幸いだった。足下が怪しくなる中で傘をさしてとなると果たして山上までたどり着いたかどうか。やはり日頃の行いの良い者はこういう時にキチンと報われるようである(笑)。

 

 ホテルに戻ってくるとチェックイン。私のプランは夕食なしのビジネスプラン(つまりは貧困プランである)。部屋には既に布団が敷いてある。ちょっと横になりたい時にむしろこの方が都合がよい。とりあえず体がガクガクの上に頭から汗だくなのでまずは大浴場に入浴しにいくことにする。

 

 六日町温泉は弱アルカリ性の単純泉との表記がある。当初はナトリウム塩化物泉だったが、源泉が増えると共に泉質が変化したらしい。あまりしょっぱさは強くない入りやすい湯である。なおこのホテルには畳敷きの露天風呂があって驚く。

 

 6時前になるとプラプラと夕食のために町に繰り出す。六日町の商店街はそれなりの活気はあるものの、やはり衰退ムードは隠せない。廃墟になっている旅館なども見られる。そのような商店街に立っているのはどこかのゲームの影響を受けたのではと思える上杉景勝像や直江兼続像。聞くところによると天地人ブームの時に立てられたそうだが、どう考えても天地人よりも某ゲームの影響の方が濃厚である。そもそも上杉景勝や直江兼続はともかく、石田三成像から真田幸村像まであるのは訳が分からない。

上杉景勝

上杉謙信

石田三成

真田幸村

直江兼続

 カブコン記念館・・・でなく商店街を抜けて駅前までやってきたところでそろそろ夕食を摂る店を決めないと思ったところで目に付いたのが「Little北海道」。なぜ魚沼で北海道なのかは謎だが、さらに謎なのは北海道なのに地産地消の緑提灯が掲げてあること。まあ謎は多々あるものの、どことなくビビッと来たことからここに入店する。

 とりあえず夕食ということで「十勝風もちぶた丼温泉玉子のせ(税抜き1000円)」さらにドリンクでコーラを注文する。疲れてのども渇いているせいかコーラがやけにうまい。コーラを飲みながら丼を待っていると、お勧めメニューに「牡蠣のカンカン焼き(税抜き1200円)」なるものがあるのが目に付いた。どういう料理か聞いてみたところ、殻付牡蠣をカンカンの中で蒸し焼きにしてくれるらしい。牡蠣は5個とのことで、これも追加注文する。

 

 すぐにコンロに乗ったカンカン(ごく普通の煎餅などが入っていそうな缶だ)が運ばれてくる。これがカンカン焼きらしい。コンロに火が付けられ10分待てとのこと。

 しばし後に丼が運ばれてくる。厚切り豚肉を使用した豚丼という趣だが、温泉玉子を崩してご飯と混ぜて食べるとこれがうまい。当店は有機栽培の魚沼産米を使用と書いてあったが、確かにご飯がうまい。

  

 そのうちに10分が経つ。牡蠣がちょうど良い具合に蒸しあがっているので、それを自分で殻を開いて頂く。この時期に頂く牡蠣というのが何とも贅沢。牡蠣は仙台から直送しているらしい。そう言えば宮島にはこの時期にも食べられる牡蠣があるんだった。疲れた体に牡蠣が染み入る感覚。

 

 以上、夕食をしっかり堪能して支払いは税込みで2700円。十分に満足できる内容。温泉があって飯がうまい。うん、六日町はなかなか良いところのようだ。またここもやはり新潟県なのか女の子も可愛い。

 

 それにしても足へのダメージはかなりのものだ。部屋に戻って一休みしたが、立ち上がろうとするとふらつく状態。太股の辺りがかなり脱力していて、膝にもダメージが来ている。なるべく回復を図っておきたいので、もう一度風呂に行って体をほぐすと早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 その晩は足のだるさと腰の痛みにかなり苦しめられたが、六日町温泉の効果か牡蠣肉ドーピングの効果かは定かではないが、翌朝は何とか起きあがれる状態ではあった。

 

 6時過ぎに起床するとまずは朝風呂。風呂で体を温めて生き返ると、朝食へ。朝食は和食バイキング。素朴な料理が多いが、これがうまい。まさに日本人の正しい朝食。

 朝食を終えると荷物をまとめてすぐにチェックアウトする。今日はいよいよ只見線視察である。これが本遠征のメインイベントの一つ。臨時列車の風っこ只見号の指定席券はすでに駅ネット予約で確保してある。

 

 六日町から小出までは上越線で4駅。小出で降りると、一見してそれと分かる風体の連中がゾロゾロと只見線のホームに向かう。ホームで待つことしばし、カメラの放列の中をトロッコ車両が入線する。早朝には小雨がぱらつくという状況もあったが、現在は日が差しておりトロッコ列車の運行に問題はなさそうである。

浦佐駅に到着

トロッコ車両が入線してくる

 入線時にはトロッコ車両の窓は雨を防ぐためのカバーで塞がれているが、このカバーはまもなく電動で上げられる。シートはトロッコ車両では定番の木椅子。これはこれで良いのだが、昨日の苦行でかなり腰にもダメージが来ているのは少々心配。先頭の2両がトロッコ車両で、最後尾の1両が通常車両。もし雨が降ったらそこに逃げ込むという仕様である。またストーブが搭載されていることから、冬期に運行することもあるのだと思われる。車両はキハ40を改造したタイプで、いわゆる鉄道マニアはそういう点も興味深い車両らしいが、鉄道マニアではない私にはそういうことはよく分からない。ただ非力と言われているキハ40にとって、トロッコ化による車重軽減は性能の向上につながるかもしれないななんてことは頭をよぎる。

トロッコ車両内部

左 三両目は通常車両  中央・右 窓のシートは電動で上げられる

 とりあえず乗車してしばし待つ。しかし発車時間が来たのに一向に列車が動く気配がない。妙だなと嫌な予感がしたところで車内放送が。特急列車が80分遅れているので、発車を1時間40分遅らせるというのである。どうやらこの列車に乗るはずの乗客が到着しないらしい(聞くところによると、販売チケット数の半数の乗客しか到着していないらしい)。しかもこの只見線は単線の上に交換設備も限られているので、ダイヤに融通が効かない。実を言うと今回の遠征の前から只見線はスムーズにいかない予感はしていたのだが、残念ながらそれが的中してしまった。

 ストーブ

 とりあえず小出で待たされることなったが、こうなると気になるのは只見以降の接続。それでなくても本数が少なくてダイヤはガタガタなのである。少なくとも今日の夕方までには会津若松に到着する必要がある。運転士に確認したが、只見以降の接続は未定らしい。ただこういう時は一応とにかくこちらの状況は伝えておく必要はある。とは言うものの、恐らく只見で数時間待たされて、小出を昼に出る列車に乗った場合と同じスケジュールになりそうだ。会津若松に夕方には到着できるだろうが、現地に到着したら宿に直行して終わりそうな気配である。それが嫌だからわざわざこの列車のチケットを取ったのに。なお特急列車などの場合はある程度以上遅延すると特急料金は払い戻しになるが、この列車は特急ではないので払い戻しはないだろう。1時間以上の遅延で予定が崩壊した乗客が多く、乗り換えの時間がなくなるからと諦めて列車を降りる乗客も数人、また沿線で登山する予定だったのに登山する余裕がなくなってただ単に列車で往復するだけになってしまうという乗客もいたようだ。

 駅の表まで出てみたが何もない

 それにしても無茶苦茶である。ダイヤが混乱した時はどうしても幹線を優先するからそれがローカル線にもろに影響を与えると言うこと。ましてやこの列車は臨時列車であるから定時制があまり重視されていない。ただこんな調子だから、使い勝手が悪くてローカル線はどんどんと乗客を減らすのである・・・あっ、そうなったらJR東日本としてはローカル線を廃止する口実にできるから都合が良いのか。

 

 それにしてもこうなったら、駅前に非常食を購入するためのコンビニもないのがツライ。最悪は今日は昼食抜きを覚悟する必要がありそうだ。とにかくイライラする気持ちはあるが、今はそれを鎮めるしかない。どうもまだ私は悟りの境地には遠いようである。仕方ないのでこの原稿を入力したり、Nexus7で漫画を読んだりで時間をつぶす。それにしても暑い。昼が近づいて気温が上がってきたようだ。それに走らないトロッコ車両は直射日光車両でもある。走ってこそ風も吹くが、この状態だと照りつける日光にひたすら焼かれるだけ。

 

 ようやく遅れていた乗り換え客を乗せた快速と只見線の対向車両がほぼ同時に入ってくる。快速からは十数人が乗り移ってくる。1時間30分以上遅れてようやく列車が発車である。待ちくたびれた感がある。

 

 地元の観光ガイドの案内と共に列車は運行される。沿線は当初は田圃が多い。いわゆる魚沼コシヒカリというのはこういう山間の田圃で作られるのだという。きれいな水と寒暖の差が激しい気候が上質な米を生み出すらしい。

左 ようやく出発  中央・右 最初は沿線はこんな感じ

 越後広瀬駅は「男はつらいよ」のロケ地になったとのことだが、私はこの映画には全く興味がない。なおこのことをガイドが紹介した時には列車は既に駅を通り過ぎていたりなど、とにかくのんびりしたガイドである。只見線のような日に3本しか列車がないような沿線に住んでいると、1時間程度は誤差の範囲というようなおおらかな精神構造でないといられないのだろう。

左 こんな感じの駅が多い  中央・右 沿線風景はだんだんと山の中になっていく

 沿線はだんだんと標高を上げ、風景も山間の川沿いの風景に変わってくる。入広瀬辺りになるともはや山間の集落だし、次の柿ノ木を超えると平行国道である国道252号線の雪よけ用のシェードなどが目立つようになる。

入広瀬周辺の風景

柿ノ木になるとかなり山間になる

左・中央 柿ノ木スノーシェード  右 山間の渓流の趣

 小出−只見間の唯一の交換可能駅である大白川を過ぎると、沿線はかなり深い山の中になっていく。この辺りは原生林らしい。標高も大分上がっており完全な山岳列車の趣となる。只見の手前まではかなり長いトンネルが続くことになるが、トンネルの中は凍えるほど寒い。耐えきれなくなって3両目に避難する乗客も出るぐらい。多くの乗客が慌てて耐寒装備を出してきているが、私は荷物を減らすために上着を持ってきておらず、Tシャツ一枚なのでかなりキツイ。トンネルを抜けたら暖かくてホッとするほど。

左 大白川駅  中央 駅の脇は渓流  右 給水塔が残っている

左・中央 周囲は原生林  右 トンネルに突入

 只見に到着したのは12時頃。ここから会津川口の間が不通区間であり、代行バスが出ているのだが、私が乗る予定だったバスは30分前に出てしまっている。次のバスは2時間半後。その時間をここでつぶす必要がある・・・のだが、只見は見事なほどに何もない田舎である。どうやって時間をつぶすか。

只見駅に到着

 駅前では地元の観光案内所が甘酒のサービスなどをしている。それを頂きながら今後の戦略を考える。まずは昼食を摂ることが必要。観光案内所で訪ねたところ、飲食店はここからしばらく歩いたところにあるというので、キャリーを案内所に預けてから駅前の散策に出る。

 

 入店したのは「和食レストランまほろば」。店内は観光客で一杯でしばし待たされる。ようやく席に着いてから注文したのは「アナゴ丸ごと一本天丼(900円)」。悪くはないのだが、私の好みよりは味付けがやや濃い。やはりこういうところは関東圏なんだろうか。

  

 大量に入店していた観光客は1時前に慌てて店を次々と出て行く。多分彼らはトロッコ車両の帰り便で戻るのだろう。本来は往路が10:42に到着で、復路は13:18に出発予定なので、その間に登山なとなんなと観光が可能なはずだったのだが、1時間以上も列車が遅れたことで只見で昼食を食べただけでとんぼ返りになっている。そもそもこの車両の目的であったところの観光が完全に崩壊してしまっている。

 

 14時半の代行バスに乗る予定の私は、それまで時間をつぶすために周囲に立ち寄れるところがないかをネットでチェック。只見駅の裏側にある要害山の山上に水久保城なる城郭があるそうだが、坂戸城登山で散々体を痛めつけた翌日にこんな規模の山を麓から登るだけの体力も時間もないのは明らか。これは却下である。もし地元の悲願が叶って只見線全線復旧が実現した暁にでも再訪して挑戦ということになろうか。ただその際には車が欲しいところだが(どうやら途中まで車で登れるらしい)、どうしたものか。復旧した只見線を視察することが目的なら、ここまでは鉄道で来るので車はないし、只見にはレンタカーなんぞは皆無である。復旧部分だけを視察するのなら、会津田島でレンタカーを借りて会津川口まで乗り付けた上でそこから鉄道で只見まで往復、会津川口から車で再び只見を目指す・・・なんてところか。ただ全線復旧したなら、やはり一通りを鉄道で乗り通したいところ。となると小出から会津若松まで只見線全線を乗り通した上で、会津若松から会津鉄道で会津田島まで移動して、そこから只見までレンタカー移動だろうか。何とも大げさなコースになる・・・って実行にするかどうか分からんプランをここで練っても無意味である。

  

水久保城があるのはこの山上

 とりあえず水久保城のことは忘れてさらに調査を継続すると、只見保養センターひとっぷろまち湯なる銭湯があることが分かる。この施設は元々は温泉だったのだが、2011年の豪雨で被害を受けて閉鎖されていたらしい。なんとか再開にはこぎ着けたものの、源泉が使用不能になっているために沸かし湯で営業することとなったとのこと。他にダム湖や温泉などの観光地もあるが、いずれも車がないとたどり着けない距離、歩いて行ける範囲にありそうな施設はここぐらいである。さっきのトンネルで体が冷え切ってしまっているし、どうせする事もないし、ひとっぷろ浴びていくことにする。

SLが置いてある

 施設は川縁にあるので、そこまでプラプラと市街見学をしながら散策。只見は典型的な山間の小集落である。途中でSLが置いてあるのを見つけたが、これはかつて只見線で走っていたものだろうか。

町の風景

川縁の風景

 まち湯はレストラン併設で典型的なスーパー銭湯。内風呂とサウナだけのシンプルな構成で、内風呂は入浴剤を使用した風呂になっていた。これで冷え切っていた体の芯を温める。脱衣場に浴場にも只見線の壁画があり、この地域の住民の只見線への思いが覗える。

 一風呂浴びて駅に戻るとかなり大勢の人間がバスを待っていた。どうも何かのツアーの団体客がやってきているようだ。このままだとマイクロバスに乗りきれないとのことで、ツアーの団体の一部はジャンボタクシーで会津川口まで輸送されることになる。タクシーに乗りきれない一部と私のような一般乗客はマイクロバスで会津川口まで移動。しかし到着した列車から乗り移ってくる客も含めるとマイクロバスはほぼ満員の状態。いつもこれだけの乗客がいるのなら、只見線も廃線なんてことが囁かれることもないだろうに。

 代行バスが到着

 バスは概ね線路に沿って走る。周囲は深い山で只見線が秘境線と呼ばれる理由がよくわかる。会津川口までは1時間弱のドライブである。只見からしばしは線路や鉄橋もそうダメージを受けているように感じられなかったのだが、会津川口が近づいてくるにつれて、途中で寸断された鉄橋などが見えてきて被害のほどが伺える。只見からもう少し東まで運行できそうに思うが、要は会津川口まで交換設備がないので只見で運行を打ち切らざるを得ないんだろう。また鉄道だけでなく川自体も護岸が崩れて工事されている箇所などが多く、豪雨被害の規模が想像される。

最初はそんなにダメージがあるようには見えないのだが

左 だんだんと河岸が荒れているところが出てきて  中央・右 ついには途切れた鉄橋が

 会津川口は私の予想を超えて賑わったところ。只見よりも建物は多いように感じる。駅に飛び込むと二両編成の会津若松行き普通車が待っているが、内部は既にかなり大勢の乗客が乗り込んでいる。うーん、やっぱりJR東日本が只見線を廃止したがる理由が分からん。よほど公共交通機関としての使命を捨てて、利益だけを追求したいらしい。

左 会津川口駅  中央 会津若松行き普通車  右 結構乗っている

 列車はここからは川沿いを走行することになる。下流部になってきているので、先ほどの小出−只見間よりは川幅が広い。各駅での乗降はそう多くないのだが、会津宮下で急にかなり大勢がまとまって乗車してきて車内は一杯になる。さらに川沿いに走行することしばし、次は会津柳津で団体客が一斉降車して車内人口は激減。これらの駅はどちらも温泉地らしいから、温泉客がいるのだろう。そもそも南会津は温泉地であり、只見線沿線だけでなく会津鉄道沿線も温泉地が多い。そういう意味ではのんびりじっくり旅してみたい地域でもある。

なかなかすごい風景である

 会津坂本を過ぎると路線は川と分かれて山の中へ。次の塔寺は山深い中の駅。そこを過ぎると路線は下りに転じ、会津盆地の中を大きく迂回するルートに入る。

  

会津坂本を過ぎてから列車は会津盆地に降りてくる

 ここまで来たら終点会津若松はもうすぐに思えるのだが、実はここからが結構長い。結局は会津若松に到着するのにさらに1時間ぐらいを要し、会津若松に降り立った時には5時を回っていた。当初予定では3時には会津若松に到着して市内観光する予定だったのだが、列車の遅延で予定は完全崩壊である。会津若松にはいろいろとまだあるだが、とりあえず今回はすべてパスして宿泊ホテルに急がないと仕方ない。

左 会津若松駅  中央・右 市内ループバス

 ここから今日の宿泊予定の東山温泉まで移動する必要がある。東山温泉は市内ループバスが立ち寄るのだが、この時間は敦賀城経由で大回りするコースのバスの最終便しか残っていない。結局は40分以上かけて大回りで東山温泉に向かうことになる。

 

 バスは市内を大回りして走行。途中で七日町などを経由する。七日町は大正レトロの町として知られており、風情のある町並みが続く。今回は途中下車することもかなわず車内からの見学となる。これは会津若松に大きな宿題を残してしまった。

七日町の町並み

 バスは七日町を抜けると鶴ヶ城をグルリと回るルートを通る。そう言えば鶴ヶ城の観光案内所にいた美人さんは元気かな?なんてことが頭をよぎる。私は今まで遠征先でたまたま見かけて印象に残った美人というのが数人いるが、彼女はその一人である。

 

 バスが市内を回っている内に、それまでギリギリでもっていた天候がついに崩れ、パラパラと雨が降り始める。雨の中をバスは東山温泉駅(いわゆるバスターミナル)に到着する。

 東山温泉駅に到着

 東山温泉に到着するとまず夕食を済ませておくことにする。今日の宿泊ホテルは「新滝」。以前に東山温泉を訪問した時には姉妹館の「千代滝」に宿泊しており、その際に外湯巡りで立ち寄った新滝の雰囲気が良かったので、ここで宿泊したいと考えた次第。だが、そもそも私があんな高級ホテルに簡単に泊まれるはずもなく、私のプランは夕食なしの貧困プランである。だからどこかで夕食を済ませておく必要があるが、そのための店は事前に調査済み。事前情報に従って私が迷わず目指したのは「卯之家」。東山温泉の足湯から残念坂と呼ばれる坂を上がったところにある料理店である。

 ここの名物はソースカツ丼と聞いている。私はこれに半ラーメンと馬刺しがセットになった「卯之家セット(ヒレ&半ラーメン)1500円」を注文する。

 ソースカツ丼はご飯の上にたっぷりのキャベツと熱々のカツをのせて自家製ソースをかけたもの。私個人はご飯に生キャベツという取り合わせはあまり得意ではないのだが、ここのものに関しては、ソースの味がなかなかマッチしていて抵抗なく食べられる。ソースカツ丼というメニュー自体には比較的批判的な私が、本当にうまいと感じたのは福井のヨーロッパ軒以来。

 

 伏兵はラーメン。とりたてて全く何の変哲もない普通のラーメンなのだが、これが意外にうまい。これは完全に予想外。半ラーメンではなく通常サイズが欲しいと思ったぐらい。なお馬刺しも赤身で私好みである。

 

 夕食を堪能したところでホテルに向かう。なお先ほどのメニューは「店内限定」と表記されていたのだが、その意味は頻繁に出前の注文が入っていることで理解できた。近くのホテルなどに泊まって出前する客が多いようだ。食事付きのホテルが多い温泉街で経営が成り立つのかなと疑問を持っていたのだが、食事なしの湯治場的な旅館の宿泊客や、ホテルで食事後にちょっと小腹が空いた客などがラーメンの出前を頼んだりするんだろう。

 

 雨の東山温泉街を抜けると新滝に到着する。通されたのはレトロな風情のあるツインの和洋室。なかなか雰囲気の良い部屋だ。

  

 部屋で一息つくと早速入浴に行く。ここは3つの浴場があるが、古式浴場の千年の湯は貸切風呂になっているとのことなので、大浴場の猿の湯に行くことにする。

 

 東山温泉はサラッとした硫酸塩泉とのこと。露天でくつろいでゆったりと体をほぐす。昨日のダメージが体のあちこちに残っていて未だにギクシャクしているので、温かい湯の中でくつろいでいる癒やされる気分である。トロンとした肌触りの湯。体の回りに薄い膜を作る美肌の湯との説明があるが、確かに風呂上がりに体を拭くときに水を弾くような印象で、皮膚に薄い膜のようなものが出来たかの感触がある。以前に訪問した時にも感じたが、やはりここの湯は最高である。なお東山温泉は行基が発見したという伝説があるようだ。各地にはこのように高僧が発見したとされる温泉が意外と多い。昔の僧=知識人であるから、その頃から温泉療法などを医療に導入していたのだろうか。確かに仏の道をうだうだ説教するより温泉治療でもする方が御利益がハッキリしており、一発で信者は増えるだろうが。

 

 風呂から上がると会津のべこの乳のコーヒー牛乳で一服。以前の訪問時にもこれを頂いたのだが、うまい牛乳だと思っていたがどうやら低温殺菌乳らしい。なるほど、それで妙な臭みがないのか。効率重視で高温殺菌した牛乳は、タンパク質が変性して独特の臭みが出るのは以前から感じているところ。

 風呂から上がるとテレビを見たりこの原稿を打ったりしながらマッタリ。また明日に向けての調査なども。夜にもう一度入浴に行くと、体の疲れがかなり激しいので早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は目覚ましで6時に起床。体全体がグッタリと重い。無理矢理に体を起こすと千年の湯に朝風呂に出向く。千年の湯は川沿いにある浴場で、露天風呂に出るとすぐそこに川が流れている。なかなかに気分壮快。湯の鮮度も高い。

 

 入浴で目が覚めたところで朝食に出向く。朝食は和食バイキング。これがなかなか多彩で非常にうまい。またずんだ餅なんかがあったりするのがうれしい。もうこの辺りは仙台文化圏なのか。

 今度は大型バス

 まだまだ名残惜しい気持ちはあるが、8時過ぎにはチェックアウトする。東山温泉駅から周遊バスで会津若松駅まで移動してから、9時過ぎのあいづライナーで会津若松を後にする。

あいづライナー

 正直なところ後ろ髪引かれる思いがある。只見線の遅延で会津若松での予定が未消化になったことがその一因ではある。会津若松は今回で終わりにするつもりだったが、これは少なくとももう一回は訪問する必要がありそうだ。それとも今回の件は、会津若松をもう一度訪れるようにとのお告げなのか?

 

 あいづライナーは485系の6両編成で先頭4両が自由席である。485系は特急系車両なのでなかなか快適。磐越西線は特急がないので、それを補うための快速ということだろう。

 

 あいづライナーは磐梯山を左手に見ながら郡山を目指す。会津若松は晴天だったのだが、郡山に近づくにつれて空がどんよりと曇り始める。どうも太平洋側は雨のようだ。これから目指す仙台はかなり雨が降っているらしい。

 

 郡山で新幹線に乗り換え。あいづライナーの到着が遅れたので乗り換えがギリギリである。新幹線の特急券を事前に会津若松駅で受け取っていたのが正解だった。ここから仙台はやまびこですぐ。

 

 久しぶりの仙台駅は相変わらず大勢の乗客でごった返している。ここのところ仙台は通過するだけというのがほとんどだが、実は今回もそう。キャリーをロッカーに置いて身軽になると、すぐに東北本線で移動である。昼食を摂る時間もないのでとりあえずコンビニでおにぎりだけ購入して急場をしのぐ。

 仙台駅は相変わらずだ

 とりあえず目指すのは小牛田。ここから気仙沼線で柳津まで行く予定。気仙沼線は石巻線の前谷地から気仙沼をつなぐ路線だが、東日本大震災で柳井−気仙沼間は甚大な被害を受けて現在はバスで代行輸送となっている。この区間の復旧が将来あり得るかは不明だが(金の亡者のJR東日本がローカル線復旧をやるとは思いにくいが)、とりあえずバスには興味はないので鉄道が通っている柳津まで行ってやろうという目論見。

 

 小牛田まで来るのは久しぶりだが、仙台から遠いのとやはり相変わらず駅周辺には何もないのを再確認。ここから石巻線に乗り換えである。石巻線は石ノ森章太郎作品がペイントされた列車。以前に石巻線に乗車した時もペイント車両だったが、あの頃よりもさらに石ノ森度が増しているような気がする。これは観光的意図も強そうである。そう言えば石巻の石ノ森記念館も訪れたことがないのだが、何にしろそれは今後のことである。

石巻線車両は石ノ森ワールド

 石巻線で前谷地まで移動。この沿線は見事なほどに田んぼばかりである。前谷地では柳津行きの単両のキハ110が待っているのでこれに乗り換え。

前谷地でキハ110に乗り換え

 気仙沼線の沿線はひたすら田んぼで、その間に小集落があるという印象。柳津は北上川を鉄橋で渡ったすぐ先で、特に何があるという場所ではない。ここまでの沿線での最大集落は陸前豊里である。線路はまだ先に続いているが、これから先は津波で壊滅した陸前高田などなかなか復旧の進まない土地が多い。

気仙沼線沿線風景

 柳津駅前にはバスが待っているが、私の訪問時には乗客はなし。ここまでの乗客もほとんどいないし、この調子だとJR東日本による復旧はかなり厳しいような印象を受ける。気仙沼線を復旧するとなると自治体の支援如何だが、その自治体も今回甚大な被害を受けており予算に余裕がない。政府は東北の復興を妨害してでも利権優先のオリンピックに金を回したいようだし(当然のようにキックバックが彼らの懐に入る仕組みになっている)、東電とズブズブの安倍は東電には資金を回しても東北の市民などは見殺しのつもりだし、先行きは暗い。

 BRTのバス

 柳井からはそのまま引き返す。とりあえずこれで気仙沼線視察暫定終了ということにする。もし気仙沼線の復旧ということがあればその時改めてということになる。さてこれからの予定だが、岩切駅まで戻って岩切城に立ち寄るつもり。

 

 「岩切城」は中世山城で、平泉藤原氏の滅亡後に源頼朝に陸奥国の留守職に任じられた重臣の伊沢将監家景が留守姓を名乗ってここを居城としたという。この地は七北田川の水運に恵まれ東北の政治・経済の中心として大いに栄えたが、南北朝時代初期の足利家内部の対立に伴う奥州管領の吉良貞家と畠山国氏の対立の激化によって、留守氏は畠山氏に荷担するものの破れて岩切城は落城した。その後、留守氏は伊達氏と親族となって再び勢力を回復したが、元亀年間(1570年〜1573年)に留守氏が利府城に居城を移したことで岩切城は廃城となったとのこと。現在は国の史跡として保存整備されているという。

 岩切駅は雨の中

 岩切駅に到着した時には生憎と結構雨が降っている。このまま止めようかとも思ったがここまで来たのだからとタクシーで岩切城入口まで移動することにする。

 岩切城入口

 到着してみると現地はかなり整備されている。また想像以上の規模の城郭で驚く。事前の調査によると、東日本大震災で甚大な被害を受けたとのことなのだが、復旧工事は完了したようである。

岩切城縄張り図 出展:余湖くんのホームページ

 入口から入ると左手に尾根筋の曲輪群、右手に深い谷筋を見ながら進むことになる。4郭の手前の堀切のところから上に上がれたので登ってみたところ、かなり先の方まで数段の削平地が見られたが、雨も降っていて足下が緩い上に下草も茂っていて進んでいくとズボンがずぶ濡れになるのが確実であることから先に進まなかった。

左 西の曲輪群の脇に沿って進む  中央 右手は深い谷だ  右 さらに進む

左 堀切から上がってみる  中央 小さな曲輪に出る  右 西尾根の曲輪が先まで続く

 4郭はかなり広い曲輪で、堀切を隔てて向こうに主郭と思われる1郭が見える。防御の拠点としてかなり重要な曲輪と思われる。

左 4郭に向かう  中央 手前の段  右 さらにもう一段上る

左 4郭  中央 奥に見えるのが1郭  右 1郭との間の堀切

 ここから一端通路に降りてから再び1郭に登る。ここは主郭と思われる大きな曲輪で、現在は公園整備もされている。この曲輪を最高所として周囲には放射状に曲輪が出ている。周辺はかなり切り立っていて防御力も高い。

一端通路に降りてから1郭に登る

左・中央 1郭はかなり広い  右 トイレのあるのが2郭

左 東に続く曲輪  中央 先の方に進む  右 4郭の裏手の急崖

 ここから南のすぐ下に現在はトイレが建っている小曲輪の2郭がある。主郭の登り口を守る関所というところか。その一段下に広い3郭がある。その先にも曲輪があるようだが、下が鬱蒼としているので踏み込まず。なおここを歩いている時にいきなり親子らしい野鳥が飛び出して驚いた。私は野鳥には詳しくないので何の鳥かは分からないが、親鳥がけがをしている様子を見せてこちらの気を惹こうとしていた様子が見られた。近くに巣があってそれから注意をそらそうとしているのだろうか。

  

2郭の方に降りてその先の3郭へ

3郭

 3郭から東に進むんでB郭の横を抜けるとかなり明瞭な土橋を経て東の郭群へと入ることになる。

左 3郭から東に向かう  中央 左手に曲輪がある  右 堀切になっている

左 さら進むと  中央 明瞭に土橋になっている  右 深い堀切

東側から振り返って

 こちらはかなり広い上に整備もされていて運動公園みたいな雰囲気。城跡碑や説明板ははこちらに立っている。全体的に起伏が少なく、西側の城郭とは雰囲気が全く違う。それなりの防御力はありそうだが、西側の郭群のような要塞的な雰囲気はない。こうして見てみると東の郭群は平時の城主館や家臣団屋敷などではないのかという気がする。こちらは防御力を有する館で、本格的戦闘となると西側のさらに防御力の高い城郭部に籠もるという構成ではないかと考える。実際に両者は深い堀切で分かたれているし、西側の郭群の入口にはそれを守るための曲輪としてのB郭が固めている。平時の城主館がC郭辺りにあり、戦闘用の岩切城が西側の曲輪群といった使い方ではなかったかと推測する。

左 左手はC郭  中央 さらに進むと  右 開けた場所に出る

かなり広い曲輪である

全体的に起伏がほとんどない

 なかなかに見応えのある城郭であった。ただ見学中に雨も激しさを増してきたことだし引き返すことにする。入口付近まで戻ってきてタクシーを呼ぼうとしたが、雨が激しい上に山中のせいか連絡を取ったタクシー会社に悉く「今出払っている」と断られる。雨天なので駅の方などにタクシーが向かっているのは事実だろうが、わざわざ客が多い雨天にたかだか岩切駅まで1000円程度の料金のためにこんな山中まで車を向かわせたくないというのが本音だろう。これがまた「仙台空港まで直接に行きたい」とかだったら、喜んでやってくるタクシーもいるかもしれない。

 

 埒があかないので駅まで歩くことにする。ここまで往路の料金は1000円ほどだったから歩いて歩けない距離ではない(グーグル先生によると駅まで2.4キロとのこと)し、場合によっては歩くことも想定していた。ただ想定違いはこの豪雨である。

 

 幸いにして復路は下りなので早足で駆け抜け、結局は駅まで20分程度で到着したが、かなりの雨だったせいで頭からずぶ濡れということになってしまった。カメラもずぶ濡れでおかげでレンズを覗いてみると曇りが出来ている状態。カビが生えないことを祈るのみ。

 

 とりあえず仙台に戻るとトランクを回収する。どこかで入浴でもして着替えたいところだが、もう着替えの持ち合わせはないし入浴できる場所の心当たりもない。仕方ないのでこのまま予定をこなしていくことにする。

 

 後は仙台空港から帰るだけなのだが、飛行機の出発時間まで3時間ぐらいあるので、その間に仙台地下鉄の視察を行っておきたい。

 

 仙台地下鉄は駅前の地下から出ている。ここから北は泉中央まで、南は富沢までの区間を運行されている。なお仙台では現在地下鉄東西線の建設工事中で、2015年開業予定とのことだがとりあえずそれは今後のことである。

 

 地下鉄はどこも同じようなもので正直なところ地下鉄の視察ほど不毛なものはない。仙台地下鉄とて特に個性があるわけではない。ただ驚いたのはここの地下鉄ではICカードが使えないこと。後で調べたところによると、何やら独自のICカードを導入する予定はあるようだが、いまさら独自カードを作るのに意味があるのか? 仙台地域はJR以外の交通機関はバスぐらいしかないので、ただ単にSuica対応とかにしとけば十分な気もするのだが。これで導入された新システムがSuicaと互換性がないとかになれば、かえって使い勝手が悪いという大間抜けなことになってしまう。

   仙台から乗車

 地下を走っていた列車が地上に顔を出すのは黒松から。黒松駅は地上駅というか、溝の中の駅のような印象である。

 八乙女付近

 ここから先は沿線はいかにも郊外住宅地という印象。次の八乙女駅はまさなそんな中にあり、終点の泉中央はスタジアムなどもある典型的な郊外。

左 泉中央のスタジアム  中央・右 泉中央に到着

 泉中央から再び折り返すことにする。黒松から地下に潜ると後は延々と退屈なトンネル内。乗降が多いのは仙台と長町。終点の富沢は地上駅で、先に車庫があるのか到着した列車はそちらに出て行く。

  

左 富沢駅  右 回送列車は先に向かう

 これで仙台地下鉄視察終了。やっぱり地下鉄の視察はむなしさしか残らない。鉄道マニアではないというなら、こんな不毛なことはやるべきではないなと思うところ。

 

 後はもう帰るだけである。長町まで戻ると、ここからJRに乗り換えて仙台空港を目指すことにする。仙台空港アクセス線は先の東日本大震災で仙台空港と共に甚大な被害を受けたというが、今は既に完全に復旧している。沿線もイオンなども以前のように営業しているようだし、そもそも仙台空港周辺は最初からほとんどが田んぼであったから、以前よりさらに殺風景さが増したような気はするが、目に見えて震災跡が広がるという光景ではない。ただあの津波ではこの地で多数の死者が発生していることは忘れてはならない。

 

 仙台空港に到着したのは出発時刻の1時間前。とりあえず荷物を預けると空港で夕食を摂ることにする。レストラン街でせめて仙台らしいものをと牛タン定食を頂く。昼食をまともに摂っていなかったので空腹にしみる。CPはともかくとしてまずまず。

 腹を膨らませてようやく人心地着くと、土産物(定番の萩の月など)を買い求め、スカイマークの仙台便で帰宅と相成ったのである。なおスカイマークの仙台便は就航が最近のせいか、ブリッジではなくてバスでの搭乗と相成った。幸いにして雨は小降りになっていたから良かったが、これは土砂降りだったら鬱陶しいところ。それに相変わらずの搭乗時の大混乱は、スカイマークの機内が狭いことと客層の悪さが反映している。やっぱり微妙なところがいろいろとローコストキャリアである。

 

 只見線視察を中心にいろいろと宿題解決を図ったのが今回の遠征。ただ会津若松にはまだ宿題が残ってしまった。ところで只見線に乗車していた時、なぜか沿線風景に見覚えがあるような気がして不思議で仕方なかったのだが、後で考えてみると磐越西線の新津−会津若松間に沿線風景が類似していることに気がついた。山間の川沿いを抜けるルートで、確かに状況はよく似ている。しかも最後は会津盆地に出て会津若松に到着するのだから、イメージが被るのも当然といえば当然である。

 

 これで仙台以南の鉄道はJR私鉄共に視察完了と相成った。後は残るは三陸地域のJRのみ。この辺りはまとめてこの夏に視察を実行する予定である。これが終了すれば、とりあえず現在復旧待ちの路線はあるものの、暫定的に国内全鉄道視察完了ということになり、一つの課題は終了となる。しかしこの期に及んで私はまだ公的には鉄道マニアではないと言い続けられるのだろうか。

 

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