展覧会遠征 西宮編

 

 大型遠征の疲労が抜けきらないこの週末は、近場の美術館を中心に回ることにした。まず目指すは西宮の大谷美術館。ただし出かけたの昼前だったので、美術館に立ち寄る前に昼食を先に済ませることにする。立ち寄ったのは久しぶりの訪問である「ダイニングキノシタ」。いろいろとうまそうなメニューがあるので迷ったが、オーソドックスにミンチカツ中心のBランチ(900円)を注文することにした。

 カボチャのスープから始まり、次はサラダ。このサラダのドレッシングが独特の甘みと酸味のある絶妙なものだが、ドレッシングはこの店オリジナルのラズベリーのドレッシングだそうだ。決してベリー系が得意とは言えない私がうまいと感じる一級品。

  

 メインのミンチカツはオーソドックスであるがジューシーな絶品。またデミグラスソースがなかなかの味わい。

  

 久しぶりの訪問であるが、以前に感じた「この店はレベルが高い」という印象のままであった。専用の駐車場がないのが難点の店であるが(手前の道路に路駐するか、近くのコインピーキングに止める必要がある)、また機会があったら再訪したい。

 

 十分に満足したところで最初の目的地へ向かう。

 


「杉浦康益展 陶の博物誌−自然をつくる」大谷記念美術館で8/3まで

  

 現代陶芸家の杉浦康益の展覧会。恩師の「やきものは石である」という言葉に触発されたとのことで、初期の作品はそのものズバリの天然石から型どりして陶器でその形を再現した「陶の石」シリーズ。そこから作品は巨大化して「陶の岩」シリーズとなったようである。なぜわざわざ石の形を陶器に写し取る必要があるのか、またそのことが芸術的にどういう意味を持つのかには大いに疑問があるが、少なくともこの課程が彼が巨大陶器作品を作成するための技量向上につながっているのは間違いなさそうである。

 その後さらに彼は自然の描写に傾倒し、代表作と言えるのが自然の花々を写し取った「陶の博物誌」シリーズ。この作品についてだが、彼は「花の一瞬だけの美しさには全く興味を感じなかったが、そこにある生命の活動に興味が湧いた」という趣旨の発言をしているようで、咲き誇る美しい花を写すのではなく、枯れかけて種が成長しつつある花を写している作品が多い。確かにそこには終わりゆく生命と新たに発生する生命が現れており、これが彼の圧倒的な表現と相まって効果を見せている。また自然界で生じる一瞬の時間を陶器という半永久的な状態に固定するというところに芸術的な意味も持っている。


 次は近くの美術館をはしごする。

 


「世界を魅了したやまとなでしこ−浮世絵美人帖展」芦屋市立美術博物館で6/15まで

  

 江戸時代の浮世絵の中の大きなジャンルが美人画であるが、そのような作品を集めて展示。展示作は渓斉英泉、三代目歌川豊國、歌川國芳などで百花繚乱。

 浮世絵のかなり定型化した美人表現にはあまり興味がないのだが、それでも作者や時代によって表現が変わっているのは分かる。またただ単に美女を描くというのではなく、そこに女性を美しく見せるための仕草などを加えているところは、現代のグラビアなどとも共通である。

 さらに時代を感じさせる意味で、そこに描かれている風俗なども注目すべきところ。時代が下ってくるにつれて、浮世絵作品自体も描写が生き生きとして人物が躍動的になってきているのがなかなかに面白い。

 


 美術館のはしごで疲れたところで、この美術館内の喫茶で一息つくことにする。展覧会と連動のメニューがあったのでこれで一息。

 ようやく生き返ると次の目的地へと向けて車を走らせる。しかしこの過程で大トラブル。高架沿いの道路を走行中に右折して路地に入った途端にパトカーがサイレンを鳴らして追っかけてくる。一方通行にでも入り込んだかと思ったがそうではない。何だと思えば右折信号無視とのこと。

 

 現場は青信号が続く道で、その中に一カ所だけ矢印信号が紛れ込んでいるらしく、それが極めて見にくい構造になっている。対向車が全く来てなかったので、私はその矢印信号を見落として右折したと言うことらしい。これで減点2の罰金9000円。

 

 交通取り締まりに合理的なものなど一つもないというが、確かにその通りで私にも「嵌められた」という意識しか起きない。実際に後でドライブレコーダーで確認したところ、問題の交差点にパトカーは潜んで獲物を待っていたのが映っていた。つまりは非常にわかりにくい信号になっているが故に彼らにとっては格好の狩り場になっているということだ。そこに道をよく知らないよそ者ドライバーがやってきたわけだから、彼らにとっては鴨がねぎを背負って飛んできたようなものである。事故を防ぐのが大事なら、手前に目立つ看板でも立てて信号見落としを防止すれば良いのだが、そんなことをすれば彼らにとっての格好の狩り場をなくすことになるので、そんなことはしないのは言うまでもない。

 

 現在の交通取り締まりは事故を防ぐということが目的ではなく、罰金を稼ぐということが目的となっていることはよく知られていることだ。それはそもそも警察官に罰金徴収のノルマが課されているからである。警察幹部は頑なに「ノルマなどない」と強弁するが、目標金額が設定されていて、それに届かないと考課に響くというのだからこれがノルマでないと言えるなら、日本国内にはブラック企業などどこにも存在しないことになってしまうだろう。ノルマを課された末端警官たちは、ありとあらゆる悪辣な手段で罰金徴収に邁進する。その結果、交通の安全性と全く無関係な罠としかいいようのない取り締まり(場合によっては露骨な捏造さえも発生しているようだ)が横行し、これを受けた一般ドライバーたちがその理不尽さに警察に対する不満を募らせ、このような警察に対する不審感が警察への非協力の姿勢につながって、ひいては犯罪検挙率の低下に貢献しているとか。実際に私も、学生時代などまでは警察とは治安を守るためにがんばっている大変な仕事というイメージを持っていたが、そのイメージは自分がドライバーとなって交通取り締まりを受ける立場になると一変した。今ではパトカーを見るたびに「何を悪巧みしているんだろう」と考えるようになっている。よく警察に対しての不満を掲示板などで吐露している者がいたら、「法律を守らないおまえが悪い」の類のレスを付ける輩がいるが、実のところ私自身も自分が車を運転するまでは彼らと同じ考えであった。残念ながら人間の想像力には限界があり、自分が体験しないと理解できないこともあるようだ。

 

 警察が組織としてここまで罰金徴収に邁進するのは、青切符で集めた罰金はそのまま警察に入るので、これがすなわち幹部連中の利権に直結するからだとか。つまり私が召し上げられた上納金は幹部のおいしい生活の糧になるらしい。腹立たしい限りだが、一番たちの悪いのは権力を持っている悪党である。何しろ彼らはその気になれば、清廉潔白な完全無罪の人間をいくらでも犯罪者として処罰可能なのだから。おかげで一般庶民は泣き寝入りという次第。途上国などでは「警官を見れば犯罪者と思え」というような国もあるようだが、まさか日本の警察がそこまでとは私も思いたくない。しかし明るみに出た冤罪の構図を見ていると、残念ながら事態はかなりひどいことになっているのを実感せざるを得ないようである。

 

 やり場のない憤りを抱えながら次の目的地へと車を慎重に走らせる。次の美術館はかなり久しぶりの訪問となる。

 


「応挙と円山四条派」香雪美術館で7/27まで

 写生を重視し、現在にも続く多くの日本画の潮流の祖となった円山応挙の作品及び円山四条派、さらに続く原派、森派の絵師の作品を集めた展覧会。

 応挙の作品は孔雀や鯉などの定番ものに、例によってのどう見ても猫に見える虎など。これに対して、同素材の他の絵師の作品や、さらには模写なども展示してある。

 一括りに円山派などと言うが、応挙に原点を置きながらでも微妙にそのスタイルは異なるというようなことが感じられて面白かった。

 


 当初予定では香雪美術館ではなくて兵庫県立美術館に立ち寄るつもりだったのだが、芦屋で香雪美術館のポスターを見てこちらに立ち寄ることにした次第。もっともおかげで悪質警官にカモられることになってしまったのだが・・・。

 

 最後は汗を流してから帰ることにする。立ち寄ったのは湊川の山手の住宅街の中にある温泉銭湯「湊山温泉」。かなり路地の奥にあってたどり着くのが難儀な上に、駐車場が10台程度しかないので止められないことがあるという難所だが、幸いにして駐車場が開いたタイミングで到着した。

 いかにも鄙びた外観に内部はごく普通の銭湯である。泡風呂などもあるが、メインの浴槽がかなり深いのが特徴。泉質はナトリウム・カルシウム−炭酸水素塩・塩化物泉とのこと。六甲山系の温泉によくあるように炭酸ガスも含んでいるようだが、低温の源泉を加熱しているので残念ながら炭酸ガスの感触はほとんどない。印象としては柔らかい湯というところ。

 

 入浴客はいかにも付近の常連という風の中高年が大半であった。神戸はこの手の温泉銭湯が普通に町中にあるから侮れない。

 

 入浴を終えるとコーヒー牛乳で一服してから帰途についたのであった。

 

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