展覧会遠征 三陸・秋田編

 

 この週末は満を持しての三陸遠征を実施することとなった。そもそも三陸地域は数年前に訪問する予定だったのだが、その春に起こったのがあの東日本大震災だった。鉄道は寸断され、現地は壊滅状態と言うことでとても観光という状況ではなく、そのまま三陸遠征は延期されていた。

 

 しかしその間に全国の鉄道視察も三陸地域を残してほぼ終了という事態になっていた。この春にようやく寸断されていた三陸鉄道も完全復活したと言うし、三陸の復興の現状を見ておきたいという気持ちもある。そこでこの度、ようやく三陸遠征を実施した次第。

 

 目的地が東北となると必然的に交通機関は飛行機である。しかし飛行機の場合の問題はANAの場合は三連休だと旅割などの特別料金が使えなくてやたらに料金が高くなること。そこでプランを拡張して、早めの夏休みということで三連休の前後に休日をひっつけての大遠征とする事にした次第。

 

 伊丹から仙台空港へは金曜日の朝一番の便で移動する予定。そのために木曜日の仕事を終えると新大阪で前泊する。宿泊するのは最近大阪の定宿化しているホテルクライトン新大阪。大阪駅で夕食を摂ってからホテルに向かうと、何やら外人女性の団体がゾロゾロとホテルに入っていく。フロントで聞いたところによると、ベルギーの合唱団のメンバーらしい。この団体さんのせいか、シングルルームが満室とのことでツインに振り替えになる。

 

 この日は大浴場で体を癒すと翌朝に備えて早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時前に起床。シャワーで汗を流すと直ちにチェックアウトする。鉄道とバスを乗り継いで伊丹空港へ。空港内で朝食にトーストを頂くと、8時過ぎの便で仙台に飛ぶ。最早このコースは慣れたるルートとなった感がある。

 

 仙台空港はついこの前にここから帰ってきたところである。今回は預け荷物がないので移動がスムーズ。仙台空港線で仙台まで移動すると、仙台のみどりの窓口で今日の分の乗車券と明日からの三連休乗車券を購入。この三連休乗車券、JR東日本エリア内の全路線及び三陸鉄道などの一部私鉄にも乗車できるという優れものだが、JR東日本エリアで前日までにでないと購入できないのが私のような遠距離組には不便である。ただそれでも、ほとんど病気のようにお一人様客を冷遇して一人客向けのこの類いの切符は全く出さないJR西日本よりはまだまともだとは言える。JR西日本は一人客をクズ客扱いしている間に顧客の鉄道離れを促進している。もしかしてJR西日本は鉄道事業を辞めたいのか?

 仙台到着

 さて仙台での予定だが、実は全くない。と言うのも当初計画で仙台で実行するつもりだったプラン(仙台地下鉄視察&岩切城見学)は前回の只見訪問の帰りに終わらせてしまったからである。また仙台の美術館の出し物も現在は私にはわざわざ見に行く必要のないものばかり。だから仙台での滞在時間は当初計画よりも大幅に短縮し、さらには今晩の宿泊地も当初に考えていた気仙沼ではなくてさらに先の綾里にした次第。ただそれでも大船渡線の本数の少なさのせいで、一ノ関行きの新幹線に乗るまでに2時間ほどの余裕がある。そこでまだかなり早いが昼食を摂っておくことにする。

 

 駅前で昼食をと思ったが、何しろまだ10時過ぎなので駅前の店はまだどこも開いていない。そこでやむなくもう一度駅に戻ってきて、駅内の牛タン通りを散策、結局は「利久」に入店する。注文したのは「タンシチュー定食(1404円)」

 コクのあるシチューが普通にうまい。CPとしてはまずまずというところか。ただブランチには少し重いか。

 

 かなり早めの昼食を終えたが、それでもまだ新幹線の時間まで1時間ほどある。結局は駅構内の待合室でNexus7で漫画を読みながらつぶすことに。こういう時はNexus7は便利である。

 

 ようやく新幹線が到着。これで一気に一ノ関まで移動する。一ノ関からは大船渡線に乗り換え。ホームには二両編成のキハ100が待っている。車内には乗客は結構多い。

 一ノ関を出た列車は、いきなり山間部に突入する。唐突にあまりに深い山中に入るので戸惑う私。しばしは呆れるほどの山中を走行するが、それを抜けると川沿いの集落があるところに出てくる。後は小集落を結びながら進む印象。一番手前に深い山が来たので驚いたが、後半はそうとんでもないところを通る路線ではない。

左 真滝駅は山間部  中央 すぐに川沿いに出る  右 陸中松川で対向車とすれ違い

左 備中松川周辺の集落は山の中  中央 矢越以降の集落  右 町になるのは気仙沼から

 1時間半ほどで気仙沼に到着。気仙沼から先はBRTで盛まで移動することになる。気仙沼駅は気仙沼線がBRTに切り替えられているので、その部分は線路がなくなって舗装がされている。なお盛行きのBRTはここからでなく、駅前の観光案内所のところから出る。しばらく待つとバスが到着。ゾロゾロと大勢が乗車する。

左 気仙沼線跡は舗装されている  中央 気仙沼駅舎  右 盛行きのBRTは駅前から出る

 気仙沼は駅周辺は津波の被害の跡がそれほど感じられないのだが、バスが市街を抜けて海沿いに出た途端に言葉を失う。建物が根こそぎ撤去された廃墟が続き、地盤の嵩上げ工事だと思われる土があちこちに盛られている状態。住宅などが壊滅したことが痛感させられる。

左 駅前は一見無傷だが  中央 海岸近くになるにつれて怪しくなり  右 海岸近くは壊滅的状況

 気仙沼を抜けると道路は山岳地帯に入る。さすがに津波はここまでは来ていない。やがて道路は海近くになるが、海のギリギリまでは降りておらず、また海岸の小集落もこの辺りは比較的奥にあるので津波の被害は受けていないようだ。しかしその様子は陸前高田に近づくと一変する。

 山間部の集落

 陸前高田は完全壊滅状態と言って良い状況。市街が丸ごとなくなっており、現在は嵩上げのための土砂を山から運搬するためのベルトコンベアが張り巡らされている。まるで町ごと埋め立て工事現場になったような印象。神戸生まれの私としては、ポートアイランドの建設風景を連想する。とても町があった場所とは思えない。そしてその工事現場の中で遠くにポツンと見えるのが「奇跡の一本松」。あの津波の中を倒れずに生き残ったが、結局は塩害などで枯れてしまって今では単なるモニュメントになってしまった例の松である。確かにこの立地を考えると、残念ながらあのまま生き残るのは無理だったような気がする。なお後でニュースで知ったのだが、どうやら陸前高田のコンベアが稼働を始めたのは今日だったらしい。道理でテレビ局の取材カメラを見かけたわけだ。

左 陸前高田に到着  中央 奇跡の一本松と土砂運搬用ベルトコンベア  右 巨大ベルトコンベア

陸前高田全体がさながら巨大な埋め立て工事現場と化している

 陸前高田ではバスは市役所のある山側に大きく迂回して回り道をする。仮設住宅などがこれらの高台に建てられているようだが、あの海際の平地面積から考えると明らかに手狭。そう言う意味でも山を削って海を埋め立てるという神戸市方式になるのだろうが、一番の問題は住宅地を確保できても人口がどれだけ戻るか。一番気がかりなのは住宅だけでなく、地元の産業基盤も根こそぎ破壊されていることである。震災から3年でまだこの復興状況では先行きは真っ暗と言わざるを得ない。以前から徐々に進行していた地方の過疎化と荒廃が、あの震災で一気に数倍の速度で進行しした印象である。しかも今後は国内の土木工事は東京利権オリンピックに殺到することから、東北地区の復興は先送りになるのは見えている。現政権は口先ではいろいろと格好を付けるが、その実体は利権まっしぐらである。さすがに「利権を取り戻す」の安倍晋三である。東北の庶民を助けるよりは、利権で結びついている東電を助ける方が優先になっている。

 

 陸前高田の先からは、線路が撤去されてバス専用道になっているところを走ることになる。ただ鉄道と違って交差道路と出くわす度に速度を落として安全確認するし、バスは電車のような定時制を確保できないので、すれ違いポイントが来る度に一時停止して前方確認になるので、とにかく走行がスムーズさに欠ける。やはり鉄道に比べると速達性及び安定性の両面で大幅に劣ると言わざるを得ない。この路線は市街の復興にあわせて鉄道の復旧も必要だと考える。

左 バス専用道に入る  中央 駅が設置されている  右 細浦駅のかつてのホーム跡

 大船渡も海岸近くの港を中心に惨憺たる有様である。陸前高田のようなまるごと更地になったという状況ではないが、市街地にも津波の爪痕は各所に残っている。その市街地を抜けて、大分北に登ったところが終点の盛である。

大船渡南部の状況

 気仙沼線沿線全体を通しての印象としては、昔からの小集落は海の際でなくて背後の山の中にあるところが多いのであまり大きな影響が見られないが、大都市は海のすぐそばに広がっていたところが多いので津波の甚大な被害を受けたというように感じられた。気仙沼、陸前高田、大船渡といったこの沿線を代表する大都市の被害が極端に大きい。今回三陸地域の視察に当たってホテルの確保に難儀したのだが、南三陸の三大都市がこの惨状では、道理でホテルの確保が困難だったわけである。震災の直後は復興作業員の宿舎が確保できないと問題になっていたが、現在も根本的には事態が改善していないようだ。

左 盛駅に到着  中央 JR盛駅と  右 三陸鉄道盛駅

 盛からは三陸鉄道南リアス線で綾里を目指すことになる。今回の遠征では先にも述べたように三陸地域のホテル確保で難儀し、ようやく見つけたのが綾里にあるホテル廣洋館。とりあえず盛についたところでホテルに連絡し、綾里から送迎してもらえるように手配する。

 

 地方のローカル線では萌えキャラ路線で集客を図っているところが多い。三陸鉄道でも鉄道むすめはいるようなのだが、それより目立っているのは鉄道ダンシ。これは三陸鉄道が採用しているイケメンイメージキャラ。鉄道むすめの男版なのだが、これがあちこちに幅を利かしている。どうやら三陸鉄道ではオタよりも腐女子をターゲットにして再建を狙っているようである。最近は鉄子さんも結構増えているようだし、狙い目としては悪くはないかも。ただそれならいっそのこと、鉄道むすめに鉄道男子、さらに鉄道ヒーローに鉄道ゆるキャラで全方位路線でいったらどうだろうか。三鉄音頭に演歌「三鉄旅情」とかも作ったら高年齢層にもアピールできるかも。氷川きよしにでも歌ってもらって紅白に出たらかなり効果が期待できる。三陸の現状に心を痛めた氷川きよしが協力を申し出てくれたということにしたら、氷川きよしの方のイメージ戦略的にもプラスだろうし。

 鉄道ダンシ

 三陸鉄道はディーゼルの単両編成。三陸鉄道と言えば海沿いの鉄道というイメージがあるが、案に反してすぐにトンネルに入ると後は山の中を突っ走るというのが現実。三陸では海のすぐそばまで山が迫っているのでこういうことになるようだ。二駅目の綾里も山の中の駅という印象。

三陸鉄道のホームと車両

 駅に到着するとホテルからの送迎車が到着しているのでこれでホテルまで送ってもらう。車だと5分もかからない距離だが、歩くと結構大変な距離である。ホテルのすぐ下には海水浴場があるのだが、山の中から唐突に海が現れるという印象で、これがこの地域の地形的特徴である。

綾里駅に到着

 ホテルにチェックインして部屋に入ったところで失敗したことに気づく。何だかんだで移動をバタバタしたせいで、食料の類を全く買い込まずに来てしまった。しかしここのホテルというのが全く何もないところにホテルだけが建っている状態で、近くにコンビニはおろか店の類が全くない。窓から海を見ると津波で被害を受けたと思われる防潮堤がまだ工事中である。ここにも被害が出たのかもしれない。それはともかくとして、とにかくこういう状態なので夕食までは空腹をこらえるしかない。こうなると今日の昼食がかなり早めだったのがキツイ。

左 ホテル廣洋館  中央・右 ホテルの窓から見える海岸の風景は痛々しい

 夕食までに辺りを散歩したり、大浴場で汗を流したりで時間をつぶす。かなり空腹が耐え難くなってきた頃にようやく夕食の時間になるので夕食会場に出向く。私は廉価なビジネスプランの宿泊なので、夕食メニューは簡素なものだろうと思っていたら、案に反して結構豪華。刺身がうまい上にサービスであら汁までついてくる。そして驚いたのがご飯のウマさ。腹がかなり減っていることを差し引いて考えてもやはりうまい。

  

 食事が終わると一気に疲労が襲ってくる。しばらくベッドで横になってテレビを見ていたが、そのうちに本格的に眠気が襲ってきたので自然とそのまま寝てしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に起床。外はかなりの雨が降る生憎の天候である。

 かなりの雨

 まずは朝風呂で目を覚ますと朝食。朝食は普通の朝定食。豪華ではないがなかなかうまい。ここのホテルは食べ物は正解だった。

 

 綾里駅までは車で送ってもらう。外はかなりの雨だし、駅までは結構遠いしでこれはありがたい。綾里駅の駅舎には売店などもあり、つまりは委託駅のようだ。綾里周辺には店がまるでないから、これは助かるだろう。

 綾里駅舎

 しばらく後に到着した列車は二両編成の車両。乗客はそこそこいる。テーブルのあるボックスシートは快適だが、雨がひどいせいで車窓がぼんやりとしか見えないのが残念。トンネルを走行しているとその間に窓が乾いて、トンネルを出た直後は風景がクリアに見えるのだが、それからすぐに雨と湿度で窓が曇っていくという繰り返しである。

三陸鉄道車両

 甫嶺は海に面した駅だが、海の方が壊滅しているのが分かる。恐らく南リアス線も被害を受けたであろうことが推測される。ここから三陸まではトンネルを抜けると海のそばというようなパターンの連続。海沿いの線路は多分ほとんど作り直したのだろうと思われる真新しい印象の高架が多い。ただこれらの高架の周辺には荒れ地が広がるだけで、人間が住んでいる気配がない。

 

 終点の釜石は海沿いの平地だが、トンネルを出て最初に目にした市街の惨状には言葉を失う。市街の南部がほぼ壊滅状態で、この辺りは未だに手つかずという印象。その荒れ地の中にイオンだけがポツンと建っている。イオンは昔から「狐が出るような場所に建てる」のが戦略と言われているが、

 釜石南部は壊滅的状況

 釜石駅は新日鐵釜石の真向かいで、駅の周辺だけは結構賑わっている。ここだけを見ると津波の被害はそれほど感じないかもしれないが、実際にはプレハブの建物も多い。

左・中央 三陸鉄道釜石駅  右 JR釜石駅

左 駅前  中央 市街地は川向こう  右 マンホール蓋

 釜石からは快速はまゆりで盛岡に向かう。快速はまゆりは3両編成で3号車が指定席。車両はキハ112。通常のローカル線普通車タイプと違ってシートはリクライニングする高級なものに。また有人駅にしか停車しないという設定なのだろう。ワンマン車などの運賃台がない。釜石線は特急などの優等列車がないので、それの代わりという位置づけになっているように思われる。会津若松のあいづライナーと類似している。

快速はまゆり

 釜石を出た列車は最初は釜石市街を走行しているが、やがてかなり深い山中に入っていくことになる。時折沿線に小集落があるが、大抵は山ばかりである。道路などもすごいところを通っており、この路線を整備するのは大変だったろうと思われる。

 とにかくすごい山の中

 陸中大橋で対向はまゆりとすれ違い。そこからは長いトンネルの連続である。トンネルは多いし、山中深いので傾斜もあるようだ。ここで気にななったのは、最近観光列車としてSLがこの路線を走っているらしいのだが、パワーはディーゼルなどを増結して補うとしても、トンネル対応は大丈夫なのだろうか? それでなくても以前に私が乗ったSLでは、トンネル中で子供が窓を開けて大変なことになった。

 陸中大橋

 ようやく山間の平地に出てきたと思ったらまもなく遠野である。こうして山間部を抜けてくると、ホッとするというか、良いところだなぁという気持ちが沸き上がる。実際に遠野周辺はのどかな田園風景で心が和む。まもなく遠野駅に到着するが、遠野駅から乗り込む乗客も多い。以前にこの辺りを訪問した時は車で通過しただけだが、どこか心惹かれる懐かしい雰囲気の町であった。実は今回のプランを練った時、遠野に宿泊するプランもあったのだが、移動の時間の関係などで結果としては不採用になった。しかしどことなく一泊してみたい気も起こる町である。

遠野周辺

 遠野の平地を抜けると再び山間地。宮森ではC58SLが停車している。観光SL銀河のようだ。どうやらここでSLから乗り換えて盛岡方面に戻る乗客もいる気配。何かこうして目にしてしまうと私もこれに乗りたくなる。私は単にSLというだけで乗りたくなるほどの鉄オタではないが、なぜかこの路線は無性にSLに乗りたい気分にさせる路線だ。ところでさっきからやけに鉄オタが大勢沿線でカメラを構えていると思ったら、どうやらこれが目当てか。中には撮影テストがてらではまゆりの撮影を行っている者もいた。遠野を走るSLなんていかにも絵になりそうだ。私でも撮影したい。

宮森でSL銀河と遭遇

 宮森を過ぎて再び平地に降りてきたら土沢。以前に土沢城を訪問したところだ。さらに新花巻を経て、花巻に到着する。ここからは一斉に大量の乗車があって列車はスイッチバック、そのまま盛岡を目指す。東北線沿線も住宅が多いとまで言うほどではないが、それでも先ほどまでの釜石線沿線に比べると雲泥の差。

 

 盛岡に到着。仙台以来の大都会という印象である。ただここが最終目的地ではない。今日は青森に宿泊する予定。ただし盛岡には2時間ほど滞在し、その間にこなしておくべき予定がある。

 盛岡に到着

 とりあえず駅内の立ち食いそば屋で軽く腹を満たすと駅前のバス停へ。目的は岩手県立美術館。あの美術館は所蔵品は結構良いものがあるのだが、とにかく交通の便が悪いところにある。盛岡の難点はやたらに市街が広いのに、バスの便などが悪いことだ。高齢者などには住みにくい町のように思える。


「ジョルジョ・デ・キリコ展」岩手県立美術館で8/22まで

  

 シュルレアリスムを代表する画家であるデ・キリコの展覧会。

 デ・キリコと言えばどことなく無機質なマネキンのシリーズが有名だが、本展ではそこに至るまでのデ・キリコの試行錯誤の時期の作品も展示。古典主義に回帰した時期があったりなど「デ・キリコもこんな普通の絵を描いていた時期があるのか」と妙に驚いたりなどさせられる。

 ただやはり作品としては晩年の形而上絵画のシリーズが一番面白い。なお中には同じモチーフを使い回している作品も結構あり、ここにもいろいろな試行錯誤が行われていることがよく分かる。


 なおこの美術館は収蔵品も多彩である。彫刻の舟越保武から絵画の萬鐵五郎に松本竣介など個性の強い作品が多く収蔵されている。こちらもかなり見応えがある。

 

 美術館の見学を終えると駅まで戻るのにタクシーを呼び出す。バスがあれば良いのだが、とにかくバスは数時間に1本という状況。なぜここまで交通の便が悪いところにこんな施設を作ったのか?

 

 盛岡駅に戻ってくるとえきネット予約していた新幹線の特急券を引き取ってから、昼食用の駅弁を購入して新幹線待合室に。新幹線を待つ間にクールダウンのためにソフトを頂く。

 しばらくNexus7で漫画を読んでいるとようやくはやぶさが到着。これで新青森まで移動である。東北新幹線の盛岡−新青森間は初乗車だが、この区間も実質は地下鉄。地上に出るのは駅周辺の一部だけで全く面白味に欠ける路線である。やはり最近の新幹線は旅情がない。とりあえず地下鉄の車内ではすることもないので、先ほど購入した駅弁を頂く。

今日の昼食

 新青森駅に到着。これで東北新幹線もとりあえず全線視察完了ということになる。東北新幹線はまだこれから先に延伸予定であるので、新青森駅の構造は通過駅の構造になっている。ただ北海道まで新幹線を走らせて果たして本当に需要があるのかはいささか疑問である。

 新青森駅

 新青森駅で降りるとここからタクシーで青森県立美術館へと移動する。岩手の美術館もそうだが、青森の美術館もやはり異常に交通の便が悪い場所にある。結局はタクシーで移動するぐらいしか方法がなくて高く付く。


「美少女の美術史 少女について考えるための16の事柄」青森県立美術館で9/7まで

  

 アニメ、漫画のみならず、芸術の世界において「美少女」というモチーフは古今東西普遍的に用いられてきている。ある時は無垢の象徴として、また時にはそれとは正反対な俗なるものの象徴として、描き手によってその用いる意味は様々ではあるが、多くのクリエイターを刺激してきたモチーフである。本展では浮世絵の美人画、近代絵画の少女像を初めとして、漫画で描かれた美少女、さらには萌えキャラフィギュアまで多彩な方向から美少女というモチーフについて考える。

 帝展出展作品の横に海洋堂のフィギュアが並んでいたりなど、まさにカオスなのが本展の特徴なのであるが、おおざっぱに歴史を追えば、やはり昔から「美少女」の描き方にはある種のパターンがあるのだが、近年ではそれがさらに記号化してきているのを感じる。実際に最近の美少女フィギュアなどでは、長い手足、大きな目などという美少女の記号的特徴が、現実の人間にはあり得ないレベルに強調されて一つ間違うとモンスター寸前になっているにも関わらず、一見しただけでは強烈な違和感を感じないということにそのことが現れている。

 また、なぜ少年でなくて少女なのかというところも、文化論的に考えていくと面白い話題であるかもしれない。ギリシアなどではむしろ美少年のモチーフの方が多いことを考えると、単に「芸術家に男が多かったから」という次元だけでは説明の付かない文化的背景がありそうである。


 全館を使ったかなり異色な展覧会。何しろいきなり綾波レイやらセーラームーンのフィギュアが登場するのだから、思わずぶっ飛びそうになった。なおこの美術館は収蔵品も奈良美智の作品や棟方志功の版画などかなり強烈なものが多い。屋外に展示されている巨大な「青森犬」はこの美術館の象徴であると共に、観光名所にもなっている。

  

 美術館の見学を終えるとタクシーで青森駅まで移動する。本当はバスを使いたかったのだが、時刻表を確認すると10分ほど前にバスが出た直後。次のバスまでは1時間近く待たないといけない。とてもではないがそんなに待てないのでやむなくタクシーを利用した次第。ここは三内丸山古墳もある観光の拠点の一つなのに、せめて30分に1本ぐらいはバスを走らせられないんだろうか?

 

 青森駅に到着すると宿泊ホテルにチェックインする。今日の宿泊ホテルはルートイン青森駅前。やはり三連休となるとなかなかホテルがないので、いつものように「困った時のルートイン」となってしまう。特に魅力のあるホテルでもないが、特に難点もないという点で極めて無難な選択と言うこと。ルートインに関しては「良くも悪くもチェーン」という印象が強い。つまりは当たりもないがハズレもない。

 青森駅到着

 ホテルにチェックインするとまずは夕食に繰り出す。と言っても遠くまで行く元気もないしということで、いつものように「おさない」で済ませることにする。注文したのは例のごとくのホタテフライの定食ホヤと黒鯛の刺身を付ける。

 ホヤについては実は初体験。ちょっとクセのある変わった貝という印象。ただ生物分類上は貝からは遠く、ナメクジウオなどと同様の脊索動物になるので、むしろ貝よりは人に近いようだ。まあそれはともかくとして、私としては生だと少々クセが気になるので、フライなんかにした方がうまいんではないかと感じた。

 

 夕食を終えるとホテルに戻って入浴などしてマッタリ。しかし疲労もかなりあるし早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時頃に起床すると朝食と入浴を済ませ、8時にはチェックアウトする。今日は三陸方面を視察するつもり。青森は朝から晴天だが、天気予報によると三陸方面は午後から荒れる可能性が。かなり天候に不安がある。

 

 まずは青森駅から新青森まで移動。これは普通列車ということになっているが、現実には特急車両の回送を兼ねており、特急列車の2両だけを自由席解放している状態。この路線はそもそも普通列車はほとんど青い森鉄道に移管して廃止に近いので、ほとんどが特急列車になっている。儲かるボッタクリ列車しか運行したくないというJR東日本の本音がよく現れている路線である。

 八戸駅

 新青森からは新幹線はやぶさで八戸まで移動する。今日はリゾートうみねこで宮古方面に向かう予定。ただその前に本八戸に立ち寄りたい。ただし八戸から本八戸の間は鉄道の本数が少ないのでバスを利用する。本八戸から八戸方面へのバスは10分に1本程度の頻度で運行されている。やはりバスはこのぐらいの本数がないと利用しにくい。八戸の市街は現在、八戸駅を中心に広がり始めた新興市街地と本八戸駅を中心とした旧来からの市街地に二分されている状態なので、この路線のニーズは結構あるようで、乗客もそこそこ多い。

 八戸中央

 途中で根城の近くなども通りつつ、八戸の中心街までは30分弱。市街中心部では祭りでもあるのか何やら露天が設置されている。そう言えば以前に八戸を訪問した時も似たような状況だった。さて今回わざわざここまで来たのは、今まで何かと訪問機会がなかった美術館を訪問するため。


「藍〜Japan Blue〜」八戸市立美術館

  

 藍は昔から虫除けや殺菌の意味もあって広く用いられてきた染料である。その藍を用いた着物などを展示。

 展示作には志村ふくみの作品などもあり。単純な青一色で様々なバリエーションをつける奥の深さは日本の水墨画表現などにつながる点もあることを感じさせられる。


 小さな美術館で、展示室はメインの展示室が一つに市民ギャラリーのような展示室があるだけという施設なので、見学はすぐに終わってしまった。

 

 美術館をサクッと見学し終えたところで、どこかで昼食でも摂ろうかと思っていたのだが、まだ10時頃のせいで飲食店がほとんど開いていない。それに以前に八戸を訪問した時にもこの辺りには意外と飲食店がなかったという記憶もある。さらに今日ザクッと見た印象では、八戸駅周辺にも飲食店がありそうだ。調べてみるともうすぐ本八戸から八戸への列車が到着するようだし、これはいっそのこと八戸まで戻ることにする。

 本八戸駅

 久慈線の寒冷地仕様の扇風機車両で再び八戸駅に戻ってくる。ふと見るとリゾートうみねこが発着する1番ホームに何か列車が入っているので、もうリゾートうみねこが到着しているのかと思ったが、どうも車両の様子が違う。行き先表示を調べてみたら団体専用列車となっている。どうやら臨時運行のTOHOKU EMOTIONらしい。列車で海岸の風景を眺めつつ料理を堪能しようという高級志向の観光列車である。リゾートうみねこも観光志向だが、こちらは普通列車で観光と現地の足の両方を兼ねている中途半端なものなので、もっと観光に徹底させた列車である。

 さて私が乗るのはこんなブルジョア列車ではなく、当然のようにリゾートうみねこの方。まだ発車時間までは2時間近くあるのでとりあえずは昼食を摂ることにする。駅前のホテルメッツ八戸内に「いかめしや烹鱗(ほうりん)」なる飲食店があるので、そこで「いかと鯖の定食(1350円)」を頂く。

  

 特にどうと言うところもないが、かといって難点があるような内容ではない。まあ場所を考えるとCPとしては悪くはないのではなかろうかというところである。ほぼ駅ナカに近いこの場所でこれなのなら、駅前を探せばさらにCPの高い店もあるかもしれない。ただ最近はわざわざ食事の店を探すために町中をうろつく暇も体力もなくなっている。おかげでどうも東北方面の飲食店については私もまだ未開拓である。

 

 食事を終えると近くの観光センターを見学したり、土産物を購入したりでしばし時間をつぶす。どうも八戸方面での時間を取り過ぎていた。これだともっとゆっくりホテルを出てきても良かったのだが、それなら今度はこちらへの到着が遅くなりすぎるというわけで、本数の少なさがツラいところ。

 観光センターに展示してあった山車

 発車時刻の15分前ぐらいにはホームに入って待つ。自由席の1号車、2号車には既に行列が出来ている。しばらく後にようやくリゾートうみねこがホームに入ってくる。リゾートうみねこは先頭の3号車が指定席で後の2両が自由席。3号車と1号車(久慈からの帰路はこちらが指定席になる)は2+1の3列編成のシートで、この海側の1列シートは窓の方に向けて45度の角度に回転できる。私はこのシートを確保している。なお自由席の2号車はかなり個室感の強いボックスシートになっており、家族連れなど人数の多い時はこちらのシートの方が良いかも。

左・中央 リゾートうみねこ  右 3号車

左 2号車  中央 1号車  右 展望席

 このタイプの観光列車は大抵は快速が多いのだが、リゾートうみねこは普通列車である。この辺りが通常と変わっているところ。そして元々久慈線が運行本数が少ないせいか、この列車は自由席もある。要するに観光と地元の足が半々というわけである。

 

 八戸を出た列車はしばらく八戸市街を走行。久慈線は鮫までは区間運行の列車もあるが、概ねこの辺りまでが八戸市街でこの先が海沿いの運行となる。

 

 鮫を過ぎるとすぐに海岸に突き出た岩場があり神社が建っているが、そこが蕪島。有名なウミネコ繁殖地である。一般にウミネコの繁殖地は断崖や孤島などが多いのだが、ここは唯一身近にウミネコの営巣を観察できる繁殖地として知られている。

ウミネコ営巣地の蕪島

 その先は広大な天然芝生で知られる種差海岸。多くの観光客がここで降車する。天然芝生が存在すると言うことは、この辺りはイギリス並みの寒冷さということだろう。そもそもイギリスで芝生が多いのは、寒冷地であるイギリスでは放っておいても植物がその程度までしか育たないから。温暖湿潤気候の日本で芝生を維持するのは並大抵でない努力が必要(そうでないとあっという間に藪化してしまう)であり、日本で芝生を作るのは同じく寒冷地の服装であるスーツを夏の正装にするのと同レベルの大馬鹿である。だから日本でゴルフ場を作るためには、半端でない量の除草剤を自然界にばらまき、水源を汚染することになるわけである。

種差海岸周辺は海がよく見える

 その先はしばし海沿いを走行することになる。中には海岸にかつて津波の被害跡が見える箇所もあり、そういう部分では久慈線の線路も甚大な被害を受けたようだ。しかし地元の久慈線復旧にかける思いは強く、海岸に「ありがとうJR」と書かれたドラム缶が置いてあるのも見える。

左 種市を過ぎた頃から天候が怪しくなる  中央 ありがとうJR  右 陸中八木から先はこんなに海岸が近く

 陸中中野を過ぎると路線は山間部に突入する。次の侍浜はその名に反して完全に山間部の駅。そのまま深い山間部をしばし走行し、次に平地に出てくると終点の久慈である。

 侍浜はその名に反して山中の駅

 久慈では大量の乗客が一斉に降車するが、このうちのかなりの部分がそのまま三陸鉄道に乗り換える。しかし三陸鉄道のお座敷列車と通常車両の二両編成は団体客が来ているのか既に満車状態。ここに大量の乗客が乗り移ってくるので、車内はラッシュ並の大混雑。赤字のせいでJRに切り捨てられたローカル線とは思えない光景に唖然とする。結局は終点の宮古まで、乗客が入れ替わり立ち替わりしたが、大混雑の状況は続くのである。どうも団体観光客が何組か来ていた模様。あまちゃんブームはもう終わったと思うのだが、何が観光客をここに引き寄せるのか? これが一時的なものでなくて持続的なものなら地元にとっては明るい材料になるが・・・。ちなみに久慈は駅周辺を見る限りでは津波の被害はあまり覗えないが、港湾施設などにはかなりの被害が出たらしい。なお今回のプラン設定に当たって久慈で宿泊する案もあったのだが、これは久慈市内に良いホテルがなかったことで不採用になった。今後の観光開発を考えるなら、これも地域の課題のように思われるが。

久慈で乗り換えた三陸鉄道車両は大混雑

 三陸鉄道北リアス線は、とにかくトンネルが多い路線である。たまに海沿いを走るが、大部分はトンネル。そして今回、その海沿いの部分が津波で大被害を受けたらしい。トンネルが多いと言うことは観光列車も走らせにくいし、そう言う意味では収益を上げにくい路線である。だからJRに切り捨てられたのか。またトンネルが多いと言うことで気になるのは、施設が老朽化して来た時に三陸鉄道にその保守を続ける体力があるのかということ。JRでも老朽化したトンネルが崩落して一斉点検したことがある。そういうことを三陸鉄道ができるのかにやや不安がある。地域利用客もそれなりにいるようなので今後も生き残るべき鉄道路線であると思うのだが、10年先、20年先の存続を考えた場合に大きな問題になる可能性がある。

 数少ない景観スポット

 久慈まではどうにかこうにか持っていた天候が、南下するにつれてついに雨に転じる。そうなると外の風景が見にくくなる。とはいえ、そもそもほとんどがトンネルの上に車内が人で一杯でろくに風景を見られる状態でもないが。

 こんな状態のところも多い

 田野畑、小本、田老辺りは先の津波で大被害を受けたところだが、曇りガラスの合間から眺めた風景は、復興がそう進んでいるようには見えなかった。特に田老地区は、以前にこの地域を車で走行した時の壊滅状況からほとんど変化していない。三陸鉄道は1時間半ほどを要してようやく終点の宮古に到着する。これで三陸鉄道の視察は終了である。ただ北リアス線についてはあまりに状況が異常すぎて、普段のこの路線の実力を判断することはできなかった。以前から常にこの状態ならJRが切り捨てるはずはなかったと思うし。

 

 宮古からJR山田線に乗り換えて盛岡を目指すことにする。こちらは2両編成のキハ110だが、これの車内も既に8割方埋まっている状態。意外と乗客がいるという印象。

左 終点宮古で乗り換え  中央 ホームの向こうの方にJR山田線車両が待っている  右 車内の乗客は結構多い

 宮古を出た列車はすぐに山間部に突入する。そして山間部の小集落の秘境駅のようなのが、廃線が決定された岩泉線が出ていた茂市駅。

茂市駅周辺は何もない

 ここから先も山田線は延々と山間部を走行することになる。趣としては完全に山岳列車である。途中の区界では対向列車とのすれ違いのために数分停車。するとこの間に乗客の大半がカメラを持ってゾロゾロと外に出たところを見ると、乗客の大半は鉄オタ観光客か。となると地元利用の割合は・・・。

茂市から先も沿線はこの調子

区界で対向列車待ち

 結局は盛岡手前まで延々と山間部を走行する路線であった。と言うことは沿線人口も絶望的。確かに地図で見た限りでも大きな集落は見当たらない。それだけにJRとしては、今後もし路盤の大規模崩落のような事故が発生した場合、岩泉線のようにそのまま廃線にしてしまう可能性が非常に高いように思われる。そうなったら宮古が孤立である。やはり現在休止されている宮古−釜石間の山田線をJRが復旧する気がないのなら、三陸鉄道に移管してでも復旧する必要があるように感じる。ただその場合には地元自治体だけでなく、国レベルでの支援が不可欠だろう。

ようやく平地に出るのは盛岡手前の上米内辺り

 盛岡に到着した時には既に日は西に傾いていた。結局今日は一日列車に乗り続けだったので疲労が半端ではない。なおこれで三陸鉄道及びJR久慈線、山田線の視察暫定完了と言うことで、暫定的ではあるがJR全在来線視察完了ということになる(JR路線としては上越新幹線の一部と長野新幹線がまだ未視察である)。しかしやはり私は根本的には鉄オタとは違うのか、あまり万感の思いはない。特に今日に関してはただ疲れたの一言。さすがに首都圏全私鉄の視察を終えた時ほどの虚しさはないが(あの時は特に地下鉄の視察に不毛さを感じずにはいられなかった)。

 盛岡駅に到着

 鉄道云々よりも、やはり心に残ったのは三陸地域の復興がまだほとんど何も進んでいないということに対する憤りのような感情。地域の深刻な現状を目の当たりにしたと共に、それにも関わらず目の前の利権にばかり邁進する中央権力の愚かさに対する絶望。たとえ日本が滅ぶことになっても自信の利権が守られればそれで良いと考えている国会議員連中のレベルの低さに対する怒りである。私は日本が滅ぶことがあるとしたら、それは外敵によるものではなく、地方の荒廃などに根ざす内側からの崩壊によると思っている。実際、未だに安倍政権は原発推進をもくろむなど、日本が駄目になっても自分の利権さえ守られればそれで良いと考えているのはあからさまである。

 盛岡での宿泊ホテルは例によって「困った時のルートイン」である。ホテルにチェックインするとすぐに夕食のために出かける。入店したのは「東屋本店」。郷土料理の店とのことだが、実質的にそば屋のようである。わんこそばは予約が必要とのことだが、そもそもわんこそばに挑戦する気はない。注文したのは「カツ丼(980円)」

  

 オーソドックスなカツ丼だが、味付けその他に不満なし。私の好みに合致したカツ丼である。なお添えられていたのがここのそばなのなら、こちらはあまり私の好みではない。そばではなくて丼にしたのは正解だったか。

 

 帰りに駅ナカをウロウロして夜のおやつを購入すると、ホテルに戻って入浴。この日もマッタリしてから早めに床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に起床すると、すぐに朝食に出向き、7時過ぎにはチェックアウトする。今朝はまず志波城を見学するつもり。志波城はいわゆる東北統治のためにおかれた政庁で、多賀城や秋田城などと同じ類である。現在は史跡公園として整備されていると聞いている。

 

 「志波城」まではバスで移動・・・のつもりだったのだが、いざバス停に行ってみると乗るつもりのはずだったバスがいない。「なぜ?」と思って調べてみると、私が乗るつもりだったバスは平日のみ運行で、土日休日は運行がないらしい。次のバスはと確認すると1時間ぐらい先である。これでは話にならないのでタクシーで移動することにする。しかし志波城までは結構な距離があり、タクシー代は1800円。かなり痛い出費である。

  

 現地は田んぼや住宅地の中。産業の基本が農業にあった時代には当然な立地であろう。その奥に築地塀や門、櫓などが復元されている。復元の様子を見るだけでもかなり気合いの入った本格的復元であるのが分かる。

 この手の古代城郭は平地に立地しているので中世所郭ほど防御力は高くなく、実際に多賀城なども地元豪族の反乱で簡単に落ちている。しかしこの志波城の塀や城門を見ると、決して防御が薄いという印象ではない。塀の高さは十二分にあるし、塀の前には堀もあったようである。また攻撃のための櫓も間隔を置いて設置されていることから、かなりの防御力を有していることが覗える。規模の大きさといい、政庁機能だけでなくてかなり大兵力を配置する軍事要塞として機能を重視して作られたのではないかと考えられる。

左 門はかなり堅固  中央 土塀も高く攻撃用の櫓がある  右 内部から見た正門

 内部にはさらに門があってその中に中央省庁がある。この辺りは完全にお約束の構造。古代城郭については多賀城、秋田城、払田柵などを今まで見てきたが、政庁要素が強くて防御に弱さを感じた多賀城に対し、秋田城、払田柵などは小山を取り込んだりして軍事要塞の色彩を帯びていた。今回の志波城にしても完全に平地の立地ではあるが、軍事的意識はかなり高いように感じた。やはり多賀城と違って最前線であったのだろう。

左 遙か向こうに政庁南門が見える  中央 政庁南門  右 同じく内部から

左 政庁東門  中央 政庁西門  右 建物の跡がある

政庁内部

 志波城の見学を終えたところで近くのバス停まで移動する。タクシーでの移動はコストがかかるので、出来ればバスを使用したいのだが時間が分からない。もしバス停に到着してバスがなければ改めてタクシーを呼ぶつもり。数分でバス停に到着して時刻表を確認したら、幸いにして次のバスまで10分もない。思わず「ラッキー」という声が出る。ちなみにこのバスを逃すと次は2時間近く先。

 炎天下のバス停でしばしバスを待つ。今日は天気が良いのは良いが、そのせいでカンカン干しの灼熱地獄である。日陰に逃げたいところなのだが、生憎と周辺には全く日陰がない。黙って立っているだけで体が勝手に熱中症に向かって進んでいく印象。冷茶のペットボトルを手放せないが、その冷茶がみるみるぬるま湯になっていく。これはバスを待つだけでも10分以上立っていたら命に関わりそう。

 

 ようやく到着したバスで盛岡市街地を回りながら盛岡駅に戻ってくる。途中で盛岡城の近くを通るが、総石垣で固められた城郭は堅固そのもの。やはり古代城郭とは技術が違う。結局は戦国時代になるとここまで堅固な要塞が必要になったのである。これが軍事技術の発達というものだったのであろうか。

 

 盛岡から今日は秋田新幹線で大曲まで移動してそこでレンタカーを借りる予定である。盛岡駅でしばし新幹線待ち。なんか今回の遠征では駅でこうやってNexus7で漫画を読んでいるパターンが多い。今までかけずり回るプランで疲れ切ったことを反省して、今回は全体的に予定をゆったり目に組んだのだが、結果として待ち時間が多くなったということか。鉄道の本数が少ない地域ではプランを立てにくい。

 

 ようやく秋田新幹線が到着。例によってこのなんちゃって新幹線は山間部をトロトロと走り抜けていく。大曲に到着するのは約1時間後。ここで下車すると駅レンタカーを借り出す。車はヴィッツ。例によって非力さが際立つ車種だが、パワー不足でもその素性が良くて、前のミラージュのような低速域での極端なトルク不足などの変なクセがないので運転はしやすい。ミラージュのパワー不足は停車時からいくらがんばっても速度が上がらないという嫌な特性だったが、ヴィッツのパワー不足は高速で突っ走っても120以上は出ないというタイプのパワー不足。普通に町乗りする場合は明らかにこちらの方が運転に適している。

 大曲に到着

 まず最初の目的地は横手の増田地区。最近になって重伝建に指定された地域である。実はこの地域は去年のGWの東北遠征で稲庭城訪問の際に通過している(当時はまだ重伝建指定されていなかった)。その際にやけに風情のある町並みがあるなと感じたのだが、スケジュールの都合で通過したのである。後で重伝建指定されたことを聞き「あっ!あそこか!」てなものである。

 

 増田地区はかつては街道の要衝として商業が発展して、多くの豪商が登場した地域であり、現在の北都銀行(当時は増田銀行)の発祥の地もここである。町並みの特徴としては内蔵が上げられる。白壁土蔵の風景といえば全国の商業地でおなじみの風景であるが、増田が特徴的なのは豪雪地帯であることを反映して、土蔵が主屋内に設置されていること。屋内に土蔵があるという独特な造りの住宅が多く現存している。

 

 秋田自動車道から横手湯沢道路に乗り継ぐと十文字ICで降りて増田を目指す。まずは昼食を摂りたいこともあって立ち寄ったの「佐藤養助漆蔵資料館」。内蔵の建物を佐藤養助が買い取って、店舗兼資料館にしている建物である。内蔵の見学と稲庭うどんの食事が同時に行えるという仕掛け。

 食事の方は満席とのことなので、内蔵見学の方を先にすることにする。ここの内蔵は黒壁になっているのが特徴で、漆喰に松墨などを混ぜたらしい。内部は梁などが漆塗りになっていて豪華絢爛。これは建物は登録有形文化財となっているらしいが、それも納得の造り。

左 これが内蔵  中央・右 内部はピカピカである

左 畳まで敷いてある  中央 2階  右 裏側は白い

 一回りした頃に食堂の方の順番が来たので「二味天せいろ(1600円)」を注文。ごまだれと醤油だれの二味で頂く逸品。ごまだれはコクがあり、醤油だれはサッパリ。気分でどちらでも可である。関西人の私としてはこれはうどんというよりはそうめんの亜流のような気がするが、そんなこんなは抜きにして非常にうまい麺類である。腰があってのどごしが良い。私が秋田を訪問しての一番の収穫は、この稲庭うどんのうまさを知ったこと。これだけは現地を訪れないと実感することは出来なかった。2年前に秋田を訪問して初めて佐藤養助に立ち寄って稲庭うどんの味を知って以来、秋田に来るたびに佐藤養助に立ち寄っている気がする。

 昼食を終えると車を市営駐車場の方に移動し、町並みの見学に入る。しかし外はうだるように暑い灼熱地獄。観光客は結構来ているが、いずれも建物の影を縫いながら歩いている状態。まさに日差しが体に突き刺さるという印象。

蔵の駅とその内蔵

日の丸醸造には二つの蔵がある

こちらの蔵の内部はずいぶん立派だ

 町並みの建物は無料公開のところと有料公開のところがある。最初に立ち寄ったのは無料公開の観光物産センター「蔵の駅」と日の丸醸造。さらに旬菜みそ茶屋くらをに立ち寄り、内蔵の見学をすると共に地場サイダーの仁手古サイダーを頂く。

旬菜みそ茶屋くらをの内蔵は倉庫になっている

 仁手古サイダー

 さらには佐藤こんぶ展に立ち寄って内蔵に関しての話を聞くと共におぼろ昆布を土産に購入する。昆布をかんなで削った逸品である。なおこのおぼろ昆布、保存のための酢を使っていないので私好み。帰ってからすましに入れて頂いたがなかなかに美味。

佐藤こんぶ店の内蔵は今は物置

 後は佐藤こんぶ店で「お勧め」と伺った山吉肥料店と旧石田理吉家に立ち寄る。山吉肥料店の内蔵はかなり立派な造りで、よく増田の案内の写真などに使用されるらしい。相当に金をかけたと思われる建物で、かつての羽振りの良さが覗えるが、今となっては保存管理も大変であろうと思われる。なお壁の一部に亀裂があるが、これは先の東日本大震災によるものらしい。家主の話によると、かつてはこの辺りは豪商が軒を連ね、今よりも風情のある町並みだったとか。現在も重伝建指定を一つのきっかけに、かつての町並みを戻していく取り組みもあるらしい。

山吉肥料店の内蔵はかなり凝った構造

東日本大震災で表面に亀裂が入ってしまったとか

 旧石田理吉家は木造では珍しい三階建て。奥に内蔵がある構造になっている。三階建ての主屋は和洋折衷の造りとなっている。なお内部は撮影は可であるが、ネットでの公開は不可とのこと。

 三階建ての旧石田理吉家

 概して旧商家町は町並み保存を観光に結びつけることに熱心なのであるが、この増田も同様の印象を受けた。またやはりここでも住民の高齢化が問題になりつつあるとのことだが、とりあえず現時点ではまだ生きている町との印象を受けた。課題はむしろ今後であり、やはり若者が仕事と出来る産業があるかどうかである。望ましくは観光を盛んにしてこのまま町並み保存を職場と連結できるのが理想だが、それが出来ないならせめて別の産業があれば良いのだが・・・。かつての街道宿場町も、今となっては物流拠点からはずれてしまっているのでかつてと同じ形での商売は出来ないので。

 

 家人の説明を受けつつ内蔵などを回っていたら、昼食も含めて何だかんだで2〜3時間ぐらい見学に要していた。当初予定では1時間ぐらいでサクッと見学して、近くの城郭を訪問することも考えていたが、この炎天下では山登りする気は到底しなかったのでこれで良しとする。今日の宿泊予定地は田沢湖の上の乳頭温泉であるので、距離を考えてもう宿に向かうことにする。

 

 高速を経由して大曲まで戻ると、そこからは国道105号線から国道46号線、国道341号線と乗り継いで乳頭温泉を目指す。田沢湖東で県道127号線に乗り換えた頃から道はかなり山道となり始め、水沢温泉郷を過ぎた辺りからは完全に山道になって道幅も狭くなってくると共に、どこからともなく硫黄の匂いが漂ってくるようになる。水沢温泉郷辺りまではホテルなどもあったのだが、ここから先はひたすら山の中である。本当にこれで道が合っているのかと不安になるが、突然に向かいから大型バスが現れたりするところを見ると正しいようである。そのような山道を走行することしばし、ようやく乳頭温泉郷という看板が目に入る。今日宿泊するのは大釜温泉である。

 ようやく到着した大釜温泉はまさに秘境と言うべき場所であった。しかもここに来て私はまたも大失敗をしたことに気づく。途中でコンビニに立ち寄って食料を購入することを忘れたのである。三陸で失敗しておいて、またも全く同じ失敗をしてしまった。今回はあの時と違って車を持っているという意識が失敗を招いてしまった原因のようである。こんな車があってもにっちもさっちも行かないほどの奥地だとは思いもしなかった。コンビニの類は恐らく田沢湖の辺りまで戻らないとないだろう。また温泉街ということで店ぐらいあるだろうとたかをくくっていたのが墓穴を掘った。今となってはよくぞ夕食付きプランにしていたものだというところ。

 

 宿はいかにも秘湯の湯治宿という雰囲気。ちょうど湯の峰温泉の民宿あづまや荘を連想する古さ。ただ湯の峰温泉は小さいながらも温泉街を形成していたが、ここはそれが全くなく、山の中に温泉宿があるだけ。

 

 仕方ないのでとりあえず入浴をすることにする。とにかくここには湯に入りに来たのだから。男女別の大浴場は内風呂と露天が1づずつのシンプルな構成。一応シャワーがついているが、とにかく湯の出が悪いので、体は浴槽の湯を汲んで洗う。

内風呂と露天風呂

 含鉄−酸性単純泉という泉質。浴槽は源泉掛け流しで、湯がダバダバと注ぎ込まれ常にオーバーフローしている状態。湯の色は白い。一般に鉄分の多い湯は赤いイメージを持たれているが、それは湯の鮮度が悪くて酸化した状態である。新鮮な湯では白くなるのである。結構熱い湯なのに背中がチリチリこない。非常に肌辺りのなめらかな湯である。 

 

 入浴後は部屋でくつろぐ。部屋に冷房がないのが暑がりの私には難点。秋田の山中でもさすがに今日は暑い。またネットをしようにも携帯が4Gはおろか3Gでさえつながらない状態。辛うじて音声通話が可能というレベルであるので、ネットは画像が全滅で何とか文字が読めるかどうかというレベル。とにかくいろいろな点で私の想像を凌駕している。

 

 しばらく時間をつぶしていたら夕食。夕食は広間で摂ることになる。料理は・・・うーん。まずくはないし、量も一応あるのだが、何というかメインに欠ける印象。宿のイメージがかぶるだけにどうしてもあづまや荘と比較してしまうのだが、あちらの素朴だが豪華だった夕食と比較すると見劣りすること甚だしい。どうしてもCPの悪さを感じてしまうんだよな・・・。高い宿ではないが、安い宿でもないんで。

  

 山間部の日没は早い。夕食を終えた頃には日がかなり西に傾いている。何か買いに車を出そうかとも思ったが、暗くなった中をあの山道を走るのは嫌なので諦めることにする。ただ館内の自販機のお茶がキリンの生茶しかない(しかも210円という割増価格)のは痛い。キリンの生茶は「香料を混ぜ合わしてお茶っぽいものを作りました」という感じで、私は気持ち悪くて飲み込むことができない。私にとって生茶はヤマザキのダブルソフトと同様、「人工的すぎて体が食べ物と認識しない」ものである。

 

 結局は部屋でボンヤリとテレビを見ながら過ごし、もう一度入浴してから早めに就寝したのだった。部屋の壁が薄いのか、どこかの部屋が入口の戸の開け閉めをするたびに、枕を蹴飛ばされたみたいに響くのが難儀であった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時過ぎ頃に起床するとまずは朝風呂にする。いろいろと言いたいことがある宿ではあるが、この湯だけは明らかに本物である。どうせだからタップリと堪能していくことにする。

 

 7時から朝食。内容的にはむしろ朝食の方が夕食よりも良いぐらいに感じた。朝食を摂るともう一度入浴してから8時過ぎにチェックアウトすることにする。

 

 今日は12時に角館にレンタカーを返却し、そこから新幹線で秋田に移動、秋田の美術館を回ってから秋田空港から飛行機で伊丹に帰る予定である。まずはやはりここまで来たのだから田沢湖の見学をしたい。田沢湖はカルデラ湖であり、その深さは日本一、世界でも17番目だという。カルデラ湖なので周囲は山に囲まれており、その進入ルートは限られている。私は東側から田沢湖岸に接近する。

 

 田沢湖岸を走っていると「田沢湖遊覧船」の看板が目に入る。確認すると出港は15分後くらいとのことで、高速艇で湖一周40分コース。ついでだから遊覧船に乗船することにする。

 遊覧船はガラス張りの高速艇。ただ熱線カット用のフィルムをガラスに貼っているようで、そのせいでガラスを通すと風景が若干赤っぽくなって色目が変わるのが難点。

  

 田沢湖は直接に目にするとその水の色に特徴がある湖である。この独特の色彩は水深の深さによる光の屈折が関係しているとか。なおかつては摩周湖に迫るほどの透明度を誇っていたらしいが、発電所の建設に伴って1940年に玉川の酸性水を導入してから水質は一気に悪化、さらに湖水の酸性化によって湖水生態系も壊滅的な被害を受けたらしい。酸性水のせいで農業用水には適さなくなるわ、肝心の発電施設は老朽化が進むわでろくなことがなかった大馬鹿計画なのだが、どうも時代を考えるとこの大馬鹿計画を推進したのは馬鹿軍部のようだ。馬鹿に国を仕切らせると国が滅ぶという例である。その後、最近になって湖水の中性化を進めているが、まだ水質回復には至っていないという。この玉川の酸性水のことが「玉川毒水」とか「玉川悪水」と呼ばれているらしいことに、地元の思いが滲んでいる。遊覧船の発電所に関する紹介についても、その辺りのところがやや微妙な表現になっていた。

左 御座石  中央 湖水の色が独特  右 たつこ像の隣の浮木神社

 田沢湖南には舟越保武によるたつこ像が立っている。これは田沢湖に伝わる伝説に由来しており、永遠の美しさを願って大蔵観音に願をかけた辰子が、龍になって田沢湖の主となったという伝説である。しかしよく分からない伝説ではある。「永遠の美しさ」という人ならぬものを求めた愚かさを咎めているのか。どうも現実は、自分の美しさが老化によって失われていくことを嘆いた娘の身投げでもあったのではないかと推測する。なお戦後彫刻を代表する大家・舟越保武によるたつこ像はあくまで優美であり、そのような暗い伝説はあまり感じさせない。

  

 遊覧船で一周して戻ってくると、今度は車で田沢湖南を半周。たつこ像を今度は陸側から眺めてから角館に向かうことにする。途中で田沢湖展望台に立ち寄るが、木製の展望台は壊れているとかで立ち入り禁止。下からだと木が邪魔で湖はほとんど見えないという残念施設になっていた。

 角館には30分もかからずに到着する。武家屋敷街は相変わらず風情はあるが、以前に見学しているので今回はパス。今回立ち寄ったのは大村美術館

  

 大村美術館はラリックのガラス作品を展示した観光地型美術館。ラリック作品についてはそこそこの展示数がある。もっともラリックは工業的生産を行っていたので、生産数自体もそれなりにあるはずだが。

 

 美術館見学後は車を返却する前に昼食を済ませておきたい。見つけたのは百穂苑という飲食店。入店してみると、何やらあれやこれやと雑多に展示したかなり凄まじい店内。外観は純和風なのだが、中身はペルシャ風などの和洋折衷で意味不明。とりあえず地鶏丼を注文。

和洋折衷のすごい店内

 味は決して悪くはないが、ボリュームはあまりなく、何よりもこれで2160円(価格表示は2000円だが、支払時に消費税がさらにかかる)というのはあまりにあからさますぎる観光地価格。CPが悪すぎる。

 とりあえず昼食を終えるとガソリンスタンドを探してガソリンを満タンにしてから車を駅前に返却、角館駅から秋田新幹線で秋田に移動する。なお私の乗車予定の新幹線は、対向車との待ち合わせの関係から到着が4分遅れとのこと。対向車との待ち合わせのある新幹線って・・・。

 

 4分遅れでようやく新幹線到着、ここから大曲でのスイッチバックを経て(スイッチバックがある新幹線というのも何だか・・・)、秋田に到着するまで45分程度。

 秋田駅では何やらおもてなし中

 秋田駅で降りるとトランクを引きずりながら駅前通を西進する。目指すは最近新造なった秋田県立美術館。現在、ここと秋田市立千秋美術館で「草間彌生展」が開催中であるので両施設をはしごする。

 

 秋田県立美術館は以前に千秋公園内にあったものを新築移転したもの。以前の美術館は礼拝堂のような独特のフォルムが特徴となっていたが、新美術館は安藤忠雄設計によるコンクリート打ちっ放しといういかにものもの(彼は一つ覚えのようにこのネタばかりを繰り返す)。建物自体は結構洒落ているのだが、実際に美術館として使用するとなると動線設計が悪いという相変わらずの実用性無視も彼の進歩のないところである。また県立美術館としてはあまりに小規模なのも気になるところ。そもそも旧館自体も平野政吉コレクションを展示することだけを考えた小規模のものだったが、新館もメインに藤田の「秋田の行事」を展示すると、他の展示スペースがほとんどない。県立美術館としてはあまりに小規模に思われ、隣の岩手県立美術館や青森県立美術館と比べると規模の点では見劣りが著しい。実際、それなりの規模の市立美術館だと規模の点ではこれを大幅に凌ぐものも多い。もっともアクセスの利便性に関しては青森、岩手の両者を大きく引き離すが。なお二階からの眺望と、そこの喫茶で食べた榮太郎の米粉入りロールケーキは良かった。

  


「草間彌生 永遠の永遠の永遠」秋田県立美術館、秋田市立千秋美術館で9/7まで

秋田県立美術館と千秋美術館

 草間彌生の作品を絵画から立体ものまで含めて展示。秋田県立美術館では絵画を。立体ものは千秋美術館で展示している。

 彼女の作品についてはその色彩感覚などには感心させられるものがあるのだが、あの水玉をはじめとする執拗に繰り返されるパターンについては、個人的にはどうしても生理的嫌悪感が先立って受け付けにくい(ハッキリ言うと気色悪いのである)。

 どちらかという立体作品の方が面白い。特に鏡を使った宇宙をイメージさせるようなパターンの作品は楽しめる。


 やはり彼女の作品とは根本的に相性が悪いというのは常に感じずにはいられないところ。あのカボチャなんかは決して嫌いなわけではないのだが、かと言って特に面白いと感じるわけでもないんだよな・・・。

 

 空港まではバスで移動のつもりだが、まだ時間的に余裕がかなりあるので途中で「むげん茶屋」「抹茶ババロア」で一服。やはり異常な暑さなのでどうしても喫茶ばかり立ち寄りたくなる。なお抹茶ババロアに関してはやはり今まででは紀の善がベスト。

  

 しばらく時間をつぶした後、リムジンバスで秋田空港に向かう。秋田空港は秋田市街からかなり離れた場所にあり、バスで30分以上を要する。バスは伊丹便出発の1時間前に空港に到着するので、待ち時間の間に土産物購入と夕食を済ませる。

 夕食は稲庭割子うどん

 秋田空港からの帰り便はボンバルディア。相変わらず、うるさくてよく揺れる気持ちの悪い機体である。飛行高度が低いので少し高度が下がれば雲にかかって揺れることになる。この微妙なGの変動は私にとっては怖いよりも純粋に気持ち悪い。ただ追い風補正でもあったのか、空港到着は予定よりも15分ほど早まり、それだけ帰路の乗り継ぎはスムーズであったのだが。

 

 以上、懸案だった三陸視察を終えると共に国内鉄道視察をほぼ終了したのが今回の遠征。さらに秋田地区での宿題(増田地区訪問、秋田県立美術館訪問)も果たすことが出来た。今回の遠征で東北地区での宿題はほぼ終了という状況にある。

 

 もっともそれとは別に、SL銀河には妙に心惹かれたし、遠野にはいつか一泊してみたい気持ちがある。また事態が落ち着いたら宮古辺りでも一泊してみたいところでもある。以前は東北地区はどうも食事の味付けを始め違和感が強かった(基本的に関西人の私からするとだだ辛いだけの味付けが多い)のだが、何度か訪問を続ける内にその違和感が大分埋まってきたような印象がある。ただ今後改めて東北地区を訪れることがあるかと言えばそれは分からない。何しろ、体力、財力共にそろそろ限界が見えてきているので。

 

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