展覧会遠征 多治見編

 

 この週末は急遽多治見に遠征することと相成った。目的は岐阜県現代陶芸美術館で開催中の「大織部展」。これの会期が今週末までなのである。本来は先週に訪問する予定だったのだが、先週末は急遽北海道出張が入ったために予定は全面キャンセル。そもそもの計画はマイカーで多治見まで移動、美術館及び周辺の城郭を回ってから名古屋周辺の温泉で一泊、翌日に帰ってくるというものだった。しかし札幌出張の自腹前泊でかなり財布にダメージがあったことから計画を縮小、さらにはこの出張でかなり体力的にもダメージがあったことから多治見まで車を運転するのは無理と判断、結局は新幹線で名古屋に移動して、名古屋で駅レンタを借りて多治見周辺を回って、その日の内に新幹線で帰ってくるという日帰り計画と相成った。

 

 出発は土曜日の早朝。新幹線で名古屋まで移動すると名古屋駅で手配していたレンタカーに乗り換え。用意されていた車はお約束のようにヴィッツ。あからさまに非力だが、パワー特性に変なクセがないので運転はしやすい車である。もっとも新型ヴィッツになってからは図体がでかく重くなったのか、以前よりもさらに非力さに拍車がかかった印象がある。

 

 時間が早いこともあり、多治見に直行するのではなく、まずはお城回りを先にする。今回の訪問先は「市場城」。今まで名古屋方面に遠征する度に何度も立ち寄り予定地に入りながら、コース設定の関係で今までずっと漏れてきた因縁ある城郭である。

 

 猿投グリーンロードから国道419号に乗り換えて走ることしばし、本城小学校のやや北方に市場城は存在する。現地には案内看板もあり、駐車場もあるなどかなり整備されている。しかし駐車場に車を置いてさあ登城路へと思った時に目についた看板は「マムシに注意」と「ツキノワグマ注意」。いずれも日本国内どこの山でもあり得るリスクではあるが、こうもあからさまに表示されているといささか萎える。

 市場城登山口

 もっとも実際に登城を始めると、道は遊歩道として整備されている上に綺麗に下草も刈られており、クマはともかくとしてマムシにいきなり襲われそうな雰囲気ではない。一応警戒はするものの、さほど不安感を抱かされるような山ではない。

 市場城は室町時代の山城で、1502年に鱸(鈴木)親信が築き、1592年に退去するまでの90年に渡って鱸氏の居城であった。四代の重愛は徳川家康に従って戦功を上げ、この時に加増を受けて市場城の改修を行ったという。しかしその後に秀吉に睨まれ、鱸氏は改易となってこの地を追われたとのこと。

麓の祠

市場城縄張り図 出展:余湖くんのホームページ

二の丸

 見学路が案内看板で表示されており、これに沿って回るだけで城全体を見学できるようになっている。最初に出くわすのは櫓の石垣。脇には二の丸もあり、正面奥には本丸の石垣も見えるという立派な石垣のオンパレードで、石垣マニアとしては一気にテンションの上がる風景である。

 本丸は結構な広さがある。複数の建物を建てるのに十分なスペースである。本丸の裏側は崖になっていて結構険しい。

左 本丸登り口  中央 本丸  右 石垣の上には土塁

左 本丸一段下の曲輪  中央・右 本丸裏の崖

本丸風景

 帯曲輪を経て本丸の北側に回り込むと、ここには多数の竪堀が見られる。このような竪堀は愛知県下では唯一だとのこと。

左 本丸下の帯曲輪  中央 ここからずっと下る  右 本丸下に起伏のある曲輪のような構造が

左 畝状竪堀  中央 尾根筋を堀切で断ち切っている  右 本丸方向を振り返る

 ここからやや上がって枡形門を経るとさんざ畑に達する。ここは本丸や二の丸に囲まれた平地になっており、背後は本丸に守られ、手前は急な崖になっている。屋敷などが建っていただろうと推測される。

左・中央 上がったところにある枡形門  右 抜けるとさんざ畑

本丸や二の丸に守られたスペースになっている

 遊歩道1周20分ぐらいと記載されていたが、なかなかに見所の多い城郭でゆっくりと回ったので30分以上見学に要することになった。なかなかに堪能できた。

 

 市場城の見学を終えるとさらにもう一つ城郭に立ち寄ることにする。次の目的地は「小里城」。小里城は小里光忠が1534年に築城したと言われている。織田氏と武田氏の抗争の中で1574年に小里城は岩村城攻略のための拠点として改修されるが、翌年に岩村城が落城したために工事は中止されたという。小里氏はその後、家康に仕えてこの地を離れるが、関ヶ原合戦で戦功を上げて再びこの地に返り咲き、麓に居館を構える。しかし1623年に光重の死亡で断絶してしまって滅亡したとのこと。

 

 ここも登城口に駐車場が完備されている。駐車場に車を置くと、通行量の結構多い県道を横切って登城口へ。ここを数メートル登るとすぐに屋敷跡がある・・・のだが、いきなりそこにたどり着くまでの石段で転倒。まだ登山にもかかっていないのに前途多難である。

 小里城登り口

 屋敷跡は大手門の石垣などかなり立派なものが残っており、なかなかにテンションが上がる。山上の本丸へのルートはその屋敷跡の奥にある。ここからが登山ということになる。結構高そうな山なので下から見上げるとゲッソリする。ただここに登城した先人によると「道が整備されていて、あまり険しくないので意外と楽」とのこと。確かに距離も400メートルほどのようだし、これなら大丈夫かと判断する。

麓の祠

二の丸

小里城

屋敷跡

左 井戸跡が残る  中央 奥に登山口が  右 しかしそこに定番の看板が

 しかし結果としてはその判断は甘かった・・・と言うべきか、予想以上に私の体がへたっていた。ここのところの運動不足の上に先の札幌出張以降出張連チャンの疲労、さらに先ほどの市場城での散策がとどめになったのか足が前に出ない。先ほどの転倒も自分の思ったほどに足が上がっていなかったために前足が引っかかるという「高齢者型転倒」という情けないものだった。自分の足腰がかなりポンコツになってしまっているのである。

左 道はこんな具合  中央 この石は門のようなものか  右 既に大分登った

左 大手曲輪に到着  中央 巨石の横を抜けると  右 二の曲輪に出る

 結局は先人が20分程度で登れたという行程を半ば死にかけながら30分弱でようやく登り切った。正直なところかなり疲れた。やはり山城上級者の「大して険しくない」は真に受けてはいけない。

左 二の曲輪の上に本丸  中央 本丸に上がる  右 奥に天守台が見える

左 天守台  中央 天守台の中には祠  右 三の曲輪は巨石がゴロゴロ
 

 ただ山上にはそれまでして登っただけの価値のあるものが待っていた。山上の本丸にはかなり立派な天守台が残っている。辺りもいかにも「建築途中で投げ出した」感のある大岩がゴロゴロと転がっている。恐らく最終的には総石垣のかなり立派な城になる予定だったのではと思われる。最前線で敵と睨み合う城だっただけに、相手に与える威圧感というものも大事だろう。

帯曲輪方向から天守台を望む

 とにかく疲れたが、十二分に見応えのある城だった。とりあえず怪我なく降りてこれてやれやれである。

 

 山城二つ攻略完了したところでようやく本遠征の主題の大織部展に出向くことにする。岐阜県現代陶芸美術館は初訪問だが、とにかく規模の大きな施設である。駐車場からは長い通路で谷を越えていく必要があるが、この通路の天井には陶器片をあしらってある。建物自体もかなり大きい。どうも陶芸系の美術館は大きな施設が多いというイメージがある(兵庫県立陶芸美術館しかり)が、やはり陶器は収蔵にかさばるためか。

 

左 現代陶芸美術館のエントランス  中央 長い廊下を渡る  右 天井に埋めてあるのは陶器片


「大織部展」岐阜県現代陶芸美術館で10/26まで

  

 「へうげもの」の主人公として脚光を浴びた古田織部は、千利休亡き後の安土桃山時代の茶の世界で最大の権威を持った人物である。この時代には織部好みと言われた特異性の高い茶器が人気を博し、また彼との関係は明確ではないものの、織部焼と言われるこれまたかなり特異な焼物が隆盛した。この古田織部にまつわる品々を展示する。

 織部焼の特異さは、わざと対称性を崩して歪めた外観や幾何学的な文様など、それまでの日本の陶器においては例を見ない奇想さにある。その作品は一種の現代アートにも思えるようなモダンさを示している。この独創性は他の産地の陶器にも影響を与え、この時代の芸術の潮流を作り上げていく。

 未だに謎の多い人物である古田織部と彼の芸術に迫った企画である。本来は陶器に対して興味が強いとは言いがたい私でも、どことなく惹かれる魅力というものを持っている面白い作品を多数目にすることが出来た。なかなかに興味深い内容であった。


 

 かなり堪能した。何やらほとんど「へうげもの展」という趣もあったが、私自身が織部焼に興味を持ったのはこの作品がきっかけだからあまり偉そうに言えたものではない。それにしても元々は陶器は私の守備範囲外だったはずなのだが、知らない間に純粋に楽しめるようになっていたのには驚きである。志乃のポッテリとした肌地に柔らかい色彩、織部の突拍子もないデザインに鮮やかな緑釉、すべてが楽しい。

 

 織部展を鑑賞した後は多治見のオリベストリートを見学。この町並自体は特に歴史があるとかいうものではないが、陶芸店が立ち並ぶ町並みは独特の趣がある。

 

 オリベストリートをプラリと散策したところで、かなり遅めの昼食を摂ることにする。多治見と言えばやはりウナギ。何しろウナカッパなる雌のウナギ犬みたいなキャラクターまであるぐらいの土地柄である。入店したのは「澤千」。当然のように鰻ひつまぶしを注文する。

 

 サクサクとした関西焼きのうなぎに鮮烈な薬味や出し汁の味が加わるとあっさりしながらもキリリと引き締まった味になるから不思議。久しぶりにうまいうなぎを堪能した。

 

 名古屋飯を堪能した後は、近くの和菓子店「やまよね」でおみやげの麩饅頭とウナガッパどら焼きを購入。ついでに店内でくりおはぎを堪能。ああ、やっぱり日本人には和菓子だわ・・・。

 

 一服してからオリベストリートを後にする。次は市之倉を見学。この辺りは多くの陶芸工房があるらしい。ただ確かによく見ていると陶芸工房の看板はあちこちにあるが、町並み自体は普通の住宅街と変わらない。

 

 さてここまで来たところでそろそろ4時前。これからの予定をどうするかが思案のしどころである。当初予定ではもう一つ山城訪問を計画していたのだが、体力的にも時間的にも余裕がなさそうである。そこでもっと楽に攻略できる他の城が近くにないかとカーナビにお伺いを立てたところ、「妻木城」なる城郭が検索に引っかかる。どんな城郭かをネットで調べてみたところ山城とのこと。これはパスかと思ったのだが、さらに調べると本丸の近くまで林道で行けるので、実際の比高は20メートル程度とのこと。これなら楽勝と判断して立ち寄ることにする。

 

 県道を東進すること20分足らずで林道入り口に到着する。案内看板が立っているのでそれに従って進む。林道自体は未舗装部分はあるものの結構整備されており、対向車さえ来ない限りは走行には全く不安はない。1キロちょっと走行したところで、車を止められる広いスペースに出る。その先には登山道の案内も出ている。

林道を進んでいくと車を停められるスペースがあり、その先に登山道がある
 

 駐車スペース横にある池はどうやら人工のため池らしい。これがあるから整備のためのアクセス道路として先の林道が通されたようである。ついでに城郭訪問用の駐車場を作ったということか。何にしろ私のような登山目的でない者には助かる。

近くの池には「ため池等整備事業」という看板が

 妻木城は明智氏一族の妻木氏の居城である。築城年代は明らかではないが、土岐明智頼重が妻木郷の領主となった1339年以降と考えられる。その後、紆余曲折はあるものの江戸時代まで一貫して妻木氏が治めている。江戸時代になってからも三代続いたものの、城主の急死の後に跡継ぎがなかったことから1658年に妻木氏は断絶、妻木城もその時に廃城になったとか。

 

 登山道を進むとすぐに土塁に突き当たり、そこの先には井戸がある。この井戸があるのは太鼓櫓などに囲まれた窪地。先の土塁はこの井戸を守るためか。

左 登山道を進む  中央 巨石がゴロゴロしている  右 堀切を越える

左 土塁に囲まれたスペース  中央 井戸跡  右 脇に蔵跡に登る道が
 

 ここの脇に蔵跡と言われる小さいな平地がある。この上が一の曲輪。ここは今は登山道が通してあるが、本来は道はなくて三の曲輪から回り込む形になっていたという。

左 蔵跡はそう広くはない  中央 蔵跡の奥を登る  右 本丸にたどり着く
 

 本丸は今は小さな神社になっている。石垣を経て一段下が二の曲輪。二の曲輪には虎口の跡がある。

左 本丸にある旗立岩  中央 本丸の祠  右 一段下が二の曲輪

左 二の曲輪から本丸石垣を  中央 この鳥居の向こうが虎口  右 二の丸虎口跡
 

 ここから少し下った先が三の曲輪になる。ここが北側防御の最前線になると考えられるが、現在でもかなり見晴らしが良くなっている。

三の曲輪へは結構下りる

左 三の曲輪  中央 見晴らし抜群  右 三の曲輪の入口
 

 この三の曲輪からグルリと回ってくると最初の井戸のところに戻ってくる。なおここから北の麓の館跡に通じる道もあるらしい。

左 太鼓櫓に戻ってくる  中央 太鼓櫓上  右 下を見ると何やら加工跡のある巨石が
 

 城内を一周して車のところに戻ってきたときには5時前になっていた。日も既に西に傾いているし、今日の予定はこれで終了ということにする。車を返却するために名古屋駅に戻ることにする。

麓の館跡
 

 しかしこの行程が渋滞などに出くわして大変なものであった。さらに高速を降りてからが大渋滞で駅に到着するまでに予想外の時間を要する。当初予定では6時前に車を返却して6時過ぎの新幹線で帰るつもりだったのだが、途中でエクスプレス予約で帰りの新幹線を1時間遅らせる。

 

 車を返却して名古屋駅に戻ると、夕食を摂ってから帰宅することにする。名古屋飯の内のひつまぶしは昼に食べたので、後は味噌煮込みうどんか。味噌煮込みうどんは名古屋人のソウルフード(なぜかこの言葉を使うと発狂したネトウヨが絡んでくるという話がある)であり、季節に関係なく夏でも食べるというが、今のように夕方から冷え込む時には私のような関西人にでも適している。

 

 調べたところ名古屋駅の高島屋に山本屋本店があるというのでのぞくが、何やら大行列が出来ている。諦めてトンカツでも食うことにするかと思ったが、なぜかそちらまで行列。何が悲しくて行列までしてミソカツを食べる必要があるのか。かと言って、名古屋くんだりまで来て「美々卯」に入るなんて関西人としてはあり得ない(同様に銀座○○の類なんかも入りたくない)。飲食店街を一回りしたものの適当な店が見つからないまま時間だけが過ぎる。そこで場所を名鉄百貨店に変えて、あっちの山本屋総本家を訪問することにする。

 

 名鉄百貨店の方は幸いにして行列はなかった。なお名古屋をうろうろしている内にさらに時間を食ったので再度エクスプレス予約で帰りの新幹線を変更である。入店すると「特選味噌煮込みうどん」を注文。

 

 熱々でガチガチのうどんと赤味噌の渋みが体に染みる。何度食ってもあか抜けない料理だと思うが、不思議と関西人にしては堅めの麺が好みの私の嗜好には意外と合っているのである。しかし初めて来た時には味噌の渋みが強すぎると思ったのだが、何回か来ている内にそれにも慣れてきたようである。私も東京の超低CP飯にはいつまで経っても適応できないが、名古屋飯には大分適応してきたようである。

 

 夕食を終えるとまだ時間に余裕があるので、向かいの喫茶で抹茶パフェを頂いてマッタリとする。

 

 火照った体をクールダウンしたところで新幹線で家路についたのである。

 

 結局は日帰りで名古屋方面の美術館と城郭を攻略したのが今回。それでも帰ったら結構疲労があって、現地まで車で行かないで正解だったと思わずにはいられなかった。さすがにもう私には、名古屋まで車で日帰り往復する体力と根性はもうないか。

 

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