展覧会遠征 京都編9

 

 この週末は久方ぶりに京都で催される大学の同窓会に出向くこととなった。この手のイベントと言えば基本的には社会的に成功した輩がそれを誇示するための場であることが多いので、成功とは対極の道を進んでいた私は自然に敬遠していたのだが、やはり人間は年を取ってくると昔が懐かしくなってくるのか、単純にかつての同級生に会いたい気持ちが湧いてきたのである。

 

 同窓会は土曜の昼から駅前のホテルで。そこで同窓会が始まるまでに京都国立博物館で開催中の「鳥獣戯画展」でも見学しようと考える。駅前からバスで博物館へ・・・と思ったのだが、バス停には長蛇の列。秋の京都は道路が大渋滞でバスが使い物にならないこともある。これは歩いた方が正解だと考えて博物館までプラプラと徒歩で向かう。

 

 博物館までは徒歩10分強で到着するのだが、博物館が近づくにつれて周囲の様子がおかしいことに気づく。やけに大勢の人間が同じ方向にゾロゾロと歩いている。嫌な予感がしつつ博物館を訪れると「待ち時間3時間」の表示が。しかもこれは博物館の建物内に入るまでの時間であって、鳥獣戯画を見るためにはさらに建物内で1時間以上待たないといけないらしい。これは昼の同窓会の前にどころか、丸一日かけるつもりでないととても見学不可能である。恐るべき鳥獣戯画の知名度。ウサギと蛙がそこまで強いとは・・・。私はそこまでこの巻物に対する執着もないので、さっさと諦めてすごすごと京都駅まで戻ってくる。

  

 結局は京都駅周辺で昼頃まで時間をつぶすことに。それにして今の私は最早電気店では時間をつぶすことが出来なくなってしまったことに驚き。店頭の商品に悉く魅力を感じないのである。どうもこの辺りに家電不況の元凶があるような気もするのだが。

 

 

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 同窓会では久しぶりにかつての同級生と旧交を温めたのである。各人の境遇は様々。一人者もいれば子供が大学生という者まで。みんなそれぞれ悲喜交々の人生を送っているようである。

 

 今日は周辺で一泊して、美術館見学は明日にするつもりである。当初は京都市内で宿を探したが、京都のホテルは高すぎて話にならず、結局宿泊するのは高槻のワークホテルアネックス天神の湯。高槻の町中にあるスーパー銭湯の宿泊施設である。

 この日はここで地下から汲み上げたという温泉で入浴。単純温泉であるので特別に浴感があるわけでもないが、露天でゆったりするのは気持ちよい。入浴後は近くの回転寿司屋で夕食を摂って、ゆっくりと眠りについたのである。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は9時頃にホテルをチェックアウトすると京都に向かう。鳥獣戯画展はもう完全に諦めたので、京都から地下鉄を乗り継いで東山に直行する。本遠征はそもそもはこれが第一目的であった。

 


「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展」京都市美術館で11/30まで

  

 19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパでは日本美術の大流行があり、印象派の画家などが特に大きな影響を受けたことが知られている。本展はそのようなジャポニズムを代表するような作品を展示する。

 本展の最大の目玉がモネの「ラ・ジャポネーズ」である。つい最近に修復が完了したという本作は、往時の色彩を彷彿とさせる鮮やかさで登場する。金髪モデルが和服を羽織ったかなりインパクのある構図の作品であるが、それだけでなく作品自体から画家の気合いの入り方が半端でないことがひしひしと伝わってくる。そもそも印象派は全体の光をおおざっぱに描く手法であるので、細部の描き込みはあまり得意ではない技法なのであるが、モネがその印象派の技法を駆使しつつ、着物の質感などの細部まで表現しきっているところに唖然とさせられる。晩年の水連の作品などとは違った意味での一つの到達点がここに示されているような感も受ける。とにかく作品から漂うオーラが桁違いである。

 これ以外はモネの他の作品が数点ほどが目立ったぐらいか。後はジャポニズムの影響を受けたというよりは模倣というレベルの作品が多々で、個人的にはあまり印象に残らなかった。と言うわけで本展は「華麗なるジャポニズム展」と言うよりは「華麗なる『ラ・ジャポネーズ』展」というのが実態であるのだが、それでも十二分に訪問の価値は感じさせる展覧会なのである。


 以前からよく知っている作品ではあったが、やはり現物を目にした時の感慨は次元が異なるものである。モネの絵では初めて睡蓮の絵を見た時以来の大きな感動を受けたのであった。

 

 京都市美術館の見学を終えると真向かいの美術館に入場する。

 


「ホイッスラー展」京都国立近代美術館で11/16まで

  

 19世紀後半にロンドンで活躍したアメリカ人画家・ホイッスラーは唯美主義の画家として知られている。唯美主義は純粋に画面の色や形の調和に主眼を置いており、要は「美しい絵」を描くのが特徴である。

 本展ではホイッスラーの初期の作品から、彼が自身の画風を確立していくまでを通して展示されている。通して見ていると、初期では結構かっちりと事物をとらえて描き込んでいるのが、段々と曖昧なイメージ的な描写に変わっていっているように感じられる。

 ただ個人的には「とにかくボンヤリとした絵ばかり」という印象を受け、正直なところあまり感銘を受けなかったのが事実。どうも私とは相性の良くない画家だったようだ。


 私はターナー展を見た時も「どうもボンヤリした絵で今ひとつ面白くないな」と感じたことがあるのだが、ロンドンの画家とは相性が悪いんだろうか? というか、霧の都ロンドンは私向きではないのかもしれない。かといって私は自分が南方系とも思えないんだが。

 

 展覧会見学後は美術館内のカフェでランチを摂ることにする。注文したのは「焼きカレーセット(1320円)」。焼きカレーといえば門司の名物であるが、京都でお目にかかるとは。まあ内容的には可もなく不可もなくというところか。例によって美術館レストランの常としてCPは良くはないが、そもそも京都というところ自体がCPという点ではしんどい店が多い。

 これで京都での予定は終了。次は大阪に移動することにする。これが本遠征の最後の目的地。

 


「光と色のドラマ 新印象派」あべのハルカス美術館で1/12まで

  

 19世紀末、ジョルジュ・スーラが用いた点描手法は、視覚工学に基づいた新たな絵画表現として賛否両論を巻き起こしつつも美術界に大きなインパクトを与え、多くの追従者も生み出して「新印象派」と呼ばれる大きな流れとなった。本展はそのような新印象派の画家やさらには20世紀におけるフォーヴに至る流れを示した展覧会である。

 本展では時代に衝撃を与えたスーラの大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」がいかにして完成されたかという試行錯誤の過程を示す習作などが展示されている。これを見ると彼がいかに詳細な研究に基づいて点描画法に挑んだかがよく分かる。

 スーラが31才で早逝した後は、点描画法は必ずしも対象を忠実に描写するためではなく、それとは無関係に画家の感性が爆発するという方向に向かい始める。その流れから登場するのがフォービズムでヴラマンクやマティスなどが知られる。本展ではそのマティスの作品が一番最後となる。

 スーラは早逝したことからそもそも作品数が少なく、本展でもあまり目にすることが出来ない。その分、同時代のシニャックなどの作品が多い。シニャックはスーラに比べると点描の点などが大きく、精密性のない描き方をしている。点描画法と一括りにしてもその描き方の詳細は個人差が大きい。私が一番驚いたのは、決して人物画を描くのに適しているとは思えない点描手法で見事に人物を描ききったレイセルベルヘ。また個人的にはピサロの作品のなどが面白かった。


 これでこの週末の予定は完全終了。家路へと着いた。

  

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