展覧会遠征 三重・愛知編

 

 この週末は名古屋方面に出向くことにした。目的は愛知県美術館で開催中の「ロイヤルアカデミー展」。この展覧会はそもそも、昨年末に静岡市立美術館で開催中に訪問するつもりだった。しかし年末に企画していた東海遠征が腰痛のために中止になったことから、名古屋開催の今回訪問することにした次第。

 

 しかしこれだけのために名古屋まで多額の交通費を支払って出向くのもどうもモチベーションが上がらない。それならついでに以前から気になっていた湯の山温泉でも訪問して、ついでに未訪問の城郭にも立ち寄りたいと考えていたところに、長島温泉のなばなの里で開催中のイルミネーションの情報が入ってきた。これは野次馬しておいてもいいかという考えが頭に浮かび、これを計画に加えることとした。ただなばなの里を訪問するなら大混雑するらしい週末は避けたい。ということで金曜の午後に半日休を取り、湯の山温泉からなばなの里へ向かうということで計画の輪郭は定まった。

 

 金曜の午前の仕事を終えると、会社の近くで昼食を摂ってから山陽自動車道にのる。宿泊ホテルは湯の山温泉ホテルウェルネス鈴鹿路。途中で滋賀の辺りで寄り道することも考えていたが、予定よりも時間が遅れ気味なのでホテルに直行することにする。新名神は相変わらず風が強くて車がかなり揺さぶられる。新名神から東名阪に乗り換えて順調に走行していたのだが、鈴鹿ICの手前で渋滞で動けなくなる。それでなくてもこの辺りは渋滞の名所なんだが、よりによって鈴鹿−四日市間で事故があった模様。車線規制がされているらしく、かなりの長さの渋滞なので四日市まで行かずに鈴鹿ICで下りて一般道から湯の山温泉を目指すことにする。

 途中で渋滞に出くわす

 何だかんだで余計な時間がかかったので、ホテルにたどり着いたのは4時頃。とりあえず夕食はなばなの里に行く関係で早めの5時半にしてもらっている。夕食までの間に急いで入浴を済ませておくことにする。

 ようやくホテルに到着

 泉質はアルカリ単純泉とのことで残念ながら加温・循環・塩素使用である。だが塩素の臭いは特にしない。とにかくヌルヌル感が非常に強い湯である。pHは8.6とのことで、かなりアルカリ性が強いように思われる。いわゆる美肌系の湯だが、ここまでアルカリ性が強いと入りすぎたらかえって肌が荒れないか心配になる。

 

 風呂から上がったらテレビをつけるが、川崎の中学生殺害事件ばかりである。それにしても胸糞の悪い事件である。このようなことをする外道は未成年だとかどうとかは無関係に極刑に処するべきである。

 

 5時半になるとレストランで夕食。ぶりの鍋と伊勢エビのついたメニューである。なかなかにうまいし、ボリュームもそれなりにある。なばなの里を訪問することはホテル側に伝えてあるので、料理を次々とザクザク運んでくれるのが私にはありがたい。

 30分ぐらいで夕食を終えた頃には日は西にほとんど沈んでいる。直ちに出かけることにする。外はかなり寒い。かすかに雨が顔に当たると思っていたら、雨ではなくて雪だった。積もったりどうこうなるレベルではないが、さすがに山沿いである。

 

 なばなの里には高速を使えば1時間もかからない。高速を降りると真っ暗な道を走ることになる。こういう時はカーナビのありがたみが身に染みる。ようやく現地に到着したのは7時頃。駐車場には観光バスを初めとして結構車が一杯である。ただこれでも今日は平日だから少ない方なんだろう。入場券は事前にセブン−イレブンで購入している。館内利用1000円分券がついて2100円。しかしこれっていわゆる抱き合わせ販売にはならないのか?

 

 入場ゲート前から既にLEDの電飾でギラギラだが、中に入るとあちこちが電飾である。昔ならこれだけ電飾をすれば電気代だけでとんでもないことになっていたし、球切れ交換なんかが大変だったろう。LED様々である。ノーベル賞万歳!

 入場ゲート前からこれです

 なお私が一つ懸念していたのは、この手の場所は大抵はカップルだらけで、オッサン一人だけだと強烈なアウェーの雰囲気に曝されないかということだが、会場に来てみると家族連れもかなり多いので幸いにしてアウェームードはそう強くない。とりあえず私は、家族を先に行かせてのんびりと写真を撮っているお父さんに擬態することにする(回りからはよく仕事中のフリーカメラマンに思われるのだが)。

 

 順路に沿って進むと、最初は光の雲海・光のゲートのエリア。混雑時は完全一方通行になるらしいが、今日はそれほどでもないのかみんな結構自由に歩き回っている。これでもかとばかりに青色LEDがギラギラしているエリアだ。

光の雲海・光のゲートとビール園

 ここを抜けるとしだれ梅苑。ライトアップされているが、やはり梅は桜と違ってなかなか渋い。うれしそうに記念写真を撮っている中国人団体客も。

しだれ梅苑

 チャペルの横を抜けて進むとアイランド富士のところに出る。これは高さ45mのクレーンから周囲を見渡せるという可動式展望台である。料金500円はやや高いが、ここで少々ケチっても何なので乗ってみることにする。

 アイランド富士は下から見るとUFOのような形態。これが上から降りてくる様はまるっきり未知との遭遇である。思わず「ET,home,phone」という言葉が口から出るが、これは別の作品だった。

左 下から見たアイランド富士  中央 根元は巨大クレーン  右 まるで未知との遭遇

 アイランド富士は円形回廊に長ベンチがついていて、とりあえずここにズラッと並んで座らされる。その状態で上まで上げられて、そこで一周する間が展望タイム。その後が再び着席させられて下まで降りるという仕掛け。上から眺めてみると意外に会場は狭い。遠くに見えるのがメイン会場のナイアガラの滝である。

左 いよいよ乗り込む  中央 中はグルリと回廊  右 高さが上がる

左 今まで通ったエリアが見える  中央 向こうに見えるのがナイアガラ  右 しだれ梅苑を上から

 アイランド富士から降りてくると光のトンネルを抜けてナイアガラの滝へ。このナイアガラの滝は音と光のファンタジーという奴で、なかなか圧巻。LEDの威力を最大限に使用している。もう一度、ノーベル賞万歳!

光のトンネルを抜けると

目の前にナイアガラが現れる

刻々と色彩が変化するナイアガラ

 ナイアガラを堪能した後は、ショートバージョンの光のトンネルを抜けてこれで場内一周である。そこが出口だが、まだこのまま帰るわけにも行かない。抱き合わせ販売の1000円券を使う必要がある。と言っても場内でこれを使う場所と言えばレストランぐらい。しかし中華やイタリアンなどをガッツリ食べるという状態ではないので、結局はそば屋で天ざるを食べることに。1500円という価格は割高だが、超ボッタクリというレベルではないのでまあ良しか。ただそば自体は平凡。

帰りは微妙に色彩が変化する緑のトンネル

左・中央 色彩の変化するチャペルに  右 アイランド富士

 なばなの里を堪能してからホテルに戻ることにする。期待していた以上に楽しめたが、ただとにかく死ぬほど寒かった。早くホテルに戻って風呂に入りたい。

 

 ホテルに戻るととにかく入浴。そしてこの夜は早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に起床すると目覚ましの朝風呂。7時半から朝食バイキング。花粉が飛んでいるのか、昨晩から鼻水が出て仕方がない。

 チェックアウトしたのは9時前。さて今日の予定だが、とりあえずここまで来たのだから御在所山を登っていきたい。

ロープウェイは温泉街の奥にある

 御在所山へはロープウェイで登れる。ただこのロープウェイ、往復料金が2160円とかなり高い上に駐車場の料金がさらに1000円ということなので相当高い。ボッタクリだなと感じたものの、ここまで来て引き返すのもしゃくなので登っていくことにする。

    御在所山ロープウェイ

 御在所山ロープウェイは10人乗り程度のゴンドラが連続的に循環しているタイプで、ちょうど箱根ロープウェイに似た形態。ただ箱根ロープウェイが2本のケーブルにまたがる形態なのに対し、ここのはオーソドックスな1本のケーブルにぶら下がるタイプ。

左 みるみる高度が上がっていく  中央 遠くに山も  右 ゴンドラとすれ違う

 御在所山は1000メートル以上の高さがあるとのことで、ロープウェイはかなり急な傾斜を登っていく。眺めは良いのだが、眺めが良すぎて高所恐怖症の人間にはかなり恐ろしいもの。それも単に斜面に沿って登るのなら良いが、途中で千尋の谷を横断する部分がある。この部分が支柱の間が長い上に風が吹いているのかゴンドラが結構揺れる。実際に風速が15メートル以上になったら運行を停止するとか。それにしても目のくらむような谷の上で揺れるロープウェイなんて、高所恐怖症の者には悪夢のような乗り物である。箱根ロープウェイは2本ケーブルのためかあまり揺れなかったので、火口を横切る時も恐怖は感じなかったのだが、ここのはいかにも頼りなげにゆらゆら揺れるのでとにかく恐ろしい。私は確かに高所恐怖症は持っているが、その割には今までロープウェイで怖いと感じた経験はほとんどない。しかしここのはとにかく怖い。ようやく山上に着いた頃にはヘロヘロになる。

左・中央 目眩のする高度  右 信じられないところに人が

 山上は一面の銀世界。下界とは完全に別天地である。ダウンジャケットを着てきて良かったと改めて思う。下なら今日はこれを着ていると暑いのだが、ここではこれを着ていてもかなり寒い。下に合わせた格好でそのまま登っていたら凍えて風邪をひくところだった。

山上は一面の雪景色

 山上展望台から風景を観賞。絶景ではあるが、足下がところどころアイスバーンになっているから危なっかしい。しっかりとした柵が設けられているというほどでもないので、派手に滑ったら滑落の可能性も無きにしも非ずでやはり恐怖。それにとにかく風が冷たい。耳がちぎれそうである。

向こうの山頂にはリフトで行けるようだが

 ここからさらにリフトで御在所山の山頂に行けるとのこと。向こうに山頂が見えるが、高さ的にはこことそう変わらないように見える。ただ向こうからは琵琶湖が見えるとか。しかしさらにリフトの料金を払うのも馬鹿らしいし、寒いしもうどうでも良くなってきた。それよりも風が強くなる前に下に降りたい。あれ以上ゴンドラが揺れるとその中で正気を保てる自信がない。結局は1時間足らずの滞在で引き返してくる。さすがにロープウェイが運行を開始して1時間ほどなので、まだ降りる客はほとんどおらず、ゴンドラは私の貸切状態である。

帰りは往路よりは余裕が出たが、それでもゾッとする光景である

 幸いにして帰路は往路よりは揺れず、私も何とか正気を保ったまま下まで降りてくる。それにしても下まで降りてくるとやや暑いぐらいである。一体あそこはどこの国だったのか? 何かいきなり天界にでも連れて行かれたような気分で、どうもさっきまでいた場所の現実感覚がない。

 

 さて次の予定だが、今回の遠征の主目的を果たすことにする。ここから名古屋まで長駆することになる。


「ロイヤルアカデミー展」愛知県美術館で4/5まで

 イギリス美術界の殿堂であるロイヤルアカデミーは、1976年に芸術家を育成するための教育機関として開設されたものである。ここでは芸術家の卵に技術教育を行うと共に、古典的名作に触れる機会を設けるなどのためにコレクションも充実させてきた。またロイヤルアカデミーで学んだ学生は、作品を寄贈することが義務づけられているため、そのようなコレクションも多々存在するという。そのロイヤルアカデミーが所蔵する作品の展覧会。

 まさに「アカデミー派」の牙城であるため、どうしても作品は保守的なものが多くなる。その代わりに変な尖り方をした作品はほとんどないので、見ていて安心できるような作品が多い。また永らく印象派などと対立する立場にあったアカデミーだが、それでも近年になるとその流れを無視できなくなってきたらしく、明らかに印象派的な色彩をまとった絵画が登場しているのが興味深かった。かつての本流と異端が入れ替わった瞬間だったように感じられた。

 なかなかに美しい作品が多いのだが、個人的に印象に残ったのは、ウォーターハウスの「人魚」。それにやはりジョン・エヴァレット・ミレイの作品である。


 美術館を出て、さてこれからどこに向かおうかと考えた時に完全に訪問順序を間違えていたことに気づく。当初の予定では美術館に来る前に四日市の近くの采女城に立ち寄るつもりだったのに、御在所山の寒気にさらされて頭が呆けたのか、完全にそのことを忘れてしまっていた。明日の帰路に回すという手もあるが、天気予報によると明日は雨の可能性が高いことから、出来れば今日中に訪問しておきたい。とりあえず夕方にホテルに入る前にそこに立ち寄るということにして、まずは次の目的地に向かうことにする。

 

 次の訪問先に考えたのは養老の滝。養老といえば以前に養老天命反転地に立ち寄ったことはあるが、その時にはその奥にある養老の滝に立ち寄っている暇がなかった。そこで今回改めて養老の滝を見学しておこうという考え。

 

 名古屋高速から名神に乗り継いで大垣ICで降りる。ここを南下していくと壁のような鈴鹿山脈が見えてくる。養老の滝はこの手前である。天命反転地がある公園の駐車場に車を置いて歩いて行けば無料なのだが、今はその気力も体力も時間もないのでもっと奥にある有料駐車場に車を置くことにする。ただしこの駐車場にアクセスする道が山道の狭い道。もっとも山城攻めに慣れている私からすれば、普通の道ではある。しかしそれでも対向車が来て欲しくないとは感じる。

   山道を進む

 駐車料金は1000円。ここもかなりのボッタクリである。養老の滝はここから階段を降りていくと5分とかからずにたどり着ける。

 

 滝の水が酒になったという孝行息子伝説で有名な養老の滝だが、滝としてはそう大きな方ではない印象。ただ水量は豊富である。またこの水は名水としても知られており、かつてはこの水を使用して酒ならぬジュースが作られていたとか。もっともそのメーカーも後継者がいなくて廃業したとのことである。

  

 養老の滝を後にすると次は多度に向かうことにする。多度は多度大社の門前町として発展した町だという。

 

 多度大社の見学から始めようかと思ったが、その前に腹が減った。多度大社の手前で見かけた「だるまうなぎ」で昼食にすることにする。

 この店はその名の通りのうなぎ屋だが、正直なところ今日はあまりうなぎという気分ではないし、ボッタクリ駐車場の連荘で財政的にもかなり厳しくなっている。そこで注文したのは「石焼き牛まぶし御膳(1780円)」

二杯目は薬味を添えて、三杯目は出汁をかけて頂く

 要は牛肉でひつまぶしの代わりをしたという代物。昨今のうなぎの異常な高騰でこのメニューを出すうなぎ屋が実は増えている。とりあえずセオリー通りに一杯目はストレート、二杯目は薬味付き、三杯目は出汁をかけて茶漬けで頂く。思っていたよりも肉が良かったのでなかなかにうまいが、やはりうなぎよりはやや味がしつこくなる。

 

 昼食を終えると多度神社の見学をすることにする。多度神社の前には駐車場があるが、ここは土日だけは有料らしい。まあ200円なので今までのボッタクリ駐車場に比べたらマシか。なおその200円も嫌だという者には、先ほどのだるまうなぎの隣に観光用無料駐車場がある。

 

 多度大社は天照大神の第3皇子である天津彦根命を祀った神社で、伊勢神宮とも非常に関わりが深い由緒正しい神社である。5月に行われる上げ馬神事(境内の絶壁を馬で駆け上がる)、流鏑馬神事などの馬絡みの神事で知られる神社であり、境内に馬小屋もある。

神事で馬が駆け上るのはこの崖らしい

 奥の本宮までは距離は大してないが、高低差が結構ある。奥の本宮まで行くと参拝をしておく。なお多度大社の御利益としては馬にちなんで交通安全とか(昔は戦勝祈願だったと聞くが)。

左 境内で馬が飼われている  中央 奥に進む  右 奥に行くほど高い

この門を抜けると奥の本宮になる

 多度大社の見学を済ませると、そのまま多度の町並みを見学・・・と思ったのだが、どうも見渡す限りごく普通の民家が並ぶだけの何の変哲もない町並みである。これはもう少し先まで行かないといけないようだということで車で通り抜けることにするが、その前に駐車場の南にある「丸繁」で夜食用の和菓子を買い求める。

 多度の町並みはほとんどは何の変哲もない普通の民家ばかり。ただ大黒屋といううなぎ料理屋がある周辺の一角に古い商家作りの建物が数軒残っているだけである。これはやや寂しい。

車で通り抜けてみる

多度大社近くの長屋門と大黒屋周辺の一角

 多度を後にするといよいよ采女城に立ち寄ることにする。桑名東ICで東名阪道に乗ると、今日の宿泊予定地である桑名を通過して四日市ICで降りて南下する。采女城は内部川北側の丘陵上にある。内部川北岸の道路沿いに采女城の案内石碑があり、その辺りの路肩に車を置いておけるだけの幅があるのでそこに車を置く。

左 采女城遠景  中央 城跡碑がある  右 その奥が登城路

 采女城は藤原氏を祖とする後藤氏の後藤伊勢守基秀が、1260年にこの地の地頭となって一族郎党を引き連れて移住した際に築いた城郭だという。その後300年に渡って後藤氏が治めてきたが、後藤采女正藤勝の時に織田信長の侵略に合い、蒲生氏と共に戦ったが1568年に落城したとのこと。言い伝えでは、その時に城主の藤勝は討ち死にし、千奈美姫は主郭の井戸に身を投げて父の後を追ったと言われているとか。これらの経緯を伝える現地看板は「哀れなり」の言葉で解説を閉めている。

 場内は地元有志の手によって整備されているらしく、非常に状態が良くて見学しやすい。これは実にありがたいことである。

概ね整備された登城路を登ると虎口に到着する

 見学路に沿って進むと虎口を抜けて最初にたどり着くのが五の郭である。ここは本丸である一の郭の手前を固める重要な曲輪であり、それなりの面積がある。ここから本丸へは木橋が架けてある。

登った先の五の郭から木橋で本丸へ

 本丸はかなり大きな曲輪で、奥にはハッキリとした土塁も見られる。曲輪内には件の姫が身を投げたという井戸もある。この井戸は「夜な夜な女のすすり泣きが聞こえてくる」などとオカルトスポット扱いになっているようだが、例によって霊感皆無の私には全く何も感じられない。まさにここで一族一党討ち死にした城郭なので、その手の気配が何か感じられても良さそうなものだが、なぜかそのような空気は全くなかった。

左 本丸に到着  中央 案内看板がある  右 本丸井戸

左 向こうに見えるのが八の郭  中央 振り返って  右 本丸北側には土塁がある

 本丸の先には巨大な空堀を隔てて二の郭がある。二の郭は本丸よりは小さな曲輪で奥に土塁があるが、その一角が櫓跡らしい。

左 空堀を隔てて二の郭  中央 かなり大規模な空堀  右 二の郭

左・中央 二の郭奥には土塁が  右 その一番南が櫓台

 土塁と空堀を越えた先にあるのが三の郭。ここは城域の一番北端を固める重要な曲輪であり、規模も大きい。

左・中央 三の郭との間の空堀  右 三の郭も奥に土塁がある

三の郭はとにかく広い

 三の郭の西にあるのが四の郭で、ここはそう大きくない曲輪。ここの奥には土塁があり、その先を降りた先に九の郭があるらしいが、そちらは整備されてないようだ。

一旦空堀に降りてから上がっていった先が四の郭

 四の郭から二の郭や本丸のを見上げながらグルリと五の郭に戻ってくる。ここを進む敵は周囲の郭から弓矢鉄砲を雨あられと撃ちかけられることになるだろう。

 二の郭や本丸の脇を回り込む

 五の郭から八の郭に回り込む。ここは本丸の南東を固める最前線の曲輪になる。本丸とはかなりの高低差があり、万一この郭が落ちても本丸がすぐに攻撃されることはないようになっている。

左 本丸と八の郭の間の空堀  中央 八の郭  右 八の郭から見上げる本丸

 土塁と空堀で厳重に守った平山城であるが、残念ながら所詮は地方領主レベルの城であり難攻不落の要塞とまでは言いがたい。地方領主同士の小競り合いならともかく、織田の大軍に攻められたらひとたまりもなかったであろうことは容易に想像が付く。天下統一が進んでいく過程で、この手の悲劇は各地で繰り広げられていたのだろう。平和な今の時代の人間だからこそ「戦国ロマン」などと言うが、実際には当時の人々にとってはひたすら血生臭い現実の連続だったのだろうと思われる。いつかはアラブなどにも平和が訪れて、今のイスラム国などのゴタゴタも乱世のロマンのように語られる時代が来るんだろうか。

 

 もう既に日は西に傾いている。今日の予定はこれで終わりにしてホテルに向かうことにする。今日の宿泊地は桑名である。四日市から国道1号を北上。しかしこの道路はかなり混雑する道路であり、走るのが非常に疲れる。

 

 日が沈みかけた頃にようやく桑名のホテルに到着する。宿泊ホテルはステーションホテル桑名。駅前の大浴場付きのホテルである。ホテルの駐車場に車を入れると荷物を部屋に置いて夕食のために外出する。

 

 日没後の桑名の駅前をプラプラ。最初に向かったのは以前に訪問したことのあるはまぐり食道。しかしなぜかもう店が閉まっている。仕方ないので他の店を探すが、表通りにはこれという店がない。そこで裏通りに入ってみることにする。裏通りにはいかがわしげな店も。なかなか良い雰囲気になってきた。と言っても歩く道徳教科書と言われている私であるから、何もお姉ちゃんと遊ぼうと言うわけではない。経験則から、こういういかがわしい店のある地域の周辺においしい店があることを知っているからである。

 

 ちょうど「清寿司」なる店を見つけたので入店することにする。寿司屋だが定食類もあるよう。そこで「牡蠣フライ定食」とやはり桑名で「焼蛤」を注文。

 焼蛤はまあこんなもの。あさりの大きいのという感じである。牡蠣フライ定食はボリュームもある上に味も良い。たっぷり堪能して合計2050円。この店は正解だ。

 夕食を堪能して帰ると、ホテルの大浴場でマッタリとくつろぐ。入浴後は多度で仕入れてきた和菓子が夜食。こうしてこの夜は更けていく。

   多度で仕入れた和菓子の数々

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半までゆっくりと眠る。ここのホテルは大浴場はあるが残念ながら朝風呂はないようである。仕方ないのでシャワーで体を温めると朝食へ。

 

 朝食を摂るとしばしゆっくりしてから9時頃にチェックアウトする。外は結構な雨である。やはり采女城を昨日訪問したのは正解だったようだ。今日の帰りに立ち寄るつもりだったら、この雨だと見学を断念せざるを得ないことになっていたところだろう。雨の降り方によってはいろいろと考えていた予定もあったのだが、美術館一カ所に立ち寄る予定以外はすべて中止に決定する。

 豪雨の中を突っ走る

 東名阪から新名神に乗り換えてひたする滋賀を目指す。雨が激しくて足下が怪しいので通常以上に疲れる運転になる。目的の美術館に到着した時にはかなり疲労が溜まっていた。


「見つめて、シェイクスピア−美しき装丁本と絵で見る愛の世界」滋賀県立近代美術館で4/5まで

  

 イギリスを代表する劇作家と言えばシェイクスピアで、彼の作品は後の多くの芸術家にも多くのインスピレーションを与えている。そのシェイクスピアの作品を描いた絵画や挿絵等、さらにはシェイクスピアをテーマにしてイギリスの装丁家協会「デザイナー・ブックバインダーズ」が開催した国際コンペディションの入選作品を展示。

 文学をいかに視覚イメージにするかというところは画家のセンスが問われるところだが、やはり同じ題材でも描き方は百人百様であるようだ。なかでもやはりシャガールなどは極めて個性的である。作者によって無難な挿絵からほとんど作品を離れて見える芸術作品まで様々だったのが興味深い。

 装丁本なんかも面白かったが、正直なところ「実用性はあるのか?」と疑問を感じるような作品もなかにはあった。ただこれらの装丁本は電子書籍の時代を迎えて最早瀕死の状態のように思われる。これはこれで寂しいことだ。


 これで本遠征のすべての予定は終了した。後は帰宅するのみである。この帰路の運転もかなり精神的に疲れるものであったが、なんとか無事に家に帰り着いたのである。

 

 温泉でゆったりの目論見が、終わってみたら車で走りまくりのグッタリになってしまったのが今回の遠征。とにかく桑名と四日市の間を何度も往復した気がする。行動計画を漠然としか考えてなかったから、予定をすっ飛ばしてしまって動線が大混乱したりと、行き当たりばったりがあまりに過ぎたようである。やはりもう少しプランニングは緻密に行っておく必要があるだろう。

 

 

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