展覧会遠征 金沢・長野・東京編

 

 いよいよ夏休み、私の会社でもちらほらと休暇を取る者が現れだした。私もそろそろ夏休みを取るつもりである。夏休みを取るとすれば目的は東京遠征。毎年この時期には東京では夏休み向けの展覧会が多数開催されており、それは是非とも見学したい。さらに日程調整のために各種事前調査を行ったところ、ミューザ川崎でサマーミューザなる音楽祭が開催され、在京のオケが日替わりでコンサートを開催するらしいことも判明している。それならこれも絡めた方が何かと便利とのことで定まった日時がこの週末である。さらにはどうせ遠征するならこの際に金沢と長野にも寄っておきたいと考えて、今回は金沢から北陸新幹線で東京入りするという変則ルートになった。

 

 水曜日の仕事を早めに終えるとそのまま新幹線で新大阪へ。ここから金沢入りはサンダーバードである。新大阪から金沢までは2時間以上かかる。本来なら北陸新幹線は新大阪か京都と接続しないと無意味なように思えるのだが、未だに日本は東京中心主義が強すぎる。

 

 金沢に到着したのは既に日も暮れた7時過ぎである。まずは重たいキャリーをホテルに預けたい。今回の宿泊ホテルはマンテンホテル金沢駅前。かつての定宿のドーミーイン金沢が宿泊費の高騰で使い物にならなくなった昨今、それに代わって使用している北陸地域のローカルホテルチェーンである。先日の福井遠征でもマンテンホテル敦賀を使用している。

 とりあえずチェックインを済ませて荷物を置くと、早速夕食に繰り出すことにする。金沢に行くと決めた時から、夕食を摂る店は既に決めている。東山の洋食店「自由軒」。ここに行くには橋場町を経由するバスに乗る必要があるのだが、残念ながら今はちょうどバスの間で次のバスまで30分ほどあるようだ。そこでグーグル先生にお伺いを立てたところ、徒歩で25分ほどとの仰せ。そこで意を決して夜の金沢市街を散策することにする。グーグル先生の指示に従って路地をウロウロ。金沢の町は路地が複雑であるが、それが町の風情になっている。どことなく懐かしさを感じる町で、私の心の原風景である長田の町並みにも相通じる部分がある。いずれまたもう少し涼しくなってから、この路地を目的もなく散策してみたい気もする。

 

 30分弱で自由軒に到着。既に先客がいるがしばし待つことにする。以前と店の雰囲気は全く変わっていないが、今回は外国人客が大量に来ていた。金沢に外国人が増えているというのはどうやら本当らしい。10分ほど待ったところで席が空く。

 注文したのは「オムライス」「ビフカツ」。ここのオムライスはケチャップを使わないのが最大の特徴でHPによると醤油を使っているとか(私はコンソメベースだと思っていた)。このオムライスは以前にカルチャーショックを受けたもので、最初は「ケチャップを使っていないオムライスなんて・・・」と思っていたのだが、これを食べるとこちらの方が味が引き締まっていて正解のような気がしてくる。久しぶりにこのオムライスが食べたくなったのがここを選んだ最大の理由。

 洋食屋でビフカツというのは関西人には定番メニューだ。ここのビフカツはなかなかに良い肉を使っているが、一番のポイントはあくまでビフカツであること。よくある残念なパターンは、肉は良いがステーキに衣をかぶせただけのようなビフカツがあるが、ここのは肉と衣が一体となってビフカツとしての存在をアピールしている。これがビフカツとしての正解。見事である。

 

 久しぶりに金沢の洋食を堪能した。これで本遠征の主目的は達成・・・というわけではないが、そんな気がしてきてしまった。先日は福井で「我が心のソースカツ丼」を久々に堪能してきたところだが、どうも私の中では北陸と洋食は切っても切れない関係にあるのである。同様の関係は別府とボルシチ、函館とウニにもある。

 

 帰りはバス停をのぞいたらちょうどバスが数分後に来るようだったので、それに乗って戻る。バスは貸切状態で金沢駅へ。

 夜の金沢駅

 ホテルに戻ると大浴場で入浴して疲れを抜くと、ネットで調べ物をしてから明日に備えて就寝するのだった。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床する。シャワーで目を覚ますと朝食へ。敦賀のマンテンホテルは朝食バイキングだったのだが、ここの朝食は和定食のようだ。この方が中国人などに荒らされない(彼らのバイキングでの暴挙は全国各地で知られているところである)というメリットはあるだろう。金沢に外国人観光客が増えているということとも関係ありそうだ。

 朝の和定食

 朝食を終えると9時前にはチェックアウトする。今日は一日で東京への移動を行うが、その間にスケジュールがてんこ盛りである。

 

 まずキャリーを駅のロッカーに置い機動力を上げると、駅前からバスで移動。まず最初に向かうのは石川県立美術館。ここで開催される魯山人展を見学する予定。しかし行動が早すぎたのか、美術館に着いたのは開館の20分ほど前。しばし灼熱地獄の中で待たされることに。


「北大路魯山人展」石川県立美術館で8/23まで

 

 一般にはグルメとして有名である魯山人であるが、そもそもは書家として名を上げ、後に陶芸や絵画などの作品を残している。そのような魯山人の作品を紹介。

 魯山人は多くの看板を手がけたらしく、それらの看板も展示されている。とは言うもののの、私は書は全く分からないので、なかなかに力強い字だなという印象ぐらいしかない。

 陶芸作品に関しては、私は以前から魯山人の作品にはあまり面白さを感じておらず、それは今回も同じ。ただ本展では彼の器に料理を盛った写真が展示されており、それを見て初めて彼の陶器が理解できた気がした。単品で見た時には今一つに思えた作品が、料理を盛ると全く雰囲気が変わる。魯山人は陶器をあくまで料理の器として考えており、そこに料理を盛って初めて完成するんだと言うことに気づいた。器が単独であまりに主張しすぎると、そこに料理を盛ったら料理の方が負けてしまう。そのために魯山人の器は主張を若干抑えたバランスになっており、そこが器単独で見た時に「何か面白味がない」という印象につながっていたようである。

 そういう意味では、世間でよく言われる魯山人に対する「所詮は単なるグルメなオッサンというだけ」という下馬評も、当たらずとも遠からずなのかもしれない。


 美術館の見学を終えて駅に戻ってくると、ここから北陸新幹線で長野に向かうことにする。そもそも今回わざわざ金沢回りで東京入りするのは、北陸新幹線の視察という目的もあるが、一番は長野の信濃美術館で開催されている「ドラッカーコレクション展」を見学するためである。この展覧会、千葉で開催された時には行く機会がなく、次の山口は遠すぎてダメということで、今回の長野くらいしか立ち寄るチャンスがなかった次第。

 

 金沢発のはくたかは結構混雑している。指定席の乗車率は8割程度か。外国人も多いようで、欧米人や中国人などを見かける。

 金沢を出た新幹線は、やはり今時の新幹線らしくいきなりトンネルに突入する。長いトンネルを抜けたところで一瞬だけ在来線と併走するが、すぐに南にはずれて次の新高岡駅は市街中心とはかなり遠いところ。

 新高岡手前は何もない

 ここから田圃の中をしばし走った先の大都会が富山。田圃の中を走っているうちは良いのだが、住宅の近くを通る度に高い防音壁で視界を遮られるので、側溝の中を走っているような印象がある。

 都会の風景は富山

 次の黒部・宇奈月温泉駅は黒部と宇奈月のどちらからも遠いという中途半端な何もない場所。ここからトンネルが多くなり、それを抜けたら糸魚川。次の上越妙高は上越市の中心からはかなりはずれたこれも何もないところ。

左 黒部宇奈月温泉は何もないところ  中央 糸魚川は一応市街があるが  右 上越妙高は完全に市街から外れる

 ここからは本格的に延々とトンネルが続くことになる。飯山を抜けると川沿いを走って長野に到着である。

 飯山からは川沿いを進む

 これで北陸新幹線も完全視察終了となるが、やはり今時の新幹線らしくトンネルの多さが印象に残る。そのことはすなわち「乗っていて面白くない」ということも意味する。また富山と金沢以外は「何でこんなところに新幹線の駅を?」というような場所が多い。ルート選定が先にあって、後で無理矢理に駅を作った印象である。結局は「東京から富山・金沢に行くため」だけの鉄道であるのは明らかである。これが通ったせいで在来線の多くが切り捨てられて第三セクターになったが、金沢以外には何かメリットはあったんだろうか? 金沢は確かに観光客は増えたらしいが、上越とかにはデメリットしかないんじゃないという気がする。

 長野駅に到着

 長野に到着するとロッカーにキャリーを置いて美術館に向かうことにする。久しぶりの長野。しかし相変わらず夏の長野は灼熱地獄である。とりあえずバスで美術館に向かおうと考えるが、ちょうど到着した善光寺方面行きバスは大門止まりのもの。そこで予定を変更して昼食を先に済ませることにする。立ち寄ったのは大門のバス停の真ん前にある「八風堂」。例によって「山家定食おこわ大盛り」を注文する。

  

 この岩魚を頭から頂くのがよい。またここの栗ご飯はさすが。これを堪能するとさらに栗氷を注文して体のクールダウン。

 やはりクールダウンにはかき氷が一番。さらに栗鹿の子の甘みが体に染みる。かき氷としてはかなり甘いかき氷になるんだが、これがいいんだよな。これで今回の遠征の主目的は達成・・・じゃなかった。

 

 昼食を済ませると歩いて美術館へ向かう。距離は大したことがないのだが、とにかく灼熱地獄がひどい。美術館に到着した時には、折角氷でクールダウンした体が再び汗だくになってしまっている。


「ドラッカーコレクション 珠玉の水墨画」長野県信濃美術館で8/23まで

 

 マネージメントの専門家として知られるドラッカーだが、彼はかなりの日本マニアでもあり、日本美術を蒐集していた。そのドラッカーによるコレクションの展示。

 最初に彼が興味を持ったのが室町時代の水墨画とのことなので、雪舟系の作品が最初期のコレクションとなる。そこから徐々にコレクションを広げていったようだが、書斎に飾れる作品というのが基本のようで、掛け軸などの小品が多い。

 外国人コレクターによくあるパターンだが、名前にこだわらずに自身の美意識に沿ってコレクションを拡充していったように思われる。なかなかに渋いコレクションである。


「日展三山−東山魁夷、杉山寧、高山辰雄−」東山魁夷館で9/1まで

 日展で活躍した三人の画家についての作品を集めた展覧会。

 当館所蔵以外の東山の作品が数点展示されていたのが一番の収穫。杉山、高山の作品についてはやはりどこかで見たことがある作品が多かった。


 美術館の見学後はバスで長野駅まで戻ってくる。時間が想定よりも早かったので、東京行きの新幹線を早い便に振り替えようとみどりの窓口に行ったが、次に出る便は満席の模様。仕方ないので予約していた新幹線の発車時刻までそばでも頂きながら待つ。

  

 東京行きのかがやきは乗車率8割というところ。途中駅で停車するはくたかの方が乗客が多いんだろうか。かがやきは東京まで突っ走るが、私は途中でウトウト。目を覚ました時には高崎を過ぎていた。今日は関東地方で竜巻に警戒とテレビで言っていたが、途中で巨大な積乱雲と雷を目撃した。あの真下では局地的豪雨が起こっているだろう。関東平野はこういうことが多い。

 

 東京に到着したのは6時前。さてこれからどうするかだが、まだホテルに直行するのは早いが、もう美術館は大抵閉まっている。そこでミューザ川崎に立ち寄ることにする。ミューザ川崎には明日から三日間通うことになるが、今日は昭和音楽大学のコンサートが行われているはずである。アマオケなので事前の予定には入れていなかったが、状況によっては当日券で参加しようと考えていた。これは明日からのミューザ通いの下調べの意味もある。

 

 川崎へは東海道線で3駅で意外に近い。ミューザ川崎は駅から陸橋伝いですぐである。入場してみるとなかなか大きなホールで天井も高い。ちなみに東日本大震災ではこの天井が崩落して修理に数年掛かることになったと言うが、よくも公演中でなかったものだ。もし公演中なら死傷者がいくら出たか想像できない。まさか同じ事故を再び起こすとは思わないが、それでも地震になればパニックになる客も出そう。「当館は耐震構造になっていますので、その場で案内を待ってください」と放送したところで、果たして観客がそれを信用するか。私もとりあえず座席の下に潜り込むぐらいはするだろう。

 特徴的なのは客席の配置で、ステージを中心に螺旋状に座席が高くなって行っている。三階席までは完全につながっており、他と分離しているのは四階席だけである。一階席が少なく、通常のホールなら一階席の位置に二階席がある。ステージはすり鉢の底で、オーストラリアなどの露天掘り炭坑の底にステージがあるようなイメージ。なおこの座席配置のため、三階席はステージからかなりの高さがあるにも関わらず、高所恐怖症の私にも全く恐怖感を抱かせないので落ち着いて聴けるメリットがある。


昭和音楽大学 壮大なロシアの音楽に親しむ

 

指揮:齊藤一郎

ピアノ:加藤大樹

 

ムソルグスキー:禿山の一夜(原典版)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

 

 昭和音楽大学のオケはなかなかがんばってるなという印象。一曲目の禿げ山の一夜はややグダクダした印象の演奏になってしまっていたが、そもそもこの原典版自身が元々グダグタした曲なので仕方ない部分もある。一般に知られているリムスキー=コルサコフ編曲版に比べると曲自体にメリハリがない。

 二曲目はピアノソロが加わったことでグッと曲が引き締まった。加藤大樹のピアノはかなり雄弁に謳わせる演奏。甘いことで知られるラフマニノフの二番を、さらに甘ったるく艶っぽく演奏する。なかなかのテクニシャンである。

 最後の展覧会の絵はラヴェルの極彩色のオーケストレーションが冴えまくる曲なのだが、管楽器のソロパートが多くなるので危なさも出やすい曲だ。しかし「よく練習してきたな」という印象で、各ソロ演奏がなかなかに頑張っている。特にトランペットの女性には感心。なかなかに見事な演奏を決めていた。


 アマオケなので演奏にはほとんど期待せずに、ホールを見に行くつもりで出向いたのだが、予想を超える熱演を聴かせてもらった。1000円でこれだけのものを聴ければ上々である。

 

 それにしてもリムスキー=コルサコフやラヴェルはオーケストレーションの天才と言われているが、シェエラザードや展覧会の絵をライブで聴くとそのことをつくづく感じさせられる。とにかくオケの音の知り尽くしていて、それを計算した上で最大限効果的に極彩色のサウンドを響かせるようになっている。本当に名人芸だ。

 

 一日中走り回ってとにかく疲れたが、これで今日の予定は終了。宿泊先の南千住まで移動することにする。途中の上野駅で乗り換えの間に今半の牛肉弁当を3割引で購入してこれが今日の夕食。宿泊先は例によってのホテルNEO東京である。さて明日からは三日連続でミューザ通い&都内の美術館駆けずり回りのハードスケジュールが待っている。とにかく体力の回復が必要だ。それにしても今日は長い一日だった。ライブまであったせいで、金沢訪問がはるか昔の出来事のような気がしている。今朝まで金沢にいたという実感はない。

  この日の夕食

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に目覚ましをセットしていたのだが、7時に勝手に目が覚める。体には少々だるさが残っていて体調はベストとは言い難いが、そんなことに構ってはいられない。今日もハードスケジュールである。メインはミューザでの日フィルライブだが、その前に美術館を駆けずり回る予定になっている

 

 8時過ぎにホテルから出かけると、上野駅で朝食を摂ってから最初の目的地へと向かう。美術館ツアーの最初は定石通りの上野巡回。上野駅で美術館のチケットを入手、各館の開館時刻を計算した上で巡回ルートも決めている。ただまだ朝も比較的早いというのに既に上野は灼熱地獄となってきている。今日はかなりハードになりそうだ。

 最初は9時開館の科学博物館から。開館10分前に到着したら既に待ち客がいる。予想通りではあるが親子連れが多い。


「生命大躍進」国立科学博物館で10/4まで

 

 最近放送されたNHKスペシャルと連動した企画。脊椎動物が進化していった過程で鍵となった、目の獲得、胎盤の発生、知性の進化といったポイントに着目して生命進化の歴史をたどる。

 展示品は当然のように化石などが中心だが、復元模型の類いも多く、さらにはNHKのお約束としての映像展示が多い。最初は微生物から始まり、カンブリア大爆発を経て有名なアノマロカリスなどが登場、この際にDNAの4倍化や外部遺伝子を取り込んでメガ発生するという劇的な進化が起こっている。

左 アノマロカリス  中央 三葉虫  右 ウミサソリ

 一旦大絶滅を経た次の進化では生命はいよいよ海から陸へと上がっていく。両生類からは虫類などの誕生である。ここからさらに恐竜が誕生するが、本展ではそちらではなくてその合間で生き抜いていたほ乳類が主役である。これらのほ乳類はまたも原始細菌などに感染することで胎盤を生成する能力を獲得することになる。

左 海の中での壮絶な生存競争から  中央 陸上に上がるものが現れ  右 ついにはほ乳類が生まれる

 そして進化を遂げたほ乳類の中から原人が現れる。これらの原人は多様な分岐をしながら脳の容量を高めて、ついには文化を獲得するのである。

 そして人類誕生

 以上のようなおおまかな生命進化の歴史をザッと習うことが出来るという展示内容になっている。生命進化の通説も私が学校で習った頃などに比べるとかなり変化していることを痛感。大人にもお勉強になる内容である。


 博物館を出たときには外はさらに灼熱度が上がっている。風景がゆらゆらして見えるのが、陽炎が上っているのか私が目眩を起こしているのかが分からない。その中を次の目的地へと移動する。

 


「クレオパトラとエジプトの王妃展」東京国立博物館で9/23まで

  

 クレオパトラと銘打ってはいるが、実際はこれは客寄せのための表題のようなもので、内容的にはエジプトにおける王妃に着目してエジプト文明を紹介した展覧会。

 古代エジプトにおけるファラオは神であるが、同様に王妃も女神に擬せられる。そのような王妃をかたどった彫像や絵画などが展示のメイン。一方でエジプトの神々を紹介したりエジプトの神話世界を理解するための展示を行っている。

 ただ内容的にはどことなく中途半端感も強い。結構見応えのある展示品も多かったのだが、その割には展覧会全体での印象は薄い。


 建物を出た途端に失神しそうな暑さ。既に体力は限界に近くなってきている。灼熱地獄も体にキツイが、美術館巡りは意外と館内で歩くので、このダメージが徐々に効いてくるのである。かなり昔のガッテンでも、美術館見学のような「歩いては立ち止まって」を繰り返すのはただ歩き続けるよりもハードであると言っていたが、実にそれは私の実感とも合致している。なおこの時のテーマは「美術館の見学の仕方」というものだった。この時代のガッテンはテーマにもう少しバラエティがあったのだが、最近は料理と病気の二つだけになってしまって、番組の面白さが大分減退したような気がする。むしろテーマの多彩さという点では「目がテン」の方が面白さはある(もっとも内容はかなり胡散臭い時が多いが)。


「ボルドー展−美と陶酔の都へ−」国立西洋美術館で9/23まで

 

 フランスの古都・ボルドーについてその黎明期から現代に至るまでを紹介。

 とは言うものの、美術的見所としてはドラクロワの「ライオン狩り」ぐらいで、後はボルドーの成り立ちの歴史とか、交易で栄えた時代の文物とか、どことなく観光案内的で私としては今ひとつ関心を持てない内容が多かったのが事実。どうも都市の名前を冠した展覧会はこうなりがちのようだ。


 3カ所目の美術館から出てきた時にはもう既に本格的にへばってしまっていた。予定外だがぶんか亭で早めの昼食とクールダウンをすることにする。まだ11時過ぎと昼食には早めだが、もう少しするとあの店は急激に混雑するのがオチだから、早めにしといた方がよいだろう。注文したのはランチメニューの豚の生姜焼き丼とそばのセット、さらにクールダウンのためにアイスを注文。例によって面白味もおかしみもない可もなく不可もなくの内容である。

 燃料補給とクールダウンを済ませると店を後に。案の定、私が出る時には既に入場待ち客の列が出来ていた。この程度の店でも行列が出来るのが東京の恐ろしいところ。

 

 これから川崎ミューザへの移動となるのだが、ライブの開演まではまだ若干の時間がある。そこで途中でさらに一カ所立ち寄ることにする。目的地は東京駅からすぐ。と言うよりも東京駅の中。


「九谷焼の系譜と展開」東京ステーションギャラリーで9/6まで

 

 九谷焼と言えば鮮やかな色彩に斬新な表現のものが多いという印象だが、本展では江戸時代の古九谷から始まって、明治時代の輸出用の作品、さらには現代作家による作品まで多彩に展示している。

 古九谷は私が九谷と言った時にイメージする作品そのもの。緑と黄色の色彩が鮮やかな器である。その後、さらに色鮮やかさが増してきてとにかく派手な陶器というイメージになる。明治時代には盛んに輸出されたらしいが、これらの作品は超絶技巧を駆使した豪華なものが多い。ただデザイン的にはいささか派手さが癇に障る気もしたのだが、やはりその後の欧米の流行がゴテゴテしたアール・ヌーヴォーからシンプルなアール・デコに変化するにつれて段々と人気が落ちてきたらしい。

 現代の九谷になればもう過去の伝統からは大分離れた作品も多い。同時に実用性からも離れたようだ。ただデザインがいささかうるさめに感じられるところが、意外と九谷の伝統だったりする。


 そろそろ時間ギリギリだ。ミューザに向かうことにする。場所は昨日下調べしてあるのでスムーズに到着(そもそも方角さえ間違わなければ迷う余地もない場所だが)する。

 実は最初期の計画では今日はまる一日を美術館巡回に当てるつもりだった。ただよくよく考えていると、灼熱地獄の中をまる一日美術館のために駆けずり回るのは体力が続かないのではと思い至ったことから、予定を変更して昼はライブに参加することに決め、今日の日フィルのチケットを入手したのである。日フィルは以前に一度演奏会に参加しており、その時の日フィルの演奏は非常に冴えないという印象を抱いていたので、今回は日フィルはもうよいだろうと思っていた。しかしよくよく思い返すと前回の演奏会は西本智美指揮のもので、あれはオケが悪いのではなくて指揮者に問題があるのではという疑問に行き当たったので、一度確認をしておく必要があるだろうと考えたのである。今回は小林研一郎指揮とのことなので、好き嫌いはともかくとしてオケと指揮者の意志疎通には問題はないだろう(コバケンと日フィルのつきあいは長いと聞いている)。日フィルの真の実力は今回のライブで判断できるだろうと考えた次第。


日本フィルハーモニー交響楽団 世界音楽紀行B北欧ノルウェー〜フィンランド

 

指揮:小林研一郎

ピアノ:上原彩子

 

グリーグ:ピアノ協奏曲

シベリウス:交響曲第2番

 

 やはり弦の音がプロとアマでは全く違うと感じた。アンサンブルの精度は高いし、金管もシッカリしている。コバケンの指揮はかなり細かい指定が多そうだが、オケはその指示にしっかりとついて行っている。ここでやはり前回のライブは指揮者に問題があったのだということがハッキリと確定する。

 一曲目のピアノの上原彩子はかなり表情の豊かな演奏。おかげでグリーグがラフマニノフのように聞こえる。ただ私の好みから言えば、明らかに表情過多。グリーグはもっと北欧の厳しさをたたえた淡々としたぐらいの演奏でよいと考える。ただこの演奏が彼女の本来の演奏かどうかは若干疑問。どうもコバケンの演奏に合わせたようにも感じられた。

 二曲目はこれがコバケン節炸裂というものか。テンポ指定、強弱指定などがかなり芝居がかっている。よく言えば表情豊かな感情のこもった演奏だが、悪く言えば下品。感情の込め方が西洋音楽と言うよりは演歌である。これは好き嫌いが明らかに分かれそうだ。私の場合は嫌いとまでは言わないが、やはりやや胃がもたれるというところ。


 コバケンは爆演型と聞いていたが、どうやら爆演と言うよりも演歌というのが正解だったようだ。アンコールはユーモレスクでコンサートを終えたが、これも事前にかなり解説が付くというコバケンらしい展開。なお以前にコバケン指揮大フィルの演奏を聴いたときには今一つパッとしない印象だったが、あれは大フィルがコバケンの手兵ではないため、意志疎通が中途半端で指示が不徹底だったのではないかと思われる。

 

 休憩時間にホールのあちこちを偵察したが、それにしてもここはなかなか良いホールである。ただ三階席は怖くないが、さすがに四階席になると怖かった。なおこのホール、一つだけ難点は段差が多い上に構造が複雑だから高齢者に優しくないところ。実際に終演後に「ここのホールは何回来ても分からなくて迷う」とこぼしている高齢者を見かけた。チケットに入口ドア番号まで指定してある理由もよく分かる。

 

 さてコンサート終了後も予定は目白押しである。まずは渋谷に移動する。ここで展覧会午後の部である。

 


「エリック・サティとその時代展」BUNKAMURAで8/30まで

 作曲家であるサティが活躍したのは19世紀末から20世紀にかけて。多くの芸術家とも交流のあった彼の人脈を中心に、この時代のフランスの雰囲気を伝えようという展覧会のようである。

 ただこの手のテーマの展覧会となると、主題が曖昧になるのが常。本展でもこの時代のフランスに関係ある美術品をズラズラと並べているだけで、雰囲気は伝わっては来るのだがそこからもう一歩の踏み込みはない。おかげで展覧会自体の印象が極めて希薄。


 展覧会の見学を終えたが、疲労のせいでかなり見方が雑になってきているのを否定できない。予定ではこの後2箇所立ち寄るつもりだったが、果たしてこの状態で意味があるか。これは予定を組み直すべきではと考えたところで思い付いたことがあった。そう言えば東京芸術劇場で東大オケのコンサートがあったはずである。実は当初予定では今日は一日美術館にかけずり回ってから、その後に夜にこれを聴きに行くつもりであった。しかし諸々を考えていたら「どうせ聴きに行くならアマオケよりもプロオケの方が良かろう」と最終的にミューザの日フィルに行くことにしたのである。しかしここに至って、朦朧状態で美術館を回るよりは東大オケのライブの方がまだ良いとの結論に達した。

  

 会場の東京芸術劇場のある池袋へは渋谷からすぐ。東京芸術劇場は池袋駅のすぐ北隣にある。初めての池袋なので出口で迷って遠回りになったが、難なく到着できる。かなり大きな建物でコンサートホールは5階にある。当日券を購入すると二階席へ。このホールは三階席まであるかなり巨大なホールである。雰囲気としてはNHKホールに近い。ただNHKホールは残響が限りなく0に近いのに対し、ここのホールは残響はあるのだがそれにややクセがある。正直なところクラシック用ホールと言うよりも演劇ホールというのが本分のようである。


東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2015

 

指揮 三石精一

 

モーツァルト/歌劇『魔笛』序曲 

R.シュトラウス/交響詩『ドン・ファン』

ブラームス/交響曲第2番

 

 アマチュアにしてはよく練習して頑張っているというところか。管楽器がところどころヘロッたり、弦のアンサンブルがグチャッとなるのは仕方ないか。ただそれが致命的なレベルには達していないことを良しとするべきだろう。

 小編成の一曲目が終わってフル編成で二曲目が始まったときに驚いた。一体何人チェロがいるんだ? チェロの人数が10人を越えていてヴィオラよりも多い。またバイオリンが全部で30人以上いる。アマオケだから編成の少々の偏りは仕方ないが、これだとさすがに管がしんどいだろう。実際に全体のバランスはかなり微妙。そう言えば以前に東大オケのHPを見た時に管楽器奏者を募集していたが、それも納得。


 プロオケの演奏を聴いた後ではどうしても粗が目につくが、それでもまあ楽しめるなかなかに良いコンサートだった。それしても疲れた。とりあえず夕食をどこかで摂ってからホテルに戻ろうと考える。気分としては肉を食いたいが、その一方であまりコッテリしたものはしんどくもある。結局立ち寄ったのは東武百貨店の飲食店街の「青葉」。塩タンの定食を頂く。可もなく不可もなくというところか。それにしてもなぜか東京で牛タンを食べることが多い気がする。

  

 さすがに今日はハードすぎた。クタクタになってホテルに戻ったが何をする気力もないまま「ジュラシックパーク」の後半を見るでもなくボケーッと眺めているだけ。しかし気力を振り絞ってなんとか入浴を済ませると、そのままダウンしてしまったのである。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に起床するが体がグッタリと重い。今日は元気があれば幕張メッセの「メガ恐竜展」を訪問するつもりだったが、とてもそんな元気はなさそうだ。そこでメガ恐竜展は明日に時間の余裕があれば立ち寄ることにして、今日は残った美術館を掃討していくことにする。

 

 とりあえず遠い目的地から攻略していくのが正解だろうと、最初に向かったのは両国の江戸東京博物館。ここは駅からすぐのはずなのだが、なぜか微妙に遠く感じるのはなぜだろう。やはり建物が非常識に馬鹿デカイせいか。

 


「徳川の城〜天守と御殿」江戸東京博物館で9/27まで

 

 大阪の豊臣方との対立の関係もあり、安土桃山時代末から江戸時代初期にかけて多くの城が家康主導の天下普請で建設されている。これらの城郭の図面や復元図等を展示。

 豊臣時代の城郭は黒壁のものが一般的だったのだが、徳川氏は漆喰による白壁のものを中心にして時代を改めている。また権威を示すためもあって巨大な天守を建造した城郭も多い。

 展示内容は極めてマニアック。江戸城の復元CGなどは一般にも分かりやすいが、さすがに古図面を並べても相当のマニア以外はさして興味も湧かないのでは。私も一番興味がでたのは幕末の江戸城の写真。


 展覧会見学後は「茶ら良」で朝食に蒸し鶏とゴボウのうどんを頂く。奇妙なうどんではあるが悪くない。

 朝食を済ませて一息ついたところでまた東京に戻る。次の美術館はこれも駅から微妙な距離があるところ。ただ美術館的には本展が実はこの遠征の第一目的である。

 


「画鬼暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」三菱一号館美術館で9/6まで

 

 建築家として知られるジョサイア・コンドルだが、河鍋暁斎に弟子入りして日本画の制作も行っていたことが知られている。本展では暁斎の鯉の絵を元にした彼の作品があるが、そのタッチはなかなかにして立派なものである。ちなみに彼は暁英という雅号までもらっており、彼が暁斎について海外で紹介したことにより、暁斎は海外では北斎に並んで知られる画家にまでなった(その一方で日本ではほぼ忘れられていたのだが)。

 本展では暁斎の幅広い画業が紹介されているが、狩野派に学んだ伝統的な絵画から、山水画、さらに風刺画に有名な怪物画、さらには果ては春画まで、暁斎のとてつもなく幅広い画業を紹介している。ただいずれにも共通しているのは、とてつもない技量を持ちながらサラッと描いていることである。底が知れぬとはまさに彼のためにあるような言葉であり、今回も圧倒されっぱなしであった。

 巨大化け猫の絵


 それにしても暁斎の幅の広さを感じさせられた展覧会であった。このあまりの幅の広さが暁斎像を不鮮明にして、最近までしばし忘れられてしまう原因になったとの解説があったが、確かにその通りかも。私がこの画家に注目しだしたのもつい数年前からで、京都で大規模な暁斎展があったのはその後である。ようやく時代が私に追いついてきた・・・なんていうご大層なものではないが。

 

 三菱一号館の次は新橋に移動。ここも駅から決して遠くはないのだが、疲れ切っている時には結構嫌な距離がある。

 


「アール・ヌーヴォーのガラス展」パナソニック汐留ミュージアムで9/6まで

 

 この手のガラス展となれば、大抵はガレから始まり、ラリックへとつながっていくというのがパターンであるが、本展ではまずガレ以前から始まってガレへとつながり、ガレの同時代の別の工房の作品などを紹介し、ドーム兄弟周辺につながって終わっている。つまりはアール・ヌーヴォーからアール・デコにつながる流れでなく、表題通りのアール・ヌーヴォーに限った作品の展示となっている。

 植物などをモチーフとしたアール・ヌーヴォーは、装飾的でありゴテゴテしている。本展の展示品もそういった過剰装飾気味の作品が多数である。中には華麗を通り越して悪趣味の一歩手前のものもある。私はガレは嫌いではないのだが、さすがにこの手の作品が大量に集まるといささか胃にもたれる感がある。


 新橋に戻ると東海道線で川崎を通り越して横浜まで移動する。今日は横浜の美術館にも用事がある。みなとみらい駅に到着するとなぜか巨大ピカチューがお出迎え。最近は妖怪ウォッチに押されて存在感が薄くなっていたピカチューだが、まだまだ現役アピールか。


「蔡國強展:帰去来」横浜美術館で10/18まで

 

 中国出身の現代アートの旗手の一人、蔡國強の展覧会。彼は中国の文化・歴史などを背景にして作品を作っているとのことなのだが、私が個人的に最も中国的だと感じたのは彼がやたらに火薬が好きなところである。本展では館内のホールに彼が火薬を使って描いた大作が掲げられている。

 自然などをモチーフにした彼の作品は理解の範疇を超えるというものではなく、その感性については納得できる部分もある。もっともそれが作品として面白いか言えば別になる。

 なお大作が多いために館内に展示されているのは数点。おかげで10数分でサクッと見学を終えてしまった。そういう意味ではCPの悪い展覧会ではある。


 これでとりあえず美術館午前の部は終了。ライブまでにとりあえず昼食を摂っておきたいところ。時間に余裕があれば横浜中華街にでもと思っていたのだが、残念ながらそこまでの時間はない。この周辺で食べるにしてもあまり良い店を知らない。そこでいっそのこと川崎まで行ってから考えるとことにする。

 

 確かホールの一階に飲食店があったはずだとのぞいてみたが、あるのはサイゼリアにリンガーハット、スシローに牛角と言った入る気の起きないチェーン店ばかり。サイゼリアに行列が出来ているという末世的状況である。そこでホールの建物から離れてラゾーナ川崎をのぞくことにする。4階の飲食店街に行くがどこも一杯の上に暑さにあたられたのか食べるものを考えるのが面倒臭い。そこでたまたま待ち客がいなかった「かつくら」に入店。とんかつ定食を頂くことにする。そう言えば以前に横浜に来た時もかつくらに入ったような。なんでわざわざ関東で京都のとんかつ屋に入る羽目になるんだろう。

 

 昼食を終えるとホールに移動する。今日は東京シティフィルによる真夏の第九である。


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 真夏はベートーヴェンの第九で乗り切ろう!

 

指揮:高関健

ソプラノ:市原愛

メゾ・ソプラノ:林美智子

テノール:錦織健

バリトン:堀内康雄

合唱:東京シティ・フィル・コーア

 

ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」

 

 東京シティフィルについては、正直なところあまり上手くはないという印象を受けた。管があからさまに非力であるし、弦についてもアンサンブルにややグダグタしたところがある。そのために一曲目は少々グチャグチャして聞こえたし、第九の場合は緊張感が最高値にはならない。

 ただ合唱団に関しては熱演と言って問題ないだろうと思う。最終楽章はその合唱団に引っ張られる形でオケの方のテンションもあがってきて、最終的には大団円となっていた。


 合唱団の熱演については私以外にも同じことを感じた者がいたのか、終演後に合唱団が引き上げに入った途端、帰りかけていた足を止めて拍手を始める者が多数いた。その拍手は合唱団が完全に引き上げるまで続いたのである。

 

 今回聴いた限りではシティフィルの実力は在京オケでは二流かなという印象。一流がN響、都響、読響辺りとしたら、一流半が日フィル、新日フィル、神奈川フィルというところかというのが大体の私のイメージだが、この中には一回しか聴いたことのないオケも多いので断定的なことを言える立場ではない。ただ悲しいことであるが、在京オケの方が在阪オケよりも平均レベルが高いのは間違いなさそうだ。

 

 ライブを終えると美術館午後の部に入る。と言っても後は立ち寄るのは一カ所のみ。ただここはあまり行きやすいところではない。


「鈴木理策写真展 意識の流れ」東京オペラシティ・アートギャラリーで9/23まで

 

 海の風景など、水にまつわる作品が多かったようである。面白かったのは一つの風景をピントを変えながら遠景から近景まで切り替える動画作品。多層的な対象物が、見るという行為によって変化することが感じられる。


 これで今日の予定は終了。もう大分フラフラしている。とりあえずホテルに戻る前に神楽坂の紀の膳によって宇治金時でドーピング。ああ、小豆が美味い。

 夕食は考えるのも面倒臭いので、南千住まで戻ると駅前の「さかなや道場」で済ませる。何だかんだと注文してガツガツ食べていたら3000円を超えてしまった。使いすぎ・・・。

 ホテル戻ると何とか入浴と洗濯を済ませるが、その段階で完全にダウンしてしまって、そのまま意識を失う。この日は9時過ぎ頃には就寝したことになる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝、7時半に目覚ましが鳴るが、完全にグッタリしてしまっていて体が動かない。今日の予定は一つだけ残っている「メガ恐竜展」に立ち寄るというもの。ただ幕張メッセは遠い上に日曜日は混雑が予想される。だから開場直後の9時半に会場に到着するつもりだったのだが、今の調子ではとてもそれに間に合うように起き上がれそうにない。結局はグダグダと1時間程度費やしてからようやく起き上がると、さっさと荷物をまとめてホテルをチェックアウトする。

 

 何だかんだで海浜幕張駅に到着したのは10時過ぎになってしまった。しかし到着した海浜幕張駅は降車客でごった返していてホームをまともに歩けない状態。この連中がこのまま全員恐竜展に行かないことを祈りつつ会場へ。もしこの連中がこのまま全員恐竜展に直行なら、場合によっては会場前でUターンも考えている。

 海浜幕張ではこの状況

 この日の幕張メッセは他のイベントなどもあったようで、幸いにして会場に近づくにつれて人の塊は段々とほぐれ、恐竜展は会場内はごった返しているようだが、特に待ち時間もなくスムーズに入場できる。

 会場前ではこんな感じだった


「メガ恐竜展」幕張メッセ国際展示場11ホールで8/30まで

 恐竜展は毎年のようにあるが、本展のメインとなるのは「恐竜はどうして巨大化することができたか」というテーマである。本展では巨大化の鍵として、効率的に餌を採取することが出来る長い首を得たことと、鳥などにも通じる気嚢を有する効率的な呼吸器を上げている。恐竜の次に隆盛したほ乳類は、気嚢を有していなかったことと、首を長くすることが頭が大きすぎて不可能だったために巨大化は出来ず、唯一長い首の代わりに長い鼻を持つことが出来た象の仲間が比較的大型化できただけだとしている。

 本展ではそのテーマから、大型恐竜の骨格標本や復元模型が展示の中心であって、その点では非常に迫力がある(迫力がありすぎて入口で怖がって泣いている子供もいたが)。一方で最新の恐竜研究の情報が紹介されているので、大人も最新の情報を得ることに役に立つ。改めてこういうのに参加すると、昔学校で習った常識が今ではかなり変化していることも分かるので、知識は常にアップデートの必要があることを痛感する次第。


 恐竜展は毎年のようにあるので今回はパスでも良いかなという気もあったのだが、来たら来でそれなりには楽しめる内容であった。2000円という入場料は「高いな」というのが本音だが、少なくともわざわざ幕張まで出張ってきたのを後悔するような内容ではなかった。

 

 会場を後にした時にはそろそろ昼時前なので昼食を摂る店を探す。が、例によって非常に面倒臭い気持ちがこみ上げてきたので、結局立ち寄ったのは駅前の商業ビルの4階にあった「にぎり屋藤次」に入店。ランチメニューの海鮮丼(900円+税)を注文。

  

 お香々やかまぼこまで盛りつけてあったりなど、ネタにやや寂しさがないでもないが、価格を考えるとまあ妥当なところか。寿司自体の味は悪くない。場所柄を考えると上々か。

 

 昼食を終えると川崎まで移動する。開演時間は3時からで開場時間は2時からなのだが、川崎に到着したのは1時頃。どこかで時間をつぶすかと考えた時、面倒臭くなってきたので結局はサイゼリアに入店。うーん、昨日ここに行列が出来ていたのは、時間をつぶすための店として最適なのがここしかないという事情もあったのではということに思い当たる。結局はドリンクバーを頂きながら、いかにも冷凍をチンしたというようなパスタをつついて時間をつぶし、開演40分前ぐらいに会場に入場する。


東京交響楽団フィナーレコンサート

 

指揮:秋山和慶

ソプラノ:天羽明恵

メゾ・ソプラノ:竹本節子

合唱:東響コーラス

 

マーラー:交響曲第2番「復活」

 

 かなりの大規模編成になっているので、メンバーが純然たる東京交響楽団員ばかりではないのではないかという気はするが、とにかくアンサンブルの精度は高いし、ソロ楽器も安定しておりなかなかの演奏だ。また秋山の指揮も演出効果を最大限考えてあり、かなり華々しいものになっている。助っ人を頼んで大幅強化したと思われる金管軍団が大活躍している。

 それにしても贅沢な曲だ。通常よりも遙かに巨大なオケを揃えた上で、混声合唱にソロが二人、さらにはクライマックスだけのためにパイプオルガンまで用意というのだからCPを考えるとかなりとんでもない。ただそれだけの効果は上がっており、ラストなどまさに天に届くかと言うほどの大スペクタクルとなっていて、音楽祭のフィナーレを飾るにふさわしい内容であった。私も終始圧倒されたというのが正直なところ。


 非常に充実したすばらしい公演だったがあまりに特殊な状況なので、東京交響楽団の実力を測るにはもう少し「普通の」公演を聴く必要があるだろう。もっとも今回あれだけの演奏をしたオケが下手であることはまずないだろうが。

 

 四泊四日といった遠征だったが、その間にライブを5つ、展覧会を13カ所とまさにかけずり回った遠征であった。灼熱下の移動も多く、体には非常にきつくて、実際に途中ではバテバテになってしまった。こういう無茶な遠征はすべきではないなと思いつつ、その一方でこういう遠征の方が強烈な充実感を感じてしまうというのも私の性。よく「まるで仕事のように遊ぶ」と言われる所以である。どうも私はビジネス以外の点では猛烈ジャパニーズビジネスマンのようである。これが本業の仕事の方に発揮されていれば、今頃は・・・。

 

 

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