展覧会遠征 滋賀・奈良編

 

 この週末は琵琶湖方面に繰り出すことにした。目的は佐川美術館で開催される「織部展」。これにこの地域で未訪問のまま残っている水口城の視察を絡めることにした。と言ってもこれだけだとわざわざ三連休に実行するまでもないこと。どうせだから奈良まで長駆して、奈良地区の未訪問城郭の見学まで引っ付けてプランができあがった。

 

 さて出発は金曜の夕方。仕事を早めに終えると、渋滞を警戒しつつ高速を突っ走る。なお当初プランでは今日は瀬田近辺の安宿に宿泊するつもりだったのだが、じゃらんが例の地域振興がらみの宿泊補助券をばらまいていたので、それならいっそのことそれを使って豪華に宿泊しようとプランを切り替えることにした。安倍内閣の人気取り税金バラマキに乗っかろうということである。奴らは税金を勝手に懐に入れておいしい思いばかりしているのだから、私も税金を使ったところでバチも当たるまい。そう言えば自民党とのパイプを散々悪用していた堤義明は、常々「税金は払うものではなくて使わせるものだ」と言っていたとか。

 

 この界隈で温泉はということで、結局はおごと温泉でホテルを変えて二泊することに相成った。初日の宿泊ホテルは、つい先月にも宿泊した雄山荘。別にこのホテルが気に入ったからというわけでもなく(かと言って悪いホテルではない)、チケット対象ホテルで今日空いていたのがここしかなかったため。なお前回の宿泊では貧乏シングルだったが、今回は露天風呂付きの豪華客室のシングルプランである。建物は「エグゼクティブ山野草」と書いてある。エグゼクティブとはプロレタリアートの私には非常に不似合いな言葉である。なお昔からこう呼ばれる輩にろくな輩はいないのは私の経験則。

 

 部屋はやや古さを感じるが非常に豪華。そして小さいながらも露天風呂付き。正規の料金だったら永久に泊まることはないだろうという部屋である(実のところは半額でも私にとっては思い切った出費だ)。部屋に入ると夕食前にとりあえず入浴。

  

 一人用の浴槽におごと温泉のヌルヌルした湯をタップリと注ぎ込む。実に快適である。大浴場も嫌いではないが、やはりこういう自分のテンポで好きに入浴できる風呂はくつろげる。

 

 入浴して一息付くと夕食へ。夕食は前回の時と同じレストランである。メニューは前回とは全く違う内容だが、あちこちに松茸が入っているのは相変わらず。

 夕食を終えると部屋に戻って再び入浴してマッタリ。8時から民話のアニメの放映があるというのでホールへ。お題は3つ。弁天様とナマズの話に豆ダヌキの話、そして鼻が伸びる太鼓の話だが、最後の話はどこかで聴いた記憶がある。まんが日本昔話あたりでネタになっていたのでは。

 

 夜も更けてくると小腹が空いてきたのでルームサービスで鴨南蛮を注文する。かなり割高ではあるが細かいことにはこだわらないことにする。数分後に配達されてきたそばは、鴨南蛮と言うよりは鴨ローストそばと言う方が正解。そばは普通なのだが、鴨ローストがジューシィーでやけにうまい。

 

 小腹を満たしたところでもう一度入浴するとこの日は就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半頃に目が覚める。目覚ましは1時間後にセットしてあったのに、悲しいサラリーマンの習性である。

 

 朝風呂で目を覚ますとレストランで和食の朝食。これがまた体に染みる。チェックアウトしたのは10時前。

 

 最初の目的地は琵琶湖大橋を渡ったすぐのところにある美術館。久しぶりの訪問である。とりあえずこれが本遠征の主目的ということになる。

 


「没後400年 古田織部展」佐川美術館で11/23まで

 

 「へうげもの」の主人公として描かれたことで最近になってにわかに脚光を浴びることとなった安土桃山時代の茶の湯名人・古田織部の展覧会。

 織部の最大の特徴は、佗茶を極めた利休の弟子でありながら、利休とは対照的な華やかでアバンギャルドな独自な美を編み出したことである。彼の美意識は時代に大きな影響を与えたが、今日的な視点で見てもかなり斬新で前衛的なものである。その背景には安土桃山時代の自由で闊達な空気が反映しているようである。

 しかしその織部も豊臣氏滅亡後に反逆の疑いをかけられて切腹させられる。その背景には茶の湯の世界を通して大名にも大きな影響力を持つことになった織部に対する、家康の警戒心があったという。織部の死と共に、世の中は安定してはいるが息苦しくて野暮ったい江戸時代に突入するのである。

 本展では織部ゆかりの作品ばかりでなく、同時代の文物を併せて展示し、この時代の空気を伝えようとしている。そのことによって、織部の美意識というのは確かにかなり特異なものではあるが、背景には派手好みの秀吉や信長の南蛮趣味など、この時代を通した共通の空気というものが流れていることを感じさせるのである。

 個人的には織部の独特の色使いの器が目を惹く。織部の独創性は時代を下るにつれて暴走しており、茶入れの形態にしても段々と奇妙なものになってきたり、とにかく規格外のとんでもないものが現れるところが非常に面白い。


 

 「へうげもの」の作者は、当初は千利休を主人公にした作品を描くつもりで資料を集めたが、その内に古田織部という人物に興味を持つようになり、ついにはそちらを主人公にしたと言っていた。確かに知れば知るほど奇妙で大胆な興味深い人物である。こんな昔にこういう桁違いの人物がいたということが非常に面白い。彼の器などは、現代アートの作品だと言って展示しても違和感がないぐらいである。そういう点で時代を超えていた人物と言えるが、だからこそ時代の中で抹殺されることになってしまったのだろう。

 

 これで本遠征の最大の目的は終了だが、これ以外にもさらにまだ他の目的もある。美術館の見学を終えると次は水口まで長駆する。目的地は「水口岡山城」。平城の水口城の方は以前に見学しているが、こちらは山城の方。水口宿を見下ろす山上に築かれた山城である。築城は1585年に羽柴秀吉の家臣・中村一氏により、その後は五奉行の増田長盛、長塚正家などが城主となるが、関ヶ原の合戦後に西軍の正家が自刃し、水口が徳川家康の直轄支配下になったことで廃城となったという。その後、この山は水口藩の御用林として立ち入りが禁止されたため、城跡が良好な状態で保存されることになったらしい。

 

 途中の回転寿司屋で昼食を摂りつつ水口へと走る。やがて前方に小高い山が見えてくるが、それが水口岡山城のようだ。想像していたよりも高い山である。

 

 ようやく現地に到着したものの車を置く場所が見つからなくて山の周りを一周することに。山の北側に「駐車場→」という小さい看板を見つけて狭い山道に入り込んだものの、そこは給水施設のところで行き止まりで、車を置いておくスペースはほとんどない上に既に先客がいる。やむなく必死でUターンしてまたエッチラオッチラと降りてくる羽目に。結局は散々ウロウロした挙げ句にようやく北西部に観光用駐車場を発見して車を置く。

  現地配付資料より

 ここからは歩いて登ることになる。明らかに車が入れる道があるのだが、車止めがされてあって立ち入り禁止になっている。恐らく整備用の軽トラなどは入り込むのだろう。この道の上がった先は曲輪跡で今では公園になっている。なお徒歩の場合はショートカットコースがあるので私はそちらを利用。

登り口から進んでいくと、公園になっている曲輪に到着する。

 ここからさらに先の稲荷神社の辺りまでは軽トラなどが入れるようだが、私はそちらには向かわずに忠魂碑の所から山道を伝って直接に西の丸に登る。

左 山道を登っていく  中央 随所に曲輪跡がある  右 この上が西の丸

 西の丸には10分もかからずに到着する。なかなか見晴らしの良い高台であり、なんちゃって城壁なんかも設置されている。また東の方には堀切を隔ててさらに一段高い位置の山頂に本丸がある。

左 西の丸風景  中央 市街地を見下ろせる  右 この奥が本丸のある山頂
 

 本丸に上がる前に本丸の北側にある石垣を見に行く。なかなかに立派な石垣が残っている。なお以前はここを通り抜けできたようだが、今は崩落があったのか通行不可になっている。

本丸手前の竪堀跡を回り込むと石垣にたどり着く

 石垣を見学すると本丸に登る。本丸は手前に櫓台があり、奥に長いかなり広いスペース。この大規模な城郭にふさわしい広さがある。南側が大手口らしく、そこでは何やら発掘作業中である。また東の端にも櫓台があり、この東西どちらかの櫓台に天守があったと推定されているとか。

左 本丸  中央 西櫓台  右 見晴らしが良い

左 本丸は奥に深い  中央 大手口は発掘作業中  右 東櫓台も発掘作業中

 本丸の東側にはかなり広い空堀があり、その先が二の丸である。二の丸は今はあまり訪れる人がいないのかかなり藪化している。二の丸から数メートル幅の堀切を隔てた先が三の丸。どうもかつてはこの間に吊り橋を架けていたようだが、今では柱の痕跡しか残っていない。なお往時にもこの両曲輪は吊り橋でつながっていただろうと推測する。

左 本丸と二の丸の間の竪堀  中央 二の丸に向かう  右 二の丸

左 かなり荒れている  中央 奥に見えるのが三の丸  右 吊り橋が架かっていたようだ

 三の丸は二の丸以上に藪化が進んでおり、永らく人が踏み込んだ気配がない。三の丸の東端からはかなり下の方に大きな曲輪が見える。とにかくこの城は大きな曲輪が多く、総曲輪面積を考えるとかなりの兵力を駐屯させられたと推測できる。

左 三の丸への道は既に藪化  中央 二の丸との間の竪堀  右 三の丸

左・中央 藪化がかなりひどい  右 三の丸奥のかなり下に大きな曲輪が

 この地は東海道を押さえる要衝であり、また甲賀地域に打ち込んだ楔でもあるだけに秀吉も重視していたのだろう。かなり大規模な城郭であることが覗えた。山上の本丸に石垣を採用していたのは見るものに与える心理効果も計算してのものと考えられる。かなり見応えもあり状態も良い城郭だけに、これは続100名城Aクラスである。

 

 水口岡山城の見学の後は「水口城」の方に移る。こちらは家光が京都に上洛する際に宿舎として建設させた平城である。建築には小堀遠州関与したとのこと。現在は櫓などが復元されている。

水口城

 立派な堀と石垣が見栄えがするのだが、残念ながら内部は高校のグランドである。とりあえず復元櫓を見学すると、その足でそのまま旧東海道を散策して水口宿の町並み見学を行う。

 

 しかしこれは結果から言うと失敗であった。水口城があるのは水口宿の西端になり、現在古い町並みが残存しているのは一番の東端。その間は単に普通の町が続くだけ。結局は延々と町中を片道で30分ぐらい歩く羽目になる。山道を歩いた挙げ句のこの距離はキツい。また古い町並みが残っていると言ってもそれはあくまで数軒レベル。本陣跡などはもう看板が立っているだけ。水口自体は旧宿場町としての観光を考えているようで、街角にからくり時計なども設置してあるのだが、肝心の町並み保存の方がいかにも中途半端で今ひとつ見所に欠けるというのが本音。

水口宿のメインステージは水口岡山城を見上げる東端部

 正直なところタクシーに乗って帰りたい気分だったが、こんなところを流しのタクシーが走っているはずもなく、やむなく再び30分をかけてトボトボと駐車場まで戻る羽目に。もう完全に疲れ切ってしまった。

 

 これで今日の予定は終了。おごと温泉に戻ることにする。途中で渋滞に出くわして時間を浪費したりしたが、再び琵琶湖大橋を渡って1時間ちょっとのドライブ。今日の宿泊ホテルは湖岸にある「ことゆう」。日帰り入浴施設の「あがりゃんせ」に隣接した宿泊施設である。

 

 「ことゆう」にも内風呂があるらしいが、「あがりゃんせ」が自由に使えるとのことなので、向こうが営業中はあえて内風呂を使う理由はない。なお部屋はツインの無駄に広い豪華なもの。何となく神戸の万葉倶楽部を連想する。

 

 チェックインするとすぐに夕食にする。夕食はレストランで会席料理。日帰り入浴施設の宿ということで正直なところあまり期待していなかったのだが、案に反して意外と料理が手が込んでいて美味い。しっかりと夕食を堪能した。

 

 夕食を終えると隣の「あがりゃんせ」に入浴に行く。宿からは渡り廊下でスリッパで行けるようになっている。こちらはかなり充実した日帰り施設で、浴場も二種の源泉(単純アルカリ泉とアルカリの炭酸塩泉)に人工炭酸泉など多彩。湯もおごと温泉の良質なものである。またレストランもあるのでここで食事をすることも出来たようだ。会席料理がいらないなら、朝食のみのプランにしてもっと安くあげることも可能ということか。

 

 入浴後は休憩コーナーでコミックを読んで過ごす。以前に途中まで買ったが展開が遅くなって面倒臭くなって放っていた「ジパング」があったので、これを最後まで読破。しかし結局何が言いたかったんだ?この話。これだと単なる戦国自衛隊の亜流じゃないか。戦国自衛隊に紺碧の艦隊辺りを中途半端に突き混ぜた話で終わってしまった。もっと短くまとめた方が良かったのに、大和が出てきてから引っ張りすぎ。「沈黙の艦隊」でも同じ傾向があったが、広げすぎた大風呂敷を片付け損ねた印象。だから読後感が良くない。

 

 コミックを読み終えた頃には10時前になっていた。宿に戻って寝ることにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝の起床は7時過ぎ。とりあえず朝風呂で目を覚ます。朝は「あがりゃんせ」は開いていないので、ホテルの方の内風呂で入浴。二、三人用程度の小さな風呂だが、湯はかなりヌルヌルとした良質なものである。入浴者が少ない分、むしろこちらの方が湯に力がある。

 

 入浴を終えるとレストランで朝食。バイキング形式で品数は多いと言うほどではないが、手が入っているものが多くてうまい。

 

 朝食を終えるとチェックアウトまで部屋で時間をつぶす。テレビをつけたら仮面ライダーをやっているが、仮面ライダーゴースト? 仮面ドライバーの次は仮面ライダー妖怪ウォッチか。ネタ切れも甚だしい気がする。

 

 チェックアウトしたのは10時前。今日は大阪でのコンサートに参加するだけなので時間に余裕があるのでゆっくりした出発である。「あがりゃんせ」の当日券をもらえるが、さすがに余裕があるといってもそこまでゆっくりもしていられないだろう。とりあえず大阪に向かうことにする。

 

 大阪に到着したのは11時過ぎ。三連休も中日だったからか、思いの外スムーズに到着した。開演は14時で、開場は13時である。これは「あがりゃんせ」で一風呂浴びるぐらいの時間は十分にあったか・・・。

 

 とりあえず昼食を摂ることにする。立ち寄ったのはいつもの「イレブン」。今回は「ビーフカツのセット(1650円)」を注文。価格はタンシチューよりも安いのだが、どうもボリュームに欠ける。やはりカツはこの1.5倍は欲しい。味は良いんだが。

   

 まだまだ時間に余裕があるので、福島界隈を散策。この界隈は飲食店には事欠かないが、残念ながらネカフェなどの時間をつぶす施設がない。一人カラオケをする趣味はないし・・・。途中で見かけた「鳴門鯛焼本舗」の鯛焼きなどを頂きながらプラプラするが、結局はやることもなしで、最後はホール前の公園のベンチで開場時刻までしばしボンヤリと過ごすことに・・・最近このパターンばかりだ。

   


京都市交響楽団 大阪特別公演

 

[指揮]広上淳一

[ヴァイオリン]松田理奈

[管弦楽]京都市交響楽団

 

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77

シューベルト:交響曲 第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレイト」 D.944

 

 相変わらず京都市響の演奏は安定しているのだが、響きの少ない京都コンサートホールに慣れすぎているせいか、ザ・シンフォニーホールでの演奏では管楽器がややうるさめに聞こえる場面もあった。

 広上の指揮は適度にメリハリを付けたもので、下手に演奏すると長大なダラダラした曲になりかねないグレイトをうまくまとめていたように思われる。松田里奈のバイオリンについては取り立てて印象に残るものはなし。

 総評としては無難な名演というところで特に難癖を付けるようなところはないのであるが、かといって心に残る名演という感じでもないやや中途半端さはあった。


 

 何やら広上淳一のクネクネした指揮が冴え渡っていたが、先週の京都での井上道義に続いてタコ踊り第二弾である。

 

 コンサートを終えると今日の宿泊ホテルまでの移動。今日宿泊するのはスーパーホテル大和郡山。阪神高速から第二阪奈に乗り継ぐと、生駒山を長いトンネルで抜けて奈良へ。後は南下である。こうして走ってみると奈良は大阪の近郊だと感じられる。同じ奈良県といっても北部の奈良市や大和郡山市と南部の吉野は完全に別世界である。

 

 ホテルにチェックインして荷物を置くと、すぐに夕食のために外出する。しかしホテル周辺は飲食店は皆無。ネットで調べたところ、一番多くの飲食店などがあるのは近くのイオンモール大和郡山内部。やむなく渋滞の奈良バイパスを北上することに。

 

 イオンモールは馬鹿混みである。田舎になるほど「休日はイオンぐらいしか行くところがない」ということが起こりがちであるが、ここ奈良でも似たようなものらしい。プラプラとレストラン街を物色するが、めぼしい店には大行列が出来ている。テナントの構成は私の見慣れたイオンなどと違い、結構地域色があるようである。印象としてはビュッフェ形式の店が多い。奈良県民は食べ放題が好きなんだろうか? 店を吟味するのも面倒になってきたので、まだ行列が出来ていなかった「フジオ軒」に入店する。

 

 注文したのは「ポークカツとエビフライのセット(1598円税込)」。カツ自体はファミレスに毛が生えたぐらいのレベルであるが、この価格でサラダバー、スープバー、デザートバーがついてくるのだからまあ良しか。スープバーはバリエーションもなく今ひとつだが、サラダバーはポテトサラダが意外に美味く、デザートバーもプリンが私の好みだった。

 

 夕食を終えるとホテルに戻って入浴。ここは地下800メートルから掘りだしたという天然温泉の大浴場を持っている。泉質はナトリウム−塩化物泉。恐らく古代海水だろう。特別なところのある湯ではないが、大浴場はありがたい。

 

 入浴を終えて帰ってくるとかなりの疲労が襲ってくる。この原稿でも入力しようと思っていたが、疲労が濃すぎて考えがまとまらない。諦めて早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半前に自動的に目が覚める。どうもサラリーマンの習性が身に染みついているようだ。シャワーを浴びて身支度すると朝食に行くが、もう既にほとんどの品がなくなっていて、スーパーホテルの簡易朝食が簡易を通り越して粗食になってしまっている。元よりスーパーホテルに朝食は期待していなかったが、それにしてもこれはあまりにお粗末すぎる。やはりこのホテルはルートインよりも一段劣る。

  粗末に過ぎる朝食

 朝食を終えるとチェックアウト。と言ってもこのホテルは何の手続きもないので勝手に出て行くだけである。今日の予定だが奈良地区の未訪問城郭を巡るつもり。まず最初は「椿尾上城」。筒井氏の城郭だったようだが、築城年代などは明らかではないらしい。ただし大規模な城郭であり、信貴山城、龍王山城と共に大和三大中世山城と言われているとか。ただ場所は名阪国道のΩループの上ぐらいということは知っているが、現地には案内看板もないとの話なので、出たとこ勝負に近い。

  出展 余湖くんのホームページ

 名阪国道を五ヶ谷ICで降りると、そこから路地沿いに北上する。Ωループの北にある城山と表示されているところが目的地で、これはグーグルマップにも掲載されている。集落を抜けて舗装された山道を走っていくと、この道路は唐突に終わっていて横に舗装された林道があるので、ここから車を置いて歩いて行くことになる。

左 名阪国道を五ヶ谷で降りて  中央・右 狭い道を北上する

左 集落を抜けて  中央 名阪国道のΩループをくぐると  右 比較的広い山道に出る

 この山道の行き止まりから左の林道を進んでいく

 道はあるのだが、難儀なのは何カ所か分岐があって道を迷わせる仕掛けがあることだ。私が認識した分岐は4カ所で、これを左右左右と行くのが正解(昔のゲームの裏コマンドのようだ)。基本的に登っている道を進めば良い。最後の分岐を登った道には車止めのためか鎖が張ってあるので、これをくぐって少し歩くとすぐに城内にたどり着く。

左 左に進む  中央 右に進む  右 左に進む

左 右を登る  中央 鎖が張ってある  右 すぐに城内に到着する

 内部は鬱蒼とした森林で「昼なお暗い」という状況である。薄暗い上に樹木が多すぎるせいで全体の構造を把握しにくいが、大規模な複数の曲輪からなる城郭であることは把握できる。

左 数段の曲輪がある  中央 曲輪はまだまだ先に続く  右 部分的に石垣も残っている

 土塁を巡らせた大きな曲輪が2つあり、一方には見張り台のような高所がある。ここに立って見渡すと、城はかなり先まで続いているらしきことが分かる。ただあまりにも薄暗い。少し太陽に雲がかかると真っ暗になって不気味なぐらい。その中を単独行で探査するのは孤独感が半端でない。

左 見張り台のような高所  中央 裏手はかなり急  右 土塁を巡らせてある

 本丸に当たるのは裏手の山頂らしい。ここはあまり人が立ち入らないのか鬱蒼としていて道が消えかけている。そこを意を決して進んでいくと、一番奥に土塁に囲まれた曲輪があり、そこには神社が建っている。ここが主郭だろう。なおこの主郭の手前にも同規模程度の曲輪があり、その先には大きな堀切が切られている。

   

鬱蒼とした主郭には祠が建っている

 なかなかの規模の城郭であり、続100名城Bクラス相当というところか。ただ惜しむらくは全く何の案内看板等もなく、素人が入り込んでも全貌を把握しにくいことである。私も余湖氏の縄張り図と首っ引きでようやく自分がいる位置が把握できた状態。せめて本丸の表示ぐらいは欲しいところだが、地元では史跡として扱われていないのだろうか? それともここは林業用の山のようだから(やけに細い木が密集しているのが気になるが、明らかに下枝は払われている)、所有者の意向か? まあ山の所有者にしたら、観光客がドカドカ入ってきても山が荒れるだけで何のメリットもないが。

 

 椿尾上城を後にすると次の目的地は「龍王山城」である。ここは天理ダムの南の山中にあり、北城と南城の二つに分かれているという。龍王山は県道247号の西にあり、カーナビによると藤井町からアクセスできそうだったのでそちらに向かったが、結果としてこれはハズレ。途中で集落の中の道とも呼べそうにない道に誘い込まれてしまい、これ以上進んだら私のノートでさえ脱輪転落は確実という状態に追い込まれてしまう。道が狭すぎるせいで私の運転の腕ではとてもバック走行では戻れそうになく、近くの民家の空いていた駐車場を借りて這々の体でUターンする始末。正直なところこれはかなり恐かった。

  とんでもない道路に誘導される

 正解は県道247号のもっと北のところに龍王山へ向かう分岐があった。最初に来た時にはこの標識を見落としたのである。ここからは幅は狭いが舗装された山道がずっと続いている。路面は結構荒れているが、先ほどの道と違って対向車が来ない限りは走行には不安はない道だ。もし対向車が来た場合は・・・その時は天を仰いで神に祈ろう。

左 ここから入るのが正解  中央 かなり狭い道だ  右 駐車場がある
 

 しばしこの山道を進むと公園のような場所に出て駐車場まである。ここに車を置くと近くには案内看板まで立っている。また結構ハイキング客がウロウロしており、先ほどの椿尾上城と違って人の気配がかなりある。

 

 まずは龍王山北城から見学に向かう。近くに「→北城本丸」との看板が出ているのでそこから登る。登り始めるとすぐに南虎口に到着する。ここは土塁で何重にも通路を遮っているところのようだ。今日では一部の土塁は消失しているが、それでも往時の構造は覗える。

左 入口から登っていく  中央 南虎口  右 本丸の下に出る
 

 そこを抜けると本丸の下に出る。本丸の脇には辰巳の櫓もあるが、ここは登ってみても鬱蒼としている。

左 本丸周囲の堀  中央 鬱蒼とした辰巳の櫓上  右 下の方にも曲輪が見える
 

 半分朽ちた梯子を気をつけながら急斜面を登ると本丸に出る。本丸はかなりの規模である。ここは下草も刈られて整備されている。

 

本丸

 本丸から再び登り口まで戻ってくると、今度は看板のあったところの道沿いに奥に進んでみる。ここは太鼓の丸の南を抜けて時の丸にまで出ることが出来る。そこから進むと案内図には名前のなかった大きな曲輪に出るが、その先は下草が多い上に崖などで単独行では進むのが躊躇われる。案内図によるとこの下に井戸やら五人衆郭などがあるようだが、そこに行くのは諦める。

左 時の丸  中央 その先の曲輪はこの状況  右 さすがにここを進むのは断念する
 

 かなり規模の大きい城郭で、堀も深く土塁も高い。しかも車で近くまで来たから良かったものの、下からの比高はかなりある。これは難攻不落の山城だったであろう。

 

 北城の見学の後は南城の見学に向かう。馬池のところから遊歩道があるのでそれを進んだが、結果としてはこれは失敗。この遊歩道というのは意味もなく上下するだけの道で、結局は林道と同じところに出てくる。自分を鍛えるという目的でもない限りは林道を進むのが正解である。

 

 林道を進んで藤井田龍王社を越えてしばし行った辺りに南城の入口がある。そこを真っ直ぐ進んでいくと本丸までたどり着く。途中で曲輪の脇を通過したようだが、特別な構造は見られない。

左 藤井田龍王社  中央 南城の入口  右 登城路

左 本丸へはここを登る  中央 途中でいくつかの曲輪がある  右 本丸に到着

 本丸は山頂で大勢のハイカーがたむろしていて気が抜ける。ここからはなかなか眺めが良いが、城の本丸と言うよりは展望台の雰囲気。奥から覗いてみると下の方に曲輪が見えるが、降りて行くには体力がもうそろそろ限界だし、鬱蒼としている雰囲気だったので南城の見学はこれで終わりにする。

   

見晴らしはかなり良いが、本丸はハイカーの溜まり場

 南城は北城ほど凝った作りにはなっていないようだ。ただ北城と合わせると全山が大要塞ということになる。これは合わせ技で続100名城Aクラス相当であろう。

 

 これで本遠征の全予定が終了した。ホッとしたところで気がついたのは異常に腹が減っていること。そう言えば今朝の朝食はスーパーホテルの粗食を食べただけだった。完全にガス欠である。結局は帰途で西名阪のサービスエリアに飛び込んでラーメンを食べたのがこの日の昼食と相成ったのである。

 

 とりあえず織部展を見学しつつ滋賀・奈良地区の宿題を解決するというのが今回の主眼であったが、今回の城郭はいずれもかなり中身の濃いものであった。まだまだこんな城郭が隠れていたとは全くの不覚。ただいずれも本格的城郭だっただけに、後での体の負担も半端ないことになり、温泉でマッタリどころか温泉でグッタリの遠征になってしまったのである・・・。

 

 

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