展覧会遠征 名古屋編5

 

 この週末は名古屋地区の美術館巡回を行うことにした。当初予定では金曜の夕方に名古屋に移動するつもりだったが、休暇の残りの関係で金曜の午後に半日休暇を取ることにした。金曜の午前の仕事を終えると新幹線で名古屋に移動する。

 

 名古屋に到着した時には当然のようにかなり昼を過ぎている。昼食がまだなので空腹だ。まずは昼食を摂りたい。金山に移動すると名鉄の駅ビルの飲食店街を巡回。何を食べたいかと考えた時、先日の大阪訪問の際に時間不足のために諦めた牛タンを食いたくなった。そこでちょうど目に入った「牛タン べろ助」に入店。「タンシチュー定食(1000円税込)」を注文する。

 熱々のタンシチューが運ばれてくる。添えてある野菜はサラダではなくて漬け物。ご飯は当然のように麦飯である。シチューはやや濃いめの味付けであるが、私好みでご飯に合う。

 

 名古屋でタンシチューという訳の分からないことになったが、まあ上々ではあった。腹が膨れたので最初の美術館に入館する。

 


「ヴェネツィア展」名古屋ボストン美術館で2/21まで

 浅瀬の干潟に人工的に作り上げた大都市であるヴェネツィアは、ナポレオンの侵攻の前に屈するまで、独自の発展を遂げると共に煌びやかな文化を育んできた。その一端を紹介するのが本展。

 展示品は地図・写真などの記録的資料から、絵画・装飾品などまで様々。個々の作品の印象はあまり強くなく、全体としてヴェネツィアを紹介する観光案内的な意味合いが強い。実際に本展を一回りしていると、「一度実際にこの目で現地を見てみたい」という気持ちもムラムラと湧いてきたりしてしまうのである。

 絵画で見所はティツィアーノやティントレット、ヴェロネーゼなどの宗教画か。鮮やかな色彩で劇的な場面を描いた彼らの作品はさすがではある。


 最初の美術館の見学を終えたところでこれからの巡回ルートを頭に思い描く。当初予定ではこのまま次の美術館に立ち寄るつもりだったが、キャリーを引いた状態では思いの外機動力が落ちる。まずはホテルに荷物を置きに行くことにする。

 

 今回の宿泊ホテルは伏見の名古屋ビーズホテル。伏見と言えば大体はクラウンホテルを使用することが多いのだが、今回は部屋が空いていなかったのと、あのホテルは週末は宿泊料が高いことなどから新たに選んだホテルである。キーポイントは大浴場と手頃な宿泊料金である。難点は駅から若干距離があること。名古屋駅から送迎があるようだが、残念ながらこの時間にはまだ送迎バスは出ていない。

 地下鉄を乗り継いでから歩くことしばし、ようやくホテルに到着するとチェックイン手続き。部屋に入ったらこのまま横になって一休みしたい気分になるが、それをしてしまうとこれからの予定が滅茶苦茶になる。精神的疲労が出てくる前にさっさと外出することにする。

 

 次の目的地は名古屋市美術館。この美術館も最寄り駅は伏見なのだが、残念ながらホテルとは方向違い。結構歩くことになる。

 


「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」名古屋市美術館で12/13まで

 

 19世紀半ばにイギリスで登場したラファエル前派は、「自然に忠実に」をモットーに据え、ラファエロ登場以前の美術作品を理想とした独自の運動を展開する。この活動自体は比較的短命に終わったのであるが、その潮流は後の作家達に大きな影響を与え、唯美主義の登場などにつながったという。本展はリバプール国立美術館が所蔵するミレイ、ロセッティなどのラファエル前派の画家の作品から、その影響を受けた画家の作品を紹介している。

 序盤に登場するのがミレイの作品。これがまた圧巻である。その描き込みの美しさと技術の高さにため息。特に驚いたのが「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」のドレスの表現。女性の着たドレスの光沢と質感の表現は圧巻である。そこにまさに布地が存在しているかのようなリアルな質感には唖然とさせられる。

 さらにはラファエル前派第二世代と言われたバーン=ジョーンズの作品も印象的である。彼の作品は装飾的でもあるのが特徴的であり、その美しい画面構成はどことなく後のアール・ヌーヴォーのような雰囲気も感じさせる。

 とにかく徹底的に描き込まれた美しい絵画が多いので、私好みの展覧会でもあった。やはり絵画は綺麗が一番。


 なかなかに満足度の高い展覧会で久々に堪能したの感がある。さて次の目的地は松坂屋美術館だが、ここからどうやって行くかが難儀なところ。名古屋市美術館は地下鉄のどの駅からも遠いという微妙に不便な場所にある。地下鉄を使うとなると伏見駅まで結構歩いて、しかも栄で乗り換えで矢場町まで行く必要がある。それも馬鹿らしい気がしたので、直接松坂屋まで歩くことにする。

 

 しばしの散歩の後に松坂屋に到着する。美術館は南館の7階だが、西口から建物に入ったらちょうど反対側にあるようで、建物内をクネクネとかなり遠回りをさせられる。

 


「奇想天外の浮世絵師 歌川国芳展」松坂屋美術館で11/23まで

 

 幕末に活躍した浮世絵師・歌川国芳は「奇想の絵師」などとも言われており、かなり大胆で個性的な作品も残している。その国芳の作品を集めた展覧会。

 最初は国芳の出世作ともなった「水滸伝」を題材にしたシリーズや、武者絵などの作品。これが実にダイナミックで動きがあって、まさに現在の劇画の原点とも言える作品。巧みにデフォルメも加えた画面構成は明らかに今日のコミックにつながっている。なかには「進撃の巨人」にしか見えないような作品もあった。

 これなど「進撃の巨人」にしか見えない

 さらには国芳が奇想の絵師とも言われる一因ともなっているユーモラスな作品群。人を組み合わせて顔を作ったり、猫で文字を描いたり、影絵になっていたり、絵をひっくり返すと別の顔になったりなどというお遊び心満開の作品達。ニヤリとさせられながらも「まあよくも考えてあるな」と感心もさせられる。

 最後は美人画などの普通の作品もあるのだが、国芳の活躍した幕末という時代背景を反映した西洋的な表現を取り入れた絵画なども登場する。まあとにかく幅が広くて実に精力的な絵師である。

 本展では国芳の様々な作品を十二分に堪能できた。この絵師の奥の深さの一端を垣間見た気分である。この後に現れた河鍋暁斎といい、時代の激動期には異端の天才が現れるものなのか。


 これもなかなかに満足度の高い展覧会であった。わざわざ名古屋までやってきた価値もあったというものである。ところで国芳の時代は水野忠邦による天保の改革による庶民生活に対する大幅な干渉があり、浮世絵なども贅沢品として規制を受けたのだが、国芳はそのような忠邦を皮肉った作品も描いていた。当時の庶民達はその作品に込められたメッセージを確実に受け取って大評判になったため、幕府による処罰を恐れた版元が発禁にしてしまったとか。どうやら国芳は反骨精神もあった人物のようだ。安倍の露骨な報道弾圧にビビって安倍に媚びた大本営発表放送ばかりしているマスコミも、少しはこの精神を見習って欲しいところだ。

 

 さて展覧会を満喫して精神的にはお腹一杯と言うところだが、実際は物理的にはもうかなり空腹が来ている。結構歩いたせいで昼食が完全に消化されてしまったようだ。わざわざ松坂屋までやって来たのだからついでに夕食を摂ってから帰りたい。名古屋で夕食と言えばメニューは一つしか浮かばない。10階のレストラン街まで行くと「あつた蓬莱軒」に入店、「ひつまぶし(3600円税込)」を注文する。

 一杯目はストレートで。パリッとしたウナギの風味が体に染みる。

 二杯目は薬味を加えて。わさびが爽やかでこれが思いの外ウナギとマッチする。こってりしたウナギにわさびがさっぱりした風味を添え、清々しく鮮烈な味となる。

 三杯目はウナ茶で。これは非常にあっさりとする。こってりしたウナギをさっぱりと食べる日本人の知恵である。

 さて四杯目をどうするかだが、ウナ茶が良いが薬味のみの鮮烈な味も捨て難い。そういうわけで最初の半分を薬味を加えただけで頂き、後の半分は出汁をかけてウナ茶で平らげる。うーん堪能した。満足である。

 

 財布には結構なダメージだが、やはり名古屋に来たからにはこれを食べておかないと悔いが残る。久々の名古屋飯を堪能したのである。私は現金なもので、うまい飯を食えるとその町に対する印象も良くなる。最初はあれだけ違和感を持ちまくった名古屋も、今ではかなり馴染んできているのを認めざるを得ないのである。偉大なりひつまぶし。

 

 今日の全予定は終了、夕食も食ったしホテルに戻ることにする。伏見駅から歩いてホテルまで行くが、これがまた結構遠い。結局この日はなんだかんだ1万2千歩歩いていた。まあこってり目の名古屋飯を消化するには良い運動かもしれないがとにかく疲れた。ホテルに戻ると早速大浴場でたっぷりと入浴して疲れを癒すのである。こういう時に手足を伸ばせる大浴場はありがたい。ここの大浴場は名古屋クラウンのような温泉ではないが、ジェット風呂や電気風呂があったりなど浴槽自体は凝っている。今は体のあちこちに疲労が溜まっているのでちょうど良い。

 

 風呂でくつろいだ後は部屋でマッタリ。と言うわけでこの原稿を打っている(笑)。しかし疲れもあるので11時前には就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時前に自然に目が覚める。夜中に物音で一度目が覚めたが、おおむね爆睡していたようである。今日は予定はあまり立て込んでいない(と言うかほとんどないに等しい)ので時間に余裕がある。シャワーで目を覚ますと朝食に出向く。

 

 テレビをつけるとパリでのテロのニュース。IS絡みだろうか。全くろくでもない時代になったものだ。安倍はうれしそうに戦争に参加しようとしているが、そうなったらいずれは日本でも同様の事件は発生するようになるだろう。その時には彼は厳重な警備の官邸の奥に引きこもって、口先だけは威勢のいいことを言うだろうことが今から見えている。常に一番勇ましい奴は一番安全な場所にいるものだ。

 

 朝食はパンとスープの簡易なもの。日頃和食の多い私にはこれはいささか不足。実のところ私が今までこのホテルを使っていなかった一番の理由はこれ。やはりクラウンホテルのガッツリ名古屋飯の方が私には合っている。

 スープとパンの朝食

 このホテルは名古屋駅までのバスでの送迎があるので、10時過ぎの便の予約をしておく。とりあえず朝風呂に行くと、その後はバスの時間までマッタリ過ごす。

 送迎バスで名古屋駅に

 10時過ぎにバスで名古屋駅まで移動する。今日の予定は犬山市民文化会館で開催される中部フィルのコンサートに参加すること。名古屋には名古屋フィル、セントラル愛知交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団の3つのオケがあるが、ちょうど中部フィルのコンサートが今日あるとの情報を得たのでそれに参加することにした次第。なおコンサートの開演は15時からなので、その前に犬山に立ち寄ることにする。

 

 名鉄で犬山まで移動。名古屋から30分程度で犬山に到着する。こうして移動してみると犬山も名古屋の通勤圏内であることが感じられる。

 犬山駅

 犬山は以前に一度だけ犬山城見学にやって来たことがあるが、その時の記憶に残っている駅前の寂れイメージはそのままである。犬山城周辺は観光地化しているのだが、その犬山城と駅が結構距離があるのがこの町のつらいところ。

 犬山城?

 時間に余裕があるので犬山城下まで散策。駅周辺は閑散としていたが、城周辺は観光客も多い。ここの町並みは往時のままではなく明らかに後世の建物が多いが、全体としてレトロをキーワードにして観光地としての開発を行っているようだ。もっともそのレトロは江戸時代から昭和までマチマチだ。今や昭和でさえレトロな時代になってしまったらしい。昭和の風景は私などには「子供の頃に実際に体験していた風景」なのだが、今時の若者には遙か昔の遠い時代のように見えるのだろう。異国の風景とさして変わらないのかもしれない。心の中に存在する原風景さえ異なるのだから、世代間のギャップというのはそれは簡単に埋まらないだろう。今では完全にジジイ世代になってしまった私も、昨今は若者と話が通じないことを痛感することが多い。何しろギャグの一つを取っても、背後に共通の認識がなかったら通じなくてポカンとされるんだから。東村山音頭さえ知らない世代には話をしにくい。その内に北斗の拳やファーストガンダムのパロなんかも通じなくなるだろう。「あべし!」って言った途端にポカンとされたら痛すぎる。

犬山城下の町並み

 昭和横町を覗いたり、江戸自体の町屋で登録有形文化財に指定されている旧磯部家住宅を見学したり、団子を購入したりなどと城下を満喫しつつプラプラと犬山城までやってくる。犬山城は以前に一度登っているが、とにかく怖かったという印象だけは残っているものの、細かい記憶は残っていない。あえて再訪の必要はないかもと思ったが、表の門までやって来たところで「どうせだから行きがけの駄賃」とばかりにそのまま入場する。

昭和横町

旧磯部家住宅内部
  

団子を食いながら散策

 犬山城天守は意外にこじんまりした印象を受ける。この天守は川側から見ると崖の上にそそり立つ感じなのだが、城下側から眺めるとそれほど大きくは感じられない。

 天守に登ってみてようやく「とにかく怖かった」の意味を思い出した。まず床板がやたらにギシギシガクガクと不穏な音を立てるので「板子一枚下は地獄」感が半端ではない上に、最上階の回廊は手すりが腰より低くて足下も外に向かって緩やかに傾斜しているという高所恐怖症の者にとっては悪夢のような構造になっているのである。もう回廊を見ただけで目眩がして、私は回廊に出ることが出来なかった。それに今は最上階の床は赤い絨毯を張って誤魔化しているが、以前はここの床は板に透き間が空いてスケスケだった記憶がある。現存天守には付き物の狭くて急な階段も含め、これは高所恐怖症のある者にはかなりの難所である。

狭い階段を登った最上階からの見晴らしは抜群だが、この回廊は恐すぎて私には無理

 犬山城の見学を終えると文化資料館とからくり展示館を見学。文化資料館は昔の武士の装束についての展示を行っていたが、私にとってはそれよりもホールに展示してあった犬山城の復元模型の方が興味深い。からくり展示館の方はこの地域で作られていたからくり人形についての展示。

犬山城のキャラクター・わん丸君 あちこちにグッズが売ってます

 プラプラと市街を散策しつつ犬山駅方面に戻る。途中で文化財の奥村邸があるが、ここはかつては見学可能だったらしいが、今は創作フレンチの店になってしまっていて食事をしないと見学できないとか。場合によってここで昼食も考えていたが、ランチメニューが3000円以上からという高級フレンチでは私には敷居が高すぎてまたげない。

 高級フレンチ店になっている旧奥村邸

 結局は駅まで戻ってきて、駅前の「末広商店」「ハンバーグランチ(1200円+税)」を頂くことにする。可もなく不可もなくの普通の町中の喫茶店ランチのイメージ。ところで食後のドリンクにダージリンを頼んだら、問答無用でストレートティーにされたのはなぜ? まあ、別にこれでも飲めるけど。

 昼食を終えたところでそろそろホールに移動することにする。ホールがあるのはこの周辺ではなくて、一駅隣の羽黒駅。名鉄小牧線で移動だが、結構距離がある上に途中で単線のすれ違い待ちがあったりで意外と時間がかかる。

 

 羽黒駅を降りると市民文化会館を目指す。案内によると徒歩7分とのことだが、実際はもう少しかかりそうな気がする。町はどことなく微妙な風情のあるところで、細い水路が通っているところがある。それを過ぎて進んだところで突然にビビッと感じるものがある。建設中の薬店の裏に小山のような竹林があるのだが、もしかしてそこは城跡ではないだろうかという直感である。あの辺りが城跡で、先ほどの水路が外堀のなれの果てという気がしてならない。そこで直ちにスマホで調査したところ、やはり私の直感通りそこの竹林が「羽黒城跡」らしいことが判明。まだ開演時間までに余裕があるし、行きがけの駄賃とばかりに立ち寄ることにする。それにしても最近私は地形を見ただけで城のありそうな場所が推測つくようになってきた。各地の城跡を回りすぎた成果か。

左 入口の案内看板は落ちている  中央 土塁を進む  右 石碑があるのは櫓跡か

 南側に回り込むと入口があり、そこに説明看板が置いてある。これによると羽黒城は1201年に梶原景親が築城したという。梶原景親は頼朝の信望深い御家人であった梶原景時の孫である。権勢を誇った梶原景時だが、頼朝の死後に滅ぼされ、一部の遺族がその孫(景親)を囲んでその乳母である隅の方のゆかりのこの地にのがれて来て住み着いたとのこと。景親から17代目の景義は信長に仕えたが、本能寺の変で討ち死にして梶原家は絶えたという。1584年には小牧山合戦に際して秀吉がこの城を修復して城塞を築くが、その城塞も焼けて廃城となったとのこと。

左 向こうが曲輪のようだ  中央 降りていく  右 土塁の手前に堀があったような痕跡が

左 曲輪は今では完全に竹林  中央 北の道路の手前に土塁の痕跡らしきものが  右 ここを越えると市民会館が見える

 現在残っているのは南側の土塁。その一角の小高くなった部分に石碑が建っているが、ここは櫓台というところか。土塁の北側には堀跡ではないかと思われる窪みがある。土塁の北側の竹林になっているところが城郭だったとのことだが、それなら土塁の北側にあるのが堀だとしたら、曲輪の中に堀があるのはどうも奇妙である。城の本丸が土塁の南側で土塁の北側が二の丸だというなら分かるが。なおこの竹林の北側の道路沿いにもわずかに土塁のような痕跡がある。どうも城域の全体像が描きにくい。西にある興禅寺が城郭の一部だったとの情報もあるようだし、やはり本丸は土塁の南側の今は完全に住宅地になってしまっている辺りだったのだろう。

 

 ここの北にある公園に景親が所有していた名馬「磨墨」を葬った塚があるが、この中に先ほど登場した隅の方の墓所もある。ここは史跡公園ということらしい。目的の犬山市民文化会館はこの北である。

  

磨墨塚には隅の方の墓所もある

 会館に到着すると入口前に大行列が出来ている。今日のコンサートは全席指定ではなく、半分ほどは自由席になっているので自由席の客が行列を作っているようだ。指定席券を有していると見られる連中は行列には並ばずにその辺りをウロウロしている。なお私もその内の一人。

 まもなく開場時刻になり、行列がゾロゾロと入場。私は別に急がないので、行列がはけてからその後に付いていく。会場は一階席だけだが結構な広さがある。なおホールの中央付近が特別席で、その周辺が指定席、さらに周辺が自由席である。私は特別席を押さえている。

  

 典型的な地方の文化会館と言うべきホール。いわゆる携帯無効化装置を装備していないようで、ホール内で普通に3G接続で携帯がつながる。この時に私は今日発売のPACのコンサートのチケットを予約し忘れていたことに気づき、開演前にホール内から予約。山頂やらホール内やら、一体私はいつもどこからチケット予約をしてるんだ。


中部フィルハーモニー交響楽団 第48回定期演奏会 (犬山公演第8回)

 

指揮/堀 俊輔

ヴァイオリン/漆原 啓子

 

チャイコフスキー/幻想的序曲「ロメオとジュリエット」

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35

チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」

 

 非常に頑張っているなという印象を受ける演奏。しかしこれは技術的にはあまりうまくないことも意味する。各楽器の音色、アンサンブルの精度などの点で国内でも一流のオケよりは劣ることは明らかである。そのためにロミジュリなどはかなりゴチャゴチャした印象の演奏になったが、金管などの頑張りもあって演奏自体はまとまっている。

 バイオリン協奏曲はソリストの演奏テンポが微妙に揺れるため、バックのオケがそれに合わせるのに苦労している感があり、全体のまとまりが怪しい箇所がいくつかあった。

 悲愴についてはなかなかの熱演。最初のロミジュリよりも演奏の精度が上がったように感じられるのは練習量の問題か。技術的には決して高いとは言えないオケだが、堀の指揮に従って緊張感のある演奏を行っていた。

 堀は全身を使ってオケを誘導しようとしているのが伺える。テンポなどにメリハリをつけた指揮だが、その意志は十分にオケに伝わって熱演につながっていた。


 悲愴についてはなかなかの名演だった。耳が腐ってるんじゃないかと言われることを覚悟してあえて言えば、先日に聴いたコンセルトヘボウの悲愴よりもむしろ満足度の高い演奏であった。個々の奏者の技量は勝負にもならないが、全体を統制する意志のようなものが見えた演奏で、それが面白さにつながった。一匹の狼が率いる羊の群は一頭の羊が率いる狼の群を駆逐するなどと言うが、まさにそのような印象であった。

 

 バイオリン協奏曲の第一楽章終了後に拍手が起きることはなかったが、悲愴の第三楽章終了後の拍手はあった。あまり客層が良いようには感じなかったのだが、それでも先日のフランクフルトの客層よりは良いということになるのか。あのコンサートは明らかに日頃はクラシックのコンサートに顔を出さないと思われる連中がゾロゾロといた。

 

 公演時間は2時間半ほどとやや長めであった。来しなにはぱらつく程度だった雨がホールを出た時には大雨になっていた。しかも最近は日没時刻が早くなっているようでまだ6時前なのに真っ暗だ。その中を駅まで急ぐ。

 

 名古屋まで戻ってくると、夕食を摂るために名鉄百貨店のレストラン街を覗く。うなぎもチラリと頭をよぎったが、相も変わらずここのうなぎ屋は大行列の模様。1時間〜1時間半待ちとの表示が出ている。うなぎは昨日食べているので、今日はもう一つの名古屋名物にしておくことにする。隣の「山本屋総本家」に入店する。親子煮込みうどんにご飯を付ける名古屋式メニューを注文。

 赤味噌の渋味や酸味まで感じられるぐらいの濃厚な出汁にガチガチの固いうどん。これがまさしく総本家の味。あまりの濃厚さに最初に来たときには違和感が強かったが、もはやずいぶん慣れた感があり、最近は出汁をすすったりもする。私も大分名古屋に染まってきたようである。

 

 濃厚な名古屋飯夕食を終えると送迎バスでホテルまで。それにしても疲れたと思ったら、今日は昨日以上の1万4千歩も歩いていた。疲れが溜まるはずである。大浴場で体をほぐしてからマッサージチェアで疲れを抜き、早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝はまた8時前に自動的に起床。懸念していたとおりに両足に痛みが出ており、太ももに張りがある。とりあえず朝食を簡単に済ませると風呂で体をほぐしておく。

 

 ホテルをチェックアウトして名古屋駅に到着したのは10時半頃。今日の予定は大阪のザ・シンフォニーホールで開催されるコンサートに参加するだけ。大阪に移動する前に昼食を摂っておきたいと高島屋を覗くが、飲食店街は営業開始が11時からでまだ準備中。仕方ないので名古屋駅の方に戻って、名古屋駅内の飲食店街のそば屋「みやび」「鴨南蛮そば」「天むす」を注文する。

  

 鴨南蛮と名乗るからには出汁は鴨肉と煮込むのが当然だと思うのだが、最近は後で鴨ローストをトッピングしただけの安直なそばをよく見かける。ここもそのタイプだった。カモロースト自体は美味いが、そばと絡んでいない。

 爆発する日本酒として有名な「るみ子の酒」を発見

 昼食を終えると新幹線改札に向かうが、名古屋駅構内では何やらクロネコヤマトのイベントが開催されており、巨大黒猫の像が据えてある。しかしこれではクロネコヤマトと言うよりも化け猫ヤマトである。そう言えば猫又転じて化け猫になったたま駅長はどうしているのやら。

 化け猫ヤマトの宅急便

 もう名古屋での用事はないので、新幹線の予約を早めて大阪に移動することにする。大阪には昼過ぎに到着する。新幹線を早めたこともあって開演時間まで少し余裕があるので、大丸に立ち寄って喫茶で抹茶パフェを頂く。

 お抹茶ドーピングが済んだところで福島に移動する。このホールに来るのは今年何回目だろう。オケの知名度が低いためか、今日は6割程度の入りというところか。なおここに来ての私の計算違いは、足のダメージがかなりひどくなっていること。朝からあった太ももの張りが時間と共に強くなってきて、今ではホール内の上下移動さえツラいぐらいに足がこわばっている。まあ今日は主に座っているだけなので何とかなるか。


チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

 

[指揮]レオシュ・スワロフスキー

 

スメタナ:交響詩 「モルダウ」

ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 op.88

ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」 op.95

 

 今年は軒並みチェコのオケが来日したが、その中でも技量的には一段劣ることは否定できない。アンサンブルにはやや甘さがあるし、管についてはかなり荒っぽい感じがある。ただそれでもご当地もののアドバンテージは明らかにある。爆演型の指揮者でもあるスワロフスキーが巧みにオケを誘導して、その粗さを爆発力につなげた感がある。最初のモルダウなどは滔々と流れる大河というよりも、その終盤などは大スペクタクルを繰り広げる急流になっている。

 さらにドボルザークの田園交響曲ともいわれる8番も、そのままの勢いで突入したようである。ボヘミアの田園とは何と野趣に富んでいることかと思わせるような怪演。ややこの曲のイメージとは異なる感があるが、これはこれで面白くはある。

 新世界はさすがにオケにとっても十八番中の十八番なんだろう。演奏には安定感が出るし、爆発力の方も暴走寸前で何とかコントロールしたようである。決して巧みな演奏と言える内容ではないが、それでも音楽としては十二分に楽しめる演奏となった。


 それにしてもスワロフスキーも盛り上げ上手だ。アンコールに持ってきたハンガリー舞曲第5番がノリノリの熱演で、あの荒々しく高速テンポな指揮にピシャリと合わせてきたオケにも感心。スワロフスキーはほとんど指揮台の上で踊っていたが、楽員の方もそれに近いような感があった。さらにこの後も全開のスラブ舞曲15番が来て、やんやの大喝采の中でコンサートは終了したのである。

 

 今回は中部フィルとブルノフィルという決して一流とは言いにくいオケのコンサートであったが、逆に音楽の楽しさとは決して技量だけで左右されるわけでもないということも感じさせられることになった。演奏の場における空気や熱量のようなものまで伝わってくるのがライブの醍醐味と言えよう。

 

 

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