展覧会遠征 和歌山編3

 

 月初めから仕事の方はかなりのハードモード。おかげでもうクタクタである。そこでこの週末は温泉でくつろぎたいと考えた次第。昨年度から継続的に行ってきた「税金使って温泉で豪遊しようツアー」の最終回である。

 

 ただその前に金曜の夜はライブ。明日以降のことを考えて車を持って行くことにする。仕事を早めに終えると大阪のホテルまで突っ走る。しかし阪神高速は月見山入口を過ぎた途端に大渋滞。何があったのだと思っていたら、どうやら事故があった模様。ようやく事故現場を抜けても、その後も断続的に渋滞がある状態。ようやくホテルのある江坂にたどり着いた時には予定よりも1時間ほど遅れていた。

 

 宿泊ホテルはジーアールホテル江坂。ホテルの駐車場に車を放り込むとチェックインを済ませてからすぐに外出する。

 

 当初の予定では夕食を摂ってからホール入りするつもりだったのだが、その時間的余裕がないのでコンビニで買ったおにぎりを放り込んでからホールに駆け込むことに。

 


新日本フィルハーモニー交響楽団 大阪特別公演

 

[指揮]上岡敏之

[管弦楽]新日本フィルハーモニー交響楽団

 

シューベルト:交響曲 第1番 ニ長調 D82

マーラー:交響曲 第1番 ニ長調 『巨人』

 

 シューベルトの一番については、曲としてはあまり出来のいい曲と思えないのだが、作者の若さのようなものがほとばしっているような曲。それを上岡は躍動的な指揮で表現している。

 さてマーラーの巨人であるが、これについては極めて独特なものという印象を受ける。とにかく一番印象に残るのが、ピアニッシモをギリギリまで絞ってくること。第三楽章の冒頭など、演奏が始まっていることが分からないぐらいボリュームを絞ってきた。これは弦楽器はまだ良いが、管楽器はかなりしんどそうである。

 その一方でフォルテッシモは徹底的に煽ってくる。音量だけでなくテンポもかなりまくってくるので、とにかくメリハリが強い演奏ということになる。第二楽章の低弦なども、今まであんなに軽い弾き方をさせているのは初めて聞いた。万事解釈に独特な部分が多数見られる。

 全体的に強弱がかなりデフォルメされている感があり、悪趣味の一歩手前。私はこういうのもありかとは思うが、好き嫌いが非常に分かれそうな演奏である。


 上岡の指揮は初めて聴くが、「強烈」という言葉につきるような気がする。また指揮の動作も含めて極めて躍動的である。ただし、よく「舞台効果」を意識して意図的に動作を大きくする指揮者がいるが、そういう類いではなさそうである。

 

 ライブを終えるとホテルに戻る。途中でどこかで夕食を摂ろうと思っていたのだが、時間が遅かったこともあって適当な店が見つからず、結局は江坂に戻ってからイオンで寿司を購入することに。何とも安直な夕食である。

 

 夕食を終えると大浴場で入浴。やはり日本人は風呂が一番生き返る。ゆったりとくつろぐと、就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 やはり疲労が溜まっているのか爆睡していたのだが、それでも7時半ぐらいになると勝手に目が覚めるサラリーマンの習性。シャワーで目を覚ますと、レストランでバイキング朝食を済ませてからチェックアウトする。

 

 さて今日の予定だが、龍神温泉まで長駆するつもり。通常なら阪和道で御坊か紀伊田辺まで走ってから山道を走るというところだが、今回は橋本に寄り道をするので高野山経由のルートをとることになる。

 

 橋本に立ち寄ったのはここにある城郭に立ち寄るため。最初に立ち寄ったのは「岩倉城」

 

 調査によると西側の公園からたどり着けるとのことだったのだが、何の案内もないせいで場所が全く分からない。下からのアクセスを試みて山を降りてみたものの、こちらからのルートも分からない。意を決して藪の中に踏み行ってみたものの途中でルートを失って遭難寸前。結局はたどり着けずに断念する。

左 山上の公園  中央 下から見た山容  右 意を決して藪に踏み入ったが、進退窮まって遭難寸前

 岩倉城という名前に覚えがあると思えば、石川県で散々迷って三度目にようやく攻略できた山城も岩倉城だった。どうも岩倉城という城は私にとっては鬼門のようだ。もし私が将来戦国大名になったら岩倉城だけは攻めないようにしよう(笑)。

 

 岩倉城を断念した次は「霜山城跡」を訪問することに。しかし近くの隅田八幡からアクセスを試みるが、アクセスルートがない。隅田八幡自体が小高い丘の上にあるので、そもそもこれが館跡なのではという気もするのだがハッキリとしない。結局はこれもよく分からないままに撤退になる。

左 隅田八幡  中央・右 神社の裏手はいかにも何かありげではあったが・・・

 橋本くんだりまで繰り出しながら、二回連続で撤退という極めて情けない結果になってしまった。どうも事前の調査が不足していたようだ。これは今後の反省材料ということにして、今日はもう龍神温泉に向かうことにする。

 

 途中で回転寿司を昼食に摂ると、国道371号経由で高野山を目指す。ところどころセンターラインが消える狭い道だが、対向車とのすれ違いに不安を感じるほどの酷道でもない。ただ傾斜はきついし、急カーブの連続ということで走行には注意が必要な道路である。しかも高野山に近づくにつれて天候が悪化すると共に霧が出て視界も悪い。

 

 辺りが賑やかになってきたと思えばようやく高野山。しかし今日は高野山に立ち寄る気はないのでそのままスルーして高野龍神スカイラインに。ちなみにこの道路は冬期は夜間通行止めの上にチェーン規制がかかっている。ただしこれはチェーンをはかないと通れないという意味でなく、チェーンを持っていないと通ってはいけないという意味。だから私もオートソックを持参している。

 

 高野龍神スカイラインは深い山中のとんでもない道だが、道路自体はよく整備された走りやすい道である。ただこの頃から本格的に霧が深くなってきて視界は極めて悪い。対向車との正面衝突という事態が最悪だから、いきおい車のスピードは抑えめになる。晴れていたら見晴らしの良い道路だろうに勿体ない。

 

 1時間近く走って標高がやや下がってきて霧もようやく薄らいできた頃に、やっと龍神温泉街まで到着する。龍神温泉は日高川の川沿いにひっそりと広がる山間の秘湯。このままホテルに入っても良いが、私のホテルは龍神温泉街から離れた位置にあるので、どうせだから温泉街の散策がてら入浴していきたい。最初は旅館下御殿で日帰り入浴しようと考えていたが、「混雑のために日帰り入浴中止」との貼り紙が。そこで龍神温泉元湯に立ち寄ることにする。

龍神温泉街

 内風呂2つで一方は自噴の加熱温泉が、もう一つの桧風呂にはボーリングした非加熱温泉が注がれており、共に掛け流し。これに小さな露天風呂が一つという構成。

 

龍神温泉元湯

 龍神温泉は群馬の川中温泉、島根の湯の川温泉と共に日本三大美人の湯との表示が玄関になされているが、いずれもマイナーな温泉ばかりである。なお美人の湯の名の通り、かなりアルカリ性が強く、入浴した途端に肌がヌルヌルとする湯である。確かに今まで経験した温泉の中でもヌルヌル感はトップクラス。

 

 元湯で入浴を終えるとコーヒー牛乳を一気飲みしたところで、今日の宿に向かうことにする。今日宿泊するのは民宿せせらぎ。龍神温泉街から車で5分程度のところにある。道路沿いの食堂といった雰囲気の建物である。

  

 宿泊用の部屋は4つ程度で、一応鍵もかかる作りになっている。チェックインを済ませて部屋に荷物を置くとすぐに入浴することにする。ここにも温泉浴場がある。三人入れるかどうかという小さな浴場だが、先ほどの元湯と同様の良質のアルカリ泉がダバダバと注がれている。肌がしっとりとくる上質のお湯である。これをゆったりと堪能する。

 風呂は狭いが湯は極上

 入浴を終えるとマッサージチェアで体をほぐしてから、部屋でマッタリと過ごす。夕食は6時半頃に部屋に運ばれてくる。猪肉や鹿肉などのいわゆるジビエもの。鹿肉の焼き肉が非常にうまい。

 夕食を終えると再び入浴。体が温まって落ち着いたところで床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に目が覚める。朝一番から風呂でゆったりとくつろぐ。最高の湯である。まさに朝から生き返る気分。

 

 入浴を終えると朝食。品数も多いし、なかなかにうまい。最高の湯にうまい飯、それで宿泊料金は1万円程度(半額税金持ちで5000円)なのだからなかなかによい宿であった。

  

 チェックアウトは9時。今日の予定は紀伊半島南部の城郭を巡りながら白浜温泉を目指すというもの。最初の目的地は「龍松山城」。白浜温泉に向かう国道311号線沿いにある城郭である。事前情報によると案内看板もある上に本丸近くまで車で登れるらしいからリハビリにはちょうど良い手頃な城郭という印象である。

 道路沿いに案内看板が立っている

 国道371号から県道198号に乗り継いでから国道311号に到着する。かなり山深いところの道路であるが走行自体には何の不安もない道路である。やはり龍神温泉は白浜方面からのアクセスルートはかなり整備されているようだ。上富田辺りまで降りてきたところで道路脇に大きな看板が立っているので、そこから住宅の間の狭い道を山の方に向かって登っていく。道幅は私のノートでも一杯の狭くて急な道だが、コンリート舗装もされているので晴天で対向車が来ない限りは不安はない道である。ただ一カ所、私のノートでも切り返しをしないと曲がれない急なカーブがあった。

 

左 二の丸から見た本丸  右 文字が読めない残念な案内看板

 さして高い山でもないのですぐに上にたどり着く。本丸の手前の二の丸が公園のようになっている。仮設トイレも設置してあるし、案内看板も立っているので一応整備はしたのだろう。ただその案内看板の字がほとんど消えていて判別不能なのがいささか残念である。

左 本丸へ登る  中央 本丸は意外と広い  右 本丸から二の丸を見下ろす

 富田川を見下ろす小高い丘の上なので、この地域の地方領主ならごく普通に城郭をつくる場所だろう。城自体は本丸を二の丸が取り巻く単純な構造。背後の尾根筋から攻められるのを防ぐためだろうか、尾根筋を断ち切るように二重の空堀が築かれているのが見て取れる。

左 本丸裏手の斜面 中央 裏手には二重の堀切が見える 右 西の斜面は梅林になっている

 単純な城郭ではあるが、久しぶりに城郭らしい城郭を堪能したという印象。昨日は散々であったが今日は滑り出しは上々である。

 

 国道311号をそのまま進むと白浜温泉に着くが、今は白浜温泉を通過して南下する。南に延伸された紀勢自動車道を経由して日置川に向かう。この周辺にある安宅氏関連の城郭を巡るのが今日の予定。ちなみにこの紀勢自動車道、私のカーナビの地図が古いらしくカーナビには全く出てこない。

 

 安宅氏は水軍の一族であり、一時は紀伊水道から熊野灘に至るまで広い地域に勢力を誇っていたという。しかしその後は一族の内紛などもあって勢力は衰退していったらしい。

 

 紀勢自動車道を日置川で降りると、まずは一番近いところからで「日置大野城」を訪ねる。現在は春日神社になっているところが城跡らしい。春日神社の手前に大野城の看板があるが、そこを登っても小さな墓が一つあるだけである。

  

この看板に誘われて登ってみても小さなお墓があるだけ

 春日神社を見学したところ、神社の西の山が登れそうである。そこで斜面を直登してみたら正解。明らかに削平した曲輪跡や堀の跡が残っている。遺構の一部は宅地化などで破壊されているように思われるが、そもそもそんなに大規模な城郭ではなかったようだ。

左 春日神社  中央 本殿  右 西側の山が登れそうだ

左 明らかに削平地がある  中央 何段かになっている  右 ここら辺りが本丸か

 ここから橋を渡った先が「安宅本城」。といっても現在は田んぼの中の住宅になっており、この住宅のあるところが館跡のようである。何となくそれらしい地形が残っているという程度。

 ここから北に行った八幡神社の裏手の山にあるのが「八幡山城跡」。この山には登山道が整備されている。どうやら津波発生時の高所避難場所に指定されているらしい。なるほど単に城跡というだけでは整備しにくいが、これなら登山道を整備する予算もつけやすい。避難場所ということで定期的に道路の整備や草刈りなどがされていれば見学もしやすいし、なかなか良い手かもしれない。

左 背後の山が八幡山  中央 登口  右 縄張り図がある

 登山道をヘロヘロになりながら10分程度登ると、かなり大規模な横堀に突き当たる。これは私の予想以上に大規模で本格的な城郭のようだ。期待が高まる。

左 横堀に突き当たる  中央 進路は土橋になっている  右 かなり大規模な堀だ

 この横堀を土橋で渡ってもう一段上るとそこが二の丸。かなりの広さがある上に土塁で囲まれて防御されている。これは思いの外防御が固そうである。またあちこちに石が転がっているのは、一部には石垣でもあったのだろうか。

左 二の丸に上がる  中央・右 二の丸はかなり広い

左・中央 幅も奥行きもかなりある  右 これは石垣の名残だろうか

 本丸はこの上にある。ここも土塁が厳重に取り囲んでいる。土塁の上は見張りには最適で、かつては簡単な櫓ぐらいは建てていたかもしれない。

左 二の丸の上にも帯曲輪が  中央・右 これもかなり大きい

左 本丸に上がる  中央 本丸  右 土塁で囲まれている

 かなり本格的かつ大規模な城郭であった。かつては全山を要塞化していたのだろう。水軍で勢力を誇った安宅氏の詰城としては十二分なものである。なかなかに見応えのある城郭であった。

 

 八幡山城の見学を終えると日置川沿いに北上、田野井地区ある「中山城」を見学することにする。中山城は室町時代にこの地の榎本直光が築いたが、後に安宅氏に攻められて安宅氏の所属に変わったとのこと。

 

 県道37号を進むとそれが川沿いに大きく右に曲がってしばらく北上すると、右手に橋があるがこれを通り過ぎた次の左手の道の入った先に「中山城」の小さな表示がある。ここをしばらく住宅の間を縫って進むと正面に独立丘陵が見えてくるのが中山城。

 この手前の丘陵が中山城

 ただ問題はここから先。この丘陵の回りを一回りして見たのだが登口が分からない。しかも回りの道は狭い道ばかりなので車を置くことが出来ない。一回りしたところで丘陵の南東に神社があったのでここに車を置いて徒歩で探ることにする。

 春日神社に車を置かせてもらう

 丘陵の北側に回り込むが竹林に阻まれてとても進めそうにない。竹林の切れるところを探して丘陵の北側まで回り込んだところでようやく入り込めそうな場所を見つける。

左 ここはハズレ  中央 ここも進めず  右 ようやくここが進めそうだ

 かなり鬱蒼としているが何とか進めそうだし、辛うじて道のようなものもある。そこを登っていくと堀と土塁らしき構造に突き当たる。

左 どうにか道のようなものがあるが  中央 すぐに足下は単なるブッシュに  右 分かりにくいが堀切がある

 そこからさらに登った先にあるのが本丸のようだ。土塁で囲まれた本丸は二段になっており、北側の方が一段低いようだ。

左 本丸下の帯曲輪  中央 本丸へ登る  右 本丸

左 本丸裏手は崖  中央 奥が一段低くなっている  右 土塁もある

 本丸の西側には堀があり、南側は崖になっているようだ。そう大規模な城郭ではないが、一渡りの防御機能は備えているようである。

 

 この周辺には安宅氏関連の城郭としてもう一つ「土井城」という城郭が近くの天徳寺の北側の山上にあるらしい。そこで天徳寺に行ってみたが、裏手の山への登口が分からない。墓地の裏手を登ってみたが、動物除けフェンスに阻まれてそれ以上登れない。そこから覗いたところによるとどうも石垣のようなものは見えている。

 天徳寺

 しばしウロウロしたが登口らしきものを見つけることは出来なかった。斜面を直登するしかないのだろうか。しかしまだリハビリ状態であまり無理はしたくない。土井城については断念することにする。

左 裏手の山を登ってみるが  中央 動物除けフェンスに行く手を阻まれる  右 石垣らしきものは見えるのだが

 安宅氏関連の城郭を大体回り終えたので、そろそろ日置を後にすることにする。再び紀勢自動車道に乗って南紀白浜ICまで突っ走る。ICで降りると北上せずに南に向かう。白浜温泉に到着する前に最後にもう一カ所だけ立ち寄りたい。目的地は紀勢自動車道の脇の山上にある「馬谷城」

 

 馬谷城は安宅氏の家臣であった吉田春秀の城郭で、先の龍松山城を本拠にする山本氏との争いに備えた最前線の城であったという。

 

 国道42号線を南下し、トンネルを抜けたところに山側に向かう道路があるのでそこを進む。私は最初はこれを見逃してUターンして引き返してくる羽目に。

左 ここを曲がる  中央 工場のようなところを抜ける  右 この橋を渡ると

左 未舗装道に突入  中央 紀勢自動車道が見えてくる  右 ここら辺りに車を置く

 道は初めはは舗装道だが、その内に工場のようなところに入っていき、ついには未舗装道になる。そこをしばし進んで紀勢自動車道の高架を遥か上に仰ぐ辺りで右手に登城路の案内が立っているのでそこに車を置いて歩く。

 ここを進む

 道路工事に関連して山をかなり削ったのか相当な崖の脇を登っていくことになる。ちゃんと足下が整備されているので歩行に不安はないが、もし何かの間違いで転落したら多分確実に死ねるので注意。この道を登っていくと10分もかからずに道路の横に出てくるが、その脇の山上が城域である。

左 高速をくぐる  中央 道はしっかりしているが険しい  右 高速の横に出てくる

 手前にあるのが三の丸で、その上にあるのが本丸、西に一段低いのが二の丸らしい。規模はそんなに大きな城ではないが、山深い中の上に辺りは断崖なのでかなり堅固な城郭であったろう。もっとも今では高速道路から攻められたらあっという間に落城するだろうが(笑)。

左 堀切に出る  中央 上がっていくと  右 三の丸のようだ

左 一段上が本丸  中央 かなり山深い  右 下に見えるのが二の丸

 これで今日の城郭巡りは終了、白浜温泉に向かうことにする。今日の宿泊ホテルに行く前に三段壁に立ち寄ろうかと思ったが、辺りは大混雑で町営駐車場に待ち行列が出来ている状態なのでこちらは明日に回すことにする。

 

 今日の宿泊ホテルはグランパスinn白浜。オートキャンプ場なども併設してあるホテルである。ただここにきてよく考えてみると、今日はまだ昼食を摂っていなかった。かなり遅めになるがホテルに入る前に昼食を摂ろうとそのまま白良浜のあたりまで走る。

 

 結局は海沿いのとれとれ市場に立ち寄る。ここでは水揚げされた魚介類をその場で調理してもらって食べることが出来るようだ。ちなみにご飯は一杯200円(+税)。どうしようかと考えていた私の目に飛び込んできたのがビチビチと跳ねる伊勢エビ。それを見た途端に私の頭の線がプツンという音を立てて切れる。結局はこの伊勢エビを刺身にしてもらって(3500円ほど)、これに鯛の刺身を加えての贅沢すぎる昼食を摂ることにする。

 

 伊勢エビの身は甘みがあって確かにうまい。ただ図体の割には意外と食べるところが少ないという勿体ない食材だ。頭の中に内臓などが詰まっているので、本来ならこれを味噌汁などにしたいところだがここではその術はない。勿体ないと思いながらもこれは処分。

 

 贅沢すぎる昼食を終えるとホテルに入ることにする。ホテルは風呂トイレ共同の合宿所的な雰囲気のある建物だ。近くのオートキャンプ場にある千畳の湯に入浴できるとのことなのでまずはそこに入浴に行く。

 

 千畳の湯までは歩いて5分程度。高台にあるので海を見晴らせるが風呂自体はそう大きなわけではない。また露天風呂があるが、これが上のバーベキュー場から丸見えなのが気になるところ。湯は白浜温泉のオーソドックスなナトリウム−塩化物、炭酸水素塩泉。昨日の龍神温泉の超強力な湯に比べるとキャラクターが薄いのは致し方ない。

  千畳の湯

 入浴を終えるとすぐ近くの千畳敷まで歩いて見学に行くことにする。夕方になると風が出てきて海は大荒れの上に、岩場の上は吹きっさらしなので吹き飛ばされそうだ。しかし観光客は結構多い。それといずこも同じなのだが、岩場に馬鹿が刻んだ落書きが目立つ。なぜ馬鹿はどこでも自らの馬鹿さを誇示するような行為をするのか。今では観光地だけでなくネット世界も馬鹿の馬鹿自慢の場になってしまっている。まあこれは日本に限らず世界中で、この馬鹿に凶暴性がプラスされるとISになるし、馬鹿に金がプラスされるとアメリカのトランプになる。

 ホテルに戻ってくると今度はホテルの風呂で入浴。こちらは予想外にしっかりした大浴場で、これだとわざわざ千畳の湯まで行く必要もなかったなと思う。ただこの日は夕方頃から急激に気温が下がったので、露天風呂の温度が低すぎて入浴できない。

 

 風呂から上がると部屋に戻ってボンヤリと過ごす。テレビを見ていたら「一年を長く感じる子供と一年を短く感じる大人はどこに差があるか」なんていうのをやっている。答えは経験の差。子供にとっては日常が初体験に満ちているので、情報量が多いことで主観的には時間を長く感じるとのこと・・・ってこんなこと今更言われなくても分かること。だからほとんど車で走っていただけの昨日は短く感じたが、山城を6つも回った今日はやけに長く感じている。

 

 その内に夕食の時間になったのでレストランへ。夕食はクエのコースということになっている。まずまずだが、やはり以前にクエ専門店で食べたクエのコースとは比較するまでもない。それは仕方のないところ。

 この日はもう一度入浴すると早めに就寝する。今日はハードすぎたのか疲れがかなり溜まっている。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時過ぎに目覚ましで起床するが、体がズシッと重い。昨日の山城巡りは思いの外ハードすぎたようだ。

 

 朝風呂を浴びて体を目覚めさせると、レストランで朝食。どことなく研修所のようなメニューである。

 

 9時前ぐらいにはチェックアウトをして、三段壁に立ち寄ることにする。まだ遠くから観光客がやってくる前なので駐車場も空いている。町営駐車場に車を置くと海岸までプラプラと散策。もう既に土産物屋も営業を開始していて団体客などもやってきている。

   

上から見るとこんな感じ

 三段壁の一番の見所は洞窟。ここは船隠しの洞窟とも言われ、熊野水軍などの隠れ軍港だったらしい。ここを見学するには入場料を払ってエレベータで降りることになる。入場料は1300円と少々高い。

左 ここから入る  中央 地下には熊野水軍  右 いざ入洞

 三段壁洞窟は波の浸食によって出来たものらしい。太平洋の荒波の破壊力と言うことか。洞窟内には弁財天の像も鎮座しているが、これは腕が八本のタイプの弁財天で、インドの原型に近い方のようである。熊野水軍の軍港なら、腕が二本の財産や芸事の神よりも、八本の腕に武器を携えた軍神としての弁財天の方が合っているだろう。

左 洞窟出口付近  中央 弁財天  右 鉱山跡もある

左 水軍小屋の復元  中央 洞窟の最奥部  右 波が逆巻く

左 かなり水が荒れている  中央 削られた岩  右 漣痕(波の跡の化石)

 三段壁の見学を終えたところで白浜を後にすることにする。今日は和歌山に立ち寄って帰るだけだが、その前に最後に一カ所だけ山城に立ち寄ることにする。目的地は「岩室城」。築城年代は不明であるが、平安末期には既に歴史に登場する。平重盛の末子の平忠房が屋島の戦いで敗れて湯浅の地頭である湯浅宗重のもとに身を隠していたが、それを聞いた源頼朝が阿波成長に命じて攻めさせ、湯浅氏はこの城に五百余人で立て籠もって三ヶ月も激しい戦いを続けたという。その後、畠山氏の元で修築されるが、1585年に秀吉の南征で壊滅したとのこと。

 

 湯浅御坊道路を有田ICで降りると北上する。有田川を渡ると北側には高い山が並んでいる。この山の一つに岩室城があるらしい。上まで車で登れるとのことなので住宅街を抜けて進んでいく。随所に案内看板が立っているので道を迷うことはないのだが、その道がミカン畑の農作業車用の道なので基本的に軽トラ仕様。大きな車だと入るのは不可能だし、私のノートでも道幅は一杯。しかもノートで登れるのか心配になるような急斜面も何カ所か。ガードレールなどはないのでもし道を踏み外せば山上から真っ逆さまで確実に死ねるというルート。しかし一旦入ってしまったら引き返せるポイントもないので行けるところまで突き進むしかない。ギアをローに入れて冷や冷やでゆっくりと進んでいく。かなり高い山上まで登っていったところ、獣除けフェンスに突き当たってその前に車を置けそうなスペースがあったので、そこに車を置いてここから歩いて進むことにする。

道は段々と細くて急なとんでもないものになっていく(落ちたら確実に死ねる)

 歩いてしばらく進むと農作業中の人に出くわしたので尋ねたところ、さっきのゲートを開けてさらに先に車で進めたとのこと。確かに道はまだ続いており、徒歩で数分登った終点には登山者用の駐車場もしっかり整備されていた。しかしこの辺りは事情を知らない余所者には恐くてなかなかそこまで進めないところ。

左 この柵を抜けて進む  中央 道は続く  右 終点には駐車場と案内看板が

 ここからは山道になるのだが、その距離は大したことはない。通常なら5分もかからない。ただ計算違いは私の膝が全く上がらなくなっていたこと。昨日のダメージが確実に足腰に来ているようで、一向に足が前に出ない。ヨロヨロしながら何とか山上にたどり着く。

左 山道を進む  中央 案内看板に従って進む  右 本丸に出る

左 何段かになっている  中央 中の段  右 上の段

左 最上段からの眺め  中央 最上段  右 振り返って

 下草は刈っているようだし、看板まで整備されているということは地元の有志などがキチンと整備しているのだろう。そういう意味では先ほどのアクセス道路の怖ささえなければ訪問するのには良い城郭である。

 

 岩室城自体は非常にシンプルな作り。小さな曲輪がいくつか連なっているだけである。そもそも中世の城郭であるので、構造で防御するのではなく地形で守る仕組みになっている。大体こんな高い山の上まで誰が攻め上るんだろうという印象である(阿波氏はここを攻め上がったんだろうが)。

 

 城跡の見学を終えると慎重に山を下りてくる。傾斜が結構ある上に落ち葉が積もっているところがあるのが嫌なところ。もしズルッといったら命取りである。下まで降りてきた時にはホッとする。

 

 ようやく生き返った気がしたところで和歌山まで走ることにする。今日は和歌山県立近代美術館に立ち寄ってから帰る予定。ただまだ昼食を摂っていなかったので、久しぶりに「井出商店」でラーメンでも食べていくかと思ったが、既に店の前には行列があった上に駐車場が一杯だったのでとりあえず美術館を先にすることにする。

  井出商店には行列が


「宇佐美圭司回顧展 絵画のロゴス」和歌山県立近代美術館で4/17まで

 

 いわゆる抽象画であるのだが、初期の絵の具をぶちまけたような作品は極めて平凡で特に見るべきところがない。

 面白くなってくるのは、中盤以降の人物のシルエットをモチーフとして加えるようになってから。作品自体に奥行きが出てきて、変化や動きのようなものが見えるようになってきた。デザインとしてこういうのはありだろう。


 美術館の見学を終えると井出商店に向かう。駐車場には空きが出来ていたのだが、店の前の行列はさらに増えて20人ほどになっている。ただわざわざここまで来たのだから他の店を探すのも面倒だし、ここは客の回転が早いので待つことにする。

  かなりの行列

 15分ぐらいは待っただろうか。ようやく入店。私は特製大盛り中華そば(900円)を注文。さらに早寿司も頂くことにする。

 例によって普通にうまいラーメンだ。井出商店は和歌山ラーメンの祖とも言われており、テレビなどで日本一のラーメンと持ち上げられて有名になって、今や和歌山の観光資源の一つになっている。ただ私はこれが日本一のラーメンとは思わない。このラーメンが本当に日本一なら、日本のラーメン文化は底が浅すぎるというものである。トップクラスの美味しいラーメンの一つという辺りが正しい位置づけだろう。

 

 ただ一つ気になったのは、以前は店に近づくととんでもない悪臭が漂っていたのだが、今日はそれをあまり感じなかったこと。また心なしかスープが以前より淡泊になった気もする。私の記憶の不確かさもあり得るので、本当かどうかは自信が持てないが。

 

 ようやく遅めの昼食を終え、ここから長い家路につくことにする。しかしこれが体に疲労の溜まった長距離ドライブになり、想像以上にキツいものになったのだがとりあえず何とか無事に戻ってきた(実は一回危ない場面があったので、慌てて休憩を取った)。以前に比べるとやはり体に無理が利かなくなっているようである。

 

 山間の温泉に立ち寄りながら、久しぶりに本格的な山城訪問をしたのだが、体へのダメージは想像以上に大きかった。この疲労はこの後も二、三日は持続することに。やはり基礎体力からガタガタになっているようで、根本的な生活の立て直しが必要と痛感した次第である。

 

 それにしても今回の龍神温泉だけでなく、先に訪問した川湯温泉といい、その前に訪問した湯の峰温泉といい、紀伊半島の温泉は計り知れない底力を持っているということをつくづく実感した。後はこの地域で有名な温泉というと十津川温泉なのだが、あそこはアクセスがかなり悪い上に、旅館の価格相場も高いという難儀な場所である。ここはやはり最後の秘境になってしまうのか。

 

 

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