展覧会遠征 中部・関東・伊豆編

 

 さていよいよGWである。今年は車で関東方面に遠征する予定。この計画もかなり早期から何度も練り直したものである。今回の主目的は関東・中部地区の取りこぼした城郭を拾っていくこと。また今まで2度に渡って攻略断念をした諏訪の有賀城のリターンマッチも含んでいる。これに山梨での新指定の重伝建訪問、さらには東京地区での展覧会とか諸々を絡めることにした。最後まで悩んだのは交通機関。当初はGWの長距離運転もしんどいので鉄道+レンタカーで考えていたのだが、すると山城などを回る関係でレンタカーを3箇所で借りるか、一週間借りっぱなしという形になってしまいコストがかかって仕方ない。そこで「エイッ、もう車で行ってやれ!」になった次第。

 

 初日の29日は大阪での関西フィルのコンサートに参加してから名古屋方面まで走る予定。まずはザ・シンフォニーホールだが、その前に美術館に一カ所立ち寄る


「スイスデザイン」西宮市大谷美術館で5/29まで

  

 スイスは国を挙げてブランドイメージの保護に力を入れているのだが、そのようなスイスを代表するデザインについて紹介。

 スイスといえばアーミーナイフを連想するが、本展でもアーミーナイフの出展が数点ある。このアーミーナイフに象徴されるように、実用的で機能的であるのがスイスデザインの特徴の一つであるようだ。もっともアーミーナイフの中にも極端すぎて実用性はないような代物もあったが。

 一括りにスイスデザインと言っても、デザイナーによって表現の幅はあるので一概には言えないが、それでも過剰装飾を廃した一種のシンプルさのようなものは一貫していたので、これはスイスの国民性につながっているのかもしれない。アール・ヌーヴォーよりはアール・デコ的なのである。


 美術館の見学を終えると大阪まで移動。さて車を置く場所だが、今まで使用していた大きな駐車場がビル工事で閉鎖されることになったので、ホールの駐車場にとめるつもり。しかしあまり大きな駐車場でないのでもし塞がっていたら悲惨。そういうわけでやや早めに現地に到着することにする。幸いにして駐車場には空きがあった。

 

 駐車場に車を置くととりあえず昼食。いつものように「Da-Wa」「ステーキランチ(1000円)」

 昼食を終えると少し時間をつぶしてからホールへ入る。今日は菅野祐吾の交響曲の世界初演があるとのことだが、チケットは完売の模様。


関西フィルハーモニー管弦楽団第273回定期演奏会

 

[指揮]藤岡幸夫(関西フィル首席指揮者)

[ピアノ]横山幸雄

 

ラフマニノフ:鐘(原曲:前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 二短調 作品30

菅野祐悟:交響曲第1番<世界初演>

 

 第一曲目からいつにもなく関西フィルが華々しい演奏。こういう輝かしい音色も出せるのかと驚き。

 二曲目は横山のピアノが圧巻。この曲はかなり難曲だろうと思われるのだが、横山のテクニックはそんな困難さを微塵も感じさせない。それでいて技巧だけが前に出る演奏でなく、十分な叙情も出ている。

 菅野の交響曲はプレトークで藤岡が「分かりやすい曲」と表現していたが、確かにあまり現代音楽的な曲ではなく、美しく旋律を謡わせる部分が多い馴染みやすい曲。関西フィルの演奏もこの曲の魅力を十二分に伝える快演であった。


 なかなかのコンサートだったが、残念だったのは異常に早いフラブラがあり、結果として拍手の始まるのが早すぎたこと。観客の側に問題がいろいろとあった。また客席で騒ぎも発生しており、おかしな客がいたようだ。どうも昨今はあからさまに変な輩が増えており、いろいろな迷惑やらトラブルが発生して、無関係な罪のない者が一方的に被害を蒙ることになっている。ホール側もこういう輩は直ちに出禁にして欲しいところだ。日本人の劣化というか、公共マナーという言葉が死語になりかかっているように思われる。ホールでのマナーについて今後は徹底していく必要もあるだろう。

 

 コンサートを終えると長駆して小牧まで移動することにする。GWの渋滞を警戒していたのだが、意外にも道路は極めてスムーズ。何の問題もなく名神を通過して、予定よりも早めに今日の宿泊ホテルであるキャッスルイン小牧に到着する。

 

 ホテルに入ったところで夕食をとりたい。このホテルの二階に居酒屋が入っているとのことだし、ドリンク券をもらったこともありこの店「天手鼓舞」で済ませることにする。

 

 注文したのは「名古屋定食」「砂肝串」。味はまずまずなのだが、この店、人手が少ないのか店名さながらのてんてこ舞いぶりで、入店してもしばらく放置されるわ、注文したものは一向に出てこないわでサービス面がイマイチ。

 

 夕食後は入浴。このホテルには温泉大浴場があり、日帰り入浴なども受け付けている模様。温泉と言うほどの特別な湯ではないが、大浴場はなかなかに快適。ゆったりとくつろぐ。

 

 風呂から上がるとそのままマッタリ。この日は長距離運転の疲労もあるのでやや早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床する。やや体が重い。しかし今日は諏訪まで長駆する必要がある。シャワーを浴びて気合いを入れる。

 小牧城が見えている

 朝食はお約束通りのバイキング。品数はイマイチだが、名古屋名物小倉トーストなど奇妙なご当地食がおもしろい。

   名古屋名物小倉トースト

 8時過ぎにはホテルをチェックアウト、中央道を突っ走って諏訪湖を目指す。中央道は勾配がキツいのでそういう点での運転はしんどいが、道路の混雑はそれほどではない。ただ休憩を取ろうにも途中のSAは軒並み混雑警告が出ている。また調子よく走っているとトラップもある。走行中に怪しげな雰囲気の黒い車を見かけたので様子を見ていたら、私の横を一台のバンが抜いていった途端にその車から赤色灯が。やっぱり覆面だったようだ。こういうところでも彼らは小遣い稼ぎに余念がない。

 ようやく諏訪湖に到着

 結局は2時間ほどをかけて諏訪まで一気に突っ走ることになる。ようやく諏訪に到着するとここから山城巡り。本命は有賀城だが、位置的な関係からその前に二カ所ほど立ち寄るところがある。まず最初に立ち寄るのは「武居城」。諏訪湖の南岸にある中世の城郭である。1330年に執権北条高時の婿となった諏訪五郎時重がここに居城として築いたが、その3年後に北条氏滅亡の際に時重は高時と共に自害する。その後、諏訪惣領家の打倒をもくろんだ諏訪継満がここを修築して本陣にし、干沢城の諏訪勢と対峙したことが歴史に残っている。1542年に武田信玄が諏訪に侵攻した際には、諏訪頼重の家臣の篠原弥三郎が城代だったが落城、以降は諏訪大祝が預かることになるが、1585年に諏訪頼忠が諏訪一円を回復した後に廃城となったという。

 

 武居城は現在は森林公園になっているという。案内に従って車で進むとゲートがあるのでその前に車を置いてそこからは徒歩で進む。ところでこのゲート、車両進入禁止の表示はよいのだが、反対側には「動物進入禁止」の表示があった。どうやらこの辺りの鹿は表示を読めるぐらい知的レベルが高いらしい。もっとも表示に従う遵法精神を有しているかは不明だが。

   動物進入禁止のゲート

 ゲートを過ぎて山道をしばらく進むと遊歩道があるのでそれを進む。この道はいわゆる堀底道なのだが、足下は整備されているので進むのに不安はない・・・のだが、歩き始めて数分もせずに息が上がってしまう現在の私の体力の情けなさ。太股は大丈夫なのだが、ふくらはぎがつりそうな状態。相当に脚力が衰えている。

登山口から山道を登っていくと、疲れた頃にようやく看板が見える

 ヘロヘロになった頃に案内看板のところに出てくる。どうやらこの脇の尾根上が本丸らしい。尾根筋に沿って複数の曲輪が連なっている構造になっている。

左 案内看板の背後の尾根上が本丸  中央・右 本丸

 こういう尾根筋上にある城郭は背後からの攻撃がもっとも弱点なのだが、そちら側はかなり深い竪堀を掘って土橋状にしているので、一気に攻めるのは無理になっている。当然の防御である。難攻不落の堅城というほどではないが、中世の城郭としては防御は堅い方だろう。

本丸背後は土橋状になっていて、両側は深い谷

 武居城の次は大熊城を目指す。ただその途中で諏訪博物館の近くを通ったので立ち寄ることにする。博物館の展示は御柱祭に関する特別展示とこの周辺の考古学的な展示。やはりこの辺りもかなり早くから人間が住んでいたようで、石器やら土器の類はかなり出土しているようだ。

  諏訪博物館と御柱

 軽く博物館を見学してから改めて「大熊城」を目指す。大熊城が歴史に登場するのは先の武居城で出てきた諏訪大祝と惣領家の対立に関連して。大熊城は諏訪惣領家側の城として戦いに参加しているという。

 狭い道をかなり登っていくことになる

 地図で見た時には「本当にこんなところに城を造ったのか?」と疑問を感じていたのだが、実際に現地を訪れると狭い道をかなり登っていく必要があり、結構な高さの台地上になる。確かにここは城を造るには格好の場所である。

左 本丸の残骸  中央・右 かつては高速道路の向こうも城域だったようだ

 もっとも現在は高速道路がかつての城域の真上を通っているので、残念ながら残存する遺構はほとんどない。その中で往時の姿を想像するしかない。

 

 大熊城の見学を終えたところで、いよいよ今回の遠征の主目的の一つである「有賀城」のリターンマッチに挑むことにする。今までは江音寺からのアクセスを試みて断念しているが、今回は県道50号からのアクセスを試みることにする。こちらの方がかなり高度を稼げるはずである。

ここから登っていくことにする

 県道50号の脇に道路がやや広くなった部分があってそこに車を置ける。ここから木橋をわたって進むと、なんちゃって冠木門があって有賀城の看板も出ているので、それに沿って登っていくことにする。

   竪堀と堀切

 足下はしっかりしているのだが、例によってすぐに息が上がる。久々に自分の心音が聞こえてくるような状態。それでもヨタヨタになりながら登っていくと大きな竪堀のところに出る。

左 右手を登ると  中央 不動明王があり  右 その背後に堀切

 ここから南側に尾根を登ると不動明王の像があって背後に堀切が切ってある。そこをさらに進むとダラダラした尾根を登っていくことになる。

左 ダラダラと尾根は続き  右 高圧鉄塔が立っている

 息を切らせながら尾根を登り続けると高圧電線の鉄塔らしきものが見えるが、道はさらに上に続いている模様、そこでさらに登ったところ二つ目の鉄塔のある削平地に出たのだが、ここで何かがおかしいことに気づく。どうも城跡らしい構造が見つからないのである。先ほどの尾根筋もひたすらダラダラと登るだけで曲輪の加工もなかったし、ここの平地も曲輪のイメージではない。

 とうとう2つ目の鉄塔にたどり着いてしまった

 慌ててネット検索。有賀城の縄張り図のようなものが出てくるが、鉄塔の記載がない。おかしいと思ってさらに調べると「本丸の奥の一番はずれにお不動さんの像が」の記述が。「やってしもた!」と思わず大声が出る。私は城域をはずれて無関係の背後の尾根をひたすら登ってしまったらしい。それでなくても体力不足でヘロヘロだというのに、無駄な体力を消耗してしまった。登城路を登った時、ずっと南側に尾根筋が延びているのを目にしていたので、てっきり本丸はその上だと思いこんでいた。事前調査が甘すぎたようである。慌てて足下に注意しながら再び尾根を降りていくことになる。

 

 改めて不動明王像のところまで戻ってくると、確かにここの二重の堀切は背後の尾根からの攻撃を防ぐための構造であり、さらに北側の大堀切が完全に敵を妨げる構造になっている。ここから北側に回り込むと、本丸にたどり着いた。

左 不動明王裏の二重堀切  中央 大堀切の北に回り込む  右 曲輪が見えてきた

ようやく本丸に到着

本丸より諏訪湖を望む

 有賀城本丸は背後からの攻撃を防ぐためにかなり高い土塁を築いており、東と西は急斜面である。南側には五段の曲輪が築いてある。

左 本丸は以後には土塁  中央 数段の曲輪が見える  右 一段下の副郭

左  さらに下の三の曲輪  中央 下に見えるのが四の曲輪  右 一番下のの五の曲輪

 いずれの曲輪もそれなりの面積があり、一番下の曲輪からは江音寺方面に通じると思われる道が見える。

 五の曲輪の先に江音寺に降りる道が

 なかなかの規模の上に見応え十分の城郭であった。わざわざここまでやってくる価値を感じさせるものだったが、無駄に体力を費やしてしまったのは計算違いだった。鈍った体を立て直すと言っても、これは少々キツすぎた。

 

 有賀城も武居城と同様に、尾根筋の背後を断ち切って城郭にするというパターンの城郭である。背後の山上ではいかにも高すぎるということだろう。しかしあの山上には曲輪にできそうな地形もあったし、赤松氏のような高山好き?なら、あの山上に城郭を築いたかもというような気もする。

 

 有賀城の見学を終えると最後は「花岡城」を訪問。ここも地図を見ているだけでは分からないような急な斜面の上にある。元々は腰曲輪と思われる場所に車を置ける。城跡は公園整備されてしまっているが、本丸背後の土塁や二の丸周囲の土塁など、明らかに城跡であることが分かる構造が残っておりそれなりに見所はある。

左 車を置いた腰曲輪  中央 登っていくと  右 本丸にたどり着く

左  結構な高さがある  中央 ここから下に降りていくと  右 どうやらここが二の丸跡か

 これで今日見学予定だった城郭は回り終えたが、よく考えるとまだ昼食を摂っていない。今日の宿泊ホテルである諏訪レイクサイドホテルに向かいながら適当な店を探すが全く見つからない。しかも諏訪周辺の道路は大混雑で走りにくくて仕方ない。結局、ホテル隣のモスバーガーで昼食。ファーストフードは私はほかに選択肢のない場合の非常食扱いなのだが、早くも非常食の登場とは・・・。なおマクドナルドは犬の餌扱いなので、最初から食料としての枠にカウントされていない。

 この日の昼食

 ホテルの外観はかなり古びてくたばった印象。これを見た時には「失敗したかな・・・」とややテンションが落ちる。しかし中はキチンと綺麗にしているようで安心する。部屋も古びてはいるが普通のビジネスホテル仕様である。

  

やや外観はくたびれているが、中は至って普通だった

 ホテルにチェックインすると、何はともあれ風呂。ここのホテルは一階に温泉大浴場がある。湯は上諏訪温泉のアルカリ単純泉。特別なヌルヌル感はないが快適ではある。

 

 入浴を終えて部屋に戻ると夕食時間まではマッタリと過ごす。この原稿の入力などもしているが、疲労でとにかく頭が回らない。長時間運転の挙げ句の山城巡りは、体力もさることながら思った以上に精神力も消耗させていたようだ。結局は何をするでもなく半ばボンヤリすることに。その内に夕食の時間がくる。

 

 夕食はバイキング。豪華というわけではないが、品数はそれなりにあって味もまあまあ。とりあえず腹が減っているのでガッツリと食べておく。

 それにしても今日は疲労が半端でない。23時前にはベッドの上で意識を失ってしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩は早めに床についたのだが、決して快眠とはいかなかった。どうも部屋が暑くて途中で何度も目が覚めながら朝までウトウトという状態。7時に目覚ましで起こされるが、懸念していたように体がだるい上にあちこちに軽い痛みがある。

 

 起きるとまずは最上階の展望レストランでバイキング朝食。レストランからは諏訪湖が見えるが、もう諏訪湖の風景自体はさして珍しくは感じない。朝食後に朝風呂。湯の温かさが体に染み入る。さて、今日も気合いを入れていかないと。

 

 8時過ぎにホテルをチェックアウトすると中央道を長距離走行することになる。今日は甲府で宿泊の予定だが、その前に大月に立ち寄るつもり。目的は日本三大奇橋にも挙げられる猿橋を見学すること。大月は以前に岩殿城見学のために立ち寄ったことがあるが、その時には時間と距離の関係で猿橋は見学していない。そこで今回、長年の宿題解決である。

 

 GWということで渋滞を警戒していたが、中央道は予想に反して至ってスムーズ、あの大崩壊で事件になった笹子トンネルを通過すると、2時間ほどで大月ICに到着する。

 

 大月ICからは国道20号を東進、猿橋の手前に猿橋公園があるので、そこの駐車場に車を置いてから徒歩で猿橋の見学に向かう。

 

 それにしてもこの桂川沿いの断崖は圧倒的である。猿橋公園の方から眺めると、住宅が断崖の上に建っているのが見える。これはいささか怖い。

 断崖の上に家が建っている

 猿橋までは300メートルほど。確かに奇橋と言われるだけあって独特の形態をしている。切り立った断崖に橋桁なしで橋を架ける場合にはこの形態が最も合理的だったんだろう。

 以前に「美の巨人たち」で、猿橋を写真に収めるのは難しいと言っていたが、実際に撮影してみると確かにその通りである。普通に撮ると橋下の桁のところが真っ黒になって写らないし、かと言ってそこに露出を合わせると全体が真っ白になってしまう。これは難儀な被写体だ。

桁の部分と橋の上

 猿橋の見学を終えて車のところに戻ってくると、ついでに大月市郷土資料館を見学。この手の施設のパターン通り、内容は考古博物館+民俗資料館。猿橋の修復についての説明資料があったが、現在の猿橋は今後は良質の木材を入手することが困難なことも考慮に入れて、一部の橋桁は木を被せた鉄材を使用しているのだとか。この調子で行けば、姫路城天守閣なんかも次の修復の時ぐらいには、心柱が木を被せた鉄材とかになってしまうかも。

 大月市郷土資料館

今の猿橋の桁の芯には鉄骨が入っているらしい

 大月での用事を追えると中央道で山梨方向に戻る。次の目的地は昨年に重伝建に指定された甲州市塩山下小田原上条。山間の養蚕集落の町並みが残っているという。

 

 国道411号を北上、福蔵院を目指して走ることになる。その手前に観光客用の駐車場が整備されている。どうやら重伝建指定にあわせて一応の観光整備は行われたようだ。

左 福蔵院の山門  中央・右 金井加里神社

 駐車場の整備だけでなく巡回ルートまで設定されており、その看板に従って回っていくと見所を大体回れるようになっている。なかなか徹底した観光整備ぶりである。ただ回る集落自体は山中の普通の住宅地であり、観光客相手の商売などの様子はない。私のような観光客の立場ではありがたいが、この観光整備は果たして地元には何らかのメリットがあるんだろうか? もっとも地域に観光客を白眼視するような空気は全くなく、長閑な良いところと言う雰囲気の集落である。散策していると癒されるような気になる。

長閑な山間集落の風情である

 重伝建見学の次は山梨県立美術館の見学である。甲府市まで再び長距離のドライブとなる。今日も結構な距離を走っている。

 

 美術館が近づいてきたが、美術館に入館する前に昼食を摂っておきたい。甲府と言えばやはりあれか。美術館近くの「甲州ほうとう小作」に入店する。この暑いさなかに熱々のほうとうはという気もあったが、さすがに店内は冷房を効かせてあり、すぐに冷たいお茶が出てくる。そこで「鴨入りほうとうのセット(2100円)」を注文する。

 鴨肉入りのほうとうに小さなウナギ飯とデザートのわらび餅がついている。ほうとうはお約束通りにカボチャを初めとする野菜がたっぷり。もっちりした麺が何とも言えずうまい。やはり甲府と言えばこれに限る。かなり久方ぶりのほうとうを堪能したのである。

 

 腹も膨れて満足したところで向かいの美術館に入館する。この美術館も久しぶりだが、結構私の好きな美術館である。


「ルネサンスの巨匠 ミケランジェロ展」山梨県立美術館で6/12まで

 彫刻のみならず、絵画から建築まで幅広い才能を示したルネサンスの巨人・ミケランジェロだが、本展では主にその建築に重点を置いた紹介をしている。

 ミケランジェロ本人は「自分はあくまで彫刻家であり、画家の真似などできない」と言っていたらしいが、教皇からの命令で有無も言えずに不本意ながら取り組んだのがシスティーナ礼拝堂の壁画であるが、結果としてこれが彼の絵画の才能をも証明することになったのは皮肉ではある。

 建築に関しては、最初は建築の装飾を手がけていた関係で建物本体の設計にも携わるようになり、書物などを参考にして取り組んだとのことである。しかし後には装飾のないシンプルな建築物の設計にも取り組んでおり、彼がこの分野の能力をも有していることを証明することになった。

 本人はあくまで本業である彫刻のみに専念したかったようだが、周りからの無茶ぶりに対応している内に才能を広げていったようである。何とも奇妙なキャリアアップ法に見える。


 特別展の鑑賞後は常設展の方も鑑賞していく。ここはミレー美術館と言われるぐらい、国内ではミレーの作品が多いことで有名であるが、以前に何回も見た名作が展示されている。落ち穂拾いや種播く人が目玉である。またミレー以外でも牛のトロワイヨンなどバルビゾン派の名品がそろっていて見応えがある。

 

 美術館の見学を終えたところで一息つきたくなった。向かいの文学館内の喫茶でパフェを頂いて一服。

 これでもう今日の予定は終了だ。3時を回ったことだし、早めだがホテルにチェックインしてしまうことにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン甲府。最近人気の高級ビジネスホテルである。最近はやけに価格が高騰したせいでなかなか泊まれなくなっていたが、甲府のドーミーはまだ比較的価格がマシだったのと、元々私の贔屓のホテルであることから少し張り込んだ次第。

 

 ホテルにチェックインすると早速最上階の温泉大浴場へ。やや褐色の湯が浴槽に満たされていて実に快適。久々のドーミーはいいな・・・。

 

 風呂に入ると着替えの洗濯などをして時間をつぶす。TVをつけると鉄拳が「こんな笑点はイヤだ」とかやっている。「昇天」ってのは誰でも考えるネタか。

 

 6時過ぎになったところで夕食のために町に繰り出す。ドーミーイン甲府は甲府銀座なる繁華街の中にあるのだが、この繁華街が見事なまでのシャッター街である。ただ私が目当てにしていた店は営業していたのでホッとする。立ち寄ったのは「銀座江戸屋」。山梨の郷土料理の店だが、店名には山梨らしさは全くない。

 注文したのは、まずは甲府名物の「鳥の肝煮」「馬刺」。さらに「ドジョウ鍋」「ホッキ貝の刺身」を追加。鳥の肝煮は相変わらずクセがなくてうまい。また馬刺もよい。ドジョウ鍋については浅草の老舗には負けるのは仕方ないか。ホッキ貝の歯ごたえが心地よい。

  

  

 さらに「砂肝」を追加したところで一大決断。実は前々から気になっていたメニューが一つ。それは甲府名物の「煮貝」。アワビを煮た郷土料理だが、素材が素材だけに価格が高く(この店でも税抜き1980円)、今までパスしていた次第。しかしこのままではもしもの時に悔いが残りそうである。というわけで今回は清水の舞台から紐なしバンジーでこれを注文。

  

 アワビの貝殻に盛られて出てきた料理は見た目も豪華。シコシコした身が美味いが、やはり抜群なのはアワビの肝。コクがあってうっとりするような旨味がある。この値段でなければ毎週でも食べたい料理だ。

 最後は締めでサケ茶漬け。今回は山梨の郷土料理を堪能したが、支払いはアワビが響いてトータル6480円。やってしもたというところだが、もうこうなると開き直るしかない。

 ホテルに戻るとテレビを見ながらマッタリ。「真田丸」が始まったので見るが、完全に現代劇になってしまっていて見ていても面白くない。しかしそれ以上に致命的に耐え難いのが、登場人物が明らかに頭のおかしな奴ばかりでまともな普通の人物がいないこと。NHK大河ドラマも、切り札とも言える真田をネタにしてこんなものを作ってるようならもう先がないわ。おかしな連中のおかしなドタバタ劇は描けるが、普通の人物の普通の心情を描けないという三谷幸喜の限界が露骨に現れている。明らかに脚本家の選定で失敗したと言うべきだろうな。やっぱり今はまともな脚本書ける奴がほとんどいないということか。多分、その手の職業に就く連中にオタク的な連中が増えて、人間をよく知らない輩ばっかりになったんだろう。そう言えば三谷幸喜もかなりの人見知りだと聞いたことがある。

 

 夜にもう一度入浴すると、ドーミー名物の夜鳴きそばを頂いて一服。とにかく疲労が強いのでこの日は早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に目が覚めるのでまずは朝食。腹が膨れるとしばし部屋で休息した後、朝風呂を浴びることにする。

 

 今日は予定がほとんどないのでホテルで9時頃まで休んでからチェックアウトする。

 

 今日の予定はと言うと・・・実はほとんど何もない。今日は湯河原温泉に宿泊するつもりなので、そこへの移動がメイン。大月から河口湖を経由して東富士五湖道路を走行。今のところ天気がよいので富士がよく見える。

 

 御殿場を過ぎると箱根方面へ。芦ノ湖スカイラインを走行。途中の展望台で風景を眺めるが、この頃になると雲が出てきて富士は見えなくなっている。また火山活動が活発化している大涌谷の方では白煙が上がっているのが見える。おな途中のレストランでそばを食べたが、注文を放置されてさんざん待たされた(そば一杯に30分以上)挙げ句に出てきたものもCPがかなり悪い。やはりこういうところのレストランはそれなりということらしい(それにしても想定レベル以下だが)。

芦ノ湖スカイライン

左  芦ノ湖  中央 大涌谷方面  右 大涌谷は激しい火山活動中

 芦ノ湖スカイラインを抜けると成川美術館に立ち寄ることにする。

 


「師弟のきずな〜山辰雄と上田勝也〜」成川美術館で6/15まで

 

 高山辰雄とその弟子に当たる上田勝也の作品を展示。

 高山辰雄については以前に大分で大量に見たような淡い色彩のどこか幻想的な作品が多い。上田勝也については、幻想性はあるものの高山辰雄よりも写実的でシャープな印象の作品であり、単純に師匠の真似をしているというものではないようだ。特に人物の描き方にかなりの違いを感じた。意外と面白い作品である。


 成川美術館は喫茶から眺める富士の風景も大きな売りなのだが、この時は残念ながら曇ってきたせいで富士は全く見えなくなっていた。

 

 美術館の見学を終えると再び移動。ただこのまま湯河原温泉に直行というのも芸がないので、途中で「土肥城跡」に立ち寄ることにする。土肥氏は源頼朝と関わりの深い氏族であるが、その土肥氏が本拠にしていたのが湯河原周辺で、土肥城はその詰めの城であるという。

 

 ワインディング道路の県道75号の途中に土肥城跡につながる道がある。そこのところには車が置けるようになっているので徒歩で進む。尾根筋を微妙に登ったり下ったりしながら歩くことになるが、ここに来て空模様が怪しくなってきたので急ぐことにする。傘を持ってこなかったのでもし本格的に降り出したら難儀である。

 

左 入口にある石版  中央 その裏手の道を進んでいく  右 目的地到着・・・じゃなくてここはまだ中間点

 尾根筋を歩くこと20分強ほどで最後の登りの山道にたどり着き、それを少し登るとすぐに頂上が本丸である。

左 鬱蒼とした道をさらに進む  中央 ここから山道になる  右 この山道を抜けると山頂はすぐ
 

 かなりの岩山で巨岩がゴロゴロしているのだが、石垣があるようなないようなで今ひとつよく分からない。またザッと見たところ周辺に曲輪らしきものがみあたらず、ほぼ単郭に近い城に思われる。詰めの城ということなので結構シンプルなものなのだろうか。どちらにしろ構造よりも地形で防御するタイプの城郭である。

左 山頂には城跡碑がある  中央 本丸風景  右 硯石

 サクッと見学を終えると再び駐車場に戻ってくる。しかし往路でやや急いだこともあって足にダメージが来ている。往路では意識しなかったような微妙な下り道が、帰路では嫌な登り道となって足に襲ってくる。ようやく駐車場にたどり着いた時にはかなりの疲労が蓄積することに。

 

 車に戻ると再びワインディング道路の県道75号を走行する。これも地味に疲れる行程。しばらく走行して、ようやく山から降りてくると湯河原温泉街に入ってくる。川沿いの谷筋にホテルがパラパラとあり、降りてくるにつれて町になってくるという構造で、以前に訪れた三重の湯の山温泉と雰囲気が似ている。

 

 今日の宿泊ホテルは旅館なわ井。表通りから入り込んだ位置にあり、その間の道が私のノートでも左右カツカツという状態。これは大型車だったら進退窮まるだろうし、車幅感覚のないドライバーだったら角を曲がるだけで冷や冷やだろう。私はこの手はかなり山道で鍛えられたのでどうにかこうにかくぐり抜ける。

 

 旅館の建物はかなり古いようだ。斜面に建っているので入口が1階、風呂があるのが2階、客室は3階という構造。エレベーターなしの3階は少々ツライ。

 

 部屋に入って着替えると、早速入浴することにする。温泉はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉の弱アルカリ泉で温調のための加温・加水はするが、塩素・循環なしの源泉掛け流しである。しっとりした湯で肌によく馴染む。

 

 入浴を済ませると後は夕食までは部屋でマッタリ過ごす。それにしてもつくづく疲れている。体がダルくて仕方ない。

 

 夕食は6時に部屋食。会席料理で品数は結構あり味も良い。ただボリュームは若干少ないか。

 夕食が終わると布団を敷いてくれるので、早めに床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床する。朝風呂を浴びると8時に朝食が運ばれてくる。朝食も結構品数が多いが、とにかくご飯がうまい。朝からたっぷりと頂く。

 さて今日の予定だが、東京方面まで移動するつもり。八王子で宿泊してそこから都心の美術館を訪問する予定である。宿を出たのは9時頃。東京に行く前に近くの不動滝を見学していくことにする。

 

 不動滝は温泉街のはずれの方にあり、駐車場まで完備している。売店の裏手の方に祠と滝がある。そんなに大きな滝ではないが、いかにも御利益がありげな雰囲気を湛えた滝ではある。

 

 不動滝の見学を終えると東京まで長駆移動になる。ただ下り方向は各地で渋滞しているが、上り方向はスムーズに流れている。

 

 さて今日の宿泊地だが八王子にしている。東京に行く目的地は都心の美術館巡りなのだから、もっと都心に近いホテルにすればよいのだが、そうすれば駐車場がないかベラボウに高いことになる。私の東京での定宿のホテルNEO東京なども駐車場はない。となると必然的にその周辺の駐車場に車を置くことになるが、料金が高い上にあの辺りの駐車場に2日間も他県ナンバーの車を置いておきたくない。その辺りを勘案した結果、最終的に宿泊地は八王子になった次第。

 

 ただ今日は八王子直行でなく、その前に調布に立ち寄る。ここにある「深大寺城」を見学するつもり。扇谷上杉氏の城だったが、北条氏綱の上杉攻めでは氏綱はこの城を無視して一気に上杉氏の本城の河越城を攻略してしまい、その後に廃城になったらしい。

 

 深大寺の北に植物園があるのでそこの駐車場に車を置こうと思ったのだが、なんと植物園周辺は大量の車が押し寄せて大混雑。第一駐車場は満車、第二駐車場も満車、臨時駐車場も満車という状態で、第何番目か分からないぐらいの臨時駐車場に案内される。しかも車を置いて調べてみると、深大寺城があるのは植物園よりも南の水生植物園のところだということなので、かなり歩くことになってしまう。

植物園から深大寺にかけては大混雑

 植物園の横を抜けて深大寺のところまでたどり着いたが、この辺りは大混雑で渋谷か原宿のような状態。昼食は深大寺周辺でそばでもと思っていたのだが、そば屋はどこも大行列でそれどころではない。段々と馬鹿らしくなってくる。

   この水生植物園は元は湿地だろう

 深大寺城は水生植物園の東側の丘陵上にある。以外と高さがあり、水生植物園が元々は沼地であっただろうことを考えると、決して守備力の低い城ではない。

意外とそのままの地形が残っている

 遺構としては本丸周辺の土塁や、二の丸と本丸の間の空堀などが残っている。本丸、二の丸共にそれなりの面積があり十分な兵力を配置できそうである。そう考えると無視できるような城ではないのだが、それが無視されたというのは、この頃になると上杉氏はここに十分な兵力を配置する力がなかったのではないかと推測される。大して脅威になるほどの兵力がおらず、なおかつ力攻めで一気に落とすには堅い城だったから、氏綱は付城を作って監視するだけで無視したのだろう。

左 第一郭  中央 一郭の土塁と城跡碑  右 第二郭手前の空堀と土塁

左  第二郭  中央 建物跡  右 第二郭を土塁がグルリと取り巻いている

 大した遺構は残っていないのではと思っていたが、現地に行ってみると思いの外、城郭としての雰囲気が残っていた。続100名城Aクラスは無理でも、Bクラスぐらいには該当する城郭である。

 

 深大寺城の見学を終えると八王子のホテルに移動する。宿泊ホテルはサンホテル八王子。八王子駅近くの駐車場を持つホテルである。大浴場がないのだけが私の好みとはズレる。

 

 ホテルに到着したのはチェックイン時刻の前だったが、駐車場が空いていたのでチェックイン手続きだけはして車は置かせてもらう。車を置いたところでJRで東京に向かうことにする。最初の目的地は新宿の美術館。ただ今日はまだ昼食を摂っていなかったので、新宿の「ぜん」で出汁茶漬けをかき込んでから美術館へ向かう。


「フランスの風景 樹をめぐる物語 −コローからモネ、ピサロ、マティスまで−」損保ジャパン日本興亜美術館で6/26まで

  

 樹木をモティーフとして、ヨーロッパ絵画の変遷を探るという展覧会。

 樹木と言えばやはり最初はバルビゾン派から始まるが、この頃はかなり緻密に葉などを描き込んでいるのが、印象派辺りになるとザックリとしたイメージで樹木を描くようになり、それ以降になると完全に一体の塊としての描き方になる。

 こうやって見ていると、この間の絵画の流れが果たして進化なのかどうかに疑問も湧いてくる。初期の印象派の絵画に浴びせられた「未完成な稚拙な絵」という罵倒が意外と的を射ているような気さえしてくるから不思議でもある。


 

 新宿から原宿経由で乃木坂に移動。それにしても原宿駅は異常な混雑である。歩きにくくて鬱陶しくて仕方ない。


「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」国立新美術館で8/22まで

 

 オルセー美術館及びオランジュリー美術館から貴重なルノワールの作品を集めて展示。

 最大の目玉はルノワールの最高傑作とも言われる「ムーラン・ ド ・ ラ・ギャレットの舞踏会」。多くの人物がみっちりと描き込まれた大作で圧倒される感がある。これ以外でも一般的に馴染みのある作品が多数展示されているが、オルセー展は今まで何度も開催されている関係で、どこかで見たことがあるという作品が意外と多い。

 珍しいところではルノワールの風景画が多数展示されていること。この辺りはいつもの女性を描いているルノワールとはかなりタッチも違う。

 有名どころ作品も結構あるが、全体としての印象は意外と渋いないようだなというもので、結構マニアックとも言える。それはそれで面白いのであるが。


 

 国立新美術館を後にするとここからサントリー美術館まで歩く。

 


「原安三郎コレクション 広重ビビッド」サントリー美術館で6/12まで

 

 歌川広重と言えば大抵は東海道五十三次で始まるところなのであるが、あえてそれではなくて江戸名所百景や六十余州名所図会を中心に展示しているというところがマニアックな展覧会である。

 共に広重の晩年の作品であるので、東海道五十三次の頃から見られていた広重独特のデフォルメや浮遊する視点、さらに巨大な前景越しの描写(俗に実相寺アングルなどとも言うが)などの特徴がさらに拡大深化されている。そういう点でより濃密な広重らしさを感じることができ、なかなかに興味深い展覧会となっている。


 

 なかなかに面白い展覧会であった。ただ城跡巡りの後での美術館三連荘はいささか疲れたのも事実。そこで美術館の見学を終えたところで「加賀麩不室屋」麩あんみつで一服。甘さが体に染みいる感覚。生麩ってこんなにうまいんだね。

 

 深大寺で歩きすぎたせいでもう既に一万歩を越えている。長距離ドライブもあったし、既に体力は完全に限界に達しているので、もう今日はこれでホテルに戻ることにする。ただその前にここの地下の「平田牧場」で夕食を食べていくことにする。「とんかつ定食」を頂くことに。内容には不満はないが、やはり場所柄CPはやや厳しいものがあるが、今はそんなことを言っている余裕がない。

 ようやく八王子のホテルに戻った時にはグッタリと疲れていた。この日はシャワーを浴びると早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は晴天だがとにかく風が強い。8時過ぎに出かけたが、体がぶっ飛ばされそうな強風。とりあえず駅周辺で朝食を摂れそうなところを探すが適当な店がないので結局はパン屋で済ます。

 

 朝食を済ませると東京まで移動・・・のつもりなのだが、この強風のせいで中央線が徐行運転とかでダイヤが滅茶苦茶。乗るつもりの特快は到着が散々遅れた挙げ句に快速に変更される始末。しかもダイヤが滅茶苦茶の運行本数も減少なので、車内の混み方が半端でない。ついには車内は通勤ラッシュ並に。それにしても東京という町は高ストレス都市である。こんなところで暮らしていたら人間が殺伐としてくるのも納得である。その挙げ句に町中で刃物を振り回すようなおかしな奴が出てくるというわけである。やはり東京の解体は最早待ったなしである。

 

 通常よりもかなり余計に時間がかかってようやく東京に到着。しかしもう既に疲れてしまったというのが本音。しかしそうも言っていられないので最初の目的地へ。

 


「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」東京ステーションギャラリーで6/19まで

 

 川端康成は美術品収集家の側面も有しており、結構様々なコレクションを集めていたという。それらのコレクションを展示している。

 川端康成個人の審美眼に基づいたコレクションだけに、内容にはかなり偏りがあるが、それでも伝統的作品から現代アートまで結構幅広い趣味があったと言うことが覗える内容になっている。もっとも中には彼が個人で蒐集したというのではなく、ノーベル賞受賞の記念に頂いたという作品もあるので、そういう作品は明らかに他とレベルが違っていたりなんてこともある。

 美術品云々と言うよりも、そこから透けて見える川端康成の人となりに焦点を合わせているのが実は本展の主題だったりする。


 

 次の目的地はここから歩いていける美術館。落ち着いたハイソな雰囲気のある美術館だが、正直なところ根っからのプロレタリアートである私には、成金ヒルズなんかとはまた違った意味で苦手な雰囲気である。


「北大路魯山人の美 和食の天才」三井記念美術館で6/26まで

 

 魯山人の陶器作品を中心に展示した展覧会。以前に別の魯山人展を見学した時に感じたのだが、魯山人の器は料理を盛って完成品であり、器単独では「どこかが足りない」感が強い。また特に初期の器はまだまだモノマネ的な印象が強く、作品的には面白さが薄い。

 陶器単独で見た場合の魯山人の作品は「平凡」という印象が強く、それがいくらか解消されていくのが晩年の作品。ただそれが面白いというところまで行っているかは微妙。


 

 展覧会の見学を終えたところで、ついでにここのレストランで昼食を摂ることにする。「アサリとエンドウ豆のおこわ」があったので、これにデザートに抹茶アイスをつけて今日の昼食。

   

 昼食を終えると地下鉄を乗り継いで次の目的地へ。しかしそれにしても今日は暑い。なにか外を歩いているとそれだけで体力を削がれる。


「安田靫彦展」東京国立近代美術館で5/15まで

 

 多くの歴史画の名作で知られる日本画家・安田靫彦の展覧会。

 当初の写実的な作風から己の作風を追求して、最終的には線を活かした簡潔で余白の多い画面構成に到達するのであるが、その過程を追って観察することが出来るようになっている。

 とは言うものの、彼のこの作風はこれはこれで芸術として完結しているし、完成度も高いものと感じるのではあるが、この手の作風が私の好みかと言えばそれとは違うというのは動かしがたい事実。そういうわけで個人的には彼の作品にはあまり興味が持てなかったというのが現実なのである。


 

 私は所詮は芸術作品は自分の好き嫌いで見ているので、どうも評価が世間一般のものとズレることがある。世間的には無名でも非常に面白いと感じる作品もあれば、世間の評価が高くても全く面白いと感じられない作品もある。こればかりはどうしようもないところ。

 

 やはり疲労が溜まっているのか異常に体がへばっている。正直なところもうホテルに帰って寝たいというところ。しかしそう言うわけにもいかない。とりあえず後二カ所だけ回ることに決めて地下鉄とバスで次の目的地へ移動。


「奥村土牛−画業ひとすじ100年のあゆみ−」山種美術館で5/22まで

  

 山種美術館のコレクションの中でも大きな比重を占めるという奥村土牛の作品をまとめて展示した展覧会。

 とは言うものの、やはり土牛の作品は私の好みとはややズレる。ややデッサンが狂っているのではと見える形態や、ボケて精彩を欠くように感じる色彩。どちらかと言えば明確な絵を好む私とは相容れない境地のようだ。


 

 正直なところイマイチであった。どうも私は安田靫彦とかこの手の典型的な日本画は性に合わないようだ。それにしても今日は暑い中をわざわざ出てきたのに、ここまでの展覧会は私的にはことごとくハズレである。テンション落ちるわ・・・。とりあえず最後に期待してもう一カ所。

 

 次の美術館は久しぶりの再訪。ただ以前に来た時にあまり良い印象が残っていない。その理由は駅に到着してから思い出す。ここの美術館は駅から無駄に距離がある上にその道のりが坂道。

  雰囲気の良い散策路もあるのではあるが・・・

 昼食が軽かった上に今日は歩き回って既に一万歩を越えている状態なので、ここに来てガス欠で頭がフラフラしてきたので、美術館に入場するととりあえず見学の前に喫茶に立ち寄ってお茶をすることにする。

 

 サイダーでようやく意識が回復してきたところでいよいよ見学。


「没後40年 島野十郎展−光と闇、魂の軌跡」目黒区美術館で6/5まで

  

 東京帝国大学農学部を首席で卒業後、独学で画家への道を目指して研鑽を重ねた孤高の画家・高島野十郎の展覧会。

 光と闇の追究が彼の生涯の課題であったとも言われるのだが、彼の作品は時々ギョッとさせられるぐらいにリアリティと存在感のあるものがある。影や光沢の表現にかなり高度なものを感じさせるのである。またひたすら蝋燭の炎を描き続けた一連のシリーズなどのように、非常に研究的で挑戦的な作品もあって芸術家でありながら理系的な思考を感じさせられるところがある。

 この辺りが私と嗜好が一致するのか、かなり突飛な作品もあるにも関わらずなかなかに興味を刺激される作家であるのである。


 

 ようやく最後に面白い展覧会に当たったというところ。これでやっと帰れるというところだが、さすがにサイダーとコーヒーやクッキーだけだともう燃料が切れてきた。駅までの帰りに「麺屋黒」に立ち寄ってラーメンを一杯食べていく。濃いめのスープに太めの麺を組み合わせたラーメンで、結構私の好みのタイプ。

 腹が膨れて体調が持ち直してきたところでようやく八王子に帰ることにする。

 

 ホテルに戻ってきたらすぐにバタンキューになってしまった。近くに銭湯があるらしいからそこに入浴に行こうかと思っていたが、しんどくて出かける気にならないのと、ネットで調べるとそこはモンモンが禁止されていないためにモンモン比率が異様に高いとの記述もあったことからやめにする。

 

 しかしそれでも夕食は食べに行く必要がある。遠くまで行く気にならないので、ホテル近くの「とんかつ専門店大國」「特上ロースカツ定食(1350円)」を注文。ボリュームもあってなかなかの内容。町のとんかつ屋さんである。

  

 腹は膨れたが、よく考えると2日続けてトンカツだった。いいのか?これで?

 

 ホテルに戻ると翌朝の朝食を申し込んでから部屋に。部屋に帰ると疲れが出てきてベッドでバタンキュー。この日も早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 早く寝過ぎたか、翌朝は6時に目が覚める。今から寝直す気もしないのでそのまま起床、6時半にはホテルでバイキング朝食を摂る。

 

 シャワーを浴びて身支度すると9時前にはチェックアウトする。今日は基本的には移動以外にほとんど用事がないので急ぐ必要がないのだが、このホテルにいつまでもいてもすることがない。せめて大浴場があればまた違うのだが。

 

 今日は伊東温泉で宿泊する予定なので伊豆までの長駆移動である。ただその前に八王子の城郭に一つ立ち寄る。

 

 立ち寄ったのは「片倉城」。築城年代は明らかではなく、扇谷上杉氏の家臣である長井氏の城郭とされているが確証はないとのこと。また後北条氏の時代にも使用されており、その際に手を加えられた可能性もあるという。

 

 現在は城跡公園として整備されている。なお先人の報告では駐車場は4台程度しかなかったとのことだが、私の訪問時には10台以上が駐車できる駐車場が整備されていた。ただし17時以降は閉鎖されるようだ。

 片倉城公園駐車場

 片倉城は西からせり出した台地の上にある城郭で、北・東・南は断崖になっており、また周囲は沼地だった可能性がある。本丸の腰曲輪に当たる場所は現在は住吉神社になっている。

住吉神社があるのが腰曲輪のようだ

 本丸はそれなりの広さがあるが、ここから空堀で仕切られて西側にある二の丸がかなり広い。ここの間に木橋が架けられているが、往時ももっと深い空堀の上に木橋を架けていたと思われる。

そこから一段登った先が本丸

本丸から堀を橋で渡って二の丸へ
 

 二の丸の西は畑が広がるが、ここも空堀を隔てて三の丸があった可能性があるという。となるとこの城郭は三方は断崖と沼で守られ、唯一の攻め口である西側には巨大な曲輪を連ねた要塞であったということである。

左 二の丸西のこの畑が元三の丸か  中央 二の丸北には空堀らしき構造  右 その先はかなり深い

 一昨日の深大寺城といい、東京にまだ結構立派な城郭が残っていたことには驚きである。東京でこれだったら、埼玉辺りにはまだまだ城郭がありそうだ。

 

 片倉城の見学を終えると伊東まで長距離ドライブである。南下して横浜町田ICから東名高速に乗るが、カーナビの地図が古いせいで入口を通過してしまい、そこで渋滞に巻き込まれたりなどのドタバタもあったが、概ね順調に走行する。ただ反対側車線は大渋滞である。今回の遠征では車を利用するということで、渋滞に出くわしたら目も当てられないので移動方向には気をつけ、移動が渋滞と逆方向になるように計画したのである。その結果、一番混雑しそうな三連休には東京に滞在して、その前後の日に周辺の温泉地に宿泊という計画になった次第。で、今のところはその計画が見事にツボにはまったと言える。この分析力と計画力を仕事に生かしてたら今頃は私も・・・とこれはやめておこう。

 

 熱海辺りは道路が混雑していたが、ここを抜けると南下方向の道路は空いている。熱海を通過した辺りでちょうど昼頃になったので、途中の店で昼食を摂る。

 

 立ち寄ったのは「旬蔵」なる店。海鮮系和食の店のようだ。「地魚の天ぷらの定食」を頼む。見た目も豪華で味もまずまず。ただしあくまで想定内。内容を考えると1680円という価格は少々高めという印象。やはり観光地価格か。

   

 伊東温泉には1時頃に到着した。今日の宿泊ホテルは伊東温泉パレスホテル。一人で宿泊できて高すぎないホテルで伊東園系列でないという条件で探したホテル。伊東駅の背後にある斜面に建つホテルである。到着したのはチェックイン時刻である2時より1時間も早かったが、部屋の準備ができているということで通してもらう。

 

 どういう謂われかしらないが、このホテルはダルマ大師がシンボルのようで、大きな絵がかけてある。ところで私はダルマ大師と聞くとなぜかマグマ大使を連想してしまうので、笛を吹きたくなる。「ダルマ大師!」笛の音を聞いて飛んでくるダルマからガシーン、ガシーンと手足が生えて・・・ってまんまいけそうだな。

 

 もう風呂も入れるらしいが、まだ湯を張っているところだというので、外出して伊東の温泉街を散策することにする。

湯の花通りを散策

 伊東の市街は結構賑やかである。七福神の像なんかが立っていてなかなか楽しい。「七福神を探せ!」みたいな散策になったが、福禄寿だけが裏手の分かりにくいところにあって手こずった。後はソフトを食ったり、饅頭を食ったり、そばを食ったりなどの食い歩きになる。うん、伊東はなかなか私と相性が良さそうだ。

寿老人、毘沙門天、恵比寿、大黒天

Mission

七福神を探せ!

弁財天、布袋、福禄寿

食べ歩きツアーになってしまった・・・
 

 1時間ちょっとの散策(食べ歩き)を終えてホテルに戻ってくると入浴。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉。温調のための加温・加水さらに塩素殺菌はするが循環はなしとのこと。熱海温泉などこの周辺の温泉は、湯には強いキャラクターはないが湧出量は十二分のところが多いのでそのパターン。ここも温泉が浴槽にダバダバと注がれている。若干のベタッとした肌触りがあるが、強い特別な浴感はない。しかし温かさが体に染みて心地よい。

 

 入浴を終えると疲労がこみ上げてきて頭がフラフラするので、部屋で横になってウトウトしながら過ごすことに。その内に夕食の時間になる。夕食は部屋食で豪華な会席料理。伊勢エビの舟盛りにアワビ、フカヒレの茶碗蒸しなど。かなりうまい。ガッツリと頂く。

 夕食後には布団を敷いてくれるので、その上にゴロリと横になってテレビを見ながらしばしボンヤリ。寝る前に再び入浴をしてからやや早めに床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 目覚ましは7時にセットしていたのだが、昨晩は10時頃にはもう寝てしまったせいで6時過ぎに目が覚めてしまう。今から寝直す気にもならないので露天風呂に入浴に行く。開放感があって気持ちいいが、若干寒い。

 

 風呂から戻ると朝食の時間までは朝のニュースを見る。共和党の大統領候補がトランプに決まったというニュースばかりだが、これについては「共和党オワタ」と言うのが正直な感想。あんなバカで差別主義者が共和党の大統領候補なんて、あの世でリンカーンが嘆いているだろう。まかり間違ってあんなのが大統領になってしまったら、まさしく人類滅亡カウントダウンである。共和党は支持者を増やすのにいわゆるバカを積極的に取り込んだのだが、支持者がバカになり過ぎてあんな頭のおかしな奴を選んでしまったということ。同じことはいわゆるB層にターゲットを絞った自民党でも起こっているとか。世界的にポピュリズムの傾向が顕著になってきた。これはかなり危険。

 

 8時になると朝食が運ばれてくる。朝から非常に豪華である。大きなお椀が出てくるから何だと思ったら、小さな伊勢エビが半分入った味噌汁。さすがにこれには驚いた。もう朝からたらふく腹に詰め込む。

 このホテルに関しては若干はりこんだ(と言っても1万円台である)のだが、とにかくご馳走攻勢に堪能させられた。湯もなかなか快適であったしこれは当たりだ。伊東の町も私と相性が良さそうだし。

 

 9時頃にホテルをチェックアウトする。今日は伊豆半島の城郭巡り。予定では5カ所を梯子することになっているのだが、朝から体はかなり重い。果たして体力が続くかが一番の問題である。

 

 伊東を出ると県道59号を通って山岳地帯に向かう。これが傾斜はキツイし、カーブばかりだし、道幅は狭いしという道路。道が走りやすくなるのは伊豆スカイラインを越えてから。最初の目的地はそこからすぐ。

 

 最初に立ち寄ったのは「大見城」。築城年代は明らかではないが、平安時代末の12世紀頃と言われているとのこと。城を築いたのはこの地に勢力を張っていた大見氏で、大見家政か息子の大見成家と推定されているとのこと。現在は市の文化財として城址公園になっている。

 

 小山の一つが丸ごと大見城らしいが、西隣に産直販売所兼観光案内所のような施設があるのでそこの駐車場に車を置く。

  左の小山が大見城、右が駐車場

 公園入口から登っていくと、最初に出くわすのは諏訪神社となっている二の曲輪。周囲には堀切の跡なども残っている。

 

左 城の登口  中央 途中にある堀切  右 神社のあるのが二の曲輪

 ここから背後の山頂に向かって登っていく。途中には竪堀などもいくつかあり防御を構えている。そこを越えて、腰曲輪などをいくつか過ぎた先にあるのが山頂の本曲輪。そこそこの面積があって見晴らしも良い。また背後には堀切が掘られており、そちらに面した部分には升形のような窪みがある。これらで尾根筋からの敵を防ぐ構造になっている。

左 裏手を登っていく  中央 竪堀を橋で越える  右 さらに登る

左  途中で腰曲輪がある  中央 腰曲輪  右 本丸に到着

左 本丸からの風景  中央 本丸裏手の虎口  右 その下には深い堀切が

 特別に凝った城郭というわけではなかったが、地方豪族の本拠としては十二分な防御力を持った城塞と言えよう。非常に見学しやすい上に全体を把握しやすいのでお勧めの城郭である。

 

 大見城の次は「田代砦」に向かう。田代砦は鎌倉時代に源頼朝の麾下の智将として知られる田代信綱が住居としてこの地に構えていた砦ということである。

  田代峠入口は民家のようである

 現地に到着すると田代砦の案内石柱が立っているが、その奥は民家のようでここに車を置くわけにはいかなそうだ。道路の向かい側にアンテナが立っているスペースがあり、その脇に車が置けそうである。とりあえずここに車を置くが、本当に車を置いても良いのだろうかと悩んでいたら、足下に「田代砦駐車場」と書かれた看板が腐って倒れていたのを発見した。砦入口の石柱を立てているのなら、この看板ももっとしっかりと目立つように直しておいて欲しいところ。でないと、今時は民家の庭先に車を置いていく超非常識な輩が現れないとも限らない。

  道路向かいのアンテナの近くに車を置いて、地面を見ればこの看板が

 とりあえず車を置くと案内に従って民家の庭先のようなところを抜けて奥に進む。背後の斜面を進んでいくと、田代砦と墓所の分岐があり、さらに少し登った先に田代砦の表記がある。

左 民家の庭先をかすめるように進む  中央 看板に従って進む  右 右には墓所があるようだ

 斜面を削平した小さな平場で、奥には土塁があって、その背後は堀切が切ってある。その奥にも何かあるような雰囲気だが、鬱蒼としていて入り込む気はしない。また北側には腰曲輪のようなものも見える。

左 ここを登っていく  中央 本丸  右 案内看板もある

左 奥には土塁が  中央 北の下には腰曲輪らしきものも  右 裏手の堀切

 城でなくてあえて砦と表記してあるように、非常に小規模な城塞である。本格的な戦用の城郭というよりも、武装した屋敷というレベルのものだったのだろうと思われる。

 

 その近くにあるのが「柏久保城」。興国寺城主だった伊勢新九郎こと後の北条早雲が、堀越御所の足利茶々丸を滅ぼした後、伊豆制圧を図るべく狩野氏を攻めるために築いたとのこと。

 

 柏久保城は住宅地の裏山にあり、一宮神社のところから登山道があるという。ご近所の方にことわって公民館に車を置かせて頂くと、徒歩で山上を目指すことにする。

一宮神社近くの老人会館裏手に登口がある

 一宮神社から登ると山裾に沿ってかなり歩くことになる。城を思わせる構造が現れるのは道が登りに転じてからで、本格的に城内に入ったなと思ったら、もう山上の本郭である。本郭は東に向かって細長い構造になっており、その奥の下に小曲輪が見えたりするが、構造はその程度。基本的には単郭に近いシンプルな城郭である。

左 散々歩いたところにある堀跡  中央 その先に本丸が見えてきた  右 本丸にたどり着く

左 本丸の土塁  中央 本丸の先、一段下にも曲輪が  右 細長い曲輪だが、先は鬱蒼としている

 もうここまで来たら修善寺温泉のエリアに入っている。ついでに修善寺温泉に立ち寄りたいところだが、その前にもう一カ所立ち寄る。次の目的地は狩野城。先ほどの柏久保城を築いた北条早雲が攻め落とそうとした城郭である。狩野氏は江戸時代の御用絵師として知られる狩野氏の先祖に当たるが、この時代にはこの地に勢力を張った地方豪族だった。北条早雲に攻められた城主・狩野道一は戦いに敗れて開城し、その後は狩野一族は小田原に移って北条氏の重臣となるとのことである。

 

 修善寺から国道136号線を南下すると、途中で「狩野城跡」という大きな看板が出ているのでそれに従って進むと、農業公園のところに狩野城見学用の大きな駐車場があって案内看板が出ているので、ここに車を置くと徒歩で山を登ることになる。

  農業公園

 グルッと東側に大回りしながら登っていくと、最初に出くわすのが出丸。結構な規模がある削平地である。これが東側からの攻撃を防ぐ構造になっている。

左 出丸  中央 結構な広さがある  右 堀切に降りる

 ここから一旦降りてから登った先が東郭。出丸を抜けて本郭に迫る敵がいれば迎え撃つ場所であり、高所から睨みをきかせることになる。

左 堀の向こうの高所が東郭  中央 東郭  右 東郭から出丸方向を望む

 その奥にあるのが中郭で、そこの奥の一段高いところが南郭となっている。南郭は櫓台といった構造であり、この中郭が最も主要な曲輪と思われる。

左 中郭、右手の高所が南郭  中央 南郭に登る  右 南郭

左 南郭の奥も何かありそう  中央 西側を見下ろす  右 振り返って

 さらに西にあるのが本郭と名付けられている曲輪だが、これは明らかにおかしい。小さい上に堀底道につながっているので、これが中心曲輪であるはずがない。やはり中心曲輪は先ほどの中郭だろう。

   

ここが本郭とあるが、位置的にも規模的にも明らかにおかしい

 ここからほとんど埋まってしまっているが二重堀切を隔てた小さな曲輪が西郭。大体この辺りまで城域と考えて良いだろう。西郭の西には深い堀切があり、その先はダラダラとした地形になっている。

左 二重堀切はほとんど消えかかっている  中央 その先が西郭  右 西郭先には深い堀切がある

 自然地形を利用してそれなりに防御システムを張り巡らした城郭であるが、難攻不落かと言えばそこまでの堅固さは感じない。特に西側の防御にやや不安を感じる。まあその辺りが北条早雲の攻撃を凌ぎきれなかった理由でもあるのか。

 

 山城4連チャンでかなり疲れたし汗もかいた。それに昼食をまだ摂っていない。となればここは伊豆だしやはりどこかの温泉地に立ち寄りたい。この近くと言えば当然ながら修善寺温泉である。ネットで日帰り入浴を受け付けているホテルを探して立ち寄ることにする。

 

 修善寺温泉は鄙びた風情のあるなかなかに良いムードの土地である。今回私が立ち寄ったのは宙SORA/渡月荘金龍。日帰り入浴は1500円である。内風呂に隣接して開放感のある露天風呂があるのだが、この日は他に客がなく完全に私の貸切状態であった。

 

 泉質はアルカリ単純泉で温調のための加水・加温あり、循環濾過あり、塩素使用ありということで泉質しては平凡であるが、それでも汗を流してくつろぐには良い湯である。この際だからゆったりとくつろぐことにする。

   

 入浴してくつろいだから、車を置かしてもらって徒歩で修善寺温泉の散策に出る。川沿いの町並みが風情がある。また竹林があったり、縁結びの言い伝えのある橋があったりなどと散策のネタには事欠かないようである。

 このままここに一泊していきたいところだが、残念ながら今回宿泊する予定にしているのは別の温泉地である。再び改めてここに一泊しに来てもいいなという考えが頭をよぎるが、そんな機会はこれからあるだろうか?

 

 修善寺温泉を散策している内に、雨がパラパラとし始めた。このまま今日の宿泊地に向かうかとも思ったが、その前に最後にもう一カ所だけ立ち寄ることにする。

 

 今日最後の目的地は「長浜城」。海に面した尾根筋状に築かれた水軍城で、狩野川の河口にまで進出してきた武田氏に対抗するために、北条水軍の基地として整備されたとのことである。現在は国の史跡に指定されており、近年になって史跡公園として整備されたとの話である。

 現地には城址見学用の駐車場も整備されている。雨がぱらついているので傘をさしながらの見学だが、公園整備されているのでそれでも全く問題ない。

  登口

 手前から、第四曲輪、第三曲輪、第二曲輪、第一曲輪と山上に向かって並んでおり、各曲輪の間は堀切などで防御されている。

 

 第四曲輪は一番手前の登り口を守るための小さな曲輪。ここからやや上がったところにある第三曲輪あたりからが本格的に城内の雰囲気がある。

左 第四曲輪と第三曲輪の間の堀切  中央・右 第四曲輪

左 第四曲輪から第三曲輪方面を遠望  中央 第二曲輪と第三曲輪の間の虎口は元々は堀切だったとか  右 第三曲輪

 その上の第二曲輪は大きな曲輪でしっかりと土塁で守られている上に、奥の第一曲輪との間には堀切も残っている。また建物跡ものこっているようだ。

左 第二曲輪に上る  中央 第二曲輪の建物跡  右 第一曲輪との間の堀切

 第二曲輪の奥に櫓があるが、これが第一曲輪や第一曲輪の北側に連なる小曲輪群への連絡階段を兼ねている。第一曲輪は最高所にあり、見晴らしが抜群である。ここにも建物跡がある。

左 この櫓を登って第一曲輪へ  中央 第一曲輪と建物跡  右 第一曲輪から第二曲輪を振り返って

第一曲輪から海を望む

 第一曲輪の北側には4段ほどの小曲輪が連なっており、最下段は海岸へとつながっている。ここから軍船を出航させたのだろうか。

左 先ほどの櫓を通って北に降りていく  中央・右 何段かの曲輪がある

左 一番下の曲輪の先は鬱蒼としているが  中央 その先は海につながっている  右 第一曲輪方面を振り返って

 小さい城ではあるが、断崖の上に立地しており難攻不落の感がある。背後の陸側からの攻撃を警戒していたとのことで、そちら側は断崖の上に竪堀なども掘ってあってかなり守りを固めている。水軍の基地としては格好の布陣である。

左・中央 城の横には当時の安宅船の平面復元が  右 安宅船

 水軍城といういつもとはパターンの違う城郭を堪能した。これで今日の予定はすべて終了、宿泊ホテルを目指すことにする。

 

 今日の宿泊地は伊豆長岡温泉。ここも結構大きな温泉街のようで、温泉ホテルや日帰り入浴施設などが林立して結構賑わっている。私はホテルはKKR伊豆長岡千歳荘を予約している。いわゆる公務員共済の宿だが、別に公務員でなくても宿泊できる。私はじゃらんからここを予約している。

 

 部屋に入ると既に布団が敷いてある。所謂省力化というやつだが、既にクタクタになっている私にはむしろこの方がありがたい。すぐに布団の上にひっくり返る。

 

 しばらくダウンしてから生き返ると大浴場へ入浴に行く。ここの泉質はアルカリ単純泉とのことで修善寺温泉と同様の泉質である。特別な浴感はないが、若干ネットリした感触のある湯。温度設定がやや高めなのでいささかカッカする。

 

 風呂に入っている間に洗濯もしておく。これだけの長期遠征となればさすがにもう着替えのストックがない。明日だと着替えがギリギリだと思っていたが、ここのホテルにコインランドリーがあったので助かった。

 

 夕食は6時に広間で。内容的には盛りだくさんだが、手元にあるメニュー表の何と対応するのかが分からない料理が多い。配膳係りもバタバタしていて説明は全くないし。この辺りはやはり公的施設。味は良いのだが、昨日のがあまりに豪華すぎたので驚きはない。まあ宿泊料金がそれなりだから比較してはいけない。宿泊料金から見れば結構内容的には良いのではないか。

 夕食を終えて部屋に戻るともう布団の上から起きあがる気力がなくなってしまう。もう一度入浴に行こうと思っていたのだが、そんな気力は皆無。結局この日は9時過ぎ頃にもう寝てしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半まで爆睡。目が覚めると朝風呂に行く。浴槽の温度設定が高めなので目が覚める。サッと入浴を済ませてあがるが、私の後で入ってきた親子連れが風呂が熱いとギャーギャー悲鳴を上げている。確かに子供には少々酷な温度だと思う。私も昔は熱い風呂は苦手だったが、鳥取などの熱い風呂を何度か体験するうちに慣れてきた・・・というか、ただ単にジジイになって感覚が鈍ってきただけかも。

 

 朝食はハーフバイキング形式。朝から飯がなかなかにうまい。タップリと腹に詰め込んでおくことにする。

 

 さて今日の予定であるが、今日・明日はもう帰り行程になる。今日は基本的には名古屋まで突っ走るだけ、その途中で美術館にいくつか立ち寄るつもりである。

 

 ホテルをチェックアウトするといよいよ長距離ドライブだ。ただ高速に乗る前に一カ所立ち寄って置くことにする。ここのすぐ近くに韮山反射炉があり、最近になって「明治日本の産業革命遺産」の一環で世界遺産登録をされたということなのでそれを見学しておく。

 

 以前はアクセス道路は車のすれ違いもしんどい路地だったようだが、世界遺産登録に合わせて道路も駐車場も整備され、物販施設なども整備された一大観光地になっている。なおここから見るだけなら金がかからないが、近くで見ようと思うと入場料300円がかかる仕組み。保存にも金がかかるだろうし、お布施のつもりで入場する。

左 反射炉本体  中央 空気取り入れ口  右 ここから燃料と原料銑鉄を入れる

左  曲面の天井で熱が反射して集中  中央 溶けた鉄はここに出てくる  右 このような大砲を鋳造していた
 

 地元ガイドが説明してくれるが、要は幕末の黒船来航などで外国の脅威に直面した幕府が、お台場に大砲を設置することを決定し、その大砲を鋳造するための鉄を作るのに建設したのがこの炉。良質の鉄を作るための高温を実現できる当時としては最新の炉だが、資料がオランダから輸入した書物ぐらいだったので、非常に苦労したという話。これを担当したのが江川英龍という人物だが、炉の完成の前に病死し、息子の江川英敏が跡を継いで、ようやく3年半越しで完成したとのこと。何しろ当時の日本はレンガさえないような状況だったので、工事は相当の困難と失敗の連続で、職人の執念のようなものが完成させた代物だという。なお同様の炉は萩に残っているし、佐賀にもあったらしいが、実際に稼働したのはここだけらしい。

 

 韮山反射炉を見学した後は名古屋方面に向けて長距離ドライブ。新東名に乗っかると名古屋方面に向けて爆走。新しい道路で規格が高規格だから運転しやすい。途中の静岡SAで昼食にマグロ丼を食べると、土産物を買い求めてから再び疾走。

 

 極めて順調に豊田東JCTまで到着すると、ここから東海環状道に入って豊田松平ICで降りる。名古屋に到着する前に立ち寄る美術館がある。


「デトロイト美術館展」豊田市美術館で6/26まで

  

 デトロイト美術館の所蔵品から52点を展示。展示作はゴッホからモネ、ルノワールなどの有名どころが揃う。

 一渡りの有名どころの画家の典型的な作品が揃っているのだが、その割には強烈な印象に残る作品がなかったというのが正直なところ。また展示の後半になると近代絵画のどうでも良いようなところが増えてくるので興味減退。展示品の年代が全体的に近代寄りであるのが私には相性が悪かった一番の理由か。


 

 相変わらず豊田市は車最優先の都市であり、車がないとどうにもならない構造になっている。だから美術館も丘の上の歩いて行く気にはならない場所に、大きな駐車場完備で建っているという状態。さすがにトヨタ様のお膝元というわけである。今回は気合いの入っている企画展だからか、駐車場はかなり満車に近かった。ただ会場内はそれほど混雑はしていなかったが。

 

 豊田市美術館を後にすると次は刈谷まで走る。マイナーな美術館であるが、なぜかここには何度か来ている。


「近代洋画の巨匠 和田英作展」刈谷市美術館で6/5まで

  

 明治期からの日本洋画界に大きな功績を残した和田英作の展覧会。

 最初は明らかに西洋の物真似的な表現が多いのだが、そこから洋画で日本の情緒を描こうと四苦八苦していたのが作品から覗える。その結果として、落ち着いた渋い独特の洋画に行き着いていて、日本的な題材との親和性が高くなっている。最終的には日本洋画のアカデミズムを確立したのであるが、その功績が大きい。

 全体的に「好ましく」感じられる絵画が多い。日本の画壇自体が試行錯誤の時期だったのだが、それだけに絵画に真剣に取り組んでいる姿勢が作品から滲んできている。保守的な絵画とも言えるのだが、アカデミズムが確立してこその革新などの存在があるのだから、重要性は非常に高い。


 

 「型」があってこそ「型破り」の妙味が出るが、「型」が存在しなければ単なる「形無し」で終わってしまう(現代の芸術の大半はこれだ)。その「型」を作る側に貢献した画家とも言える人物。ただ決して雁字搦めの面白くない作品なのではなく、芸術度も高い。

 

 これで名古屋に入る前に立ち寄る美術館は回り終えたので、ホテルに向かうことにする。今回宿泊するのは以前にも泊まったことのある金山ホテル。ビジネスホテルとしては少々高めなのだが、地の利が良くて大浴場や契約駐車場があることから選んだホテル。

 

 都市高速の入口を間違えたりなどのてんやわんやはあったが、どうにか予定時刻にホテルに到着。車を預けてチェックインすると直ちに外出する。ここのホテルを取ったのはここに立ち寄るためでもある。


「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」名古屋ボストン美術館で8/21まで

 

 ルノワールを冠しているが、目玉として「ブージヴァルのダンス」の展示はあるが、展覧会の内容自体は「時代」の方に力点があり、ルノワールが活躍した頃の様々な絵画の潮流を紹介するという内容になっている。

 この時代は都市化が一気に進んだ時代らしいが、そのような都市の風景を描いた作品がある一方、地方に魅せられたり都会に幻滅した画家の田園を描いた作品もある。前者の代表としてはオノレ・ドーミエの風刺画や当時のポスターや風俗画的なものもあり、展示の幅は広い。田園と言えばやはりバルビゾン派に始まるのだが、モダニズムを経てからの田園は、かつての理想化されたものではなくてどこか厭世的な雰囲気の作品が増えていたのが印象的。


 

 久しぶりに「ブージヴァルのダンス」を見た。躍動感のある絵である。「都会のダンス」と「田舎のダンス」を先日、東京の国立新美術館で見てきた直後であるから、これでルノワールのダンス三部作を一気に鑑賞したことになる。こういう生き生きした人物画こそがルノワールの真骨頂だろう。

 

 これで本日の予定は完全終了。スーパーに立ち寄って今日の夜食を買ってからホテルに戻る。夕食については店を探すのも食べに出るのも面倒なので、ホテル内の「旅籠茶家かやかや」で済ませることにする。名古屋飯の盛り合わせのような膳(味噌カツに手羽先、きしめんなど)に鱈の白子をつけて、デザートにわらび餅を注文。腹が減っているのでガッツリと頂く。宿泊者割引があって支払いは2763円だから悪くない。

 夕食を終えると大浴場で入浴。じっくり疲れを抜くつもりだったのだが、やはり長距離ドライブで疲れ切っているせいで逆に疲れが滲みだしてくる感じになってしまった。部屋に戻るとベッドの上でゴロンと横になってテレビを見ていたが、やはりかなり早めに眠気が来てしまって、気がつくと寝てしまっていた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌日の朝食は昨日のかやかやでバイキング。品数はまずまずでエビフリャーがあるのは名古屋たる所以か。またパンには小倉トーストも。何やら一泊目のホテルと雰囲気が似てるな・・・。

  

 最終日は予定は全くなし。今日はひたすら家を目指すだけである。しかし疲労の蓄積が著しく、とにかく体が異常にだるい。だからギリギリまで部屋で休憩して、ホテルをゆっくり目にチェックアウトする。後は車にガソリンを補給するとひたすら高速を突っ走るだけ。

 

 GW最終日ということで渋滞を警戒していたのだが、東名阪、新名神いずれも極めて順調で、家には昼過ぎに到着したのだった。ただ帰宅した途端に溜まった疲労でほとんどダウンしてしまったのが情けない。長期遠征だった上に山城まで盛り込んでかなり肉体的にハードなものになってしまったのが計算違いだった・・・って私は毎回遠征の度に計算違いを連発しているような気も。なお一番の計算違いだったのは金銭面。想定以上に予算を使い込んでしまって、今年度上期の財政が破綻状態になってしまうことになったのである。

 

 

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