展覧会遠征 岡山編16

 

 この三連休は二泊三日で岡山方面を回ることにした。元々はベルリン交響楽団の岡山での演奏会を聴きに行こうというところから派生した計画である。しかしこのベルリン交響楽団であるが、実は大阪でも演奏会があり、わざわざそれが岡山になってしまったのには諸般の事情がある。実はベルリン交響楽団の演奏会があると知ってからこのオケについて調べたところ、今まで数回来日しているらしいことは分かったが、どうもその評判が芳しくない。そこで当初は見送りかと考えていたのだが、やはりそれでも一度は聴いておかないと判断が出来ないと思い直して改めてチケットを取ろうとしたところ、既に大阪公演は安い席は完売してしまっていた。そこでやむなく岡山公演のチケットをゲットした次第。9000円ぐらい払う気があれば大阪でもチケットを取れたのだが、どうもそれだけ払うのはリスクが高いと考えてのことである。

 

 土曜日の午前に出発すると山陽道を突っ走って岡山を目指す。どうせ岡山まで行くのなら、岡山の温泉や山城、さらには美術館を回るつもり。まずは岡山市街に乗り込むが、毎度のことながら本当にここの街は走りにくい。何だかんだで苦労しながらようやく目的地へと到着する。

 


「伊達政宗と仙台藩」岡山県立美術館で8/28まで

 仙台市博物館の収蔵品から、伊達政宗の鎧や陣羽織、また仙台藩の御用絵師だった東東洋らの作品等を展示。

 戦国武将の甲冑などはその意匠に凝っていたのは有名だが、伊達政宗の場合は「伊達者」の語源にもなったと言われている人物だけにかなりのセンス。鎧の方は防弾性能を考えた実用本位のものであるが、黒一色の精悍なデザインに政宗の象徴のような巨大な前立てが映える。さらに陣羽織ともなればかなり斬新で煌びやかなものである。

 東東洋は京都画壇で絵画を学んでおり、いかにもそれらしい作品もあるが、自由な線でサクッと描いた印象の作品が温かみを感じられて面白い。

 なお慶長遣欧使節の支倉常長に関する資料も展示されていたが、彼については現存する資料も少なく、その晩年についてなど未だに謎の多い人物だとか。


 今回の展覧会に連動して物販コーナーが出来ていたが、そこには例によって「何かを勘違いしているとしか思えない」ポスターなども貼り出されていた。どうも最近は歴史関係が悉くこのセンスになっているのが嫌なところ。どうも昨今は萌えならなんやら変なものに浸食されている。

 左から片倉小十郎、伊達政宗、伊達成実だそうな

 展覧会見学後は喫茶で一服する。注文したのは特別展連動メニュー。小さなずんだが意外にうまい。ここのコーヒーはあまりクセがないので私には飲みやすい。

 美術館を後にするといきなりだが今日の宿泊ホテルに向かうことにする。これからのことを考えるともう車を置いてしまいたい。今回宿泊するのはホテルリバーサイド。岡山周辺で駐車場があって安いホテルということで選んだカプセルホテル。私の部屋はカプセルに小さなスペースが付随しているというタイプ。

 契約駐車場に車を置いてチェックインすると、部屋に荷物を置いてすぐに出かける。岡山コンサートホールで開催されるコンサートを聴きにいくのが目的。

 

 今回は安いチケットなので3階席である。ステージはよく見えるが、階段を登るのが大変。高齢者などはフラフラになりながらヨタヨタと登っていた。なお場内は安い席から埋まっているという雰囲気。一番安い席はほぼ完売だが、高い席は一部が売れ残ったのではないかと思われる。


ベルリン交響楽団

 

指揮/リオール・シャンバダール   

ヴァイオリン/イリヤ・カーラー  

 

エルガー/愛のあいさつ

モーツァルト/交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調「運命」

 

 最初の愛の挨拶からいきなり「あまりうまいオケじゃないな」ということを痛感する。弦の音色が非常に悪い。アンサンブルが微妙に合っていないせいか、音色が濁って端的に言うと「安っぽい」音がする。また管は管でこの距離があるにも関わらずやけにヒステリックに響く。全体に締まりのない演奏である。二曲目のジュピターも同じ調子であるから、完全に上滑りになっている。

 ブラームスに関してはソリストの演奏は上手いのだが堅実で地味なタイプの演奏。その上にバックのオケは相変わらずの調子なので、音楽全体にメリハリが薄くて非常に退屈で、いつになくこの曲が長く感じられてしまった。それにしても驚いたのが、オケの弦楽部門があまりに貧弱なためかソリストが自分のパート以外に第一バイオリンのパートも演奏していたこと。しかも14人もいる第一バイオリン奏者がこのソリスト一人に明らかに負けている。オケがソリストとまともに渡り合えないから、協奏曲ならぬ教奏曲になっていた。

 休憩後の運命が演奏としては一番しっくりきていたが、これがいわゆる練度の違いと言うものだろうか。ただしここ一番でパシッと決められないのは相変わらずで、第四楽章などは特にかなりゴチャゴチャした演奏になってしまっており、随所でアンサンブルも崩壊。そのせいで最終的には腰砕けである。

 結局は一番カッチリした演奏となったのはアンコールのハンガリー舞曲という次第。これも練度によるものだろうか。とにかくオケの演奏技術の低さがあからさますぎて、これは事前の評判もさりなんと感じた次第。


 結果としては「世間の評判は正しかった」ということを私自身も確認することになった。これは9000円払わなかったのは正解だった。9000円も払っていた日には、「ブラボー」ならぬ「金返せ」と叫ぶ羽目になるところだった。シャンバダールの挨拶や二曲のアンコールなどサービス精神の見事さは感じるのだが、肝心のメインディッシュのクオリティがサービスレベルに到達していない。

 

 それにしてもジュピターの第1楽章終了後に拍手が起こったのにはまいった。今回はそういう客層が多かったということだろうか。演奏終了後に「ブラボー」を叫んでいる者もいたが、一体どんな耳をしてるんだ? 演奏なら岡山フィルの方が上である。

 

 コンサートを終えるとホテルに帰る道すがら夕食を摂る店を探す。往路で数軒の店に目を付けていたのだが、いずれも満席で入店できず。結局は気がつけばホテルの近くまで帰ってきてしまったので、やむなくホテル向かいのラーメン屋「えびすらーめん」に入店、つけ麺を注文する。

 もっちりとした太めの麺に濃厚なスープのバランスがなかなかに良い。つけ麺の特性に合わせたなかなか良く出来たラーメンである。

 

 夕食を終えてホテルに戻ると、入浴してから早めに床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩はあまり眠れなかった。カプセルホテルは何度か利用したが、うるさいのはともかくとして私がいつも気になるのは暑さ。今回のホテルもやはりカプセルの中がかなり暑くなり、夜中に寝苦しさのために完全に目が覚める羽目に。廊下に空調がかかっているのだが、個室形式になっていることで冷気がさまたげられて余計に暑さに拍車がかかったようである。ドアの上が開いているのだが、冷気は入らずに部屋の上に溜まった熱気が入ってくるだけになっている。結局は入口のドアに隙間を空けて寝ることに。これでは部屋の鍵がかけられないから、貴重品は枕元に置くことになって狭苦しかった。

 

 眠い目をこすりながら起き出すと、トーストとゆで卵の簡単な朝食を摂って9時前にはホテルをチェックアウトする。

 

 さて今日の予定だが、美術館を何軒かと山城を数カ所訪問する予定。まずは美術館から。


「没後70年 津田白印展」笠岡市立竹喬美術館で9/4まで

 

 僧侶であり南画家でもあった津田白印の作品を展示した展覧会。彼の作品は自身の精神修養的な面だけでなく、彼が行っていた福祉事業の資金調達の意味もあったという。

 絵画の技術云々よりも精神性が前面に出ているような印象を受ける作品。これは決して技術的に劣るという意味ではなく、画を描くに当たっての自由な精神や遊び心、さらには生命への慈愛のようなものが作品から滲んできているのである。私は津田白印という人物については全く知らなかったのであるが、後で福祉事業など社会貢献もした人と聞くと「さもありなん」というのが正直な感想だった。


 美術館を後にするとまず最初の山城を目指す。最初に目指したのは「工ヶ城」。別名が匠ヶ城。鎌倉末期に陶山氏が建造した中世山城・・・のはずなのだが、現地に到着したところで城がある山は分かるのだが、その回りを車で何周かしても登口が全く分からない。しかも車を置けるような場所も見当たらない。と言うわけで、現地を訪れながらいきなり撤退の羽目に・・・。何やら出だしから蹴躓いている。

 

 いきなり山城攻略をしくじってしまったが、次は美術館に立ち寄ることにする。ここに来るのは久しぶりだ。


「生誕100年 長谷川青澄」井原私立田中美術館で9/8まで

 この美術館が所蔵する長谷川青澄の作品を展示。彼の作品は文楽を描いたものが多いのだが、題材は極めて日本的であるにもかかわらず、絵から受ける印象は通常の日本画の軽妙な印象とは異なり、もっとガッチリとした強烈なものである。

 特にインパクトがあったのが人形師の顔の表現。やけにガチガチな描き方をされた人物表現が、日本画よりも近代西洋画的であって異彩を放っていた。


 次は山城攻略。次に立ち寄ったのは「亀迫城」。室町末期に備中松山城の荘氏を破った毛利氏が、備中一円を掌握するための拠点として築いた城郭だという。毛利氏はここを拠点に備中を支配下に置くことになるが、関ヶ原の敗戦で領地を没収され、その際に廃城になったと考えられるとのこと。

 

 亀迫城は住宅地の中の小山の上にあり、現在は公園整備されているのでアクセスは容易である。案内看板に「砦のような小さい城」とあるが、確かにあまり大規模な城郭ではない。

左 亀迫城風景  中央 途中にこの手の削平地は多々ある  右 これが二の丸といったところか

 山上の本郭の裏手は川に面した切り立った崖になっており、正面に当たる東側の斜面に曲輪を連ねて防御したと考えられるが、公園整備によってかなり破壊されていると思われるので旧状はあまりハッキリしない。なお山上に発掘された往時の石垣の跡が残っている。

左 二の丸にある発掘された石垣跡  中央・右 本丸風景

 亀迫城の見学を終えると次は「小菅城」を訪問する。小菅城はかなり深い山の中にあり、これだけでも険阻な地形である。山の間の道を走っていると、小菅城址進入路入口の石碑と看板が立っているので、そこから車一台が一杯の林道をしばし走行すると、やがて小菅城の石碑が右手に見え、そこには車を置くスペースもある。

  

左 小菅城入口  右 林道を走行するとここに到着

 そこに見える階段を登るとすぐに稲荷社の祠のある平地に出るが、それが二の丸。隣の一段高くなっているところが本丸で城跡碑が立っている。

左 登った先がすぐに二の丸  中央 二の丸隣の一段高いのが本丸  右 本丸

 周囲に帯曲輪があるとの情報もあったのだが、鬱蒼としすぎていて確認できず。登口から見ると稲荷社が後ろ向きになっているので、恐らく反対側にも登口があるのだと思われるが、上から見下ろした限りでは通路のようなものは確認できなかった。

  

稲荷社の奥を見下ろしてもこの様子

 何にせよここもかなり小規模な城郭のようである。この城を築いたのは源平合戦で功績を挙げた那須与一宗隆の弟の那須小太郎宗晴とのことだが、彼は間もなく下野に帰り、この地は三男の朝資が城主になって子孫が代々の城主を継いだという。南北朝末期に那須氏が中堀城を居城として築いて移った時に廃城になったとのこと。つまりはかなり古い城郭であり、この規模と単純さも頷けるところではある。

 

 次は「正霊山城」を訪問する。正霊山城は戦国初期にこの地に勢力を張った藤井氏が築いた城郭だという。井原市役所の芳井支所があってそこに案内看板が立っている。正霊山城はここの裏手に見える小高い山上にあるらしい。

 正霊山城遠景

 住宅地の間に山に登る道があり、そこから墓地のところまでは簡単に行けるのだが、そこから進む道が生い茂る草や倒れてきた笹などで歩ける状態でない。散々道を探して迷っていた時に地元の人が通りがかったので道を尋ねたのだが、やはり登り道はここらしい。話によると春には下草を刈ったのだが、夏の間にこの状態になってしまったとのこと。まあ秋頃になると下草刈りをするつもりとの話を聞いたので、また季節を改めてリターンマッチをすることにして今回は撤退する。

 登城路はこの様子で全く道がない

 次は「金黒山城」を訪ねる。築城年代は不明だが、三村氏に属していた城郭だという。事前の情報に基づいてかなり山深いところをしばし走る。途中で道に迷ったがようやく倒れた案内看板を見つけた。しかしその近くの山の周りをウロウロと車で回ったが、どうしても登口が見つからない。看板の裏手に道があるようなないような雰囲気なのだが、こちらはハズレだと事前情報で聞いている。結局はここも登口を見つけることが出来ずスゴスゴと撤退することになる。

  

この山のどこなのだろうが、倒れた案内看板を見つけただけで登口は見つからず

 結局この日は5城を訪問したものの、攻略できたのはたったの2城で、後の3城は撤退という惨憺たる有様になってしまった。やはり下草がかなり茂る夏場は山城攻略にとっては不向きな季節である。下草が枯れる冬期に出直すべきだろう。しかもほとんど何も出来なかったにもかかわらず、この灼熱地獄で確実に体力だけは削られてしまった。

 

 情けない状況だが今回はこれで諦めて今日の宿を目指すことにする。今日宿泊するのは足温泉(「あし温泉」ではなくて「たる温泉」である)の旅館いづみ家。米子自動車道を湯原ICで降りると国道313号を南下する。湯原温泉はここから北側だが、この旭川沿いがいわゆる湯原温泉郷ということになるらしい。

 旅館いづみ家

 国道313号から橋で川を渡った向こう岸にあるのが足温泉。いづみ家は和風の旅館だが、足温泉郷には同様の温泉宿が数件あるようだ。これらの旅館が共同で温泉を有しており、それが温泉街はずれの日帰り温泉施設になっている。各旅館には内風呂はなくて、この共同浴場を使用するという形になるらしい。

 共同浴場

 施設自体は比較的最近に改築されたのか綺麗なものである。内部は内風呂に小さな露天風呂がついている。

 

 足温泉はアルカリ泉単純温泉ということで肌触りは若干ヌルッとしている。硫黄の匂いもかすかにするような気がするがさして強くはない。基本的には無味・無色・無臭の肌あたりの柔らかい湯である。

 

 夕食前に一風呂浴びてくると一息。夕食は6時から広間で。川魚と山菜が中心のメニュー。シンプルであるがうまい。

 夕食を終えて一服。しばしテレビでも見て過ごすが、それにしてもろくな番組がない。8時頃になったところで寝る前にもう一度入浴に行く。

 

 体を温めて帰ってくると眠気が押し寄せてきたので、布団の上に横になる。NHKのクラシック音楽館をつけて、ヤルヴィ指揮のN響を聴いていたらこれが子守歌になってしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に起床。朝食は8時から和定食である。シンプルなんだが旅先ではこういうのがうまい。それにしてもご飯がうまい。

 朝食で腹を満たすと9時過ぎにチェックアウトする。まあ田舎でのんびりするにはなかなか良い宿だった。豪華さはないが価格も安いし。

 

 さて今日の予定だが、別の地域の山城数カ所を回るつもり・・・だったのだが、外に出た途端に顔に吹き付けるムッとした熱気に肌に照りつける太陽。「今日も暑くなりそうだな・・・」と思った途端に先ほどの予定は頭からぶっ飛ぶ。結構疲れているし、今日は早めにまっすぐ帰ろう。

 

 ただここまで来たのだから帰る前に一カ所だけは立ち寄っておく。ここから200メートルほど南に真賀温泉という温泉があり、そこの共同浴場が有名とのこと。

 真賀温泉の共同浴場は道路沿いの駐車場から階段を登ったところにある。ここの温泉街も先ほどの足温泉と同様に周囲の宿がこの共同浴場を使用しているようである。ここの浴場で有名なのは幕湯という混浴風呂。1メートル30センチぐらいの水深のある岩風呂の下から湯が直接湧いているらしい。先客がいたら嫌だな(特に地元のおばさんなど)と思っていたが、幸いにして今は空いているようで、入浴客は私の他に男性一人。

 真賀温泉共同浴場

 泉質としてはアルカリ単純泉ということで先日の足温泉と同じものである。ただ違うのは湯の鮮度。やはりそこから湧いているだけあって湯の鮮度が圧倒的で、それがヌルヌル感の違いとして現れている。なるほどこれは評判になるわけだと納得。ただこの温泉地も一般にメジャーになって、それに合わせて施設を大きく綺麗に建て替えなんてことになったら、循環湯の特徴のない泉質になってしまうんだろうな・・・。多分、昨日の足温泉も以前はさらに泉質が良かったのだろうと思われる。

 

 朝から温泉を堪能すると、この日はまっすぐに帰宅したのである。やはり体力がとんでもなく落ちてる・・・。

 

 

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