展覧会遠征 熊本編2

 

 この週末は熊本まで飛ぶことにした。突然こんなことを思い立ったのも、復興支援という名の選挙向けバラマキで政府が宿泊補助券をばらまくことになったから。じゃらんパックのツアーなどで使用できる割引チケットを入手できたので、これを使おうという次第。

 

 金曜日の仕事を終えると大阪空港へと移動する。熊本空港までANAの便で移動である。じゃらんパックは往復の航空券とホテルの宿泊代がセットになっている。ANAの飛行機に乗るのは久しぶりだが、やはり操縦はスカイマークより丁寧だ。ただ阿蘇熊本空港の周辺は気流が乱れるのか、着陸直前に気持ちの悪い揺れがある。

 

 熊本空港に降り立ったのは定刻通りに8時45分。熊本空港は明らかに地震のダメージが設備に残っており、3階のレストランフロアは営業していないし、トイレなども一部は仮設になっている模様。上水道か下水道に問題があるのだと思われるが、どうやら空港ビルの一部を閉鎖しているようである。

 

 空港からはバスで移動。今日宿泊するのは八代のルートイン八代。熊本市内はホテルが塞がっているところが多かったことと、コストとの兼ね合いを考えて選んだホテル。バスは九州自動車道を経由して1時間弱で八代に到着する。九州自動車道も地震のダメージで部分的に対面二車線になっている部分があって仮復旧状態だ。

 ルートインポンタ

 ホテルにチェックインするとすぐに大浴場へ。体をほぐすとそのまま就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時まで爆睡。朝のシャワーを浴びるとバイキングの朝食。ルートインの一番の難点は、朝食のバリエーションがないこと。今回は連泊になるので、明日の朝も同じメニューに対面することになるだろう。

 

 9時頃にはホテルから外出する。熊本に行く前に八代で回っていくところがある。ホテルから南にプラプラと歩くと、前川を渡って麦島地区へ。ここにあったという「麦島城跡」を訪ねるつもり。

 前川はかつては入江で、ここに交易港があったらしい

 謎のカッパ像 どうやら昔この辺りにカッパが大量に上陸したとの伝説があるとか 

 

 麦島城は1588年にこの地に入った小西行長が築いた城で、現在の前川は後に掘削されたもので、当時はここは入り江だったという。貿易に意欲的だった行長はここに港を築いて南蛮貿易などを行ったとのこと。その後、関ヶ原の戦いの後にこの城は加藤氏の所属となり、一国一城令の際も特例として存続が許されたという。しかし1619年の大地震で倒壊、二代目藩主の加藤忠広はこの城を廃して、かつて松江城があった土地に新しい城を建設、それが現在の八代城だという。

  

麦島城跡

 麦島城跡は今では完全に住宅地に埋もれてしまっている。ただその中を歩いていると、路地のうねり具合や地形などからここが城跡であるのは何となく分かる。やはりあちこちの城跡を歩いていると、地形などから城があったところは推測がつくようになってきた。麦島城跡は真ん中に若干小高い地形があり、そこに看板が立っているだけ。遺構はほとんど失われているが、地形を見るとここが天守台跡というのは頷ける。

  

シルバーセンターに遺構があるらしいが、残念ながら中には入れず

 これ以外の遺構としては、現在シルバーセンターが建っているところから二の丸の石垣等が発見されたそうで、平日は見学可能らしいのだが、残念ながら今日は土曜日なので施設が閉められていて見学不能である。

 

 川を防御に使える水城なので、戦国時代に防御するにはこの城の方が都合がよい。しかし江戸時代になって城下町を発達させることを考えた時には現在の八代城の方が好都合なのは明らかなので、こちらが廃城になったのは当然である。

 

 麦島城跡の見学を終えると「八代城」まで歩く。それにしても暑い。とにかく灼熱地獄である。ライフラインとして赤城の「ガツンとみかん」を買ったんだが、それが見る見る溶けていく。体が火照って仕方ないので、途中でコンビニやスーパーに入店してクールダウンを繰り返しながら歩くことになる。

 ライフラインのガツンとみかん

 数年ぶりに八代城の立派な石垣を堪能しながら、まずはその近くにある博物館に立ち寄る。

  

 博物館の展示は大体お約束のこの地方の歴史。それも原始時代から近代に至るまで。この辺りで出土した土器やら古墳などの紹介もある。やはりこの地域もかなり前から人間が居住していたようである。なおこの博物館内に八代城の復元模型があるが、それを見ているとやはり八代神社の参道になっている南門は後付けのようである。

  

博物館と八代城復元模型

 博物館に立ち寄った次は、近くにある松浜軒を見学する。ここは八代城代だった松井家の邸宅と庭園だという。国の名勝に指定されている。

 5月頃の花菖蒲が盛りの頃が一番の見所だとか。残念ながら今の季節は蓮の花がいくつか咲いているだけである。そのせいかごく普通の日本庭園という印象で、さして特別なものとも感じない。

 

 松浜軒を見学した後は久しぶりに八代城に立ち寄る。やはりここの石垣は改めて見てもなかなか立派である。北門や東門の構えなども実に見事である。

八代城北門

八代東門

 八代城を通り抜けると市役所前からバスに乗ってJR八代駅まで。ここから熊本に普通列車で移動することにする。

 

 車窓にはのどかな風景が広がるが、宇土辺りから車窓の風景にブルーシートが増えてくるのが目に付く。比較的新しい家で一見大したダメージを受けていないように見えるものの、屋根にダメージを受けてブルーシートを被せてある住宅が多い。また古い住宅などでは壊滅的打撃を受けているものもある。

   

 30分程度で熊本に到着する。久しぶりの熊本だ。この空気は懐かしい。とりあえずは駅前から路面で熊本城まで移動することにする。

 

 熊本城の最寄りで下車すると、熊本城の地震での被害の惨状が目に飛び込んでくる。東側の高石垣については大きな崩れは見られないが、その上の塀はほぼ全面的に倒れてしまっている。

東側の石垣上の塀が倒壊している
 

 ここから北側に回り込むが、最も山上が激しいのがこの辺り。熊本大神宮の裏手の石垣が全面崩壊して、石垣城の櫓が熊本大神宮の上に落ちてきて大神宮は完全に押しつぶされてしまっている。ここから棒安坂の間の石垣が一番崩壊が激しく、ほぼ全面的にダメージを受けている。

左・中央 全面崩壊している北側の石垣と押しつぶされた神社  右 足下の石垣が崩れている戍亥櫓
 

 棒安坂を登って加藤神社に抜けるが、加藤神社から見える天守は瓦が落ちてかなり惨憺たる有様だ。せめてもの救いは、現存の宇土櫓は隣接する長櫓の損壊は見られるが、本体は無事であるように思われること。加藤神社でも熊本城修復の募金を集めていたので、一応募金しておく。

左 宇土櫓は外から見た限りでは無事  中央 瓦の落ちた天守閣  右 熊本城修復の募金を集めている

左 大天守、小天守共に被害は甚大  中央 北御門付近の石垣  右 戍亥櫓はかなり危ない状況

 石垣が崩壊して一列だけで支えられている状態になっていた五階櫓がよくテレビに登場したが、それ以外でも戍亥櫓なども石垣崩壊でかなり危ない状況になっている。ここも早急なる作業が必要なようである。なおここまで見ていて感じたのは、後で積み直したと思われる石垣の方が崩落がひどいこと。新しい石垣の崩落に巻き込まれて下の古い石垣も崩落しているケースが目立った。やはり江戸期の穴太衆の技術と、明治以降の建設技術とだと技術のレベルが違うのか。

 

 二の丸広場までやって来たところで県立美術館に立ち寄ることにする。そもそもここの訪問が今回の大きな目的の一つである。ただ灼熱下の熊本城を歩き回ってかなり体が火照っているので、美術館の見学の前に喫茶でケーキセットを頂いてクールダウンする。

 

 ようやく人心地ついたところで展覧会見学。


「ランス美術館展」熊本県立美術館で9/4まで

   

 フランスのランス美術館が所蔵する作品を展示。

 バロック・ロココ絵画から始まって、ポスト印象派の辺りまでの作品が展示されているが、どちらかと言えば力点は古典の方にあり、圧倒的に面白かったのはダヴィッドやドラクロワなどの作品。画題にもドラマティックさを感じさせるものであり、なかなかに印象深い作品となっている。

 終盤はフジタが晩年に手がけた礼拝堂の壁画装飾などの特集になるのだが、これがまさにフジタの集大成と思わせる内容で、彼が真摯に宗教的テーマに取り組めばこうなるんだということが頷かせられる興味深い作品である。私がフジタに抱いていたやや軽薄なイメージとは異なる内容が、新たな彼の姿を私に見せてくれた。


 

 美術館の見学を終えると二の丸広場を抜けて桜の馬場の辺りまで降りてくる。この辺りは飲食店や土産物屋が並んでおり、おもてなし武将隊の舞台など多くの観光客で賑わっている。暑くて仕方ないので「白玉屋新三郎」「八女茶のかき氷」を頂く。暑い時の宇治金時ドーピングの一環。いささかボリューム不足であるが、こんなバリバリの観光地店では贅沢を言っても無駄だろう。白玉の味が良かったので良しとしよう。

   

 桜の馬場から表門方向に回ってくる。問題の五階櫓は奥で見えないのだが、その辺りに巨大な鉄骨が見えていることから、応急処置がなされたのだろうと思われる。またこの表門周辺も損害がひどく、崩れてない石垣もかなり孕んでしまっていて手直しが必要な部分が見られるし、馬具櫓は下の石垣が崩れてかなり危ない状況になっている。

左 五階櫓には応急措置がなされたようだ  中央 石垣がかなり孕んでしまっている  右 これもかなり危ない馬具櫓

 熊本城の想像以上の損害状況に暗澹たる思いである。地震の復興に関してはまず第一に被災者の生活再建を急ぐべきであるが、併せて熊本城の再建工事も迅速に開始してもらいたいところだ。このまま放置すると状況は悪化する一方になる。

 

 熊本城を一回りした頃には3時を回っていた。ここに来て昼食をまだ摂っていなかったことに気づく。そこで熊本の繁華街をプラプラと歩くが、ちょうどもう昼食時は過ぎてしまっていて開いている飲食店が少ない。そんな中「天草海士宴」なる店が昼食をまだやっていたようなので入店する。「桜御膳(1000円)」を注文。

   

 いろいろな種類の料理が盛りつけられた御膳で、いずれの料理もうまい。これはランチとしてはお値打ち品だと感じる。ウニ入りのオムライスなんかもこの店の名物らしいが、再訪することがあればそれも食べてみたいところ。

 

 昼食を終えると熊本の繁華街をプラプラと次の美術館まで歩く。次の美術館はビルの3階に入っている。

 


「かえってきた!魔法の美術館」熊本市現代美術館で9/19まで

   

 映像技術などを駆使して、観覧者が自ら参加する作品を集めた展覧会。自分の顔がポリゴンになったり、ボールの映像が落ちてきたりなど子供でも楽しめる内容。

 
 

 美術展と言うよりは体感型アトラクションといったところで、夏のお子様向け企画としては良しだろう。これで美術に親しむ子供が増えれば良いが、そちらの効果は少々疑問。

 

 さてここで思案は夕食をどうするか。昼食がかなり遅かったのでまだ腹は減っていないので、熊本で夕食を摂ろうと思うとどこかで時間をつぶす必要がある。とは言ってももう熊本で立ち寄るべきあてはない。しかも午前中からの炎天下の行軍で体力はもう既に限界に近い。結局は「八代でも夕食を摂る店ぐらいはあるだろう」ということでホテルに一旦戻ることにする。

 

 JRとバスを乗り継いでホテルに戻ってくると、ダウンしてしまう前に大浴場で汗を流すことにする。

 

 風呂に入ってサッパリすると、部屋で少し体を冷やしてからまだ動ける内に夕食に繰り出すことにする。午前中に市街をうろついた時、ホテルの南側に繁華街があることを確認しており、夕食を取れそうな店も数店目をつけている。

 

 夕食を摂るのに入店したのは「金之助」。郷土料理の居酒屋といったところの店だ。カウンター席に通されると、「馬刺盛り合わせ」「馬すじ煮込み」「サケ握り」を注文。

 

 馬刺しは赤身とタテガミと心臓の3種盛。それぞれ風味が違ってうまい。好みとしてはオーソドックスに赤身が一番私に合うか。また馬すじ煮込みがこれまた非常にうまい。さらに「焼き鳥3本」「揚げ出し豆腐」を追加。

 

 揚げ出し豆腐が結構ボリュームがあるのでこれは注文しすぎだったかと思う。しかしこれもやはりうまい。十二分に堪能したのである。

 

 ボリュームがある上にうまい。以上で支払いは3450円。なかなかにCPも良い。また八代に来ることがあれば立ち寄りたい店だ。

 

 夕食を終えて部屋に帰ってくると体のダメージのせいでグッタリしてしまう。夕食後にもう一回入浴するつもりだったのだが、とてもそんな気が起きない。あの灼熱地獄の下で2万3千歩も歩いたダメージはかなり体に来ている。今日一日でペットボトル何本のお茶を飲んだろうか。体が火照ってる感じでとにかくしんどい。この日はかなり早めに意識を失ってしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 就寝が早すぎたせいで翌朝は6時前に目が覚める。今から寝直すと寝過ごす危険があるので、朝風呂で目を覚ますとすぐに朝食に繰り出す。メニューは昨日とかなり似ているが、いくらかは違うメニューになっている模様。さすがにルートインでもこの程度の工夫はあるのか。

 

 今日の予定だが、今日はもう昼頃の飛行機で帰るつもり。夕方の飛行機まで粘っても立ち寄る当てもないだろうし、航空機の料金が高くなるからという理由で昼便を予約してある。その計画は正解だったようだ(この後、夕方まで時間をつぶすようなところは思いつかない)。ただホテルから空港までは往路でも乗車した高速バス・すーぱーばんぺいゆで行けるのだが、生憎と8時台のバスだと空港で2時間以上待つことになるし、10時台のバスだと空港到着が出発時刻のギリギリでちょうど良い時間のバスがない。仕方ないので、8時台のバスでJR八代まで行き、熊本で土産物等を購入してから熊本駅から空港リムジンで熊本空港に行くことにする。

 

 熊本駅まではおれんじ鉄道の車両が快速として運行されている。熊本駅に到着すると駅内で土産物を諸々購入。これも熊本へのお布施の意味もある。実際に寄付付きの土産物などもある。また熊本銘菓の陣太鼓を使った「陣太鼓ソフト」なるものを見かけたのでこれを頂く。どうやって作るんだと思っていたら、本当に小さい陣太鼓を出して来てソフトに混ぜている。小豆や餅が混ざっていてなかなかにうまいソフト。これはありだ。

 

 土産物等を一渡り買い終わると空港リムジンに乗車。しかしこのバスは高速バスと違って路線バスの一種であるから、途中の停留所は多いし道は混雑しているしで結構遅い。熊本と八代では空港からの距離がかなり違うのに、共にバスでの所要時間が60分程度になっていた理由がこれで納得できた。それでもバスは空港へはほぼ時間通りに到着する。

 

 空港内の売店でさらに土産物を買い足すと搭乗ゲートを通過。往路の時は夜に通過したのであまり気がつかなかったが、改めて周囲を見てみると建物自体の損傷がかなりあったのか、あちこちが応急処置で凌いでいる様子が見られる。そもそもこの空港の所在地は今回の地震で甚大な被害を出したことで知られる益城町であるし、空港の建物自体もかなり損傷したのだろう。まだ仮復旧といった印象で、この辺りは現在の震災復興状況を象徴している。それにしても東日本も放置、熊本も放置で東京利権ピックに邁進する現政権に政権担当能力はあるのか?

左・中央 建物の損傷が目立つ熊本空港  右 帰り便のボンバルディア

 阿蘇熊本空港の周辺はやはり気流が悪いのか、離陸直後から気持ちの悪い揺れがあるの往路と同じ。ただ今回はその後は常にかなり揺れ、飛行機が元々あまり得意なわけではない私にはかなり気持ち悪い飛行になってしまった。ボンバルディア+乱気流というのは飛行機嫌いには最悪のコンボである。

 

 予定通りに羽田空港に到着するとここからバスとJRを乗り継いで帰宅と相成ったのである。それにしてもかなり疲れた。

 

 

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