展覧会遠征 東京・京都編

 

 この週末は東京遠征を実行することと相成った。今回の遠征は様々な紆余曲折があって、結果としては大型遠征となっている。

 

 そもそも最初のきっかけはトリフォニーホールで開催されるインバル指揮のコンサートについて、新日フィルの公演と組み合わせた安価なセット券の案内が来たこと。インバルの公演については大阪公演のチケットを既に入手済みだったが、五嶋龍が抱き合わせになっているこのチケットには少々不満があった。そこで五嶋抜きの安価な公演に食指が動いたという次第。

 

 以前からクラシックマニアの間で問題視されているのは、外来オケ公演への五嶋龍や辻井伸行の抱き合わせ。別に彼らが演奏者として駄目という気は毛頭ないが、毎回毎回ソリストが彼らだと飽きが来る。しかも彼らが抱き合わせになると、まずはチケット価格が5000円〜10000万円ぐらい釣り上げられる上に、当日の客層が覿面に悪くなる(明らかにミーハー客が増える)ということが起こる。しかも五嶋はともかく、辻井に関してはソロでの公演は良いが、その身体的ハンデから協奏曲のソリストとしては明らかに難がある(指揮者とアイコンタクトを取れないことは時には演奏において致命的である)だけに少し考え直して欲しいところ。

 

 以上、諸々で今回の遠征は金曜午後に出発して火曜早朝に戻ってくるというもので企画された。しかしその後に、火曜日に京都で「わが祖国」全曲公演があるとの情報が飛び込んできたことから、これに行くとなると火曜は会社に遅出した挙げ句に早退する必要があるので、いくら何でもこれはちょっとというわけで、思い切って火曜も休暇を取ることにした次第。

 

 金曜の仕事を午前中で終えると神戸空港まで移動する。旅費の節約のためにスカイマークで飛ぶことにしている。例によっての「いま得」チケットである。飛行機は好きではないので、新幹線がもう少し安ければ助かるのだが。

 

 神戸空港まで行ってしまうと昼食の店がないので、三宮でミントの飲食店を物色。結局は「かつくら」に入店して「ヘレカツとおばんさいのランチメニュー(1980円)」を注文。

  

 カツよりもむしろおばんさいのうまさが光る。今の私にはこちらの方が合うか。また辛子の入った白味噌の味噌汁がさっぱりしていてうまい。最初に「味噌汁に辛子が入ってますが大丈夫ですか」と聞かれた時には「?」だったのだが、実際に飲んでみると目からウロコである。こういう発見はうれしい。

 

 昼食を終えるとポートライナーで神戸空港へ。この辺りは毎回お約束の行程。空港に到着するといつものように荷物検査を受けてから搭乗。ところでANAは機体の後部席から先に搭乗させるのに対し、スカイマークは窓側座席から搭乗させるシステムになっている。どちらもそれぞれ理屈があるのだが、果たしてどちらの方がスムーズなのかは判断が難しいところ。ちなみに搭乗時に混乱がよく起こるのはスカイマークの方だが、これは客層の違いもあるので搭乗システムだけが原因とは言いにくい。

 

 とりあえずいつものスカイマークの737に・・・と思ったらどうもどこか違う。私の乗った機は宇宙戦艦ヤマトとのコラボ企画とかで、機体にはヤマトのペイントが、座席カバーもヤマト、しかも機内にはBGMでヤマトが流れているという状況。それどころか機内アナウンスまで森雪なのにはたまげた。なおこうして聞くと、二代目森雪の声は初代よりもかなり色っぽい声。新シリーズのヤマトは女性キャラを大幅増量しただけでなく、こういう点も今風にしてたのか。

  

 気流の乱れでかなりフラフラとした気持ちの悪い飛行になったが、無事にほぼ予定通りに羽田空港に到着する。空港に降り立つと早速最初の目的地に直行する。今日の目的は実は今回の遠征の最大目的とも言えるもの。そもそも今回の遠征が企画されたきっかけは最初に説明したようにインバルのコンサートなのだが、遠征の実行が決定されたのはこの時期に重要な展覧会が開催されることが判明したため。それは国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」。まあただのミュシャ展なら大抵いつもどこかで開催されているのだが、本展がそれらと根本的に異なるのはミュシャ晩年の大作「スラブ叙事詩」が全作来日するということである。スラブ叙事詩とは晩年にチェコの愛国運動に身を投じたミュシャが、故郷の歴史を題材にして描いた一連の作品である。全20作でいずれも縦横数メートルはあるという大作であり、これを見るにはプラハの美術館を訪れるしかなかったのである。私も死ぬまでに一度はこの作品を見たいと思いつつも、まずヨーロッパになんか行くことはないだろうから諦めていた次第。それがこの度なんと来日するというのだから、これは万難を排しても来ないわけにはいかないということである。

 

 羽田空港から乃木坂まで地下鉄を乗り継いで1時間弱。今日は金曜日の夜間開館があるので見学時間は十分である。ただいつにもなく美術館に向かう客が多いのが気になるところ。もし行列だったら嫌だなと思ったが、幸いにしてスムーズに入場できた。あの観客の中には同時に開催されていた「草間彌生展」に行った者も多いようだ。ちなみに私はあの水玉模様をどうしても生理的に受け付けないのでパス。

 


「ミュシャ展」国立新美術館で6/5まで

  

 20世紀最強の萌え絵師、アール・ヌーヴォーの寵児だったミュシャが、チェコのムハとして晩年に作成したのが大作のスラブ叙事詩である。

 神話もまじえた幻想的な内容はいかにもミュシャらしい。ただ圧倒されるのは、大画面の中に同時に多数の要素を放り込みながら、それが全体としてバランスの取れた見事な画面構成になっているところ。また大作でありながら、よくよく見ると実に細かいところまで表現されていたりする。

 なお館内の一部は撮影可能スペースとなっていたのだが、作品の撮影をしつつ気づいたのは、作品全体の構成で全く隙がないのは当然として、一部を切り出してもそれはそれで作品として成立してしまうということ。

 とにかくグレードが高いという月並みの言葉しか出てこなかった。圧巻であった。


 思わず圧倒される作品に、結局は館内に1時間半ほど滞在していた。これは大抵の展覧会では滞在時間は30分程度という私にしては異例の長さ。それだけの内容があったということである。正直なところ、この作品だけでも往復の飛行機代の価値は十二分にある。

 

 展覧会を終えると夕食を摂ってからホテルに移動することにする。ホテルは毎度のように南千住のホテルNEO東京。今では移動のスカイマークと共に私の東京遠征実行を費用面から支える二大要素である。

 

 夕食は途中の北千住で摂ることにする。店を物色して商店街をウロウロしたが、キャリーを引きずっての移動がしんどすぎて疲れてきたことから、結局は適当に回転寿司に入店して夕食にする。

 

 ホテルにチェックインすると入浴してからしばし休息。ただこの日は体調の不良に悩まされる。なぜかやたらに腹が張って苦しい。結局はこの謎の不調は翌朝まで続くことに。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝はゆっくりしようと思っていたのだが、サラリーマンの悲しい習性で7時に自動的に目が覚める。仕方ないので起き出すと、昨日に成城石井で買い込んでいたミートスパを朝食にする。

 

 さて今日の予定だが、上野地区の美術館をフラフラした後にトリフォニーでの新日フィルのコンサートに行くというザックリした計画しかない。とりあえず9時前まで部屋でゴロゴロしてから、東京都美術館や国立西洋美術館の開館時刻の9時半を目処に出かけることにする。

 

 それにしても最近は心身共に調子が悪い。昨夜横になった時に頭がフラフラしていたことに驚いたが、今日も体は絶不調。目眩が残っていて何となく頭がボーッとしている。風邪をひいたような気もするが、こちらに来てから花粉症の症状もかなり悪化しており、どちらが主原因なのかがハッキリしない。

 

 上野駅で美術館のチケットを買い求めると、まずは東京都美術館から立ち寄ることにする。現地到着は開館10分前で、その時点での待ち客は50人程度。まあ大体通常通りと言うところか。美術館内は大した混雑もなく、鑑賞には良いコンディションである。

 


「ティツィアーノとヴェネチア派展」東京都美術館で4/2まで

  

 独立国家として繁栄していたヴェネチアでは、ベッツーニなどから連なるヴェネチア派と呼ばれる色彩豊かな新しい絵画が隆盛した。そのヴェネチア派を代表する巨匠・ティツィアーノ。彼に影響を受けたティントレット、ヴェロネーゼなどを中心として展示。

 さすがに初期の絵画はヴェネチア派と言えども中世を引きずったやや地味めのものに見える。本格的に色彩が爆発するのはティツィアーノ以降。本展の表題作とも言える「フローラ」はその肌の豊かな表現に圧倒される作品。

 展示作のレベルとしてはティツィアーノが群を抜いていて、それ以外で「あっ、これもなかなか」と感じたら、それがティントレットだったというようなところ。展示作品数はそう多くないのだが、実際にはティツィアーノの「フローラ」を見るためだけでも入場料の価値は十分にある。


 展覧会を終えると国立西洋美術館に向かうが、どうにも体がしんどくて仕方ない。そこで休養をかねて上野公園の「パークサイドカフェ」に入店して「和み」ラテを頂いて休憩。この原稿を打ちながらしばしマッタリする。

眺めの良いカフェで一服

 一息付いた後に美術館へと向かう。ここも最近になって急にル・コルビジェ絡みで脚光を浴びているところ。そのためか「無料観覧日には館内撮影禁止」との看板が立っていた。無料の日に押し掛けて写真を撮りまくる輩がいるのだろう。

 


「シャセリオー展」国立西洋美術館で5/28まで

  

 シャセリオーは若くしてアングルに師事して画才を示すが、後にはロマン主義の洗礼を受けて、新古典主義を率いる師匠のアングルとは決別。ロマン的な独自の画風を確立して、後のシャバンヌやモローに影響を与えたと言われている。ただ37才と若くして夭折したためにその知名度は低かった。子孫に当たる人物が精力的に作品を集めて国に寄贈したことで再評価の機運が生まれたとのこと。今回は日本で初めての大規模な展覧会である。

 彼の代表作の一つが会計検査院の壁画作品だと言うが、残念ながらその建物は今はなく、壁画も失われてしまったという。本展で展示されているのは往事の壁画の記録や習作など。ただそこからもシャバンヌが影響を受けたというのはよく分かる。また油彩画作品についてはもろにモローの作品とイメージがかぶる。

 正直なところ、特別な個性を感じる画家ではないのだが、絵画史の1ページにおいて重要な働きをした画家ということは言えるだろう。


 これで上野での予定は終了。さてこれからどうするかだが、新日フィルのコンサートは18時開演なのでかなり時間がある。そこで昨日調べたところ、東京ニューシティフィルのコンサートが東京芸術会館で14時から開演との情報を得ていたので、これを聴きに行くことにする。事前にチケットを入手していないが、恐らく当日券ぐらいはあるだろう。

 

 山手線で池袋まで移動すると、東武百貨店の飲食店街で昼食を摂る店を探す。入店したのは「赤坂うまや」「親子丼(1200円)」を注文。

 鶏肉自体はなかなか良いし、丼の味付けも関西人の私が抵抗を感じないまずまずのもの。難点は価格とボリュームか。私の常識で判断するとやはり妥当な価格の1.5〜2倍ぐらいになっている。いわゆる東京価格というものでCPは悪い。ややボリュームが少な目なので、これでこれからの長丁場が持つかどうかが若干心配。

 

 昼食を終えるとホールへ。ホールに向かう人波がいつになく多いから、ニューシティってこんなに人気があったっけ?と思っていたら、下のホールで開催されるイベント(演劇か何か?)の観客だったようだ。コンサートホールの方は結構ガラガラ。

  

 当日券販売には10人ほどが並んでいたが、ザッと見た感じでも結構チケットは余っているようだった。私が購入したのは3000円のB席の三階席。ちなみに隣の窓口はポンパレ様と書いてあり、ニューシティは半額チケットをばらまいているという噂を以前に聞いたことがあるのだが、このことか。この窓口にも大量にチケットが積んであった。

 

 三階席はかなり上からステージを見下ろす印象で、結構距離が遠い。会場の入りは5〜6割程度というところか。

 


東京ニューシティ管弦楽団 第111回定期演奏会

 

内藤 彰(Cond) 東京合唱協会 東京ニューシティ管弦楽団

 

モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲K.620

       交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」

       レクイエム ニ短調 K.626(ロバート・レヴィン版)

 

 残念ながらあまりうまいオケではないのはすぐに分かる。管楽器の鳴らし方が雑な上に音色が濁る。全楽器が斉奏するとゴチャゴチャして音が濁りまくる。また内藤式ピリオド奏法も特に音楽的な意味を感じず、貧弱な弦楽器の音色をさらに痩せさせる効果しか出ていない。

 前半のオケ曲は万事その調子で、全く精彩を欠くモーツァルトになってしまった。平板で盛り上がりに欠ける内容である。ジュピターなどは演奏の平板さもあって退屈する。ここまで退屈なモーツァルトは初めて。

 メインのレクイエムもいきなり管がずっこけてヒヤッとさせられるが、その後はかなり合唱に助けられた印象。何とか無難に伴奏に徹して最後まで持たせたというところか。


 ニューシティに関しては事前に芳しからぬ噂をいくつか耳にしていたが、こうして実演を聴いてみると、ネットの噂にはかなりの誇張があるとは感じたものの、あまり上手なオケではないということには完全同意である。今後はよほどのことがない限り、あえて聴きに来ようとは思わないだろう。

 

 これで東京の主要オケは最低一度はその演奏を聞いたことになるが、私の印象でのランキングを言えば N響、読響、都響>新日フィル、東響>日フィル、東フィル>>シティフィル>>>ニューシティ というところである。

 

 ニューシティのコンサートを終えると直ちに錦糸町に移動する。


すみだ平和祈念コンサート2017《すみだ×ベルリン》 上岡敏之指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

 

上岡敏之[指揮]

新日本フィルハーモニー交響楽団

 

マーラー/交響曲第6番 イ短調「悲劇的」

 

 上岡のマーラーは例によってのかなりあくの強い個性的なもの。メリハリの強い演奏でかなり劇的表現が強い。オケの方も激しく変化する上岡の強弱指定やテンポ指定に何とか従っており、緊張感のあるなかなかの熱演。

 新日フィルの細かい演奏技術にはまだ若干の問題もあるし、上岡の演奏は明らかに好みの分かれるタイプの演奏であるとは思うのだが、全編を通しての理念のようなものが通っており、私的にはなかなかの名演であると感じた。


 不思議なもので新日フィルの熱演で興奮すると体調の悪さがやや紛れていた。この勢いでそのまま夕食に繰り出すことにする。気分としてはガッツリと肉が食いたいということで、立ち寄ったのが北千住の「いきなりステーキ」リブロースの300グラムをガッツリと平らげて帰る。

  

 しかし体調の悪さはホテルに戻ってから再来した。また今日はスケジュールが目白押しだったせいで疲労も強い。コンサートを連チャンしたせいで、美術館訪問したのが数日前のような感覚になっている。何をする気力も起こらないのでこの日は早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝もグッタリしたままだった。寝たような寝ていないような。7時頃に目が覚めてしまうが、朝食に買い込んでいたパンを食べると再びそのまま10時頃まで二度寝。

 

 今まで疲労でヘロヘロだったが、不覚にも明らかに風邪をひいてしまったようで体調はいよいよ最悪の状態になってきた。今日はなるべく無理は避けて、昼からのコンサート以外は残った美術館に立ち寄るだけにしておく。

 

 向かったのは東京駅の三菱一号館美術館。もう昼前なので美術館に入る前に地下で昼食をと思うが食欲が今ひとつ。結局は見つけたラーメン屋「一風堂」とんこつラーメンをいただく。まあ特別に可もなく不可もなしの普通のラーメン。

 昼食を終えると美術館に入館する。

 


「オルセーのナビ派展」三菱一号館美術館で5/21まで

 19世紀末にゴーガンの影響を受けて出現した新しい芸術の潮流がナビ派と呼ばれ、ボナール、ドニらが独自の絵画を制作した。そのナビ派の作品を紹介。

 絵画では印象派だの何だのと、とかく「○○派」と呼ばれるグループがあるが、未だに私がどうにも正体をつかみかねているのがナビ派である。と言うのも、例えば印象派ならその独自の外光表現に共通項があるというように、何か共通の極めて特徴的な流儀のようなものがあるのに対し、ナビ派については新しい芸術潮流というだけで、各人が全くバラバラに思えるからである。あえて共通項を探し出そうとすれば、簡略化して装飾化されている画面構成か。ただこれも画家によっては大分印象が違う。

 ナビ派は身近な人物や題材を絵にすることが多いが、同じように人物を描いてもボナールとヴァロットンでは全く異なる。ボナールはモデルとの親密さ身近さを感じさせるのに対し、ヴァロットンは全く逆に心理的距離や孤独感のようなものを強烈に感じさせる。

 しかもナビ派がさらに進化すると、どんどんと超現実世界に入っていって、後のシュルレアリスムを連想させるような境地や、一種のオカルト趣味的な世界が現れたりととにかく方向性が不明。

 本展でナビ派の作品を概観したが、結局は私のナビ派に対するイメージは散漫なまま全く固まることはなかったのである。


 美術館を一回りすると次の目的地へ。次の目的地は今日のコンサート会場と同じ建物内にある。巡回路としては効率的。なおこの美術館が本遠征の美術館面での第2主目的。

 


「これぞ暁斎 世界が認めたその画力」BUNKAMURAで4/16まで

 

 浮世絵から狩野派まで、あらゆり流派の絵画の技術を使いこなし、その作品も戯画から仏画、果ては春画まで描いてしまうという脈絡のなさ。とにかくとんでもない技術を有しているのだが、全く正体をつかみがたいというのが暁斎である。

 本展では暁斎の様々な作品をジャンルごとに展示しているが、とにかくその画力には圧倒される。動物から美人画、さらには魑魅魍魎まで何を書いても見事。またユーモア溢れる作品があるかと思えば、達磨図のような極めて真面目な作品までサラッとこなしてしまう。

 私的には面白かったのは「百鬼夜行図」と「地獄太夫と一休」。化け物を描かせると天下一品の暁斎によるユーモラスな付喪神の姿はどことなく笑いを誘うし、あでやかな美人図に極めてリアルな骸骨を組み合わせたという独特の作品の描き込みの凄まじさは彼の底知れぬ画力を示す好例である。

 本展の展示作は、画商のゴールドマン氏が商売のためではなくて個人的なコレクションとして蒐集した作品であるらしい。暁斎の作品にすっかり魅入られてしまったとのことなのだが、これらの作品を見ているとさもありなんと思わせられるのである。


 

 久々に暁斎の作品に圧倒された。暁斎は永らく日本では忘れられた存在だったが、海外での高評価などから最近になってようやく日本でも再注目されるようになって何よりである。私もまだ世間が暁斎に注目していなかった数年前、初めて暁斎の作品を作品を目にした時には、いろいろな意味で度肝を抜かれたことを鮮明に覚えている。もし私がそれなりの財力とコネクションを持っていたら、やはりゴールドマン氏のように作品を蒐集しただろうと思う。最近は暁斎だけでなく、伊藤若冲、長沢芦雪など私が注目してきた画家がかなり世間的に評判になってきたようだ。私には目利きの才能がある?(笑)

 

 ゆっくりと展覧会を見て回った頃にはコンサートの開場時間となっていた。同じ建物の上階にあるホールへと移動する。


東京フィルハーモニー交響楽団 第891回オーチャード定期演奏会

 

指揮:アンドレア・バッティストーニ

ピアノ:松田華音

 

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』

 

 松田のピアノは軽妙で華麗なタイプの演奏。ただ残念ながらこのオーチャードホールの音響の悪さに邪魔されて、オケがかぶるとその音が前に出てこない。演奏自体は悪くないのだが、ホールにかなり邪魔された印象だ。

 さてメインのチャイ6であるが、悲壮感の欠片もない「悲愴」である。と書いてしまえばとんでもない駄演と聞こえるかもしれないが、それとは少し違う。メロディは魅力的に謳い、なかなかに聴かせどころが多数ある。しかしながら演奏が基本的に陽性に過ぎ、この曲を覆い尽くす陰鬱さや緊張感と無縁なのである。第一楽章中盤からの怒濤の展開も運命に翻弄される姿というよりも、迫り来る敵をバッタバッタと快刀乱麻でやっつける冒険活劇のように聞こえるし、第二楽章は軽快なワルツ、第三楽章は何かのカーニバルというように響く。例によって第三楽章終了後には拍手が起こったのだが、第三楽章があまりに大団円で終了していただけに、今回に関してはむしろこの方が正解にさえ思えた。第四楽章が第三楽章までと全く連続性が感じられず、図らずしも先日の新日フィルで6番終了後にアンコールで5番のアダージョが演奏されたように、交響曲終了後にアンコールピースが演奏されたようにさえ聞こえてしまったのである。

 バッティストーニの演奏は、ある特定の分野ではとてつもない魅力を醸し出すだろうと予測できる(多分イタリアオペラなどだろう)。ただ今回の曲目に関しては戸惑うところが多かったと言うことである。「悲愴」という名称に必要以上にこだわる必要がないとも言えなくもないが、やはりあまりに異色に過ぎたというのが正直な感想である。


 

 それにしてもオーチャードは二回目だが、ここは本当に音響が悪いホールだ。東京で音響が悪いホールと言えば最右翼はNHKホール、また昨日行った芸術劇場もかなり音響は悪い。これらのホールの音響の悪さは響きがほとんどないというもの。これに対してオーチャードホールは、天井の高さとステージの奥行きの広さが災いして妙な時間差を持って反響が被ってくるので、音がゴチャゴチャになって全く抜けてこないというもの。ある意味では音楽ホールとしては最悪の音響特性である。どういう設計コンセプトでこんなホールを造ったのかは謎だ。まあこれらのホールに共通しているのは、いずれもとにかく器だけは大きいということであるが。

 

 コンサートを終えると夕食を摂りたいと考える。どこで夕食を摂るかを考えたが、うまい物を食べたいと考えたらやっぱり浅草か。浅草まではちょうど地下鉄銀座線で一本である。

 

 久しぶりに仲見世をウロウロ。途中で買った揚げ饅頭を頬張りながら散策。やはり同じ人混みでも渋谷よりもこちらの方が落ち着く。夕食の店は実はイメージしている店が既にある。仲見世のを途中で出ると裏手の「大黒屋」に入店、「海老天丼」を注文する。

 海老天が4本も入った超ボリューム天丼。真っ黒な色は関西人としてはギョッとするが、意外にしつこくも辛くもない。ごま油を使用していると思われる天ぷらは、天ぷら単品で食べるには疑問だが天丼ならOKのバランスである。

 

 久しぶりの浅草夕食を堪能すると、仲見世の舟和で夜のおやつの桜餅を購入して帰る。関西では桜餅は普通は道明寺粉を使用した粒々のものであり、こういう餅タイプの桜餅は食べるのは初めてだ。

 

 この日はホテルに戻って入浴すると、先のおやつを頂いてから早めに就寝したのだった。とにかくしんどい。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時頃に目が覚めるが、そのまま10時前までゴロゴロ。どうも本格的に体調が悪い。これは明らかに風邪をこじらせてしまったようだ。

 

 そもそも今日の予定は19時からのインバルのコンサート以外何もない。当初予定では今日「ミュシャ展」に行くつもりだったのだが、これは初日に済ませている。再訪しても良いんだが、この体調だと鑑賞に全く身が入らないだろうことが想像が付く。

 

 とりあえずホテルをチェックアウトすると、これからの動線を考えて品川のロッカーに荷物を預けておくことにする。一端品川まで移動すると昼食のために浅草に戻ってくる。

 

 昼食は前から決めていた「駒形どぜう」に向かう。ランチメニューの「鍋定食」「鯉のあらい」をつける。さすがにこれはうまいが、支払いはトータルで4352円。あまりに贅沢すぎる昼食になってしまった。どうも体の不調が限界まで達し、頭の回転にまで影響を及ぼしているようだ。私は頭が死んでくると、一番先にぶっ飛ぶのが金銭感覚のようである。

 今日の予定はトリフォニーでのコンサートが夜の7時から。ざっと5時間ほど空き時間があるわけだが、どこかに繰り出すあてもその体力もまるでない。そこで浅草のネカフェで休養がてら時間をつぶすことに。

 

 結局は5時間ほどの滞在でマンガを読みまくることに。「アイアムヒーロー」は5巻ほどを読んだが、明らかに人格障害を持っている主人公のキャラに共感できない上に、もろにバイオハザードネタの内容には興味がもてずに脱落。「イヌヤシキ」は月並みなネタではあるが、セリフが少なくて大コマが多い構成のために短時間で読めてしまった。「ワンパンマン」も少し目を通したが、これはいかにもジャンプ的で面白くなかったので放棄。結局一番面白かったのは「ヒストリエ」。やっぱり私には「キングダム」とかこの手が一番好みが合うのか。

 

 開演1時間半前ぐらいにネカフェを出ると、東武と地下鉄で錦糸町に移動。ホールに入る前に軽くラーメンを一杯腹に入れていく。


すみだ平和祈念コンサート2017《すみだ×ベルリン》

エリアフ・インバル指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

 

エリアフ・インバル[指揮]

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

 

ワーグナー/楽劇『トリスタンとイゾルデ』より

      「前奏曲」と「イゾルデの愛の死」

マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調

 

 とにかくオケの分厚い音色が一番印象に残る。まさにドイツサウンドの王道中の王道。そしてインバルの指揮も一切の虚仮威しのない王道中の王道たる堂々した演奏。過度に感傷に走ることはないが、十分に劇的表現も含んだ内容で、とにかく隙がない。

 抑えるところは徹底して抑えるのであるが、一方でここ一番ではバリバリ鳴らしてくる大胆さはさすがのインバル。このインバルの鳴らし方にこのオケのサウンドは極めてマッチしている。大フィルの時よりはさらにワングレード上の演奏を聴かせてくれた。


 

 久しぶりにいかにも良い意味での「ドイツらしい」演奏を聴いたような気がする。さすがにインバルのマーラーは定評あるだけにハズレがない。

 

 コンサートを終えるとホテルに移動。そもそも当初の予定では明日の早朝に関西に戻って出社するつもりだったので、戻り便はスカイマークの朝一番の便を予約してある。これに乗るためには当然早朝出発になるので、ホテルは蒲田に予約してある。

 

 品川でキャリーを回収してから蒲田駅に到着すると、ホテルに入る前に駅前の回転寿司で夕食パート2。蒲田は以前来た時にも確認しているが、夜遅くでも飯を食える店が多数あるありがたい地域だ。

 

 宿泊するホテルは以前にも利用した相鉄フレッサイン。夜遅く到着で早朝出発の廉価プランで予約してある。実際にホテルでは寝るだけで、滞在時間は7時間ほどである。ネカフェでも良いぐらいだが、さすがにネカフェでは熟睡できないし。

 

 ホテルに入ると手早くシャワーを浴び、明日に備えて就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は5時には起床、さっさと身支度してホテルをチェックアウトするとバスで空港へ移動する。早いうちに搭乗ゲートを抜けると、驚異の超低CPかけそばを朝食代わりに摂り、この原稿を打ちながら搭乗時刻を待つことに(笑)。

 

 前回には霧のせいで到着時刻が30分以上遅れたりもしたが、今回は予定通りに神戸空港に到着する。そのまま今日のコンサート開催地の京都に移動、京都には10時過ぎに到着する。

 

 平日のまだ午前だというのに京都駅は相変わらずの混雑。とは言うものの、休日の比ではないのか、とりあえず500円のコインロッカーを確保できたのでそこに荷物を預けておく。

 

 今日のコンサートは京都コンサートホールで午後7時から。まだ6時間以上の時間がある。体調が万全なら京都市内散策でもするところだが、生憎と現在の体調はヘロヘロ。正直な本音はどこかで横になって寝たいというもの。結局は昼食兼の朝食を摂るとネットカフェにお籠もり。

 

 ここでは「ぼくらの」を読んでいるうちに時間になった。とにかく読んでいると死にたくなるぐらいの鬱作品である。全11巻を読み終わった時には大きな溜息が出た。しかし今時の作品にしては、登場人物の行動原理や感情などには説得力はある。明らかに異常なキャラクターが数人いるが、異常な奴は異常ななりにそうなるべき理由があり、感情には一貫性がある。

 

 ここらでようやく開演時間が近づいてきたのでホールへ移動する。

 


京都・プラハ姉妹都市提携20周年記念事業 プラハ交響楽団

 

[指揮] ペトル・アルトリヒテル

 

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」(全曲)

 

 さすがに十八番中の十八番だけあって、プラハ交響楽団はノリノリの絶好調である。少々音が乱れようがお構いなしに突っ走っている印象。またアルトリヒテルの指揮は初めて見るのだが、とにかく派手に踊りまくっているのに驚いた。あまりの動作の大きさに会場内では笑いをこらえている女性などもいたようである。

 とは言うものの、彼の指揮はただ単にパフォーマンスに走っているのではなく、当初からノリノリのプラハ交響楽団を良い意味で煽りまくっている。おかげで細かく見れば粗が諸々ないわけではない演奏だったにもかかわらず、結果としては非常に爽快で感動的な演奏となった。こういうのはさすがにご当地の強みである。


 

 ようやく全予定が終了。ヘロヘロになりながら帰宅の途についたのである。

 

 コンサートと展覧会を堪能しまくった遠征だったが、途中で体調を崩して行動力が大幅に削がれてしまったのが計算外だった。特に4日目、5日目などはほとんどネカフェに籠もっていただけで、非常に勿体ないことになっている。実は体力さえあれば東京近辺で出かけるところのプランはないわけではなかったのだが、今回はお見送りになってしまった。やはり何よりも先立つ体力をつけていく必要がある。

 

 なおこの時に完全に体調を崩してしまったダメージは意外に大きく、この後しばらくその余波を引きずってしまうことになるのである。

 

 

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