展覧会遠征 長野編

 

 この週末は松本までオザワ祭りに参加しに行くことにした。昨年はルイージのマーラーの復活を聴いたのであるが、今年はオザワの指揮のレオノーレを聴くことになる。オザワもいよいよ体力的にキツいのか、交響曲一曲を振るのは無理になってきたようだ。オザワの出演が減ると共にイベントの人気も漸減方向にあるようで、チケットも販売早々に一応は売り切れになったものの、ここで申し込んだ者は大半が転売目的のダフ屋。既にその日から早速チケットキャンプ辺りには予約番号を定価の数倍で転売しようとする馬鹿がひしめいていたが、それを無視していたら予約が無効になる数日後には、チケットぴあで普通に良席が購入できる状態になった。私は当然のようにそうなってからチケットを悠々と入手している。多分これで来年はダフ屋も激減しそうな気がする。もっとも来年にこのイベントがどうなるかは不透明であるが。

 

 購入したチケットは金曜の公演の分なので、金曜日は有給休暇を取得することにする。今年は盆も休まずに仕事していたので、一日ぐらい夏休みを取ったところで問題はない。とりあえず木曜日の仕事を終えると、そのまま名古屋まで移動することにする。名古屋で前泊して、明日の朝一から松本に移動しようという目論見である。

 

 というわけで、現在はこの原稿を名古屋に向かう新幹線の中で執筆している。つい最近に夏のボーナスの残りで新型ポメラDM200を購入したのであるが、なかなか快調である。やはり格段に辞書が賢くなっているのが大きい。DM100は入力機能においてはかなり良くなっていたが、やはり辞書の能力の低さのため、文章を入力していると変換に詰まってそこで思考が分断されるという難点があった。しかし新型のDM200はPC版のATOKのユーザー辞書を取り込んでやれば、パソコンでの作業と同じレベルでサクサクと文章を入力できる。基本辞書の能力がかなり向上しており、ようやく本当の意味での最強の日本語入力マシンになったようだ。重量がやや増えたこととアルカリ電池が使用できなくなったこと、また起動に時間がかかるようになったことなどが新型機の難点として挙げられているが、重量に関しては私が常に持ち歩いている荷物の重量から考えると誤差の範囲。むしろボディの剛性が上がったことで膝上入力時の快適性が増しているのがプラス。またアルカリ電池については、確かにバッテリー残量を気にする必要が出来たが、一日放置したら電池がスッカラカンになるiPhoneのことを考えると問題にならないレベル。起動に時間がかかるのは少しひっかかるが、それよりもむしろ電源ボタンを押したときに何の反応もない事の方が問題。おかげで電源ボタンが押せていなくて待ちぼうけを食らうことが時々ある。LEDなどを常時点灯させていたら単なる電気の無駄だが、電源オン時に一瞬だけチラッと光るインジケーターなどは欲しいところ。もしくはその時点でホワイト画面で良いから表示などは出来ないのか?

 

 名古屋にはすぐに到着する。駅に降り立つとまずは夕食である。名鉄百貨店のレストランコーナーを覗く。予定としてはうなぎを考えていたのだが・・・店の前には既に長蛇の列で待ち時間は1時間とのこと。とてもではないがそんなに待つ気はしないので、別の店に入ることにする。今日は味噌煮込みうどんの気分でもないことから、「文化洋食店」に入店して「ミックスフライ」を注文する。

 ホタテフライとエビフライ、それにカニクリームコロッケの組み合わせ。どうやらこの店の一番の売りはこのコロッケらしいが、確かにこのコロッケが絶妙にうまい。クリームコロッケにもかかわらずソースの色が白くない。カニのエキスの色だろうか。濃厚にして嫌みのない絶妙なコロッケである。またホタテフライやエビフライもオーソドックスにうまい。

 かなり満足して夕食を終えたのである。これは良い店を見つけた。これで名古屋でのディナーにうなぎと味噌煮込みうどん以外のバリエーションが出来る。

 

 夕食を終えると名鉄百貨店の地下でおやつのエッグタルトを仕入れると、地下鉄で今日の宿泊ホテルに向かう。今日のホテルは名古屋クラウンホテル。ビーズホテルと共に私の名古屋での定宿である。

 チェックインするとまずはシャワーで汗を流してマッタリ。テレビをつけたら「なんでも鑑定団」を放送していたが、今回は酒井抱一の真筆の仏画、鑑定評価額3500万円が登場。酒井抱一の仏画は十数点しか残っていないとのことなので、これが本当なら重文クラスか。大丈夫なのか? 画面を見ていたら下の方にズッと「この番組独自の鑑定です」という言葉が出ていて何やらアリバイくさくて情けない。薬事法逃れの「これは個人の感想です」と同じ世界になっている。この番組もあの曜変天目のドタバタなどがあったことから、逃げを打っているんだろう。それなら番組名も「お宝?鑑定団」に変えた方が良いのでは。

 

 そろそろ大浴場に入浴に行く。ここの湯は単純温泉とのことだが、湯には若干の黄色い着色があり、嘗めてみると渋みを感じる。なかなかに上質の湯である。とりあえず体の疲労を抜いておくことにする。

 

 風呂上がりにはセブンイレブンで購入しておいた「濃いフルーツオ・レ」を頂く。ところでわざわざこんなネーミングの商品が登場するということは、従来品が「うっすいフルーツオレ」と呼ばれていたことを知っているんだろうか?

 

 しばらく部屋でマッタリ過ごすと、この日は翌朝に備えて早めに就寝する。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩は集中空調の冷房の効きがイマイチのせいで蒸し暑く、なかなかに寝苦しかった。浅い眠りのままウトウトしていたら朝の6時に目覚ましで起こされる。

 

 眠い目をこすりながら身支度し朝食会場へ。クラウンホテル名物の名古屋飯バイキングを腹にしっかりとたたき込んでおく。

 今日は8時の特急しなのに乗車予定なのでそれに合わせて準備。テレビをつけたら、またトランプが今度は与党の大物にかみついたとのニュース。自らが掲げている法案が滅茶苦茶すぎるせいで可決できないのに、それを彼らのせいだと喚いているらしい。ああいうタイプの人間は基本的にうまくいかないことはすべて他人のせいにせずにはいられないので、追い詰められれば追い詰められるほど周りにけんかを売りまくって孤立することになる。トランプ政権ももう既に末期状態になっているようだ。側近連中も既にもてあましていることがにじみ出ている。ああいう輩は本来はもっともトップに据えてはいけないタイプなのだが、概して本人は極めて権力志向が強いから困りものなのである。というのも、権力がないと責任を周りに押しつけることが出来ず、自らの無能が際立ってしまうから。つまりああいうタイプは自らの無能を偽るために権力を指向するのである。ただ概して言い逃れなどの弁は立つために、当初は無能が目立ちにくいのがたちが悪いところ。しかも本人が無能を自覚して周りに任せればまだマシだが、このタイプは己の無能を認めることが出来ないから自ら仕切ろうとする。だから大抵はトップに座られてから周りが大混乱させられるのである。ああいうタイプはどこにも存在し、日本でも橋下などがまさにそのタイプである。だから敵対国としてはそういうタイプがトップに立つように誘導すれば、勝手に相手国が自滅していくということになる。さすがにハッキングでトランプが選挙に勝利するように誘導したプーチンは策士である。

 

 7時過ぎにチェックアウトすると名古屋駅で特急しなのを待つ。しなのは車内販売がないとのことなので、売店で慌ててお茶を購入。最近は効率重視で車内販売が次々と廃止になっているが、これは明らかなサービス低下。長距離特急で車内販売がないというのは著しく不便である。しかし収益一辺倒の世の中では必然的にこの方向に向かうのだろう。既にほとんどの特急列車の車内販売は廃止されており、いずれは新幹線の車内販売もなくなりそうである。

 

 特急しなのの車内は結構な混雑。盆は過ぎたものの、まだ夏休みの最中と言うことだろうか。フラフラした感覚のしなのの車中で原稿を入力するのは例によって気持ちが悪い。また車内の冷房の効きが今ひとつなのも不快感の一因。エコを口実にした経費削減か、はたまた外が暑すぎるのか。

 

 名古屋はカンカン照りだったのに、中央線沿線はどんよりと曇っており天候が気になるところ。とりあえず2時間後に到着した松本はちょうど雨がぱらつき始めたところという悪コンディション。

 

 今日はオリックスレンタカーを予約している。貸し出されたのはマーチならぬアクア。明らかにクラスが上の車にチェンジされている。まあ今回は山道を走る予定はないから、ボディの小ささにこだわる必要はないのでこのチェンジはありがたいところ。

 

 最初に向かうのは「伊深城」。築城の経緯が定かではない城で、1180年に岡田冠者源親義が築城したという伝説があるらしいが、実際には室町時代に伊深氏が築城したと推測されているとのこと。

 

 伊深城の手前に若宮八幡があり駐車場もあるのだが、その道が「本当にこの道を車が登れるの?」と言いたくなるような急な坂。とりあえず怖々その坂を上ると駐車場に車を置いてから若宮八幡に登る。その脇に遊歩道が整備されており、伊深城に登ることが出来る。

左 この鳥居の脇に駐車場  中央 若宮八幡  右 道は比較的整備されている

 遊歩道を歩き出すと共に雨が激しくなり始める。これは急ぐ必要がありそうだ。傘を差しての登山なので非常に進みにくいが、救いは道が整備されているので足下の不安が少ないこと。ただ遊歩道を塞ぐ形で倒木があったりして気持ちを削がれる。

 いきなり倒木に行く手を塞がれる

 天候のコンディションが悪い上に私の体力もガタガタ。九十九折りの山道を少し進んでは一息つかないと駄目な状態。残念ながら山頂まで一気に登り切るだけの体力が全くない。

 

 途中の分岐を過ぎて少し進むと、番所でもあったのではないかと思われるような構造に行き当たり、そこから先は明らかに城内の雰囲気が漂い出す。こうなると死にかけていたところも元気が出てくる。何とか脱落せずに山頂まで登り切った。

左 しばらく進むと石垣らしきものが  中央 そこを抜けると  右 城内の雰囲気になってくる

左 この石垣は往時のものだろうか?  中央 本丸下の曲輪に到着  右 ここから本丸へ登る

 登り切るのに要した時間は大体20分ほど。私のいつものペースというか、これ以上の時間がかかると体力が続かない。私の山城攻めは大抵20分以内で登り切るパターンなので、私に内蔵されたクライミングコンピューターの城攻めプログラムは20分が限界となっており、これを過ぎると過負荷で体から白煙が上がる・・・ということはさすがにないが、体力が完全に尽きて動けなくなってしまう。今まででは坂戸城でそれを経験している。

左 本丸に到着  中央 本丸は二段になっている  右 本丸北はかなり切り立っている

 山頂の郭は二段になっているが、面積はそれほどではない。一段低いところにあった帯郭を加えて、この辺りがこの城の主要部になるのだろう。なお山頂の本丸の奥はかなり深く堀切を切ってあるようだ。なお案内看板には「比高200メートルで眺めが素晴らしい」と書いてあるのだが、木が多いせいで眺望はほとんどない。

 

 なんとか頂上にたどり着いたが、雨はさらに激しさを増してきている。足下がぬかるんで滑らないうちにさっさと下山することにする。実際はこれが一番危ない行程。しかし幸いにして大過なく降りてくることが出来た。

 

 しかし車に到着した時には雨はかなり激しさを増しており、これから他の山城を攻略するのは賢明ではないことは明らか。ここに来て予定の変更を余儀なくされることになる。妥当なのは松本市内観光だが、実際のところは松本市内でもう見て回るべき場所は思いつかない。松本城周辺をウロウロして時間をつぶす手もあるが、その場合は車は完全に邪魔になってしまう。

 

 どうせ車があるのだから松本市外まで少し足を伸ばすかと考えた時、目的地として浮かんだのが鹿教湯温泉。実のところ、今回の遠征計画の初期案では宿泊地は鹿教湯温泉を想定していたのだが、その後の状況の変化でキャンセルになっている。そこでどうせなら鹿教湯温泉を訪問してやろうかと考えた次第。

 

 松本から鹿教湯温泉は山間の有料道路(通行料510円とやや高い)を使用して30分程度。数年ぶりの再訪となる。相変わらず鄙びた風情のある温泉街である。宿泊するつもりだった大江戸温泉で入浴しようと思っていたのだが、残念ながら入浴は2時からとのことでまだ1時間以上先。では他の旅館でと思ったのだが、車を置く場所がない。これはどうしたものかと思案した結果、とりあえず鹿教湯温泉を通過して霊泉寺温泉を訪問することにする。

 

 霊泉寺温泉は鹿教湯温泉から車で10分ほど。ここは霊泉寺の隣に温泉用駐車場があり、共同浴場もあることは確認済み。車を駐車場に置くと、鹿教湯温泉に輪をかけて鄙びた温泉街を共同浴場まで歩く。

 霊泉寺温泉街

 共同浴場はかなり古い建物。入口に箱が置いてあって200円を入れて勝手に入浴するシステム。無人販売所みたいなものである。

  

共同浴場の建物はかなり古く、浴場もシンプルそのもの

 霊泉寺温泉はアルカリ単純泉だが、この施設ではその湯を非加水・非加熱・循環なしでかけ流している。湯自体は肌にしっとりとくる上質のもの。先ほど雨の中の山道で疲れて汚れている体を洗い清めると共にしっかりとほぐす。

 

 入浴を済ませると昼食のために鹿教湯温泉に戻ってくる。ただ飲食店と言ってもそば屋ぐらいしかない。「たつみや」に入店して十割そばの大盛りを注文。そばはマズマズなのだが、さすがにそばばかりこの量だといささか飽きる。主食だけをひたすら食べている気分である。しかも今は生憎と秋の新そば収穫前の一番そばが悪い時期でもある。

  

 昼食が終わった頃には2時になったので大江戸温泉藤館を訪問。日帰り入浴を申し込んだところ、今日は部屋が全部埋まっていて宿泊客が多いから駐車場に空きがなく、チェックイン時刻の3時までに入浴を終えて欲しいとのこと。元より私はそんなに長湯するつもりもない。

 鹿教湯温泉もアルカリ単純泉である。ただここの浴槽は加温・循環・消毒ありなので湯の鮮度が先ほどの霊泉寺温泉よりは劣る。悪い湯ではないがインパクトはあまりない。

 

 大江戸温泉を後にすると、ホテル内で試食用に配られていた塩川の温泉まんじゅうがうまかったことから、店に立ち寄って購入。後はまた510円の有料道路を通って松本に移動、今日の宿泊ホテルにチェックインすることにする。

  

塩川の温泉饅頭は美味

 宿泊先は前回に宿泊した浅間温泉を考えていたが、ホテルの料金が高めなのとあまりに芸がないと考えたことから、今回は美ヶ原温泉で宿泊先を探した。見つけたのは湯宿和泉屋善兵衛。美ヶ原温泉の温泉街自体が路地がウネウネしたところなので旅館を見つけるのにやや手間取る。見つけた旅館は白壁土蔵風の少し変わった建物。

 白壁土蔵風の建物

 旅館にチェックインすると早速露天風呂に入浴に行く。この旅館は奥に長い独特の構造をしており、露天風呂はその一番奥。野外で開放感のある浴場で、浴槽には湯がダバダバと注がれている。泉質はアルカリ単純泉とのことで、あまり特徴のあるお湯ではないが、肌にしっとりと馴染む優しい湯。その湯に体をゆだねるとまさに極楽。

 開放感のある露天風呂

 一風呂浴びてしばしマッタリとしてから、5時過ぎに夕食を摂るために外出する。しかし困ったのは松本の飲食店は松本城周辺に集中しており、その界隈では車は邪魔になること。結局はウロウロしているうちに「竹風堂」の前を通りかかったので、そこの駐車場に車を入れて夕食を摂ることにする。注文したのはいつもの「山家定食(1890円)」。本来なら昼食にするところのものが夕食になってしまった。

 毎度の山家定食

 やや軽めの夕食を終えるとキッセイ文化ホールに向けて移動。ホールには6時過ぎに到着したが、既に駐車場はほぼ満杯の状況で車を止める場所を探してウロウロする羽目になる。誘導もほぼないに等しい状態だし、押しかけてくる人数に対して会場側が対応し切れていない様子。

 会場周辺では記念写真を撮影する者が非常に多い。そのような光景は前回にも多数目撃したが、この辺りが通常のコンサートと違ってお祭り気分が強いところ。なお会場内はほぼ満席になっていたが、当日券の販売もあったようだ。前回は私の席は2階の奥だったが、今回はチケット購入のコツが分かったので1階の比較的良いポジションを確保している。


セイジ・オザワ松本フェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム

 

指揮:小澤征爾(ベートーヴェン)

ナタリー・シュトゥッツマン(マーラー、ドヴォルザーク)

ソプラノ:リディア・トイシャー(マーラー)

演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ

 

ベートーヴェン:レオノーレ序曲 第3番 Op.72b

マーラー:「少年の魔法の角笛」より

ドヴォルザーク:交響曲 第7番 ニ短調 Op.70, B.141

 

 小澤が振ったのは一曲目のレオノーレだけなのだが、やはり小澤が振るだけでサイトウキネンオケの音色がピリリと引き締まるのが感じられる。気持ちの入った演奏というか、オケの気合いのようなものが演奏を通して感じられる感動的な演奏。おかげでレオノーレが実際以上の大曲に聞こえてくる。小澤もここ一番では立ち上がって棒を振るなど、なかなかに気合いが乗っている。まだまだ小澤健在をアピールしている。

 指揮者が代わって「角笛」に関しては、トイシャーのソロが若干弱々しさがあり、終始オケの音色に埋もれてしまうような印象があったのがつらいところ。

 シュトゥッツマンの指揮に関しては、軽やかで躍動感に満ちているのが特徴。その中でメロディを浮き立たせる形になっている。また弱音に対して神経を使っているのを感じられるが、いささかサイトウキネンのパワーをもてあまし気味である印象も受けた。独特のリズムで躍動感のある交響曲第7番の第3楽章などは彼女の演奏の特徴が最も現れていたように思われたが、両端楽章についてはもう少し緊張感が欲しいようにも感じられた。


 小澤がステージに現れただけで空気が変わるというか、楽団員の小澤に対する敬意のようなものが滲んでいた。指揮者と楽団員の親密さが伝わってきており、小澤がいるだけでオケに影響を与えているのが分かる。これがいわゆる巨匠効果というものか。なおこの効果は楽団員だけでなく、観客にも及んでいたようだ。

 

 コンサートを終えると全員が早足で会場を後にする。ここで出遅れたら駐車場を出るだけでかなりの時間を要してしまう可能性がある。私は幸いにして出口が渋滞する前に会場外に出ることが出来た。前回でも感じたがこの会場は足の問題も抱えている。ただキッセイ文化ホールがベストな会場とは思えないが、松本には他に施設がないのだろう。

 内風呂

 旅館に戻って来た時には温泉街はひっそりと静まりかえっており、辺りは既に半分眠っている状態。この温泉街は歓楽街などを有していないので夜が早いようである。部屋に戻った私は、とりあえず内風呂でゆったりと体を温めてから就寝することにする。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時過ぎには外光で部屋がうっすらと明るくなるので自然に目が覚める。目が覚めたところでまずは朝風呂。極楽、極楽。

 

 8時に食堂で朝食。オーソドックスな和食。しかし旅館で食べるこういうご飯は実においしい。朝から非常に飯が進む(昨晩の夕食が早めの上にやや不足だったせいもあるようだが)。体のあちこちに疲労は残っているが、体の調子は悪くはないようだ。

 朝食後はロビーで新聞を読みながらコーヒーでしばしマッタリと過ごす。皆既日食にちなんでまたトランプが、オバマの顔を自らの顔が隠していくという品のない画像を公開しているようだ。しかしこれは、オバマ=太陽をトランプという黒い影が覆い隠すという意味か。つまりオバマの功績を次々と無にしている馬鹿トランプを現していると考えると納得がいく。ちなみに所詮は太陽を覆い隠した黒い影も数分で空から追い払われることになるわけだから、世界を覆い隠す黒い影もほどなく追放されることになろう。

 

 部屋に戻ってテレビをつけると、今度は北朝鮮が例によってのロケット花火をまた日本海に打ち込んだらしい。ここの国の馬鹿ボンも相変わらずアホなことを繰り返しているようだ。しかしこういうハッタリを続けないともう国を保てない状況なんだろう。ちなみに日本の馬鹿ボンも北朝鮮の脅威を煽ることを自らのライフラインにしている模様。もっとも北朝鮮が本気で攻撃してきたとしたら、日本の馬鹿ボンは日本を守るどころか自分だけさっさと逃げ出すだろうが。

 

 ホテルをチェックアウトしたのは9時。ガソリンスタンドに立ち寄ってからレンタカーを返却に行く。昨日は50キロほど走ったはずだが、それでもガソリンがほとんど減っていないのはさすがにハイブリッド効果。なるほどこれはハイブリッド車が増えるとガソリンスタンドの廃業が増えるはずだ。

 

 駅まで送迎してもらうと特急しなので長野に向かう。今朝は雨が降った様子があったが、もう既に天候は回復している。やがて昨日にも乗車した特急しなの3号が到着、大量の乗客が降車する。やはり今は長野新幹線の開通で長野までしなのに乗車する乗客は減少しているのだろうか? ただ未だにしなのは松本ー長野間の輸送には重要な役割を果たしているはずである。

 

 しなのの中ではこの原稿を打ちながら時間をつぶす。列車が長いトンネルを抜け、日本三大車窓の一つが見えるようになれば長野はもうすぐである。東京経由で新幹線で長野入りしたら早いのだろうが、この車窓が無いのは非常に寂しい。

 善光寺平の風景

 長野駅に到着すると駅レンタカーの事務所へ。ここでノートを借りることになっている。今日の予定はここから妙高まで走って鮫ヶ尾城を訪問することになっている。実は当初のプランではこれは予定に入っていなかったことから、土曜日は鹿教湯温泉ででもマッタリしようと考えていたのだが、その後に状況の変化があって急遽予定を組み替えた次第。

 

 状況の変化とは日本城郭協会が続100名城を発表したこと。続100名城と言えば、そもそも私がその名で100名城に準ずる城郭を発表していたのだが、本家が同じ名前で発表してしまったので極めてややこしいことになってしまった。とりあえず私のリストは私撰準100名城に名前を変更することにしたが、それはともかくとして問題は内容。続100名城の城郭のほとんどは私の続100名城とかぶっているのだが、一部私の未チェックの城郭を含んでおり、その一つが鮫ヶ尾城だった次第。そこで、松本まで来るついでに、さらに少し足を伸ばして訪問してやろうと予定を変更したのである。

 

 須坂から上越自動車道を北上するルートを取る。高速に乗るまでに昼食を摂りたかったのだが、どうも沿道にこれという店がない。結局はケンタで昼食を済ませるという緊急事態に。これはあまりに悲しすぎる。

 あまりに悲しすぎるこの日の昼食

 悲しすぎる昼食の後、高速をひたすら突っ走る。上越道はまだ部分的には対面二車線の箇所が残っており、現在工事中のようである。上越道を降りたのは上越高田ICで。

 

 高速出口から山沿いを南下、小集落の中に入っていったところで「鮫ヶ尾城」の表示を見つける。鮫ヶ尾城の一帯は古墳公園になっており、管理事務所で地図ももらえる。ただ管理事務所に向かおうとすると「熊が目撃されているので注意」の看板が。最近はあちこちで熊が増えているがここでもか。しかし恐れてばかりではどこにもいけない。管理事務所で聞くと、とりあえず公園内で子熊が目撃されているが山の方での目撃証言はないとのこと。

  

熊に注意を呼びかける表示があちこちに

 鮫ヶ尾城は上杉景勝と上杉家の後継争いをして敗れた上杉景虎が最期を迎えた城郭である。某漫画の影響でオタ人気の高い景虎ゆかりの城と言うことで、その手の女性の聖地巡礼も結構あるとか。地元にしたら上杉景勝や直江兼続は敵になるらしい。現地も景虎をメインに据えた村おこしのようなものもしているようだ。

 

 本来はここから北側登城路を通るところなのだが、現在上越道の四車線化の工事のために北側登城路は通行不可とのことで、東側登城路から回り込むことを余儀なくされる。若干の遠回りになるようだが、そう険しい道でもないようだ。

一旦池に降りてから回り込んでいくルートになる

 池の横を回り込んで九十九折りの山道を少し進むと滑らかで広い斜面に出る。ここが鮫ヶ尾城の麓になるようだが、そもそもは遺跡のようである。城郭としては平時の屋敷でも構えるところか。かなりの面積があるので大勢が居住可能である。

この平地もそもそも遺跡のようである

 滑らかな道をしばらく進むと、堀切などがあってからかなり険しい構造が現れるようになる。その険しさは本丸に近づくほど極端になり、本丸手前では上り階段にロープを張ってある状態。意地のように本丸を守ろうとしている構造になっている。麓を見た時には「どうも険しさのない城だな」と感じたのだが、その印象はこの辺りで一変する。

この先には唐突に堀切などが連続して現れ、そこを抜けると広大な東一の丸に出る

東一の丸の先も堀切と急坂が連続し、頂上がやっと本丸

 山頂の本丸に登るとなかなかの見晴らしである。本丸を取り巻くように周囲に郭が配されており、本丸を徹底的に守る構えとなっている。各曲輪もそれなりの面積があるので、大兵が立て籠もることが出来る城で、そうなった場合にはかなり堅固である。さすがに上杉領の最前線を守るための要塞である。そこで御館が落城した後の景虎は逃亡の途中でこの城に立ち寄ったのであるが、城主の堀江宗親が寝返ったことによって自刃に追い込まれている。この時点での景虎は恐らく大した軍勢も既に持っておらず、そうなるとさすがにこの堅城でも守りようもなかったであろう。

左 城跡碑  中央 眺めはなかなか  右 隣に見えるのは米蔵跡
 

 本丸周辺はかなり整備がされてあるが、残念ながら二の丸などは下草が刈られていないので入りにくい。現地の保存会が頑張って草刈りをしてくれているようだが、さすがにすべてには手が回らないようだ。

  

二の丸は残念ながらこの状態

 現地の整備もかなり気合いが入っているし、城の構造自体も見るべきところが多い。さらには上杉景虎が最期を迎えた城というドラマ性。確かに続100名城に選定するのに文句のない城郭である。難点はその割には全国的知名度が低いことか。というわけで、私もこの場で「鮫ヶ尾城は是非とも見学するべき城郭である」とアピールしておく。

 

 昨晩の雨で足下がややぬかるんでおり、注意はしていたのだが帰り道で転倒、派手に尻餅をついてしまった。幸いにして尻の肉の厚いところだったのでけがはないが、それでも痛いものは痛い。もっとも腰でもぶつけていたら大変なところだった。こんな不覚を取るのも昨今の運動不足のせいだろうか。

 

 久々に本格的山城を探索した。かなり疲れたが心は満たされた気分だ。後はどこかの温泉で汗を流したいと思っていたところ、管理棟で近くの温泉入浴施設・神の宮温泉かわら亭の割引券をもらったので立ち寄ることにする。かわら亭はここから5分とかからない。

 

 かわら亭は宿泊も出来る温泉施設で、レストランなども完備している。どうやら地元が観光開発のために気合いを入れて建てた施設のように思われる。まだ新しいようで施設は綺麗。また日帰り入浴客も結構訪れている。景虎の湯と名付けられた大浴場は広い内風呂と露天風呂からなり、泉質はメタケイ酸を含むアルカリ泉とのこと。これがなかなかにして良い湯。肌にヌルヌルとする美肌系の湯である。非常に快適で、山登りの疲労をここでゆったりと癒やす。実は昼食がお粗末だったのでレストランで軽く食事も考えていたのだが、残念ながらレストランは昼休憩の時間の模様。仕方ないので風呂上がりにフルーツ牛乳だけを頂いておく。山城攻略で汗をかき、その汗を温泉で流す。ああ、男の休日とはかくありたいものである。久々に充実した気分である。

 

 温泉でサッパリしたところで、今夜の宿を目指すことにする。今夜は戸隠で宿泊することにしている。宿泊先に戸隠を選んだのも、この度戸隠が重伝建に指定されたから。今回の遠征の今日の予定は続100名城と重伝建の合わせ技になっている。

 

 再び上越道を信濃町ICまで南下すると、そこから戸隠目指して県道36号をひた走る。ところどころ道幅の狭い箇所はあるが、道自体はそう悪い道ではない。ただ起伏が結構激しいので、ノートのパワーではいささかしんどい運転になる。キャンプ場などの横を通り抜けながら、戸隠に到着したのは5時過ぎになる。

 

 今回の宿泊旅館は国民宿舎横倉。この地域に多い宿坊の一つである。建物はかなり年季が入っているようで床などはギシギシ言ったりする木造建物。趣があると言うよりも、端的に言うとボロい。ただ幸いにして不潔な感じはない。

  

 それにしてもさすがに戸隠は高原と言うべきか、この夏の最中でもひんやりとしている。部屋は暖房はあるが冷房はない。こんな気候なら確かに冷房は不要だろう。逆に冬にどうなるかを考えると空恐ろしい。

 

 とりあえず部屋に荷物を置くと町の散策に出る。しかし戸隠は5時を過ぎるとどの店も完全に店じまいで、町自体がもう既に夜のお休みモード。なお戸隠の集落は、歴史ある建物があるというよりは、戸隠神社を中心とした往事の宿坊の並ぶ門前町の雰囲気が残っているというべきのようだ。もっとも今日ではこの宿坊もスキー宿としての役割が大きいようだが。何か特定の見所となる建物があるというわけでなく、集落全体に漂う空気が一番貴重というところ。

独特の空気のある戸隠の街並み

 夕食は6時から。宿坊とは言うが、別に料理が精進料理というわけではなくて普通の夕食。それにしてもメインがビーフシチューというのはどういう取り合わせ。とりあえず集落の中にはコンビニ等はないので夜に腹が空かないようにタップリと食べておく。

 

 食後に軽く入浴を済ませて部屋に戻ると、この原稿を入力・・・しようと思ったが、体がだるくて頭がボンヤリとしてとても執筆不可。そこでボンヤリとテレビを見て過ごす。何やら「昭和と平成のヒーロー・ヒロイン」なんて番組をしているが、放送局がフジテレビ系列のせいか、出てくるキャラがワンピース関連が多すぎて興ざめ。この番組の直後にワンピースのスペシャルが放送されるとやたらに宣伝が入ることからも、明らかに票操作もありそう。ちなみにランキング1位は、ヒーローが昭和・平成共に孫悟空、ヒロインは昭和が峰不二子、平成はワンピースの何とかいうヒロイン(私はワンピースは全く知らない)。ヒロインのベスト5に昭和も平成もセーラームーンが入っていたが、昭和は旧作、平成はリメイク版というのがいかにも。ただ昭和の私としてはリメイク版には全く面白さを感じなかった。ちなみに私が選んだら、仮面ライダー1号とメーテルかな。本郷猛は「男とはこうありたい」いう憧れだし、メーテルもやはり憧れの女性である。

 

 体がとことん疲れており、もう既に両足ががたついてきている。当然のようにかなり激しい眠けも襲ってきた。することもなし、起きていても腹が減るだけ、この日は早めに就寝する。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半頃になると周囲がドタバタし始めるので目が覚める。かなり爆睡していたが、体はあちこちに痛みがある。特に昨日ぶつけた尻が痛むのと、両太ももに力が入らない。情けないほどに連日の山城攻めがダメージを与えているようである。両足が脱力状態で歩くのがギクシャクしてしまう。やはり根本的に鍛え直す必要がありそうだ。

 

 朝食は7時半から。オーソドックスな和食。とりあえずしっかりと腹にたたき込む。

 

 朝食後は軽く散歩に出る。夏だというのに空気がひんやりとしている。気持ちの良い空気だが、足が全く前に出ないので早々に戻ってくる。

 

 チェックアウトしたのは9時頃。とりあえず戸隠神社の宝物庫の入場券をもらっているので戸隠神社を訪問。なかなか由緒正しい神社のようであるが、神社の参道の石段が現在の私の体調ではほとんど拷問。杖をつきながらヨタヨタと登る情けなさ。

左 この石段がツラい  中央 ご神木の三本杉  右 社殿

 戸隠神社の見学を終えると次は北野美術館に立ち寄ることにする。美術館は別荘街のようなところの奥の鬱蒼とした森の中にある。

 


「夏の日本画展 あさがおコレクションを中心に」北野美術館戸隠館で9/10まで

 朝顔を題材にした日本画の大家たちの作品を展示。上村松園、酒井抱一、鏑木清方、速水御舟など蒼々たる顔ぶれの作品を展示。

 その中で私の印象に残ったのは中島千波の装飾的な朝顔の作品。金地に色鮮やかな作品で非常に華やかな印象を受ける。なかなかに爽やかな絵である。


 北野美術館がこの地に新館をオープンしたのは2年前とのことだが、新館をオープンするに至った理由の一つは、本館のある若穂地区が鉄道の廃線によって公共交通機関のないアクセスが劣悪な地になった上、周囲が中途半端に宅地化して風情もなくなってきた(以前は周囲は田園風景だったらしい)ことがあるとのこと。ここならリゾート地なので、ついでに立ち寄る客が期待できるということらしい。確かに周辺を散策している者も少なくないが、ただ最近はこの周辺でも熊の目撃情報があり警戒をしているらしい。散策に適した広い庭園があるのだが、今は残念ながら積極的には勧められないとのこと。

 

 北野美術館を後にすると長野に向けて突っ走る。11時に車を返却する必要があるので少々急ぎのドライブ。戸隠バードラインなる高原道路を走るが、驚くのは対向車の多さ。さらにその中でもバイクの比率が高い。どうやら長野から格好のツーリングコースとなってるようである。高原の高速コースを抜けると、今度は急カーブの連続の下り坂。なかなかにハードなコースだ。確かにツーリングに向いてそうなコースだ。

 

 ようやく長野市外に降りてきてガソリンを補給、レンタカーを返却した時には11時ちょうどだった。さてこれからどうするか。帰りの列車は3時のしなのを予約してあるので、それまで4時間弱をつぶす必要がある。とりあえずキャリーは駅のロッカーに入れて身軽になると、まずは善光寺までバスで移動することにする。

 

 昼食は善光寺周辺でそばでも食べるかと思っているが、まずはその前に一息つきたい。竹風堂で「くりあんみつ」で一服することにする。相変わらず栗かのこが絶品である。

 甘物でホッとしたところで善光寺の参道筋をしばしフラフラする。善光寺の近くで「尾張屋」なるそば屋を見つけたので入店、なめこおろしそばを注文する。

 おろしとなめこがサッパリした風情でなかなかに美味。観光地としては上々のそばである。

 昼食を終えると善光寺の参拝。善光寺はいわゆるポックリ寺であり、高齢になってくれば来るほど切実に御利益が気になってくる寺(笑)。胎内巡りなども受け付けているが、観光客が殺到している模様。私はこれは一度体験しているのでパスする。とりあえず最後はポックリと迎えたいが、現段階ではまだお迎えには来てもらいたくない。

 久々に善光寺をサクッと参拝すると、この近くにあった「横山城跡」を見学する。横山城は善光寺と共に存続しており、南北朝時代以来、川中島合戦に至るまで軍事拠点として重要視された城であるとのこと。上杉謙信が川中島に出陣する際にはここを拠点にして武田軍に挑んだという。

左 この頂上辺りが横山城跡  中央 奥の本殿が本丸跡らしい  右 社殿の裏にはかすかに土塁の痕跡が
 

 とは言っても今では市街に埋もれて城の遺構はほとんど残っていない。かつての本丸跡が現在の健御名方富命彦神別神社とのことで、そこのところは一段高くなっており、社殿の裏にはかすかに土塁の跡が残っている。城のあった土地は善光寺を西に望む台地であり、東側は比較的切り立っていることから確かに城郭向きの土地であることは分かるが、今となっては城跡と言われて「ああ、確かにそうかもね」と感じるという程度。

 

 それにしても今日の長野はとにかく暑い。昨日までの戸隠とは全く気候が違う。フラフラになりながら再び善光寺の参道筋に戻ってくると、「つち茂」びんずるソフトを頂く。これは「おいり」の入ったカラフルなソフトで、黒いのは竹炭にいろだそうな。かなりしっかりとしたコクのあるソフトで、おいりの香ばしさがソフトになかなかマッチしている。黒蜜もかけてあるのだが、甘さは既に十分なので個人的にはこれは余計に感じた。

  

 バスで長野駅まで戻ってきたが、まだしなのの発車時刻まで1時間以上ある。もう一本早い便に振り替えることも考えたが、みどりの窓口を覗くとしなのは予約が一杯の状況。仕方ないので駅ビルをウロウロして、「長寿日本一 長野県長寿食堂」なる店に入店。宇治金時ドーピングで時間をつぶす。地場ものを売り込むことを目的としている店のようで、地産地消系のランチなんかもあるようなので、ランチを摂るのに良さそうな店。ちなみに宇治金時は氷に粉茶をかけてあるかなり本格派。

 ようやくしなのの発車時刻が近づいてくると、キャリーを回収してから乗車。ここからは名古屋まで3時間近くの列車の旅となるが、暑さや諸々による疲労が一気に出て、ほとんど爆睡したまま過ごすことに。

 

 名古屋に到着したのは夕方。新幹線で帰る前に夕食を摂っておきたい。と言うわけで高島屋のレストラン街を訪れると「竹葉亭」に入店。名古屋風ひつまぶしの1.5人前を注文。久しぶりにうなぎを堪能したが、支払いは5000円近くというかなり無茶な夕食を摂ってから帰宅したのである。今回の遠征では食事がやや抑えめだったから、最後でぶち切れてしまった・・・。

  

 と言うわけで少し遅めの夏休みと相成ったのだが、帰宅後は久々に体を動かした事による体調の好転と、少し無理をしたことによる疲労の両方が重なって複雑怪奇な体の調子になってしまった(体は比較的動くのだが、とにかく眠くて仕方ないという状態)。どうも体調を維持するのが困難となりつつある。

 

 ところで2年連続で松本のオザワ祭に参加したのであるが、果たして来年はどうするべきか。いよいよオザワも指揮をする体力がなくなってきているようなので、来年はもしオザワが健在でも最早ステージに立つのは無理になるかもしれない。しかしオザワが前面に出てこなくなると、この音楽祭自体の存続がかなりしんどくなってくる可能性は大。明らかにここ数年はチケットの売れ行きも落ちてきているようだし、オザワに代われるようなカリスマは他にはいないだろうし。そろそろ判断の難しい時期にさしかかっているようである。地元としてはどんな形であれ、音楽祭の存続の方が観光的にはありがたいのであるだろうが。

 

 

 

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