展覧会遠征 京阪編10

 

 この週末はロイヤルコンセルトヘボウのコンサートに出かけるついでにいろいろ絡めようという考え。とりあえず本番は土曜日として、前日の金曜日は日本センチュリーのコンサートに久々に出かけることにする。

 

 仕事を終えるとJRで大阪へ。新快速の車内でKindleで今日配信されたばかりのキングダムの新刊を読む。趙攻めも佳境にかかってきて、包囲攻撃の危機に瀕した秦軍の総指揮官である王翦将軍のとる作戦は・・・というところだが、その結論は「難攻不落のギョウの城を力で落とすのは無理なので、周囲の城を攻め落としてそこから追い出した避難民をギョウに追い込むことで兵糧を食い尽くさせる」という作戦・・・。これって奇策の類いでも何でもなく普通の常套的な作戦で、太古から何度も行われているはずなんですが・・・。多分戦国時代の前の春秋時代の攻防でも使った例はあると思う。私も前巻で王翦将軍が手前の城を落として避難民を出したところで目的はすぐ分かった。しかしそんな作戦をお馬鹿の信はともかくとして、昌平君を含めて全員が「王翦将軍の意図が分からない」と困惑するのは非常に違和感。ましてや李牧様までが「私も読めなかった」と言っているのは、ウーン。それとも私は諸葛孔明並みの知略の士ってことですか(笑)。しかしこの作戦って、城を守ろうとすると避難民を場合によって切り捨ててでも追い返す必要があり、そうなったら城を守れても後々領民との間に遺恨が残るというかなり悪辣な作戦である。本作では?の城主が半端な人格者だったせいで、まんまと王翦の策にはまったようですが。

 

 これからこの作品がどう展開するかは分からないが、歴史物の常としてつらいのは結論が確定していることだ。最終的には秦は中国の統一を成し遂げるが、その後はあの輝く目で理想を目指していた始皇帝は不老不死を求めるただの暗君に堕し、永遠の平和どころかその秦帝国も二代目で滅びてしまう。これは歴史の確定事実であるだけに、その隙間でいかに魅力的なドラマにするかがしんどいだろう。

 

 キングダムを読み終わった頃には大阪に到着。ホールに行く前に夕食を摂っておくことにする。今日の気分としてはガッツリと肉を食いたい。というわけで駅ナカの「ロマン亭」「ステーキ重」を肉増しで頂く。

 肉はそれなりにガッツリあるのだが、私の今の体調から考えると味付けがやや甘すぎるのが気になるところ。オーソドックスに普通のステーキでも食った方が良かった気がするが、この周辺で良いステーキ屋なんて知らないし。

 

 夕食を終えるとザ・シンフォニーホールへ。ホール到着はちょうど開場の6時。開演までかなり時間があるので喫茶でコーヒーを頂きながらこの原稿を入力(笑)。王翦将軍とかギョウとか、中国関連の地名人名はポメラで入力するのは大変だ。

 

 ようやく開演時刻となったので座席に移動することにする。今回はC席なので2階の後ろの方。しかしそれにしても場内がガラガラなのが気になる。今日は3割以下の入り。明日はもう少し入るにしても少なすぎる。これでは士気に関わりそう。センチュリーは会員の拡大を狙って定期を金土の2日にしたのだが、完全に裏目に出ている。そこで来年は木の1日だけに変更するようだが、そうなったらなったでジリ貧感もある。私としても平日は来にくいし、ラインナップも今ひとつだしということで、やはり来年もセンチュリーはほとんど来ないことが予想できる。

 


日本センチュリー交響楽団 第221回定期演奏会

 

[指揮]デイヴィッド・アサートン

[ヴァイオリン]郷古 廉

[ハープ]野麗音

[管弦楽]日本センチュリー交響楽団

 

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」op.26

ブルッフ:スコットランド幻想曲 op.46

ディーリアス:劇付随音楽「ハッサン」より間奏曲、セレナーデ

エルガー:創作主題による変奏曲「エニグマ」op.36

 

 アサートンの指揮はかなりカッチリとした印象で、非常に手堅く鳴らしているように感じられた。これに対してセンチュリーのアンサンブルが今ひとつかみ合わない場面もいくらか見られる。指揮者との意思統一が完全ではない印象。メロディ自体はかなり美しく奏でる場面もあり、それなりに聞き所はあったのであるが、終わってみるとどことなく印象が薄い。

 郷古のバイオリンの哀愁を帯びた音色はなかなか曲調にもマッチしていて良かった。アサートンのバックもうまくそれを引き立てており、全体の中でこの曲が一番良かったように感じられた。


 コンサートを終えると宿泊ホテルに向かう。今日の宿泊ホテルは新今宮のホテルサンプラザIIアネックス。以前に何度か利用したことのあるホテルだが、今回はじゃらんで誕生月プランとして一泊1000円のプランがあったことが選択理由。

 

 部屋は5階の和室。正面道路に面した角部屋で窓が2面あるのだが、道路に面した側がうるさいのが難点。特に場所柄、この辺りは夜中まで表がうるさい。たまには今時恥ずかしい珍走団のような車の音が聞こえてくることもあるし、パトカーがしょっちゅう走っている。このうるささはいわゆる訳あり部屋か。せめて窓を2重窓にすれば少しはマシになるだろうに。

 

 部屋に入ると明日のMETライブビューイングの予約をムビチケで取る。明日は朝からこれがあるから今晩大阪に宿泊することにした次第。実を言うとセンチュリーはそのついでだった。とりあえず大阪のステーションシネマの座席を確保すると明日に備えて就寝することにする。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時まで爆睡するつもりだったのだが、睡眠力の低下と部屋のうるささもあって7時に目が覚めてしまう。結局はそのままチェックアウト時刻までゴロゴロと過ごす。

 

 さて今日の予定だが、メインイベントは京都で6時開演のロイヤルコンセルトヘボウ。しかしその前に10時から大阪ステーションシネマに「ノルマ」のMETライブビューイングに参加する予定。METなんて実際に行くのは不可能だし、もし引っ越し公演の類いがあったとしても、とても私に払える金額にはならないのは確実。私がMETの公演を見ようと思えばこれぐらいしか手はない。ただ3000円以上という料金は映画として考えると非常に高い。

 

 ホテルをチェックアウトすると映画館に向かう。朝食は梅田のミンガスカツカレー。朝はこれに卵と味噌汁がついてくるのがありがたいところ。

 

 朝食を終えると映画館へ。ステーションシネマは駅の北ビルの11階にある。エレベータで直行だが、このエレベータが結構混雑する。

 

 劇場内は3割程度の入りと言うところか。この辺りは想定内だろう。

 


METライブビューイング ベッリーニ《ノルマ》

 

指揮:カルロ・リッツィ

演出:デイヴィッド・マクヴィカー

出演:ソンドラ・ラドヴァノフスキー、ジョイス・ディドナート、ジョセフ・カレーヤ、マシュー・ローズ

 

 新演出とのことであるが、そう画期的に解釈を変えたというものではなく、細かいところにいろいろと細工をしたというところ。

 主役のノルマのラドヴァノフスキーの歌唱が見事の一言であったのは当然だとして、それと渡り合う形のアダルジーザのディドナートの堂々たる歌いっぷりが作品を大きく盛り上げていた。二人の二重唱などは迫力と美しさが一杯でさすがの一言。


 さすがにMETというか圧倒された。主演はともかくとして、やはりその周辺が圧倒的である。またセットも大がかり。全体的に「金がかかってるな」という感覚がある。

 

 なおライブビューはやはりオペラと言うよりは所詮は映画という印象が強かった。臨場感、音響共にどうしてもライブより劣るのは仕方ないとしても、やはりパタパタと視点が変わる映画的な画面はどうしても落ち着かない。なおそうなった場合につらいのは、主演陣がアップになった時にそれなりの年配であると言うことがハッキリ出てしまうこと。どうしてもうら若い男女の物語というのには無理が出る。この辺りは距離とメイクで誤魔化せるステージと違うところ。なお私が映像構成を担当するなら、メイン画面は客席からのロングの風景に固定して、メイン画面上方などのサブ画面にアップなどの映像を随時に出していくという構成にしたいところ。歌手が正面に大写しで見えているのに、音声は画面の端の方に定位するなんていう映像と音声の場所のずれから来る不快感も、こうすれば少なく出来るのではないか。普通にオペラを客席から見る感覚に近づく(基本的にはステージをロングで見ているが、時折オペラグラスをのぞき込むという感覚)ので、その方が結果として臨場感は増すような気がする。テレビの小さい画面ではなく、映画館の大スクリーンだからこそ出来る手法。誰かMETに提案してみて(笑)。

 

 オペラを終えると大丸のレストラン街で昼食を摂ることにする。「ル フィガロ」洋食プレート(1980円)を注文。CPは難しいところだが味はまずまず。

 

 昼食を終えるとJRで京都に移動する。それにしても相変わらず京都は人が多い。人が多すぎてどうにもならない。今や京都は日本で最も風情のない町の一つになってしまっている。そしてその風情のなさに拍車をかける大馬鹿建築の中が最初の立ち寄り先。

 


「ミュシャ展 〜運命の女たち〜」美術館「えき」KYOTOで11/26まで

 

 ミュシャ展は今では各地でしょっちゅう行われているが、それらの展覧会に対しての本展の特徴は、いわゆるアール・ヌーヴォー期のポスターが中心ではなく、ミュシャの初期の素描作品などが結構展示されていること。

 そのような素描作品を展示することで、ミュシャのいわゆる流行デザイン作家としての面ではなく、彼自身が本来目指していた正当な芸術家としての側面に光を当てている。彼の素描を見ていると、当初から彼が卓越したセンスを有していたことが覗える。そしてそれが後のスラブ叙事詩に結びつくという流れが理解できる(本展ではスラブ叙事詩に纏わる展示は一切ないにも関わらず)のである。


 展覧会の見学を終えると地下鉄で直ちに東山に移動する。当初予定では3箇所ほど立ち寄るつもりだったが、思いの外時間がない。次で恐らく最後になるだろう。

 


「岡本神草の時代」京都国立近代美術館で12/10まで

  

 明治末期から大正期にかけて活躍し、独特のグロテスクささえ感じさせる表現を駆使した絵画を描いた岡本神草と同時代の関係ある作家たちの作品を展示。

 岡本神草の作品については「官能的」という言葉が使われているが、私の正直な感想は上にも述べた「グロテスク」である。そういう点で反発も感じるのだが、やはり一度見たら忘れないぐらいのインパクトがある。なお大正期には大正デカダンスとも言われこういうタッチの絵画が流行ったのか、同タイプの作品は何種類か展示されていたが、やはりその中でも最右翼は彼と甲斐庄楠音。なお菊池契月の作品なども展示されているのだが、菊池契月の作品でもこの時期の作品は明暗表現などが濃厚さを漂わせている。たださすがに契月らしいのは清澄感が常に流れていること。なお岡本神草は菊池契月に師事することになるのだが、そうなると契月の影響か絵のタッチが以前よりも落ち着いた静かなものになる。静かさの中に微妙な色気のようなものを帯びていて非常によろしい絵画になったのであるが、残念ながら彼の画業はそこで突然に終わってしまう。

 38歳という若さでの夭逝が実に惜しまれる画家である。


 案の定、もうホールに移動しないといけない時間になってしまった。とりあえず地下鉄でホールに急ぐが、このままホールに直行したら夕食を摂る暇がないことに気がついた。といっても今更どこかに入店する時間的余裕はないし。昼食が遅かったせいで正直なところあまり腹が減っていないので、夕食はコンサート終了後に摂ることにして、今はとにかく何か軽く腹に入れておきたい。ということで、進々堂でパンを2つほど買って食べておく。


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 

[指揮]ダニエレ・ガッティ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者)

[チェロ]タチアナ・ヴァシリエヴァ 

 

ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VIIb-1

マーラー:交響曲第4番 ト長調(ソプラノ:マリン・ビストレム)

 

 いきなり第一音から魅了された。なんて美しい音を出すのだろう。どうやればオケからこんな音色が出るのかと感心するぐらいである。一曲目のハイドンはオケの構成を小さくしている分、余計にアンサンブルが引き締まっている。そこにヴァシリエヴァのチェロが縦横無尽に響く。ハイドンってこんなに豊かで美しい曲を書いてたんだと曲に対する認識さえ新たにされる名演。

 後半は14構成の大編成にしてのマーラーだが、こうなってもコンセルトヘボウの鉄壁のアンサンブルは揺るぎもしない。非常に濃密な弦の音色に安定感抜群の管が絡む。ガッティはこのオケを使ってゆったりとマーラーを謳わせてきた。下手なオケだとこのテンポでは完全に音楽が緩みきってしまうのだが、コンセルトヘボウがここで描きあげるのはまさに天上の音楽であった。うっとりする中に最後はソプラノが絡み、まさに夢見心地の中で曲を終えるのである。


 さすがにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と言える演奏であった。前回の来日ではヒメノの悉く的を外した指揮にイライラとさせられたのだが、さすがにこのオケはキチンとした指揮者の元では凄まじいまでの実力を見せつけると思い知らされた。これだけ滑らかで濃密な演奏は今まで聴いたことがない。

 

 朝から駆け回ったので結構疲れたのであるが、十二分に満足できるコンサートを堪能することが出来たので上々である。この日は満足して家路についたのである。

 

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