展覧会遠征 福島・東京編

 

  3月の年度末で仕事の方もバタバタと追い込みだったのがようやく一段落。と言うわけでそろそろ春休みを取りたいところ。そこで木金の2日間を有給休暇を取って福島方面に出向くことにした。まず第一の目的は続100名城にリストアップされた三春城を訪問すること。さらにこの地域の温泉でも回ってゆっくりしたいとの考えである。で、温泉を回るとなれば週末だと宿泊料は高いし、そもそもお一人様はお断りになる事例が多いので、あえて平日に休暇を取ることにした次第。温泉を回ってから最後の週末は東京に立ち寄って久しぶりに東京のオケと美術展を楽しんでこようというプランである。

 

 20日は大阪で仕事があったので、その続きで出かけることにする。

 

 大阪での仕事を終えると三ノ宮に移動する。明日は神戸空港から朝の便で飛ぶので、今日はポートアイランドのホテルパールシティ神戸に宿泊する予定。

 

 三ノ宮に到着するとホテルに入る前に夕食を摂っておく(何しろポートアイランドにはろくに飲食店がない)。ミント神戸の飲食店に行き「Pasta de Pasta」に入店、「ワタリガニのクリームスパ(1380円)」を注文する。SMLで価格が変わらないというのでLサイズを頂く。

  

 麺などが特に良いというわけでもないが、パスタ自体はなかなかにうまい。とりあえず夕食としては不満なし。まあ場所柄CPは今ひとつだが。

 

 夕食を終えると地下のスーパーで買い物をしてから、三ノ宮駅からホテルの送迎バスでホテルに向かう。それにしても今日は寒い。ホテルにチェックインすると大浴場で入浴して体を温めることにする。

 

 体が温まると眠気がやって来る。明日は神戸空港から8時台のスカイマーク便で飛ぶので早朝出発だし、早めに就寝することにする。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時頃に起床すると7時前にはホテルをチェックアウトして空港へ移動する。朝食は昨日三ノ宮で購入しておいたおにぎりで済ませる。もう少し後の便だったら、ホテルで朝食ぐらいは摂れたのだが・・・。考えてみるとこのホテルには何度か泊まったことがあるが、いつも出発が早朝便なので朝食を摂ったことがない・・・。て言うか、そもそも早朝便でなければここに前泊する必要もないか。

 

 今日は生憎の雨である。しかも風があるので、ポートライナーの駅に到着するまでにずぶ濡れである。早朝にも関わらずポートライナーにはそこそこの乗客が乗っているが、医療センター前でほとんど降りたところを見ると病院関係者か。

 

 空港に到着するとさっさと搭乗ゲートをくぐってしまうことにする。が、ここでベルトのバックルが反応したとかで止められる羽目に。いちいちベルトをはずさないと行けないとは不便なことである。まあアメリカなんかはその内にパンツまで脱がされることになりそうだが。

 

 1時間後に予定通りにスカイマーク仙台便は神戸空港を離陸する。気流が荒れているとかで、スカイマークの飛行機はフラフラと何度も気持ち悪い飛行をしながらも定刻通りに仙台空港に到着する。空港から仙台までは鉄道で直接つながっており、非常にアクセスの良い空港である。ただ乗客は多いのになぜか到着した車両は二両編成なので車内はすし詰め。しかもこの駅、それでなくても今日の仙台はひんやりしているのに、シートの屋根があるだけで吹きっさらしの寒々とした構造になっている。

左 久しぶりの仙台空港  中央 寒々した駅  右 謎の萌え看板

 この空港周辺も先の震災では津波に派手にやられたはずである。しかし今見る限りではそんな跡はほとんどない。やはり大都会近郊だけに復興も早いのだろうか。

 

 仙台にはすぐに到着する。かなり久しぶりの仙台だが、駅前の雰囲気は何となく覚えている。とりあえずホテルの送迎バスは14時半に仙台駅東口から出ることになっているので、まだ3時間以上の余裕がある。その間に久しぶりの仙台観光でもしたい。ただその前に身軽になることと昼食を摂る必要がある。

 

 とりあえずキャリーはコインロッカーに放り込むと、昼食を摂る店を探すことにする。面倒くさいので駅ビルをフラフラしたところ、「SENDAI STATION OYSTER BAR」なる牡蠣料理の店があったのでそこで「牡蠣フライランチ」を頂くことにする。

  

 大粒の牡蠣フライがなかなかにして美味。意外だったのは付け合わせの生野菜スティックがなかなか美味かったこと。野菜がそんなに得意ではない私は、こういう手はほぼ駄目なのが通常なのであるのだが・・・。最近は本当にキチンとした野菜なら美味いんだということが分かってきた私。私も大人になったもんだ(笑)。

 

 さて昼食を摂ったところでこれからどうするかだが、とりあえず久しぶりに「青葉城」を訪問して、それから宮城県美術館の展覧会を鑑賞したいと思っている。となると移動は巡回バスが便利。と言うわけでループルの一日乗車券を購入する。

  

 仙台自体が広瀬川の河岸段丘の町であるが、青葉城はその河岸段丘の上にそびえる断崖の城である。ここを訪れるのは久しぶりだが、石垣の立派さと断崖の険しさはなかなか壮観。もっともここの石垣も先の震災で被害を受け、一部はその後に積み直したようである。その積み直しの過程でかつての石垣の構造なども判明したのだとか。

  

青葉城の石垣とその構造模型

 また以前には見学しなかった裏手の方も見て回るが、こちらも巨大な土塁(と言うよりも削平時に削り残した地形だろう)で築いた搦め手虎口がかなり堅固。表だけでなく裏の守備も鉄壁のようである。

  

裏手の搦め手虎口

 さすがに東北の雄、伊達氏の居城である。しかしこの青葉城はいわば伊達政宗にとっては天下を諦めることを余儀なくされた城でもある。その想いや如何に。

 この城の主

 ここからさらにバスで美術館に移動する。バスは途中で東北大学のキャンパス内を通過していくが、さすがに旧帝大だけあってとてつもない規模である。仙台は東北大学だけでなく学生が非常に多い学生の街なのだとか。なお植物園という名の原生林などは北海道大学などを連想するところ。ちなみにこの中に熊も出たことがあり、植物園がサファリパーク状態になってしまったことも・・・なんて話がバスの運転手さんから。

 

 美術館では岸田劉生展を開催中。この美術館に来るのも数年ぶりである。

 


「求道の画家 岸田劉生と椿貞雄」宮城県美術館で3/25まで

 

 椿貞雄は岸田劉生に心酔し、かなりその影響を受けた画家であるらしい。実際に初期の作品は劉生の影響が濃厚であり、当時は岸田劉生の模倣と見なされることに苦しんだとのこと。

 ただその後の展開は劉生とは若干違った方向に向かっていく。ひたすら求道的にストイックな強烈な絵画を描く劉生に対し、椿の作品にはもう少し温かみのようなものが通っている。端的なのが劉生が自らの娘を描いた「麗子像」と同様に椿が娘を描いた作品。色彩やタッチなどは似ているのだが、劉生の作品がグロテスクささえ感じさせるのに対し、椿の作品はそこに対象に対する愛おしさが滲む。椿は良き家庭人であったという話もあるようだし、そのことが創作姿勢に反映したのだろうか。

 劉生亡き後の椿の作品はさらにその方向に向かって進んでいったようだ。初期の厳しさが和らいだ温かい絵画になっており、これが彼らしい世界だったのだろう。


 美術館の鑑賞を終えるとそろそろ時間である。バスで仙台駅に到着するとキャリーを回収してから東口に移動。東口には送迎バス用のターミナルがあり、今日泊まるホテルのバスもここに来るらしい。

 

 しばらくするとバスが到着、予約客がゾロゾロと乗り込む。大型の観光バスがほぼ一杯になっていたから結構な人数。

 

 メンツを確認した上で時間通りにバスは発車、そのまま西に向かって走って行く。沿線の風景が都会から郊外、さらには山間となってきたところで先ほどまでぱらついていた雨が雪に変わる。さすがに北国、この3月に雪が降るとは・・・。

    雨が雪に変わる

 作並温泉は山間の作並街道沿いに大型温泉ホテルが並んでいるという温泉地。私は夕食付きプランで予約を取ったのだが、どうやらそれは正解だったようである。恐らく夕食なしにしていたら、食べる場所に困っただろう。

   

 私が予約したホテルは作並温泉ゆづくしSalon-一の坊。作並温泉でも一番奥手に位置する巨大ホテルである。ゾロゾロとバスを降りた連中が一斉にチェックインなので、しばし手続きを待たされることになり、その間はロビーでマッタリ。このホテルの特徴としては、ロビーの隣にくつろぎSalonなるスペースがあり、そこでフリードリンクやお茶菓子などが置いてあること。湯上がりのくつろぎスペースといったサービスのようだ。日帰り入浴なども受け付けている模様。

  

ロビーから眺める外は雪景色

 しばらく待った後に部屋に案内される。部屋はシングルを予約してたのだが、ツインの部屋に振り替えてくれたようだ。綺麗だし広い部屋でなかなか。

    なかなか良い部屋だ

 部屋で着替えると早速入浴に。まずは大浴場に向かったが、ここは内湯だけで露天風呂は別。露天風呂の一つの鹿のぞきの寝湯というのは、昔この辺りの源泉によく動物が現れたことからネーミングされたとか。ただ私には寝湯は体が浮きすぎるせいでうまく入れない上に、私の体型では腹が水面から出てしまうので雪が降る中では少々寒い。

 

 もう一つの露天風呂の自然風呂は屋根がある露天風呂。雪の風景を眺めながら温めの湯にゆったりと浸かるというタイプの風呂である。温めの湯のためか子供が結構やって来るのでいささか喧しい。。

 

 露天風呂を一渡り回ったら、再び大浴場を訪れてここでゆったりと体を温める。作並温泉の湯は単純アルカリ泉のようだ。ヌルヌルとした感じがあって肌にしっとりとくるいわゆる美肌泉。加水・塩素消毒などはあるようだが、循環をやっていないからか泉質はなかなか良い。わざわざ山の中までやって来た意味を感じさせる湯である。

    大浴場

 風呂上がりにはSalonでくつろぐ。フリーのコーヒーなどを頂いてマッタリと至福のひとときを送る。こういうゆったりした時間が最近は全くなかったな・・・。

 

 結局は夕食の時間までは部屋でボンヤリとテレビでも見て過ごすが、それにしても最近はろくでもない番組ばかりなのが嫌になる。かといってニュースをつければ、ろくでもない総理がしどろもどろの言い訳で開き直っているのばかり見せられてさらに嫌になる。財務省が改竄前の文書でも自分や婦人の関与がないのは明らかなどと安倍は言い訳しているが、あれはどう読んでも昭恵夫人の関与は明らかではないか。「李下に冠を正さず」と言うが、安倍の場合は冠の中から桃が出てきたのが見つかっても、「桃が勝手に落ちてきて冠がその上に乗っただけだ」とか言い訳や開き直りをするのだろう。今時の政治家に最も必要な素養は厚顔無恥ということらしい。まさにそれを体現している大統領がアメリカにいるし。

 

 夕食はビュッフェ形式だが、これがなかなか豪華。こういうタイプのビュッフェは以前に大江戸温泉系列のホテルで体験しているがそれに近い。同じビュッフェでも伊東園ホテルのビュッフェなんかは悲しくなるが、こういう豪華なビュッフェだと盛り上がる。アルコール類なんかも飲み放題のようなので、酒好きはそっちに入り浸っているようだ。私はいろいろな料理を少しずつ一渡り頂く。

 夕食を終えてしばし部屋でテレビを見ながらマッタリしてから、再び大浴場に入浴に行く。今はまだ夕食の時間中なので大浴場は貸し切り状態。ゆったりと体を温める。このタイプの湯は不思議なことに入っている内に体に疎水性の皮膜が出来たようになり、水をはじくような感じになってくる。実際に風呂上がりに体があまり濡れず、体を拭いたバスタオルがほとんど湿らないということになる。

 

 風呂から上がると疲れが一気に押し寄せる。この日は結局は普段よりかなり早く就寝したのである。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床。かなりグッスリ寝たのだが、体にまだ怠さがいろいろ残っている。今日は福島への移動だが、仙台駅までの送迎バスが11時に出るのでそれまでは時間がある。

 

 7時半頃にはバイキング形式の朝食がある。それを食べに昨日と同じレストランへ。朝食は和洋両対応でガッツリと食える。おにぎりがあるのがありがたい。その場で握ってくれるというのはなかなかのサービス。

   

和洋両対応のバイキング朝食

 朝食を終えるとやはり入浴。露天風呂は夜の内に男女入れ替えがあって、今朝は広瀬川源流露天風呂。ここは川がそこに見える浴槽や、立ち湯など諸々あるのだが、生憎と今朝は昨日の雪が雨に変わって冷たい雨が降っている状態。雨が体に当たるといささか冷たいし、雨のせいで湯温が下がり気味で、高温湯と書いてある浴槽がぬる湯の状態。川沿いの断崖の絶景を眺めながらここで長湯。なお蓬蒸し風呂(蒸しパンみたいだ)なんてのもあったが、私は基本的にサウナは苦手。

    川がそこに見える露天風呂

 入浴を終えて支払い手続きを早めに済ませてしまうと、後はすることもないので部屋で時間までテレビを見ながらゴロゴロ。やはりいささか疲れが体に残っている。残念ながら昔のように前日の疲れは一晩寝るとスッキリとはいかないようだ。それにいささか湯疲れもあるかも。

 

 ようやく11時になったのでバスで仙台駅まで送ってもらう。送迎バスは満員。行きよりも客が多いようなので、帰りだけ乗った客もいるのだろう。昨日は途中で渋滞などもあったのだが、今日はスムーズに道路が流れており(平日の昼間だからだろう)、仙台駅には予定よりも早めに到着、私はすぐにやまびこの自由席に飛び乗って福島を目指す。

 

 福島に到着したらレンタカーで移動することにする。日産レンタカーでマーチ。あまり好きな車ではないが仕方ない。

 

 レンタカーを調達すると最初に向かったのは「桑折西山城」。今日はここに行くのにレンタカーを借りたようなものである。桑折西山城はJR桑折駅の西側の山上にある。現地に近づくと明らかに山頂を削平してある一目でそれと分かる山が見えてくる。線路をくぐる手前ぐらいから案内表示が出ているのでそれに従って進む。最後は狭い山道になるが「ええい、行っちまえ」とマーチでそのまま乗り込む。しかし道路は狭いし轍はえぐれているしとあまり良い道とは言えない。しかも昨日来の雨で路面がぬかるんでいてズルズル。あまり端によると路盤が崩れないとも限らない。失敗だったかな・・・といささか後悔したが後悔先に立たず、そのまま転回スペースのある大手門まで乗り込むが、この辺りも地面がズブズブで、これ以上登ろうとするとマーチのタイヤが空滑りするような状態。仕方ないのでここで車を無理矢理に転回させてから駐車する。

 いざ現地に到着すると思ったよりも大規模な城郭である。山を丸々城にしたという印象。規模が大きい郭がいくつもある上に、国の史跡に指定されているらしく木を切って整備されているので、かなり広大であるのが一目で分かる。これだけの規模を感じる城郭は秋田の脇本城以来。東北地区には広大な城郭がいくつかあるが、ここもそのうちに入るだろう。

     大手門跡の手前に車を置く

 桑折西山城は伊達氏が居城とした城郭であるという。鎌倉時代からあり、伊達政宗(独眼竜でなく、伊達家9代当主で南北朝時代の人物)が鎌倉公方に背いて立て籠もった城だという。伊達稙宗が1532年に居城を梁川城からここに移しており、この時に現在の規模に拡張したのだとか。稙宗と晴宗の伊達家内部での騒乱時にこの城も戦乱の舞台となったという。乱後に伊達氏は米沢城に移ったことで廃城になったとか。

 

 一番手前にある曲輪部分は砲台との表記がある。これは中世の遺構ではなくて、幕末に砲台が置かれた場所らしい。奥羽越列藩同盟がここに陣地を置いたのだとか。街道を見下ろす要地なので、ここに砲台を設置するのは極めてリーズナブル。

一番下にある曲輪には砲台跡の表示がある
 

 本丸はここからかなり上にある。上に上がってみるとやたらに奥に広いのであるが、あまりにメリハリがないので元々の本丸の地形がどれだけ残っているのかは不明。この本丸の西側にある数段の曲輪が二の丸といったところらしい。

左 砲台跡から本丸方面を望む  中央 本丸  右 本丸から見た砲台跡

左 少々だだっ広すぎる  中央 向こうに見えるのが二の丸  右 手前が二の丸、奥が中館

 ここからかなり深い堀を隔てて中館と西館という館部がある。この中館は土塁に囲われている上に明確な虎口を持っており、城郭としての構造を持っている。

左 二の丸の先の堀切  中央 中館  右 中館に登る

左 内部は広く、周囲には土塁がある  中央 この向かうに西館があるらしいが・・・  右 南には明らかな虎口構造が

 ここから堀を隔てた西側にさらに西館があるようだが、いささか藪化しいるようだし、足下はズブズブで何度もこけかかっているしということで、今回はこれで撤退ということに。

 

 見学を終えるとかなり神経をつかいながら車で降りてくる。この道もこんな天候でなければそう問題のない道のはずだが。まあ軽トラだったら余裕だろう。

    城近くにある万正寺の大カヤ

 桑折西山城の次は「梁川城」に行くことにする。梁川城は川を外郭の防御にした小高い丘の上にあり、現地に来てみると城郭に格好の地形であることがよく分かる。もっとも現在は城跡は小学校、中学校、高校などの学校の敷地になってしまっていて遺構は完全に消滅。町中の江戸期の城跡は学校か役所になるパターンが多いが、ここは前者の方だったらしい。現在残るは震災で移転した旧梁川小学校の敷地の一角に庭園跡があるのみ。いずれ何らかの整備がされるのかもしれないが、今はかなり寒々とした状況である。

    川向こうの台地上が梁川城

 梁川城はかつて伊達氏の本拠だったことがあり、本拠移転後も要地として伊達氏が抑えてきたという。奥州仕置きで伊達氏が立ち退いた後は蒲生氏郷が、氏郷の死後には上杉景勝が領地とした。この頃に大増築が行われたとのこと。江戸時代には上杉領であったが、上杉家が家督騒動で30万石から15万石に領土を減らされた時に天領となり、その後は梁川藩となったり、会津藩の飛び地になったりなどと所属は転々として明治を迎えたらしい。街道を扼する要地の城だけにそれなりに重視はされていたのだろう。

小学校跡の一角に浅間神社と庭園だけがある

 梁川城を訪問した頃にはそろそろ時間が気になる頃になる。今日の宿泊地である飯坂温泉に向かって走ることにする。ただホテルに入る前に飯坂温泉にある「大鳥城」には立ち寄っておきたい。

 

 飯坂温泉は郊外の小都市に温泉街が混在しているという雰囲気。また路地の入り組んだ古いタイプの町で全体的に風情溢れている。大鳥城はその飯坂温泉の西方の舘山山上に位置する城郭。平安時代末にこの丘陵上に信夫庄司佐藤氏によって城館が築かれたのだという。佐藤氏はその後、源義経と共に戦い、義経追討の鎌倉勢の迎撃も行ったものの、衆寡敵せず城主は戦死して大鳥城も落城したとのこと。

左 手前の山上が大鳥城  中央 山頂まで車で登れる  右 山頂はかなり広い

左 城跡碑もあり  中央 眺めは抜群  右 東の方には桜が植えてある

 山頂までは車で登ることが出来る。丘の麓に大手門跡があり、そこから一の砦などを経由して山上に上る登山ルートもあるようだが、今回は時間も体力も余裕がないので山頂まで車で一気に登った。山頂はそれなりのスペースがあり、現在は公園として整備されている。ここからは遠く福島市街まで見渡すことが出来、城郭を構えるには格好の位置である。

左 本丸西にある矢庫跡  中央 本丸を振り返って  右 矢庫跡の先にはかなり深い堀切が

 この城郭の北東南の三方はかなり切り立っており、弱点となるのは西側に続く尾根筋であるが、そちら側は堀切で分断した上で独立した曲輪を構えており、そこには矢庫の跡との石碑も建っている。背後の尾根筋からの攻撃はこの曲輪で迎え撃つ構造になっていたことが分かる。

 

 現在は公園化してしまっているので遺構としてはあまり残っていないが、それでも中世城郭の雰囲気を感じることが出来た。

 

 大鳥城の見学を終えた後は、飯坂温泉街に降りてきて観光用無料駐車場に車を置いてしばし町並み散策。通りすがりの肉屋でコロッケを購入して食べたのが、よく考えるとこの日の昼食。あちこち走り回っていたせいで昼食を取る暇がなかった。

    結局はこれが今日の昼食だった

 付近には地元の名士の館だった旧堀切邸が現在公開されているのでそれを見学。ここは足湯などもあってそれが目当ての観光客も訪れているようだ。

左 立派な門構え  中央 かなり立派な邸宅  右 外蔵がある

左 邸宅内部も豪華  中央 内蔵完備  右 庭には足湯がある

 この堀切邸の隣にあるのが共同浴場の鯖湖湯。ここが飯坂温泉発祥の地となるようである。この辺りには温泉旅館なども数軒あり、またお湯かけ薬師如来があったりなど、なかなかに風情のある一角となっている。

左 鯖湖湯  中央 お湯かけ薬師如来  右 風情のある建物

町並み自体が風情漂う

 疲れもかなり出てきたし日も西に傾いてきているのでそろそろホテルに向かうことにする。もう既に飯坂温泉街までやってきているのでホテルはすぐそこ。今日の宿泊ホテルはホテル天竜閣。川の向こうのホテル街に位置するホテル。建物はやや古びた印象があるが、内部は綺麗にしている。高校のコーラス部や長寿会などの団体も宿泊しているようだ。

   

 部屋に入るとまずは入浴。風呂は川の側の一番下の階にある。内風呂と露天風呂からなっているが、開放感のある露天風呂がなかなか快適である。泉質は単純泉とのことだが、ネットリとした肌触りの湯である。以前に飯坂温泉を訪問した時、ここの温泉はとにかく湯が熱いという印象が残っていたが、ここの風呂は観光客を意識してかそう熱湯にはしていないようである。私にはその方がありがたい。

    

 ゆったりとくつろいで部屋に戻ってくると、まもなく夕食である。私のはカニとアワビ付きのプラン。全体的に結構ガッツリと量がある。品数も多くて豪華。満腹になってしまって釜飯は半分ほどしか食べられなかった。

 

 夕食後にもう一度入浴に行くが、今回はほとんど貸し切り状態だった先程とは違って高校生の団体が先客。元気が良いのは良いがいささかうるさくてまいった。萩と岡山の高校だと聞いていたから、コンクールの全国大会のために遠出してきてテンションが上がっているんだろう。私も高校時代にはコーラス部に所属したことがあり、全国大会などを目指していた時期もある。ほろ苦くも懐かしい青春時代の思い出でがこみ上げてくる。この年になるとしみじみ思うが、若さとは一つの大きな力であり、それ自体が可能性ということでもある。老いるということは単に体力などが衰えていくだけでなく、可能性がなくなっていくということでもある。

 

 風呂から上がって部屋に戻ると、疲れが出てきてグッタリ。もう何をする気力もないので布団に横になってゴロゴロ、そのうちに寝てしまう。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 昨晩は早くに寝すぎたせいで夜中に一度目が覚めたが、結局はそのまま二度寝。起き出してきたのは7時。とりあえず朝風呂に行ってから朝食は8時から。

 

 朝食はオーソドックスな和定食。しかしこういうオーソドックスなメニューは何となく落ち着く。

  

 ホテルを9時頃にチェックアウトすると、ここから福島駅まで車で走る。福島交通飯坂線の線路に沿って走ることになるが、途中で何度も二両編成の車両を見かけたことから、運行本数は結構多いようである。確かに終点の飯坂温泉以外も沿線は住宅地が続いており、需要はそれなりにあると思われる。もっともこの路線でさえも地方のローカル線のご多分に漏れず、昨今は利用客がじり貧状況にあるらしい。これから日本が人口減少社会を迎えるに当たって、いずれは公共交通機関は民間で支えることは不可能になってくるかもしれない。そういう時に税の配分をどうするかである。また都会と地方との綱引きが起こりそうで難しい。ただ言えるのは、東京という大都市はそれを維持するために地方に多大の負担を強いているのであるから、東京に居住する住民がそれに対して何らかの負担をするべきなのは当然であると考える。

 

 日産レンタカーに車を返却すると、駅までキャリーを引きながら移動。ここのレンタカーは事務所が駅から若干遠いのが難点。まあそれでたびらいで若干安かったのだろう。

 

 福島駅に到着するとすぐにやまびこで郡山に移動する。昨日から東北新幹線で小刻みな移動を繰り返している。福島から郡山は10分ちょっと。郡山に到着するとすぐに駅前の駅レンタカー事務所に飛び込んで予約していた車を調達。今度は勝手知ったるノートである。やはり運転感覚はこちらの方がマーチより良い。

 

 今日は山城を含めて目的地が目白押しの状態。とにかく体力の続く限り攻略を進めるという予定。まずは本遠征の最大目的であった「三春城」に向かう。

 

 三春城は1504年に田村義顕が築城したと伝えられており、以後田村氏、松下氏等の居城となった。1645年には秋田俊季が五万五千石で入城して、明治維新を迎えて廃城となっている。かつては本丸には三階櫓なども置かれていたという。そしてこの度、続100名城に指定されている。

左 二之門跡を通過して  中央 ここに車を置いて歩く  右 この道を車で登れってか?

 三春城は三春町の市街を見下ろす山上にある。三春の中心街の近くから山上に続く道が延びており、それが「本当にノートでここを登れるの?」と不安になるような急坂。それを登っていくと二之門跡と表示が出ているところに駐車場があるが、そこからさらに登っていくと本丸下駐車場なる場所に行き着くのでそこに車を置く。ちなみに私の車のカーナビはそこからさらに登るように指示しているのだが、その道は階段である・・・。

左 本丸虎口  中央 なんとこんなところに軽トラが  右 本丸は結構広い

左 公園になっているようです  中央 奥跡には神社の基壇のような石垣が  右 秋田氏を祀っている模様

 本丸はここから階段の道を登っていった先。その内に明らかな虎口構造が見えてきて、そこを抜けると本丸。山上は公園化されていてトイレまで設置されているが、上がってみるとそのトイレの整備用と思われる軽トラがここまで登ってきていてビックリする。「その軽量さによる登坂力、車高の高さから来る走破性、そして小さな車体による小回りの良さ。軽トラこそが山城では最強のマシンだ。」という高橋涼介による解説が聞こえてくる。

 

本丸一段下の曲輪

 本丸は二段の二つの曲輪からなっているが、その下段の曲輪には二の丸跡との表示がある。しかし二の丸の表示は駐車場の下にあって現在は遊具が置かれている曲輪の方にもあり、どちらが二の丸かが紛らわしい。ただどうも下が二の丸であるのが正解の模様。

左 下の曲輪に降りられる  中央 本丸側を振り返って  右 回りはかなり切り立っている

 本丸には天守台のような石組みがあり、現在は秋田氏の墓碑?らしきものが置かれている。ここはかつての三階櫓の跡であろうか。なんにせよ、下の曲輪と併せると山上にかなりのスペースがあるのが特徴である。下の曲輪には搦め手門の跡もあり、ここから下の二之門跡のところの駐車場まで降りられるようだ。

左 二の丸散策路を進む  中央 通路沿いに数段の曲輪が  右 先端の曲輪はかなり広い

左 その先は下までつながっている  中央 振り返ると数段の曲輪  右 一番上の曲輪には遊具が

 山上を見学すると下まで降りてきて二の丸跡の方を見学。ここは現在遊具が置かれている曲輪を中心として、数段の曲輪が構えられているようである。本丸との間に深い堀切が切られているだけでなく、標高差もかなりある。ここが二の丸ということは、下の小学校の辺りが三の丸というところか。ここにかつて屋敷があったらしい。

 

 なかなかに見所のある城郭であった。ただ続100名城に選定された何か決定打というものが今ひとつ見えてこない。単純に城郭の規模などなら先の桑折西山城も遜色がない。そもそも100名城選定にはかなり観光振興の思惑が存在していることから、やはりこの選定は「がんばろう福島」のニュアンスが多分に含まれているような気もする。同様の趣旨なら、私なら相馬中村城、棚倉城なんかも候補だが。

 

 山城見学の次は鍾乳洞に潜ることにする。ここからかなり南に走った先にあぶくま洞という観光鍾乳洞があるという。

左 歓迎ゲート  中央 現地はこの断崖  右 阿武隈神社

 この地域の山は石灰岩を産出するため古くから切り出しが行われていたらしい。その際に発見されたのがあぶくま洞とのこと。全長3キロ以上にもなるという長大な鍾乳洞らしいが、その手前の一部600メートルほどが観光用に公開されているという。

  

現地のレストランで昼食に天ぷらそばを頂く

 現地は長年の採掘跡かかなり大きな剥き出し岩盤となっている。周囲には土産物屋なんかも建っていて完全に観光地。そう言えば今日はまだ昼食を摂っていなかったので、入洞前にレストランに立ち寄って天ぷらそばを食べておく。

     洞窟入口

 入洞券だが、通常コースに200円プラスで探検コースなるものがある。聞いたところによると「ずぶ濡れになるようなコースではない」とのことなので探検コースにチャレンジすることにする。

 

 内部は観光洞として完全に整備されているので足下に不安を感じるようなところはない。ところどころに鍾乳石が見られる。

   

おっちゃんにチケットを渡して探検コースへ

 しばらく進むといきなり洞窟の中に係のおっちゃんが座っていて、ここでチケットを見せてから探検コースに進む模様。異世界から急に現実世界に引き戻される感覚である。

 

 探検コースは水の中を進むようなところはないが、狭いので身をよじらせたりかがんだりして進まないと行けないところが多数。また私の体が分厚すぎるせいで、一カ所だけかがんで片膝をつかないと進めない箇所があった。なお遠回りする分、いろいろな鍾乳石を見ることが出来るので、特に体に問題がない人にはお勧めである。

 

 狭いところを抜けていくといきなり大広間に出て、ここで一般コースと合流になる。ここが洞窟のクライマックスでもある滝根御殿。かなり広くて天井の高いスペースに諸々の鍾乳石が見える。

  

ベンチの向かいにあるのがこれ

 竜宮殿を抜けて先に進むとなぜかベンチが置いてある。その向かいにはクリスマスツリーなる鍾乳石が、ここでカップルでロマンチックに愛でも語れってか? どちらにしても私には関係ない。とにかくクリスマス関係は私にはすべて鬼門である。なお私と一緒にクリスマスを祝ってくれる女性については引き続き募集中である。

 最後は月の世界なる荒涼とした洞窟に出るが、ここは照明による演出を行っている。とにかく観光洞としていろいろ仕掛けをしている洞窟である。なおこの辺りにはワインなども貯蔵されており、これらのはワインは帰りの土産物店で購入可能というわけであるが、アルコールが天敵の私には無関係。

 

 結構長い洞窟(だが、これでも公開されているのは全体の1/5程度らしい)であり、途中で探検コースなども抜けたために結構圧迫感があった。さすがに閉所恐怖症の気は全くない私でも表に出るとホッとする。

 

 あぶくま洞の見学を終えると、続けてこの近くにあるという入水鍾乳洞を訪れることにする。こちらの鍾乳洞は知名度ではあぶくま洞に劣るものの、洞窟探検としての本格的さはあぶくま洞以上というマニア向けの洞窟である。とは言うものの、私は今回は何も本格的洞窟探検なんてするつもりはない。

左 歓迎ゲート  中央 ここからしばし山道を歩く  右 洞窟入口
 

 コースはABCの3つに分かれており、Bコースからは水中をザブザブと進むコースになり、Cコースはガイド同伴になるらしい。私は今回は当然のように観光Aコース。

 

 ただそれでも入洞前に「足下は険しいですよ」と警告を受ける(私が杖をついていたからだが、これは登山杖で別に足が悪いわけではないですと答えた)。実際に入ってみると、確かに先ほどのあぶくま洞と違って足下は石がゴロゴロしていたりなかなかにワイルドである。日頃から山道を歩き慣れているものにはなんてことないが、それでも気をつけないと濡れた石の上で転倒する危険はある。

とにかく狭くて足下が悪い上に水が多い洞窟
 

 また先ほどのあぶくま洞と比べると顕著な違いはとにかく水が多いこと。洞窟中に滝や川があるし、あちこちで水が流れていること。それにとにかく狭い箇所が多い。先ほどのあぶくま洞の探検コースなんかよりもこちらの方がよほどハードである。

 

 そんな中をしばし進むとAコース終点と書いたゲートにたどり着く。ここから先はBコースらしいが、いきなり足下が水中につながっているのには驚く。確かに水中を歩く覚悟がないとBコースにはいけないようだ。その上にBコースは照明も持参する必要がある。

    Aコース終点 ここから先は道が水の中に。しかも真っ暗(だから写真がぶれている)。

 ここまでで10分ちょっとぐらい、またここまであまり鍾乳石は見られないので、洞窟マニアとしてはこれだと消化不良な感が残るだろう。本格的洞窟探検を行いたい方ならお勧めだが、私はそもそも洞窟マニアというわけではないし、この寒空の下で水浴びをする趣味はない。今日は最初から本格的探検なんてする気もないのでさっさと引き返す。そもそもこの先に進むには体力と体型に問題がありそうだ。挑戦するつもりならもう少し体をコンパクトにする必要がある。

 

 これで洞窟探検は終了、ここからは山城探検第二弾ということにする。ただもう3時近くになっているので、本日の宿泊地に向かいつつ沿線の山城を拾っていくということにしたい。

 

 最初に立ち寄ることにしたのは「大越城」。戦国の末頃に三春田村氏の重臣である大越顕光が居城としており、1566年に築城されたとか。

 

 県道19号を磐越線に沿って北上、大越駅の手前にある見渡神社の裏手の山が大越城。見渡神社の裏手に車で回っていくと、案内看板があって杖まで用意してある親切さ。ちなみに私は杖は持参。駐車場はないが、道路脇に車を置ける余裕があるのでここに車を置いて進む。

     登城口

 山道を登っていくといきなり堀切の表示と共に、こちらを見下ろしてくる高い曲輪がそそり立つが、これが東の舘。まさに大手口の関所という構えである。

左 正面左手が東舘  中央 その先に押し上げ  右 鳥居をくぐって山道を登っていく
 

 ここを抜けると右手に押上という表示があり、鳥居が建っている。本丸に行くにはこちらを登っていくことになる。看板は整備されているし、下草もキチンと刈ってあって非常に整備されているので実に歩きやすい。

    通路脇には何段かの曲輪らしきものが

 左右に細かい削平地をいくつも見ながらしばし登っていくと虎口に突き当たる。ここを抜けて進んだ先が本丸である。本丸はそれなりのスペースがあり、今は祠が置いてある。本丸が神社になっているというお約束のパターンのようだ。

左 本丸虎口にたどり着く  中央 回り込んで登っていく  右 本丸は結構広い

左 城跡碑に  中央 大越神社もある  右 意外に標高が高い

 二の郭は本丸の西に降りたところにある。そこそこの広さはあるが、巡回コースから外れるせいか下草が刈られていなくて鬱蒼としていて先に進むのはやめる。

左 本丸の一段下に  中央 二の丸があるが  右 鬱蒼として踏み込める状態でない

 二の郭から続きで南に回り込んだところが馬場との表記のある小スペース。ここには駒石と呼ばれる巨石がある。この上に馬爪大の痕跡があるとのことだが、岩の上に登る気力も体力もなし。

   

左 本丸から馬場を見下ろす    右 駒石

 ここを回り込んで降りていくことにするが、ここからは斜面が結構急である上に道の状態が良くない。神社の表参道筋は整備しているが、こちらまで手が回っていないというところか。それどころかようやく下の休石の手前まで来たところで巨大な倒木に道を塞がれていて、これを通り抜けるのに一苦労させられる。

左 駒石を回り込んで降りていくが  中央 途中で倒木に道を塞がれる  右 ようやく乗り越えた先が休み石

 休石からは帯曲輪や西の舘を左右に見ながら進むことになる。先ほどから時々細かい水滴が顔に当たるのが気になるところ。雨が若干ぱらつき始めているようなので先を急ぐ。

   西の舘など随所に巨石が転がる

 本丸下の谷状の斜面の中腹に井戸跡もある。籠城に非常に大切な水はここで確保していたようだ。なお今日でも水が湧いているらしい。なお近くにある朝霧城は井戸がなかったため1キロ先の水源から堀で水を引いていたところ、そこに毒を放たれてしまったためにこちらに移ってきたとのこと。

  

谷のところにあった井戸は今でも水が湧いているらしい

 大越城の見学を終えるとその朝霧城こと「下大越城」に向かう。住宅街背後にある山がそれっぽいのだが、どこから登れば良いのかが分からずに回りを車でウロウロしている内に、「朝霧城東入口」なる看板を見つけたのでその近くに車を停めて徒歩で登る。

    ようやく登り口を発見

 登るとすぐに北舘跡との間の堀切に到達するので、北舘は後にしてまずは本郭の方に登ってみる。

左 ここを登っていくと  中央 右手に北館が  右 左手に本郭への道がある

 本郭に登ると視界が開け、下まで数段の削平地がある場所に到達する。どうやら城跡を桜公園にするべく整備して植林している模様。一応、本郭跡、二の郭跡、御殿跡などの看板が立っているが、公園整備のせいかなだらかな緩斜面になっている雰囲気で、城郭としての険しさは全く感じられない。かすかに土塁跡などがあるのが城跡としての主張はしているが。

   

左 急に視界が開ける  右 ここが本郭とのこと

数段の曲輪跡が見られるが、公園整備されているようで全体的になだらかな斜面になってしまっている

 裏手に回ると北舘の方を登ってみるが、こちらは本郭の方と対称的で道なども整備されておらず、曲輪内も木が茂っている。二段の曲輪になっていてかなり回りは急である。本郭と連携して守っていたことが分かる。

   

北舘は二段の曲輪になっており、回りは結構切り立っている

 ここの城が水源に毒を入れられてしまった城であり、確かに城内に水の手は見当たらない。また地形的には平時の館を構えるには良さそうだが、戦時の城郭としては堅固さで大越城に劣る。水源が駄目にされたことがなくても、戦が激化してくればあちらに移転するのは必然だったのでは感じられるところである。

 

 これで今日の予定は大体終了である。もう体に大分ガタが来ているし、夕方になってきているし、宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのは磐梯熱海温泉の金蘭荘花山。船引三春ICから磐越道に乗ると、そのまま西進、順調に磐梯熱海温泉に到着する。

 

 磐梯熱海温泉は山間の街道沿いの温泉街という印象。道路沿いに大手ホテルが並んでいる。金蘭荘花山はそのホテル街の真ん中付近。

  

 なかなか綺麗なホテルで、私が通された部屋も広いゆったりとしたもの。部屋で一服してから大浴場に向かう。大浴場は内風呂に露天風呂が隣接した造りで、露天風呂は川に浮かぶ船をイメージした浴槽。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、ややネットリ感のある湯である。ここでとにかく今日の疲れを抜いておく。今日はかなり無理をしたが、既に太ももに張りなどが出ており、これは明日以降が思いやられるところ。

  

 風呂からあがると間もなく夕食の時間。夕食はレストランで会席料理。ビュッフェでガッツリ食うのも悪くはないが、私はどちらかと言えばこちらの方が合っている。

 品数も多いしなかなかにうまい。一番印象に残ったのは豚の温しゃぶ。豚肉がひじょうにうまかった。

 

 夕食を終えるとしばし部屋で過ごすが、疲れが出てきていて頭がボンヤリとして何も出来ない。この原稿を入力しようにも頭がまるっきり回らない状態。仕方ないのでとりあえずもう一度入浴へ。冷たい空気の中での露天風呂がなかなかに快適。

 

 風呂からあがるとしんどいのとすることがないのとで早めに就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に目が覚める。昨晩は体があちこち痛んで寝苦しかったが、目が覚めると体のあちこちがだるい。昨日は久しぶりに無理をしすぎたか。それにしても体力が落ちたものだ。しかもこちらに来てから花粉症が出ており、夜中に何度も鼻が詰まって苦しむ羽目に。今も鼻がズルズルである。

 

 朝風呂の後に朝食。基本的に和食なのだが、今時の流行か朝カレーが付いてきている。確かに朝からカレーも適度に胃腸を刺激して良さそう。

 

 9時前にホテルを出ると郡山駅に急ぐ。今日は郡山から東京へ移動するが、今日だけは10時過ぎの新幹線の指定席を取っているので遅れるわけにはいかないのでやや早めの出発。大分時間に余裕はあったはずなのだが生憎と郡山駅前は渋滞で、駅に近づいてから焦る羽目になったが、どうにか時間に遅れることなく駅に到着できたのである。

 

 郡山からは新幹線で東京入り。上野で降りるとキャリーを駅のロッカーに放り込んで早速美術館巡りの開始。

 

 それにしても上野の人出の多さには呆れる。パンダと桜の影響だろうか。福島辺りでは咲く気配さえなかった桜がこちらでは満開である。

  

上野周辺は異常な人出


「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館で5/27まで

   

 スペイン王室の収集品を元にしたプラド美術館の所蔵品から、ベラスケスの作品7点を中心に17世紀の絵画を展示。

 ベラスケスの作品は肖像画など。本展のタイトルのようにもなっている「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」は、馬にまたがる颯爽たる王子を描いた作品。馬のデッサンがやけに太すぎるように感じられるが、それはこの絵が展示される位置(高い位置に飾られていたらしい)も考えての表現らしい。聡明で堂々とした描き方をされている王子は将来は立派な王になるだろうと感じさせられるが、実際は若くして亡くなったらしい。当然のように人物に対して適度な美化が加わっているのはこの時代の肖像画の常識である。

 ベラスケス以外でもルーベンスの絵画なども展示されており、これも逸品。なお私的にはムリーリョが一点あったのが収穫。個人的にはベラスケスよりもムリーリョの方が好み。彼のどことなく柔らかいタッチの絵は心が癒やされる。宗教心皆無(というよりもむしろ宗教を敵視している)私でも、彼の宗教画にはありがたさを感じる。


 

 とりあえず美術館を一つ回ったところで昼頃。今日のコンサートは2時に開演なのですみだトリフォニーホールに向かって移動することにする。昼食は錦糸町でつばめグリルでも行こうかと思っていたのだが、店の前に行列が出来ている状態。仕方ないので近くのラーメン屋に入って中華そばを注文。

  

 昼食を終えるとホールに向かう。それにしても東北で悪化した花粉症が止まらない。鼻がズルズルでティッシュとマスクが手放せない状態。

  

開演前はホールのカフェでトーキョーサイダーを頂いてマッタリ


新日フィル ルビー <アフタヌーン コンサート・シリーズ>

 

指揮 上岡 敏之

コントラバス 渡邉 玲雄*(NJP首席コントラバス奏者)

 

レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」 P.106

ボッテシーニ:コントラバス協奏曲第2番 ロ短調*

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調「悲愴」op.74

 

 レスピーギはなかなかに色彩豊かな演奏で、いかにもローマシリーズらしい華やかさがある。

 想定外に面白かったのが二曲目のボッテシーニ。コントラバスで朗々とメロディを奏でる曲想がなかなかに聞かせるし、渡邊の演奏もなかなかの熱演であった。コントラバスの音色というのを楽しんだのは久しぶりに感じられる。

 悲愴はいかにも上岡らしい個性ある演奏。随所に溜を作ったあくの強い演奏であり、例によって悪趣味や下品の一歩手前。ただその分、うねるような情念が伝わってくるような演奏。この変則的な指揮にしっかり付いてくるオケも見事。


 

 例によって好みが分かれそうであるが、なかなかに面白い演奏であるとは感じられた。なお花粉症に苦しんでいるのは私だけではない模様で、演奏中もあちこちから鼻水をすする音やくしゃみの音などが聞こえてきていたのである。

 

 コンサートを終えると乃木坂まで移動する。ここで開催されている展覧会が目的。

 


「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館で5/7まで

 

 ビュールレコレクションとは、スイスの実業家・ビュールレ氏の個人コレクションとのことで、印象派の傑作が揃っているのが特徴とか。チューリヒ美術館に移管されたこのコレクションの代表作が今回展示されるらしい。

 タイトル作品となっているのはルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」だが、「ロリコン」の異名もあるルノワールらしい可憐な少女像で誰が見ても好感を持つ絵。印象派の表現と自身の目指す絵画との狭間で揺れたルノワールであるが、最終的には印象派の手法を捨てて一部古典的な手法に戻ることで、このような美しい人物画を描けるようになったのである。

 本作を始めとして、本展ではマネやモネなど印象派の大家の作品も多数展示。なお後半ではセザンヌやポスト印象派、さらにブラックなどのモダンアート(実のところいずれも私の好みではないのだが)なども展示されており、印象派以降のヨーロッパ絵画の大きな流れも概観できるようになっている。内容的に豊富でじっくりと堪能できる展覧会である。

      モネの睡蓮だけなぜか撮影可


 

 展覧会を終えると上野にとんぼ返り。夕食をここで摂ろうと考えていたのだが、調査の結果その前にもう一カ所立ち寄るところが出来た。

 


「人体−神秘への挑戦」国立科学博物館で6/17まで

  

 NHKの番組と連動しての企画。あの番組では各臓器ごとに取り上げていたが、本展でも構成はそれと同じで、各臓器ごとにダヴィンチによる解剖図から始まり、動物などの標本、そして人間の標本となっている。なお人間の標本に関しては不快感を持つ者や信仰上の抵抗?などがある者がいる可能性に配慮したのか、巡回ルートからは直接見えず、展示の裏手に回って見学するというような構造になっている。ただこういう構造にしたせいでこの部分で場内が渋滞し、全体の円滑な鑑賞を妨げる原因となっていた。また人間の標本を隠したところで、それと類似した動物の標本はズラズラと並んであるわけであり、果たしてこの配慮に意味があるのかは疑問を感じずにはいられなかった。

 

 展示内容的には各臓器の機能の説明などの映像に加え、標本が並んでいるという構成で、正直なところその辺りにはあまり新味はない。また今回の放送での一番の新情報は各臓器がネットワークで結びついて互いに影響を与え合っているということだったのだが、そのことに関しては最終部分で象徴的展示があっただけであまり本展を貫くテーマとしては見えていない。正直なところ今ひとつ展示に工夫が感じられなかったというのが本音。

     体内ネットワークの象徴的展示


 

 科学博物館の夜間開館を終えるともう夜である。夕食を摂ることにしたい。向かったのは「黒船亭」。しかし店の前には長蛇の列。やめるかとも思ったのだが他に思いつく場所もなく、またもう今日の予定は終了で時間に余裕があることから待つことにする。

 

 結局は30分以上待ってから入店。ミンチカツのセットを頂くことに。例によって肉々しいミンチカツである。デザートの美味さも相変わらず、とりあえず満足できる(価格がやや高いということを除いて)夕食を終えたのである。

 夕食を終えると駅でキャリーを回収してから、毎度の定宿ホテルNEO東京へ。もう結構遅めの時間になっているし、今日も何だかんだでやたらに歩いて疲労の極限だし、チェックイン後は入浴してさっさと就寝するのである。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時前に目が覚めたが、とにかく体全体がだるい。連日1万歩越えだが、昨日は1万7千歩、一昨日が1万5千歩というのがとにかく効いている。明らかに限界越えの状態。理性的判断ではこのまま極力寝ている方が良いのだが、今回は完全に変なスイッチが入ってしまっている私は、実は今日も結構ハードな予定を考えている。

 

 8時過ぎ頃にホテルを出ると一旦上野駅にキャリーを置いてから、常磐線で馬橋を目指す。今回は流鉄沿線の城跡を回ろうという計画。以前からこの辺りに城跡があることは知っていたのだが、なかなか訪問する時間を割けなかった次第。そこで今日のコンサート前の午前中にそれを済ませてしまおうと考えたわけである。

 

 流鉄は二両編成の車両だが、そこそこ乗客はいる。また1時間に3〜4本の多頻度運転が行われているのは田舎のローカル線とは違うところ。

 

 この沿線にはもろに「小金城趾」という駅もあるが、そちらに立ち寄るのは後と言うことでまずは終点の流山へ。こちらにはその小金城を本拠にしていた高城氏の有する城の一つであった花輪城跡がある。

 

 流山駅を降りると萌え看板とさらに何やらイケメン看板が立っている。どうやら沿線が「薄桜鬼」なるアニメ作品(私もタイトルぐらいは聞いたことがある)とタイアップ企画を実行中とか。歴女目当てか腐女子目当てか知らんが、最近はこんな企画も増えてきた。

数年ぶりに訪れた流山駅は、萌え看板とイケメン看板が乱立する奇妙な世界に・・・
 

 「花輪城」へは流山駅を北上すること徒歩20分弱。正直なところほとんど死んでいる私の足にはかなりキツい。ただ救いは昨日までひどかった花粉症が幾分マシになったこと。花粉に関しては東北よりもまだ東京の方がマシのようだ。これは多分単純に花粉だけでなく、PM2.5なんかの影響もあるのだろう。ヘロヘロの体調でフラフラしながら住宅街の中をしばし歩く。

    花輪城は向こうの丘の上

 現地は今は公園になっている模様。東側には小さな水路があるが、ここはかつては川か? となると川沿いの丘陵ということで確かに城郭には向いている地形である。現地はもうかなり削られてしまっているようだが、今でも空堀の一部が丘陵上に残っている。これが城郭遺跡としては唯一のものか。

  

現地には遺構と言えるものはほとんどない

 花輪城跡を見学した後は再び流山駅に戻ってきて、次は「小金城跡」を見学。こちらも住宅街の中に完全に埋もれてしまっていて、今ではかつての城郭のごくごく一部のみが歴史公園として保存されているらしい。

 

かつての城域はほぼ住宅化している

 小金城は千葉氏の一族であった高城氏が本拠にしていた城郭だという。高城氏は北条配下として秀吉の小田原攻めで戦うも北条氏と運命を共にしたらしい。小金城はこの辺りの複数の丘陵上に展開した大規模な城郭だったらしいが、確かに今日完全に宅地化している状況でもこの辺りは結構起伏が激しい。恐らくかつては曲輪の一つだったと思われる場所には今では高層マンションが建設されている。

    現地はこの手の高台が多く、これがかつての曲輪跡だろう

 小金城跡だが、丘陵の一つの斜面に堀跡などが残っている。なおこの公園の入口は丘陵の下側にある。最初は上側から回り込もうとしたのだが、こちらはフェンスに阻まれて侵入不可。

    正面に見えるのが歴史公園

 残っている堀は北条氏お得意の畝堀であるが、現在は埋められているのか畝はあまり分からない。この畝堀は山中城などで典型的なものを見ることが出来るが、関東ロームの地層には実に効果的であったと思われる。堀内で動きを阻まれた敵兵は城からの矢弾にさらされることになるという仕掛けである。

   

歴史公園内にある障子堀と畝堀・・・と言っても畝はほとんど分からない

 いずれも大した遺構は残っていなかったが、東京周辺の城郭だと仕方ないところだろう。しかしそれにしても疲れた。何だかんだで今日も既に一万歩以上歩いてしまった。もう限界だし既に昼になっているし、今日のコンサートのあるオペラシティまで移動することにする。

 

 昼食はオペラシティ近くの「築地食堂源ちゃん」でランチメニューの「牡蠣フライと刺身の定食」を。特筆すべきことは何もないが、これで1000円強なら東京なら上々なんだろう。なおまだ時間が少し余裕があることから、ついでにデザートも注文。

  

 昼食を終えるとコンサートホールへ。今日は東京交響楽団のコンサートだが、どうも指揮者のジュゼップ・ポンスが急病のため、急遽飯森範親に変更になったらしいということを、ついさっきHPにアクセスして初めて知った。なお帰宅後に東京交響楽団から指揮者交代の旨を連絡する封書が届いていたことを知ったのであるが、どっちしても払い戻し等はなしなのならわざわざ封書で知らせる意味もないような気がするのだが。しかし、よりによって飯森か・・・。それだとわざわざ東京まで聴きに来るまでもなかった。それにしてもそもそもポンスもマーク・ウィグルスワースがスケジュール的に出演不可になったための代演だったはずなので、代演の代演である。どうにもバタバタした話である。

 


東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第102回

 

指揮:飯森範親

ピアノ:マーティン・ジェームズ・バートレット

 

ワーグナー:歌劇「恋愛禁制」序曲

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 

 一曲目はワーグナーらしくない軽妙な曲。しかも決してメジャーな曲とは言い難いだけに、急遽指揮をすることになった飯森もどことなく手探りで指揮をしている感じがある。もしかしたら飯森もこの曲はよく知らないのではないだろうかと思われた。この曲想だともっとノリノリで持ってきても良かったような。

 二曲目のプロコはバートレットの華麗な音色もあって、プロコらしい泥臭さをあまり感じなかったように思われる。これはこれで面白くはあるのであるが。

 最後は飯森にとっても馴染みのある曲だろうだけに、飯森も落ち着いた演奏となった。ただしどことなく無難な演奏であり、特別な面白味はなかったのが事実。


 

 結局のところ、飯森らしく可もなく不可もなしといったところ。残念ながら取り立てての魅力も感じなかったのが本音である。やっぱり最初から飯森だと分かっていたらわざわざ東京までは来ていない。もっとも今回はこれのために東京に来たのではなく、ついでであるから別に良いけど。

 

 これでようやく本遠征も全予定を終了となった。後は新幹線で帰宅するのみである。なかなかに充実した遠征であったが、その分、財布と体に結構キツかったのが事実。当初はゆったりと温泉巡りのはずだったのだが、遠出するとどうしてもそうはならないのが相変わらずの私の性分。今回も結果としてはリハビリを越えて無理をしすぎてしまった。実際にこの後は数日は足腰のだるさに苦しめられるのである。

 

 

 

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