展覧会遠征 神戸オペラ編2

 

 この週末はMETライブビューイングのアンコール上映のために三ノ宮に繰り出した。演目はレハールの「メリー・ウィドウ」。直訳すると「陽気な未亡人」である。


METライブビューイングアンコール レハール「メリー・ウィドウ」

 

指揮:アンドリュー・デイヴィス

演出:スーザン・ストローマン

出演:ルネ・フレミング(ハンナ)、ネイサン・ガン(ダニロ)、ケリー・オハラ(ヴァランシエンヌ)、アレック・シュレイダー(カミーユ)、トーマス・アレン(ツェータ男爵)

 

 レハールによる軽妙なオペレッタである。軽快な音楽に乗せて各人の恋愛模様が交錯するという楽しい人間劇。

 今回の上演では、軽妙な台詞のやりとりでサクサク進める内容に、ダンスの多い演出、またブロードウェイのスターであるケリー・オハラの出演など、あらゆる点でオペラと言うよりはミュージカルという性質の方が強くなっている。しかも元のドイツ語版ではなくて、英語版で上演していることがさらにその雰囲気に拍車をかける。全体的に非常に肩の凝らない内容になっているのが特徴的。

 おかげでオペラを見たと言うよりは、よくある典型的なアメリカンドタバタドラマを見たというような印象を受ける。もっともそれが芸術性の低さを示しているというわけではない。たまにはこういう気楽な作品もありであろう。


 今年上演された「コジ・ファン・トゥッテ」が本作と同様にケリー・オハラを起用してミュージカル色を強めた演出だったが、あちらは「狙いすぎてはずしている」感が強かったのに対して、本作ではそういう印象はない。「コジ・ファン・トゥッテ」では舞台設定から時代設定まで原作と完全に変えてしまうという「斬新系」演出に走りすぎていたのに対し、スーザン・ストローマンによる本作の演出は時代設定などは原作の設定通りというように意外と「保守的」であったことが功を奏したのだろう。また1790年作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」と1905年作曲の「メリー・ウィドウ」の時代の違いはかなり大きいと思われる。「コジ・ファン・トゥッテ」の場合、そもそも18世紀末の話を近現代にそのまま持ってきた時点でストーリー展開に諸々の破綻が生じていたが、本作はそう現代と異ならない時代の話なので、少々現代的な感覚が持ち込まれてもストーリーが破綻するというようなことは起こらなかった。それが本作の成功の一因でもある。

 

 私のオペラ鑑賞歴は極めて浅い(まだ2年程度)が、その間だけでも私が所謂「斬新系新演出」というのにかなり抵抗を感じるということが分かってきた。特に昔の作品を無理矢理現代に舞台を移したような演出には閉口する。やはり元々の意図された作品がある以上、それの根本を改変してしまうような演出は完全に演出家の越権行為であり、元々の作品を殺してしまうに等しいと感じることが多いということだろう。演出というのはあくまで原作者の意図をいかにして明快に観客に伝えるかが職務であると考えている。作品の改変に近いレベルまでやってしまうなら、○○の作品に触発された自分の新作として世に問うべきではないかというのが私の考え。そもそも私は最近のクリエイターに多い「自分だけが納得しているような斬新系作品」にはあらゆる分野で閉口している。

 

 オペラの上映が終わったところで昼食を摂ってから帰ることにしたい。気分としては洋食を食いたい。しかし残念ながら三ノ宮近辺で思いつく店はない。仕方なので阪神で岩屋まで移動して「洋食SAEKI」に立ち寄ることにする。注文したのは「ミックスフライランチ(1000円)」

   

 やはり非常にCPが良いのを感じる。特に有頭エビのフライとクリームコロッケが美味い。ただ惜しむらくは味付けがやや濃いめ。若者にはこれで良いのかもしれないが、私の年になるとこれは少々ツラいか。特にサラダのドレッシングが少々塩っぱいのだけが頂けない。これで酸味の効いたドレッシングなら最高なんだが。

 

 昼食を終えるとそのまま家路につく。場合によってはこのまま兵庫県立美術館に立ち寄ることも考えていたのだが、プラド美術館展は東京で一度見ていることと、もう既に外の気温がかなり上がってきていてこの中を美術館まで延々と歩くという気力が湧かなかったので断念した。

 

 

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