展覧会遠征 大阪・東京編

 

 世間ではバレンタインデーなる行事があるらしいが、ひたすら硬派路線を突っ走る私の日常にはそんな浮かれた行事は全く無縁(泣)。今日も変わらず日常を粛々と送るのみ。

 

 今週末は東京への遠征。目的はチョン・ミョンフン指揮の東京フィルのコンサート。チョン・ミョンフンのマーラーは以前に聴いて感心したし、東京フィルはチョン・ミョンフン指揮の時は演奏レベルがワングレードアップするので期待するところ。

 

 東京フィルのコンサートは金曜日を確保している。日曜日の回もあるのだが、どうせなら音響最悪のオーチャードでなく、サントリーで聴きたいと考えた次第。このために金曜日は休暇を取ることにした。また木曜日には大阪でムジカエテルナのコンサートもあるので、これから続けて移動しようと考えた次第。

 

 木曜日の仕事を終えると大阪に直行する。まずはホテルに立ち寄って荷物を預ける。今回の宿泊ホテルはクライトンホテル新大阪。昔、朝から伊丹空港で移動する時などにはよく前泊に利用したホテルだ。大浴場があり朝食がしっかりしているのが特徴。ただ、その後に大阪宿泊の頻度が高くなりすぎ、そのたびにこんな高級ホテル(あくまで私基準)にばかり泊まっていると財政が破綻するので、段々と宿泊ホテルのランクが下がってかなり足が遠のいてしまったホテル。しかし今回は、明日の朝に新幹線で東京に移動するので新大阪に近いホテルが良いのと、じゃらんのポイントが結構貯まっていたことから久しぶりの高級ホテル宿泊である。

 

 ホテルにチェックイン手続きを済ませると、バレンタインデーということでチョコレートのオマケが・・・。って頭から追い払っていた鬱陶しい行事を思い出させるんじゃない! もうバレンタインとクリスマスはオワコンということで良いのでは・・・。

 

 ホテルに荷物を置くと直ちに外出してフェスティバルホールへ向かう。ここのホテルは地下鉄西中島南方直近なので、大阪へのアクセスは良い。

 

 この日の夕食だが、最近は夕食を考えるのが面倒くさくなっている。そこで梅田から西梅田に乗り換える途中で前を通りかかった「ミンガス」で久しぶりにカツカレーを。これが正しい大阪ファーストフードである(実際にカレーが出てくるのはマクドよりも早い)。

 ファーストフードを腹に入れるとフェスティバルホールへ。ステージでまだリハーサルが行われているのか、私が到着した時はまだロビーまでしか入場できない状態。かなり大勢の客がロビーにあふれかえっている。しばらくして入場が始まるが、館内はほぼ満席に近い状態。東京では売り切れの公演もあったらしいが、かなりの人気である。


テオドール・クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ 初来日ツアー

 

指揮/テオドール・クルレンツィス

管弦楽/ムジカエテルナ

ヴァイオリン/パトリツィア・コパチンスカヤ

 

チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

チャイコフスキー: 交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」

 

 かなり独特の演奏。東京公演では賛否両論で侃々諤々となっていたらしいが、それも非常に頷ける。

 まずコパチンスカヤのヴァイオリンであるが、これはほとんど軽業師といって良いもの。小さい体をフルに使ってのかなりの熱演である。ただしその演奏はかなり個性的というか無手勝流。テンポ強弱すべてが非常に変化の激しい演奏。特にテンポに関してはほとんどすべてが変拍子と言える。ソリストがこの演奏ではバックのオケは崩壊しそうなものだが、そこは相方のクルレンツィスがほとんどコパチンスカヤと対面のような状態でテンポを取っている。またオケメンも指揮者を注視していてかなりの集中力のある演奏。一種のツーカーの関係があって成立しているようである。ただそれでもところどころソリストとオケがズレる局面も。コンサートというよりは、女軽業師とサーカスの団長といった雰囲気。

 後半の悲愴はチェロ以外は立ち上がっての演奏。演奏自体はかなりの熱量を帯びているし、強弱変化などがかなり激しいこってりとした演奏。クルレンツィスの指揮はかなり変則的なので、オケメンの指揮者への注意の払い方がかなり高く、その辺りが通常とは異なるタイプの緊張感を帯びている。

 総じて言えるのはかなり「変則的」な演奏であると言うこと。テンポ変化の激しさも、通常の演奏とは異なる強弱の取り方もかなり独特である。特にコパチンスカヤの自在の演奏は独特の魅力もあり、麻薬のような中毒性のあるものに思われる。実際にコンツェルトの第一楽章が終わった途端に場内にざわめきが起こったし(ここで拍手が出てしまうことはよく経験しているが、場内がざわめいたのは初めて)、演奏終了後の拍手も爆発的なものがあった。ただこれは諸刃の剣。熱狂させるものを持つのと同時に、異端・下品・悪趣味と嫌悪感を持たせる可能性も高い。東京公演では賛否両論が沸いたようだが、それは私にも納得できる。なお私のスタンスだが、やはり「面白くはあるが、いささか悪趣味に過ぎる」というところである。

 「悲愴」についても同様。クルレンツィスの演奏自体がコパチンスカヤと同様にかなり変則的であるので、所々でとんでもない魅力ある演奏が飛び出すと思えば、「おいおいそれは違うだろう」という部分もあったりで変化が激しい。ただ総じて感じたのは、部分部分で煽りすぎるせいで全体の流れがいささか悪くなっていたということ。私としては全体を音楽としてスムーズに流した上で感動を呼ぶような演奏が理想である。そういう意味では、単に「熱気を帯びた演奏」と言っても以前のポリャンスキーのものとは質が違いすぎる。表現意欲は感じるのだが、細部の細工に陥って全体を通しての設計が甘いというか。私としては興味あるのは、10年後にクルレンツィスが異端の天才として世間に認知されているか、それとも単なる色物で終わってしまうかである。当然ながら前者となることを期待する。


 賛否両論があるだろうが、明らかに密度の濃いコンサートではあった。おかげで少々疲れた。帰途で夜食にパンを買い求めてからホテルに戻る。本当はラーメンでも一杯食べたいところだが、現在の体調を考えてそれは止めておく。

 

 ホテルに戻るとまずは入浴である。そもそも今回はそのためにこのホテルを選んだとも言える。新今宮界隈のホテルだと、残念ながらこの時間では入浴の出来ないところが多い。やはり仕事とコンサートの連チャンの後は風呂でゆったりとくつろぎたいというのが日本人の心情というもの。大浴場で手足を伸ばしてゆったりと癒やされる。

 

 風呂上がりにはマッサージチェアで体をほぐす(これが無料であるのがここの良いところ)。体があちこち痛くなっているのでこれはありがたい。

 

 部屋に戻るとマッタリとテレビを見ながらクールダウン。眠気がこみ上げてきたところで明日に備えて就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床。まずはレストランで朝食へ。ここの朝食は品数が極端に多いというわけではないのだが、メニューにうどんがあったりなどが地味にうれしい。とにかく朝からしっかりとエネルギー補給をしておく。

   

 部屋に戻るとシャワーを浴びたりなど身支度を調える。テレビをつければ「まんぷく」を放送しているが、ついにまんぷくラーメンが完成で量産に入るとか。いよいよ話が佳境に入ってきたが、ここでヒロインが突然に倒れる(過労だろう)というアクシデントが・・・というところ。前作のような滅茶苦茶(ヒロインが明らかに頭がおかしいとしか思えなかったが、それは脚本家が実際に頭がおかしかったからだろう)と違って安心してみられる普通のドラマである。NHKとしては前作のような異常な作品(放送事故レベルである)がどういう経緯で間違って製作されてしまうことになったかはキチンと反省してもらいたいところ。NHK三大汚点ドラマ「江」「半分青い」は脚本家に実力のない者を選んでしまっての大失敗、「花燃ゆ」はそもそも企画自体がなっちゃいないということで、いずれも責任者は切腹もの。ちなみに「西郷どん」もかなりひどかったので、テーマが西郷隆盛というキャッチーなものでなかったら上の作品と同じカテゴリーに入っていた可能性大。

 

 支度を終えるとホテルをチェックアウト。新大阪から新幹線で東京に向かう。平日の昼だというのに新幹線は結構混雑している。それにしても新幹線もかなり揺れるようになった。路盤が相当に劣化してきているようだ。そういう点ではいすれは大規模改修が必要だろう。しかしそのためにリニアではなく、やはり新幹線の複々線化の方が正しい選択だと思うのだが。

 

 車内ではpomeraでこの原稿を入力したり、スマホでこれからの美術館攻略ルートの設定やチケットの手配。考えてみれば「ハイテク」な時代になったものだ。いずれも2,30年前には考えつかなかったことだ。あの頃は新幹線車内にレッツノートとどでかい外付けモバイルリチウムイオンバッテリを持ち込んで、MPEG1圧縮したテレビ番組を見るだけでかなり「ハイテク」で、時代の最先端を行くモバイルビジネスマン気取りだった(実際にそこまでモバイル機器を使いこなしている者は一般にはあまりいなかった)。隔世の感がある。今ではSNSもLINEもやっていない私は、単なるハイテク音痴なジジイの一人だ。

 

 疲れ切った頃に新横浜に到着。足下に注意のアナウンスに驚いて外を見ると雪が降っている。まもなく到着した東京も雪がぱらつく極寒の地。

 

 もうそろそろ13時近いので、とりあえずホテルに荷物を置きに行きがてらどこかで昼食を摂りたい。立ち寄ったのは南千住のそば屋「登知喜屋」。昔に一度来たことがあるがそれ以来である。と言うのも、ここは店を閉めるのが早いから。私がホテルに戻ってくる頃にはいつも閉まっているので立ち寄る機会がないのである。

   

 「カツ丼」を注文。オーソドックスなそば屋のカツ丼だが、これが不思議に美味い。まさに正しいカツ丼と言うべき存在。これで閉店時刻がもっと遅ければ夕食に使えるのだが・・・。

 昼食を終えた時には13時を回っているのでホテルにチェックインする。ホテルは例によってのホテルNEO東京。部屋に入って荷物を置くと、一息つく暇もなく直ちに外出である。これから19時のコンサートまでの間にたっぷりと予定がある。

 

 まずは上野に移動すると東京都美術館へ。ここで奇想の絵画展を開催している。この入場券については先程新幹線の車内で手配済みである。


「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館で4/7まで

   

 江戸絵画の中でも特に異彩を放った画家たちの作品を集めた展覧会。伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧I、鈴木其一、歌川国芳といった一癖も二癖もある絵師の作品を特集している。

 最近になって爆発的人気となった若冲に関しては、その圧倒的な技倆を見せつける精密彩色画を中心に展示。若冲が得意とする鶏の絵が展示されている。

 私的には蕭白や芦雪の作品がうれしい。圧倒的な技術を持ちながらも極めてあくの強い蕭白の作品は何とも言えない独特の魅力がある。本展のポスターにも鳴っている「雪山童子図」などの鮮やかな色彩に精緻で軽妙な筆さばきなどはいかにも蕭白らしい。また芦雪もプライスコレクションから「猛虎図」が展示されており、師匠の応挙とは違った虎の描き方(応挙の猫と違って芦雪の方はもう少し虎っぽい)が見れて面白い。また芦雪のユーモアを示す「白象黒牛図屏風」なども展示されていて楽しい。

 次に岩佐又兵衛、狩野山雪と「奇想」と呼ぶには若干渋めのところが来て、いかにも楽しげな白隠慧Iの作品に琳派の継承者であり異端者の鈴木其一が登場、そしてトリは江戸の奇想を締めくくるに相応しい歌川国芳。現在の漫画にもつながる雰囲気のある大判の版画はなかなかに躍動感があってワクワクする逸品。ちなみに国芳は河鍋暁斎の師匠に当たるので、この要素は濃厚に暁斎にも引き継がれているのである。

 百花繚乱というか百家争鳴の方が正しいか。とにかく個性的な作品が並ぶかなり楽しい展覧会であった。


 最近とみに若冲が人気のせいか、かなり大勢の観客が来ていた。しかし私としては、蕭白に芦雪も忘れるなと言いたいところ。後期展示には蕭白の「群仙図屏風」が展示されるようだからこれも見たい。

 

 とりあえず上野での予定は終了なので、次は成金ヒルズまで移動である。先程手配したセット券のもう一方がここで開催されている新北斎展。例によって毒の沼地のような成金オーラで精神力を削られるが、何とか森美術館に到着。しかし券売所の前で大行列。しかもなぜか前売り券を買った者までここで行列に並んで入場券に引き替えないといけないという。意味不明だが、どうやら券売所で行列を作って改札制限にしているようだ。前からここの美術館はこういうことをよくするが、これが私がこの美術館が嫌いな理由の一つ。しかもここをくぐり抜けて会場まで行っても、その前でまた行列で入場待ち。もうこうなると何のことやら意味不明。入場前から不快感がマックスである。

  

チケット売り場で行列、開場前でまた行列


「新北斎展」森アーツセンターギャラリーで3/24まで

 

 北斎はその生涯において何度もその名称を変更しているが、それらの時代を追ってその作品を展示している。一般的な版画作品よりも、肉筆による小品、版本などが多いのが今回の展示の特徴で、展示作の大半はこの度島根県立美術館に寄贈されることとなった永田コレクションによるものである。一般的な北斎展でよく展示されている富嶽三十六景などの量産型浮世絵版画が中心でないところが「新北斎展」と名乗っている所以だろうか。

 本展の目玉の一つとしてPRされているのが、最近になって対図であることが判明した太田記念美術館の「雨中の虎図」とギメ美術館の「雲龍図」が併せて展示されることだが、実は私はこの組み合わせは以前にハルカス美術館で開催された大英博物館共同プロジェクトの北斎展で目にしている。墨絵の龍と色絵の虎が火花を散らせてにらみ合うという迫力ある構図になる逸品である。

 私的には一番興味を持ったのは西新井大師總持寺の「弘法大師修法図」。おどろおどろしい鬼と対称的に静かな表情で座る弘法大師の表現が臨場感のある描写でさすが。


 平日の昼であるにもかかわらず、東京の展覧会ではよくあることだが観客が多すぎて落ち着いてみられない。なお私は北斎展の類いにはこの数年だけで何度も行った気がするのだが、東京地区で大規模な北斎展が開催されるのはかなり久しぶりらしい。そのことが観客の異常な多さに拍車をかけているのか。ただ今回の展示の大半は永田コレクションであることから、結論としては島根県立美術館に行った方が賢そうである。島根県立美術館ではこれから数年かけて、永田コレクションの全貌を展示するそうであるので。

 

 大分時間が遅くなってきたが、コンサートの開始までにもう1カ所ぐらいは立ち寄れそうだ。成金ヒルズからさっさとに逃げ出すとミッドタウンまで歩く。ヒルズほどではないにしても、こちらも成金オーラが漂っていて私のあまり得意ではない場所である。ここの4階の美術館が次の目的地。実際にはここの訪問が私の美術館方面での主目的の一つである。


「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」サントリー美術館で3/31まで

 

 その圧倒的な技術によってありとあらゆる絵を描きながら、かえって捉えどころがないとして日本では存在が忘れていた暁斎であるが、イギリスなどでは暁斎の弟子であったジョサイア・コンドルの解説本などもあって、北斎と並んで有名な日本人画家であるという。実際の彼の作品を目にすると、海外で評判になることも納得できるのであるが、最近になってようやく日本国内でも注目を浴びることになってきたようである。

 本展では暁斎の作品を時代を追って概観しているが、その中で暁斎がこだわっていたという狩野派絵師としての自負を垣間見せるような展示となっている。暁斎といえばおどろおどろしい幽霊画やさらには痛烈な風刺画、果ては春画に至るまでおよそあらゆる作品を描きまくっている(恐ろしいほどのスピードで量産したらしい)が、そのベースとしては古典に学び狩野派としての修練を真摯に積み重ねてきたことがある。本展では彼の絵帳などが展示されており、彼がかなり熱心に勉強をしていたことも伺わせる。

 江戸期から明治期にかけて活躍した暁斎であるが、こういう点を見ていると、先の「奇想の系譜」につらなる一番最後の絵師こそが彼なのである。


 それにしても河鍋暁斎もつい先頃までは日本では全く忘れられていたが、ここに来て急に注目を浴びてきた。若冲なんかもそうだったが、やはり一目見ただけでその作品が並ではないことが素人にも分かるということが大きい。私も暁斎の作品を初めて見た時は息をのんだ。そして次の瞬間に「なんでこんなすごい人物が全く無名なんだ?」と大きな疑問を感じたものである。

 

 これで美術館方面の主要目的はほぼ押さえた。開演まではまだ時間があるが、もう1カ所回るというほどの時間もないので、少しお茶をしていくことにする。「不室屋」生麩ぜんざいを頂く。上質の生麩に上質の小豆。最上の一時である。

 お茶でほっこりしたところでサントリーホールに向かう。ここからサントリーホールまでは距離は大してないはずなんだが、いざ移動となると適切な交通機関がない。結局は地下鉄を一駅ずつ乗り継ぐことに。ホールに到着した時には既に入場が始まっていた頃。結構な人数が来ている模様。


東京フィルハーモニー交響楽団第916回定期演奏会

 

指揮:チョン・ミョンフン

東京フィルハーモニー交響楽団

 

マーラー:交響曲第9番

 

 マーラーの9番といえば、私の頭の中にはラトル・ロンドン響やヤンソンス・バイエルン放送響の印象がどうしてもある。そのせいか、チョン・ミョンフン向け特別編成の東フィルの演奏でも、どうしても粗が目立ってしまうことになってしまう。

 ただそういった演奏の粗に目をつぶったとしても、どことなく淡々とした印象のチョン・ミョンフンの演奏は、どこか物足りなさのようなものを感じさせてしまうのである。普通の人が普通に人生を送り、普通にその最後を迎える音楽のように聞こえてしまう。今一段深いレベルの感動が欲しかったというのが本音。


 今回はこれを聴きにわざわざ東京くんだりまで出てきたのだが、正直な感想はイマイチというもの。決して悪い演奏ではなかったのだろうが、どうしても比較対象が2018年度と2016年度のベスト演奏では相手が悪かったか。

 

 これで今日の予定は終了だから夕食を摂ってからホテルに戻ることにする。夕食を何にするかだが、寿司でも食いたい気分ということで上野の「江戸っ子」に立ち寄る。私の好きなホッキ貝を中心に10皿ほどつまんで2700円。安いとは言えないが東京だとこんなものだろう。

ホッキ貝に締めは大トロ一貫盛で

 ホテルに戻るととりあえず入浴。大浴場の熱めの湯でしっかりと体を温める。今日はとにかく寒かった。上着を着ていても凍えそうなのでカイロで体を温めていた次第。ダウンを着てこなかったのが失敗だった。

 

 風呂から上がって部屋に戻ると一気に疲れが出てくる。ほとんどそのままグロッキーの状態で就寝してしまうことになる。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時に起床するが、よく眠ったはずなのに体はずっしりと重い。正直なところこのまま一日寝ていたいというのが本音。しかしそういうわけにもいかない。無理矢理に体を起こすととりあえず買い込んでいた朝食を腹に入れる。

 

 今日は14時からオペラシティでシティフィルのコンサート。しかしその前に先日行き残した展覧会を含めて数点回る予定。まずは昨日立ち寄る時間がなかった国立新美術館へ。開館時刻の10時に到着するのを目処にホテルを出る。今日も外は滅茶苦茶寒い。


「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」国立新美術館で4/1まで

   

 絵画から立体造形まで多種多様な展開をしているアーティストである。どうやら表現したものがまずあって、それに合わせて手段を選んでいる模様。ただかなり迷走している雰囲気も感じないではない。恐らく本業と言うべきは大判の絵画であろう。

 表現したいものは何となく伝わってこなくもないのだが、私の目から見ればいささかこじらせているようにも感じられる。よく若者にある「自分探し」などが行き詰まってしまった先にたどり着くような。


 今日はさらに国立科学博物館にも立ち寄るつもりだが、今日はナイター開館があるのでコンサート終了後に立ち寄る予定。というわけで午前中には、ここの近くにある初訪問の美術館に立ち寄ることにする。目指すは根津美術館。乃木坂の隣の表参道駅から徒歩10分ぐらいの位置にある落ち着いた雰囲気の美術館である。


「酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり」根津美術館で2/17まで

   

 根津美術館は茶道具の類いから仏像まで幅広い美術品を展示しているが、この時の特集は酒呑童子絵巻。酒呑童子は要はアル中の山賊なのだろうが、それを源頼光が坂田金時(いわゆる金太郎のモデル)らを率いて討伐するという物語を描いた作品である。しかしこれがなかなかの大作である。単に酒呑童子を討つ話だけでなく、そもそもの酒呑童子誕生のエピソードから始まっているのが面白かった。また最後の酒呑童子を討つ場面などは今の漫画に近い雰囲気を感じる。この辺りがなかなかに興味深い。

 展示品には古代中国の青銅器などもあったのだが、これが細工の細かいなかなかに興味深いものがあった。意外に逸品の多い美術館である。


 美術館を見学した後は庭園を散策。この美術館はかなり広い庭園を所有している。これが斜面の地形を利用した立体的な庭園。一番低いところには水路も引かれているようだが、今は水が少なくて半ば枯れた状態。周辺がかなり建て込んできたことも影響があるだろう。

 この庭園の中にレストランがあるので、昼食はそこで摂ることにする。この日のハンバーグに抹茶ラテをつけて。眺めも雰囲気も良いレストランなので、昼の一時をここでゆったりと過ごそうという客が多いようだ。美術館の中という特異な環境のレストランにも関わらず店内はかなり大勢の客で混雑している。

 

 まあハンバーグはこんなものだろう。特別なものは何もないが、元々料理に期待しているわけではないので「なんじゃこりゃ」というものでなければ可。抹茶ラテは抹茶の味がなかなか濃くて美味い。昼の一時をゆったりと過ごすには悪くなかろう。

   

 ただゆったりとしすぎている間に時間が怪しくなってきた。レストランを出るとそのまま表参道駅へ急ぐ。こうして早足で歩いてみると意外と嫌な距離があるものである。ようやく駅に到着すると、ここから代々木公園まで移動して、そこからバスでオペラシティを目指す。現地に到着したのは開館の直前ぐらい。

 

 開館後にはロビーコンサートがあったりなどおもてなしは考えてあるようだ。ただ観客は多いと言うほどではない。大体5割と言ったところだろうか。


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第322回定期演奏会

 

下野竜也(Cond)

南 紫音(Vn)

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

・オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」序曲

・シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 op.36

・スッペ:序曲「ウィーンの朝、昼、晩」

     喜歌劇「怪盗団」序曲

     喜歌劇「美しいガラティア」序曲

     喜歌劇「軽騎兵」序曲

 

 新年名曲コンサートといった趣のポップス系プログラムの中に、なぜかシェーンベルクという一ひねりが下野流か。このシェーンベルクが曲者でかなりの難曲なのは聴いていて分かる。しかし南紫音のテクニックはそれを全くものともしておらず、この辺りはさすがである。とは言うものの、やっぱりこの曲は私にはさっぱり面白みが分からない。

 オッフェンバックで始まって、スッペに終わるという楽しいプログラムだが、シティフィルの演奏にもなかなかに切れや冴えがあった。最後のアンコールでは下野がポンポンを持ち出してコンマスも巻き込んでのダンスというかなりの悪ノリがあったが、それも許されるというのが今回の公演の内容。とにかく楽しめたのでそれで良し。


 なかなかに楽しいコンサートだった。下野も結構エンターティナーである。しかし人気獲得を目指している発展途上のオケではこれも重要。なお下野がやたらにコンマスのはげ頭をいじっていたが、そういう下野自身もてっぺんの辺りがかなり怪しくなってきている。これは後数年で広上化か?

 

 コンサートが終了したら上野に移動だが、その前にお茶をしたいという気持ちが湧いてくる。そこで神楽坂の紀の善に久しぶりに立ち寄ろうと考える。JR飯田橋で下車するが、現在駅が工事中のようで以前の位置からかなり東に移動していて、神楽坂からかなり遠くなっているのには閉口。

 

 ようやく到着した「紀の善」は例によって待ち客のいる状態。まあそんなに急いでいるわけでもないので待つことにする。待たされたのは大体10分ぐらいか。例によって注文は抹茶ババロア。甘さとほろ苦さが心地よい。ここも小豆が上質である。

 久しぶりに抹茶ババロアを堪能すると、夜のおやつに栗あんみつを買い求めてから紀の善を後にする。ここからの移動だが、大江戸線で上野御徒町に行くことにする。最近はどうも食欲が湧かない時があり夕食を考えるのが面倒になってしまう。しかし今は喫茶でむしろ食欲が刺激されたのかいささか空腹感を感じ始めてきた。上野界隈で夕食を摂る店を探そうと考える。それにしても大江戸線はなんでこんなに深いんだろう。この駅なんてまるで核シェルターである。

 

 上野御徒町で地下鉄を降りるとアメ横周辺の飲食店街をウロウロする。昼がハンバーグだったので黒船亭で洋食というのはなし。ウナギは高すぎて手が出ない。寿司は昨日食べたということで、良さげな店を探してうろつくが、どうもビビッとくる店がない。ここはと思ったところは行列だし、価格を見るとやたらに高い店ばかりだし(最近の私の飲食店相場感は新世界基準になってしまっているので、東京の飲食店は軒並み価格オーバーである)で段々と面倒になってくる。どうせイマイチな店しかないんだったら、南千住にもどってからでもいいやという気になり、先に科学博物館に行くことにする。


「日本を変えた千の技術博」国立科学博物館で3/3まで

   

 明治以降、急激に近代化を進めた日本においては西洋の模倣から始まる多くの技術開発がなされた。最初は模倣に過ぎなかった技術も、段々とオリジナリティを増し、ついには世界に冠たるものとなっていく。そのような日本の技術開発を示す品々を展示した展覧会。

 最初の頃は初の国産電池とか、国産ラジオとかなどなのであるが、時代が進んでくると新幹線とかYS11とかあからさまにプロジェクトXの世界が登場してくる。若者からするとレトロな未知のものなのかもしれないが。私の世代からするとまさに懐かしいものが多く、中には胸が熱くなってくるようなものも含まれていた。理系のものなら必見と言える。

電話

蓄音機

電池

YS11とそのエンジン

マツダのロータリーエンジン

大型コンピュータの執念の配線

売店のケロリンには泣ける

しかし微妙に今風である


 なにか頭の中で常に「地上の星」が流れているような展覧会だった。それにしてもこれだけの技術開発したこの日本の現状の惨憺たる有様といえば・・・。そもそもこの体たらくになった原因は、無能な経営者どもが目の前の金だけに飛びつく経営ばかりを行って技術開発を軽視したことにある。ゴーンのような単なる守銭奴がもてはやされるような社会風潮に問題があったのである。その間にこの国の本来の力をどれだけ失ったかということを考えると、身震いするほどに腹立たしい。とにかくどんな組織でもトップが無能だとそういうことになってしまう。日本はかつて無能な軍部トップのせいで悲惨な敗戦を体験したが、ここに来て無能な経営トップのせいで二度目の敗戦をしようとしているのである。

 

 とにかくトップに立つ人間は無能であるということだけで罪である。しかも己の欲のみを最優先にする輩は問題外である。そういう意味でトランプや安倍は大罪人と言える。こんな自分の利益のためだけに世界中を滅茶苦茶にしようとする輩に世の中を左右させるぐらいなら、いっそのこと世界が私に征服された方がまだ人類全体が幸福になれるのではという不穏な考えが頭に浮かぶ。中国の古代の聖王のような理想的な政治は出来ないまでも、少なくとも我欲のためだけに民衆を犠牲にするようなことは私はする気はない。いっそのことショッカーでも結成するか。「愚かな人間どもよ」という言葉が素で出そうになる今日この頃である。

 

 科学博物館の見学を終えると南千住に戻ってくる。夕食を摂る店をと思ったが、「登知喜屋」はもう閉まっている(本当に店じまいが早いな・・・)。そこで界隈をブラッとしたところ、「広味苑」という中華料理屋があったのでここに入店する。

   

 注文したのは「麻婆豆腐定食」。四川風と書いてあったが、最初の口当たりはそう辛くないのだが、後からかなり激しくピリピリくる。しかも山椒の粒が入っているようで、これを噛んだらとんでもなく辛い。おかげで飯が進む。山椒には食欲増進効果があるというが、まるで薬膳である。

 夕食を終えるとホテルに戻り、さっさと入浴を済ませて後はBDでも見ながらボンヤリと過ごす。とにかく体がしんどくてグッタリしてしまう。

 「紀の善」で買い求めた夜食の栗あんみつ

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝も8時に起床するが、どこかに馬鹿みたいに一晩中ドタバタやっているうるさい奴がいたせいで眠りが浅く、かなり体に疲労が残っている。たまにこういうことがあるのが安宿のリスク。どうしても安宿に来る客の中にはこういうおかしな輩も紛れ込んでしまう。高級ホテルというのはサービスが云々と言うだけでなく、価格で客をフィルタリングするという意味もあるのである。もっとも金は持っていても人間的にあれな輩もいるので、必ずしも金でフィルタリングすれば客層が完全に良くなるとは限らないが。

 

 とにかくグッタリした体を奮い起こし、朝食のサンドイッチを腹に放り込むと荷物をまとめて10時前にはチェックアウトする。まずは身軽になるために東京駅のコインロッカーにキャリーを放り込みに行くが、東京駅は改装中で様相がかなり変わっており、コインロッカーがどこにあるか分からずにウロウロする羽目に。

 

 ようやくロッカーを見つけてキャリーを放り込むと、まずはここの最寄りの美術館に立ち寄る。


「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」東京ステーションギャラリーで4/14まで

 

 フィンランドを代表する建築課であるアルヴァ・アアルトの作品を展示。彼は建物のデザインだけでなく家具のデザインなども手がけており、それらはすべて有機的に建築物に溶け込むように考えられている。

 機能的でシンプルである彼のデザインは、今時の北欧デザインとしてイメージするようなものの原点のようにも感じられる。単にデザインの奇抜さに走って実用性を無視するような大馬鹿建築家もいる中で、彼の合理的なアプローチは非常に好感を持つものである。


 あの渋谷駅ダンジョンを設計した某大馬鹿建築家は、彼の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。建築から実用性を廃したら、それはただの巨大な粗大ゴミである。

 

 さて現在は11時前。オペラシティで開催されるブルノフィルのコンサートが14時開演なのでまだ時間がある。しかし実はこれで予定していた美術館のスケジュールはすべて終了してしまった。とりあえず渋谷にでも行くかと山手線に乗り込んだところで、新橋のアナウンスを聞いたところで閃く。汐留のパナソニックミュージアムに立ち寄ることにする。


「子どものための建築と空間展」パナソニック汐留ミュージアムで3/24まで

 

 子供にとっての空間である幼稚園や学校などのデザインを写真で紹介している。子供のことを考えてある種の思想を持って建築された建物ばかりで、そこには広々とした空間があり、変化に富んだ風景が展開する。正直なところ、私も子供の頃にこういったところで過ごしてみたかったと感じる建築が多数。日本にも無機質な校舎だけではなかったんだと驚いた次第。


 子供のための建物としては、やはり発見やワクワクがあるものでないと魅力がない。いずれの建物もそういう点に配慮しているように思われた。戦後の典型的な安い量産型箱型コンクリート校舎(しかも学校の裏が墓地)で小中学校時代を過ごした私としては、ああいう環境で学習を出来た子供達はうらやましい次第。子供の情操教育には環境要素は重要である。

 

 ここまで来たついでに昼食もこの辺りで摂っていくことにする。近くのビルの中に喜多方ラーメン坂内があったので、ここで喜多方ラーメンを食べることにする。喜多方は朝からラーメンを食べる習慣があるというが、まさにそれができるあっさりしたラーメンである。今のようにへばっていて重たいものを食いたくない時には最適。

 昼食を終えると渋谷に移動し、そこから昨日乗ったのと同じ系統のバスで初台に向かう。渋谷周辺は人が多すぎて、バスが走っている道路の前にも平気で人が横断する無法地帯。ここがハロウィンの時に文字通りの無法地帯になったというニュースがあったが、この界隈はハロウィンでなくても普段から結構滅茶苦茶な場所である。私の目から見れば、新今宮の方がここよりも余程治安が良い。

 

 開場時刻の10分前ぐらいに会場に到着。今日の公演は全席売り切れとのことで、会場周辺には大勢の客が待っている。そのせいで建物内のトイレがどこも満員で困ることに。と言うのは私は今日は腹の具合が悪いと言うか、腹が痛いとか下痢をしているわけではないのだが、やたらに便意を催してその度にかなり大量に便が出るのである。これはもしかして昨日の薬膳が効いているのか? とにかくおかげでトイレを求めて建物内を上へ下へと走り回る羽目になった。どうやらあの店の麻婆豆腐は便秘で悩む方にはお勧めのようである。

 

 ようやく一息ついたころに開場時刻。ゾロゾロと会場に入場する。


チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

 

レオシュ・スワロフスキー(Cond)

マシュー・バーリー(Vc)

チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

 

・スメタナ:交響詩「わが祖国」より「モルダウ」

・ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 op.104, B.191

         交響曲第9番ホ短調 op.95, B.178「新世界より」

 

 スワロフスキーはなかなかの爆演型である。最初のモルダウはいかにもチェコ情緒タップリの演奏で実に正統派なチェコらしいモルダウ。

 チェロコンはバーリーの軽快な演奏が冴える。バックのオケとの意思疎通も十分であり軽妙で痛快な演奏。

 最後の新世界も典型的なチェコの新世界。舞踏の旋律が前面に出て徹底的に踊る、騒ぐ。痛快で気持ちの良い演奏。スワロフスキーに煽られたオケがかなり力強い演奏を行った。決して技術的に高いレベルのオケではないが、やはりご当地ものの強みは遺憾なく発揮している。


 場内は結構な盛り上がりであった。満員の観客も結構堪能したのではなかろうか。満足してホールを後にすると東京駅に急ぐ。この日は大丸の地下で夕食の弁当を買い求めて帰宅の途についたのである。

 

 

 

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