青春18切符の旅 広島編

 

 

 前回までのあらすじ

 春といえば青春18ということで、勇んで切符を買い込んだ私。しかしちょっとした間抜けな理由で青春18切符2枚を抱えることになってしまい、これらを4/10までに使い切る必要に迫られてしまったのであった。こうして私の青春18の旅が始まったのである。

 

 先週は福知山ローカル線の旅に繰り出したのだが、まだまだ手元に切符は残っている。やはり一気に消化するには長距離を泊りがけで行くしかないという結論に至りつつあった。当初に考えた目的地は金沢であった。兼六園周辺に点在する美術館を攻略し、どこかで一泊(できれば温泉つきが良い)、翌日に帰ってくるというルートを考えていた。しかしあまりに長時間の移動になる上に、3月に入ってからの急な寒波の襲来による積雪リスク(現地での移動の制約や行き帰りでの交通の混乱)により、金沢遠征案は結局は白紙に戻されることになった。

 一から目的地を再選定することとなったが、北が駄目だとなると、東か西か南しかない。しかし南の四国は鉄道がほとんど使い物にならない地域なので没、東の名古屋は4月初頭にすでに日帰り予定を組んでいる。となると必然的に西しか進路はないわけである。距離その他を考えると、目的地はおのずと広島に絞られた。

 しかし広島にも問題点があった。現在、広島の美術館ではこれというイベントが皆無なのである。これでは美術館遠征ではなく、単なる観光旅行になってしまう。私の中に悩みが生じたが、やがて一つの結論に至った「観光旅行で何が悪い」。年初来のドタバタで心身ともに若干疲労気味であった自分を振り返って、今回は「自分にご褒美」のための観光旅行とすることで腹をくくったのである。

 早速計画が策定された。まず今回の遠征の目玉は一瞬で設定された。今まで何度も素通りをしていた宮島である。これは二日目メインイベントにするとして、やはり「観光旅行」となると、一日目も何かイベントが欲しいところである。ここで私の頭に浮かんだのは、またしてもローカル線の旅である。「鉄道マニアではない」私だが、実はこの地域には以前から気になっている路線があった。それは呉線である。瀬戸内沿岸の海沿いを走るこのローカル線は、風光明媚であることで知られており、瀬戸内マリンビューなる観光列車が三原−呉間で運行されている。これは「鉄道マニアではない」私にとっても、興味をそそられるものである。呉には今まで行ったことがない呉市立美術館もあるし、大和ミュージアム辺りにも立ち寄れば十分に観光可能である。これでプランの骨格は決定である。

 後はこのプランの骨格に沿って作業が粛々と進められた。実はこのこの時点で出発予定日の5日前だった。まずは広島で格安ホテルの手配、さらに瀬戸内マリンビューの指定席の手配を行った。瀬戸内マリンビューは二両編成で、1両目の指定席は船内をイメージした豪華仕様、2両目の自由席は近隣住民の足という構成である。やはり「観光」でこの列車に乗るとなると、追加料金の510円を払っても指定席はゲットしておきたいところである。日にちがないので心配したのだが、難なく指定席が確保できた。

 さらに「観光」のためには欠かせないものがあった。それは食事の計画である。今までの私の「遠征」では、あくまで美術館を回ることが目的であったので、朝食はコンビニおにぎり、昼食は抜き、夕食はどこかでラーメンなんていう悲惨なパターンが常であった。しかし今回はあくまで「観光」である。食事のプランも店の設定から綿密に調査した。その結果、1日目の昼食は乗換駅の三原で、夕食は広島市内で、2日目の朝食は宿泊ホテルで、昼食は宮島で、夕食は出たとこ勝負(出来れば広島駅周辺でお好み焼きが食べたいが)というものに決定されたのである。

 

 当日は早朝に自宅を出発、電車を乗り継ぎながら三原に到着したのは11時前であった。マリンビューの発車の12時半までの時間をここでつぶすことにする。実はマリンビューに接続するもっと遅い時間の列車もあったのだが、「石橋を叩いても渡らない」と言われている私である。不測の事態に備えて早めの列車での到着である。

 三原はタコの町

 三原であるが、典型的な田舎の都会という印象の都市である。新幹線停車駅でもあるので、駅前にはビルも建っていたりするのだが、これという観光施設がないのがつらいところ。駅のすぐ北側に三原城跡があるので見に行ったが、ここは天守台の石垣と堀が残っているだけである(なかなか良い石垣ではあるが)。しかも実は駅自体がもろに天守台の上に乗っかっていることが分かったりするのである・・・。

 特別に見るところもないので、早めに昼食をとることにする。選んだ店は港のそばの「登喜将」という日本料理店。ここで昼食用のてんぷらセットを食する。なかなかに美味。これで帰っても良かったのだが、三原は駅の看板にたこの絵が描いてあるように、名物はたこ料理だという。そこで今回は観光旅行であるという主旨を思い出し、活けダコのお造りを追加注文する。コリコリとした歯ごたえがなかなかに美味であった。

 12時過ぎごろには三原駅ホームに戻り、そこで列車を待つ。やがてホームにマリンビューが入ってくる。呉線は全線単線電化路線なのであるが、このマリンビューはディーゼル車を改造した車両である。ディーゼル車特有のエンジン音が響く。この列車のために改造された車内は豪華仕様で、女性のガイドも添乗している。海が見える側の窓は大きく視界が開けており、いかにも観光列車であることを感じさせる。なお車内はガラガラの状況で、私は4人分のコンパートメントを独占している状態。ここから呉まで2時間程度の列車の旅である。途中では海のすぐそばを走るところもあり、そういうところでは列車がわざわざ速度を落として眺望を楽しませてくれる。

  

 ゆっくり走るディーゼル列車に揺られながら、海を眺めている。海の風景は落ち着く。はるか太古の昔、人類の遠い祖先は海から発生したのだが、その記憶が未だにDNAにでも残されているのだろうか・・・。たまにはこういう「時間を無駄にする旅」というのも悪くはないななど考える。

 2時間後、列車は呉に到着である。呉は昔は海軍の町であったが、今でも海自の施設があるようである。私の想像以上に大きな町だったのは少々驚き。とりあえず駅前でタクシーを拾って、目的地に向かう。

 


「色の魔術師 空野八百蔵」呉市立美術館で3/25まで

 呉市立美術館

 現地出身の画家という空野八百蔵の作品を集めた展覧会。色彩の魔術師と銘打っているが、確かに彼の作品は、派手派手な色彩が異彩を放っている。ただ作品は抽象画というわけではなく、幻想的な雰囲気はあるものの、具象画の範疇に入っているようである。あえて似ている画家をあげるとするとシャガール辺りになるだろうか。

 派手派手な色彩とは対照的に、意外と印象が強くはないところがある作品が多い。心理的抵抗は感じないのだが、胸を打つものもなかったのが正直な個人的感想である。

 


 美術館を出た後は入船山公園を一回りしてから、徒歩で大和ミュージアムに向かうことにする。

 戦艦大和はかつて呉で建造された世界最大の戦艦である。当時の最新の技術が投入され、日本海軍の切り札として建造されたが、航空決戦が中心となった第二次大戦の趨勢についていけず、活躍のないまま敗戦間近になって無謀な沖縄特攻作戦に投入され、米軍機の集中攻撃で最期を迎えた悲劇の艦である。そのまま九州沖の海底でひっそりと眠っていたのだが、地球の危機に際して宇宙戦艦として再び戦いへと旅立つこととなった・・・などとボケをかまそうと思っていたのだがこのミュージアムの展示の終盤では、本当に宇宙戦艦が飛んじまってるんだから、洒落にならない。松本零士氏はこんなところでも仕事をしていたのか・・・。

 大和ミュージアム外観

 大和ミュージアムの展示の最大の売りは、1/10スケールの戦艦大和の模型。これが吹き抜けのホールに鎮座している。1/10とはいえ、ヨットなどよりは大きい船体が、この戦艦の巨大さを思わせる。これ以外には零戦や人間魚雷回天なども展示されていた。歴史展示では呉港の歴史と、戦艦大和に関してのもの。なお展示の主旨として、戦艦大和を通じて戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるとあったが、果たしてそれはどうだか。私の目から見ると、むしろ好戦的な空気の方が感じられてしまったのだが。

 1/10スケール戦艦大和

 このあとは広島へ移動。呉線も呉−広島間は通勤列車の雰囲気がある。なお単線のせいで輸送力に限界があるのは明らかであった。複線化が検討されたこともあるとのことだが、それもさりなん。

 

 広島に到着するとまずはホテルに直行。今回のホテルは広島の繁華街の中にある。それにしても広島の繁華街はなんと雑然としていることか。飲食街と歓楽街がボーダーレスで入り乱れている印象であり、いかにもサラリーマン風のオッサンと、目つきの怪しいお兄さんがごっちゃになってウロウロしている。で、ホテルだが、周囲を見渡せば100円ショップにコンビニ、そして無料紹介所と書いた看板が入り乱れているすごい場所に立地していた。確かに便利といえば便利なのだろうが・・・。なおこのホテル、4200円で朝食付き、風呂とトイレは共同という環境である。私が宿泊した時には、どこかの高校の運動部と思われる団体が宿泊していた。

 宿に荷物を置くと、とりあえず夕食を食べるためにホテルを出る。既に夕食のための店も目星をつけている。ただホテルから結構距離があるため、広島の繁華街の中をウォーキングする羽目になる(それにしてもすごいところだ)。

 20分ほど歩いて目的地に到着したが、ここで計算違いが発生する。店が小さいのか満員だったのである。店員に聞くと1時間半待ちとのこと。現在の時刻は7時で、1時間半後というと・・・オイオイ、この店の営業時間は8時半までと書いてあるやないかと、心の中でツッコミを入れながら、諦めて店をあとにする。

 しかしここで慌ててはいけない。この程度のトラブルなど想定内である。こんなこともあろうと、実は第二案も事前に準備している。W-ZERO3を取り出すと、第二候補の地図を呼び出す。ここでまた10分ほど広島の繁華街ウォークをする羽目になったが、無事に目的地に到着する。目的地は雑居ビルの2階に立地していた。

 ここで私が行ったのは「和丸」という店。ここは穴子料理の店であるが、冬のシーズンには牡蠣料理も扱っている。今回は当初から「広島で牡蠣を食べる」と決めており、事前に牡蠣料理を食べられる店を綿密に調査していたのである。あっ、「なぜその綿密さを仕事に生かせない!?」という上司からのツッコミがどこかから聞こえてくる・・・。

 メニューを広げると牡蠣料理がいくつか並んでいて選択に迷う。その時、かきづくしコースなる魅力的なネーミングが私の目に飛び込んでくる。おっと思ったのだが、価格6000円というのを見て一瞬ひるむ。今回の旅行の宿泊費と交通費よりも高価である。思わず理性が待ったをかけるのだが、ここで私は「観光旅行」「自分にご褒美」と呪文を呟く、すると私の精神は瞬時にお大尽モードに切り替わる。そして一瞬にして経済感覚が麻痺したのである。

(解説) お大尽モードとは

 状況に応じて精神状態がモードチェンジする私の特殊モードの一つ。バーサーカーモードの一形態であるが、バーサーカーモードがあらゆる理性的判断が麻痺するのに対し、経済感覚のみが麻痺したモード。電器店店頭などで突如として発動することが多い。このモードの発動中は、通帳の残高や月末のクレジットの支払額などを計算する知性は消滅する。

 メニューは酢ガキから始まり、焼きガキ、牡蠣のたたき、土手鍋、牡蠣フライなどの牡蠣のフルコースである。実は私は牡蠣はクセの強い貝というイメージを持っていたのだが、その感覚は見事に粉砕された。まず生牡蠣の濃厚にしてふくよかな風味。それがあっさりしたポン酢と相まって最高のハーモニーというやつである。よく生牡蠣を食い過ぎてあたって死にかけたという話を聞くが、そういう馬鹿なことをしてしまう理由を、この時初めて理解した。しかしより私の心をつかんだのは焼きガキ。火を通すことで、今度は一転して甘みが発生すると共に、いかにも貝らしい深い旨みが出てくるのである。さらに心底感動したのは牡蠣フライ。私は今までこんなに旨い牡蠣フライを食べたことがない。普段は「何を食ってもまずそうに食べる」と家族に顰蹙を買っている私の口から「うまい」という言葉が自然に出てくる。

 この晩は心底牡蠣を堪能したのであった。広島の牡蠣は私の想像を超えていた。一体私が今まで牡蠣だと思って食べていたものは何だったんだろうか・・・。認識を新たにせざるを得なくなったのである。

 そういえば、ある占いで「今週のラッキーアイテムは豪華なディナー」という記述があったのだが、これってこういう意味?なんか少し違っているような・・・私も生涯独身モードに突入してしまったのか?

 この日は呉海自駐屯地周回ウォーキングと、広島繁華街ウォークやなんやかやで1万6000歩を超えていた。大分疲れが出てきたこともあり、ホテルに帰るとさっさと風呂に入り、早めに就寝したのだった。

 


 翌朝は5時過ぎに息苦しさで目覚めた。どうやら鼻が完全に詰まっている。私はスギ花粉症よりも、どちらかと言えばヒノキの方がキツイのだが、そろそろその影響が出てきているようだ。とりあえず鼻水を止めると、まだ時間が早いのでテレビを見ながらウツラウツラとする。

 活動を開始したのは8時頃だった。ホテルで朝食を平らげると、9時前頃にチェックアウト。そのまま徒歩でひろしま美術館に向かう。結構距離があるはずなのだが、昨日あれだけ歩いたにしては身体が軽い。これが牡蠣パワーなのだろうか。広島の牡蠣侮り難し。

 ひろしま美術館では収蔵品のみの展示である。しかしここの収蔵品は、そこらの企画展よりもレベルが高い。素晴らしい作品に何度目かの再会をしながら心底満たされる気がするのである。「来て良かった」という言葉が自然に口から湧いてくる。

 ひろしま美術館にしばし滞在の後は、紙屋町までとって返し、ここで広電に乗る。当初の予定では路面でJRの最寄り駅まで行くつもりだったが、宮島口行きの列車がタイミング良く到着したので、それでそのまま宮島に移動することにする。広電は路面電車が途中から専用線に入るという、近畿でいえば京阪電鉄に近い雰囲気。田舎びた沿線の雰囲気がいかにも風情がある。

 ゆっくりした電車で30分以上かけて宮島口に到着すると、そこからJRの連絡船で宮島に渡る。なおこの路線は船であるが、JRの鉄道路線ということになっているので青春18切符の適用範囲内となる。しかもJRの連絡船は、わざわざ厳島神社の鳥居の正面を回ってくれるという至れり尽くせりの観光路線となっているのである・・・。

 JRの連絡船 一応扱い上は「車両」です

 宮島はオフシーズンのはずである。しかしその割には観光客が異常に多い。いわゆる「秋の京都状態」。今でこれだと、一体秋になるとどうなるのやら。考えるとゾッとする。

 とりあえずはお約束と言うことで、厳島神社に向かう。大鳥居が近くに見えるが、今は潮が満ちていて海の中に建っているようである。なお厳島神社内も観光客が一杯のようであり、内部は一方通行に規制されている。また遠くから音楽が聞こえてきており、どこかのカップルが結婚式を挙げているようであった。なんにせよ、私には無縁の世界である・・・。

 厳島神社の鳥居 水の中に立っている(before)

 厳島神社を通り抜けて、宝物殿を見終わった頃には昼を過ぎていた。ここらで昼食をとることにする。当初の予定では昼食は宮島名物あなご飯の予定で、その店も調べてあったので店を探して歩くが、なかなか見つからない。そしてようやく見つけたと思ったら、閉店したのか休業日なのかは不明だが、店は閉まっている状態。唖然とする私。不覚にも宮島では第二案は用意していなかった。やむなく別の店を探すこととする。その途中で、宮島一と噂を聞いていたもみじまんじゅうの岩村屋を見かけたので、もみじまんじゅうを買い求める。ちなみにばら売りもあるとのことで、粒あんもみじを1つ食べてみたのだが、これが焼きたてで美味。思わずばらをもう1個買って食べてしまう。

 もみじまんじゅうをぶら下げてブラブラしながら、適当な店を見つけてあなご飯を食べた私だが、どうも今一つ中途半端な気持ちが残る。すると目の前に「焼きガキ」の文字が。思わずそれにつられて次の店にフラフラと入る私。早速焼きガキを一皿注文。「うまい」肉厚の身に程良く火が通っていて、濃厚な風味とも相まって絶品。思わずもう一皿追加注文。すっかり焼きガキにとりつかれてしまったことを自覚する私。

 焼きガキでドーピングしたあとは、いよいよ弥山にロープウェーで登ることにする。ロープウェーの駅まで無料バスが出ているとのことだが、タイミングが悪くバスは出た直後、やむなく駅まで歩くが、この時にわざわざバスが出ている理由を痛感する。距離は大したことがないが、とにかく登り斜面が急。駅に着いた頃には結構疲れたのだが、この時の私は実はまだまだ考えが甘かったのである。

 ときどき走る体力なんて私にはありません・・・

 ここから2種類のロープウェーを乗り継いで山上駅に登る。ロープウェーはかなり急な斜面を登っていく、振り返ってみると絶景だが、下を見ると少々恐ろしくなる。

 ロープウェー かなり傾斜が急

 山上駅の周囲には猿やシカがウロウロしている野生の王国。見ると「猿に荷物を取られる危険があるから無料ロッカーを使用するように」との張り紙が。そう言えば私は、もみじまんじゅうをぶら下げてここにやって来ていた。これはまずいというので土産物類と、重たいリュックを無料ロッカーに放り込む。

 外に出るとなかなかの眺望。ただ山頂はここから1キロの距離にあるとのこと。見渡してみると、確かに向こうの方に山頂が見える。1キロという距離を見た時に、私は「大したことがない」と判断、そのまま山頂に向かうことにした。しかしこの判断は大甘だったことを後で痛感することになる。私は自分の体力を過大評価し、山道を過小評価していた。

 山頂へのルートは一端下ってから本格的な登りに入るようになっている。しかしその登りがかなりハード。斜面はキツイ上に、実際に歩いてみると思ったよりも距離が長い。数分と登らないうちにすぐに足がガクガクになってしまった。私は自分の体力が想像以上に落ちている事実と、それに反して体重は相当に増えてしまっていたという事実の双方をここで突きつけられることになったのであった。途中で岩場に腰を下ろして休憩しながら、ようやく山頂ロッカーのもうひとつの意味に気づいた。あれがなかったら私は、重たいリュックを背負って、もみじまんじゅうをぶら下げながらこの道を登ることになったのである。何と無謀な考えだったか。そもそもこんなに本格的な山登りになるのなら、こんな通勤靴ではなく、せめてウォーキングシューズを履いてくるべきだった。

 30分近くかかってようやく山頂についた頃には、私は半分死にかけていた(マジで心臓がもたないのではないかと感じた)。そのまま展望台下の茶店でしばらくダウンしてしまう。茶店のおじさんの話によると、あまりのハードさに「帰りにタクシーを呼んでくれ」と言った若者もいたとか。確かに呼べるものなら私もタクシーを呼びたい。

 10分ほど茶店でひっくり返ってから、ようやく起き出した私は、展望台へと登る。思わず絶句。360度パノラマビューとはこういうのを言うのだろう。晴天の下に広がる瀬戸内海の島々は美しいとしか言いようがない。晴天で良かったとつくづく感じたのだが、これも私の日頃の行いの良さというものであろうか(笑)。あまりの絶景にしばし極限状態にまで来ていた疲労さえも忘れてしまったほどである。わざわざ死にそうになりながらもここまで来たかいはあったというものである。

 360度パノラマビューのごく一部

 しばし絶景を堪能した後、茶店のおじさんの「膝を痛めるからゆっくり降りるように」とのアドバイスに従って、再びゆっくりとロープウェーの駅まで降りて来た頃には4時前になっていた。大分疲れが溜まっていたので帰路につくことにする。

 弥山から下りてきた頃には、干潮になって厳島神社の大鳥居は干潟の上に現れていた。ついでだから鳥居のそばまで歩いていく。遠くで眺めているよりも随分大きな鳥居である。

 厳島神社の鳥居 干潟に立っている(after)

 なお「大鳥居の内側は厳島神社の土地なので潮干狩りをしないように」という張り紙が出ていた。これは裏を返すと、大鳥居の外なら潮干狩りをしても良いという意味になる。実際、大鳥居の外は一大潮干狩り場といった状態で、あちこち穴だらけになっていたのである・・・・。

 大鳥居の外は潮干狩り大会

 連絡船に乗って宮島口に帰還したのは5時頃、予定のギリギリの時間になっていた。残念ながら広島駅で広島焼きを食べている暇はなさそうである。私はそのまま普通電車を乗り継いで夕食抜きで帰路についたのであった。

 

 以上、交通費と宿泊費をギリギリまで切りつめながら、食費には散財をしまくったのが今回の旅となった。なお2日目は山道込みで2万1千歩も歩いており、かなりハードな旅行でもあった。これでは翌日歩けなくなるのではないかと懸念したのだが、腰にも足にも特に変調は現れず(足に疲労はあったが)、翌日は特に問題なく仕事をすることが出来た。これも焼きガキドーピングの効果であろうか。広島の牡蠣恐るべし。

 

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