東征編「我が征くは東の都会」

 

「美術館は良い。この日本の中にもあまたの美術館が存在し、そこにはきら星のごとくの美術品が存在している。それに比べると人の一生などあまりに小さいものだと思わないか。キルヒアイス・・・」(オイ!)

 

 いきなり妄想モードに突入してしまったが、今回私は、週末の5/13,14と2日間をかけて銀河を手に入れる・・・もとい、東京・名古屋の一連の美術館等を攻略しようとの計画を立てた。この時期を選んだのは、GWの混雑が一段落し、なおかつまだGWを狙った企画が終わっていない時期であるからである。また土日ではなく、あえて休暇をとって金土の2日にしたのも、相当にハードなスケジュールになることが事前に予想されたことから、帰宅後丸一日は休まないと週明けの仕事にさわるであろうことが予測できたのと、金曜日には遅くまでナイター営業をする美術館が増えていることを当て込んでいる。

 巡回予定は東京・名古屋それぞれ4館の計8館(最終的にはこれが5×2の10館に増えるのだが)。機動力勝負の各個撃破戦略である。

 また大阪からの移動は夜行の高速バスを使用することにした。これは一重に旅費の節約のためである。貧乏サラリーマンの私としては、東京までの往復に新幹線を使うという経済的余裕はとてもないことに起因している。

 

 大阪を出たのは夜の11時、翌朝6時半頃に新宿に到着する。朝の新宿は閑散として人気がなく、やたらにカラスばかりが目立つ異様な光景である。とりあえず私は第一目的地である渋谷に移動、ロッテリアで朝食を摂る。しかしこの頃になると、慣れないバスで熟睡できなかったツケが現れ始める。朦朧としながらロッテリアを出た時は朝の9時、この時、たまたま見つけたネットカフェに入り、美術館が開館する10時まで1時間をそこで爆睡する(個室で床形式という仮眠するには最適の店であった)。

 1時間の爆睡で復活した私は戦闘モード突入である。まず第一目的地に赴く。


「ベルギー象徴派展」Bunkamura ザ・ミュージアム

 19世紀末から20世紀初頭にかけての時期、ベルギーでは象徴派と呼ばれる幻想的な絵画が流行する。ほぼ同時期にフランスを中心に大きな流れとなっていた印象派は、戸外に出て外の光を新たな技法で描こうと追究していたのに対し、彼らは専ら人間の内面に目を向けて精神性を正面に出した神秘的な絵画を追究した。

 中世以降ベルギー辺りでは精密絵画が主流となっていたが、象徴派の画家達も初期の者達は技法的には明らかにその流れを汲んでおり、題材は奇妙ではあるが、絵画の形式としてはむしろ印象派などよりははるかに古典的であるという印象を受ける。ただ時代の進行と共に、もろにオカルト思想の影響が現れ、インパクトを重視したような題材が多くなり、時には悪趣味としか言いようのないような作品が登場し始める。さらに時代が進行するにつれ、インパクトのみを追求したような雰囲気になり、技法的にはさらに衰退し、明らかに現代芸術への流れが見えてくる。私の印象としては、彼らの一連の流れの後にまさに一発ネタのインパクト勝負のみの多くの現代芸術が直接につながると感じられた。

 象徴派と言っても、特に決まったルールがあるわけでなく、作家による個性が非常に大きい。それだけに感心する作品もあれば、馬鹿らしくなる作品もあるという次第で実に玉石混交である。やはり私の嗜好では、時代が下ると共に面白くなくなるのは仕方ないか


 当初の予定では、この後は上野に移動するつもりであった。しかしここの美術館で入手したチラシの中に、損保ジャパン東郷青児美術館での17-19世紀フランス絵画展を紹介するものがあった。フランス絵画は私の守備範囲である。美術館の位置を確認すると新宿。そこで直ちに新宿に移動することにする。


「魅惑の17−19世紀フランス絵画展」損保ジャパン東郷青児美術館

 南フランスのモンペリエにあるファーブル美術館は、フランス美術を中心とした充実したコレクションを誇っているという。この度この美術館が修復工事をすることになり、その間に収蔵品の日本での紹介が可能になったとのこと。今回展示されたのは、古典主義的絵画から印象主義に至るフランス絵画で、ドラクロワ、ミレー、クールベ、マティスなどといったそうそうたる画家達の作品が登場する。

 展示は大体順番に時代を追っていく構成になっているので、一回りすればこの時代のフランス絵画の流れが把握できるという趣向である。古典主義絵画では題材が神話などの「嘘くさい」世界だったのが、バルビゾン派辺りになるとごく普通の田舎の風景といった日常的な題材に変わっていくのが分かる。そしてそこから、日常の「まばゆい光」を表現しようとする印象派が登場するという流れになる。

 もっとも全体の流れは分かるのだが、各画家の作品数自体は少ないので個別の画家の特徴は分かりにくいきらいがあるのと、特別に印象の強い作品がなかったように思えるのが、展覧会としてはややインパクトに欠けるようにも感じられた。


 この時点でちょうど昼過ぎである。とりあえず小田急百貨店で昼食を摂り(天ぷら屋に入ったのだが、やたらに料理が出てくるのが遅くてイライラする羽目になった)、上野に移動する。次はいよいよ今回のツアーを企画した主目的である西洋美術館のラトゥール展である。


「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール − 光と闇の世界」国立西洋美術館

 ラ・トゥールは17世紀のフランスの画家であるが、永らくその存在を忘れ去られた画家であった。現在でも残された真作は40点に満たず、未だに謎の多い画家である。本展ではその貴重な真作及び彼の工房で作成されたと見られる模作などを集めている。

 見つかっている真作の少なさから仕方ないのであるが、模作がかなり多いのが本展の特徴でもある。しかし模作については玉石混淆で、私の目には真作と区別のつかないようなものもあった。そのような作品は彼の工房で制作された作品で、部分的に彼自身の手が入っている可能性もあるとのことである。

 ラ・トゥールはカルバッジオ派の画家であるが、光の表現に独特の技術を持つ画家である。彼とよく比較されるフェルメールは、自然光の柔らかな光の表現を得意とするのに対し、彼の特徴的な作品は、暗闇の中でろうそくの光に浮かび上がる人物表現に絶妙な冴えを見せている。彼の作品は息を呑むほど凄まじい技術を披露している部分と、妙に単純化して図案化しているようにさえ見える部分が共存しており興味深い。なお微細なタッチの具合はどうしても現物を見ないと分からないものであり、個人的にはわざわざ東京まで出かけてでも一見するだけの価値はあったと感じる。


 上野と言えば西洋美術館以外に国立博物館や都美術館などもあるが、いずれの展示も関西への巡回があることが分かっていることから、隣の科学博物館を覗くことにする。


「恐竜博2005」国立科学博物館

 以前はゴジラ歩きをしていたと考えられていた恐竜が、実は2足歩行していたと言うように認識が変わって久しいが、近年では恐竜と鳥との骨格の類似が指摘されており、恐竜は絶滅したのではなく鳥類に進化したのではないとの説も出ている。本展では多くの化石を展示しながら、鳥と恐竜とのつながりを解説している。

 本展の結論は、恐竜が鳥に進化したというものとは若干異なり、両者は共通の祖先から発しており、一方は巨大化して恐竜への道を歩んだというものである。この両者の間をつなぐものとして、中国で最近発見された羽毛のある恐竜の化石なども展示されていて興味深い。ただ展示として圧巻なのは、やはり目玉でもあるティラノザウルス「スー」の化石であろう。巨大なその姿には圧倒されること間違いなしである。


 科博を出た時には既に日は西に傾いていた。名古屋行きの新幹線チケットは19時45分発のものである。しかしまだ東京でもう1カ所どうしても寄っておくべきところがある。東京駅に移動し、そこで軽い夕食代わりに盛りそばを一杯食ってから、八重洲通りを急ぐ。


「印象派と20世紀の巨匠たち」ブリジストン美術館

 ブリジストン美術館は、ブリジストンの創業者である石橋正二郎氏が個人的に集めた美術品によって設立された美術館である。石橋氏は戦前から美術品蒐集を行っていたというが、彼の選択眼はかなり優れていたようであり、個人コレクションの美術館としては屈指の高レベルな収蔵品を誇る。本展はその収蔵品からの展示である。

 展示作品としてはモネやルノワールなどの有名画家の作品が多数あるが、特に充実していたのがマティスのコレクションである。特に今回は彼の晩年の切り絵作品であるジャズが展示されてあり(本美術館の展示は版画である)、色彩の魔術師と言われたマティスの作風の変遷を追いながら、その最晩年の境地までを感じることが出来る趣向になっている。私は去年に西洋美術館のマティス展を見てからマティスに興味を持っているが、本展の展示作品は、マティスの各時代の典型的な作風を物語る作品であるので資料価値も高い。

 展示作品には一級品が多く、かなり楽しむことが出来る。この美術館は東京駅から徒歩10分と立地条件が良く、火曜から土曜は夜8時まで開館しているので、東京に行かれた折には是非とも立ち寄って損はしないと思う。


 美術館を出た時には既に午後7時過ぎ、私は慌てて大丸で弁当を買い込むと名古屋行きののぞみに飛び乗った。車内で弁当を平らげるとすぐに爆睡モード、次に気が付いた時には三河安城をすぎたところだった。

 夜の10時に名古屋に到着、モリゾーとキッコロが満載の名古屋駅を駆け抜けて、楽天トラベルで予約した安宿に急ぐ。このビジネスホテル、5500円と宿泊料は安いが一応朝食付き(と言ってもトーストだけだが)である。部屋が微妙に狭い、風呂桶が微妙に小さい、洗面台にカミソリがない、ドライヤーはフロントで借りないといけないなど、微妙に安宿であることを感じさせるが、とにかく「ベッドで眠りたい」という主目的には不足のない宿である。その夜は12時前に床に就く。

 

 翌朝、8時に起床するとトーストを2枚コーヒーで流し込み、9時にチェックアウトをすませてまず第1目的地に向かうために地下鉄の駅に行く。しかし昨晩はぐっすり眠ったにもかかわらず、身体のあちこちは痛む上に、全身がだるい。しかも昨日に買い込んだ図録(この時点で既に4冊)のせいで、荷物の重量が大幅に増加しており、地下鉄の階段移動が至難の業である。こんな時には昨今進みつつあるバリアフリー化のありがたみが分かる。バリアフリーは障害者や高齢者だけでなく、無理なスケジュールで走り回る貧乏旅行者にも優しいようである(笑)。

 9時40分頃、第1目的地である名古屋市博物館に到着するが、博物館の前に数百人の行列が出来ていて絶句する。聞くところによると土日は常にこの状態だとか。こんな光景は今までどこでも見たことはない。一体名古屋人はいつからこんなにエジプト好きになったのだろうか?


「ルーブル美術館所蔵古代エジプト展」名古屋市博物館

 ルーブル美術館とエジプトの関わりは、ナポレオンのエジプト遠征まで遡るという。以降ルーブルでは膨大なエジプトコレクションを蒐集すると共に、エジプト学においてもヒエログリフの解読など数々の功績を挙げている。本展はそのようなルーブルのエジプトコレクションの中から選りすぐりのアイテムを集めたとのことである。

 看板に偽りなしというか、一級品が集められているという印象である。さすがにルーブルと思わされるのは、考古学的価値のみならず芸術的価値も高い展示物が多いことである。このため特に古代エジプト文明に興味が強い者でなくても、単に展示品を眺めるだけでかなり楽しむことが出来る。特にエジプトではイヌやトキの頭を持つ神が信仰されていたが、それらの神像や、また古代のファラオの像などは彫刻として非常に完成度が高く面白い。また展示物から古代エジプト人の死生観などもうかがえ、その点などでも学ぶことの多い展覧会である。


 博物館内が異常に混雑していたことで想像以上に時間がかかったのと、思っている以上に体力が消耗しているのは誤算だった。しかもここではロッカーが使えないために、すべての荷物を持ち歩くことになり、疲労に拍車がかかってしまった。博物館を出た時点で既に昼前、しかももう歩くのが嫌なほど消耗してしまっている。しかし気力を振り絞って再び地下鉄に乗ると、金山に移動。そこで昼食のそばを食べてから次の目的地に向かう。


「ボストン美術館の巨匠たち−愛しき人々」名古屋ボストン美術館

 ボストン美術館収蔵の作品から、人の姿を描いた作品を集めたという展覧会である。展示内容は絵画あり彫刻あり、またヨーロッパの作品からアジアの作品、アフリカにアメリカと実に多彩である。

 展示内容が多彩というのは、裏を返せばテーマが希薄という意味にもなる。実際のところ、個々の展示物には面白いものがあるのだが、展示物全体にシナリオがないというのは、私のような「学習」主体で美術展を見る人間には少々辛いところでもある。

 もっとも今回展示されたルノワールの「ブージヴァルのダンス」は素晴らしいの一言。実は私はルノワールは特別に好きな画家というわけでもないのだが、この作品には魅了されてしまった。この画家は作品の実物を見ていると徐々に魅せられてしまうタイプの画家である。結局、この作品のためだけでも入館料の価値はあったというところである。


 名古屋ボストン美術館を出た後は、名古屋市立美術館と愛知県立美術館に向かう。ここはどちらもちょうど企画展の狭間であるので、常設展のみの鑑賞になる。今日になってからさらに図録が2冊増えたせいで、もう足に限界が来ており、歩くのがつらい状態。市立美術館と県立美術館の間の移動は、とうとう地下鉄を使う気力がなくなり、タクシーを使う。

 市立美術館は公園の中に立地し、科学博物館の隣にひっそりとある建物。展示物としては、どこにでもあるような現代芸術作品が半数ほどだが、注目はモディリアーニの「おさげ髪の少女」であろうか。大体は不自然に歪んだ肖像画を描くモディリアーニが、ここでは珍しく素直に少女の肖像を描いている。それがなかなかに可憐にして好感の持てる絵である。これ以外ではこの美術館で特徴的だったのはメキシコの現代絵画が展示されていたこと。この時はメキシコの代表的芸術家・リベラの壁画などが展示されていたが、これが社会運動華やかかりし頃の空気を思い起こさせてなかなかに面白かった。

 一方の県立美術館は巨大なビルの10階に入っている。これが10階までの吹き抜け(高所恐怖症の私にとっては、悪夢のような構造である)に屋上庭園という昔懐かしいバブルの雰囲気を伝えるビルである。美術館自体は比較的広いフロアに現代芸術が中心に展示されている。大体はどうでも良いような作品ばかりだが、クリムトの「黄金の騎士」があるのが目玉か。これ以外ではデルヴォー、マグリットなど明らかにコレクションが現代に偏っているのが特徴である。

 さてこれで予定のコースはすべて終え、帰ろうかとも思ったのだが、移動の最中の地下鉄の駅で「ミュシャ展」が松坂屋で開かれているのを見かけたので、やはり最後の締めとしてこれに寄ることにする。


「ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展 プラハからパリへ」松坂屋美術館

 いうまでもなくミュシャとはアール・ヌーヴォーの時代を代表する画家であり、彼が描いた装飾的なポスターはミュシャスタイルとも呼ばれ、まさにアール・ヌーヴォーの時代自体を彼がを作り上げたと言っても過言ではない。フランスで一世を風靡したミュシャは、後に故郷のチェコに戻り、祖国のために民族意識を訴えるような作品を制作するが、本展はそのミュシャのパリ時代のポスターから始まり、晩年のスラブ叙事詩につながる諸作品などが展示されている。

 いきなり冒頭からミュシャスタイル全開で、彼のポスターを好む者にはたまらない内容である。ミュシャの名を一躍世界にとどろかせたサラ・ベルナールの一連のポスターや、それ以外にも商用ポスター等代表作が展示されているのが前半部分となる。中盤はアメリカ渡航前後で、ここではミュシャが制作したアール・ヌーヴォー調の絵画を描くための資料帳(当時は美術を目指す者のテキストになったという)が面白い。アール・ヌーヴォー調の装飾を描くための基本モチーフが満載されており、デザインをする者には今日でも興味深いのではないだろうか。

 後半部はいよいよチェコに帰国してからの作品になる。この頃になるといわゆるミュシャスタイルではなく、油絵が中心となる。ミュシャはその正確なデッサン力には定評があるが、確かに卓越した技巧を感じさせる「美しい絵」である。彼はその美しい絵に民族的な情緒を込めている。もっとも当時は彼の絵画はもはや時代遅れと見なされ、あまり注目を浴びなかったという話もあるが、この時代になると既に現代絵画の時代に突入しつつあったことを考えると、確かに彼の作品は古典的であり保守的でもあるかもしれない。ただ私にとっては、下手な斬新系絵画などよりははるかに直接的に訴えかけてくるものが感じられるのである。

 とにかく「ミュシャ(チェコの発音ではムハが正しい)」を堪能できる展覧会である。彼の作品に興味を持っている者なら絶対に足を運ぶべきだし、ミュシャのことを知らない者でも出かけてみて損はない(彼の作品を見れば「ああ、これ」って分かるだろう)。なお本展は各地を巡回しており、11/19から大阪のサントリーミュージアムでも開催されるので、関西在住の者はその時に出かけると良いだろう。


 巡回展なので本来ならはずすところだが、ミュシャ好きの私としてはここまで来るとはずす気はしなかったのと、最後が市立美術館と県立美術館ではどうも締めが甘いと感じての急遽の予定変更だったのだが、後悔はしないすばらしさであった(サントリーミュージアムの時ももう一度出かけるかもしれない・・)。

 この時点で既に夕方の6時、体力も限界になっているし(足の裏が痛くて立っているだけでもキツイ)、荷物は異常に重いし(ここでまた図録が1冊増えて、とうとう7冊になった)、帰宅の途につくことにする。自由席で帰ることも考えたが、無理をせずのぞみの指定席をとる。

 そしてこの日の夜、私は倒れ込むようにして帰宅したのである。体の芯までクタクタであったが、心の芯まで堪能しきっていた。久々に充実した2日間であった。これでこそ、人間生きている価値があるというもので、これが明日への活力につながるというものである。みなさんも人生に疲れてきたら、たまにはこういう少々無茶な遠征もいかがでしょうか?

 

戻る