青春18切符の旅 敦賀編

 

 「そこに山があるから登る」というのは登山家の名言であるが、「そこに道があるから進む」「そこに線路があるから走る」というのはもしかして人間の本能ではないだろうか。この春以降、常に私の頭に引っかかっている地名が一つあった。それは敦賀である。

 と言うのも、この春以降に関西地域の新快速に「敦賀行き」という見慣れぬ列車が加わったからである。今まで新快速といえば、せいぜい「米原行き」ぐらいが通常であり、大抵は「近江○○行き」であり、ごくまれに草津線経由の「柘植行き」を見かけたぐらいである。「鉄道マニアではない」私には詳しいことは分からなかったのだが、どうやら関西圏と北陸線では電化の方式が違っており、直流電化の関西の新快速は、交流電化地域である北陸線には乗り入れが出来ないらしい。それがこの春、敦賀までが直流電化に変換されたことで、新快速が敦賀まで延長されることになったのだとか。

 私の脳内イメージでは、新快速とは京阪神の都会地域を走る通勤列車であるのに対し、敦賀といえば行き深い北陸のイメージがある。この違和感たっぷりの組み合わせ、云わばこの日常と非日常の接続というテーマが私の好奇心を掻き立てることとなり、どうしても新快速の終点の敦賀まで乗ってみたいという欲望が頭をもたげてきたのである。

 と言うわけで、この夏の青春18切符の旅のテーマの一つは敦賀になったわけである。元より私は鉄道マニアではないので、「キハ」がどうとか「モハ」がどうとか、そういうことには一切興味がない(貧乏人なので「ロハ」には興味があるが)。あえて言うなら私は鉄道マニアではなくて沿線マニアである。日頃乗り付けている電車の終点まで行ってやろうなんてくだらぬ発想は、沿線マニアの私ならではのものではなかろうか。

 

(注)

「キハ」→気動車のこと。今日では大抵はディーゼル車を指す。

「モハ」→モーター付電動車、早い話が電車のこと。

「ロハ」→只→タダのこと。鉄道とは全く無関係である(笑)。

 

 列車は何の変哲もないいつもの通勤用新快速である。ただ終点まで乗ろうと思う時に重要なことは「先頭から4両目以内に乗る」ということである。この列車はまるで多段ロケットよろしく、途中の駅で後ろの方を切り離して、最終的に敦賀に到着するときには4両編成になってしまう。途中で座席を追い出されて、エッチラオッチラと前の車両に移動するという悲しい思いをしたくなければ、最初から先頭の4両に乗っておく必要があるのである。そして私は幸運にも2両目に座席を確保できた。

 京都駅に到着した頃から車内が混雑し始める。周囲を見渡すと年配の行楽客といった風の客が多い。「ニュータイプか・・・」思わず呟く。青春18切符のユーザーとしては当初はコアな鉄道マニアの若者が多く、彼らが「オールドタイプ」なのに対し、最近は交通費を安く上げようという年配のユーザーが増えて来ており、彼らが「ニュータイプ」である(ちょうど年齢と逆)。JRとしては年配層はリッチにフルムーンの方に誘導したいところだろうが、金持ち優遇の小泉インチキ改革で痛めつけられた高齢者は、消費を絞る方向に流れており、こんなところにもその縮図は現れているのである・・・。

 新快速は途中の近江今津で後ろの4両を切り離し、さらに混雑した状態で敦賀駅に到着する。ここでは北陸線の普通列車と接続しており、ドアが開くやいなや乗客が一斉に普通列車めがけて全力疾走する。まさに「第二次スーパー席取り大戦」の勃発である。青春18シーズンに米原で繰り広げられている激闘は、ここ敦賀の地でも行われていたようである。敦賀で降りる私はその騒動を遠目に眺めながら、やはり先週の北陸遠征で青春18切符での旅をやめておいたのは正解だったと痛感する。二泊三日の荷物を抱えて、あの競争に参加する若さはもう私にはない・・・って競争参加メンバーの半数ぐらいは私よりも随分年上の方であるのだが。

 敦賀駅を降り立つと市内巡回バスに飛び乗る。目的地はこのバスで5分ほど走ったところにある。


敦賀市立博物館

 

 私が訪問した時には、「ミンミン民具とリンリン琳派」という下手な駄洒落としか思えないタイトルの展覧会を開催していた。この博物館の収蔵品が、敦賀にまつわる民具と琳派の画であるらしい。

 琳派の画の方は、地味ではあるが結構面白い作品があった。長沢芦雪の作品がこんな所にあったのは驚き。ただ芦雪は応挙の弟子であるので、琳派ではないと思うのだが・・・・。

 民具の方はどこにでもあるようなレトロな物品が並んでいるだけ。郷愁を誘うが特別なものはない。北陸最初のエレベータなるものが興味を惹いたぐらいか。レトロ好きならそれなりに面白いかも。


山車会館

 敦賀市博物館と同じ敷地内に建っている。敦賀では気比神宮の祭りにおいて山車(京都では「だし」と読むが、敦賀では「やま」と読むそうな)が出て、市内を練り歩く。山車には武将をかたどった人形などで飾られており、昔の合戦が再現されている。

 かつて最盛期には数十台の山車が勢揃いしたそうだが、多くが戦災に会い、江戸時代から残ったのはたったの3機とのことで寂しい限りとなっていたのだが、近年に3機が新築され、6機の山車が揃うことになったという。その山車を展示しているのが本館。映像を用いて、祭りのにぎやかさを再現している。

 なお今年の祭りはちょうどこの週末とのことで、山車が祭りで出払う時には当然のことであるが本館は休館となる。


 いかにも地方都市の地味な博物館といったわびさびの情緒のある市立博物館に対し、山車会館の方は金をかけて最近に建設されたような様子があった。こんなところにも原発マネーがつぎ込まれているのかもしれない。

 帰りはコミュニティーバスで駅まで移動するつもりだったが、貸し切り状態で映像を見ているうちに発車時間を過ぎてしまったので、駅までブラブラと歩いていくことにする。

 街中はガラガラ

 敦賀の街をうろついていると、アーケードなどは立派で道路も綺麗なのだが、もうすぐお昼だというのになぜか人通りがほとんどない。新快速が延伸されて観光客が増えたとの話なのだが、意外と市の中心部は活性化していないような感じがする。まあ概して原発に魂を売った地方都市は、そういう光景になりがちなのではあるが。

 気比神宮の大鳥居 結構有名らしい

 途中で気比神宮に寄ったりしながら、ブラブラと駅まで到着する。ちなみに途中の道路沿いにはなぜか999と宇宙戦艦ヤマトの像が並んでいる。境港市の水木しげるロードを連想するが、境港市は水木しげる氏のゆかりの土地であるのに対し、敦賀は松本零士氏とは何のゆかりもないらしい。敦賀が「港と駅の街」だから999とヤマトということらしいが、どうにも強引なこじつけにしか思えない。あえてゆかりを見いだすなら、松本零士氏が電力会社と縁があるからではないかと思うのだが・・・。そもそも劇場版銀河鉄道999のストーリーをなぞるような像を建てられても、あまりに街と無関係すぎて、正直なところ気持ちが引いてしまう。

 敦賀の街になぜかメーテル

 私はこれでも往年の999ファンだったのだが、これは少し・・・。正直なところ、最近の松本零士氏には「とっくに枯れてしまった作家が、過去の栄光にすがっている」ようにしか見えない。往年のファンとしては老醜をさらしてもらいたくないという気がしたりするのが本音。

 バスに乗り遅れた時点で予定の列車には間に合わなくなっている。次の列車は1時間後。というわけで昼食は敦賀でとることにする。そのための店を物色したが、表通りの店は今ひとつ面白みがない。そこで少し裏通りに回ったところ、「お食事処石亭」と看板の掛かった怪しげな店を見つける。私の経験から言えば、こういう雰囲気の店は大当たりか大ハズレかのどちらかしかない。話のネタに入ってみることにする。

 わびさびの情緒が漂う

 店は親父さんが一人で経営している模様。昼の定食は980円の刺身定食で今日のネタはバレン(カジキのことらしい)とのこと。それを頼むことにする。やがて刺身を盛った皿とアラ煮などの小鉢が2つ、ご飯と味噌汁といったオーソドックスな定食が運ばれてくる。

 刺身定食980円也

 とりあえずカジキの刺身を一切れ食べたところで「これは当たりだった」と確信する。魚の鮮度が良い。白身魚と違い、こういう赤身系の魚の刺身は鮮度が一番誤魔化しが利かず、少し古いととんでもないことになるのである。しかしこのカジキには臭みがない。また小鉢の方もなかなかにうまい。さすがに漁港の街である。

 とりあえず魚で腹一杯になったところで、駅に移動、おみやげに駅弁を2点買って帰る。今回の購入は鯛寿司(900円)とマス寿司(1300円)。これを先週も活躍した対マス寿司用特殊装備(一般名称クーラーバック)に入れると、保冷剤代わりに売店で買った凍結Qooを放り込んでおく。なお敦賀の名物としては鯖寿司が一番有名だとのことで、これは早々に売り切れていた。もっとも私はアレルギー体質であり、鯖はグレー食品なので鯖寿司を買う気は元々なかったのであるが。

  

 やがて敦賀駅に折り返しの新快速が到着する。私はこれに乗ると再び湖西線に引き返すことになる。山中の何もない駅(ただし乗り換え拠点)である近江塩津をすぎた頃から琵琶湖が視界に入る。行きの行程は朝早かったせいで半分居眠りしながら通り過ぎてしまったので、帰りの行程はゆっくりと風景を楽しむことにする。車窓から眺める棚田の風景などが美しい。

 1時間ぐらいかけて堅田に到着。ここで降りると駅前からバスに乗車、琵琶湖大橋を渡ったところが次の目的地である。


「琵琶湖の原風景をもとめて―ブライアンのまなざし」佐川美術館で9/2まで

 ブライアン・ウイリアムズ氏は日本の美しい風景に魅入られ、その風景を描き続ける画家である。本展では彼が琵琶湖湖岸の風景を描いた作品が展示されている。

 原風景と銘打っているが、彼が描いているのは琵琶湖岸の棚田などの美しい風景である。ちょうど先ほど湖西線から眺めた風景が重なるが、今日の風景はすでに護岸工事などによって破壊が進んでいる光景である。彼はその原風景を実に精緻な筆致で描いている。

 彼の作品については現代アート至上主義者などなら「絵葉書」とか「写真と同じ」などと揶揄するかもしれない。しかし私個人としては非常に好感を持つ画風。ブライアン氏はペルー生まれでアメリカで美術を習ったようだが、いわゆるポップアートの流れでなく、ワイエスなどの精密絵画の流れを学んだのかもしれない。

 日本人なら郷愁を感じずにはいられない風景だが、ブライアン氏はそこに自然保護についての想いを込めているようである。そのことは十分に伝わってくる。日本の近代はあまりに置いてきた物が多すぎる。


 今度はバスで守山に移動、そこから東海道線で瀬田まで。最終目的地は通い慣れたる美術館である。


「慈覚大師 円仁とその名宝」滋賀県立近代美術館で9/24まで

 円仁は比叡山で天台宗開祖の最澄の弟子になった後、唐に渡って仏教の学習に励む。しかし皇帝武宗の仏教迫害に遭い、苦労の末に貴重な仏画や経典などを携えて帰国したという。帰国後の彼は、延暦寺における仏教の発展に多大な貢献をし、死後には慈覚大師の称号を贈られて称えられた。本展はその円仁ゆかりの経典、仏像等の名宝を展示した物である。

 正直なところ、仏教関係の宝物は私にとっては専門外である。ただ仏像については様々な作風のものが存在しており、慶派の流れを汲む物から、デフォルメの激しい独特の物まで、個性豊かで彫刻として楽しめた。


 ここまで回ったところでもう既に夕方。閉館時間間近になってしまった。やはり敦賀で列車を一本遅らせたのがスケジュールの最後まで影響して、ギリギリになってしまった。家路へと急ぐことにしたのであった・・・。

 

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