えき「KYOTO」

下品で威圧的。最悪デザインの京都駅ビル。

公式HP

美術館規模 小

専用駐車場 有(伊勢丹の駐車場)

アクセス方法

 京都駅すぐ

お勧めアクセス法

 そのものズバリの京都駅ビル内なので、ここはJRで来ること以外考えられない。交通至便。

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展覧会レポート

 

「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」 2006.10/7〜11/26

 テレビ出演などで有名なエジプト考古学者・吉村作治氏を中心とした、早大エジプト調査隊による発掘物などを展示した展覧会である。ダハシュール北遺跡で未盗掘の状態で発掘された木棺から出土した、青いミイラマスクが最大の目玉となっている。

 非常に貴重なエジプトの出土物を展示した展覧会・・・なのであるのだが、どうも展示物にストーリーが見えてこないのが、私のようなエジプト考古学については全く素人の人間には辛い。ただ単に出土物を並べているだけという印象なので、歴史的流れも位置的関係も何も分からず、出土物が古代エジプトと結びつかないので、そこにドラマが見えてこないのである。しかもこの点に関しては、吉村作治氏自身による解説の入った音声ガイドも全く何の役にも立っていない。私のような素人はお呼びでないと言うことだろうか。

 その割には会場は、明らかに素人としか思えない観客で一杯だった。確かに青いミイラマスクなどはその鮮やか造形だけでも唸る代物なのだが、やはり考古学関係の展示となるとそれだけでは寂しい。素人を意識したもう一工夫が展示の形式の方に欲しかった。

 

「北京故宮博物院展」 2006.4/28〜5/28

 北京故宮博物院はかつての紫禁城をそのまま博物館として活用したもので、明・清両朝のゆかりの品を中心に所蔵しているという。本展は同博物院の所蔵品より、清朝末期の西太后とラスエンペラー溥儀に焦点を当て、彼らのゆかりの品を展示したものである。

 展示品は衣装や宝飾品の類となるが、時代が最近であるため、今一つ歴史的感慨というものが湧かないのは如何ともしがたいか。むしろ溥儀が愛用していたという自転車が展示されていたりするところに、清朝末期の時代の状況がうかがえたりした。

 

「美人画の巨匠 伊東深水展」 2006.4/1〜4/23

 伊藤深水とは言うまでもなく、明治から昭和にかけての時代に活躍した日本画の重鎮であり、美人画の大家と言われている人物である。もっとも現代では女優・朝丘雪路の父親と言った方が有名かもしれない。鏑木清方に入門して日本画を学んだという彼は、日本の浮世絵の伝統の流れにのった画家である。

 実は私はこの作家の作品をまとめて見たことは初めてだが、こうして見るとやはり作風の変遷が分かって面白い。最初期の修業時代から明治期にかけての作品はやはり伝統の形式に則りながらも、所々に若さの勢いのようなものが見られており、大正期になると当時流行していた朦朧体の影響が現れ、輪郭が曖昧な作品が増える。それが昭和期に再び明確な輪郭線が戻り、戦後になると変化を目論んでの新しい画題や新しい手法への挑戦が現れる。そして最晩年には今までの試みの集大成でありながら、結局は原点に戻ってきたかのような作品が登場する。

 彼がこのように、実はかなり色々なことに意欲的に取り組んでいた画家であったというのは、私にとっては意外な発見であった。なかなかに作家としての奥の深さを感じさせられ面白いものであった。

 

「ポーラ美術館の印象派コレクション展」 2006.3/3〜3/26

 箱根にあるポーラ美術館はその優れたコレクションで知られているが、特に西洋絵画の系統だったコレクションの充実ぶりは屈指と言われている。本展はそのポーラ美術館の収蔵品から人気の高い印象派の作品を中心に展示した展覧会である。

 展示されている作品は、クールベから始まり、マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャンなど極めて有名な作家の作品が多い。特に充実していたのがルノワールの作品なんだが、これがまた実に素晴らしい。例によっての軟らかな表現による少女像は魅せられる。

 こじんまりとした会場にレベルの高い作品がこれでもかと押し込められているといった印象。そのためゆったりした風情が味わえないというのが本展の難点であるが、その展示作品には圧倒されるものがある。美しい絵画が多いので初心者も楽しめるし、中級者以上でも納得できるクオリティがある。会場は交通至便(JR京都駅ビル内)であるし、是非出かけるべき価値があろう。

 

「ベオグラード国立美術館所蔵フランス近代絵画展」 2005.11/11〜12/26

 戦火からようやく復興を遂げつつあるセルビア・モンテネグロの首都ベオグラードでは、国立美術館の改修が行われており、それに伴って所蔵絵画の日本での巡回展が実現されたという。

 モネやゴッホ、ピカソなどいわゆる売れ線の画家の作品が並ぶが、一番目立つのは大小取り混ぜたルノワールの作品である。小品の少女の肖像画など、いかにもルノワールらしいタッチで楽しませてくれる。そして本展の目玉と言えるのが「水浴する女性」である。いつの世にも名画を盗む馬鹿は存在するが、この名画も一度盗難に遭っており、しかも犯人がド素人であったために、絵の具の剥落などで激しい損傷を受けるという目にあっている。本展ではそのような発見直後の惨憺たる状態の写真と、その後の修復作業によって見事に往年の美しさをとり戻した本作品が並べて展示されている。それを眺めて、人間の愚かしさを噛みしめるというのも大切なことであろう。

 展覧会としてそうそうたる作家の作品が並んでいるのだが、作家数が多すぎて各作家のカタログのようになってしまったきらいもなくはない。個人的にはもっと数人の作家にポイントを絞った展覧会の方が好みなのだが。

 

「よみがえる中国歴代王朝展」 2005.10/6〜11/6

 中国3000年などと言うが、この国では太古より数々の王朝が連綿と続いてきた歴史がある。本展ではそのような中国古代王朝の文物を最古は殷王朝(商とも呼ばれる)から近くは宋王朝に至るまでの時代にわたって展示したものである。

 殷の時代の青銅器から、秦の兵馬俑、さらには後漢期の金縷玉衣に北魏の仏像、そして唐代の唐三彩とまさに中国文物のフルーコースと言った展示が本展の特徴である。一回りするだけで中国の古代遺物の代表的なものが堪能できるといった手軽さがある。ただそれだけにこの手の展覧会に慣れた者にとっては「どこかで見たことがある」という類の展示ばかりであるのも事実であり(私はこれらの展示物はすべて「中国兵馬俑展」や「唐三彩展」などと言った独立した展覧会で見ている)、目新しさはない。

 以上のことから、本展は上級者を唸らせるには質量ともに不足であることは否めない。しかしながら初心者から中級者にとっては全体を概観して中国の歴史を把握できるメリットがある上に、展示物がいずれも状態が良くて特徴を把握しやすいものを選んであり、非常に理解が容易となっている。このことから中級者以下には非常にお勧めの展覧である。本展はデパート展という環境をよく考えて企画した展覧会であると言えよう。

 

「愛のシャガール展」 2005.8/27〜10/2

 シャガールは日本人にも良く知られている画家であるが、彼は戦争などに翻弄される波乱に満ちた半生を送った後、ようやく南フランスで幸せな晩年を送ることが出来たという経歴を持っている。しかしそのような生涯を送った彼の作品は「愛」に満ちており、本展ではそのような「愛」をテーマにした作品を集めたとのことである。

 簡潔にして歪な人物の輪郭、摩訶不思議な画面構成、時には異形の生物さえ現れるその内容。一つ間違うとグロテスクにさえ見えかねない彼の作品だが、なぜか日本人にはよく好まれるのが彼の作品である。絵を見た者が心を捕まれるのは、おそらくそこに無垢で自由な魂が見えるからであろう。一言で表現すれば、彼の絵は幼稚園児などが描く絵と同じである。窮屈な約束事などをのぞいて、まさに心に映る映像をそのまま描いているような爽やかさが存在しているのである。この心理効果故に、未だに彼の作品は多くのイラストに影響を与えているのだろう。

 私は個人的には彼はあまり好きな画家ではないのだが、それでも彼の作品には楽しませられることが多い。特にその自由で印象的な色遣いに強い魅力を感じる。本展は「愛のシャガール」と銘打っているが、確かに作品から愛が滲んでいるというのが実感であり、奇妙な心地よさがあるのは事実である。

 

「ミヒャエル・ゾーヴァ展」 2005.6/8〜7/3

 ゾーヴァは、その独特のセンスを漂わせる絵画で話題になっているドイツの画家である。彼の作品は映画界などでも注目されており、最近でも「アメリ」の中で使用されていたことが有名であるという。本展は彼の作品を一同に集めた展覧会であり、絵本用の絵画作品や、彼の画集に収められた作品などが見ることが出来る。

 彼の作品であるが、とにかく「インパクトの強い作品」と言うことが出来るだろう。ユーモラスとグロテスクが紙一重のところで同居しており、また空間を感じさせる余白の使い方にうまさがある。基本的にかなり描写力の高い画家であると感じさせられるが、クセの強さがそれを打ち消している部分もあり、功罪相半ばというところか。個人的には、面白いとは思うが部屋に飾りたいとは思わない類の絵である(気色悪い)。

 

「ルネ・ラリック展」 2005.2/19〜3/28

 19世紀末から20世紀初頭にかけての、フランスのアール・デコの時代にガラスを用いた作品で名を馳せたのがルネ・ラリックである。アール・ヌーヴォーの旗手であり同じくガラス工芸で名を馳せたエミール・ガレに比較すると、彼の作品はより工業的な量産を意図しているのが特徴的である。また色ガラスを多用したガレに対し、ラリックは基本的に単色のガラスを用いている作品がほとんであり、シンプルで洗練された機能美のようなものが感じられる。中期の作品には当時の流行を反映した過剰装飾気味の作品も現れるが、晩年の作品になると機能美がさらに徹底してくる。ガレが晩年により芸術志向になって一般人の感覚とは離れた世界に突入していったのとは実に対照的である。

 とにかくガラスの美しさに唸ってしまう展覧会である。個人的にはガレの作品はとても部屋に置こうとは思わないが(あまりに個性の主張が強すぎる)、ラリックの作品については部屋に置いてみたいと感じられたのは事実である。

 

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