京都文化博物館

奥に見える現代的な建物が本体です。

そして手前には赤煉瓦の建物が接続している。

公式HP

美術館規模 中

専用駐車場 無

アクセス方法

 地下鉄烏丸御池から徒歩

お勧めアクセス法

 地下鉄を使うしかないところです。

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展覧会レポート

 

「NHK日曜美術館30年展」 2006.12/13〜1/21

 日曜美術館とはNHKで長年放送されてきた硬派美術番組である(あまりに渋すぎて私などにはいささか眠いが)。その放送30年を記念して、今まで番組に登場した作品などを取り上げたのが本展とのこと。作品の展示に合わせて、当時の番組における出演者のコメントなども合わせて紹介している。

 展示作品は比較的有名どころ。東京芸術大学美術館の所蔵作品が多いような気もするが、中には岐阜県美術館のルドンなど、私にも非常に馴染みのある作品なども展示されている。

 解説と組み合わせての展示となっているので、非常に分かりやすいというのが本展の特徴である(その解説に同意できるかどうかは別の話だが)。また番組放送当時のVTRが会場の各所で流されているので、ファンには懐かしさもひとしおだろうか。また出演している作家の大半は既に故人となっているので、貴重な映像である。展示作品は日本の作家のものがメインだが、過不足なく網羅しているので、美術に興味のあるものなら楽しめるであろう。

 

「始皇帝と彩色兵馬俑展」 2006.10/19〜12/3

 中国の大遺跡と言えばやはり始皇帝陵の兵馬俑が有名である。本展では司馬遷の史記をモチーフにして、始皇帝陵の兵馬俑など、中国の古代の歴史を物語る文物を展示している。展示品の中で最大の目玉と言えるのは、最近になって発掘された彩色を施された兵馬俑(跪射俑)である。

 考えてみれば、これで何回目の兵馬俑展だろうかと言う気がする。正直なところ「今更兵馬俑展か・・・」という気持ちもあったのだが、いざ見に来てみると予想外に面白かった。TBSが関与しているというだけあって、さすがに見せ方がうまいのである。ただ単に兵馬俑をバラバラと並べてあるのではなく、史記を鍵にして、古代中国の社会状況が浮かんでくるような構成にしてあるのが巧みで、歴史ファンの心をくすぐるのである。

 なお絶対にあるだろうと予想はしていたのだが、やはり彩色兵馬俑のデータに基づいたCGによる再現映像の上映が行われていた。現在の兵馬俑からでは想像しにくい鮮やかな映像が、始皇帝の地下帝国の全貌を浮かび上がらせてくれる。これはなかなかに楽しめた。

 

「印象派と西洋絵画の巨匠たち展」 2006.6/8〜7/17

 本展は東京富士美術館に収蔵されている西洋近代絵画のコレクションを展示したものである。ロマン主義絵画からバルビゾン派、印象派を経て20世紀絵画に至るまでを展示している。

 展示数は70点とのことであるが、実際の印象としてはもっと展示数が少なく感じてしまう。ミレー、モネ、ルノワールなどの有名どころの作品も確かに展示されているが、大体1作家1作品ぐらいであるし、しかも展示数の1/3ほどはウォーホルのキャンベルスープ缶などのどうでも良い作品で、さらに1/3はデ・キリコなどの20世紀絵画になるので、タイトルには印象派を冠しているものの、実際の印象派の作品は数点ほどしかないのが現実である。

 多分、日本では印象派が圧倒的に人気が高いので集客を考えてのことだと思うが、正直なところ肩透かし感があるのは否定できない。もっともポスターにも使用されているルノワールの作品は文句なく素晴らしかったので、私のようなルノワールファンの場合は、それだけで一応の満足は出来るのだが・・・。

 

「発明王・エジソン展」 2006.4/25〜5/28

 エジソンとは言うまでもなく、電球や蓄音機を発明したアメリカの発明王で、今でも小学生などの偉人伝の定番でもある。かく言う私も小学生の頃は、彼の伝記を読んで読書感想文を書いた記憶がある。

 さて本展はエジソンの生誕160年を記念して、バンダイが所蔵するエジソンの発明品から約200点を厳選して展示したものだという。京都の竹を使用してフィラメントを製造したという初期の電球や、エジソンが発明した蓄音機、映写機から電気ポットに至るまであらゆる品を展示してある。

 一番面白かったのが、会場内で行われていた蓄音機の実演である。そこで再生される音楽の意外なほどの生々しさ(デジタルではあり得ない)に興味をかき立てられること仕切であった。

 本展はその性質上、子供を対象に想定していると思われるのだが、十分に大人でも楽しめる内容となっている。特にかつて発明家を志した科学少年などは是非とも見学に出向くべきであろう。

 

「偉大なるシルクロードの遺産展」京都文化博物館で12/4まで

 ユーラシア大陸をつなぐシルクロードでは、歴史の中で多くの国や民族が栄えては滅びを繰り返してきた。そのようなシルクロード周辺の文物を展示したのが本展である。4部構成で、第1部はギリシャの影響を受けた古代イランの金属細工など、第2部は中央アジアの仏教遺跡(ガンダーラ仏など)、第3部はソクド人の室内装飾壁画、第4部がイスラム帝国の装飾品や衣装などである。

 どれも文物としては面白いのだが、展覧会全体を通してのストーリーが見えてこないのがやや不満。ただ単に特徴的な文物を並べているだけで、それらがシルクロードを通じてつながり合うという関係が見えてこないのである。この辺りの構成はやはり以前に兵庫県立美術館で開催されていた「新シルクロード展」の方が一枚上手だったように感じられる。

 

「松島・天橋立・厳島 日本三景展」 2005.9/13〜10/16

 日本三景とも呼ばれる松島、厳島、天橋立は古来より絵画などの題材によく用いられてきた。本展はそのような三景にちなんだ絵画などを、古くは中世の絵巻から近代の風景絵画に至るまで一堂に集め、三景がいかにして描かれてきたかを見ていこうという変わった主旨の展覧会である。

 中世の巻物などではやはり表現がかなり定型化されていて、実景を写し取るというよりはイメージ優先の誇張表現などがあり、日本画にありがちの風景の再構成などといったことも行われていることが分かる。これが江戸期中期以降ぐらいから、風景をそのまま写実するといった姿勢が現れてきて、表現が変わってくる。中には地図とそのまま対応が取れるぐらいの正確さを持つ絵画なども存在していたようだ。すると今度は、単なる写実だけでなく、そこにいかにして芸術的表現を組み込むかに苦闘するといった、今日でもよくある芸術的ジレンマなども垣間見える。意外と面白かったのが明治以降のいわゆる観光絵図で、端的に分かりやすく描いているのだが、見ていて楽しいといった表現になっており、職人的巧みさを感じさせられるものであった。

 かなり突飛なテーマであるので、系統的に何かを感じるというのが意外と難しく、どこにどう注目すればよいのかが分かりにくいというのが本展の難点か。ましてや私のような素人には、中世の定型化された表現では、全部ほとんど同じ作品に見えてしまうということがあり、やはり面白みを感じられるのは後半部分になってくるのが本音のところ。

 

「古代エジプト文明3000年の世界」 2005.2/2〜3/21

 古代エジプトには独自の文化が発展したが、それは今でも多くの人々を魅了してやまない魅力を持っている。本展はそのエジプト文明を特徴づけるアイテム類を集め、古代エジプト人がどのような死生観や宗教観を持っていたかなどを見せる展覧会である。

 エジプトといえばミイラを連想するが、まず最初に登場するのはそのようなミイラにつけられたマスクや護符などである。また内蔵を収容した器なども展示されている。これらは古代エジプト人が死者の再生を信じていたことを示しており、その際に手違いが起こらないようにいろいろの決まり事があったことが分かる。面白いのはミイラマスクなどでも時代による流行があり、特に後にローマに支配されてからはローマ文化の影響を受けて、生前の死者の姿を忠実に写したマスクが登場するなどの顕著な変化が表れていることである。

 またエジプト独自の文字「ヒエログリフ」の展示などもなされており、エジプト文字に興味のある人はさらに楽しめるだろう。恥ずかしながら私は、ヒエログリフに表意文字と表音文字が混ざっているということは、今回初めて知った。全般的に展示が多彩なので、見ていてなかなか飽きない展覧会である。

 

「近世京都の狩野派展」 2004.9/18〜10/24

 狩野派と言えば狩野正信から始まり、有名な狩野永徳などを輩出し、幕府の御用画家として江戸できらびやかな活動を繰り広げ、日本画の本流を作った流派として知られている。

 一方、江戸の狩野派とは別に、京でも狩野派の流れを汲む画家が活躍していた。狩野探幽を師とする狩野探山こと鶴澤探山の鶴澤派、狩野永徳の高弟であった狩野山楽に始まる京狩野家などである。

 本展ではこれら京で活躍した狩野派の画家達の作品を一望できる。京の狩野派は主に公家を顧客としたことから、江戸の狩野派と比べて装飾性が豊かな絵画の方向に発達していくのだが、そのような京の狩野派の独自の展開が作品で直接に感じられるし、また精密描写で知られた円山応挙などにつながっていく流れなどもよく分かるように展示してあり、実に興味深い。

 また時代が進むと、江戸の狩野派は形式的な絵画ばかりになり活気を失っていったが、京の画家達にはアナクロニズムな動きが出たり新しい技法に取り組もうとしたりなど、活路を求めるダイナミズムが感じられこれも面白かった。

 狩野派系の作品と言えば、どれも形式的で類似しているように感じていたのだが、こうしてみていると作者による違いや時代の流れなどもあるということがよく分かる。日本画に興味のある人は足を伸ばしても良いのでは。

 

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